IPEの果樹園2002

今週のReview

7/8-7/13

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朝、電車に乗れば、若者たちが海外旅行の夢を楽しんでいます。「ヨーロッパに行きたいけど高いしなあ。もっとお金があればアメリカも楽しいけど。」「ハワイも行きたいわ。『ウワァー、日本人ばっかしやんか!』 って、自分も日本人で、言ってやったら面白いよな」 ・・・。

10時過ぎ、帰りの電車では、隣に集まっていた女子学生たちが言い合っています。「お金欲しい!」「お金欲しい!」「もっとお金欲しい!!」。どこの駅では定期券が買えなかった、とか、田舎の駅やったら買えるで、12万円も得やもん、とか。(『オイ、オイ、キセルは止めてくれ・・・』と私は思います。)

西大寺で乗り換えると、今度は隣の学生二人が、レポートの代筆をいくらで請け負うか、という話です。「俺は期末レポートを2000円で引き受けたで。」「うそー。それ安いわ。わたしは卒論5万円で引き受けたけど、メチャクチャ大変やったデ〜。あんなん損やったわ。」

大人たちはどうか? 「楽をして金持ちになりたい」という、悪しき80年代(そしてアメリカでは90年代)の哲学が死滅する過程で、大人たちは自信喪失や道徳的退廃、弱気の虫に取り付かれたのでしょう。既得権を保護する約束が繰り返され、それが失われると分かっても、今度は何とか見逃してやるとか、手心を加えてやるとか、自分だけは生き残れるとか、そんな約束を求めて、あいかわらず政治家に「期待」する団体や個人が、この国には一杯いるのかもしれません。

「商売がしたいです」という学生に、教室やゼミで会ったことが無いのはどうしてでしょうか? 確かに、街を歩けば客の来ないお店で、疲れた表情の主人がカウンターに座っていることがあります。あるいは、明るい照明と多くのショー・ウィンドーに並ぶ商品、客より多い店員にお辞儀されるような店もあります。いつまで続くのか、と不安になるでしょう。・・・商売は大変なのです。

消費が伸びないから景気が悪いのか、景気が悪いから消費が伸びないのか? デフレのせいでますますデフレになるのを、誰か(たとえば日銀や中国?)に止めて欲しいという、経済学者や官僚の、不平とも、愚痴ともつかぬ説明(とも思えない説明?)を聞きます。

そんな中でも流行っている店もあります。たとえ商品は同じでも、商売にはさまざまな工夫や知識が活かせます。今では、世界中に新しい流通ルートや生産地が刻一刻と現れるのです。「商売をしよう!」と、積極的に若者が思えるようにしてほしいです。経済特区を設けて、欧米やアジアから活気のある商店を招き、自分たちも競争に参加してみたい、と思う町はないのでしょうか。そこで競争するためには、外国企業もその町のルールに従うでしょう。日本人の所得や資産は、競争のための重要な条件なのです。

もし新しい知識や先を読む直感、失敗を恐れず、何度でも難事に取り組む意志と体力のある者が、すなわち、勤勉で野心的な、革新を実現する若者たちが、チャンスを活かして大きな富と名声を得ることができれば、彼らの興隆によって既得権は滅びるでしょう。既得権が保護されるべき正当性を失うからです。本当に素晴らしいアイデアや才覚、誰にも負けない勤勉さによって、一代で財をなす企業家は、金融ビジネスに支配される以前の日本でなら、多くいたはずです。

大企業や公務員、資格、大学院、留学など、ともかく「何か」になって「安楽に」生きたい、と期待するのではなく、「社会に役立つことで、どんどん金が儲かる商売をしたい」という学生に会いたいです。そんな若者が増えれば、自由で公正な社会、さまざまな機会に満ちた、革新を尊重する社会が拡大するでしょう。敗者に取り入る政治哲学が、漸く、死滅するでしょう。

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ただしFT:Financial Times, NYT:New York Times, WP:Washington Post, LAT:Los Angeles Times, ST:Straits Times, IHT:International Herald Tribune, BL:Bloomberg


IHT Monday, June 24, 2002

Take power away from the global gamblers 

Philip Bowring International Herald Tribune 

タイ、インドネシア、韓国、ロシア、トルコ、アルゼンチン。そして南アフリカは危機すれすれで免れた。今また、ブラジルが中所得国の危機リストに挙がっている。これらの危機は、不安定な資本市場によって起きたものだが、非民主的で、莫大な利益をカジノの胴元に捧げるシステムの欠陥には注意が向けられていない。アナリストたちは、もっぱら危機の国に民主的な欠陥があったはずだ、と指摘する。

