IPEの果樹園2002
今週のReview
3/4-3/9
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先週のReviewについて話し合いながら、百万遍の梁山泊に本を取りに行きました。保護主義や失業問題について言及される制度的なアプローチを、日本の不況にも当てはめられるのではないか、と私は言いました。
なぜ大阪の環状線に乗ると、あれほど多くの高層ビルが建築中なのだろうか? と、私は不思議に思います。眼下には密集と混沌、空き家、空き地、公園や駅構内に目立つホームレスの人たちが居ます。しかし疑う余地無く、私の眼前には、映画のワン・シーンのように鋭利な近未来のスカイラインが広がっています。
もし不況が土地や資本、労働力など、生産資源の再配分を促すことで、社会全体の効率性を高めているとしたら、大阪はこの「創造的破壊」を押し進めているように見えます。これは出口の無い停滞を意味する不況なのでしょうか? 企業の整理や土地の売却、労働者の移動は起きているでしょう。倒産した会社よりも新規に顧客を開拓できた会社の方が資源の利用や製品・サービスの供給において効率的であり、吐き出された土地や労働者よりも新規に雇用される労働者の方がより生産的に社会的な富を増やすから、私たちは社会全体で利益を受けていると理解し、この再編の苦しみに感謝し声援を送るべきでしょう。
保護主義を求める声は、自由化と不況によって高まります。貿易自由化は、必ずしも輸入によって生産を脅かされる企業ばかりでなく、輸出拡大で潤う企業も増やします。しかし通常、儲けた人たちは沈黙します。他方、倒産に瀕した企業や失業に直面する労働者たちは絶叫します。それゆえ貿易自由化は、補償メカニズム無しには政治的に維持不可能です。しかし補償メカニズムがあったとしても、失業者は賃金決定に参加せず、組織された労働者たちは賃金水準を低下させることに当然ながら抵抗します。それゆえ競争的な企業が活発に拡大できないような経済では、社会全体の賃金水準が失業者を十分吸収できるほど下がりません。
日本を動かすのは、単なる補償メカニズムや競争の排除ではなく、むしろ「敗者の政治学」です。成長期の旧政治家たちは、敗者の苦しみに取り入って補助金や所得再分配を行い、延命させることで、自分の政治的価値を高められると確信しています。しかし成長の再分配ができない今、こうした旧政治家たちに私たちは頼るべきではなかったのです。
過去の債務や不良債権処理ではなく、前向きの投資や雇用拡大に、もっと社会的な資源を振り向けてほしいです。銀行も企業も、競争的に、処理と資源配分の効率化に取り組むことを支援すべきでしょう。そのための原則とは、1.過去の利益団体と結び付いた旧政治家を拒み、2.資源の移転コストを社会的に分担し、3.外国資本による金融や製造業への投資を積極的に受け入れることです。
金融不安に対応して、信用組合や信用金庫が次々に解散しています。地域の企業同士で融資を保証し合うコミュニティー・ファイナンスがNHK「クローズアップ現代」で紹介されました。ニュース23では、日本が金融危機まであと15分か? 8分か? あるいは5分と少しか? を話し合っています。また、フィールズ氏は、これほど日本の経済運営を失敗した政党が10年経ってもまだ政権を握っていることがおかしいですね、と釘を刺しました。日本の政治システムは、それでも、多くの歩く死体たちに、われわれから輸血する政策を続けています。
いっそ私たちは日本の現在を、アルゼンチンではなく、パレスチナやジンバブエなどに比較したほうが良いのでしょうか?
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New York Times, February 22, 2002
The W Scenario
By PAUL KRUGMAN
凱旋パレードが最初に来て、その後で、われわれは本当に勝利したのか? と思う。勝利には経済的な側面がある。景気回復を示す証拠はあるが、決して信用してはいけない。
失業保険の申請は減った。それはレイ・オフされた労働者が減ったことを示すが、彼らが新しい職場で雇用されたわけではない。工業生産は安定した。それは企業が2001年に抱えていた過剰在庫を削減したことを意味するが、売れ行きが伸びたことを意味しない。
経済学者が「最終需要」と呼ぶものが実質的に増加し、労働者たちが再雇用されなければ、本当の景気回復は来ない。どこからそれは来るのか?
