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IPEの種 10/17/2005

リヤカーで下町をゆっくり歩きながら,ラッパを鳴らす,豆腐の露天商をNHKの番組で見ました.足が不自由になった老人は,集合住宅の3階から呼び止めます.いつもはヘルパーさんに買い物を頼んでいるけれど,久しぶりに自分で買い物ができた,と喜びます.

世帯・家計・家庭Householdが変化することは,人口変化以上に,重要な社会・政治的意味を持っています.社会は単一栽培の作物ではなく,さまざまな多様性とコミュニケーションによって成立し,個体を超えた集合的な「生命体」である,というイメージがあります.貧富や人種,戦争によって社会が分断され,人々が隔離されてしまう危険について,世界中のメディアが注目しています.そして,幸いなことに,日本にはこの弊害が現れていないように見えます.

しかし,昼の住宅地を歩けば,ここはゴーストタウンだ,と実感します.自動車によって町が再編され,テレビによって団欒が失われただけでなく,職場と住宅も分離され,子育てや老後も隔離されました.この化石か墓標のような町に,社会とのつながりを確認できるものは,時折響く電話のベルと,ドアホンを鳴らして応答する宅急便の声だけです.

田舎でも,核家族が増え,パソコンが普及し,子供の数は減っていると思います.女性の社会進出や平等な雇用機会は実現していないにもかかわらず,パートの雇用は増えました.高齢化と介護ビジネスは,スーパーやコンビニ,宅配,外食産業など,さまざまな流通・消費ビジネスとともに,フリーターと主婦のアルバイトに頼っているのではないでしょうか? それは巨大なビジネス・チャンスかもしれませんが,所得格差を拡大しそうです.

建設業やサービス業は,欧米諸国がもっぱら移民労働者を受け入れた分野です.日本でも,法規制が緩和されるか,非合法な分野の拡大で,急速に移民の流入が増えると思います.そして,移民排斥と教育問題は,コミュニティーの保守化,保守主義・人種差別のイデオロギーを拡大し,欧米の社会・政治システムを転換する重要な条件となりました.私立学校の差別化や一貫教育,学校間競争の自由化,教員の任期制,教科書採用をめぐるトラブルなど,学校をめぐる対立から,住民の居住区が分割・変更され,あるいは裕福な住民が流出し,住民を巻き込む政治紛争が起きるでしょう.

この社会において前向きに生きること,すなわち,楽しみを共有し,苦しみを耐えて助け合う力を,私は「社会的な受容力」と呼びたいです.どのような制度や組織,人々の心性を高めれば,社会の受容力が強まるのか? ゴーストタウンとなった老人たちの住む町や,塾通いとゲームに明け暮れる子供たちを見る限り,この社会がグローバリゼーションに見合った受容力を養っていけるとは思えません.

Amtrakが走るカリフォルニアの小さな街を紹介する番組では,コミュニティーを愛するボランティアの人たちや,日曜日のファーマーズ・マーケットが紹介されていました.アメリカに住む人々は,家から出て集団的な力に触れるため,コミュニティー活動やさまざまなボランティア,教会などの慈善活動を組織したようです.もちろん,そこでも主役は子供たちです.

日本に住む私たちはどうでしょうか? 伝統的な祭りは,観光化されない限り,多くの土地で衰退し,地域の集会も世話する人が居なくなりました.男たちは企業に生活のすべてを奉仕させられ,女たちは家庭において子供や老人の世話を求められます.小学校の運動会でさえ,自分の子供のビデオ撮影会に過ぎなくなってしまいます.たとえ隣人同士でも,その人が何をしているのか,何を考えているのか,私は知りません.

ロボ・カップ2005を観て,大阪大学と企業連合が作ったヒューマノイド型のロボットが示す素晴らしいパフォーマンスに爆笑?してしまいました.慶応義塾大学のロボットたちが連携するプレーも見事です.ロボットたちの方が,より人間らしい,と思える時代が来るのでしょうか? 私たちは町を散歩する楽しみもなくなって,将来,友人としてロボットを買うでしょう.

政府は,光ファイバーを整備するより,化石や墓標でできた町を,柔らかな日差しを浴びながら暖かい会話を交わせる,草原のベンチのようにしてください.あるいは下町で豆腐屋のラッパの音に集まってくる者が,もはや老人や子供たちではなく,ロボットだけという社会になるのです.

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