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IPEのタネ 7/26/2004

張芸謀(チャン・イーモー)監督の中国映画『初恋のきた道』(2000年)を観ました.忘れがたい名作です.貧しい農村の小学校に赴任してきた若い教師に,目の不自由な母親と暮らす村の娘が恋をします.美しい農村の,原色で,透明な,とても静かな映像が,三宝のゆるやかな楽曲とともに,章子怡(チャン・ツィイー)の演じる可憐な娘のひたむきな心を,痛いほど,描き出します.

母親は,最初,「きっぱり忘れてしまいなさい.身分が違いすぎるよ」と娘に言います.

夕食を食べに来ると約束した恋人が,すでに町に発ったと聞いて,娘は食べてもらうはずだった餃子をどんぶりに入れて布で包み,野原を駆け抜け,丘を越えて必死に追いかけます.しかし,何度,丘を越えて先回りしようとしても,土埃を立てて走る粗末な馬車の後姿しか見えず,彼女はついに足をもつれさせて倒れ,餃子の入った器を割ってしまいます.彼がくれた大切な髪飾りまでなくしてしまい,それから何日も髪飾りを探して,彼女は野山を歩き回るのです.

彼が帰ってこない学校を見ると,窓の紙はボロボロに破れて,机や椅子も埃にまみれていました.彼女はそれを悲しみ,彼が早く帰ってくるように,きれいな黄色い紙で窓を張り替え,朱色の細かい切り紙で飾り付けをしました.机や椅子をていねいに拭き,黒板も,彼が書いた文字をそのまま残して,それ以外はきれいに磨き上げるのです.村長がこれに気づき,村人たちは娘の気持ちを知ります.村で最初の自由な恋愛だった,と回想する息子の声は続きます.

二人をめぐり合わせたのも,二人を数年にわたって遠ざけたのも,町で起きる政変でした.

遅くとも27日までには帰ってくる,と彼が言った言葉を信じて,その日,娘は夜明けから村と町を結ぶ道に出て待ちます.やがて雪が降り始め,野原が白く雪に覆われても,娘は一日中,そこに立っていました.日が暮れて,家に帰った彼女は高熱で倒れます.彼女の母親は娘の体を心配しますが,それでも彼を町まで探しに行くと言って,翌日,母を振り切って歩き出します.その後,村長らが途中で倒れていた彼女を見つけて,家に運ぶのです.

・・・二人は一緒に暮らせます.この物語は,父親の死を聞いて家に戻った彼らの息子と,その葬儀についての老いた彼女のわがままから始まるのです.

美しい四季の他,何もないように見える農村でも,彼らにとっては多くの苦難を乗り越えた,素晴らしい出会いと,何ものにも代えることのできない,満たされた生活があったようです.彼は小学校の教師として多くの教え子を育て,報せを聞いて各地から集まった生徒たちが,その棺を担いで吹雪の道を村まで歩きます.学校を立て直すのがあの人の夢だったから,と言って,彼女は蓄えていたお金をすべて村に寄付します.たとえ可能性が少なく,貧しいだけのように見えても,そこに生きる人々の夢や理想はむしろ鮮烈で,尊い力を発揮するようです.

美化された叙情を描くことは,必ずしも,厳しい現実に対する告発より容易だと思いません.同じ監督の作品,『赤いコーリャン』の最後に現れる日本軍は,中国人の生皮を生きたまま剥がせと命じる,人間以外の「鬼」として描かれました.それは,まったく作品の中に入り込めない,民族的・政治的災厄に見えます.他方,『活きる』(そして未見の『菊豆』)に描かれた中国社会の歴史的暗部は,美しいヒロインの苦しみに同情し,共感することで少し救われます.一人の生涯で,これほど激しい社会の変貌と個人的不安を強いられた中国民衆が,今,これほど充実した純愛映画を作り出したことに,私は感銘を受けました.

日曜日に観た『HERO 英雄』(2002年)は,まったく違う趣向の娯楽活劇です.何だ,これは・・・という戸惑い(スパイダー・マン? 少林サッカー!?).耽美的なアクション・ヒーローの台詞やCG映像に,中国も所詮は派手な舞台装置,筋書きのためのシンボル倉庫に過ぎないのか? という不満を感じながら観ていました.しかし,終幕において,空想的な武侠伝を演じる抽象的暗殺者たちと,実在の秦の始皇帝とが交差します.彼が求めたものは「天下統一」「人民の平和」,その手段は圧倒的な武力でした.こうして,暗殺者と為政者の孤独や悲しみ,その凶暴さまで,作品に昇華します.

張芸謀(チャン・イーモー)の映画は,「共産主義」的な社会にも存在する人間の原初的矛盾を,その政治性について耽美的映像で描くことから始まり,より写実的な表現へ,そして大衆性や娯楽性を直接に重視する映画へ向かいました.今や,世界資本と提携し,市場の礼賛(数千万人,数億人?の観客動員)に向けて,香港映画界やハリウッドとも連合します.中国の政治と同様,彼の映画も急速に変化し続けます.

映画とオリンピックは,21世紀の政治に強烈なイメージを供給するでしょう.そして,自国の優れた映画やオリンピック選手を出せない国は,その言語や通貨と同じように,世界から忘れ去られるのです.他方,軍隊や軍需産業の支配する政府,あるいは,建設業界が支配する政府の存在は,豊かな国が衰退し,内戦へと転落した背景として,21世紀の民族・宗教紛争や貧困地帯を調べる研究者に,将来,真っ先に挙げられるかもしれません.

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