IPEの果樹園2002

今週のReview

4/22-4/27

編集委員会までの余った時間をどうしようか、と思い、図書館に入って『フォーサイト』4月号をパラパラ読みました。面白そうな記事がいろいろあります。中でもピーター・タスカは、宣言だけの小泉内閣が終わり、日本経済はますます危険な方向を目指す、と展望しています。私は日本人だからか? まだ、そこまで悲観できません。

小泉氏は改革を争点とした総選挙を行うべきでした。国民の選挙によって選ばれた首相ではなく、自民党総裁選挙と連立与党に指名された首相であったことが、小泉氏の政治力を根本的に損なった、と思います。むしろ改革の具体案を掲げて論争を指導し、総選挙に勝って、改革のための政策を進めるべきでした。国民に選択の機会を与えず、自民党の選挙基盤や派閥の議席数、官僚制度に依拠して、現状維持の政治を続けたという意味で、彼は国民の期待を裏切ったのです。

政治家だけでなく、一般に「先生」というのは、たいてい怪しい職業です。学校の先生も、医者、弁護士、会計士、その他、多くの人々が、専門知識とさまざまな資格や審査によって、特権的な地位を得ています。逆に、こうした特権を何らかの方法で維持している人々は、その根拠が何であれ、「先生」と呼ばれます。それゆえ彼らに共通の問題とは、「効き目」に関わらず、より高い報酬を得ていることです。

「品質」や「効き目」を厳密に定義する試みは、必ずしも成功しないでしょう。こうした職業は、本質的に、真偽が見分けにくく、定義そのものが悪用され、それが必要とする創造性や信頼関係を損なうからです。むしろ、コンペティション制度(プラスの競争)を促すほうが良いと思います。

NHK・BS23で伝える大統領選挙に向けた韓国の「政治改革」には、政治家たちが有権者を巻き込み、熱い論戦を展開していました。日本と比べて、政治に対する庶民の期待と改革のスピードに驚かされます。またNHK教育『人間ゆうゆう』では、森功氏が「理想の医療」を語っていました。特に、アメリカでの経験から、医療事故への対応について、医師たち自身による審査制度、医療ミスの自己申告、情報公開、説明責任、医療ミスに対する刑事罰の免除と再教育、そして、こうした優れた制度の普及には競争が重要である、と彼は主張しました。

日本の「先生」たちにも、第三者を加えた情報公開基準の決定と、先生たち自身による改善委員会、コンペティション制度、などが必要だと思います。そこには技術と政治・教育との違い、理科系と文科系の違い、差別化や競争原理をどう使うか? といった問題があるでしょう。資格が保証された世界と、厳しい競争の世界とを、単純に比較できるのか? とも思います。「先生」という職業への尊敬と批判とを組み合わせ、自己改革への圧力を促す仕組みを作ることが必要でしょう。

これは、制度を悪用する者が、改革を自分たちの排除であると理解して、制度そのものを崩壊させるような脅迫を行う点で、不良債権を抱えた銀行システムや、政治献金の改革と少し似ています。問題を解決するには、「競争による退出・排除」よりも、「コンペティションによる進出・賞賛」を積極的に促すべきでしょう。たとえば学生たちに、優秀者には特別な名誉とその成果や能力に関する具体的な推薦状を与え、同時に、自己責任の徹底と補習制度を充実させることで、その活力を取り戻してほしいと願うように。

選挙が有効に機能しない限り、日本の政治システムは、本当に困難な改革を指導できない、と思いました。

ただしFTFinancial Times, NYTNew York Times, WPWashington Post, LATLos Angeles Times, STStraits Times, IHTInternational Herald Tribune


WP Saturday, April 6, 2002

Deluded Bombers

By Ellen Goodman

イスラエルの朝のニュースが伝える。「午前8時。もうひとつ自爆攻撃がありました。」

いつから人間も兵器庫に並ぶようになったのか? われわれはパレスチナ人の自爆テロにもはや驚くこともない。22歳、18歳、23歳。若者たちが、祈りの場で、スーパーマーケットで、カフェで、彼らの肉体を吹き飛ばす。

