IPEの果樹園2002
今週のReview
6/10-6/15
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今週のコラムで要約できたのはひとつだけです。週末の出張で、他には何もできませんでした。
話題が思いつかないときは、最初の個人的感想も掲載しないようにします。
広島の平和記念公園で署名と募金に応じつつ、そのまじめな青年に、どうやって核兵器の廃絶を進めるつもりか、問いただすことをしなかったのが悔やまれます。
The Economist, May 25th 2002は、最初のLeader文で、人間の感情をコントロールする脳神経科学の発達に警鐘が鳴らしています。クローン技術よりも、よほど本質的に危険な研究である、と。
これまでも科学は社会にとって非常に危険な道具でした。核兵器を作り、ミサイルを飛ばす数学で、デリバティブを駆使する金融工学を作りました。経口避妊薬の開発は、性の解放や伝統的な家族の倫理観を破壊し、さまざまな自然改造や都市計画により多くの美しい景観や懐かしい故郷が失われました。増大する医療費や、老人介護の問題は、病が身体から生じているのか、社会から生じているのか、分からなくなります。
「有名なジョークがある。赤の広場でメーデーのパレードがあった。いつものように多数の兵士と誘導ミサイルとロケット発射台が行進する。最後尾に幾列も幾列もグレーのスーツを着けた人々が続く。見学者の一人が訊く。『あれは何ですか?』『ああ、』と答えが返ってくる。『あれはエコノミストですよ。彼らがどれほど大きな損害を与えるかは想像もつきません。』」
脳神経科学者は、ねずみの脳を分析するだけで、人間ではない、と言うでしょうが、脳を支配する者は人間を支配できます。私たちは感情をコントロールし、能力を開発し、どのような生き方も自由に選択できる時代に入るよりも、能力の差によってますます社会的に隔離され、選別される時代に生きるようです。
遺伝子や性欲をコントロールする研究が、次の先端科学であり、新しい産業のフロンティアだ、と提唱されるでしょう。失敗したイギリスのミレニアム・ドームと同様に、人間の身体や精神を新しい知識と産業のための投資機会と見るわけです。
科学的な探求はいずれも止められないし、止めるべきでもないでしょう。しかし、科学のもたらす結果は必ずしも進歩ではなく、それが社会にとって望ましいかどうかも、市場によって選別できるものではありません。人類は、核兵器の開発で失敗した経験を総括したことがあるのでしょうか?
私の感情メーターを、誰かもっと陽気で、楽観的になるように、合わせてくれたらよいのでしょうか? 社会に問題があるのではなく、それを問題と感じる個人がいるだけだ!?
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広島に来て、受験生にミニ講義をしました。
私は、受験生が自分の中に関心や問題意識を育て、それをさらに探求したいという気持ちで、大学への進学を考えて欲しいと思いました。彼らの関心をどうすればつかめるのか? 経済学がそれにどう応えられるのか?
現実の強いイメージ、経済学の根本的なメッセージを取り上げたい、と思いました。社会の中で生きる人間が、豊かであるとか、貧しいとか言われるのはなぜか? なぜひとびとは自由であったり、不自由であったりするのか? 同じ人間でありながら、なぜある人々は幸せであり、他の人々は不幸なのか? こうした「問い」から始めたい、と思いました。
<前半>
l ダイヤモンドのパラドックス
もし富さえ与えられれば、それで十分だと思うなら、シエラ・レオーネという小さな国を考えてみましょう。なぜならこの国は、世界でも最大規模のダイヤモンドの産地であるからです。富が地下に埋められた場所でたまたま生まれた人々が、どれほど豊かで、自由で、幸せであるか。まったく疑う余地もありません。
しかし、現実のシエラ・レオーネは、世界で最も不幸な土地なのです。
