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IPEの種 5/9/2005

家族が叡電で鞍馬から出町柳駅に着くまで,私は自動車の中で時間をつぶすことになりました.百万遍に行くと,ちょうど吉岡書店がお店を開けたところでした.店の人が表の棚に特価本を並べている間にも,私は店内に入って文庫本を探し,あるいは専門書を手にとって覗いていました.

結局,立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)だけを買いました.彼のように濫読し,勉強を楽しみ,文章を書きまくる能力があれば,きっと面白いだろうけれど,とても自分にはできそうにない生活だ,と思いました.「私の読書日記」は,頭が疲れたときに少しだけ読むと妙に元気が出ます.(しかし,人間とその知的好奇心には毒が多く,続けて読まない方がよいでしょう.・・・死,性,狂気,犯罪,秘密警察,信仰,権力,・・・)

立花氏は「脳研究最前線」という連載記事を書いていました.その中でハトの脳に関する実験を紹介した,とあります.ハトは,ピカソとモネの絵を見分けることができる,というのです.しかもそれは個々の絵を記憶しているのではなく,その画風を理解しているらしい,と.たとえばピカソの新しい絵を識別するだけでなく,前衛派の他の画家を仲間と理解できるし,モネは印象派の他の画家と仲間であることを理解する・・・ 本当に?

ハトは「中国人」と「日本人」とを区別できるでしょうか? もしかすると,反日デモを議論する「中国人」と「日本人」とを区別できるかもしれません.ハトにとっても「ナショナリズム」には何か意味があるのでしょうか? 彼らには,もちろん国境を無視して,地球規模で生息地を変える渡り鳥がいます.多くの国で生きた渡り鳥なら,「思想」や「政治体制」の違いを理解できるかもしれません.

もし鳥たちが,「中国人」と「日本人」とを識別するより,「リベラリズム」や「軍国主義」を容易に理解するとしたら,面白いと思います.もちろん,それは思想やイデオロギーとして区別するのではなく,巣の作り方や餌のとり方に関わる点で理解しているのでしょう.ハトではなく,熊とか,コイだったら,人間やその思想・政治を識別する基準として何を見るでしょうか?

彼らにそれほど高度な知能や独自の文化があるとしたら,彼らを殺したり,食べたりすることは間違っているのではないか,と思えてきます.牛乳やバター,チーズ,蜂蜜,せいぜい鶏の卵を食べるのは良いとしても,私は,将来の人類が,人種や国家間だけでなく,地球上の生物種を越えた殺戮を正当化するのを止めて,自然界に復帰する努力をしているのではないか,と空想しました.

ドルトル先生の話を,子供の頃に,楽しく,とても興味深く読みました.同じ言葉が話せなくても,私たちはいつか他の動物の気持ちや文化をもっと理解できるかもしれません.そうなれば,人間のように無差別に他の生き物を食物として捕獲したり,繁殖させて食肉処理したりする生物種は,深刻な病に犯されていることに気づくでしょう.むしろ人間が互いの違いを利用し,さまざまに差別し合うのは,鳥や獣たちから見るととても野蛮で不幸なことです.種の保存や食物の限界に関係ない形で互いの命を奪い合い,搾取し合うのは,肌の色や言葉,出自,資産や学校が違うからだ,と彼らが知ったら,本当に人間に生まれなくて良かった・・・ と思うでしょう.

LTCM危機の物語(ローウェンスタイン『天才たちの誤算』)を読んでいると「効率的市場仮説」が登場します.資産家や金融機関から1000億ドルの資産を集めて,1兆ドルに及ぶデリバティブを積み重ねた人間の話です.「債券市場になりたい」と望んだりする人間は,その頭脳を強欲さと愚かさに侵されて,集団的に狂うこともできるのです.

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