IPEの果樹園2002

今週のReview

6/3-6/7

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2年程前に、このReviewを書き始めました。これは論説ではなく、私の個人的な不満と空想の産物です。

ロナルド・ドーアは、その卓抜なコラム集『不思議な国・日本』(筑摩書房)の序にかえて、面白いことを書いていました。つまり、自分は何を書くか? ニュース番組みたいな、単なる事実の羅列ではもちろんだめだ。普通の読者には気が付かないようなことが書けたらいいんだが、残念ながら、そのような専門知識を持っている場合は少ない。「あなた方日本人が当然だと思うことは、僕など外国で育った人の頭でもって考えれば、不思議でしようがないぞ」というメッセージを含めたい、と。

英字新聞のコラムはなぜか非常に面白い、と思います。既存の政治家や政策、政府を辛らつに、痛烈に、やっつけます。異なった視点を示し、通説の偽善や嘘を暴きます。政府の行動には裏があります。どこでも制度を私的に利用する団体や組織がいます。では、なぜ英語によるジャーナリズムや経済分析記事が面白いのか? といえば、それは常に、異なる意見をぶつけ合って、互いに論駁を繰り返す習慣によるところが大きい、と思います。

社会の中で生きる人間には、想像力が重要です。社会学的想像力や地理学的想像力、想像の共同体や政治的無意識といったテーマは、翻って、経済学と文学との境界をも失わせるでしょう。自殺や結婚、戦争や信仰、人種差別、そして政治を扱った経済学もあります。しかし、問題を生産コストや賃金、価格メカニズムで解釈するには、トマトやシャツを扱うときに比べて、よほど強烈な想像力を必要とするでしょう。

経済学にも空想が良く登場します。ロビンソン・クルーソーの物語や、火星人が地球の経済活動を観察する話。もし粘土が貨幣であれば、とか、合理的経済人の仮説、パレート最適、囚人のジレンマ、レモンの話、合理的期待、効率的市場… 世界の国際収支の合計が大幅な赤字になるのは、われわれが宇宙人との交易で栄えているからか? といった具合です。経済学というより、ショート・ショートやSFを読むような気分です。

ドーアはロンドンのアパートから自転車で大学に行くまでに、ケンジントンやヴィクトリア、バッキンガム・パレスを経て、コヴェント・ガーデンの新聞屋に立ち寄り、ファイナンシャル・タイムスを買ってコーヒーを飲むそうです。そして、時には、新聞を読んで「何という偽善、なんという曲説、けしからぬ」と憤慨し、大学の研究室に着くまでに「軽い、気の利いた、それこそうまい表現で」けしからぬ奴をやっつけるのを楽しみにしている、と書いています。

私は自宅を出てバスに乗ります。駅に着けば混み合った通勤電車です。時間をずらせて空いているとき以外は、座って雑誌も読めず、自転車で走るように思考を刺激してくれる新鮮さもありません。二度乗り換えて、1時間半もかけて職場に着きます。通勤途中で政治家達の偽善に憤慨するより、そのような気持ちを失う人の方が多いでしょう。

アメリカの自由や、イギリスの個性を、日本の人々もこれから次第に育てていくべきでしょう。欧米には言論を戦わせる自由な場があります。新聞のコラムは、人々が日常的に異説に接し、政治家達の欺瞞や問題のすり替えに厳しい目を向けさせます。国民に正しい議論を提供する政治指導者たちを賞賛する、文化と政治的意識の発酵室なのです。このReviewも、私の好きなコラムを中心に集めています。

私は金・カネにまみれたオリンピックにも、ワールド・カップにも、反対でした。しかし、日本の深い閉塞感を打ち破れるのはワールド・カップかもしれません。止まっていた日本人の時計を再び動かすキッカケになって欲しいです。

各国チームの応援団が、地方の空港に集まり、韓国の試合会場に向かう様子は、アジアが緩やかな連合体になった時代を予見させます。

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ただしFTFinancial Times, NYTNew York Times, WPWashington Post, LATLos Angeles Times, STStraits Times, FAZFrankfurter Allgemeine Zeitung, IHTInternational Herald Tribune


