IPEの果樹園2002
今週のReview
5/20-5/25
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本来、経済成長は労働と革新からもたらされるものだと思います。では、戦争はどこから来るのでしょうか? 人々の不幸と憎しみ、そして指導者の思想からもたらされる、というのが最近の事件を通じた私の印象です。
9月11日以後ではなく、ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領に当選してから、世界は変わったと思います。ブッシュ氏の個性や、世界に関する彼の持つイメージは、選挙のために穏健化されていました。しかしKrugmanも述べたように、宗教的保守派と冷戦思考のブレーンたちを、彼はアメリカ政府に招き入れました。こうしてアメリカの「ル・ペン化」はすでに準備されていたわけです。
「これは戦争である」というブッシュ氏の宣言が、彼の政府に十字軍の免罪符を与え、保守派の思想を世界中で甦らせました。しかし、グローバリゼーションと保守派の思想が一致するのは多角的な国際主義ではなく、一方的な国益によってです。戦争への支出と富裕層への減税がもたらす財政赤字を、ITバブル崩壊後の景気刺激策として弁解し、中間選挙前の特殊利益に対する保護や補助金も、景気・失業対策として擁護しました。
私は、アメリカの指導者が、テロに対してアフガニスタンとの戦争ではなく、CIAの改革や航空・輸送システムの安全保障問題に焦点を絞っていれば、また自由化や失業対策として財政支出を集中させていれば、世界はもっと「平和」であったと思います。彼こそ、戦争の拡大と自由化の後退に依存した「政治」を、アメリカ国内でも、世界でも、権力の基盤に据えたのです。彼は政府への支持とアメリカの戦争を同一視し、アメリカの利益とグローバリゼーションを同一視します。
ポスト冷戦の世界秩序がどうなるのか、曖昧な思考の下で、時間が過ぎました。IT革命とグローバリゼーションに乗って、繁栄のモデルを掲げたクリントン政権は、市民的な秩序と富の世界的な分配を新しい政治課題として確立したかに見えました。しかし、日本やヨーロッパの政治がグローバリゼーション下の革新と再分配に対応できなかったことは、移民排斥や長期の経済停滞に示されています。
なぜ、成功したはずのアメリカでも、ブッシュ氏は核戦略を見直し、減税路線を唱え、京都議定書を無視したのでしょうか? なぜ中東紛争を悪化させ、トルコやアルゼンチンの通貨危機に泥縄式の介入をしたのでしょうか? なぜ中国よりも日本を重視(すると宣言)し、ラテン・アメリカへの地域協力を掲げたのでしょうか?… それは、グローバリゼーションを生き残るアメリカ・モデルが確立される過程なのでしょうか?
アメリカの政治制度が持つ両極分解と政権交代による振幅が原因かもしれません。あるいは、主要な争点が指導者の個性や価値観をめぐる人気投票となり、有権者の多数をどのような嗜好で囲い込むかに、政治が矮小化されているせいだとも思います。西部劇の中でのように、勇敢な牧場主や保安官が悪人に支配された街を変えていく話を、アメリカ人が求めたからでしょう。フセインやビン・ラディンは、もし現実に存在しなければ、必要に応じて創り出されたかもしれません。終わりの見えない戦争を始めた政府には、終わりの無い自己正当化と、政治の空洞化が起きるでしょう。
しかし、自由化よりも戦争を政治の中心に据えた政府は、結局、アメリカの繁栄を蕩尽していただけだと思います。国際市場において通貨価値や貿易、投資の撹乱が起きれば、ブッシュ氏の広めた西部劇により、グローバリゼーションは急速に死滅に向かうでしょう。たとえ軍事的に敗北しなくても、不況とともに、アメリカ政府も保守派イデオロギーも、世界的なビジネス機会を求める圧力で矯正されると思います。
アメリカは世界に、繁栄と保守化、という新しい戦争の原因をもたらしました。中東であれ、アジアであれ、安全保障と社会的な価値に関する合意の積み重ねがなければ、平和的な交流や経済統合は抑制されるでしょう。しかし、社会的な統合の過程を国家が管理できた時代も、すでに終わったようです。