4歳の子供は、「救急車」を、自爆テロの後、ばらばらの死体を集める車のこと、と言う。

イスラエル人は彼らをテロリストと呼び、パレスチナ人は彼らを殉教者と呼ぶ。この亡者の行進を賞賛し、激励する文化が、確かに存在する。しかし、私は自爆テロが何かを知っている。砕かれた家族は、爪のかけらや皮膚の跡を何年後でも大切にする。いつまでも後悔し、それを止めさせることができなかった、と苦悩する。

私は「殉教」を賞賛する言葉を信じない。たとえ母親が「私の息子は天国に行った」「殉教者となった息子を誇りに思う」と答えても、私はそのような言葉を信じない。

自爆テロに及んだ若者や家族を詳しく伝える一方で、われわれは彼らを自爆テロに走らせた大人たちに十分な注意を払わない。新聞は、まるで結婚式のように、自爆テロを持てはやす。彼らは英雄としてポスターになって病院に貼られている。

中東では、二人の老人が手を結んで、若者たちを殺し続ける。シャロンもアラファトも、私は等しく彼らを軽蔑する。

他国においても自爆テロが戦争の英雄となった。日本の神風特攻隊や、スリランカのタミールの虎たち。どのような部族にも、若者を危険にさらす習慣があった。しかし、次の世代を安価な武器に使う社会が、将来、繁栄することは無いだろう。


The Guardian, Tuesday April 9, 2002

World Bank to West Bank

George Monbiot

911日以後も、活動家たちの重要性は世界で示された。

イスラエル軍が侵攻した西岸では、二つの人間の盾が使われた。一つは、狙撃や自爆テロを防ぐためにイスラエル軍がパレスチナ人住民を人質に使った盾である。もう一つは、イスラエル人や外国人の国際平和運動活動家たちが、イスラエル軍の爆撃や住民虐殺を防ぐために、自らパレスチナ人の住居や戦闘地帯に入り込んでいることを示した人間の盾である。

ラマラからベツレヘムまで、こうして彼らは自分たちの命を危険にさらす。活動家たちは、反グローバリゼーションや反企業、反資本主義の集団と見なされたり、国際的な民主主義運動と見なされたりするが、基本的に無名の人々だ。彼らはイデオロギーではなく、必要に応じて集まってくる。新しい、危機対応型の、政治集団である。911日は、反グローバリゼーションの運動を、新しいマッカーシズムのように刈り取ったかに見えた。マスコミは彼らを何でも主張する孤立した連中と軽蔑していた。

しかし、彼らはこの若者たちに広がる真剣さを見損なっていたに過ぎない。この運動は政府や企業ほど長続きしない、と言うのも間違いであった。彼らは生き続けており、それが必要とされるところに再び出現したのだ。彼らは先月バルセロナに現れ、雇用法と公共部門への攻撃に反対していた。シアトルの運動家たちは、世界銀行でもヨルダン川西岸でも(World Bank and West Bank)同じ政治的領土を旅している。

彼らが単に移動する群集に過ぎないのであれば、それは無益どころか事態を悪化させるだけだろう。しかし、抗議活動は専門家たちの手によって効果的に組織されている。新しく到着する自発的な活動家たちは、長年、平和活動家たちが形成したネットワークに参加し、何をなすべきかを聞く。銃弾とブルドーザーが蹂躙する街で、平和運動には再び勇気がよみがえる。

彼らはイスラエル軍の攻撃にさらされた住宅に入って、攻撃すれば外国人を傷つけることを示して戦闘を停止させる。救急車に乗り込んで、けが人たちが少しでもイスラエル軍の検問に止められることが無いように、軍が暴行に及ばぬように見守る。食糧や医薬品を積んだトラックに乗り込み、供給を続けさせ、両者が少しでも戦闘以外の解決策を模索し、武器を下ろすように促す。彼らは、言わば、一種の国連のようなものである。