FT May 22 2002

Samuel Brittan: The key to euro entry

By Samuel Brittan

私はイギリスのユーロ加盟に懐疑的であった。その理由は、ポンドが為替政策という武器であるというのではなく、安全弁であるからだ。ドルが過大評価されているのか? どの程度か? Fedの指数では1997年初めより25%以上も高いが、ABN-Amroの指数では7%ほどでしかない。変動レート制では、政府はこの問題に関与しない。

私はユーロがミクロ政策に対する影響を懸念している。非対称的ショックがユーロ圏にとっての脅威である、とよく言われる。加盟国が矛盾する政策を採る可能性や、その不安が各国政府に適切な政策を採れなくする。政府はさまざまな理由でコストの上昇を経験する。エネルギー政策や環境政策、健康保険制度に絡む増税など。

私はそのような政策がヨーロッパ全体で採用されるなら、ユーロ圏が崩壊する心配で眠れないことなどないだろいう。しかし、そのような(ヨーロッパ規模の)政策決定は将来も不可能であろう。むしろ各国は不必要な拘束を受け入れ、為替レートという安全弁もユーロ圏全体でコストが被る影響を知ることもできない。すなわち私の懐疑論は、ユーロ反対ではなく、変動レート支持に依拠している。

ユーロとポンドとの競争を促すのも、ユーロを排撃するためではなく、イギリス国内で真にユーロが通貨間競争を行える方が良いと思いからだ。もしポンドが無くなれば、こうした通貨間競争の可能性も無くなる。

過去に私がユーロ加盟を支持したのは、経済的な理由ではなかった。人権やEUの裁判所をめぐる問題でも、ユーロ反対が悪影響を及ぼしそうで遭ったからだ。今では論争の焦点が、加盟時の「適切な交換レート」の決定に向けられている。為替市場の見方では、ポンドは0.65から0.66に減価すべきである。しかし、今の加盟国がそのようなレートを受け入れるだろうか。特にドイツは、ユーロ加盟で競争力を大きく失っており、これ以上、イギリスに対しても競争力を喪失することは避けたいはずだ。

イギリスに最適な為替レートについて、大蔵省が貿易額により加重平均した為替レートを出し、それからユーロとの交換レートを決めた。この評価ではドルが重要になる。もし今年ドルが緩やかに減価すれば、ドルの減価は長引き、ユーロ参加レートも大きく下げることは無い。他方、ドルの急落を市場では噂している。

資本流入が減ればドルは急落するが、国内で支出が減ればドルは強くなる。そこでアメリカ国内の経済活動が重要になる。アメリカの景気を支えてきた国内消費がもし減少すれば、アメリカの対外債務が減り、経常収支赤字も減る。言い換えれば、最も重要なのは、ドルの水準ではなく、アメリカの経済活動なのである。アメリカ経済が世界の景気を支える主要な刺激剤であったから、もしアメリカの回復が弱まり、二番底の不況になれば、ヨーロッパの人々がドルは高すぎるとか、ユーロの価値の低さをぼやくこともなくなるはずだ。

ポール・オニール財務長官は「ドル高政策」の信奉を非難されている。もちろん、彼はドル高を強硬に求めるつもりなど無いだろう。アメリカ政府はドル安によって産業界を助けるつもりではないか、と憶測されている。ブッシュ大統領の鉄鋼業や農業に対する特別な配慮を見ると、その憶測にも一定の根拠がありそうだ。

経済学者はそうしたジレンマを避けるために通貨問題に関して修道士的な沈黙を薦める。しかし、ゴードン・ブラウンだけは適切なレートを論じてきた。アメリカが為替レートを市場に任せると言うのであれば、口先介入でドル高を維持するだけであろう。しかし、ブラウンがユーロ加盟を決める次の秋や春に、ドルがどうなっているのか、誰にも分かるはずが無い。


The Guardian Wednesday May 22, 2002

The return of politics

Jonathan Freedland

8ヶ月の空白を終えて、アメリカの政治が戻ってきた。共和党は再び民主党に悪罵を浴びせ、民主党は共和党をこき下ろす。911の両党合意体制が破綻し、ブッシュ政権のテロに対する戦争でさえ疑問を提示される。

