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IPEのタネ 7/5/2004
政治家は,言葉によって,国民の感情と意志を的確に表現し,論戦を通じて社会全体の利益を実現しなければなりません.
政治家自身は言い出さない,本当の政治家なら考えているはずのことがあります.たとえば,多くの政治家は偽薬です.政治家の数を半分に減らしてください.すべての公式の発言をインターネット上に,検索可能な形で公開し,内容と量を競ってください.そして,彼らの発言機会を確保する公開討論会を助成,もしくは義務付けてほしいです.日曜日,各党党首の重要演説を集めたNHKの番組は有意義でした.
政治算術の奇異なスタイルとしてではなく,投票行動の意味をめぐる納得できる解釈はあるのでしょうか?
有権者はマニフェストを選ぶのでしょうか? 私は,この日本の政党政治に現れた革新を好ましい変化として歓迎しますが,このままでは失敗すると思います.総論的で,曖昧な,実現可能性や費用を無視した,自分勝手な幻想を撒き散らすだけでは,すぐに飽きられるでしょう.与党は目覚しい成功を強調し,もしくは,実現できなかった多くの事情や,現実を無視した野党の不合理な反対を指摘するだけです.もっと争点を明示し,直接に,論戦で優位を競ってほしいです.
選挙では,自分たちの代表を選ぶのでしょうか? 政策よりも人物で選べば,結局,与党が有利であり,既得権やコネで政治が決められる,という心配はあります.しかし,政治論争を指導できるような,優れた人物は限られています.経済的・社会的な弱者でも,集まれば,数の力で政治を再編します.正しい意味で,人物を見て選ぶなら,選挙の意味がもっと明確になるでしょう.
選挙は,政府の過去の業績を評価するのか? 個々の政策・問題の優先順位を選ぶのか? 具体的な改革プラン,アイデアを選ぶのか? なるほど,時論を支配する争点があれば,結果的に,選挙は与党や野党を罰し,特定の政策や優先順位を拒んだり,支持したりする,住民の直接投票という色合いが強くなります.しかし,その場合,さまざまな争点を勝者が自分勝手に解釈し,個々の政策決定は数の力で押し切るようになるでしょう.政策のセットを売り込む,政党政治というスタイルが麻痺しているように思います.
政府が有権者に公共サービスを供給する主体であれば,選挙は株主総会のようなものであり,予算配分や税負担,社会保障の中身と,それを執行する管理者を選ぶのでしょうか? 政治が,そのように限定した機能を充足するだけ(たとえば町内会の夏祭りや,PTAによる運動場の草刈)になるのは,よほど関心の範囲や規模が小さいか,政治的合意が浸透している集団の内部に限られるでしょう.それは,通常の政治論争が終わった時点で残された管理問題です.
私たちは,政治の範囲や舞台を選べるでしょうか? 先日,ユニセフから,貧しい国の子供を救ってほしい,という募金を呼びかける郵便物が届きました.脱水症状やマラリアなどで死亡する子供たちを助けるのに,私たちはユニセフに5000円を寄付するだけです.それで,多くの子供の命を助けることができます.もしユニセフを信用するなら.それに比べて,私が国や地方に納める税金や保険料の額は,その目的やサービスに対して正当な代価なのでしょうか? ユニセフより日本の政府や官僚を信用して良いのでしょうか?
私は,最も効果的な選択とは,代表となる人物を選ぶことだと思います.たとえば,先日,映画『エリン・ブロコビッチ』を観て,主人公の女性が政治家になって,議会で政府や官僚の不正を糾弾し,政策転換や制度改革を指導する姿を想像しました.エリンが話を聞いた原告の一人は,六価クロムで発ガンし,乳房と子宮を摘出しました.和解するために企業の雇った弁護士たちに,彼女は憤怒します.「そんなはした金は問題にならない.あんたの脊椎,あんたの子宮に値段をつけて,それを100倍して持って来い!」
議員年金に弁解がましい政治家,正当な理由も無く情報を公開しない政治家,情報の隠匿・操作や不公平な扱いを改めようとしない官僚に依存し,それと癒着した政治家を,真っ先に全員落選させてみてはどうでしょうか? 親が議員だからとか,他の政治家の組織や地盤を引き継いだから政治家になれた者,医師会や農協,特定の業界団体や出身の官庁にコネがあるというだけで政治家になっている者を,全員落選させてはどうでしょうか?
政治的な意志を必要としている,苦境に生きる人々の中から,その声を本当に代弁できる人物を私たちの代表として国会に送り,この社会を変えてほしいと思います.そして,重要な問題については,必ず国民や住民に,直接投票で問うべきです.
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