この不況はいつもの不況ではない。不況でも消費は減っておらず、それゆえ、消費者需要の回復が景気を立ち直らせることはないだろう。不況をもたらしたのは、企業の支出が激減したことであり、それはバブル期の過剰投資に気付いたからである。企業がすぐに支出を再開する証拠はまるで無い。たとえしたくても、エンロン・スキャンダルに怯える銀行や金融市場が資金を出さない。
唯一の明白な景気回復への推進力は、政府の軍事支出急増に見られる。結局、無益な軍備に支出されても、少なくともしばらくは雇用が増える。日本は橋を作って(無益な公共投資で)失敗したが、ブッシュ政権はF-22戦闘機やクルセーダー・システムを購入する。
これに対して、少なくとも、経済を悪化させる三つの重要な作用を指摘できる。
1.失業者。:アメリカの失業者数は安定しているが、その苦痛は増している。失業の期間は数週間から数ヶ月に延びており、失業保険からはずされる。こうした中で、消費者はいつまで強気で居られるか?
2.地方政府。:ペンタゴンは何でも欲しいものを得たが、その半面、州や地方の政府は多くを失った。彼らは支出を削減し、公務員を解雇し、増税さえしている。
3.47歳。:聞いたことも無いだろうが、その内、聞く。
ブッシュ政権は300ドルの戻し税を支払う際に、当初予定されていなかった減税を民主党に要求されたのを良いことに、この支出は戻し税ではなく、単に将来の税金を先取りしたのだ、と格好をつけた。多くの納税者にこれが意味することは、1040年代に彼らが47歳を超えていれば、思っていたより300ドル多い税金を支払うことになる、というものだ。
昨年、経済を刺激したブッシュ減税が、剥ぎ取られるのだ。その直接の通貨的影響も重要だが、納税者がだまされたと悟ったときの心理的な影響はさらに大きいだろう。バブルの時代にも「ニュー・エコノミー」論を疑い続けた点で、素晴らしい功績を上げたMorgan Stanley のStephen Roachは、アメリカが「W型の」もしくは「二番底の」不況に向かっている、と考える。
唯一つ明らかなことは、勝利を宣言するには早すぎる、ということだ。
Washington Post, Friday, February 22, 2002; Page A24
Mr. Sharon's War
イスラエルとパレスチナとの流血はエスカレートし、待ち伏せ攻撃、爆撃、テロリスト狩り、空爆が続いた。月曜日から昨夜までに、約50名が殺害された。一つだけはっきりしたことがある。イスラエルのシャロン首相が行った暴力終結戦略は失敗した、ということだ。1年前、タカ派の首相は就任時に、西岸とガザ地区における彼の攻撃的な軍事作戦と、パレスチナ人との暫定的な政治合意で、イスラエル人の生命に及ぶ脅威を終結させる、と約束した。実際には、逆に、事態を悪化させたのだ。
ブッシュ政権が支持を強めたことで、シャロン氏はアラファトとパレスチナ自治政府を非難した。実際、アラファトには多くの責任がある。しかし、シャロンの戦術は悪循環を招いた。パレスチナ人による攻撃があるたびに、シャロンは報復を拡大し、さらに大きな流血を促した。このたった2日間でも、彼の軍隊は少なくとも15名のパレスチナ人を殺害した。戦闘が小康状態に達しても、シャロン氏はしばしば先に戦闘を再開した。12月と1月初めの3週間に、アラファトの停戦の呼びかけに応じて、パレスチナ人がほぼすべての戦闘行為を停止したときも、イスラエル軍は多くのパレスチナ人を殺したのだ。
シャロン氏のもっとも破滅的な振る舞いは、イスラエル軍がテロリストだけでなく、イスラエルやブッシュ政権が過激派民兵の鎮圧に協力を求めるパレスチナ自治政府の施設や警察を爆撃したことだ。最近殺害されたパレスチナ人には、二人の自爆テロ未遂者が含まれるが、多くのパレスチナ警察官も含まれている。テロとの戦争を口実に、イスラエルはパレスチナのラジオ放送局を爆撃し、パレスチナの空港滑走路をブルドーザーで破壊し、ほとんどの警察署を破壊した。昨日、シャロン氏の軍隊はアラファトが捕らえられているラマラの建物にミサイルを撃ちこんだ。
イスラエルの安全が脅かされていることは誰もが認めている。二人の自爆テロを防げたことで、多くの市民が助かっただろう。しかし、シャロン氏の採る手段は組織的にパレスチナ自治政府を弱め、暴力に反対する穏健派がアラファトや治安担当者に影響を及ぼすことを不可能にした。他方、ブッシュ政権は、和平プロセスを進めるためにはアラファトが最初にすべての暴力行為を停止しなければならない、という主張に囚われて、イスラエルの戦車や戦闘機による報復を受け入れている。アラファトはイスラエル閣僚の暗殺に関わった3名の容疑者を逮捕する要求に応えて、和平を再開しようと呼びかけた。しかし、シャロン氏はパレスチナの非武装化を要求し、和平プロセスの前に「鎮圧」を求めた。