真珠湾攻撃以来のアメリカの国民的団結を背景に、「おまえは味方なのか、それともわれわれの敵か?」と言って、ブッシュ大統領は政府へのすべての批判をテロと同一視した。CBSニュースのベテラン司会者Dan Ratherでさえ、アメリカは全体主義国家に近い異端者への非寛容を強めている、と不満を述べた。

それは経済不況や失業、スキャンダルではなく、911への政府の対応自体が批判されることで終わった。特にブッシュ大統領とそのスタッフは、テロリスト達が悲劇を準備しつつあることを知っていながら、攻撃を防ぐ手を何も打たなかった。

20017月、アリゾナにおいて、FBIの慧眼の捜査官は多くの容疑者が飛行機の操縦を学び始めたことに注目し、彼らが教官に飛行機の保安体制を詳しく訪ねていることを心配した。テロリズムの黒幕はFBIと航空管理局に特別な事件があると予告した。86日には、大統領自身が、アメリカ国内でアル・カイダが飛行機をハイジャックする危険があると報告を受けていた。しかし、それを防ぐために何も行われなかった。

ニュー・ヨーク・タイムスは「ブッシュは知っていた」という見出しを掲げた。民主党は殺気立って、ワシントン・スキャンダルを捜査する独立委員会の設立を要求している。「彼はいつ、何を知っていたのか?」 犠牲となった人々の肉親は、あの日の出来事に宿命論的な諦めを感じてきた。

共和党はすでに冷戦体制を敷いて、大統領と共和党を国民の保護者と強弁している。そして、政治に干渉するような、異例な大統領夫人の発言も出てくる。政府はこの問題を葬りたがっている。それはブッシュ氏個人を脅かさないとしても、その政府高官たちを許しておかないだろう。テロ対策を怠ったチェーニー、アシュクロフト、ライス。ブッシュ政権のイデオロギーも問われるだろう。麻薬、ミサイル防衛網、サダム・フセインに主要な関心を向けていた。

捜査・諜報機関の協力体制や安全保障まで含めて、組織が統合・改変されるだろう。民主党は、さまざまな政府への攻撃がこれまで有効でなかったが、今や911によって反撃の機会を得た。こうした政治と反対意見の復活は、ブッシュ政権の人々には不愉快であろうが、アメリカにとって健全なことである。


LAT May 22, 2002  

John Balzar:

Pirates of the Caribbean

ブッシュ大統領がカリブ海域で起きたすべての事態に対して自分で対応したのは正しかった。しかし、間違った島を標的にした。キューバではなく、バーミューダやバルバドスを燻り出すべきであった。そこでこそ、アメリカの価値が脅かされている。

最近、アメリカ企業がこぞってカリブ海に帳簿を移し、納税を回避している。課税回避により、いくつかの企業が幹部に莫大なボーナスとストック・オプションをはずんだ。こんなことでわれわれは驚くべきではないのだろう。アメリカ企業を汚染した会計スキャンダルは周知のことだ。資産家達がポケットにもっと資産を溜め込むのも当たり前だ。彼らはアメリカ的なものを国内では売り尽くしたが、世界中で売りたがっている。

他方、キューバはまるで問題外だ。われわれが共産主義ヴェトナムの首都ハノイに大使館を開き、貿易するために握手できるのなら、なぜラテン・アメリカの隣国とこの愚かな不和を続けるのか?

「われわれは民衆を気遣っている!」とブッシュは述べた。本当に? キー・ウェスト沖に鉄のカーテンが降りた頃、幼かったキューバ人たちも、今では老人である。彼らは大統領が彼らを気遣ってくれると聞いて安心したことだろう。ただし、彼らの中にStanley toolsの幹部は含まれないが。

2002年の春、何故アメリカはそこにいるのか? ブッシュはフロリダを遊説で訪れ、Batistaの独裁政府が、19597月、もう一つの独裁に変わったとき、国を去ったキューバ系のアメリカ人有権者たちに支持を訴えた。同時に、ホワイト・ハウスは企業が課税を逃れるためにトンネル会社を作ることには全く知らぬ顔である。その財布が何百万ドル、何千万ドル、何億ドルと膨らんでも。

