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IPEの種 10/31/2005
ラテン・アメリカ学会に行く前に質問したい,ということで,大学院の高橋さんとウィリアムソンの翻訳書(『国際通貨制度の選択』)について話し合いました.彼の質問は,主として以下のような点に向けられていたと思います.つまり,・・・
1.なぜ「中間的選択肢」なのか? 他の選択肢と何が違うのか?
ウィリアムソンが「中間的選択肢」を主張するのは,世界市場に参加した新興諸国が高い成長を実現するためには,為替レートの調整が必要だと考えるからです.すなわち彼は,固定レート制では対外不均衡を為替レートの変更で調整できないし,自律的な国内マクロ政策も行えない,と批判します.また,完全に自由な市場取引による為替レートの決定では,事実として,輸出競争力を維持する水準に為替レートを安定できなかった,と考えていると思います.だから,そのどちらでもない「中間的選択肢」を新興諸国は模索するべきなのです.
しかし,いわゆる「二極化」論が「中間的選択肢」を排除せよと主張したのは,「中間的選択肢」が通貨危機に陥りやすい,と考えたからでした.ブレトンウッズ体制における「アジャスタブル・ペッグ」や,彼が1980年代に支持した「目標相場圏」を,この研究では必ずしも支持していません.新興諸国に対して国際的な民間資本移動がますます増大する中では,通貨危機を回避できるか,という問題を重視するのが当然です.具体的な経験から,彼は「BBC(バスケット,バンド,クローリング)」を共有することを,(日本を除く)東アジア諸国に提案しています.
補1.ただし,「ドル化」も,地域市場統合も,多角的貿易自由化も,排除していません.
確かに,アメリカに輸出入をすべて依存する仮想的な《バナナ共和国》の場合,「ドル化」することが望ましいでしょう.しかし,たとえ小国が「カレンシー・ボード」や「ドル化」を採用しても,アメリカの金融政策や為替レートがその国にとって好ましいものである保証はありません.その国の銀行が連銀に「最後の貸し手」を期待できるわけではなく,その国はアメリカの金融政策や通商政策の決定に参加できません.セーフティー・ネットをアメリカ国内の企業や労働者と同じように利用できるわけでもないのです.
それでも,国民に自給自足を強いたり,経済取引を厳しく管理したり,不安定な為替レート(インフレ,財政赤字)を放置したりするより,多くの場合,「ドル化」(によるインフレ抑制や投資促進)は望ましい選択であると思います.ただしその小国は,「ドル化」に適応するための国内経済改革を実行しなければなりません.(たとえば,アルゼンチンはそれに失敗しました.そのことを,ブエノス・アイレスでのインタビューで,現地の経済学者も明確に主張しました.)
あるいは「ドル化」を拒んで,独自のマクロ経済運営を追求したいなら,国内産業構造や貿易相手国を多様化し,金融システムの健全性や市場規模の拡大を目指すべきでしょう.そのために,バナナ共和国と同じような条件に苦しむ地域との市場統合や共通通貨を採用するかもしれません.また,多角的な貿易自由化を主要諸国に強く要請し,バナナ共和国の性格から経済を離脱させる道を模索するでしょう.(その過程で,インフレ目標や管理フロート制も否定しません.)
補2.「中間的選択肢」=BBC?
「中間的選択肢」論とは,一つの決まった答えをすべての国が採用するべきだ,という主張ではありません(この点で,J.フランケルに賛成しています).選択の幅を広げるべきだ,というわけです.BBCが,常に,どの国にも,適用できるわけではありません.他方,いつでも「両極の解」がその国の経済にとって最善だ,と考えてはなりません(香港,ニュー・ジーランド,アルゼンチン!).すべての国が最適通貨圏を構成するわけではないからです.
ウィリアムソンが支持したBBCは,為替レートが変動することを許します.しかし同時に,通貨当局が市場参加者の期待に影響を与えるように,為替レートの水準もしくは変動の範囲を示します.民間の市場参加者と違って,通貨当局はその国にとって望ましい為替レートの水準を,より長期的な視点で,判断することができます.もちろん,政府が民間の市場参加者よりも常に優れているとは限りません.しかし,通貨危機や不況を引き起こす為替レートの近視眼的な振幅の激しさには,深刻な問題がある,と認める者なら,ウィリアムソンに同意するはずです.通貨当局が長期的な判断を市場に示し(さらに,介入や金融政策の変更で支持して),それが市場参加者に信頼されるなら,新興諸国の為替レートに好ましい影響を与えるだろう,と主張します.