最も重要なことは、マスコミや国際機関も締め出された地域で、平和活動家たちだけがこの地の残虐行為に対する外国の証人である、ということだ。彼らは、イスラエル軍が言うことと違って、いかにパレスチナ人が家を出れば撃ち殺されたか、あるいは捕虜として人間の盾に使われたか、を証言する。軍隊による周到な人家の掃討と食糧備蓄の破壊を証言する。救急車や援助トラックが阻止され、壊されたかを証言する。328日には、ラマラ郊外で、女性と子供を標的にして殺すために兵士がジープでさらって行った。

西岸における運動は、世界の他の地域に展開する運動と有機的に結び付いている。彼らは常に実践的であり、ビルマにおける少数民族抑圧も、中国のチベット弾圧も、IMFによるアルゼンチン壊滅も、同様に批判する。彼らは、他のどこでもそうであるように、パレスチナにおいても、権力と、権力に苦しむ人々との間に、身を置くのだ。


FT April 10 2002

Editorial comment: Hands off the fiscal pump

ワシントンでよく言われた冗談に、IMFとは「いつでも財政赤字が問題It's Mostly Fiscal」の略語だ、というのがあった。

IMFは、一般に、新興市場で不況を脱しようと支出し過ぎた政府の混乱を収拾するために呼ばれた。その標準的な助言は、歳出削減、増税、そして二度と無駄遣いするな、であった。その教訓は、新興市場に比べて処罰がほとんどない形であったが、大国にも当てはめられた。

IMFは新しいWorld Economic Outlookで、最近の世界的な景気後退が、財政を持続可能な状態に戻すために行われてきた困難な作業の成果を投げ捨てる理由にならないことを注意している。財政政策は今も最善の不況対策では無い。幸いにも議会で滞っているアメリカ政府の減税策は、金利引下げが素晴らしい成果をあげた国に相応しくない。

アメリカ経済もEU経済もまだ不透明であるが、もし回復が消え失せれば、財政支出は増え、税収は落ち込む。EUの安定化協定が問題となることは明らかだ。また、財政の自動安定化機能は、課税や支出の大幅な裁量的変化を意味するものではない。そのような変更は時機を失し、景気変動を増幅して通貨政策を混乱させる。

財政政策を景気調整に使うのは、インフレ率と金利が異常な低水準にあり、通貨政策が効果を失っている場合だけである。アメリカもEUもそうではないし、日本でさえ財政的刺激策は解決をもたらさない。

アメリカの景気回復が明らかになるに連れて、その減税政策は全く無意味なものとなった。IMFはもっと明確に、アメリカ政府に減税策の中止を求めるべきだ。

(コメント)

ブッシュ政権が聞き入れるとも思えませんが、通貨危機前に忠告を聞き入れなかったタイ政府や、銀行の不良債権額を繰り返し疑われた日本政府を思い出します。IMFの助言は、政府に対してではなく、むしろ野党や民間団体、直接に民間銀行への助言として、有効に行えることが望ましいでしょう。


FT Apr 10 2002

Liberal imperialism is a dangerous temptation

Samuel Brittan

今、国際テロリズムに対する流行の処方箋は「リベラル・インペリアリズム(自由帝国主義)」である。その要素は三つだ。1.暴力は、意見を述べる他の手段がない貧しい者の唯一の武器である。2.世界の貧困を解消する最善の策は西側による援助計画、すなわち「新しいマーシャル・プラン」である。3.援助だけでは十分でない。世界は「破綻国家」に満ちており、こうした「国家の再建」に援助を有効に使うべきだ。

この見解は、19世紀の偉大な改革派、リチャード・コブデンがジョン・ブライト宛の手紙で述べた、それほど野心的ではないリベラリズムと対照的である。彼は、三つの点で慎重な姿勢を求めた。1.イギリスが外国の事情に関わることで増える心配。2.他国の人々の関心を制御することについての無知。3.自国内の事態を改善するよりも優れたことができるか、という不安。そのすべてが正しいとは言わないが、われわれもコブデンの姿勢に戻るべきであろう。

貧困だけでなく、急速に拡大する貧富の格差がテロリズムに関係する。しかし、貧富の格差は成長過程を進むことで解消できる。各国が自力で成長できないというのは間違いだ。援助は貧しい国の資源を、より小さな苦痛で、近代的な用途に利用するのを助ける。

