IPEの果樹園2002

今週のReview

6/24-6/29

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6月21日の日経新聞を見て、ウルグアイが変動レートに移行したことと、マレーシアでマハティール首相がブミプトラ政策の見直しを提唱した、という記事に関心を持ちました。アメリカで資本主義のモデルが動揺していなければ、ますます市場による世界統合が完成しつつある、と思ったことでしょう。

ウルグアイは、クローリング・ペッグによって安定した経済運営を摸索してきた国です。John Williamson が提唱したBBCアプローチでも、必要とされたのは、完全な変動制がもたらす金融的な不安定化や大国による政策決定への従属から、ある程度自由な小国による国内経済安定化の余地を作る仕組みでした。ウルグアイがクローリング・ペッグを放棄したのは、アルゼンチンの危機がラテン・アメリカ全体に広がりつつある警告です。

マハティール首相は、ビン・ラディンがその役目を代わってくれるまで、アメリカと世界資本市場の公敵 No.1 でした。マレーシアは直接投資を中心に経済発展を促し、その利益を華人企業からマレー人に再分配する政策を採用していました。この発展モデルを通貨危機から守り、国民の雇用や所得を維持するために、彼は財政的刺激策を選択し、資本規制を導入しました。切下げに頼る競争力回復や資本市場による調整圧力を受け入れなかったのです。

他方、シンガポールや香港を見れば、彼らは今も危機後の経済変化に苦しんでいます。もちろん、実際に彼らを苦しめているのはアメリカのITバブル崩壊や不況、中国との市場統合やWTO加盟、アジア諸国の為替レート調整やデフレの波及などでしょう。しかし、それらはアジア通貨危機をもたらした変化とつながっています。

タイと韓国を比べて、やはり市場による改革を率先して行ったから韓国の回復が成功したのだ。タイのポピュリスト政権は必ず失敗する、と主張できるほど、現実は単純でしょうか? 今となっては、タクシン首相のポピュリズムも、ブッシュ大統領の保護主義や軍事支出拡大、「テロとの戦争」という愛国心高揚を前に、すっかり色あせて見えます。

マレーシアのブミプトラ政策見直しは、マハティールが手を付けないと批判されていた国内の経済再編に、さらに踏み込む姿勢を示しています。他方、ブラジルでは大統領選挙を前に通貨不安が高まり、ソロスが警告しています。資源配分が有効に行えるのは、社会・政治制度と市場圧力の両方を利用して、その社会が求める目的を追求する人々が指導的な権力を得ている場合でしょう。

衛生映画劇場で、シドニー・ルメット監督の「旅立ちの時」を観ました。ベトナム反戦運動で武器庫からの輸送を妨害するために爆弾を仕掛け、間違って警備員に重症を負わせたため、今もFBIに追われ、逃亡生活をしている家族の話です。以前観た「ショーシャンクの空の下で」も素晴らしい映画でした。牢獄で長年暮らした図書係の老人は、<自由>になってから、むしろ孤独に耐えられず自殺しました。先日、テレビで観た韓国映画「シュリ」にも驚きました。

これらは政治のための映画ではありません。家族の大切さや個人の自由、生きがいを求めた人たちが、その時代の政治的な葛藤によって傷つく苦しみを描いたものです。こうした映画を作れる人たちは、その内面に、どうしても表現したい激情を持って、日々を生きているのだと思います。それぞれが押し込められた非情な現実を生き抜く姿勢、その高い志において、逆境を耐える人間の姿はその現実を超越します。

国であれ、個人であれ、その苦しみがシステムの不当さを示す場合が確かに存在し、彼らにとって、理想を捨てるという選択肢は存在しません。FBIに負われる生活で、すべてを失ったように見える40歳代の夫婦は、迷いながら、それでも自分たちの生き方を強く肯定します。銃で社会は変えられない。でも自分たちには素晴らしい子供たちがいる、と。

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ただしFT:Financial Times, NYT:New York Times, WP:Washington Post, LAT:Los Angeles Times, ST:Straits Times, IHT:International Herald Tribune


FT June 5 2002

China's geese

中国は外国企業に増税するという大きな賭けに出た。外国の投資家は中国経済の最も力強い部分であり、輸出の大きな割合を占めている。政府は、この金の卵を産むガチョウを締め上げるときに、余り騒がないように必死で求めるだろう。