ダイヤモンドをめぐる争いと政府の腐敗が、内戦に至ったからです。この数年にわたる内戦で、国土は破壊されました。国民は住居を捨てて離散しました。さらに武装した集団が殺しあって、中でも反政府軍をRUFにまとめた指導者Fody Sankohは、人々の手足を切り落としました。手首やひじから先が無い、膝から下が無い、そのような人々が多く残されたのです。
なるほど、ダイヤモンドが埋まる土地さえあれば、人など居なくても良いのです。支配者は武器でも消費財でも輸入できるでしょう。大人たちは潜在的な反乱者であり、手足を切って、捨て置かれました。親を殺した後、子供だけを連れ去って、銃を持たせ、人殺しを教えました。生きる術を知らない子供たちは、部隊の指揮官が下す命令や暴力に逆らえず、しかも彼らに与える食糧が少なくて済むからでしょう。
富は、必ずしもその社会が、平等で、民主的な政治を行うことを意味しないのです。また、勤勉な人々や、革新的な人々に十分な報酬を与え、正直な人々に雇用や基本的な衣食住を保証するわけでもないのです。さまざまな地下資源を保有する国は、しばしば今でも貧しい国です。しかし、産油国だけは違う? 一方では、石油が先進諸国の独占企業によって高価格を維持する仕組みを与えられたことによるでしょう。また他方、9・11は、産油諸国がその内部に深刻な問題を抱えていることを示しました。
The Economistの最近の記事に寄れば、今年の5月、シエラ・レオーネでもついに選挙が行われたそうです。手首を失った腕を使い、投票箱に投票用紙を入れる住民の写真が載っています。シエラ・レオーネの内戦を止めたのは、「血まみれのダイヤモンド」を阻止する市民運動であり、旧宗主国として国連軍に加わったイギリスの軍隊でした。そのままでは略奪によってしか生きられない兵士たちを、平和な経済活動に導くために、国際機関は銃器を有償で回収し、さらに職業訓練を受ける者には手当てを支払ったのです。
アフリカの小国であっても、その社会に平和な秩序を回復するためには、国際的な軍事介入や経済的支援が必要でした。
l 国際政治経済学の生誕
国際政治経済学(略してIPE)は、豊かな富が人を幸せにする条件や、戦争を終わらせる条件を、社会の秩序やルール、その実現や調整をめぐる問題として考えます。IPEとは、国際システムの変化を説明し、これを平和的に制御する原理を考える学問なのです。
その原理とは何でしょうか? 決して正しい答が一つだけあるとは思えません。しかし、特に、政治における権力Powerと経済学における富Wealthは重要でしょう。社会秩序の形成や調整、転換を支配する原理として、これら二つを同時に扱うのがIPEです。また、認識や規範、もしくは理想も、これに加えて良いと思います。
なぜIPEは誕生したのか? を考えることで、この学問の姿勢がよく分かります。IPEは、おそらく、1960年代後半の二つの変化によって、関心を集めるようになりました。
一つは、経済学の抽象性・非現実性に対する不満です。経済学のモデルはますます数学を利用した精緻なものになりましたが、現実の問題との緊張関係を失っているという批判を受けました。またもう一つは、政治と経済の問題が融合したことです。繰り返されるドル危機や石油危機、国際収支やインフレ問題などが、政府を交代させ、多くの政治指導者たちの主要な関心となりました。IPEは、こうした新しい時代の課題に応えようとして誕生したのです。
私は特に、次の3人の研究を尊敬しています。
Richard N. Cooper(1969):世界経済の国際政策協調による管理
貿易が拡大し、ユーロ・ダラー市場(アメリカ国外でのドルの利用)が発達して、国際的な資本の取引も次第に自由化されるに従い、各国の経済は強く相互依存するようになりました。相互依存とは、たとえば、ある国の不況やインフレが他国に影響し、通貨危機が国際的に波及するような状態を意味します。
クーパーは、相互依存の強まる世界で、各国の経済政策がますます協調しなければならないことを早くから指摘し、政策協調の根拠や共通通貨の可能性を示しました。彼は実際、カーター政権に参加し、ボン・サミットで「機関車論」の元となる考えを与えたのです。
Charles P. Kindleberger(1973):1930年代の大恐慌はなぜ起きたのか?