しかし、たとえ政府が援助を増やしても、発展途上国では政治家や官僚が汚職にまみれ、軍事支出を増やすだけかもしれない。私は、貧しい人々や地域社会に直接援助することを好む。それには多くの民間団体がすでに関わっている。

私の最大の危惧は「国家建設」を支援することだ。確かに人権は国境を越えた問題であり、可能であれば、これを支援すべきだろう。しかし問題は、コブデンが言うように、こうした試みが自滅することだ。アフガニスタンは、さまざまな外部勢力に国家を再建された最悪のケースだ。The Cato Institute Gary Dempseyが指摘したように、「アメリカの安全にとって、アフガニスタンが多民族の民主的国家になる必要は無い。タリバンのようなテロリストを擁護する政府が誕生しなければ、それで十分だ。」

歴史が示すように、外相たちはあまりに安易に国際同盟や地域連携を唱えてきた。しかし私は、流行らないかもしれないが、マーガレット・サッチャーが述べた意見に賛成だ。「望みもしない同盟から離脱したがっている地域を止めても無駄だ。」しかし、彼女はスコットランドにもこれを適用すべきだったが。


NYT, April 10, 2002

Life Under Siege

By ALLEGRA PACHECOan Israeli lawyer who represents Palestinians in the West Bank

キリスト生誕の地。ベツレヘム。西岸? 先週、木曜の夜、私の家と同じ通りを下がったDheisheh 難民キャンプで、若い女性Jihad Abu Ajourが自宅で子供を生んだ。イスラエル軍は、救急車がキャンプに近づくことを許さなかった。Abu Ajourさんの赤ちゃんは正常な呼吸をしていなかった。何時間かして、やっと救急車が赤ちゃんを病院に連れて行ったが、彼はすぐに死んだ。その夜、外出禁止令と狙撃の恐怖にもかかわらず、赤ちゃんの二人の祖父と父親は、近くの墓地に彼を埋葬した。

4回ジュネーブ国際会議で承認された戦争法は、市民の居住地域における戦闘行為を厳しく禁じている。第二次大戦後になされた国際人権宣言が、自律、尊厳、正義、を保証しているにもかかわらず、パレスチナにおいては、毎日、市民が殺され、負傷し、人家が破壊され、水の供給も止まり、人権は認められない。

人権宣言を起草した一人、Eleanor Rooseveltは、人権が個人から、近隣、家庭、学校、彼らが働く工場や農場やオフィスから始まる、と述べた。「そこで人々は平等な正義、平等な機会、差別の無い尊厳を求める。」占領地において人権が無視されるなら、永続的な和平への希望はありえない。


WP Wednesday, April 10, 2002

More Crow, Please

By Robert J. Samuelson

私は1990年代のブームがもたらす憂鬱な結果を予言し続けてきた。われわれは騒ぎ過ぎた。消化不良は確実だ。不況は続く。なかなか回復しない、と。しかし、事実はそうでなかった。2001年後半にも経済は僅かに成長し、2002年の第1四半期に年率4〜5%の成長を実現した。雇用も増加に転じた。

そんなに悪くない。それでも私は悔い改めない。もっと多くのテロや中東紛争を期待しているのではない。大きなブームが残した多くの問題があるからだ。たとえば

     過剰消費:アメリカ人は貯蓄せず、借金と株を売って消費し続けている。

     過剰投資:膨大な過剰生産設備がある。連銀の工場稼働指数は1983年以来の最低水準である。通信設備部門では僅か55%。産業機械でも67%だ。

     株価の過大評価:S&P500社の株価収益(P/E)率は16もある。ブームの頂点では30代の後半にも達したが。

     利潤減少:商務省によれば、税引き前の企業利潤は2000年半ばのピークから約28%も減少した。

論理的には「酷い不況」を示している。問題はどれも強め合うだろう。株価下落。消費削減。利潤圧縮。投資減少。株価下落。回復には時間がかかる。消費者は貯蓄しなければならない。企業は工場や商店、オフィスを閉じる。株価は合理的な水準まで下がる。ヨーロッパと日本は、世界経済の30%を占めているから、危険を増幅する。