中国が増税する理由はわかる。今年の最初の3ヶ月で、政府の支出は23.9%増加し、他方、税収は3.4%しか増えなかった。政府は大規模な財政刺激策を続けて4年目になり、財政負担の厳しさは明白である。それでも、後進的な西部の開発、社会福祉制度の整備に、政府にはまだまだ資金が要る。WTO加盟でし失業も増えそうである。できるだけ早く長期的な財源を見つけねばならない。原則として、政府は税制を公平化するべきだ。

短期的には、外国企業は中国への投資を増やすから、来年の税制改正までは彼らは優遇税制を許されるだろう。しかし、その後は、ベトナム、東南アジアとともに、経済特区は直接投資をめぐる厳しい競争に入る。Shenzhen地区は、増税を超えて発展する閾値を越えたように見える。しかしXiamen、 Shantou、Hainanなどは、地方政府が効率性と適応力を高めなければ難しいだろう。詐欺、密輸、汚職を無くすことが至急求められる。

経済発展の階段を登るに連れて、投資家を引き寄せるために低賃金や免税だけでなく、中国はインフラや労働力、政府の質を問われる。もしこうした分野で実質的な改善が進めば、増税策は成功するだろう。


LAT June 5, 2002  

John Balzar:

The Business of America Is Out of Control

週末に、私は電気コードを買いに家庭用品のショッピング・センターへ行った。私がそこで見たのは、何とか我慢して品物をチェックしている店員だった。彼はショッピング・カートに品物を積み上げて、何かつぶやいていた。

彼から見れば、消費者は静かに叛乱を起こしているのだ。この半年で、彼が担当する売り場では買い物客が品物をぶちまけていた。彼が私に示したように、ペイント・ブラシがサーキット・ボックスと並び、指輪がネジに混じり、自分で混ぜれる塗料が捨て置かれて、ゴミになっていた。毎朝、顧客が臆面も無く棚から落としたままの製品を、彼はカートで拾い集めている。

これはいつも小売店を悩ませてきたことだ。しかし、これほど酷い状態は見たことが無い、と彼は言う。しかも、どんどん酷くなっている、と。

私にはその理由がわかる。それはこの土地に起きているもっと大きな不幸の小さな徴候である。

たとえば食料品店に行ってみれば、アヴォガドやバナナが握りつぶされ、肉の棚ではプラスチック・ケースに指の穴が開いている。また、音楽や映画、ソフトウェアをインターネットで盗まれた、という多くのメールを私は毎日読む。

消費者が発狂したのだ。ある者は大企業への小さな戦争を宣言する。詐欺、手っ取り早く金持ちになるための裏帳簿、ペテン師、こうした自分だけに都合の良い取引、そして毎日新聞を賑わし、アメリカの価値をあざける企業の悪行に、彼らは戦いを挑む。

消費破壊者やインターネット海賊にならなくても、庶民に広がる不満は理解できる。友人と話していても、突然、怒りがこみ上げてくる。もし一般化して言うなら、たった今、アメリカ人は無力さを感じているのだ。テロの脅威に対してだけでなく、自由市場システムの度を越した放埓、政府の頑なな無関心に対して。

民主主義の一つの前提は、それが危機に対処する点で優れていることであった。

しかし、それは実際には起きていない。共和党政府は、企業の腐敗を暴き、詐欺や不公平さを取り除く能力を欠いている。事件が続き、議会がさまざまな改革に囚われている事はどうでもよい。過去を見れば、それがいかに名ばかりの改革であったか分かるだろう。たとえば、重役たちは会計報告に偽りが無いことを保証すらできないのだ。

あるいは、もっと長期の影響を及ぼす、1970年代後半に行われた退職制度の「改革」を見てみよう。企業は直接に退職金を支払うことを止めたがった。401K制度が導入され、企業は年金コストを14〜22%削ったが、アメリカの労働者は退職のために用意する資産を減らしてしまった。ワシントン外では、既に企業の詐欺に怒りが渦巻いている。投資市場はすでに損失を出せるような者の賭博場ではないのだ。われわれ退職後の生活の52%は、投資信託に依存している。