彼の戦術は沈静化も平和ももたらさない。戦争が激しくなるばかりである。
Financial Times, Sunday Feb 24 2002
Bush challenges Beijing to reform society
By Richard Wolffe and James Kynge in Beijing
(コメント)
アフガニスタンでは肉食恐竜に見えたアメリカも、中国ではハト派になります。ブッシュ氏は中国政府に「一つの中国」を認めましたが、台湾を軍事的な侵略から守ることも強調しました。中国政府にミサイルの輸出を止めることで合意できませんでしたが、ミサイル防衛網をアメリカとその同盟諸国を守るために独自に築くことも主張しました。
ブッシュ氏の中国訪問は、両政府の考え方や文化の違いを明確にしました。ブッシュ氏は、WTO加盟によって中国社会が大きく変わるだろう、と宣言しました。そして、自ら民主的な制度や法律を整備するように求めました。国営TVで生放送されている大学生たちとの討論会で、ブッシュ氏は中国の教科書を、アメリカ人の生活を誤解させる、と批判しました。
「私の友人の中国大使は、国定教科書に、アメリカ人が『弱い者をいじめ、貧しい者を抑圧する』と書いてある、と言いました。また他の教科書には、FBIの特殊部隊が『労働者たちを弾圧する』とも書いてあるようです。」「どちらも真実ではありません。こうした教科書が以前の時代から持ち越されているとしても、それは誤解を生み、有害です。」
ブッシュ氏は、アメリカ人の生活が示すように、「法に守られた自由を怖れるべきではなく、自由な社会では意見の違いも無秩序ではない。論争は喧嘩ではなく、政府への批判も革命ではない」と訴えました。
二つの革命の国が、互いに理想を闘わせることは良いことです。そして互いに武力を抑制するように求めることは、さらに良いことだと思います。ブッシュ氏の訪問が「悪の枢軸」討伐宣言で終わらなかったことを歓迎したいです。
International Herald Tribune/ Los Angeles Times, Saturday, February 23, 2002
What future for China if it can't compete globally?
William Pfaff
ブッシュ氏は、中国のWTO加盟は「経済的自由と法の支配を中国において強めるだろう」と述べた。これはアメリカの正統的な考え方である。しかし、アメリカが外交的にどのような表現を用いようと、中国政府は自分たちがアメリカに挑戦する国であることをよく知っている。だから、今のアメリカの中央アジアにおける軍事拠点拡大の動きも、彼らは不信の眼で見ている。
中国がWTOに加盟したのも、民主主義のためではなく、工業を近代化して国際競争力を得るためである。しかし、それは失望に終わるだろう。
中国は、経済の自由化を進めた1980年代の初めから、日本や韓国のように、国内市場を保護して国営企業を育てて、アメリカやヨーロッパの企業と競争し、勝つことを目指して、産業政策を採用した。しかし関税や非関税障壁、政府購入や優遇された融資、株式市場における外資への特権的開放などを通じて、政府が育成した産業は、どれも失敗した。WTOによって世界的な競争にさらされれば、中国市場で育成された国営企業は生き残れないだろう。
平和的な民主化も困難に直面する。共産党は新しい権力の正当性をマルクス主義や毛沢東主義ではなく、産業界に求めようとしている。江沢民主席への忠誠は、イデオロギーではなく、もはや利益である。産業指導者の5分の1がすでに共産党員である。他方、労働者や農民の共産党組織率は低下している。
内国移民と社会的な移動性の増大は、共産党体制の旧来の概念を完全な時代錯誤にしてしまった。党の支配とは、今や、エリートと権威主義による支配となり、先例だけが支配している。
Financial Times, Monday Feb 25 2002
Editorial comment: Caught in a steel trap