昨年の夏以降、経済はこのシナリオを進んだ。しかし、消費は減少しなかった。ブッシュ政権は減税した。住宅ブームが起きた。911日以降も、原油や天然ガス、電力の価格は低下し、消費を支えた。これらの3要素(減税・住宅価格上昇・エネルギー価格低下)はGDPの約2%に等しい。最後に、商店は競ってバーゲンを行った。アメリカ人はバーゲンに弱い。

私の予測が間違っていた、というのは良いことだ。もしこのまま間違い続ければ、もっと良いことである。しかし私は今でも回復を疑っている。原油価格は上昇し始め、住宅価格は下落し、低利潤や過剰設備は持ち越されている。利潤を回復するには、工場閉鎖とレイオフが必要だ。

たとえ嫌でも、経済の論理は残される。大きなブームのもたらす悪い結果がすべて解消されたとは思えない。しかし、事実は拡大を示している。それが続く限り、私はカラスを食べ続ける(我慢して嫌なことでもする=悲観論を唱える)。


NYT/IHT Saturday, April 13, 2002

Bulldozing Mideast hope 

IHT Saturday, April 13, 2002

Why Powell will fail  

Henry Siegman a senior fellow on the Middle East at the Council on Foreign Relations

永続的な平和への道は、パレスチナ国家を築いて、イスラエルとパレスチナが相互に繁栄のための協力を拡大することである。アラファトはテロリストの一掃に100%努力することを条件に、イスラエル軍が破壊した政府施設を修復するため、アメリカ政府が援助を与える。イスラエル軍は1967年の国境線へ戻って、すべての占領地や入植地を放棄する。

パウエル国務長官にもそれは分かっている。しかしブッシュ氏がそれを許す見込みは無い。だから、パウエルの和平工作は失敗するのである。


Bloomberg 04/14 12:06

Perhaps a Lesson for Venezuela's Chavez

By David DeRosa

ヴェネズエラのヒューゴー・チャベスは、金曜日のクーデタ失敗により、二日で大統領に復帰した。宮殿に帰ったチェベスは、涙ながらに「平和、冷静、理性、団結」を唱えた。

民主主義は、選挙で選ばれた代表が任期を勤めることを支持する。しかしラテン・アメリカには、私がエクアドル症候群と呼ぶ混乱した政治様式が存在する。20001月に、エクアドルの大統領Jamil Mahuadが文字通り群集mobによって権力を奪われた。Mahuadはチリ大使館に避難し、そのまま権力に復帰しなかった。その二年前にも、エクアドル議会はもう一人の大統領Abdala Bucaramを追放した。

抗議デモの波がFernando de La Rua大統領を辞任に追い込んだとき、アルゼンチンにもこの病気が広がった。そしてde La Ruaの後任である二人の大統領も、数日で群集に辞めさせられた。それは金曜日にヴェネズエラを襲ったように見えた。しかしチャベスが大統領に復帰したことで、群集による選挙の無効化にも限界があることが示された。

私的財産を奪った誇大妄想の独裁者であるチャベスの復帰を、民主主義の名で祝う気持ちにはなれない。そこにはアルゼンチンのde La Rua大統領と共通するものがある。大衆の抗議に火を付けたのは彼らの私的所有権に対する侵害であった。財産を奪われた群集が通りで鍋を叩いて大統領の辞任を求めたとしても、全く不健全であるとは言えないだろう。

チャベスも効率的に富を使用しない所有者たちから私的資産を奪う広範な権力を自らに与えた。それは上流階級に受け入れられず、中流にも見放され、彼の権力基盤であった貧困層でも支持を減らしていた。デ・ラ・ルーアの所有権侵害とは、銀行預金の凍結であった。ここに得られるラテン・アメリカの諸政府に対するメッセージとは、「民衆の富に、銀行預金に、手を出すな。さもないと群集の怒りが爆発する。」である。

結局のところ、ヴェネズエラで民主主義が維持されたのは良いことだった。しかし、それがチェベスに握られているのは悪いことだ。彼が本気で、平和、冷静、理性、団結を望んでいるのか?