株価の下落は、多くの労働者から貯蓄を奪っただけでなく、社会の腐敗と強欲を、19世紀末のアメリカ社会以来、見たこともない水準にあることを示した。重役たちが9桁の報酬を得ている一方で、自分の退職金が3分の1も奪われるのを見た家族が、ブッシュ政権や臆病な民主党が政府はエンロンとどれくらい親密であったかなど議論しているのを聞いても、納得するはずが無い。この道理を外れた現実が修復されます、と監督機関が約束するのを聞いても、何の慰めにもならない。

4月に行われた調査では、アメリカ人の87%が大企業は政府に影響しすぎる、と回答した。これはビジネス一般や政治に対する反感ではない。なぜなら、零細企業の影響力は小さすぎる、と87%が回答しているからだ。大企業は共和党政府に法や秩序など気にしなくて良いと誘惑し続けた。大企業は民主党の賃金生活者に対する同情心を鈍らせてきた。

彼らは特権を得るために、品物を棚に並べる店員には喜んで金を出すのである。


FT June 6 2002

IMF mission set to discuss Argentine aid

By Thomas Cat in Buenos Aires

(コメント)

今朝(6月22日)、BBCのHPを観れば、すでに中央銀行のBleijer総裁が辞任を発表しています。

この6日の記事では、IMFとアルゼンチン政府の融資条件や合意できなかった背景を説明しています。IMFに対する50億ドルの債務を返済しなければならないが、アルゼンチンの安定化計画は不十分だ、というわけです。

問題は、既に辞任したRoberto Lavagna経済大臣が、IMFから求められている銀行預金の封鎖解除を行うために、預金を長期の国債と交換する、という提案が、議会にも、IMFにも受け入れられないことです。IMFは、これでは銀行改革が何も進まないし、国債を売却できるなら通貨供給が増えてインフレになる、と警告します。インフレを抑制する新しい基準が必要である、というわけです。

アルゼンチンの中央銀行は通貨供給の目標を35億ペソとしていましたが、すでに5月末で、58億ペソが供給されています。政府が預金封鎖を変更し、180億ペソが銀行から流出できるようになったからです。IMFに20年間勤めてから中央銀行総裁になったBleijerは、交渉を担っていますが、合意できない場合は辞任する、と述べていました。


FT June 6 2002

China's reverse shock

By James Kynge

(コメント)

WTO加盟で、中国の自動車市場は外国企業の自動車によって支配されてしまうだろう、と予想されていました。社会主義の国営企業が作る中国車が売れるはずが無いからです。

しかし、実際は逆である、という記事です。中国の国産家電製品が松下などの海外製品を追い出したように、自動車でも国内市場から輸出へ向かう時期を計算することが、既に冗談ではなくなっている、と。

筆者が指摘するのは、市場規模を生かした部品生産者の急速な発展です。中国への競争的な直接投資は、急速に技術移転する必要を生じ、部品メーカーはフォルクスワーゲンやトヨタに供給する部品も造るようになっています。そして中国の自動車会社は有利な融資制度を利用して、事実上、無利子で投資を拡大しています。


ST JUNE 7, 2002

Protectionism can be as healthy as free trade

GREGORY CLARK (a former Australian diplomat)

アメリカの保護主義は、多くの者が思うほど悪意に満ちたものではない。自由貿易論は、競争力の無い産業を保護すれば、それをもっと効率的に生産できる国を損なうだけでなく、その国自身の利益にも反する、と説いている。

しかし、ではなぜ日本は多くの競争力の無い産業を長く保護し、目覚しい発展を遂げたのか? これらの産業は、関税の内側で生産を増やし、生産性を急速に改善してきた。そして産業間の有機的な連関がいかに重要かも示している。

外国製品を排除することで、日本は世界で最も効率性の優れた鉄鋼産業を築いた。それは安い鉄鋼と獲得した技術や熟練によって、日本の工業化に役立った。自由貿易論者はこうしたことをまったく無視している。

明らかに、自由貿易が望ましい時期もあれば、保護が望ましい時期もあるのだ。たとえば為替レートの変動がそうである。通貨が10%減価すれば、その国は関税率を10%引き上げ、輸出に10%の補助金を与えたことに等しい。これは、強い保護主義もしくは反保護主義の政治運動をもたらす。