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ただしFT:Financial Times, NYT:New York Times, WP:Washington Post, LAT:Los Angeles Times, ST:Straits Times, FAZ:Frankfurter Allgemeine Zeitung, IHT:International Herald Tribune
FT May 06 2002
Aid, development and guilt after September 11
Amity Shlaes
先週のPeter Bauerの死は、世界が9月11日以後に再び援助を唱え出している時期に、非常に惜しまれることであった。西側諸国は、貧しい国の経済発展を促すために何かしなければならないと思っている。教育や衛生のためにより多くの資金を提供したいと考えている。それが西側の責務である、と。
この新しい政治運動は、もちろん、自分達のためでもある。J.サックスが言うように、「遠く離れた貧しい国の出来事が、われわれを苦しめる」からだ。しかし、感情的な要素もある。何か災害が起こればその責任がわれわれにあるかのような西側の感じ方、われわれが行動することでしか彼らの未来を変えることはできないという思い込みである。
まさにこの点で、バウアーはわれわれが間違っていると言う。援助は政治的・経済的な安定性をもたらす最善の方法ではない。政府の腐敗、法の支配、所有権の確立など、他の要因がもっと重要である。腐敗した政治体制に援助をすれば、問題は増幅され、決して改善されない。
バウアーは、人口増加それ自体が問題ではない、と言う。人口問題は「発明された。」人口増加は災厄とも祝福ともなりうる。「人々の数ではなく、その行動が重要だ。」かつて豊な諸国が対応した人口増加を貧しい諸国が扱えないというのは、単なる文化的な優越心だ。貧困はあまりに一般的、感情的に扱われ過ぎた。その結果、間違った理解が常に広まる。
「経済の進歩はもっぱら人々の能力と態度によって決まり、またその(国内の)社会・政治制度にも依存する。」この意味で、バウアーによれば、援助は特に危険なものである。なぜなら援助では、「競争に耐えられない者、先のことを考えない者、不正直な者が優遇されがちである。」援助は、その地域の不平等を緩和するよりも増幅する。公平を目指す政治運動自体が間違っている。われわれは違いを受け入れ、貧しい諸国と貿易するべきである。貿易こそ最善の援助である。
NYT May 9, 2002
Expanding Free Trade
ブッシュ氏は、民主党の保護主義を非難することが多い。しかし、本来、自由貿易は両党から成る多数派の議員で支持されてきた。最近の鉄鋼関税に見られるように、ブッシュ氏自身が政治的な理由で保護主義的な手段を利用している。貿易促進法案を上院で可決させるためには、もっとこの問題に自分から取り組むべきである。民主党のダシュリー議員らが主張するような、貿易に関わって失業が増えた場合の医療や職業訓練、所得補償に関して、既存制度を拡充し、民主党からも支持を得るべきだ。特定の利益集団に保護を約束することは間違いだ。
FT May 10 2002
A new nationalism
Mark Mazower
フランスではル・ペン、オランダではフォルトゥイン、オーストリアのハイダーが、アメリカの評論家達に、旧大陸ではかつての悪弊が甦りつつある、と了解させてしまった。それは戦間期に深く根を張った反ユダヤ主義のことである。そして、ヨーロッパでファシズムが復活するだろう、と言う警告が続く。第二次世界大戦においてファシズムはヨーロッパの民主主義を粉砕し、反ユダヤ主義は大量虐殺をもたらした。
しかし、もしわれわれが現在の問題を過去の亡霊に求めるとしたら、現実を見誤る。第一の問題は、ファシズムへの回帰は無く、戦後のキリスト教民主主義の危機である。ヨーロッパじゅうで新右翼の政党が興隆しているのは、共産主義崩壊のショックが引き起こした政治変化である。それは旧共産圏に限らない。