チャベスの追放劇はアメリカ政府やCIAの陰謀であったと言われるに違いない。サダム・フセインは既にパレスチナを支持して30日間の石油輸出停止を決めている。そこでアメリカは中東の同盟国に増産を求め、チャベスの反米政府を追放しようとしたのだ、と。

私は陰謀説など信じていない。しかし、金曜日に伝えられたニュースに喜んだことは認めねばならない。ヴェネズエラはキューバへの石油輸出を停止した、という。少なくとも、大統領に復帰したチャベスの最初の行為は、国営企業のヴェネズエラ石油の、彼が最近指名した経営幹部たちの辞任を認めたことだった。


FT Apr 15 2002

Depreciate the yen

Allan Meltzer

世界経済が回復する中で、世界第二の経済規模をもつ日本は遅れている。10年以上も低成長と不況を繰り返しながら、日本の官僚たちは互いに聞く耳をもたない。日銀は政府に金融システムの改革を求め、商業銀行のバランス・シートから不良債権を取り除くように求める。それができなければ、金融緩和しても融資は増えない、と言う。これに対して政府は一層の量的緩和を求めている。

外部や前職の専門家たちは、日銀に外国為替を購入するよう求めてきた。しかし日銀の運営委員会はいろいろな理由でこれを拒んでいる。日銀は定期的に外国為替を購入したが、その金融緩和効果を相殺するために他の資産を売却している。

この間違った政策が日本の不況を長引かせ、深刻にしてきた。日本は数年前からデフレに苦しんでいる。日銀が供給した貨幣を人々が保有するからデフレは起きる。大衆は貨幣を印刷できないが、デフレは貨幣の購買力を高める。住宅や株式はピークの半分から60%まで下がったが、回復力は乏しく、貨幣で持つことが安全な選択である。

デフレとは、日本の為替レートが過大評価され、製造部門が「空洞化」していることに市場が反応したものである。市場は為替レートの実質価値に関心を払う。アジアとアメリカとヨーロッパと日本で、同じ物を買うコストを比較する。外国資産の購入を中立化し、貨幣増加率を低く抑えることで、日銀は物価や賃金を下落させ、輸出財の価格が外国と同じ実質コストになるまで調整している。しかし、賃金や物価を下げるのは時間がかかる一方で、円の減価によれば同じ結果を迅速に達成できるだろう。

外国為替の購入に反対する主要な理由は、日本が失業と不況を輸出する、という1930年代の「近隣窮乏化」政策批判である。これはまったく真実ではない。市場はいずれにせよ日本の物価を調整しなければならない。もし円の減価が日本の財とサービスにかかるコストを実質的に下げなければ。デフレは続くだろう。自国の物価を継続的に下げなければ、日本の貿易相手国は競争力を失っていることに気付く。

貨幣供給をより急速に増加させれば、国内でも海外でも、経済成長がよみがえって拡大への刺激となる。日本のコストや物価が低下することを批判し、同時に、日本の所得増が輸入を増やすことを無視するのは、間違いである。日本は生産と輸入を増やすことでアジアやその他の経済の成長に貢献する。それは失業ではなく、成長と雇用を輸出する。

戦後の大部分において、円の減価は必要なく、考えられないことであった。日本の生産性上昇率はヨーロッパやアメリカよりも高く、自動車でも電化製品でも、日本の生産者は競争力を高めてきた。円の増価が、その効果を他国に対して緩和した。しかし、日本の不況と低成長、アメリカの高い生産性の伸びは、この関係を変えてしまった。1990年代のアメリカの競争力改善は、ドル高によって多くの国で緩和されたが、日本ではそうなっていない。アメリカの高い生産性を相殺するほど円が減価しなかったからだ。

政府からの圧力で、日銀は最近、商業銀行の準備を貨幣の洪水で増やしたが、企業が借りたくない以上、融資は増えなかった。貨幣は銀行に累積し、実体の無い金融緩和の幻想が振り撒かれた。通貨政策は長期と短期や内外の資産間で相対価格を変化させる。財務省と日銀は不胎化介入を止めて、デフレが終わるまで貨幣供給を増やし続けるべきだ。