たとえば、1980年代後半、オーストラリアの自由貿易論者は国内の自動車産業に対する保護関税を攻撃し、これを約20%引き下げた。普通なら、これによってオーストラリアの産業基盤が失われただろう。しかし、すでに以前の自由化もあって多くの産業が破壊されていたから、オーストラリア・ドルが50%も減価した。つまり、自動車産業は30%もの保護を得たのだ。そこで彼らは回復し、効率性を高めた。自由貿易論者は、関税率引下げで競争力がついた、と言うのだが!

アメリカの鉄鋼業については、この場合もドルの増価に対する保護を与えられる権利があるだろう。アメリカが通貨の増価から産業基盤を守れなかったことは、今の経常収支赤字をもたらしている。もしこの赤字がアメリカのドル価値を暴落させるなら、たとえ自由貿易論者でも不安になるだろう。

1980年代前半に、アメリカが大幅な円安で打撃を受けたことを思い出すべきだ。当時のアメリカ政府も日本からの輸入に対する多くの分野で関税率引き上げを示唆した。細見卓と私は、日本に輸出税を導入して問題を解決するように提言した。輸出税による収入はアメリカではなく日本に帰属し、しかも貿易摩擦は回避できる。その案は実現できなかったが、問題は日本が論理的に対象分野を抽出できなかったことである。

今では、日本や他の諸国が中国の割安な通貨に苦しんでいる。中国政府はこれを理解し、輸出価格を引き上げる予定である。中国人は貿易問題をより上手く扱えそうだ。


The Guardian, Friday June 7, 2002

Do cry for us

Guardian economics editor Larry Elliott reports from Buenos Aires

バティストゥータは新聞の見出しを飾ったが、それは6ヶ月ぶりの良いニュースだった。3点取ってナイジェリアに勝った。次は仇敵、イングランドだ。

しかし、アルゼンチンのスポーツ記者ではおなじみの顔、Horacio Garcia Blancoが見当たらない。10度目のワールド・カップを取材するはずであったが、スペインの医者は彼が肝臓移植を必要としていることを報せた。65歳のBlancoにとって、それは問題なかった。手術費用の40万ドルも銀行に預金している。しかし、ここで困ったことがあった。多くのアルゼンチン国民と同じく、Blancoもクリスマス以来、預金封鎖にあっていた。銀行は、裁判所が緊急事態として命じない限り、預金を支払わない。Blancoは10%しか引き出せず、しかもそれは減価したペソであった。手術の費用にはまるで足りず、先週、Blancoは死んだ。

青い目のグローバリゼーション模範生から、経済・政治・社会的な破滅国へ、Blancoのケースはアルゼンチン国民を代表している。1930年代のアメリカが大恐慌によってどうなっていたかを知りたいなら、2002年のアルゼンチンを見るのが良い。

失業率は25%、経済は年率15%で縮小、中央銀行は通貨価値を維持する介入資金が尽きてしまい、子供たちの半分は貧血症だ。国民の10倍を食べさせるに十分な豊かな国土がありながら、幼児たちの4分の1は栄養不良である。

アメリカの1930年代前半と違って、アルゼンチンにはルーズベルトがいない。恐れるべきは、われわれ自身の恐怖心だ、と呼びかける指導者はいない。アナーキストたちのフライパンを叩く抗議の声だけでなく、豊かな中産階級も物々交換に忙しい。彼らは怒っている。まさに憤慨している。

アルゼンチンは自由市場イデオロギーの試験場であった。今や、それはイデオロギーが崩壊したときに何をすべきかを見る実験動物である。もはや海図の無い航海だ。国家は破産を許されていない。たとえ、事実上、アルゼンチンが破産しているにもかかわらず。

どこで間違えたのか? 1990年代半ばのペロニスト党から出たメネム大統領は、ハイパー・インフレーションを抑制し、市場志向の改革を進めて、西側の喝采を浴びていた。当分の間、ネメムはネオ・リベラル空想論をすべて示していた。ペソをドルに固定し、為替管理を撤廃し、国営企業を民営化して、自国市場を国際競争に投げ込んだ。彼の初期の成功はドル・ペッグであった。ペソとドルを1対1で交換すると決めてから、アルゼンチンは苦しいときに紙幣を増刷するという過去の悪癖を断った。その結果、1980年後半の5000%というインフレが、90年代前半は事実上ゼロになった。

