IPEの果樹園2002

今週のReview

6/17-6/22

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父の日なので、何かお土産を買って行こう、と思いました。しかし、本屋に並ぶのは「新しい文化」ばかりです。末っ子には、「おじいちゃんに読んでほしい本!」をプレゼントさせました。長女には、「おじいちゃんが好きな美しい風景の写真」を探してもらいました。しかし、どうも違う本ばかりが目に付きます。

「子供の本はありますか? あの、漫画じゃなくてね・・・」もちろん、私が尋ねた見習の店員は探し出してくれました。

「写真集はありますか? いや、裸じゃなくて・・・」もちろん、彼はまた駆けまわって探してくれました。が、結局、見つかりません。

文化という曖昧な感触(集団的な意味の知覚?)によって、わたしたちは人との距離を測り、互いの求心力や遠心力を評価します。わずらわしい人との付き合いを離れて、のんびり田舎で暮らしたい、と私はよく思います。しかし、映画館も、大きな書店も無い地方の駅に降り立てば、ここで何もせずに三日も過ごせないな、と思うのです。

トマス・フリードマンは『レクサスとオリーブの木』で、人々が共同体に拠って生きることをグローバリゼーションの限界と見ています。グローバリゼーションによって、世界はますます情報通信と政治ショーで繋がれる都市に占拠されて行くでしょう。

都市には、集合的な消費財と公共空間、さまざまな作られた環境や意味が、深い匿名性と同居しています。そこには、若くてハンサムでリッチなスターが、歌や映画、コマーシャルでよく見るアイドルたちが、あるいは汚職で有名になった政治家や、派手に離婚した芸能人たちがいます。互いに無視したまま独りで生きる人たちと、特定の関心で群れることができる空間もあるのです。

今朝、駅に集まるサラリーマンに配られていたビラを私も受け取りました。それは民主党の馬渕候補とTVでおなじみの福岡政行氏との対論を宣伝したものでした。ビラや街頭演説の重要性は大きく失われたと思いますが、民主党はインターネット選挙にも積極的です。馬渕氏のホーム・ページもなかなか立派でした。趣味はボディービル! 経歴は起業と経営革新・・・ なるほど、現代において誰が政治的人間なのか、を示しています。

プロの政治活動とは、人間の共同体意識を象徴や劇的効果の演出で操り、同時に、持続的な共通利益を制度化して行く作業であると思います。天皇であれ、サッカーであれ・・・漫画でも、写真集でも、裸でも。

それが戦争や留学ではなく、サッカーの応援や飲み会の延長であっても、異人種とのSEXを連想させるものは、共同体の根を直撃します。不況のなか、異人「種」の恋人と手をつないで歩く日本人の少女を見る私たちの眼には、驚きと憎しみが潜んでいるでしょう。

グローバリゼーションはどこにでも遍在し、どうにも手の施しようが無いほど、快適であったり、不安であったりします。もし多くの政治家を尊敬できなければ、都市に住みながらも、私たちは田舎に逃れて、いつかオリーブの木を植えたい、という夢を持ち続けるのです。

北海道、霧多布湿原に魅せられて、「都会には、もう帰れなかった」という伊東氏は、その夢を見つけた新しい政治的人間かもしれません。(「甦れニッポン人」日経新聞6月17日夕刊)

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ただしFT:Financial Times, NYT:New York Times, WP:Washington Post, LAT:Los Angeles Times, ST:Straits Times, FAZ:Frankfurter Allgemeine Zeitung, IHT:International Herald Tribune


NYT May 29, 2002  

Bismarck's Lessons for Bush

By JOSEF JOFFE (editor of the German weekly Die Zeit)

ヨーロッパ人がアメリカの政府を批判するとき、二流の西部劇を見ているような気になるらしい。特に大統領がテキサス出身の共和党員であれば、なおさらだ。ただし、ハリウッドの西部劇で保安官がいつも弱者を守り、わがままな奴を懲らしめるのは気にしない。

西部劇のたとえで問題なのは、最後に残った超大国のポスト冷戦外交を描く彼の手腕がまじめに評価されないことだ。彼の戦略は、ハブ・アンド・スポーク戦略(自国を中心に同盟を組み、他国は互いに分離させる)である。これは一世紀以上も前にヨーロッパの偉大な外交官かつ首相、ドイツのオットー・フォン・ビスマルクが編み出したものだ。

「ハード(軍事力)」でも「ソフト(文化・経済)」でも他を圧倒するアメリカにとって、戦略的に重要な問題は、世界で自国に敵対する連携を作らせないことである。1871年にドイツを統一してから、ビスマルクのドイツはヨーロッパで似たような状況にあった。