変な話だ。ジョージ・特権階級・ブッシュが「民衆のために」だって? 真面目な顔で、彼らはアメリカから金を持ち出すために働く。株主のためさ。分かるだろう? でも、もっと確かなことは、企業の幹部が、(帳簿の操作で)支出を削ればボーナスやストック・オプションをたっぷり得られることだ。

完璧だ。市民権の基本を擁護することから、道徳的な怠慢を奨励することへ。脱税者たちの良い考えには何百万ドルも報いてやる。

ニュー・ヨーク・タイムスによれば、かつて優れた道具メーカーであったStanley Worksの重役は38500万ドルを得ており、それは法人税をアメリカ財務省から28000万ドルも奪ったことで得たストック・オプションであった。他の4人のCEOも同じである。ところで3年前には、Stanley Worksが「アメリカ製」ではない製品を偽って販売したとして告発された。

財務省は、海外に資産を移して課税を免れる個人を厳しく取り締まる、と述べた。しかし、IRSのMark Weinbergerは、税制そのものに企業を脱税に向かわせる要素がある、とむしろ同情的だ。そして政府は、Stanley Worksの重役のようなアメリカ企業の幹部達から祝福される、と言うわけか?

彼らはアメリカに住む快適さを決して手放さない。彼らはアメリカ製のブランドを世界中で販売して儲ける。彼らはアメリカの安定性やアメリカ政府の軍事力・外交政策のおかげで、世界的に繁栄する。彼らは、株式市場や連邦準備制度、裁判所やドル紙幣といった、アメリカ国内の制度によって利益を得ている。彼らはアメリカの大学から人材を雇う。

なるほど、大統領が言うように、カリブ海には裏切り者たちがいる。自己増殖しながら、彼らはわれわれの国の価値を守って生きることは拒んでいる。こいつらこそ非難されるべきだ。フィデル・カストロと違って、彼らはアメリカを信じている、と言うだろうが。


NYT May 22, 2002  

Color Them Fatalistic

By MAUREEN DOWD

テロリストによる攻撃は避けられない、と政府は警告と宿命論を繰り返す。しかし、危険の度合いを色付けしている政府の幹部を、むしろテロに役立たない程度で色付けしたい。

高貴なヒース(赤紫):憲法解釈の修正(銃の保有)で忙しく、テロリストの情報を無視したアシュクロフト司法長官。

キーキーうるさい小鴨色:ジョージ・テネット。クリントン政権から続けて地位を得る変り種。CIAの再編に失敗し、目先を変えるためにFBIを非難した。

茶色がかった灰色:新しい法律を作って自分達の情報をすべて隠したブッシュ大統領とチェーニー副大統領。クリントンのラディン討伐が失敗したことを非難するばかりで、有効な対策を採らなかった。

官僚的な慰み色:関係ない仕事を熱心にして無意味なことを示したトム・リッジとノーム・ミネタ。

誰にでもヴィザを出したがる紫色:移民帰化局INSは指数関数的にアメリカ国民の危険性を高めてくれた。


ST MAY 23, 2002 THU

The new world thrives beyond the bubble

MARTIN WOLFFINANCIAL TIMES

(コメント)

Wolfはこの論説で、株式市場におけるITバブル崩壊後のニュー・エコノミー論を再検討しています。

1.革新は続く。ただし、ITよりも、今の流行はナノ・テクとバイオであるが。IT革命も終わっていない。ムーアの法則は持続するだろう。15年でコンピュータの能力は1000倍になる。

2.インターネットの技術は、まだ企業や社会の組織構造を変え始めたばかりだ。

3.知的所有権の確立がミクロ政策を大きく変えるだろう。知識の所有は財の所有と全く異なる。知識は所有されても他者がそれを使うことを妨げない。

4.1990年代のテクノ・バブルは、情報が利益を約束する、という間違った発想によるものであった。革新の真の受益者は労働者や消費者であり、企業の中から確実に将来の勝者を予想することはできない。

5.1990年代後半のアメリカの生産性は改善した。

6.バブル崩壊後のマクロ経済は混乱する。アメリカの低貯蓄率も経常収支赤字も維持できない。

7.政策ミスを絶対に回避しなければならない。インフレでもデフレでもなく、通貨の安定性が必要であり、何であれ投資家心理を傷つけてはならない。保護主義はその一つだ。

革新が主導するニュー・エコノミーとは何か? 今は、二つの遺産を片付けるべきだ。それは大きすぎる期待と、マクロ経済の混乱である。

以上のWolfの整理は、肝心な問題に答えていないと思います。ニュー・エコノミーを労働者や消費者の利益にするためには、競争を促し、世界的な規制を整備することが十分条件か、ということです。革新に伴う雇用や地域の再編を円滑な要素移動で実現できるか? 完全雇用を保証する政府の役割は何によって維持できるか? そんなオールド・エコノミーの法則はすべて放棄せよ、ということでしょうか?