現在のブラジルの場合、経済政策には特に問題ないし、対外債務も問題ない。反対派の大統領候補Luiz Inacio "Lula" da Silvaも、乱暴で過激な公約をしているわけではない。単に、ブラジルに左派の大統領が誕生するかもしれない、と思うだけで、ウォール街のコメンテーターやアナリストたちは自己実現的な破局の予言を吹聴し、資本逃避を煽り、金利を急激に高めて、ブラジルの返済能力を疑わしくした。

三つの危機は、国際社会がアジアの危機から何も学ばなかったことを示した。ウォール街は国内のスキャンダルに溺れているのに、ウォール街=アメリカ政府=IMFの結びつきは強められた。

この10年の南米における経済進歩が潜在的に示す破局の行く末を考える者は、ウォール街とIMFに逆らったマレーシアのマハティール首相がいかに辱められたかを思い出すべきだろう。彼はしかし、二つの点で正しかった。まず、ニュー・ヨークやロンドンのトレーダーたちが行った投機的攻撃やパニックに対して、IMFはこれらの国を救済する十分な資金を持っていなかった。また、第二に、IMFは融資条件を悪用して、ミクロの改革や政治的目標を押し付けた。

最近のラテン・アメリカの危機は、各国の問題を超えて、グローバルな金融制度の問題を示している。危機は再び中所得国の能力を奪い、特に、若年人口が相対的に多くを占める、世界経済の成長のエンジンとなるべき諸国を痛めつけた。アメリカは債務の累積により、またヨーロッパや日本は高齢化によって、その役割を担えない。

実際、世界が成長を回復できるかどうかは、貧しいが巨大な二つの国、中国とインドにかかっている。彼らは常にウォール街の呪文やIMFのイデオロギーに逆らい、資本市場を完全に開放してこなかったから、他の地域のような危機を免れてきた。実際、中国の銀行はアルゼンチンよりも酷いし、インドの国内債務水準はブラジルよりも高い。しかし、資本規制と国営銀行は、未発達な金融や法的制度しかないこれらの国に、安定性を維持する手段である。しかも、外貨準備を印刷する国からの影響も無い。

韓国に代表される東アジア諸国は、今後、世界の景気を刺激するかもしれない。しかし、各国の危機は他国が成長を犠牲にし、近隣窮乏化政策によって、外貨準備を積み増すことを強制する。

直接投資や証券投資は多くの発展途上諸国にとって今も重要である。しかし、1990年代のウォール街が「手っ取り早く金持ちになる」考えに冒されたように、国際的な短期資本移動は仲介業者を太らすだけだ。

アジアのように、過度の資本流入と資本逃避で利益を受けた人々は、その後、アラン・グリーンスパンがLTCMを救済したように、救済融資でモラル・ハザードを高め、実物経済を犠牲にして金融部門を肥大化させる。かつてケインズが述べたように、「一国の資本蓄積がカジノの一部となってしまえば、それは病的なものとなるだろう。」

アメリカは、国内ではウォール街を根本的に改革して、再生に向かう。しかし、世界がカジノから、投資銀行から権力を取り上げ、選挙で選ばれた政府に戻すまでには、一体どれほど多くのアルゼンチン型危機を経験しなければならないことか!


FT June 25 2002

Martin Wolf: The price of the falling dollar

By Martin Wolf

通貨市場のトレーダーたちにトイレット・ペーパー扱いされたユーロが、ドルと1対1の均衡を回復する方向に上昇し、支持者たちを興奮させている。しかし、ユーロ高は、彼らが望むよりも、実際、はるかに好ましからぬものであろう。

ユーロの現在のレートは、2000年10月の底値から18セント上昇して、98セント付近である。2002年1月以降、13セント上昇した。歴史的基準で見れば、それでもまだ低い。1995年8月には、ユーロを構成する通貨のレートから計算すると、1ドル40セントであった。それゆえゴールドマン・サックスのアナリストは、ドルに対してまだ25%も過小評価である、と推計する。

外国為替市場のオーバーシュートする習性を考えれば、ユーロの増価がまだ続くと思うかもしれない。ブレトン・ウッズ体制が1971年に崩壊してから、ドルは二度の減価局面を経験した。1970年代と、1985−95年である。そして、レーガン政権時と1995年以降の、二度の増価局面を経験した。ドルの最近の減価とユーロの増価が、次の大きなうねりを意味するかどうか、は重大な問題だ。