しかし、「奇跡の治療」にはそれ自身の破滅の種が含まれていた。ドルの価値が下落する時期には、ドル・ペッグは好ましい。なぜならアルゼンチンは周辺の諸国やヨーロッパに輸出を増やせたから。しかし1995年以後、ドルは急速に増価した。増価するドルと増価するペソは、アルゼンチンの輸出を妨げた。

ドル・ペッグによるデフレの悪影響は、1994年のメキシコや1997年以降のアジアからロシアを襲った金融危機によって増幅された。アルゼンチンはIMFの優等生であったが、既に軍事政権から莫大な債務を継承していた。国際金融危機により、外国の債権者たちは高い金利を要求するようになった。それが成長率をさらに抑えた。

アルゼンチン経済が破綻すると、その責任は政府の失政にあると言われた。財政赤字を削らず、インフレを招き、通貨の切り下げ圧力を強めて、固定制を崩壊させた、と。しかし、ノーベル賞を受賞したジョセフ・スティグリッツによれば、その主張は間違っている。「放漫財政を責めるのは間違いだ。問題は通貨の過大評価にあった。ドルが増価する時期にも固定制を維持したのは深刻な問題であった。アメリカは巨額の経常赤字を賄えるが、明らかに、アルゼンチンにはそれができない。」

スティグリッツによれば、正しい解決策は、1999年にブラジルがやったように、ドルとの固定制を破棄して通貨を切り下げることであった。しかし、アルゼンチンはそうせずに、IMFの言うように財政赤字を削り、不況を深刻にした。2001年のアルゼンチンは、ドイツ・マルクに縛られたポンドを維持したジョン・メージャーと同じだ。昨年のクリスマスに、銀行の取り付けが起きて、この火山が噴火した。5人も大統領が代わり、銀行預金は封鎖された。

預金封鎖の破壊力はすさまじい。運転資金が無くて企業は倒産し、手持ちの資金が無いから消費者は物々交換や、地方政府の紙幣を使用した。Blanca Dominguezはアルゼンチン全体で5000の物々交換クラブが結成された、と推定している。「私はパンを焼き、交換所で靴に換えます。」という彼女は、人生ゲームの札とそっくりな緑の紙切れを広げた。彼女の夫は企業のお抱え運転手であったが倒産し、彼女も失業した。「これは貧者の貨幣です。生き延びるために使うが、公共料金は支払えない。もう電話は切られました。かつて自分は中産階級で、貧者の貨幣を軽蔑していました。しかし、今ではこれしか無いのです。私はこの国を動かしている人々の責任を問いたい。何もせずに、私たちから盗み続ける政治家たちを許せない。」

怒りは政治家だけでなく、銀行にも向けられる。金持ちの預金は融資と抱き合わせにして、抜け道があるのだ、と言われている。しかもIMFからの融資はウォール街でアルゼンチン国債を買った投資家を救済するために使われた、と。こうした疑いを、銀行は強く否定する。野党の政治家二人が銀行の資金の流れを追及している。他方、銀行は彼らの資産が失われたのは経済危機の結果である、という。もちろん、国民がどちらの言い分を支持するかは明白であるが。

何ヶ月も経つのに、ドゥハルデはまだ預金封鎖を解除できない。預金者を満足させ、切下げによる銀行の損失を補填するとともに、ハイパー・インフレーションが迫っているというIMFの不安をなだめるような、そんな方法は見つけられないのだ。最近までIMFの方針を国民は支持していた。彼らは腐敗した政治家ではなく、直接に自分たちのポケットへ預金を返して欲しいのだ。