指導的な国が無ければ、金融危機が国際的に波及することで、世界の経済循環は破壊されてしまいます。覇権国が手形を割り引き(安定した貨幣・短期資本)、長期資本を供給し、余剰商品への市場を提供して、開放された世界市場を維持することで、危機の波及は抑えられます。国際社会の危機に際して、最後の貸し手や軍隊・警察のサービスを提供する、覇権国がなければならない、と彼は考えました。
覇権国として国際秩序を創設し、管理・運営することを、イギリスには担う意志がありましたが能力は無く、アメリカは能力を持っていましたが、それを担う意志が無かった、とキンドルバーガーは指摘します。それゆえ1930年代の危機は国際的に波及し、あれほど長引いたのです。
Robert Gilpin(1981):平和的な国際システムの移行は可能か?
政治的秩序は一旦成立すると固定され、容易に修正できません。それは、旧秩序に関して既得権が発生し、制度の変化に関する分配上の問題が政治的合意を難しくするからです。しかも、改革によって、たとえ将来の長期的な利益が明らかでも、システムを変えることで生じる予想されない混乱や誤解、システムへの信頼欠如が、当面の移行コストを耐えがたいほど大きなものにしてしまいます。こうして、それぞれの国は改革を支持しながら、決定的な行動は採られない、という意味で現状が維持され、市場により、なし崩し的に制度が崩壊して行きます。
国際秩序は、一方で政治的な支配を確立しなければならず、同時に経済的な発展を取り込んでいく必要もあります。ギルピンは、覇権国が戦争によって交代することで、これまでの国際秩序は転換できた、と考えます。しかし、さらに覇権国や、それに代わる覇権的な国際協調体制が存在することで、制度の転換や平和的な移行・調整が可能になる、とも考えます。
l 移民と通貨危機
現在の国際秩序も改革が求められています。
たとえば移民と通貨危機を見れば、国際システムの限界が、弱者の犠牲によって集中的に示されていることがわかるでしょう。BBCは次のような報道を、どう思いますか?
(人種暴動)2001年12月20日
「Oldhamでは、火炎瓶とレンガで武装した多くの若者が暴徒となって、一晩中、警察との間で暴力的な衝突を繰り返した。」
「警察は、燃え上がるバリケードや火炎瓶を目の当たりにした。」
「自分たちのコミュニティーに無理やり押し入った暴動鎮圧部隊や装甲車、警察犬が、より多くの暴動を挑発したのだ。」・・・
(通貨危機)2001年5月27日
「暴徒の夜。政府には最後の審判が迫っている。」
「アルゼンチンの政治指導者たちは集まって、権力の空白と国家の破産を回避するために、非常事態を宣言した。カヴァロは危機によって強制的に職を追われた。政府の経済運営に抗議する群集が通りに集まり、少なくとも10人が死亡した。」
「スーパー・マーケット、銀行、商店、その他の建物が掠奪に遭った。民衆はポットやフライパンを叩き、自動車の警笛を鳴らして、深夜に発令された政府の非常事態宣言に抗議した。」・・・
もちろん、それは一握りの犯罪者たちによって行われた破壊や窃盗であったかもしれません。しかし、人種暴動や通貨危機に至る社会・政治的な危機は、深く現在の国際システムと結び付いています。彼らはそれに抗議したでしょうが、彼らの声が「暴動」となって爆発するまで、国際社会はそれを無視しました。
「暴徒」とは誰のことでしょうか? 移民は決して犯罪ではありません。国境を越えることや、労働することが規制されているのは、受入国の政策によるのです。人種差別に抗して暴力に訴えるのは、彼らがよほど耐えられないような社会的矛盾を経験しているからだと思います。
通貨危機に苦しむ国でも、その国民が何か特別な悪事を共同で働いたわけではありません。むしろ長年にわたる勤労と節約で得た富を、一瞬で失った者が多かったでしょう。それでも通貨危機は、国際システムにおける辺境での調整過程に過ぎない、と思われています。
グローバリゼーションによる富もまた、必ずしもそれに参加する社会が、平等で、民主的な政治を行うことを意味しないのです。また、勤勉な人々や、革新的な人々に十分な報酬を与え、正直な人々に雇用や基本的な衣食住を保証するわけでもありません。現在の国際システムが示す限界とは、その意味で、従来の国民国家制度と新しいグローバリゼーションとの矛盾です。
こうして、私たちは最初の問題に戻ります。
「社会の中で生きる人間が、豊かであるとか、貧しいとか言われるのはなぜか? なぜひとびとは自由であったり、不自由であったりするのか? 同じ人間でありながら、なぜある人々は幸せであり、他の人々は不幸なのか?」
<後半>
l 「良い社会」を求めて
経済学は、しばしば抽象的で、退屈な学問だ、と言われます。数学を多用し、分けのわからない専門用語や、独特の言い回しで、得々と統計的な実証の確かさを説明します。それでいて、ほとんどの予測が外れることには無関心です。もちろん、経済学による予測は、政府や企業に、将来への判断の基準を示すために行われており、たとえ将来が常に予測と異なっても、それを経済理論によって説明できます。
しかし、私は少し不満です。受験生の皆さんが、経済学部を選択する場合、私はもっと基本的な、経済学の社会に対するメッセージを知って欲しいと思うからです。
さて、経済学とは何でしょうか?