冷戦期には、西欧の右派も左派も自由を尊重し、ファシストの右翼を抑え込んでいた。戦後の経済的奇跡が議会制民主主義によってヨーロッパを和解させる前に、戦間期の直接的な対立や武力闘争を、政治家達は合意や妥協の新しいスタイルに交代させた。民主主義を支持する反共産主義の超大国が指導する西側世界で、経済管理と健全な政権運営が極端なイデオロギーの殺し合いを終わらせた。
1989年に冷戦が終わると、古いファシスト的な伝統を持ったイタリア国民同盟のような政党が、数多く復活した。しかし、彼らは極右の血統を誇るものばかりではなく、むしろムッソリーニやヴィシー政府、第三帝国を、保守正統派の合意された自己満足に対する挑戦として利用した。アウトサイダーであることが、多くの西欧諸国で政治を閉ざすエリート達への反抗の証であった。EU統合の深化と拡大は、国民の間にこうした不満をさらに醸成し、極右がその捌け口となった。
多くのヨーロッパ人は今もレイシズム=人種差別を破滅への道と信じており、多文化主義と長期的な同化を促すしかないことを知っている。しかし、レイシズムは極右のスローガンではない。移民排斥こそ彼らのキー・ワードだ。ヨーロッパの国民は、アメリカ人のように、決して自分達を移民の国とは考えない。しかし、移民への恐怖は、今のように強い政治的な意味や、あからさまな外国人排斥の主張を帯びていなかった。
純粋に経済的に見れば、移民は続くだろうし、むしろ続けられるべきである。1990年代にEUの人口増加率は2.5%に低下したが、そのうち約1.5%は移民流入による。長期的には人口の再生ができない恐れもある.若年労働者の失業が減少すれば、移民への需要は強まるだろう。移民がなくなれば労働市場は逼迫し、年金危機も悪化する。
しかし経済的な議論は、いんちき避難民、犯罪者の流入、社会福祉のかっぱらい、といった非難の声に圧倒され、政府も弁解するばかりである。政府は移民たちを難民として受け入れ、その制限を解除してきた。1955年から75年にかけて、急速な経済成長は移民の大量流入に依存していた。例えばドイツもフランスも、政府による外国からの労働力調達が行われていた。ところが1970年代の石油危機で大量失業が発生すると、合法的な流入は阻止された。
政治的に、これは望ましくない状況となった。亡命者は生活支援を受け、受け入れが審査されている間は労働を禁じられる場合が多い。彼らはこうして福祉国家に全面的に依存し、右翼政党がそれを批判する。彼らの申請の多くは認められないが、国外退去にもならず、事実上の地下経済に対する労働供給となっている。こうした非合法移民が国家の弱体化とグローバリゼーション下の人々の恐怖心を強めている。イギリスでもドイツでも、次第にアメリカ型のヴィザ制度による経済的移民促進へ移行しつつある。
しかしまだ何十年か、経済の現実と、ヨーロッパの政治文化に深く根を張ったレイシズムや人種的ナショナリズムとは、互いに適応するには時間を要し、それまでこの二つは衝突するだろう。すなわちヨーロッパが直面している危険とは、1930年代や反ユダヤ主義への回帰ではなく、ナショナリストや外国人排斥の政党による危険なのである。彼らは人々の不安を利用しつつも、何ら答えを持っていない。政治の主流派は、彼らに対抗するために、もっと有権者の声を取り入れる必要がある。
05/10 17:48
Myanmar's `New Dawn' Rises on a Regional Highway
By Patrick Smith
「この国の新しい夜明けです。」と、12年間も断続的に続いた自宅軟禁状態から解放された、ノーベル賞を受賞したミャンマーの反体制派、アウン・サン・スーチーは語った。その通りである。それはまた、地域経済統合に向けて緩やかに歩み始めたアジア全般にとって、重大な一歩である。
先週の月曜日にこのニュースを聞いたとき、私は一ヶ月ほど前に聞いた別のニュースのことを否応無く思い出した。インド、ミャンマー、タイが、それらの都市を結び、貿易と投資など、あらゆる結びつきを強めるために、ある計画を開始する、というのだ。
アウン・サンとこの計画との関係はきわめて単純だ。アウンの解放はミャンマーの再生と開放のために潜在的な重要性を持つと同時に、地域の協力と統合にとっての縫い目である。軍事政権がもたらした13年間の経済制裁は、深刻な被害をもたらしている。しかも、ミャンマーの悲劇は、ある意味で、東南アジアの隣国にとっても悲劇であった。