ドルの増価は、アメリカの経常収支赤字と、その資産に対する外国投資家の飽くことの無い欲求に一致していた。今年の第一四半期に、経常赤字はGDPの4.3%に達したが、アメリカの資産に対する外国からの需要は消滅した。2000年に2280億ドルもあったアメリカへの直接投資と株式購入は、昨年後半に160億ドルの純流出となった。アメリカの金利は低く、通貨価値を維持できない。

これに対して、アメリカの生産性上昇は他の先進諸国よりもずっと早い。しかし、生産性上昇がドル高を支えるか、と言えば、そうでもない。「最近のアメリカ経済の特徴は、生産性上昇と利潤とが結び付かなくなったことだ」と、HSBCのエコノミストは言う。

ドル安をもたらす資本移動がユーロ高をうながす。2000年に1538億ドルもあったユーロ圏からの資本流出は、昨年後半に594億ドルの流入となった。

ユーロ圏は、このユーロ高に上手く対応できるだろうか? ゴールドマン・サックスの推計では、10%のユーロ高は初年度に1.1%成長率を低め、次年度も0.2%低下させる。従って、ユーロがこのまま増価すると、生産に深刻な影響が及ぶ。

マイナスの影響を強めているのは、最近の外需依存である。2002年の第一四半期に、ユーロ圏の経済は0.1%しか拡大しなかった。内需の貢献はマイナス0.7%であり、これを貿易の0.8%の増加が相殺した。これほど巨大な経済圏が外需に依存しているのは驚くべきことだ。

日本や、特に東アジアの新興経済が、その通貨の増価を避けようとしているから、もしポンドもユーロに対してこのまま減価するなら、アメリカの対外収支の調整は、すべてユーロ圏に対して行われるだろう。

上手くいけば、それは吸収できる。10%のユーロ高は最初の年にインフレ率を0.9%低下させ、次年度も0.3%低下させるだろう。ECBはインフレ抑制に苦闘しているが、ユーロ高はこの問題を解消し、そうでない場合よりも金利を下げることができる。

しかし、ユーロ圏が生産性を伸ばせないなら、金融緩和も需要を引き出せそうにない。通貨の増価と生産性の低成長が、国際競争部門の利潤を奪ってしまうからだ。また、低生産性上昇率は、ユーロ圏、特にドイツの民間消費を弱める理由の一つとなっている。公共部門の需要も、「成長と安定性の合意」によって制約される。

これでは小人族の衝突だ。アメリカの莫大な資本必要額と資産市場の悪化が、ヨーロッパにおける生産性の惨めな伸びや国内需要の後退と、衝突することになる。さらに、ヨーロッパの対応によっては、アメリカの調整が一層強められるかもしれない。

支持者たちは、ユーロがもっと大きな役割を担うはずだ、と考えている。そして、彼らがそのために何をしようとするかも、すぐに分かるはずだ。


FT June 25 2002

Brazil needs help

By Edwin Truman

ブラジルと国際金融界は好ましくない挑戦に直面している。ワールド・カップが終われば、ブラジルの大統領選挙が激しくなり、経済や金融政策の不確実性を高めて、ブラジルの資産市場から資本逃避を誘発するだろう。ブラジルと国際金融界がこれにどう対処するかは、国際金融システム全体にとって重要な意味を持つ。

4年前も、同様に国内政治と対外金融面の不安が生じた際に、ブラジル当局は金融危機を辛くも乗り越えた。硬直的な為替レート制度を放棄し、ブラジルの総合的な財政黒字をもたらして、経済を安定化した。今度もまた同じ事をするのか?

ブラジル経済の脆弱さは変わらない。公的部門の債務依存度は、1999年にGDPの34%であったが、今や55%に上昇している。債務の20%以下しか海外で保有されていないが、同じ率がドル建である。ブラジルの対外債務はGDPの50%いかだが、主に民間部門の債務である。ただし、財・サービスの輸出額に比べて、対外債務は310%に達する。ブラジルは債務維持の危険領域にある。

世界の成長減速で、ブラジルの実質成長率は2000年の4.4%から2001年は1.5%に低下した。経常赤字はGDPの4.4%であるが、財・サービスの貿易額はGDPの13%しか占めず、ブラジル経済はまだ閉鎖的である。しかも、隣国アルゼンチンへの不安により、内外の投資家たちはデフォルトや経済破綻を恐れている。

ブラジル当局には迅速な行動が求められる。その成功の条件としては、基礎的な財政黒字を今の目標よりも1%高くし、そのために年金制度や税制を改革する。財政政策の引き締めは実質金利を低下させ、投資を促す。同時に中央銀行は現在のインフレ目標政策を継続しなければならない。

最後に、ブラジル当局は内外の競争力不足を解決しなければならない。奈落の底にある投資率を引き上げることも重要だが、それではまだ足りない。大統領選挙と政権移行の半年間を考えれば、国際金融界からも何かが必要だ。