ブッシュ大統領は逃れようのないジレンマに直面している。衰退するアメリカ鉄鋼産業に対して何をなすべきか? 彼には三つの選択肢がある。望みどおりに貿易保護措置を与える。過去の健康保険のコストを肩代わりする。何もせずに弱い生産者から倒産させる。
最後の選択肢は、当然、緩和されるだろう。ブッシュ氏は強力な鉄鋼ロビーを怒らせることなど政治的にできない。議会や旧工業地帯の州で選挙に重要な影響が出る。そこで問題は、どのように救済し、誰が負担するか、である。
貿易障壁を設けて他の世界にコストを押し付ける誘惑は非常に強い。景気が後退し、減税や支出増加で財政赤字が急速に迫っているときに、210億ドルの保健費用を支出することは困難である。
しかし、国際貿易局が提言したような40%もの関税を課すことは、決してコストを免れるものではない。鉄鋼利用者に追加コストを負わせてアメリカ経済を損ない、国際的な反発が直ちにアメリカに影響する。
保護主義の連鎖反応をもたらすことに加えて、EUがアメリカからの輸入財に報復する危険がある。EUは直ちに、アメリカの法人税法に関する係争に勝利した結果として、そうする権利を付与されるだろう。
いずれにせよ、関税引き上げは短期的な解決でしかない。30年間も関税を繰り返したが、アメリカ鉄鋼産業の基本問題は解決できなかった。時代遅れの生産設備、高コスト、ばらばらな構造、労使関係のまずさ。唯一の生き残り策は、縮小と整理統合化、合併である。しかし、こうした策は生産者たちが破滅的な健康保険負担を続けるうちは実現しない。
その障害を取り除き、企業経営に市場の圧力を加えることが、ブッシュ氏の最優先事項である。それを達成することはコストがかかり、リスクもともなう。航空産業への150億ドルの救済融資に続けて、また、鉄鋼業界に巨額の救済案を出すようでは、他の産業からも同様の金品を要求されるだろう。
しかし、最小悪を選択する他には、最善の策など無い。ブッシュ氏は政治の罠にはまっている。これはアメリカ製であり、いくらかは自分にも責任がある。それゆえ逃げ道を国外に求めてはならない。
Bloomberg, 02/24 10:27
Calpers Sells Its S.E. Asia Investments
By David DeRosa
カリフォルニア公務員退職制度(Calpers)が、マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピンで資産を売却している。透明性が無く、政治的に不安定で、労働基準が低いから、ということだ。では、1510億ドルの資産を運用するCalpersが、ここ数年してきたことは何だったのか? そんな問題はこの地域にずっと存在したはずだ。
マレーシアの国民経済行動会議はCalpersの決定による損害を抑えるために、直ちに発言した。他の投資家はこの決定に追随しないだろう、と。さらに、会議は事実上、Calpersを「新参者」扱いした。新参のCalpersは、マレーシアのような東南アジアの投資価値を正しく判断できないのだ、と。しかし問題は、その価格が安いか高いかではない。価格を考慮する以前の問題なのだ。マレーシアは、これはお買い得だ、と言っているに過ぎない。
Calpersは、投資判断を正当化するために、政治的な後知恵を使う。新しい投資基準では、労働法やその他の社会要因を、他の伝統的投資基準と同様に重視するようになった、と言う。これは、公務員年金基金の投資が、政治的な制度の是正を求める時代になったことを意味するのか?
しかしCalpersが、どんな国家は良くて、どんな国家は悪いかを決めるようになったら、あなたの年金基金は深刻なリスクにさらされる。Calpersはその判断を世界に押し付けてきたのか? この世界判事は、他の新興市場について何を考えるか?
Calpersはポーランド、ハンガリーに投資を増やしつつある。アルゼンチンやブラジル、チリ、チェコ、メキシコ、イスラエル、ペルー、南アフリカ、韓国、台湾、そしてトルコを、投資対象国のリストに上げている。
さあ、これで素晴らしい投資先リストができた。Calpersは、こうした国には透明性の欠如や政治的不安定性、労働者の不当な扱いは無いというのか? そんなバカな! もう少し懐疑的になれば、投資を承認する基準は別にありそうだ。これらの国には、台湾と韓国を除いて、太平洋岸の国は含まれない。また彼らの輸出が直接にカリフォルニアの輸出を脅かすことも無い。これが理由ではないか?