ついに東アジア諸国は棍棒(制裁)ではなくニンジン(支援)を持ち出したように見える。ここで興味深いのは、これによってミャンマーの隣国が、アメリカやヨーロッパよりも、ヤンゴンに対する影響力を強めたことである。
IMFの報告によれば、5歳以下の栄養失調の割合は40%に達する。その通貨は、昨年、価値が半分になった。米の値段も跳ね上がった。「制裁は著しい被害をもたらしている。」と専門家は言う。貧しい小国であるビルマは、隣接する大国の間で、紛争の種となってきた。インドは、中国が南西部からの輸出の出口をミャンマー経由の港に求めていることを、心配していた。昨年までに、北京とラングーンは、ミャンマー海岸に至る高速道路と水道管の利用に関する30年間の協定に合意した。
これこそハイウェイ計画の背景である。4月前半に、ミャンマーとタイ、インドは、ミャンマーを抜けて、インドのMorehから、タイの Mae Sotまで直通する三国間の高速道路計画に着いて、互いに協力すると発表した。ミャンマーとインド東海岸を結び港、Daweiも含まれている。数年前にメコン・デルタ協力機構がインドとインドシナ半島の国々で結成されたが、文化協力や観光、科学技術、教育、人的資源などで開始された。今や、このグループが重要な意味を持つほど、十分な規模のインフラ計画が着手され始めたわけだ。
省みれば、それは植民地時代の遺産、互いの結びつきが欠けている、という欠陥を振り払う賞賛すべき努力であった。すべての道はロンドンに通じる、というのが、アジアでもアフリカでも、どこでも見られた。アジアは互いを結びつける合理的な再設計に向けて歩みだしたのだ。
知識、戦略、貿易など、多極化した世界の建設に向けて、統合化は重要な一歩である。そこには確実な何かがある。アウンの無条件解放が、長年、停止していた多くの課題を動かし始めるだろう。100万人以上の人々がミャンマーで絶望から救い出される。エイズやヘロインが野放し状態である。「私達は前進しつづけたい」とアウンは述べ、アジア諸国がそれを支援するだろう。彼らすべてにとっての機会があるのだ。
WP Saturday, May 11, 2002
Why I Refuse to Fight for Sharon's Settlements
By David Zonsheine
私の両親は、国のために何でもしなさい、と私に教えた。イスラエルでその情熱を示すには軍務に就くことである。予備役としてヨルダン川西岸でいくつかの軍務を終えた今、国家と軍とは一つであり、国家は唯一で同一の存在だと信じることはできない。軍は国家の安全保障にとって不可欠のことを行っているという確信もあせた。一連の小さな出来事から、私は国家を守ることと関係ない命令に服していた。それらは狂信者と入植地を守るためだけに行われた。普通のパレスチナ人にとってカフカ的な管理体制を維持するためであった。
2年間の熟慮と幾晩もの眠れぬ夜を経て、私は、シオニズムが狂信者達による企てとは別のものである、という避けがたい結論に達した。シオニズムは占領やテロとは無関係である。それは国際的に承認されたユダヤ人のための母国を守ることであった。私の拒否を裏切りと見なす者もイスラエルにはいるだろう。しかし私はユダヤ人の基本的な価値やシオニズムの目標を裏切りはしない。占領を続けることがユダヤ国家の将来を損なうのだ。われわれは領土と正当性を、占領と民主主義を、選択しなければならない。
私の決意は深刻な社会的痛手を意味した。私は長年の友人を失った。イスラエル国防軍の教官として、私はクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段による政治である」という格言を教えてきた。私は、今まで以上に多くの人々が占領を支持していることを知っている。Passoverの虐殺や一連のテロがそれを強めたのだ。しかし、この作戦Operation Defensive Wallの後には何があるのか? 報復を成し遂げたが、大衆の怒りは噴出したが、道路封鎖、地区の遮断、移動禁止が常態となるだろう。それらがテロの動機となる。