The Guardian Thursday May 23, 2002

Declaration of war on asylum

Seumas Milne

David Blunkett内相が最初に亡命希望者を「押し寄せる」群れと表現し、Peter Hain産業相はイスラム教徒たちの「隔離主義」を非難し、南欧諸国の移民管理が「手ぬるい」と責めた。今やブレアが新しい行動計画を立てている。オーストラリアのジョン・ハワード首相がポピュリストの右派から攻撃されて難民に対する強硬策を採ったように、ブレアも人種差別を肯定する右派の移民・難民排斥に防戦するはめになった。その目玉は援助政策の転換である。自由市場型のグローバリゼーションを改めて、移民や難民の流出を抑制できない国への援助額を減らすよう求めている。

しかし、管理したいと思っても、移民はいろいろな形で入ってくる。また、移民の多さと右派の政治的な影響の拡大とは必ずしも一致していない。人種差別的な煽動に対抗して、政治的危機を理由に移民や難民を迫害する政策を採れば、何年か先に、コミュニティーの関係をさらに悪化させ、暴動を招きかねない。


WP Friday, May 24, 2002

We're All Conservatives Now

By Robert J. Samuelson

時には大きな真実が見逃されているものだ。その一つは、繁栄した社会ほど深い意味で保守的になることだ。この保守主義は党派的なものではないし、イデオロギーでもない。それは個人的で、心理的な保守主義だ。このままでいたいから、邪魔しないで欲しい、と。中国、インド、ロシア、メキシコ、などの貧しい社会では、自分達を改造するために努力する。他方、アメリカ、ヨーロッパ、日本という、繁栄の飛び地は、既に所有しているものでほぼ満足している。自分の手を変えないことが、左派でも右派でも、公共の哲学だ。

全体として、これは良いことだ。破壊的な、実りの無い実験の衝動を防いでくれる。しかし、その国が望ましくない問題を抱えたときには、保守主義は自己破壊的なものとなる。アメリカでは、議会と大統領が不必要で効率的でない支出を削ろうとしない。人々はそれを権利と思っている。他に誰か犠牲になっていても。そして日本とヨーロッパではこの固執主義がさらにひどい。

日本では経済が非常に停滞して、「失われた10年」とさえ呼ばれている。1990年の失業率は2.1%であったが、今では6%に迫っている。それでも日本人は決定的な行動を求める情熱を欠いている。不良債権の償却と、保護された部門への競争導入である。それらが成長を高めるとしても、人々は伝統的な生き方を支持する。そうでないと誰かが苦しむ。

「経済データが示す現実と、日常生活を送る感覚との間には、大きな差がある。」と、ハーヴァード大学の政治学者Susan Pharrは言う。「所得は高く、多くの人に職がある。ほとんどの日本人が、失われた10年を驚く程よいものと感じている。だから指導者も有権者も大改革を好まないのだ。」

まったくだ。それはヨーロッパでも言える。繁栄の広がりは、ユーロ圏で8%に迫る失業率を耐えられるものにしている。雇用の増加を妨げている規制を彼らは取り除かない。失業手当、解雇の禁止、最低賃金だ。

ある面では、これに文句をつけることは難しい。もし日本人が、高い成長より、大きな休暇と競争の抑制を望むなら、それは彼らの選択である。Newsweek's Asia editionは、「日本は気楽だ。かつての仕事中毒・過労死国家が、アジアのスイスを目指す:豊かで、快適で、無関心。」という特集記事を組んだ。1990年の平均労働時間は年間212時間もアメリカより多かったが、今では31時間少ない。