ブッシュ氏のアメリカはビスマルクの世界版を目指している。その権力はローマ帝国以来のいかなる覇権国をも凌駕する。たとえばアメリカ以外の世界の軍事支出は8000億ドルであるが、アメリカは一国で3800億ドル、世界の14大国の支出に匹敵する。アメリカのソフト・パワーも並ぶものが無い。映画から飛行機まで、その生産物が世界と宇宙を独占している。

1877年、ビスマルクはドイツ外交の「鉄則」を定めた。「他の強国がすべてわれわれを必要とし、われわれに敵対する同盟を結成するような状況を回避する」ように努めよ、と。ブッシュ氏が何をしたか、見ておこう。

まずロシアだ。プーチン大統領との友情を高め、核兵器の削減を共同で合意した。そして9・11以来、同じ大国として、ロシアがこの戦争に協力するように求めた。ロシアはブッシュ氏のハブ(つなぎ目)になった。そしてブッシュ氏はそれぞれの先を磨きあげる。パキスタンにテロとの戦争を支援させ、中国への敵対的な表現を緩和し、中東へのかけがえの無い仲介役を果たし、最後にヨーロッパを訪問してフランスとドイツにお世辞を振りまいた。

このゲームの名は、彼らの友達よりも親しくなってしまえ、である。もちろん、彼らは独自の軍事同盟を持っている。しかし、彼らがアメリカに敵対する同盟を結成したことは無い。ロシアと中国をのぞいては。

この戦略に欠けているのは、自己奉仕以上の目標を描くことである。ヨーロッパ人はアメリカのユニラテラリズムを強く非難している。彼らはアメリカがもっとヨーロッパの必要や関心にも責任を持って欲しいと求めている。単に同盟の指導者でなく、合意の形成を目指して欲しいのである。ラムズフェルド国防次官の、「使命が同盟を選択するのであって、その逆ではない」という言い方は、「電話してくるな。必要なら、こちらから電話するから。」というに等しい。だからこそ、彼らは心底から憤るのだ。

ブッシュ政権は、そのビスマルクの鉄則に、フランクリン・ルーズベルトとトルーマン、アイゼンハワーの要素を追加するほうが良い。これら3人の大統領は、アメリカ外交の黄金時代を築いた。彼らはアメリカ利益を守るために、他国の利益を守ろうとした。何よりも、彼らは国際機関を設置し、その国連やNATO、世銀やIMFによって、アメリカの利益を他の世界の福祉と一体化させた。ところが今日、アメリカは国際機関を修復するより、分裂させている。

たとえばアメリカは、鉄鋼輸入に関税を課し、農業補助金を大幅に増やした。どちらも国際貿易を破壊するのみならず、世界最大の輸出国であるアメリカ自身の利益にもならない。

アメリカにとって最善のルールとは、「自分自身のために、他の世界にとって良いことを行え」である。このことは決してふわふわした甘っちょろい理想論ではなく、厳格なリアリズムの所産である。ビスマルクも間違いなく支持するはずだ。


WP Wednesday, May 29, 2002

Superdollar: Friend or Foe?

By Robert J. Samuelson

人はそれを「スーパー・ダラー」と呼ぶ。外国為替市場において、ドルは何年も頂点を極めた。それはアメリカの権力を象徴している。そして、世界経済の潜在的な不安定さも。

もし怖い話が好きなら、こんなふうに考えてみてはどうか。ドルの価値が下がり始める。つまり、他の通貨に比べてドルが安くなる。外国人はアメリカの株式や債券を持っているから、これらを売り始める。ドル安は彼らの通貨に換算したアメリカでの投資に損失をもたらすからだ。こうした売りは自己増殖する。株式市場は衰弱する。アメリカの消費者も弱気になる。不況が再現し、アメリカの輸入減少を通じて世界に広まる。

こんな怖い話が本当に起きるのか? 多分、それは無いだろう。しかし、可能性は? そうだな。可能性としては、ある。

3月前半から、ドルは既に6〜7%も円とユーロに対して減価している。すぐに売却できる莫大な外国からの投資がある。2001年末で、外国人はアメリカの株式を1兆7000億ドル、政府や企業の債券を3兆2000億ドルも保有していた。ドル危機の条件は存在する。しかし、それが起きるという訳ではない。