アルゼンチンの事情を配慮して、昨年9月に、IMFはブラジルに対して157億ドルのスタンド・バイ・クレジットを承認した。今、ブラジルはそれをすべて使ってしまった。IMFはさらに、通貨レアルへの影響を緩和するために、ブラジルがリザーブを利用する制限を緩和してきた。

将来も、IMFの幹部や主要債権国は、モラル・ハザードを気にしすぎたり、制度改革の実験に振り回されたりするべきではない。むしろIMFは立場を変えず、必要なら、ブラジルに追加の融資を行うべきだ。

支援の見返りに、IMFは有力候補者と、新しい政権が行う政策に関する文書を交わすべきだろう。それは特定の明細を盛るべきではないが、4つの基本事項を明記するものだ。1.公的債務のGDP比率が、たとえば、45%に下がるまで、基礎的財政収支の黒字を1%以上拡大する。2.対外債務を減らすために、ブラジルの内外の競争力を改善する。3.現実的なインフレ目標政策を維持する。4.レアルが減価するのを緩和するために国際準備を慎重に利用すること。正し特定の為替レートを目標にしてはいけない。

こうした合意が、指導的な大統領候補者とIMFが代表する国際金融界との間で結ばれなければ、デフォルトのリスクが高まるだろう。


FT June 26 2002

The old argument

By William Wallace

再び、アラブ・イスラエル紛争が大西洋の両岸を緊張させている。再び、紛争の原因についてはヨーロッパ諸国と似た立場ながら、イギリス政府は大きく異なる両見解の仲裁を試みている。大西洋を挟む対立関係は、中東における西側の利益、工業化された民主主義諸国とアラブ世界・イスラム教圏との関係について、理解が異なることに起因する。特に、イスラエルと占領されたパレスチナについて、イラク、サウジ・アラビア、イランについての見解の相違である。

20年にわたって、アメリカの軍事力と、アメリカ・イスラエル間の緊密な関係により、ヨーロッパの政治家は影響力をもてなかった。1973−74年のアラブ・イスラエル間の10月戦争に続くOPECの石油禁輸措置は西欧諸国を苦しめ、新しいアラブとの対話を開かせた。当時のアメリカ国務長官、ヘンリー・キッシンジャーはこれを非難し、イギリス政府がフランスの政権交代後に、両者の妥協を成立させた。

1981年、イギリス政府はカーター政権の一貫しない中東政策に不満を爆発させ、当時の外務大臣、キャリントン卿が、アメリカに敵対するヨーロッパの新しい方針をまとめた。しかし1990年、イラクがクウェートに侵攻すると、ヨーロッパの同盟諸国はアメリカの率いる連合軍に軍隊を派遣した。

アメリカとヨーロッパは、1956年のスエズ動乱以来、その立場を完全に入れ替えてきた。当時、フランスとイギリスの政府は、イスラエルと共同でエジプトに侵攻した。これに対してアメリカ政府は、正当にも、西側の利益が中東地域の安定にあることを主張して、この戦争に反対した。労働党に率いられた当時のイスラエル政府はヨーロッパと結び付き、ワシントンよりもロンドンに多くの友人を得た。

リクード政府への交代は、イスラエルの政治を反ヨーロッパ的な表現で満たし、他方、フランスの中東政策がアラブ寄りに転換したことで、対立を深めた。1960年代以降、アラブからイスラム教徒の移民が流入し、1970年代のOPEC成功以来、アラブから富が流入し、洗練されたアラブのエリートたちもヨーロッパに流入して、その社会をイスラム世界との共存に向かわせた。競走馬の育成、オックスフォード大学への寄付、ヨーロッパ各地での高級住宅投資。

一方、アメリカで育った新しいユダヤ系アメリカ人たちは右派に流れ、新しい保守主義の前衛部隊となった。彼らは同時にユダヤ教復興運動にも共鳴し、イスラエルの宗教的・文化的な根拠を求めて、イスラエルに入植した。今日のアメリカにおけるユダヤ・ロビーはリクードを強く支持し、反ヨーロッパ主義に偏り、ユダヤ人差別の汚名をヨーロッパの中東政策に浴びせている。

ブッシュ氏の演説に対するロンドンの反応は、テロの原因や紛争の解決策に関する異なった認識から生じている。イギリス政府は北アイルランド問題に30年も苦しみ、バーミンガムやマンチェスター、ロンドンを爆破された。苦しみつつ、不満ながら、政府は対立する両者と交渉し、今ではアイルランドの議会や北アイルランドの大臣となった、かつてのテロリストたちも居ることを知っている。アラファトを追い出しても、次の指導者がもっと手に負えない者かもしれない、とイギリス政府はつぶやく。どれほど恐るべき者であっても、直面する相手と交渉することだ。