同様に、ヨーロッパ人もアメリカ型の市場経済モデルを拒む。より大きな社会保障を求め、豊かな失業手当てのために余分に支払う。もしそれが民主的に決められているなら、つまり多くの人が望むのなら、何が悪いか? 問題はこうだ。その選択は自己破壊的であり、自殺するようなものだ。

日本経済は膨大な政府債務に依拠している。いかなる国も所得の成長より急速に債務を増やし続けられない。日本はこれを続けており、2002年に債務の対GDP比率が142%に達する。日本がもっと早く成長しなければ、そして債務への依存を止めなければ、いつか激しい危機に見舞われる。債務の不履行も起こりえないことではない。国債を持つ金融機関も破綻する。アルゼンチンより日本の方が豊かであるというだけで、日本が金融破綻を免れるわけではない。ヨーロッパの政策も、増加する失業者が国によって不均等に配置していることで破滅を招くだろう。フランスは21%、イタリアは32%で、アメリカの9%より高い。これによってヨーロッパ各国の移民に対する対応にも差が生じる。

ここに保守主義の最悪の面が示される。避けられない変化に適応しようとせず、明白な危険も回避できない。アメリカ人も一人勝ちを喜ぶべきではない。われわれのシステムにも同じ機能麻痺がある。高齢化する人口が退職した際のコストをどうするか、政府は扱おうとしない。ヨーロッパでも問題は同様であるが、出生率が低いために、高齢化の率が高い。既に4050%を政府が支出するヨーロッパで、半世紀後には、70%以上に達する恐れがある。

深刻な転換が避けられない。とはいえ、それは今日ではない。問題は本能的に先送りにされる。今は小さな変化に留めて、大きな変化は後にしよう、と。「後で」というのは、ずっと将来のことだ。心配することは無い。われわれは今や、皆が保守的である。そして多分、皆が愚か者である。


FT May 24 2002

Knocking at the rich man's door

極右の移民排斥に刺激されて、移民政策は改善されるより改悪されている。ヨーロッパはもっと穏健で合理的な移民のルールを、労働市場に依拠して、作るべきだ。再び、ヨーロッパ要塞への橋を落としてはならない。

好もうが好むまいが、工業国で移民を完全に排除する国は一つも無い。全体主義国家だけが外国人を締め出す。政府は難民を保護しなければならず、労働力不足で外国人労働者を求め、家族の呼び寄せなど、社会的な理由で移民を認める。しかし、移民がもたらす危険は地域住民に大きな影響をもたらすから、それが我慢される程度に管理されねばならない。しかも、送り出し国と受入国の双方にとって、社会的、経済的な利益をもたらすように評価されるべきだ。

移民の長期的な望ましさは明白である。日本と西ヨーロッパ、そしてアメリカでさえも、労働人口の比率は減少しつつある。移民はこの問題を解決する一つの方法である。しかし彼らも高齢化するから、一時的なものであろう。

移民たちは良く働き、低賃金で、嫌われる職にも就く。彼らは野心と新しい考え方を持ち込む。アメリカでさえも、エスニックによってコミュニティーの統合化に差があり、経済的な価値が異なる。ダイナミックな西側経済ほど移民を大量に受け入れる。アメリカは2000年に85万人を受け入れ、同時に多くの非合法移民がいた。ドイツには1999年に12万人が流入した。歴史的、社会的、地理的に、アメリカはヨーロッパよりも多くの移民を吸収する能力があった。しかし、今やヨーロッパも門戸を開放しようとしている。

健全な移民政策には三つの要素が必要だ。

1.ヨーロッパの諸政府が、共通の規則で、移民たちにより多くの合法的な機械を与えること。合法移民の受入れで非合法移民がなくなりはしない、その圧力は減るだろう。

2.より厳格な規則の実行。長い国境線を警備しにくいし、政治的に微妙な問題もある。しかし、情報や技術はそれを助けるだろう。非合法移民は旅行社として入り、長期滞在するから、それを管理することは難しい。

3.移民の社会的・経済的な高価をもっと良く評価しなければならない。イスラム教徒に不寛容であってはならないが、受け入れ社会は社会的・法的な規範を共有できるかどうか、選択する権利がある。多文化的なアメリカのほうが、その制約も小さい。