「ドル」以上に一般の人々を困惑させる経済問題はめったに無い。経済学者でさえ匙を投げているのだ。理由は単純だ。第二次世界大戦後、ドルは金に代わって世界通貨になった。それは貿易や国際投資に使用される。ドルはまた、自国の通貨を信頼できない人々にとって「避難所」となった。ドルの動きを説明できる経済理論は無い。なぜなら世界がドルを求める欲求が常に変化しているからだ。

歴史を回顧してみよう。第二次世界大戦後、ヨーロッパも日本も復興のための機械や食糧をアメリカから得るために、常にドルが不足していた。1948−52年のマーシャル・プランがこれを少し緩和したが、1950年代後半は、アメリカからの援助や企業の海外投資がドルを供給した。

1960年代、70年代に、ドルの世界的役割を破壊しかかったのはインフレであった。もしドルの価値が急速に失われるなら、外国人はドルを保有したがらない。

1960年代の急激なインフレは、1944年にブレトン・ウッズ会議でできた固定レート制を崩壊させた。急激な価格上昇はアメリカの輸出競争力を損なったため、1971年、ニクソン大統領は固定為替レートを破棄した。変動レート制はドルの減価によってアメリカの輸出を増やすはずであった。しかし、凶暴なインフレの勢いはドルからの資本逃避を促した。

アメリカの連銀議長ポール・ヴォルカーとロナルド・レーガン大統領になって、インフレは抑えられ、ドルの国際的な役割は強められた。というのも世界貿易が恐ろしいスピードで拡大したからである。企業や機関投資家、富裕な個人資産家が、より多くのドルを必要とした。1990年以来、世界の貿易量はおよそ2倍になった。同じ時期、国際資本移動は4倍以上、2000年に6兆6000億ドルになった。ドルの需要が増大していった。

アメリカ人にとって、スーパー・ダラーは痛し痒しである。世界中がドルを求めているから、為替レートは貿易を行う点では高い水準で定まり、経常収支の赤字が続く。アメリカ輸出財は値段が高く、輸入財は安くなる。2001年のアメリカの経常収支赤字は4170億ドル、GDPの4.7%である。しかし、この安価な輸入財がインフレを抑えてくれることは、一つの利益である。

ドル高の不利益は、世界貿易においてアメリカの製造業や農民が損をすることである。国内経済が好調であれば、それも我慢できるが、経済が悪化すると耐えられない。それゆえ鉄鋼生産者が高関税を求め、農民は補助金の増額を求めるわけである。

スーパー・ダラーは、また、日本とヨーロッパの弱さを示している。ドルがユーロや円と世界通貨の役割を分担できない理由は無い。これらの通貨は少ししか使用されない上に、自分たちの貯蓄を国内投資が十分に吸収できない。彼らは黒字を出してアメリカに投資している。それはドル高を促し、外国人によるアメリカの株式や債券保有を増やしている。

その結果、世界経済は追い詰められる。世界はあまりにもアメリカの消費者(彼らが輸入する)に依存し、アメリカの金融市場(彼らが貯蓄を吸収する)に依存している。アメリカのインフレ率が低く、他に有望な投資先が無い限り、この膨大な資本循環が長期化することを妨げる理由は無い。しかし同時に、テロ、企業収益の悪化、エンロン・スキャンダルなど、何かが起きて、投資家の信頼を砕き、ドルからの資本逃避が始まらないとも言い切れない。

正確な答えとなると、分からない、である。ここでもまた、経済理論は経済の現実を説明することができないのだ。


ST MAY 31, 2002 FRI  

Rich standing by idly while poor die

By JEFFREY D. SACHS

ヴィクトリア時代後半の大量虐殺を描いた衝撃的な書物の中で、Mike Davisはインドや他の植民地で示されたイギリス帝国の態度を示した。旱魃の際には、何百万ものインド人たちが死に直面した。多くの飢餓は、イギリス領インドの内部でも、鉄道を使って食糧を移動すれば救えただろう。しかしイギリス人たちは何もせず、レッセ・フェール政策の正しさを確信していた。基金は自然の産物と見なされた。

実際には、イギリスの態度はさらに驚嘆すべきものであった。イギリスの役人たちは、自分たちが「感傷」に左右されない豪胆さを持っていると自慢したのだ。

現代では起こりえないことだって? 否、アメリカは同じようなことをしている。何百万ものアフリカ人がエイズで死んでいるのに、アメリカは何もしようとしない。

最近も、アメリカの財務次官と保健省の次官がアフリカを訪問し、死にゆく人々をその眼で見たはずだ。これらの人々は避けられない早い死ではなく、医薬品が無いために死にかかっている。もしアメリカ人一人当り10ドルを援助すれば、アフリカで100万人をエイズから救うことができる。