しかし、大西洋関係において最も深刻な問題は、アメリカの中東政策に対してヨーロッパが広範に信頼を失ったことだ。アラファトの追放を叫ぶコラムニストやロビイストたちが、イラクへの早期攻撃を主張し、サダム・フセイン後の体制や、イラク崩壊後の地域の安定を考慮もしない。平和会議を提案したサウジに対するブッシュ氏の沈黙は、アメリカがアラブ世界の最大の同盟者をも重視していないことを示す。イランがヒズボラを支援しているという理由だけで、中東やアフガニスタン、中央アジアへの安定化を無視して、アメリカはイランへの敵対姿勢を変えようとしない。中東から中央アジアへ石油の供給減を代えるべきだ、というアメリカのアナリストたちも居るが、中央アジアの政治体制がどれほど不安定で腐敗しているかを理解していない。

再び、イギリス政府はアメリカに、ヨーロッパの優先順位を説明しなければならない。アメリカ政府やメディアにおけるフランスへの疑いは一層深刻であり、ドイツは今も歴史的な事情から中東問題を批判できない。トニー・ブレアが、アメリカでアメリカの政策を批判し、彼の政治家としての力量を示すしかない。

ブッシュ氏は、二国案を受け入れたが、暴力の連鎖を断ち切るには、広範な平和会議を開催しなければならない。


NYT June 26, 2002  

The Age of Acquiescence

By MAUREEN DOWD

週末に、友人と私は、理想主義的に生きた60年代について語り合った。その頃、学生たちは寮のそばに座り込み、チェ・ゲバラのポスター、レッド・ツェッペリンやボブ・ディラン、理想によって再生された世界、ビッグ・ブラザーや魂を奪う大企業、などについて話し合った。

「アメリカは、大企業と軍隊と、白人の男性重役たちに支配されている、と思っていた。右翼の陰謀がある、とか、市民の自由や発言の自由が損なわれる、と話し合った。われわれは金持ちを疑っていた。大企業は悪事に染まり、ウォール街は悪者だと信じていた。政府がラテン・アメリカのクーデタを支援するのではないか、と心配していた。政府が勝手な人事や組織の改変に走り、選挙を操作し、森を切り倒して道路を広げることを、私たちは恐れていた。」「ニクソンの時代の左派は、政府が憲法を停止し、非常事態を宣言して、大企業や銀行が核戦争への道を開く秘密計画を建てている、と考えていた。」

「そして、私たちが最悪の狂気がもたらす悪夢だと思っていた、すべてが、今、本当に起きたんだね。」と、友人は痛ましい微笑を浮かべた。「自分が50代になって眼がさめたら、60台になったわれわれの敵が権力にのさばっていた。そしてわれわれも力を得たわけだ。逆らっていたはずの利己的な人間に変わってしまったのだから。われわれは、疑うことを忘れたのだ。」

GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだ、と政府が述べたのを聞いて、当時の人々は衝撃を受けた。しかし、ブッシュ政権が業界とぴったり寄り添って、日々の仕事を行っても、誰も驚きはしない。

60年代を抜け出し、80年代と90年代の黄金時代を経験した人々は、もう長い間、ジョン・レノンの夢を諦めていた。人々が「所有の無い、欲望や人との友愛に飢えることも無い・・・」そんな世界を夢見ることを。(でもレノンでさえ、ダコタ・ハウスの生活ではそんな夢を捨てたのだろう。)

そして私たちはオサマ・ビン・ラディンの邪悪さに直面した。彼らはもはや「殺したり死んだりする理由が無く、宗教も無い」世界を、夢見ることなどできないだろう。


The Guardian, Wednesday June 26, 2002

George W's bloody folly

Jonathan Freedland

WP Thursday, June 27, 2002

Answers on An Empty Page

By Richard Cohen

(コメント)

もちろん、想像力は今も政治を支配しています。

たとえば、Jonathan Freedland は、ブッシュ氏のスタッフたちが作った完璧なファンタジーを批判しています。PLOがスウェーデンのような民主国家になれば、交渉相手にしてやる、という夢想です。イスラエル占領下のパレスチナ人が、アメリカの決めた「民主的」「平和的」指導者を賞賛する、と仮定する、彼らの恐るべき想像力(と、その欠如)について。