最後に、政府は公衆の関心を無視してはならないが、それを利用してはいけない。公衆は、差別やその場の煽動によらず、合理的に計画され、管理された移民政策を信頼するだろう。


IHT Monday, May 27, 2002

Different philosophies of power 

Robert Kagan The Washington Post, Policy Review 

ヨーロッパ人はアメリカ人と、もはや世界観を共有していない。ヨーロッパ人は、軍事力ではなく、自分達が法と規則による自己抑制的な世界に移行し、超国家的な交渉と協力の時代に入ったと考えている。それは歴史的な理想であったもの、カント的な「恒久平和」の実現である。

他方アメリカは今も歴史の中に足をとられ、ホッブス的な無政府的世界において軍事力に依存している。国際的な規則は頼りにならず、安全や自由主義的秩序の実現は、軍事力を保有し、行使することに懸かっている。

ヨーロッパの相対的な弱点は、国際関係を変える手段として軍事力を使わない傾向をもたらした。200年前のアメリカ人のように、今のヨーロッパ人は強さが重要でない世界を求め、より強い国の一方的な行動を禁止し、その強さと関係なく、すべての国が共通に合意されたルールで守られている世界を目指す。

しかし、ヨーロッパの相対的に平和主義的な戦略的文化は、好戦的な歴史の産物である。EUとは、過去のパワー・ポリティクスと決別した記念碑である。フランスとドイツの市民たち以上に、権力政治の危険性を良く知る者はいない。

イギリスの外交官Robert Cooperが最近述べたように、今日のヨーロッパは、勢力(軍事力)均衡ではなく、「軍事力の拒否」と「自己強化される行動規則」に従う「ポスト・モダン・システム」に住んでいる。軍事力ではなく「道徳的な自覚」である。今やヨーロッパ人は、国際関係を軍事力で帰る時代が終わったことを告げる「ポスト・モダン」の福音伝道主義者である。ヨーロッパの奇跡を世界に伝えることが、文明の新しい使命である。

このことがヨーロッパ人とアメリカ人とを衝突させる。アメリカ人はヨーロッパの奇跡を信じない。彼らは軍事力を使わずに理想や秩序を広めた経験が無い。50年間に及ぶ冷戦の経験が示すものは、「道徳的な自覚」が自発的な勝利をもたらすというのではなく、軍事力と決意で勝利するということだ。

この大西洋をはさんだ不和は、大西洋を越える政策の皮肉な帰結である。アメリカは第二次世界大戦と冷戦を通じてヨーロッパの民主主義を勝利に導き、旧時代の「ドイツ問題」を解決した。今でも、ヨーロッパが権力政治を拒むことができるのは、アメリカが世界中で権力政治を行うものを処罰してくれるからだ。ヨーロッパのカント的秩序は、アメリカのホッブス的な権力の行使に依存している。

多くのヨーロッパ人はこの矛盾に気づかない。ヨーロッパ人が歴史の終わりを称えるとき、アメリカ人は歴史に残される。にもかかわらずヨーロッパ人はアメリカを単に、ならず者の巨像、とみなす。

これは身内の喧嘩ではない。もしアメリカ人とヨーロッパ人が権力(軍事力)の効用や道徳性について合意できないとしたら、軍事同盟は維持できない。確かな解決策は無い。しかし、われわれは合意しているという見せ掛けを止めるべきだ。そのような見せ掛けは、誤解や憤慨を増やすだけである。


FT May 28 2002

Currency management is not easy - but it is possible

By James Binny Currency Overlay Specialist, Gartmore Investment Management

(コメント)

FTeditorial "Dollar's decline" (May 24)に対する投書です。通貨の勝ちを予測することは愚か者であり、為替レートの予想は不可能だ、という金融専門家の通説を批判しています。非常に流動的な市場を予測することは難しいけれど、不可能であるというのは間違いであり、経験と技術があれば、約2ヶ月先までと、非常に長期に関しては、予測が可能である、と主張します。

この神話は、一方では日々の為替取引が膨大で、完全に効率的な市場を形成しているという理論と、他方では、長期の価値の予想から日常的な取引を判断して失敗する経験から、強められています。しかし、為替取引の主体の多くは、中央銀行や輸出入業者のように、利潤を最大化する目的で参加しているのではないのです。流動的な市場は、彼らの取引コストを低くする点で有益なのです。