2.議論の前提として,国際通貨制度に関する明示的な理論,特に貨幣理論はないのか?
私は,ウィリアムソンの提言が,特定の新規な理論から導かれたものとは思いませんでした(クルーグマンの「ハネムーン効果」を指摘していますが).国際通貨制度の選択に関する抽象的な理論化を期待する専門家には,この訳書は期待はずれでしょう.また,マネタリストかケインジアンか,と言われれば,マネタリストの批判によって修正された後の,現実的なケインジアンだと思います.
(「中間的選択肢」論は,新興諸国による選択的な世界市場統合論です.それは,国際政策協調から説く三極(米欧日)間の「目標相場圏」論とは異なる,と思います.国際通貨システムの改革を考える場合は,両者も含めて,より多くの論点が扱われるべきでしょう.)
3.地域通貨,トービン・タックス,などではなく,なぜ「中間的選択肢」なのか?
ウィリアムソンは,ケースによって,地域通貨統合を支持すると思います.特に東アジアでは,緊密な貿易と投資が多角的に発達しており,また,USドルとの調整においても各国が(特に中国と)協力する方が望ましい,という理由で,協調の枠組みを作る可能性があります.ただし,国内経済運営をめぐってEUが到達した水準から見て,現状はまだ非常に遠いですから,今すぐ地域通貨統合を議論するわけではありません.
他方,もっとエコロジーや地域コミュニティーの自律と循環を重視する「地域通貨」論は,国際通貨システムとは独立の,ひとまず,別の問題であると思います.
トービン・タックスは,基本的に,投機的な短期資本移動を抑制する効果があれば,通貨危機を発生しにくくするでしょう.つまり,「中間的選択肢」が実現しやすくなるわけです.それゆえ,選択的というより,両立する考え方です.ただし,その導入には主要な金融センターの一致した対応が必要だと思います.各国の金融規制や税制,政策の相違,特にアメリカ政府が反対であることを考えれば,実現性が乏しいため,代替案になりません.(S.ストレンジが言うように,もっとマッドで,バッドになれば,アメリカも動くでしょうが.なお,チリの資本流入抑制策を,ウィリアムソンは訳書において言及し,強く支持しています.)
4.世界経済の辺境におかれた小国が国際通貨システムを通じて支配されずにすむ,根本的な解決策はないか?
従属論や批判理論の流れでは,ウィリアムソンのような改革論は,所詮,ラテン・アメリカの貧困や,アメリカの支配的な影響力(帝国化),多国籍企業・銀行の影響を,解決することも,緩和することもできない,と批判されるでしょう.国際システムの改変,システムからの離脱や自律化,地域的な経済圏の形成,などが必要なのです.「中間的選択肢」はネオ・リベラルリズムと大差ない,と否定されるかもしれません.
私は,そう思いませんでした.ウィリアムソンの「ワシントン・コンセンサス」がネオ・リベラリズムの代表例として有名になったことは,部分的に共通しているとしても,誤解であったと思います.もちろん,健全なマクロ経済管理によるインフレ抑制,市場自由化や直接投資の促進,民営化を支持する精神は,彼が明示したものです.なぜ,同じ政策思想の転換が,中国(やチリ)では急速な成長を,いくつかのラテン・アメリカ諸国には経済危機や極端な不平等を,もたらしたのでしょうか?
為替レート制度を選択するだけで,魔法のように,すべての社会・政治問題が解消し,成長率が高まる,などと期待するのは間違いです.市場自由化を何でも否定するより,現実の問題に応じて,その社会・政治的な要因を正しく理解するべきです.(「ネズミを捕るのは,白いネコか,黒いネコか?」)
東アジア諸国が共通のBBC制度を採用し,政策協力や制度の改革について話し合い,合意を模索する,というのは,実践的で,刺激的な考えだと思います.日本の参加方法や中国の姿勢について,今後,もっと独創的な検討が行われるでしょう.しかし何より,旧いイデオロギー的な対立を政策判断に用いるより,新しい現実に柔軟に対応して,国内の貧困を減らし,人々に雇用と豊かになる機会を与える政府の方が,内外において,正当性を得られると思います.
・・・確か,こんな話をしましたね?
関心を持たれた方は,どうぞ訳書を手に取ってください.
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