Richard Cohen も、ブッシュ氏の演説について、途中から突然白紙になった演説原稿を渡されたに違いない、と同情?します。パレスチナ国家を認める。・・・そして白紙。アラファトは追放だ。しかし再選されたら? ・・・白紙。イスラエルの占領する西岸で、選挙を実施する。どうやって? ・・・白紙。アラブ世界のどこに、ブッシュ氏の言う民主的な国家があるのか? ・・・白紙。

彼は、「あれか、これか」式の、決断の人です。「私は言ったはずだ。」「聞け。聞くんだ!」

民兵たちは、自分たちが道徳を欠いている、などと決して思わない。彼らには喜んで死ぬ理由がある。ブッシュ氏の演説に欠けているのは、パレスチナ人すべてが希望を描ける計画である。もしそれがあれば、パレスチナ警察はイスラエルと協力して、テロを撲滅するだろう。

しかし、「ブッシュは致命的な失敗を犯した」とペレスは言います。「未来は血の海である。」と。


FT June 28 2002

An uncertain world

By Richard Wolffe

ブッシュ大統領はホワイト・ハウスの別棟で、ビジネス界の指導者たちを招き、企業会計のスキャンダルに対する反省を求めた。「わが国はあなたたちが立ち直ることを必要としています。指導者が指導しなければなりません。」

それから1週間も経たずに、ブッシュ氏がG8サミットを指導する番であった。彼はワールド・コムの不祥事を詳しく述べ、アメリカ企業の綱紀粛正を誓った。つまり、アメリカ政府にとってG8は単なる回り道であった。彼は、アメリカ経済への投資家の信頼を高めるために、この場を利用し、他の政治課題には触れようとしなかった。指導者たちによる国際的な協調介入など、まったく話し合う気は無いのだ。

ヨーロッパの指導者たちは、ブッシュ氏の中東政策について論争を避けた。カナダのクレティエン首相は、金融危機が出席者の主要な関心事であったことを認めた。しかし、指導者たちは協調行動の必要性を認めても、その方向には一歩も進もうとしなかった。

4年前とあまりに大きく異なった様子に気付く。当時は、国際市場において信頼が危機に瀕していた。一連のショックに対して投資家を落ち着かせるために、G7は、前例の無い協調行動を取った。ロシアのデフォルトとLTCMの破綻寸前という事態を受けて、G7の蔵相と中央銀行総裁は、金利を一斉に引き下げて景気を刺激する、と発表した。連銀は2週間で2%も金利を下げ、LTCMを救済して、市場は回復した。

当時のアメリカ政府高官たちは英雄と賞賛され、Time誌は彼らを「世界救済委員会」と呼んだ。この委員会はアラン・グリーンスパンに率いられ、ルービン財務長官とサマーズ副長官も含まれた。この中で、今も残っているのはグリーンスパン一人である。今回、政府は投資家が企業のガバナンスに不満であるかどうか確信を持てず、テロとの戦争やハイテク・バブルの崩壊にも関係があると述べた。

ホワイト・ハウスの経済顧問であるローレンス・リンゼーも、これに同調し、1990年代のクリントン政権による経済運営が今の調整を招いた、と主張する。「ふり返るなら、今、私たちは金融的な過剰の二日酔いに悩まされているのです」、と。

要するに、ホワイト・ハウスは企業の危機を道徳の欠陥と見なし、市場の欠陥とは考えない。それゆえ、法のより厳格な適用だけが問題である。他方、民主党は市場の規制を改善するように求めている。それを行おうとしないブッシュ政権とエンロンとの緊密な関係を批判し、会計基準を定める独立の機関を設けるべきだ、と主張する。

ワシントンにおける非難合戦を見て、1998年の危機に対処したG7のグローバル・リーダーシップを回復するように求めるアナリストたちもいる。Medley Global Advisors のRichard Medley は、世界の主要な蔵相・中央銀行総裁が会合を持つべきだ、と言う。「彼らが協調介入して通貨を一定の水準に安定させ、中央銀行は協力して民間部門の危機に無制限の流動性を供給する、というコミュニケを発表して欲しい。」

しかし、ブッシュ政権の頭の中ではG8など重要でない。サミット最終日に、彼らは従来の大げさなコミュニケを廃止できた、と自慢した。逆に、彼らは少数の政策課題に限定して成果を上げた、と主張する。たとえば、ソビエト時代の大量破壊兵器の処理問題だ。「30ページのコミュニケよりも、少数の問題について行動することだ。」