1.それは何の役に立つか?・・・実際には、直接「お金儲けに役立たない」でしょう。経済学を学べば、明日の為替レートや、半年後の株価が予言できるなら、確かにお金が儲かるでしょう。しかし、経済学者の多くは決してお金儲けで成功していません。ノーベル経済学賞の受賞者を重役に並べたLTCM社も破綻しました。
2.いろいろな経済統計や経済ニュース。呪文のような解説。・・・さまざまな仮説と単純化によって、モデル化された事実を数式で処理します。しかし私は、異なった経済学を目指しました。経済学には、実証と予測を重視する考え方のほかにも、歴史的・社会的な事実の解釈を重視するもの、政治的な選択や制度の転換を理解しようとするもの、があると思います。
経済学のメッセージは明確に、経済全体の状態や方向を評価することに向かっています。同じ問題についても、彼らの意見は大きく異なります。なぜなら、彼らはそれぞれに「より良い社会」を求めているからです。その目標や理解の手法に、たった一つの答えが予め決まっているわけではないのです。
では、経済学とは何か? それは、問題の性質によるでしょう。
3.「貨幣や市場の取引に関係のある研究。」・・・私は、これがベストだと思います。
l 貨幣とは何か?
貨幣にはなぜ価値があるのか? なぜ貨幣で物が買えるのか? 貨幣そのものには、それを説明する何物もありません。本物の貨幣をいくら調べてみても、広告のチラシや子供のおもちゃの貨幣と、何が本質的に異なるかを説明するものは無いでしょう。
貨幣は食べることもできず、着ることも、履くことも、壁紙にすることにも向いていません。貨幣を生産するコストは、それが市場で交換されるものの価値を大幅に下回ります。貨幣を蓄えても、それが将来も価値があると信じるべき、何の理由もありません。
まさに、貨幣を蓄積すれば、あるいは金Goldや貿易黒字を増やせば、その国は豊かになれる、という迷信を打ち破ったのが、経済学の生誕を告げたアダム・スミスの『国富論』でした。アメリカの独立宣言と同じ1776年に出版された本です。
スミスによれば、その国の富とは、金や貿易黒字ではなく、労働の生産物です。それゆえ、労働がより多くの富をもたらす社会の秩序、ルールを、彼は求めました。そして彼は、生産的労働の割合と、社会的分業の拡大によって、その社会の富は増える、と説いたのです。すなわち資本蓄積と市場の規模が重要である、と。
経済学が誕生したのは、より多くの富をもたらす社会の仕組みを明らかにする、という独自の問題を提起したときでした。
l 経済学の生誕
スミスは、当時の学問の体裁に従って、未開社会(あるいは野生動物)と文明化された社会とを比較します。なぜ、文明社会の最も貧しい者でさえ、未開社会の王様よりも素晴らしい家具や衣服を持つことができるのか? 彼は、その答えを「分業」に見ました。
彼はグラスゴーの零細なピン・マニュファクチャー(釘の生産工場)を例にとって説明しました。もし一人の職人が、十分な教育も工具も持たずにピンを作るなら、一日に1本作るのがやっとであろう。たとえ熟練した職人が工具を用いても、一日で20本も作れれば良いほうだ。しかし、10人の労働者が働く零細工場では、粗末な機械を使うだけで、一日に12ポンドのピンを生産している。12ポンド、というのは、ピンの重さです。1ポンドで約4000本ですから、4万8000本を生産しているわけです。
一日一人当りに直しても、20本対4800本ですから、240倍です。分業は、労働者の熟練を促し、無駄を省き、さらに工具などの革新を刺激する、とスミスはその理由を説明しています。こうした富を生み出す力が、社会を大きく変えたのは言うまでもありません。
しかし、国富論のメッセージはそれにとどまりません。スミスは、この工場内で行われている分業が、同じように、社会全体でも行われている、ということを発見します。「社会的分業」があるからこそ、一人一人は限られた労働に従事するだけで、貨幣と交換に文明社会の富を享受できます。社会全体で行われた分業がもたらす富の豊かさを、私たちは労働に応じて利用できるのです。