もし世界中の豊かな人々10億人が一人当たり10ドルを援助すれば、エイズや結核、マラリアと闘うために100億ドルの基金ができる。この新しいエイズ・結核・マラリア撲滅世界基金は今年開始された。しかし、豊かな国からの資金提供は、必要な学の1割にも満たない。

いろいろな言い訳をするものだ。アメリカの高官たちは、医薬品をつかえる施設が無い、と言い続けている。たとえ彼らが自分で病院を訪ね、そこに必要な医者や看護婦などがいるのを見たとしても。医者たちは辛抱強く説明したはずだ。彼らに足りないのは薬であって、薬を買うお金が無いのだ、と。オニール財務長官が南アフリカのソエトにあるエイズ治療機関を訪ねた際も、医者たちは資金さえあればエイズ治療薬を扱える人員は10倍にできると言った。

ブッシュ政権は、感情に流されて行動はできない、と主張する。われわれには計画が要る、と。問題にカネをばら撒いても仕方ない。19世紀後半にそうであったように、深刻な事態を無関心に扱う超大国の亡霊をわれわれは見る。

真実は単純だ。アフリカ人はアメリカの政治にとって何の意味も無い。アフリカ人はアメリカの選挙に投票できない。彼らはアメリカの製品を買うことも無い。彼らは暴力にも訴えない。彼らは単に貧しく、飢えており、病気で死ぬだけだ。

アメリカよりも立派な振る舞いを示す豊かな国もほとんど無い。私がアメリカを取り上げたのは、アメリカだけが問題を無視しているからではなく、アメリカだけが解決に向けた指導力を発揮できるからだ。これから数ヶ月の間に、豊かな諸国には三つの機会がある。

まず、来月の国連FAO世界食糧サミット。世界でおよそ9億人が慢性的な飢餓状態にある。サミットは貧しい国への食糧生産支援を資金的に復活させることが提起される。エイズと同様に、一人当たり僅かなお金で何百万人も助けることができる。

次に、例年のG7サミットがある。彼らはアフリカを中心議題にすると約束した。宣言よりも資金を出せるかどうかで、サミットの真価が問われる。そして10月には、ヨハネスブルグで持続可能な開発のための世界サミットが開催される。豊かな国はここでも貧しい国と連帯する機会を持つ。豊かな国は責任を免れるもっともらしい言い訳があると感じているだろうが、飢餓や病気で死にゆく者たちこそ悲劇的な現実の証人である。


FT May 31 2002

Japan looks for a new direction

By David Pilling and Bayan Rahman

(コメント)

ワールド・カップで日本を訪れた外国人が見るのは、10年の衰退に打ちひしがれた日本では無い、と言います。日本は確かに1853年のペリー来航からキャッチ・アップを目指して国家の制度を構築し、帝国の拡大を阻止されてからは、戦後の成長を目標に同じ制度で成功したが、もはやそれも行き止まりである、と。

ここまでは良くある話です。この論説は、二つの点が目新しいと思います。一つは、環境問題のパイオニアになれ、という提言。もう一つは、ワールド・カップが日本の政治に若者のナショナリズムを開放した、という観察です。

日本の労働人口の1割が肥大化した建設部門に雇用されている、というのは確かに社会的・政治的な病です。そして、日本の財政赤字がひたすら自然環境を破壊することで雇用やGDPを維持してきたことも、私たちの毎日の生活で痛感しています。筆者は、日本がもはや産業分野で革新的な技術も生産力を持っていないことを指摘し、将来は、この破壊された自然を回復することに投資して、環境技術のパイオニアになってはどうか、という意見を紹介しています。

他方、これまで日本は灰前後の政治世界で日の丸・君が代をめぐるナショナリズムの扱いに苦慮してきました。今も、保守・革新を問わず、ナショナリズムを政治の要因に取り込むことを躊躇しています。ところがワールド・カップは、これまで冷めていた若者の日本に対する帰属意識や期待を、過去の経緯をまったく無視して高揚させています。ワールド・カップの後も、日本のメディアや政治家たちがナショナリズムを利用しないとは思えません。

私は前者を歓迎し、後者を嫌悪します。日本への帰属意識のどこが悪いのか? 何も悪くないでしょう。悪いのは、それを利用する政治家たちの意識です。新しい政治家が、日本の新しい目標のためにナショナリズムを高揚させるなら、二つの変化は新しい時代を予感させます。