もしシャロンが本当にテロを終わらせたいなら、占領地から軍隊を撤退させて、国境線を守るべきである。イスラエル政府が本気で占領地からの撤退を約束すれば、私は占領地域の軍務にも就いただろう。しかし、彼は2003年までに入植地について議論すると述べたにとどまる。それまで少数派の狂信者を保護するために軍隊が使われる。彼らはイスラエルの少数派であり、何百万人ものパレスチナ人の人権を踏みにじっている。私はイスラエルの長期的な安全を重視する愛国者であるからこそ、入植地のための戦争を受け入れない。それはイスラエルを弱体化する。
誤解して欲しくないが、私はイスラエルが脅かされるときには、真っ先に駆けつけて国を守る。
FT May 12 2002 May 12 2002
Editorial comment: US trade-offs
先週、上院で民主党の要求する労働者への手当てで妥協したことは、貿易促進法案を成功させる努力の一部でしかない。アメリカ議会の世代交代と冷戦終結は、自由貿易派の同盟を弱体化した。政党間の怨恨や中間選挙前の駆け引きが承認をますます難しくしている。しかし、ブッシュ氏は支持を訴える点で指導権を発揮せず、議会に論争を委ね、圧力団体の保護主義的要求に譲歩し、選挙区の事情に配慮する姿勢を示した点で批判されるべきだ。
特殊利益へのこうした措置はアメリカの貿易相手国を憤慨させ、巨額の農業補助金はアメリカの農産物自由化の主張をバカバカしいものにした。農業団体を下院に呼び入れたり、貧しい国からの織物・衣服の輸入を妨げるのを政府は助けたりした。上院では反ダンピング法に関する世界的交渉を妨害する圧力が強まっている。これらは昨年のWTOドーハ大会でアメリカが採った言動と矛盾する。
貿易促進法案は承認されるべきだ。それなしには国際会議でアメリカと話し合えない。しかし、議会がさまざまな形で政府の手を縛った形で交渉することには、他国が関心を示さないだろう。ブッシュ氏はその高い支持率を貿易促進法案の支持に利用しなければならない。
FT May 12 2002
A virulent new strain of crisis
Moises Naim
過去10年間、われわれは国内の金融事件が急速に他国に波及し、驚くべき軌道を描くことに、決まって驚かされた。今日、われわれは政治的事件もまた急速に国際的に波及し、同様に驚くべき軌跡を描くことに、一様に驚嘆している。
1998年にはロシアの金融危機がブラジル経済を破壊しかけたし、アル・カーイダやヒズボラがエクアドルで活動していることも驚きであった。タイ・バーツの切下げが国際金融危機の引き金となったように、1999年のシアトルで現れた反グローバリゼーション運動が世界中に同様の運動をもたらす可能性は高まるだろう。
国際政治の伝染は目新しいことではない。ギリシャの民主主義はもっとも成功した例であり、社会主義もある時期までそうであった。だが不幸にして、自爆テロに示される最近の国際的伝染は、より殺傷力を強めている。それは、一部の地域的な問題が国際的に散布される範囲とスピードが増したからだ。マレーシアでもインドネシアでも、イスラム教徒が多い東アジアの国では、アラブ・イスラエル紛争がかつて無い重要性を持っている。マクドナルドの店舗が広がるより、イスラム教の宗派が拡散することを心配している。
政治的伝染は、1990年代の金融的伝染と興味深い類似を示している。どちらも地域的な事件として発生し、波及は地理的な制約を無視している。チリは隣国アルゼンチンよりもアジアの危機に影響を受け、マンハッタンを襲った9月11日のテロは地球の反対側の事件から起きた。どちらも政策担当者や専門家の思考をますます支配しつつあるが、その結果に比べて国際社会の対応は遅すぎた。
国際社会が危機の波及を防げないのは、ある程度まで、その煽動者たちが国家ではない強力な影響力の主体であり、国境を迅速に越え、しばしば捉えられないからである。メキシコ、ロシア、韓国が崩壊したのは、政府が脆弱性を築き上るような政策を採ったからである。しかもその崩壊過程は、ヘッジ・ファンドや機関投資家、通貨トレーダーという、情報技術と金融システムにより途方も無い影響力を得た者たちによって加速され、輸出された。通貨トレーダーも狂信的テロリストも、グローバリゼーションを道具として力を得た。いかなる国家もまだ、彼らの攻撃から、その経済や国民を保護する技術も制度も持っていない。