スミスは、私たちの豊かな社会の背後に、社会的分業の広がりを見ました。決して目に見えないつながりを、こうして理解することで、なぜ貨幣は使用されるのかについての答を与えたのです。私たちの社会が分業によって成立している以上、その労働性産物を交換する必要があります。貨幣は、労働制産物の交換を媒介し、人々が分業する基準となる自分の労働性産物に対する社会的な評価を教えます。
それは、こんな風に説明されます。ある人が河でビーバーを獲る。他の人は山で鹿を獲る。もしビーバー1匹を獲るのに一日かかり、鹿を1頭獲るのに三日かかるのであれば、市場でこの二つの獲物はビーバー3匹と鹿1頭とが交換されるだろう、と。もしそうでなければ、分業の割合が調整されるでしょう。
私たちは、街でビーバーをポケットに入れた人や、鹿を肩に担いで歩き回る人を見ません。その仕事が何であれ、貨幣を持つだけです。貨幣は、何の価値も無く、何の役にも立たないのに、他の何か有用なものを買うために持つのです。貨幣が富ではなく、社会的な分業がもたらす富を市場で媒介するから、それは広く使用されます。
スミスは、こうして貨幣に媒介された自由な市場が拡大することが、豊かな社会、良い社会の条件である、と考えました。彼が生きた時代は、多くの取引が規制され、王様はさまざまな市場に独占権を与えて利益を増やそうとしていました。あるいは、戦争や貿易の制限によって、貨幣や金をより多く得ようとしたのです。スミスの理論は、それが間違いであることを明確に示しています。そしてそれ以後、ほとんどすべての経済学者は、この主張を受け入れています。
l Joseph Stiglitzのブッシュ政権批判
スミスは200年以上も前の経済学者ですから、これが経済学のメッセージだ、というのは信じてもらえないかもしれません。
しかし、Joseph Stiglitzの最近の論説を読めば、彼がいかにスミスと同じ経済学のメッセージを継承しているか、納得できると思います。スティグリッツはアジア通貨危機の際にIMFやアメリカ財務省の政策を批判し、世界銀行の主席経済顧問を辞任しました。
この論説で、彼はブッシュ政権が最近導入した鉄鋼製品の輸入に対する関税率引き上げを批判しています。それはアメリカ政府による自由貿易の主張と矛盾し、WTOのセーフガード規定に当てはまらず、新ラウンドへの国際合意に違反します。アメリカの鉄鋼製品輸入が増加したのは、アメリカ政府が雇用をもたらさない減税策で財政赤字を招き、アジア通貨危機の市場による調整とドル高を歓迎してきた結果であり、アメリカの旧式な鉄鋼生産を整理してこなかった結果です。そして政府は、選挙目当てにさまざまな分野で補助金を与えて、労働者の移動を抑制しました。
スティグリッツは、アメリカの政策が、アメリカ経済を弱め、ヨーロッパ経済に害を与え、貧しい発展途上国をさらに貧しくしている、と厳しく批判しています。スミスが国富論で訴えたメッセージの重要さを、私はここに見出します。
彼はさらに、グローバリゼーションを正しく管理することで、すべての人が利益を受けられるように、国際制度や主要国が努力すべきだ、と唱えています。社会的分業の広がりが国家を超えて、世界市場によって富を実現する時代に私たちは生きています。グローバリゼーションを行きぬく私たちの時代でも、経済学のテーマは重要であり、刺激に満ち、決して一筋縄ではいきません。しかし経済学者は、良い社会の条件やルールについて、今も考察し続けています。
l 受験生へのメッセージ
大学に行くためではなく、自分のために、全力で学んでください。自分の中にエンジンはあるのです。自分のエンジンを高めることに、おそらくそのことだけに、受験勉強や大学で学ぶことの意味があると思います。
経済学のテーマとは、自由な社会の実現、です。もしこうしたテーマに関心を持ってもらえたら、大学で一緒に学び、議論しましょう。
(注:広島で質問してくれたお二人に、サッカー日本代表の稲本が同志社大学出身ではないかな? と言いましたが、間違いでした。同志社経済学部出身の代表選手は、ディフェンスの宮本です。お詫びして、訂正します。)
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NYT May 28, 2002
Where's the Boom?