Bloomberg 05/31 18:02

Three Lessons Asia Can't Learn From Americans: Patrick Smith

By Patrick Smith

インドネシア政府がメリル・リンチ社を利益相反の疑いで捜査する予定が示されたことは、興味深い。こうして因果の円環は閉じられたのだ、と私は思った。かつてアジアの腐敗国家のモデルとされた国が、最近まで清廉さのモデルであった企業の悪事を捜査しようとしている。これ以上の痛烈な皮肉はない。

ジャカルタの役人が捜査するのは、メリルのPTインドネシア・サテライト社(インドサット社)株式売却に関してである。訴えによれば、メリル・リンチ社はインドサット社に今年の後半に予定されている株式発行を助言する立場にあった。インドサット社の株式は、この売却予定日に4.6%下落した。市場では、株価は事前に予想できないと言われていたが、地元の調査会社であるStockwatchによれば、メリルがその日のインドサット株式取引を38%も扱って売りを推し進めた、という。メリルの帳簿から約400万株が売られたことになる。メリル支社は、それが不正な行為ではない、と主張する。

真相は調査の結果を待たねばならないが、この事件の意味を考えることはできる。私はアメリカ企業の悪行を何週間も集めてきた。エンロンから始まって、会計事務所に広がり、ウォール街から、さらにどこもかしこも腐敗だらけに見える。ついに、英雄的な企業重役の神話は崩れ去った。多くの腐敗をよそに、アメリカの公的な借入は膨れ上がっている。

私が気に入った話は、テキサス選出の上院議員Phil Grammだ。彼は企業改革に反対するが、なるほど彼の妻Wendyはエンロンの重役である。

それほど派手ではないが、エジソン・スクール社も興味深い。私は常に公立学校の民営化をとんでもない考え方だと思っていた。公共領域を何でも売り払うことが正しいかのような議論だ。そしてエジソン社はこの分野の開拓者である。

今度、エジソン者がSECに収益を偽り、金融的な管理を怠ったことを認めた。彼らはこうしてSECの罰則を免れた。

しかしアジア人はこれに注目すべきだ。こんなエジソンで数学や市民権を学ぶ子供たちのことが心配になってくるが、同様に、アジア地域で多くの官僚や企業の幹部が教師からますます何も学べないことが心配になる。

地球全体に提唱したアメリカのモデルが破綻した、と告白するアメリカ人は少ない。しかし、アジアは自ら知るべきだ。アメリカの不祥事は既に十分知られるようになった。エンロン、グローバル・クロッシング、そして今、インドネシアでメリルは訴えられている。

太平洋の両側で起きたメリルの事件は、規制緩和の時代がアメリカにどれほど深刻な利益相反の泥濘を残したか示している。業界の自己規制で解決できる? アメリカは自分たちの失敗から何も学ばなかったではないか。

グローバル・クロッシングの事件は、膨大な過剰設備を抱え込んだ例であり、市場の力を言い訳にして資本の配分を歪め続け、1990年代の過ぎ去った栄光とともに、この誰にも知られていない災厄を残したわけだ。

エンロンに関して、これ以上言うべきことは見つからない。われわれは透明性という夢を振れまわったが、アメリカ自身がこのことについて何も学んでおらず、世界に教えるべき何物も無いのだ。アジアが学ぶべき教訓は、アメリカ人が内外で唱えた利己的な原則を再考し、透明性の欠如も、利益相反も、問題だと知ったことだ。

しかしアジア人は、望ましい原則を説くことと、それがアメリカで腐敗をもたらした望ましくないやり方を、区別しなければならない。彼らが言うことと、やっていることは違うと分かれば、アメリカ型モデルの実像を見れる。

アジア人は普遍的な原則に拠り、それを実現する独自の仕方を見つけるべきである。


ST JUNE 2, 2002 SUN

NEW ECONOMY AND THE FUTURE: An anatomy of a crash

LAWRENCE H. SUMMERS and J.BRADFORD

ハイテク株はなぜあれほど暴落したのか? 「ニュー・エコノミー」の未来はどうなるのか? この二つの事件が過ぎ去ってから、明確な評価ができるようになった。

ナスダックの暴落は理由無き熱狂を終わらせた。しかしそれ以上に、ナスダックの暴落は、ハイテク企業の市場支配が新しい競争企業の参入を阻止しない限り、利潤の源泉とはならないことを明らかにした。多くの分野で、ニュー・エコノミーの影響とは競争を激しくすることであり、規模の経済による優位を破壊することである。