「ホット・マネー」の予期せぬ行動から自国の経済を守るために、1990年代後半、「新しいグローバル・フィナンシャル・アーキテクチャー」が広く提唱された。同様に、「新しいグローバル・セキュリティー・アーキテクチャー」も要請されている。どちらも、世界の不安定性をその根元から断つには、途方も無い改革が必要なことを示唆している。IMFと世銀を合わせた世界中央銀行、国際破産法廷、国民国家再建レジーム、NATO改造、貧困との戦争。
しかし「新しいフィナンシャル・アーキテクチャー」の試みが教えることは、大規模な改革を説き、研究書と積み上げるのは、現実の改善に向けたスタートの仕方として間違っている、ということだ。世界の金融システムを強化するには、もっと小さな、地道で技術的な手段が有効であり、その多くには各国の新しい、より組織的な協力システムが伴う。そして情報の普及、潜在的な危険のサーベイランス、信頼できる早期警戒システム、迅速な予防措置、などが今では整備されている。
新しい安全保障アーキテクチャーは、コンテナ輸送システムの世界的な捜査体制以上のものであろう。確かに世界的な貧困撲滅作戦は、中間水準の諜報機関による国際協力体制よりも高潔である。しかし、後者の方が前者よりも、具体的な成果をもたらすだろう。
FT May 12 2002
No room for the intolerant
Quentin Peel
Pim Fortuynは「われわれはすでに一杯だ」と断言した。彼は冷酷で魅力的なポピュリストであり、伝統的なオランダの政治を「近親相姦の能力主義」だと非難した。彼は同性愛者であり、リベラルな社会的価値を信奉する。しかし、イスラム教徒にはリベラルでも寛容でもなく、「後進的であるbackward」として、オランダの寛容さを維持するため、直ちに移民を阻止すべきだと主張した。彼は、極右には珍しく反ユダヤ主義者ではないが、恥知らずな反移民論者だ。
移民への敵意は、ヨーロッパ全体に広がる問題である。伝統的な政党の側でも、すでに移民流入への規制を強化する政策転換を行ってきた。彼らはこれをさらに推し進めれば極右は抑え込めると信じている。しかし、この考えは実際的な理由で二重に間違っている。
移民の流入規制はヨーロッパ経済を破滅させる上に、規制は実行不可能である。人口変化を見れば分かるように、ユーロ圏の高齢化は急速に進んでいる。2015年には4人に一人、21世紀半ばには3人に一人が65歳以上になる。移民は問題を解決しないが、それを助ける。ヨーロッパは技術者だけでなく未熟練労働者も必要としている。移民を規制することは、ますます多くの必要な労働者を非合法化することになる。その結果、彼らは住民から蔑視される。ヨーロッパでは毎年30万から50万人、アメリカでは25万から30万人の移民が流入している。それを止めることは事実上不可能である。
ヨーロッパの指導者達は移民を歓迎し、極右の政治家達ではなく、移民たちの声を聞くべきである。完全な自由が難しいとしても、「管理された開放性」を目指すべきであろう。
NYT May 13, 2002
Credit Card Theft Thrives Online as Global Market
By MATT RICHTEL
(コメント)
クレジット・カード番号に関するネット上の泥棒市場が紹介されています。クレジット番号市場は需要と供給で決まる資本主義的取引の模範である、と参加者は言います。その規模は数十億ドルと言われていますが、Visaカードの年9000億ドルという取引規模に比べれば無視できるほどだ、と関係者は考えます。しかし、盗まれたカードによる取引は保険で守られても、カード会社の保険料はカードの手数料や金利に反映されて、結局、利用者に請求されます。報告された被害額はおそらく過小に評価されており、実際には数百億ドルかもしれません。現金を得るためにかつては武装して銀行に突っ込んだ犯罪者達が、今ではサーバー・コンピューターにハッキングします。取引に参加するのは主に旧ソビエト圏のロシアやウクライナ、アラブ地域、アジア地域、特にマレーシアなどであり、チャットには彼らの反アメリカ的発言が目立ちます。販売者の信用は、購入者の評価によってランキングされています。取引はネット上で決済され、ネット市場の所在は捜査を免れるために頻繁に変わります。VisaとFBIは協力して摘発しようとしますが、彼らが本当は誰であり、どこにいるのかは、容易につかめません。オデッサで、5月末に、彼らが第一回国際会議を開くようです。