IHT Saturday, June 29, 2002

Deregulation is a false god 

William Pfaff International Herald Tribune 

「規制緩和」というアメリカ・モデルは、すでに信用を失った。

金融的側面を重視した企業経営への重点シフトは、IMFの金融自由化重視にも示された。スティグリッツが批判したように、IMFはイデオロギーと劣悪な経済学を混ぜあわせた「安定化」を通貨危機の国に押しつけた。IMFの、時代遅れで、不適切な政策は、まだ放棄されていない。

アメリカ企業には代替案がある。それは昨日の資本主義だ。アメリカが責任ある資本主義を実行していた頃に帰るべきだ。

問題は、そこから生まれた既得権と普及した知識が、容易に取り除かれないことである。


FT June 27 2002

Balancing the stability pact

By Jean Pisani-Ferry

フランスが2004年までに財政の構造的な均衡化を約束したことは、安定協定の意義に再び注目させた。さまざまな留保をつけながらも、イタリア、ドイツ、ポルトガルも、最近、この規則に従うことを約束した。

マーストリヒトの収斂基準と安定協定は、各国政府の財政赤字をチェックするために考えられたものだが、ヨーロッパを厳しい財政規律に転換させた。それは悪いことではないが、問題は細部に隠されていた。その運営と潜在的な効果を問うべきである。

EU蔵相会議Ecofinは、新しい中期目標に合意した。基本的にそれは、加盟国が2004年までに財政の構造的な均衡化を達成するように求めている。景気循環の下降期に財政赤字が生じるから、これは変動を「自動的に安定化する」と思われた。その場合、政府が本質的に「正常な」税収に対して支出水準を維持することになる。

最初の安定協定によれば、政府は好況時に支出を促し、不況のさなかに増税を強いられる。最近の修正は、これを回避する集団的な知恵である。しかし、財政規律の長期的な問題点は残された。均衡財政では、今の世代が支出に対して歳入をすべて賄うことになる。たとえその支出が将来世代の利益になっても。

もし安定協定が守られれば、ますます多くの国が公的債務の対GDP比率を低下させる。他方、すでにこの比率が低い国に、公共投資など、支出を強制することは無い。

持続不可能な債務の累積は、通貨の安定性に対する潜在的な脅威である。しかし、その危険はしばしば財政収支の外にある。特に年金制度によっては、オフ・バランス・シートの巨額の債務を負っているかもしれない。安定協定はこの決定的な問題を見ていない。それゆえ協定は、本当は財政を改善する年金制度の長期的改革をやめて、短期的な妥協を強める。

この協定を改善して、「債務持続性協定」にすれば良い。加盟国は三つの条件を満たす。1.オフ・バランス・シートを含む包括的な財政状態を公開する。2.公的債務を一定の水準(たとえばGDPの50%)までに抑える。3.5年間の債務比率目標値を定めて、毎年の予算を評価する。いずれの条件が満たされない場合も、財政赤字の是正基準を審査し、必要なら制裁を行う。

こうすれば、財政規律は集団的に維持され、短期的な自律性を持ちながら、長期的に責任ある行動が促される。


NYT June 30, 2002  

Argentina's Contagion

アメリカ政府は、二つの神話に基づくアルゼンチン政策を改めるべきだ。一つは、アルゼンチンの危機が国際的に波及しない、という神話。もう一つは、アメリカが関与しなくても、この地域へのアメリカの利害は損なわれない、という神話である。

Lavagna経済大臣はワシントンに来て、IMFと財務省に事情を説明したが、財務省はIMFの融資を促す姿勢をとらなかった。ドゥハルデ大統領は危機の責任が自分たちにあることを認め、融資の条件を受け入れる努力を前進させた。しかし、それでもIMFからの融資は得られない。アメリカ政府は、アルゼンチンを債務諸国への見せしめとして放置するような、余りに受動的な対応に終始してきた。

しかし、危機の波及はすでに新興市場経済の金利を上昇させている。ブラジルやチリも危機に巻き込まれつつある。

さらに、アルゼンチンの危機が長引くことで、自由市場やアメリカに対する政治的な反動が強まっている。これは、ラテン・アメリカ諸国との連携を強める、というブッシュ政権の政策にも反するだろう。


BL 07/01 15:10

The Invisible Hand Meets the Paradox of Greed: Caroline Baum

By Caroline Baum

(コメント)

ケインズの「倹約のパラドックス」を知る前に、私たちは「見えざる手」を学び、私益が公益を実現することを知りました。しかし、今回のバブルに乗じた企業会計の虚偽は、企業の幹部や株価の上昇で儲けた人以外には、職場や貯蓄を失った人も含めて、社会を貧しくするという「強欲のパラドックス」を教えました。