ナスダックの1999年から2000年初めにかけての熱狂は、技術進歩が勝者による利益の独占と規模の利益をますます強めるという確信に基づいていた。しかし、情報財は一旦生産されれば、ごく僅かな追加コストで潜在的に無限の消費者に供給できる。市場が大きいほど、コストの優位も大きい。また、規模の大きな市場による情報財はスタンダードとなり、その使用や他の財との使いやすさを確立できる。

激しい競争によって、消費者は利益を得るが、株主は損失を被る。生産物の供給マージンは非常に薄いからだ。

規模の経済と範囲の経済に依拠して、市場の支配を確立した企業の市場における優位は顕著である。しかし、勝者がすべてを得るというルールがIT革命のすべてでも、主要な特徴でもない。この革命は競争を促し、市場を独占することの有利さはほんの少しでしかない。今や、われわれはWWWでどの生産者の価格や質も即座に検索できる。この過程で企業は瞬時に調整しなければ破滅する。ニュー・エコノミーのもたらす競争は、過去の評価やブランド、宣伝などでは無い。

ナスダックの暴落は、テクノロジーの将来や価値について何も教えてくれない。多分、最善のアナロジーは3世紀前の古典派経済学者が考えた水とダイヤモンドの価格の差がなぜ生じるか、という問題であろう。

水は生命の維持に絶対必要であるが、安い。これに反して、ダイヤモンドは非常に高価である。価格の差は有益さや価値を示すのではなく、市場支配力と高いマージンを示すのである。

インターネット・エクスプローラーでさえ、利益の源泉になっていないし、競争者を排除できない。コンピューターと通信技術は、単にそれを非常に安く、競争品を非常に入手しやすくした。

ナスダックの暴落がわれわれに教えることは、ニュー・エコノミーが大きな、いつまでも独占できる、地代のようなマージンを奪い取って、利潤を押し下げる圧力の源泉となることだった。


ST JUNE 4, 2002 TUE 

New rules for a new economy

The new economy is not just a fad

By LAWRENCE SUMMERS AND J. BRADFORD DELONG

(コメント)

「経済の進歩は、市場や技術革新以上のものである。経済の構造が変化し、政府が政策を変更しなければ、経済発展は行き詰まってしまう。」そして、著者たちはイギリスの産業革命や、アメリカとドイツの工業化、企業の独占に対する公的介入に関して政府の対応を比較する。トロツキーを引用するまでも無く、生産力の改善には社会的・政治的な条件が整備されなければならない、という意味で、古典派とマルクスの伝統を継承します。

彼らが注目するのは「情報財」の特殊性です。情報は、ある人が消費しても他の人の消費と競合しません。ところがこの非競合財は、市場に供給するための固定費用が莫大で、限界費用が非常に小さいわけです。しかも、ニュー・エコノミーの特徴はネットワーク効果が働くことです。すなわち、消費者が増えるほど、その効用は高まり、需要も増えるのです。そして効率も高まります。だから、市場は大きければ大きいほど良いでしょう。経済成長にとって世界市場の重要性が増しているのも、ここに理由である、と言います。

問題は、従来、こうした財の供給が独占される傾向にあったことです。著者たちは、独占を規制する公共政策の理解が根本的に変わった、と指摘します。ニュー・エコノミーでは、価格の差別化も悪いことではありません。実際、貧しい国にエイズの治療薬を安価に供給することは、製薬会社にとって損失ではありませんでした。問題は、貧しい国の患者をすくう薬が豊かな国に逆輸入され、医薬品の開発コストを回収できなくなることでした。だから、政府は市場を厳格に分割する責任を負ったのです。

情報財が中心となるニュー・エコノミーの発展を支える制度の確立は、知的所有権によって実現できるでしょうか? しかし、基礎科学の進歩を一部の企業の独占とし、閉ざされた知識にすることは、社会の利益に反するでしょう。また、わずかな限界費用で莫大な利益をもたらす権利を保護することは、社会的に支持されないでしょう。企業家精神や新規参入を促し、知識の利用や技術革新を促し、同時に、研究・開発に要したコストを価格に反映させるような制度や政策への工夫は、まだほとんど成功していません。

技術革新と知的所有権との矛盾をとく鍵を、著者の一人は、非営利的な教育機関に求めています。

いずれにせよ、彼らはナスダックの暴落がニュー・エコノミーの将来を閉ざしたとは考えていません。シミュレーションのための高価な計算機が、さまざまな生産過程やサービスに組み込まれた安価な一部となり、さらにWWWを介して、ニュー・エコノミーは急激に拡大し続けています。