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The Economist, May 4th 2002
Fallen idols
ビジネス界の指導者達がその台座から叩き落されるのは、ベルリンの壁が崩壊してから共産主義諸国の指導者達が打倒されるよりも早かった。WorldComのBernie Ebbers、Sotherby’sのDiana “DeDe” Brooks、さらに General Electricの Jack Welchでさえ、その評価は急激に地に落ちた。それは彼らの企業の株価がどの程度暴落したかを反映していると同時に、彼らの強欲さを反映してもいる。そして1990年代という、彼らが便乗した技術革新と強気市場の時代が、革命ではなく暴飲暴食であったと分かったのだ。
全能のビジネス・リーダーへの熱狂は、投資家達がe-ビシネスに我を忘れたことで加速された。企業会計は、かつて重要な投資の指針であったが、ニュー・エコノミーで起きている不思議な事態を正しく示せなかった。投資家達はしばしば株式市場の混乱の中で幻滅を味わった。1990年代後半のアメリカや80年代のイギリスのように。純真な投資家達は数字を見ずに、スターに惹かれた。その後、彼らは破滅した。
今回の幻滅の触媒はエンロンであった。その会計操作を理解していた者はほとんどいなかった。幹部達は、この企業が全く新しいインターネット・ゲームを切り開いた、と説明した。このゲームに参加すれば夢にも思わぬ豊かさが得られる。投資家達は、彼らを信用し、同様にウェルチも信用した。この過程は自己永続化する。スター達が企業の幹部になった。その逆ではない。自分を売り込む映画を作って、企業の幹部になればよい。Michael Armstrongは通信業界に革命を起こすアイデアがあるということでAT&Tの幹部になり、1400億ドルの損害を与えた。ヨーロッパでも、Vivendi UniverssalのLean-Marie Messier、ABBのPercy Barnevikらが英雄から強欲の盗人になった。
しかし、ビジネスの成功を崇拝する点でアメリカに勝る国は無い。またそれを打ちのめす点でも。英雄達の興隆を促したのは新しいメディアであった。CNBCや、Bloomberg、CNN Moneyなどが、彼らの顔をテレビの画像で流した。そして多くのビジネス雑誌も、紙面をWelchやBezos、Eliison、Ebbersなどの記事で満たした。そのコストは彼らの自惚れである。エンロンの没落は、投資家達にスター幹部の名声に賭けることは間違いであると教えた。彼らの強欲と虚偽に誰もが汚された。
会計の数字を改良することが必要だ。投資家達はより浮動的な、現実のリスクをより反映した数字に依拠して決定しなければならない。会計は単一の項目、例えば「利潤」だけに注目し過ぎてはいけない。単一項目への関心は会計操作の誘因となる。独立の第三者によって「公正」と見なされる会計を実際に行う必要がある。
学者やコンサルタントは、穏健で、控えめな人物が21世紀の企業経営に必要である、と示したいらしい。しかし、大企業の幹部は今やショー・ビジネスと同じだ。スターがいなくなれば、創り出す。彼らをこき下ろしても良いが、破滅させてはならない。また化粧し直せば、使えるかもしれないから。
Company accounts: Badly in need of repair
投資家の多くは、企業が帳簿をごまかしている、と信じている。会計書類は企業の財務状態を正しく示すはずだが、購入原価を示すだけで、将来の利益や子会社とのソフトウェア契約、ブランドの価値などは示さない。市場の価値や技術に対して株価が示す評価は、ますます帳簿上の価値とかけ離れて行く。重要な問題は、オフ・バランスシート取引だ。