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The Economist, May 18th 2002

Sierra Leone’s election: After the horror, a new beginning

西アフリカの小国に正式に平和が訪れたのはわずか4ヶ月前である。内戦はあまりに凄惨で、その傷は深い。514日に、彼らは選挙を行った。それは議会と大統領を決める選挙であったが、奇跡的に平穏な雰囲気の中で行われた。熱心な民衆は夜明け前から投票所の外に集まって列を作った。地方の有権者は、最も近い投票箱まででも、子供を背中に負ぶって、登録カードを手に、何マイルも歩かねばならなかった。そこには何の建物も無く、投票箱が木の下にあった。実施上の問題は報告されているが、不正は無かった。

たとえ選挙で負けても、反対派は議会にとどまるだろう。元人権活動家が率いる「進歩のための運動」が政府を担うと予想される。人々の目玉をえぐり、手足を切り落とし、生きたまま皮を剥いだ、RUFの指導者Fody Sankohは立候補できなかった。誰が勝者となっても、その課題は膨大だ。戦争で少なくとも45000人が死亡し、100万人が家を捨てた。戦争が終わっても、65000人の民兵が社会に復帰しなければならない。彼らは銃を差し出して、数ヶ月の生活費として約150ドルを受け取った。33000人ほどが個人業や市場の知識、大工や散髪の技術を学ぶ訓練を受けて、追加の資金を得る。しかし、この計画も財源が乏しい。彼らが自活することは容易でない。略奪によって生活する者が増える危険もある。

幼い兵士達は非常に深刻な問題だ。彼らはRUFによって銃を持たされ、麻薬で忠誠を強いられ、ときには両親を殺すよう命じられた。家族や村は、彼らが帰ることを喜ばない。しかし、UNICEFなどの支援で、3000人以上の子供が家族の下に帰れた。

内戦の背景となったダイヤモンドは、新しい政府に収入をもたらし、職場をもたらすだろう。マクロ経済の安定化はそれを助ける。豊かな国は債権を放棄すべきだ。さらに国際的な支援が必要である。平和維持軍を自国の軍隊や警察に代えるためにも、穴だらけの道路を直すにも、犯罪者を裁くにも、資金が無い。RUFが拡大したときと同様に、今も、政府は腐敗し、経済が破壊されている。

この国は、かつてヨーロッパからの観光客をひきつけた美しい海岸を持っている。そのことを示す「アフリカの天国」という宣伝が風に揺れる。


Economics focus: The growth machine

(コメント)

William Baumolは、資本主義が持続的に革新を促すシステムとして成功した、と主張します。その基本は、所有権、特に、知的所有権の確立と、契約の履行を強制する権限です。非資本主義システムでは、しばしば革新の利益が成長をもたらさず、国家の保護や独占、汚職をもたらしました。Baumolによれば、資本主義的な革新のメカニズムに最適なのは「寡占体制」である、ということです。だから独占禁止法などは緩和した方が良いのです。

他方、特許権や他の知的所有権を強化し、革新から得られる利益をより多く、市場を介した成長ではなく、個人の富に帰属させることは、革新の誘因を高めるでしょう。しかし、それが望ましいのか? とBaumolも疑問を示します。革新が急速に模倣されることで経済に成長を実現する影響の方が、はるかに有益である、と。所有権を強めて革新を促す、という考え方にも、限界はあるわけです。

AMARTYA SEN  (“To build a country, first build a school,” ST MAY 28, 2002 TUE. )  では教育への投資が強調されていました。Senは、テロとの戦争が、悪との戦いだけでは勝利できないこと、善への戦いであることを示し、貧しい国にとって教育が何より有効であることを指摘したかったのです。(日本が珍しく?肯定的に扱われていて、少し嬉しくなります。)

知的所有権は貧しい国に成長をもたらすでしょうか? AIDSの治療薬が貧しい国に異なる扱いを許したように、教育や知的所有権にも、望ましい社会秩序への展望が含まれていなければならないと思います。それは、既に書いたWolfへの疑問です。

「…良心の全身に充満したる丈夫の起こり来らんことを」