しかし、IMFが付けた二つの条件が国民を不快にした。一つは、破産法を改正して、倒産したアルゼンチン企業を破格の安値で外国、特にアメリカの企業に売却することを許したことだ。もう一つは、70年代に左翼ゲリラを弾圧するためにできた法律であるが、今は国からドル資金を持ち出す銀行に対して適用されている経済的撲滅法を廃棄することである。IMFは、この二つは外国投資家の信頼を回復するために欠かせない、と言う。国民はそう思わない。「彼らは貯金を集めに来て、今度はどろぼうになる。この国をすべて欲しいのだ。今、抵抗するか、それとも永久に諦めるか、だ。」

アルゼンチンには豊かな資源と文化がある。ブエノス・アイレスはしばしば南米のパリと呼ばれる。「われわれが銀行のドアを叩き続けていると思っているようだが、われわれは野蛮人では無い。われわれは絶望しているのだ。」と、ある市民は言う。

「エンロンは債務の支払を止めたが、アルゼンチンはIMFや世銀、スペインに返済し続けねばならない。エンロンは帳簿を公開し、アメリカ産業全体でそれを清算することになる。アルゼンチンは今も債務を公開しない。エンロンでは企業の顧問たちが通りで非難され、株主は訴えている。しかし、アルゼンチンは今もIMFに返済を請求される。」

掠奪された中産階級と失うものも無い労働者階級との結びつきは、歴史が示すように、革命の温床である。アルゼンチンは政治的な動揺の中に沈んでいる。彼らはサッカー・チーム以外に、何も信用できない。政治家、組合、企業、銀行、IMF、アメリカ、すべてが、毎日1万9000人ずつ増える貧困層にとって、憎しみの対象である。新しい政治が見出せなければ、この国は政府を失い、急速に軍事クーデタに近づく。

アメリカ・ドルを採用する案は、ナショナリズムと反グローバリゼーションの雰囲気によって、現実味を失った。自由市場を批判してきた社会改革派のAlicia Castroは、ニュー・ディールが必要だ、と言う。ペロニズムの腐敗した遺産を一掃しなければならない、と。しかし、それが唯一の選択肢ではない。25年前に道路を封鎖して戦車を阻止し、軍事政権下でひそかに暗殺された2万人の一人となりかけたLuis d'Eliaは、極右の襲撃が迫っている、と言う。

これこそ本当の悲劇だ。サッカーで負けるより、アルゼンチンで本当に起きていることだ。


ST JUNE 8, 2002 SAT  

The only way Japan can save itself

By Tom Plate

(コメント)

筆者はDavid Matsumotoに従って、日本がなぜ改革がすべて失敗するのか、を旧い文化と新しい文化の対抗によって理解します。旧文化は成長期の記憶と集団主義への愛着、新文化は激しい個人主義と創造性への熱望を、それぞれが譲りません。

個人主義的な集団主義、とでも呼ぶべき新しい融合に成功すれば、日本は再び経済に活気を取り戻せる、と言うのが筆者の意見です。そのためには、学校や企業のあり方を大きく変え、新しい社会契約が必要になります。

日本が沈没すればアジア諸国もただでは済まないから、もっと日本の文化的な葛藤を理解し、それに協力しよう、という呼びかけが新鮮です。


FT June 9 2002

The diaspora that fuels development

By Moises Naim

Lucio Garcia はVirginia のMerrifieldで庭師として働くが、毎日、ボリビアの家族に電話する。プリペイド・カードでかければ、1分間数セントである。Edie Baron Levi はメキシコの国会議員であるが、毎週、メキシコ・シティからロサンゼルスに通う。なぜなら、底に彼の有権者が住んでいるからだ。Iqbal Farouqiはミラノで働くパキスタン人のウェイターであるが、稼ぎを2台のトラックに投資し、カラチでこれを親戚に貸して、インターネットで経営している。

これはあなたの両親の時代に祖国を失った民族移動ではない。グローバリゼーションは、人々がある国に文化、経済、政治生活を帰属させたまま、他の国に住むことを可能にする手段を急激に増やした。資金移転、旅行、通信、海外で住む人々のネットワークや組織、それらが外国に住む人々を発展途上国の新しい繁栄の源泉となるかもしれない。

海外からの労働者による送金は、昨年、1000億ドルを越えたと推定される。多くの家族にとって、送金は貧困脱出への大きな支援である。送金はニカラグアのGDPの24%、ウルグアイの14.5%、バングラデシュの7%に達する。メキシコでも、送金は石油輸出と観光に次いで、3番目に重要な外貨獲得源である。トルコでは、送金が直接投資流入額の4倍以上もあり、多くの発展途上諸国で送金は証券投資や援助額よりも大きい。