筆者は、これらを人間の本質に関わる問題であり、特定の人々の悪事だけに留まらない、という結論を引き出します。

しかし、人間の本性として語られる多くのことが、歴史的に形成された、社会制度の特性を示す場合が多いことを、私はマルクスや構造主義、精神分析や社会システム論などで学びました。貨幣の使用や投機(期待形成)を、人間性により説明する「人間性(と懺悔)のパラドックス」は、問題の解決を遅らせるだけでしょう。バブルであれ、通貨危機であれ、責任を追及できる制度が構築されるべきだと思います。

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The Economist, June 22nd 2002

Video games: Console wars

三つの超帝国が電子戦闘員を大量に生産し、彼らを戦場に送っている。戦闘状態の均衡は繰り返し逆転し、技術進歩と戦略的な狡猾さで、互いに優位を奪い合っている。これは映画の話ではない。ビデオ・ゲーム産業の現実である。ソニー、任天堂、マイクロソフトが、三つ巴の戦いを続けている。

戦いの激しさは、眼を見張るような価格引き下げ競争に示されている。プレイ・ステーション2は、2000年3月以来、3000万台を販売し、アメリカの価格を299ドルから199ドルに下げて、それ以外の地域でも引き下げた。マイクロソフトのXボックスや任天堂のゲーム・キューブは11月に発売され、それぞれ450万台を売っている。ソニーは彼らの追い上げを振り切ろうとしている。そこでマイクロソフトもXボックスを199ドルに値下げし、任天堂はさらに149ドルに下げた。

3社ともゲーム機の販売では損失を出すが、ゲーム・ソフトの販売で大きな利益を出せる。約50ドルのゲームから、それぞれ10ドル程度がゲーム機メーカーに支払われる。ゲームの販売総額は、世界全体で175億ドルである、とゴールドマン・サックスは予測する。それは音楽CDに迫っている。ゲームの購入者が子供から大人に広がっているからだ。ゲームで育った子供たちは、大人になってもゲームを捨てない。アメリカ人の60%がゲームをする、という推計もある。

ソニーは、利益の60%を、プレイ・ステーション関連事業から得ている。最高品質のゲームを製作する費用は200万から500万ドルであり、この5年で3倍になったが、成功すれば2億から3億ドルの利益をもたらす。ゲーム機が6年おきに新しくなるから、周期的にゲームも新しく開発される。ゲームの豊富さがゲーム機の販売を左右する。

ネットワークによるゲームの利用は、各社が試行段階にある。マイクロソフトは、他社のゲーム・ソフトでもネットワークに参加できるようにして、顧客から利用料金を奪い取る作戦である。次々に新しいゲームと、さらにはネットワークも利用できる消費者が、常に、激しい競争の最大の勝利者である。


Japan’s bad-loan agency: Garbage in

整理回収機構RCCは、アメリカのRTCをモデルとして作られた。しかし、悲しいことに、RCCはRTCではなかった。RTCのように効率的に不良債権を処理できなかったのだ。アメリカのRTCは限られた期間しか設置されず、迅速に処理して損失を抑えた。日本のRCCはわずかな資源しか持たず、権限も弱かった。

RCCの前身は預金保険機構であり、それは迅速な債権処理よりも、金融秩序の安定性を重視した。設置期間は有限でなく、不良債権は保有されたまま、納税者への負担を増大させてきた。RTCは8000名のスタッフが処理を行ったが、RCCには2400人しかおらず、しかも不良債権を作り出した銀行が倒産して、その専門スタッフを雇用していた。あるいは多くのスタッフがもとは官僚であった。彼らは、自分の仕事や職場が早く終わることを望まない。

RTCと違って、RCCに移される債権は回収できないようなものばかりであった。それゆえ、不良債権を新しくパッケージにして、売却することも難しい。また、RCCが銀行に呈示する買取価格は、市場価格よりも大幅に低い。それほど不良でない債権の買収には、RCCとともに、他の民間買取業者が競争している。

それゆえ、日本は今のようなRCCで問題を解決できないのだ。自民党の塩崎議員は、RCCを銀行再編に利用し、同時に、融資を得られないと心配する借り手の要求に応える改革案を薦めている。RCCが大量の債権を処理しなければならないとしたら、株式を通じて、これらの銀行を国有化することも考える。外国の銀行家は、RCCが不良債権の倉庫である、と見ている。それは間違った処理方法であり、不良債権も企業も、むしろ短期間に処理すべきであった。

要するに、銀行は不良債権を大量に処理すれば、自己資本が不足し、破綻の恐れがあるのだ。政府が、買取価格を上乗せする案は意味をなさない。なぜなら、この2年間、政府は銀行が公的資金の追加投入を必要としない、と主張し続けたからだ。