会計上の数字はしばしば誤解を導くものである。オフ・バランスシートから、突然、損失が現れる。会社の帳簿を良く見せるための特殊子会社が存在することは、研究開発を担うために合理的な場合もあるが、債務やリスクをごまかしたり、株価を吊り上げるために利用されたりしている場合が多い。こうした多くの例は脚注に小さく載るだけで、誰もその意味を理解できない。大きな注文があったかのようにして、収益を大きく見積もるのは昔からある手だ。一つの方法は、現金の動きに注意することである。
問題はアメリカの会計基準にある。アメリカの会計基準は、細部が多すぎる上に、容易にごまかせるものになっている。株価が暴落した際に株主から訴えられた結果、会計事務所は詳しい会計基準で責任を逃れようとした。そして膨大な基準書が残ったのだ。アメリカの基準は民間の会計士で作るFASBが決めている。アメリカ以外では、基準が会社の「真実かつ公正な」価値を示すように、原則だけを示す。会計規則の変更は決して注目されていないが、企業に与える影響は大きく、激しいロビー活動の対象になる。そこで、会計原則を決める機関がこの圧力に逆らえるかどうかは、その法的資格と、財政的な独立性、そして企業行動や影響力行使における文化にかかっている。
例えば1993年に、FASBはストック・オプションを利潤ではなく支出に入れるよう提案した。しかし翌年、議会はFASBが規則を定める権限を奪うと脅して、この提案を取り下げさせた。結局、FASBはこれを注釈で書くことに変更した。FASBの問題処理委員会EITFは、株式保有者や公衆の利益を代表していない。それゆえ、特殊子会社の悪用がはびこる結果にもなった。
イギリスでは1980年代の混乱の後、民間企業も会計基準の改善を支持し、1990年に会計基準局ができて、オフ・バランスシートの不正撲滅に向けた宣戦布告を行った。これらが集まって、国際会計基準の制定が必要かもしれない。1973年に設立されたIASBはこの目的を掲げている。この基準は、欧州委員会が2000年にヨーロッパのすべての企業に2005年までの遵守を求めたことで、重要性が増した。年金制度への会計基準も改善が求められている。
こうした改善が進めば、企業の財務報告書は、将来、もっとずっと浮動的なものになるだろう。いくつかの影響力ある機関が、金融手段について原価よりも市場価格で表記することを提案している。年金制度の表記にも同じことが言える。企業会計に対する批判は、必然的にそのような結果をもたらす。将来のエンロン再発を防ぐには、会計が現実を反映するしかないのである。
Gold in Japan: Jitterbugs
日本にまだお金が渦巻いていた1989年に、政府は3000あまりの市町村にそれぞれ1億円を与えた。四国の港町、中土佐町では、52キロの金の鰹を作った。この像は、翌年、盗難にあった。10年以上を経て、再び日本人は金を貯えている。ただし、全く違う事情で。
今年の第1四半期、金の輸入が1年前に比べておよそ6倍、約41,000キロになった。顧客は札束を持ってやって来て、金塊を持って出て行く。金の先物市場も儲かる。金は、日本のぐらついた金融機関と経済に対して不安を抱く投資家達に避難所を提供しているのだ。10年も下げてきた株価を嫌い、増大する国債を心配し、過去の為替レートの変動を知っているから外貨建資産も買いたくない。そして何よりも、エンロン、アルゼンチン、マイカルなど、彼らはMMFで火傷したのだ。
しかし、最大の理由は銀行預金に対数政府の保証が4月1日で廃止されたことであろう。1000万円を越える預金には政府保証が無くなった。預金者は利子のつかない商品への投資を好まなかったが、大手の銀行預金は金利が0.001%に下げられ、預金の手数料の方が利子より大きいこともある。近頃では銀行が金を打っている。彼らも融資による利益よりも、金を売ることで1%の手数料を得る方が良いのだ。
金販売の増加は伝統的に日本の金融不安と重なっている。日本が金融不安を脱したと考える者が少ない以上、まだこの先も金は良く売れるだろう。