その可能性は尽きず、重さの無いアイデアの商品化、価格の急速な下落、大幅な需要弾力性が、ますます多くの支出によって、ニュー・エコノミーの急速な成長を実現するであろう、と予想します。

サマーズが唱える強気で楽観的なニュー・エコノミー論は、むしろ現実の悲観論を払拭したいという願望を反映しているのでしょう。競争と独占の微妙な味付けに、一部の世界はニュー・エコノミーとなり、他の世界はオールド・エコノミーであれば、非常に破壊的で、社会的にも・政治的にも破綻した社会が拡大することが懸念されます。もちろん、マルクスで無くても言うように、それは政治的な問題です。


FT June 2 2002

Book review: A grand tour of crises

By William Easterly (senior fellow at the Centre for Global Development and the Institute for International Economics)

(コメント)

ジョセフ・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)に対する書評です。 Stanley Fischer(元IMF)、Lawrence Summers(元アメリカ財務省)、Joseph Stiglitz(元世界銀行)という国際経済政策に最も深く関わった、しかも最も優れた経済学者たちの対立は、目くるめくスペクタクルです。(買っただけで嬉しくなるような本は、経済学で他にあるでしょうか?)

発展途上諸国の構造調整プログラム、アジア金融危機、ロシア移行経済の危機について、Stiglitzは、経済学者が知らないことが多すぎる、と主張します。国営部門を民営化するといって独占企業を放置し、高金利のまま自由貿易を唱えて失業者を溢れさせ、不完全な国際資本市場で短期資本を自由化すれば危機が頻発した。財政赤字で通貨危機が起きた国の単純なモデルを健全な国に押し付けて危機を悪化させた。1997-98年に批判されたクローニー・キャピタリズムは、それ以前の成長を実現したものと変わっていない。契約も裁判所も無いロシアに、移行計画を押し付けても成功するはずが無い。国際金融機関は不安定な世界を扱いかねて危機を繰り返した。

しかしEasterlyはStiglitzに批判的です。まず、Stiglitzは、こうした現実の複雑さを十分に理解している尊敬すべき経済学者であるFischerやSummersへの不当な個人攻撃に耽っている。彼らが愚かであったから愚かな政策が行われたのではない。現実の政策は、危機のさなかに、国際機関と各国政治情勢の暗闘から生まれる。

また、ヨーロッパ人や他の国際機関を非難しないのも間違っている。

さらにStiglitzは、アジア金融危機の影響を誇張している。その失敗の大きさを強調しているが、それは決して大恐慌や、1980年代のラテン・アメリカ債務危機にも及ばなかった。

最後に、この本は友人と酒を飲みながら話し合うような内容であって、本にすべきものでは無い。彼はノーベル経済学賞を受賞したのであり、明らかに文学賞ではない。

なるほど、もちろん個人への中傷や彼の感傷には、彼個人への親しみや反発を持って楽しむでしょう。しかしやはり、一流の経済学者が書いた興味深い小説として、国際経済政策の重要さと罪深さを考える最高のテキストであると思います。


FT June 4 2002

Rebuilding the tiger

By John Thornhill

(コメント)

アジア金融危機の最大の原因は、資本を効率的に配分する資本市場が無かったことであった、と筆者は主張yします。アジア諸国は危機を経て、マクロ経済全体を転換しつつあり、危機の導火線となった固定為替レートも管理変動レートに変えました。コーポレート・ガバナンスや透明性が強調され、国民に株式市場の普及が行われています。すなわち、筆者の考えでは、アジアは危機を克服して次の成長を目指す力がある、というわけです。

これはあまりに欧米型の資本主義礼賛ではないか? アジアが容易にアメリカやヨーロッパの次の州や拡大計画に入るものか? マクロ経済の調整は進んだ、市場の制度は整備できる、という楽観は、投資家の聞きたがっている子守唄でしかない? ・・・


NYT June 4, 2002

Greed Is Bad

By PAUL KRUGMAN

1987年の映画『ウォール街』で、乗っ取り屋の主人公ゴードン・ゲッコーは述べます。「みなさん。強欲は善なのです。欲望に駆られて経済は機能し、欲望に駆られることが正しいのです。」彼の哲学は、その後、現実を支配した。

はっきりさせておくが、私は道徳を議論しているのではない。経営学を論じているのだ。人間としては、経営者たちは以前よりも悪人であるとは言わない(良くもなっていないが)。変わったのは誘因である。25年前のアメリカ企業は今のように傲慢な組織ではなかった。実際、今の基準で見れば、それは社会主義共和国であった。CEOの給与は今と比べ物にならないほど僅かであり、彼らは株価を上げることばかり考えていなかった。労働者も含めて、もっと多面的な目標を求めていた。