By PAUL KRUGMAN
人生は不確かだ。二番底を信じる経済学者はまだ少数派であるが、もはや誰も目覚しい回復を唱える勝ち誇った声は聞かれない。3月には、誰もがあれほど勝利に酔っていたのに。
不思議なことに、予期されたように良いニュースも、悪いニュースも無い。何より、この不況をもたらした、投資が回復する兆しは見えない。
どうしてあれほど多くの業界エコノミストたちは大幅な景気回復が迫っているなどと確信したのか? 明らかに何重にも楽観的な思考が広まったせいだ。彼らは株式を売りたがったし、共和党政権はビジネスの見方である。しかし私は、早すぎた勝利宣言の一つの重要な要因に、ブッシュ政権をレーガン政権にたとえる発想が、2002年を1983年と同一視させたのではないか、と思う。
表面的には、レーガン政権の2年目とブッシュ政権の1年目は良く似ている。二人とも大幅な減税を行い、巨大な軍事支出を認め、「悪の帝国」や「悪の枢軸」を強く避難した。2001年と同じように、1982年も連銀はそれまでの金利引上げ政策を逆転し、不況と闘うために劇的に金利を下げた。それゆえアメリカの夜明けは再び近くに迫っているはずだ?
だが二つの不況は全く異なる。1982年の経済は高金利によって押さえられていた。この抑制が無くなれば、経済は前進の準備が整っていた。2001年は投資そのものが飽和に達した。繰り延べされた需要などどこにもない。最も大きな違いは住宅部門である。1982年の住宅部門は高金利政策によって激減していた。住宅投資は13年ぶりの低水準で、先のピークから40%も少なかった。それゆえ、金利が下がれば直ちに需要が増加したのだ。レーガン景気の最初の年に、実際、住宅投資は46%も増加した。基本的に、それは住宅投資による好景気であった。
今は、金利引下げのおかげで、不況の間も住宅投資が伸びている。それがさらに劇的に増加する見込みは無い。どちらかと言えば、住宅バブルに近いだろう。
完全な回復に向かうどころか、本当は、何かが起きるのを待っている状態なのだ。強気派は、企業の投資が遂に戻ってくるのを待っている。しかし、過剰設備は膨大で、新しい投資の動きは見えない。悲観派は、雇用の悪化により、消費が遂に減少するのを待っている。しかし、消費者は愚かな楽観を保持している。
ところが、レーガン期と異なる、もう一つの転換要因があるのだ。それはすなわち、海外投資家の態度である。レーガン景気の頃、海外投資家はアメリカになだれ込んだ。しかし今度は大きく異なる。外国人は何年間もアメリカへの投資に沸いたが、われわれは毎日12億ドルの資本流入を得ることで貿易収支の赤字を賄う必要があった。何が彼らの熱狂を覚ますのか?
この数ヶ月の間に、アメリカのメディアが伝えなかったことの一つは、アメリカの指導力やアメリカの制度に対する外国人の信頼が急激に低下したことである。エンロン、会計操作、財政赤字、鉄鋼関税、農業補助金、FBIの失態、そのすべてが、特にヨーロッパ人にとって、アメリカの「優雅さを剥ぎ落とした。」外国人によるアメリカの株式購入や企業買収は、減少しつつある。