国際貿易に移民が関係していることは、非常に重要な影響がある。James Rauchが示したように、アメリカへの移民が10%増えると、その送り出し国へのアメリカからの輸出が4.7%増え、その国からアメリカへの輸入は8.3%増える。

外国生まれの企業家が成功すれば、彼らは母国への重要な投資家になるだけでなく、企業家精神や技能を移転する。その意味では、従来の「頭脳流出brain drain」という概念は修正が必要である。「頭脳流出」は貿易を増やし、投資を行い、必要な技能や企業家精神を刺激する。それゆえthe Public Policy Institutesは、これを「頭脳循環brain circulation」と呼ぶ。

政府が多国籍企業や国際機関の満足するような政策を優先するように、新しい民族移動を開発政策の中心に据えることが重要である。


WP Wednesday, June 12, 2002

Corrosion of Confidence

By Robert J. Samuelson

(コメント)

筆者は日本国債の格下げを支持しています。その理由は、どうやら「それは分からない、ということが、非常に不安を引き起こすほど深刻だから」ということのようです。日本が「持続不可能な政策」を採っている、と彼らは見ています。財政支出を削減するのも、増税するのも、この低成長では不可能です。しかも、日本政府の赤字は巨額であるばかりか、急速に増加しているのです。

日本政府の反論を、彼らは受け入れません。日本の国債は、アルゼンチンと違って、円建であり、ほとんど国内の貯蓄によって賄われています。国民が国債を信用しなくなって買わないなんて、考えられない、と政府は言います。しかし、彼らは、既に国民は政府や銀行を信用せず、金を買っているではないか、と言います。銀行の取り付けや資本流出が起きれば、深刻な信用逼迫と不況の悪循環、さらに海外へ流出すれば円安も起きるでしょう。

しかし、その起源は「不安」です。消費者も、企業も、既に死に至る病に冒されている?


FT June 13 2002

Philip Stephens: The American way of defence

By Philip Stephens

IHT Thursday, June 13, 2002

Unilateralism vs. multilateralism 

Joseph S. Nye Jr.

(コメント)

「悪の枢軸」という表現は、アメリカの新しい地政学、戦争の新しいルールを示す、と Stephens は考えます。既に冷戦時代の安全保障は根本的に変化しました。脅威の質が変わったからです。「封じ込め」や「軍縮」は、テロリストをかくまう独裁国家からのミサイルやテロ攻撃に対して意味を持ちません。大規模な軍事的報復が唯一の抑止力だ、とアメリカは考えます。アメリカは新しい戦争を宣言し、そのルールを一方的に世界に宣言するのです。非常に危険な、ユニラテラリズムの時代が始まった、と。

なぜなら、アメリカは国際的に認められている国家の自衛権を、他国には一方的に否定し、自国は世界的に拡張するからです。何がテロで、何が自衛かは、アメリカだけが決めるようです。アメリカが、どのような脅威に対して、どの程度まで待つのか? アメリカはどこまで報復できるのか? すべては誰の合意も求めず、一方的に宣言されます。それゆえ、その権力は容易に濫用され、抑制を失った猛威を示しかねません。それは秩序ではなく、アナーキーをもたらすだろう、と。

他方、Nyeはユニラテラリズムとマルチラテラリズムとの選択基準を示そうとします。これら二つは目的ではなく、手段・方法である、とNyeは言います。一方的な自衛は生き残るために許されており、また、マルチラテラリズムはしばしば非決定や行動回避の口実であり、正しい目的のために一方的な行動を開始することはアメリカの指導的な役割である。ただし、それがアメリカのソフト・パワー、すなわち国際秩序やルール・合意を形成するパワーを損なわないかどうか、よく検討しなければならない、と。

地球温暖化のように、本質的にマルチラテラルな解決策しか無いような問題もある。また、共通の価値に基づいて、マルチラテラルでなくても、一定のユニラテラリズムが可能な領域もある。しかし、唯一の超大国にとって、原則は、まずマルチラテラリズムを追求せよ、である。


FT June 11 2002

Can Thailand win back Calpers?