金融システムの改革は重要であるが、力強い成長が日本にとっても世界にとっても重要である。日銀は、景気回復を、政府に金融改革を求める人質にすべきではない。


The Guardian, Monday April 15, 2002

The Burnley offensive

Gary Younge

トランス・ペニン急行列車でBurnley から Bradfordまで、かつての良き日々をたどって1時間の旅をするのは、寂しくもあり、楽しくもある。緑の中に点在する煙突は、ここがかつては産業革命の主要な動脈であったことを物語る。帝国に生気を与え、世界中で富と極貧を生み出した。

しかし今では、動脈硬化よりもひどい。工場は閉鎖され、産業は失われた。ここに残されたものは、イギリス経済の不安定さ、歴史的な衰退を示す象徴であり、そしておそらく、民族的、政治的な疎外が根を張っている。

ランカシャーとヨークシャーをつなぐこの断層に、イギリス国民党(BNP)は来る地方選挙で議席獲得の最有力機会があると見ている。ロンドンの幾つかの選挙区を除けば、昨年の人種暴動に覆われた街こそ彼らの獲物である。

Burnleyには13人の候補を立て、政治過程に入り込んで尊敬を得ることを望んでいる。労働党のように主に電話で選挙運動するのではなく、BNPはスーツを着て一軒一軒を回る。彼らは選挙区の名簿を持っており、その氏名から有権者を選別できる。最初は公共住宅の配分を嘆き、老人たちが排除されていると文句を言う。その後、やっと、この国からイスラム教徒を追い出して住宅の不足を解消するという約束をする。彼らの選挙キャンペーンは、白人の優位を説くのではなく、白人文化の固有性を守ることを目指している。

メディアを使った巧妙な宣伝がヨーロッパ中で成果を上げている。イタリア、オーストリア、デンマークで、極右政党が政権に参加し、オランダ、ベルギー、フランスでも権力に近づいている。BNPの浸透作戦も成果を生むところにまで来た。彼らの指導者たちは人種問題の解説者として登場する。黒人系の雑誌までBNP指導者Nick Griffinの論説を載せた。「BNPの大衆路線は、白人だけの文化を懐かしむ政策で、基本的に内向きの、防衛的、孤立主義的なものであるが、国民的な議論に拡大しつつあるから」という理由からだ。

彼らにこうした発言の場を与えることは、民主的な政治に組み込むというより、むしろ逆である。彼らを今まで追いやってきた政治過程の中で、こうして彼らは公認されていく。彼らの役割を過大評価するのも間違いであるが、彼らこそ暴力と人種憎悪を確信した人々に率いられた、エスニック集団を攻撃する政党なのである。

彼らが政治に参加することでヨーロッパのほとんどの政治文化が、水道水の中に砒素を混ぜたように、その偏執狂に全過程を冒された。

BNPを敗退させるには、その興隆の原因を知らねばならない。その理由は複雑で、さまざまである。昨年の春にBradfordOldhamBurnleyで起きた人種暴動は、同じように理解されてきた。しかし実際は、それぞれの状況は異なっていた。Bradfordでは、BNPの活動がRavenscliffe に限定されていたが、Burnleyでは全市に及んだ。しかし、三つの都市に共通するのは、パキスタン・バングラデッシュ系の住民が白人と隔離された生活を送っていたことだ。どの街でも産業が衰退し、慢性的に政治的な不満があった。

それぞれの民族が深刻な疎外感を持ち、かつては少数の雇用主、組合、地域意識に支配されていた街が柱を失った。「ブラッドフォードとは何か?」と白人の若者は問う。「産業は無く、地域もばらばらだ。何かまともなことがしたければリーズに行くしかない。」もしDavid Blunkett内務大臣が市民階級について真剣に憂慮しているなら、まずこの地域の白人労働者たちに何かしなければならない。彼らは誰からも見捨てられたと感じている。

「左派は極右との戦いを受けて立つべきだ。厳しい論争を避けてはいけない。」と言うBlunkettの姿勢は正しい。なぜなら労働党は見捨てられたと感じている人々に支持者を見出しているから。次の地方選挙は、われわれの多民族社会が持続できるかだけでなく、われわれの政治文化と政治的階級のモラルを問うことになる。

The Economist, April 6th 2002