近頃は、強欲賛美のイデオロギーにすっかり染まっている。第二次世界大戦後の一世代で生活水準が倍増し、その後、成長は揺らいだ。そして乗っ取り屋たちが現れた。彼らは、正しくも、企業を整理して利潤を増やし、株価を高くできると主張した。株式を債務に代えて、彼らは経営者に再編するか破産するかの圧力をかけた。同時に経営者には株式を与え、株価の引き上げに尽くさせた。

これはすべて企業理論の「プリンシパル・エイジェント」問題を解決する手法を示している。経営者が会社の所有者ではない以上、経営者の報酬は株価によって大きく影響されるべきなのだ。1990年代にこの理論が現実の企業を動かした。数ヶ月前まで、それは成功すると信じられていた。

しかし、毎日、ビジネス・スキャンダルに関するニュースを聞けば、この理論が致命的な失敗であったとわかるだろう。成功した経営者に莫大な報酬を約束すれば、彼らは外部に利用できない情報を操作し、企業が成功しているように見せかける。

企業への不信感は、現在の景気回復を妨げている。遂に、強欲が悪であると分かった。では、われわれはシステムを改善できるのか? 政府は、企業の自己管理を求めるだけである。この機能不全のアメリカという企業システムを守ろうとしているのは誰だ?

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The Economist, June 1st 2002

Argentina’s collapse: Let the voters choose their poison

Argentina’s collapse: Scraping through the great depression

経済は悪化し続けている。昨年の同月比で15%のマイナスである。消費者物価は1月以来21%上昇した。ペソは1ドル=3.50ペソにまで暴落している。外貨準備は半分になり、失業率は24%。長くラテン・アメリカで最も裕福であった国が、人口の半分を貧困に突き落とした。何よりもDuhalde氏はIMFがもとめる整合的な経済プログラムをまだ示せない。

なぜか? 要するに、議会の政治家や州知事、そして大統領は、国民の困窮を材料に旧式の政治ゲームを続けているのである。彼らは互いに切下げや預金封鎖の責任をなすりつけ合うだけで、解決には消極的だ。預金封鎖を国債に転換する案を議会は否決し、州政府は赤字を削減しない。非難やコストは外国系の銀行に何でも押し付けている。また有力銀行の一つが撤退を決めた。こうしてますますハイパー・インフレーションと暴動の危険が迫っている。

Duhalde氏はアルゼンチンを、より長期に、より貧しくするだけである。彼はアルゼンチンをすくえる政治的な力を示せなかった。彼は国民の支持を得ていない。その任期に関わらず、大統領と議会の選挙を準備して、辞任するべきであろう。さもないと、もっと取り返しのつかないポピュリストが現れる。景気を回復できるのは、合理的な経済プログラムと、それを実行する技術的な能力、そして政治的な正当性を得た政府だけである。

国民は鶏を飼い、庭を耕して自衛する。失業した男性に、いつになったら経済は回復しそうか? と尋ねた。彼は肩をすくめて、答えた。「三世代、かな・・・」


Bicycle makers: Rough ride

この数年で、アメリカの自転車産業はアジアからの輸入品に圧倒された。低価格の自転車の95%が中国製である。アメリカの有名な企業は消滅しつつある。

関税や反ダンピングはヨーロッパ企業の生き残らせているが、アメリカの経験が正しければ、この洪水を完全に止めることはできない。アジア企業は、価格だけでなく、品質や技術でも急速に進歩する。それは、賃金などの低コストや、自国内の巨大市場に加え、台湾のように大規模な研究・開発投資を行っているからだ。部品は日本や台湾の企業が供給している。特に日本のシマノは、素晴らしいギアを供給する。西側の企業は廃業するしかない。台湾企業はアルミニウムを利用した車体で、さらに価格を下げる。彼らは自転車市場を、高級車から通勤用に変化させて、回復させようとしている。

アジア企業に欠けているものは、ブランド・イメージである。最も優れたアジア企業でも、ブランドを確立するには時間がかかる。そこで西側の有力ブランドを買収する企業もある。

もはやアメリカやヨーロッパに自転車メーカーは残らないのか? 必ずしもそうではない。アメリカのTrekやCannondaleは、革新的なレース用自転車を開発している。また、スウェーデンのCycleuropeなどは、ひそかに安価なタイプを中国での生産に切り替えつつある。昔のブランドに頼るだけでは生き残れない。