By William Barnes

2月に、アメリカ最大で、もっとも影響力のある公的年金、Calpers(the California Public Employees' Retirement System)がタイと他の新興市場への投資を引き揚げると述べた。その理由は、情報公開や労働条件、政治不安などである。

しかし、エンロン・スキャンダルが起きて、ファンド・マネージャーたちは、今年40%も上昇しているタイ市場にCalpersが戻るのではないか、と憶測し始めた。Calpersはタクシンが首相になったことを嫌っていると公式に述べたりしない。しかし、タクシン首相は、1997年の通貨危機から脱出することにすべてを賭けている。

タイ経済は国内需要によって回復しており、企業は危機のときの債務負担を凌いで利益を回復させている。このまま資本市場が活気を持続すれば、一気に債務処理が進むかもしれない。そして財政赤字が解消され、金利も下がるだろう。

しかし、わずか470億ドルの資本市場に大きな期待をかけすぎるのは危険であるが。

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The Economist, June 8th 2002

Property in Hong Kong: End of an era

香港のもっとも派手なパーティーを開き、ヨットも走らせ、美女をはべらせて、この都市の政治に影響をふるったエリートたちは、不動産開発に関わる傾向があった。しかし、この繁栄の指標も過去のものとなりつつある。おそらく二度と戻らない。

かつて香港の不動産市場は富裕への切符であった。インフレと供給制限、投機的な市場があったおかげである。しかし将来は、デフレと過剰供給、そして投機家がいなくなりそうだ。これは、ある程度まで、東アジアに共通の現象である。1997-98年の金融危機までは不動産市場が膨らんだが、その後はバンコクでもジャカルタでも、高層ビルは空室が目立ち、建設途中で放棄されたものもある。

香港では不動産バブルが当局の政策であった。英国国教会の土地を除いて、すべての土地は国有であったから、それは長期の賃貸契約が結ばれていた。1980年代の返還交渉に際して、中国はイギリスがこれらの土地をすべて売ってしまうのではないか、と疑った。両国は1997年の返還まで、土地の供給を減らすことで合意した。これは不動産価格を人為的に引き上げ、結果的に、香港返還を市場でも信頼させた。

しかし、アジアのブームが終わって、土地の供給が増えた頃に需要は失われた。1997年以来、価格は暴落し、地代も減少し、不動産開発の利潤が薄くなった。景気が回復しても過剰供給は止まらなかった。より多くの開発を銀行と組んで行うものも居る。しかし、他方で、リ・カシンのように、港湾や小売業、情報通信業に投資する者も居るし、中国本土で不動産を買い込む者も居る。

こうして次は上海が、不動産業者に富をもたらし、その後はそれを奪うのだ。


Economics focus: The education shibboleth

ロンドン大学のAlison Wolf は、非常に興味深く、重要な本を書いた。世界中の経済政策担当者たちが愛して止まない神話、より多くの教育投資が経済的成功の鍵である、という命題を否定したのだ。それは、直接にはブレア首相の言葉に向けられている。彼は、政府の三つの優先課題を聞かれて、「第一に、教育。第二は、教育。そして第三も、教育だ。」と答えた。

個人に関する限り、教育は必ず報酬や昇進を改善する。それは以前よりも重要になっている。しかし、社会全体を見れば、国民すべてを大学に行かせることが望ましいか? それはイギリスでは財政に依存しており、それゆえ社会全体への収益が問題になる。特に、より多くの教育は成長を意味しない。

高度な社会では、より多くの大卒の研究者やエンジニアを必要とする。しかし、同時に、教育は「相対的な地位」による財である。高級を得るために高学歴が必要になる。教育への投資は競争である。それは過当競争をもたらし、社会的な浪費につながる。最も優れた大学にとっては、優れた学生や教員が集めにくくなり、財源も減るだろう。本当に最先端の研究は行われなくなる。大学への支出を選別することは、政治的に限界がある。

さらに、教育への投資を成長にだけ結び付けることで、教育の社会的な価値は低下するかもしれない。教育にはより多くの価値がある。経済成長によって教育を拡大することは、自己破壊的なのである。そして教育の中身も貧しくなる。