Straits Times, FEB 25, 2002 MON
Japanese economy facing day of reckoning
By LIM SAY BOON
3月の年度末になれば日経平均が上昇するのは予想されたことである。皮肉な見方がまた証明されただけだ。日本政府は再び旧式の彌縫策に走り、株価を吊り上げて経済をこね回すだろう。
しかし、こんなことを続けられるのか? 10年も続けた結果、彌縫策は次第に効果を失ってきた。アメリカのブッシュ大統領が日本の小泉首相と話し合ったのも「改革について」であったはずだ。だが実際に何をするか、となると、もう違っている。
日本政府がしたことは、今年中に2兆円、その翼年にはもう2兆円まで政府が保証して借り入れることのできる株式の共同購入基金を設立したことであった。2兆円と言うのは日本の株式総額の1.4%に当る。他からの資金も加えて、上手く行けば、3月の株価は上昇し、問題のある銀行を延命できるだろう。
しかし、困難は増すばかりだ。日本の銀行は4月から、預金の全額保証が無くなり、同時に、資産を時価評価しなければならない。資産が減れば融資を減らすしかなく、それは連鎖的に銀行を悪化させる危険がある。そして国民の銀行に対する信頼がさらに失われる。
もちろん政府は銀行システムを救済するために税金を使うこともできる。理論的には。しかし、すでにGDPの130〜140%も債務を負っている日本政府が、円建て国債の格付けをチリやポーランド、南アフリカ並みに引き下げられている中で、財政的に銀行を支援するには、よほど賢明でありたいと思うだろう。しかも名目GDPの減少で、債務のGDP比率は自動的に上昇する。国民の多くはまだ快適に暮らしているが、破産や失業は毎月のように増加している。
銀行システムの改革には明白な答えがある。政府が銀行に債務企業の処理を急がせることである。それは経済の過剰生産力を削減し、弱小企業を一掃し、資金を生き残った企業に集中できる。まじめに銀行システムの債務を処理すれば、その費用は少なくとも100兆円に達するだろう。政府にはそのような資金も、政治的な実行力も無い。この10年間の政府がやってきたように、彌縫策を続けるしかない。
論理の後をたどった挙句、政府はまた株価引き上げを願う。株式買い上げ機構の他にも、政府は年金資金にも株を買わせる。こうして、アメリカ経済の回復を待って、輸出増加による景気回復を期待するのである。しかし、アメリカ市場への懐疑論が点滅すれば、日本が最終的な運命の日に少し近づくわけだ。
Financial Times, Tuesday Feb 26 2002
The age of easy money ends
Peter Martin
銀行家と金融市場にとっての魔法の言葉がある。それは、「No.」だ。
昨年に終わるまで10年間も続いた好景気の間、私たちはこの言葉を聞かなかった。調節を目指すだけの金融政策で、融資は容易に利用できた。債券もCPも市場価格が上昇し続け、商業銀行が貸し手としての役割を奪い合っていた。
金融界で最も嫌われた専門用語、ディスインターミディエーション(非仲介化)に駆られて、企業は以前ほど銀行から借りなくなった。その代わり、彼らは相互に資金を融通して、投資機関に直接にCPや社債を発行した。1970年代の半ばには、この二つの市場が融資の45%だったが、1990年代半ばには55%に達し、銀行の株価を半分以下にした。同様の傾向がすべての発達した経済で起きた。
銀行はもはや「No.」と言える立場でなくなり、「Yes.」という機会を得るのに苦労していた。しかしこの数ヶ月で、市場に変化が現れた。銀行は再び本来の役割を見出し、「No.」という技術を再発見するだろう。
銀行が最初に現れたのは、信用の市場に二つの問題があったからである。すなわち、取引コストと、情報の非対称性だ。1970年代以後、これら二つの欠陥が緩和され、銀行と借り手の関係を大きく変えた。
コンピューターのおかげで、個別の融資を個別の融資にともなう取引コストは低下した。しかし、情報の非対称性はより深刻なリスクである。借り手の側は、常に、貸し手よりも融資の返済可能性についてより多くを知っている。1970年にGeorge Akerlofが指摘したように、間違った情報で参加する者のリスクが、結局、市場を消滅させるかもしれない。この問題を解決するために、市場メカニズムは、たとえば中古車について品質を保証する取り扱い業者を必要とする。銀行も同じである。融資の専門機関として、信用情報を調べ、分析する能力を持つ。銀行はこれに対して、金利という形で料金を取る。
ディスインターミディエーション革命の成功で、借り手と貸し手は銀行に料金を支払わなくなった。彼らが情報の非対称性を克服できたのは、標準化された情報が利用可能になり、融資の専門家でなくても銀行と同じことができるようになったからだ。たとえば、高度な質の連結型金融記録。政府保証付きの記録。着実に改善された会計基準。信用格付け機関。迅速に情報を吸収し、消化する電子システム。現金やデリバティブの発達した市場。
しかし、エンロン事件が起きた。突然、情報の非対称性を扱うこうした発明が効果を失ったように見えた。われわれは(腐った)レモンの市場に逆戻りしたのだ。市場はそれをすでに数ヶ月前からそれを感じつつあった。アメリカのコマーシャル・ペーパー市場は大きく代わった。この14ヶ月で、金融機関以外の企業が発行したCPの残高が大きく減少した。不景気の影響もあるだろう。しかし、それは信用についての環境が変わったことを示しているはずだ。
企業は銀行にバック・アップ融資を求めるようになった。平均的な企業に対して、銀行はその機能を維持できるかもしれない。これは銀行にとって良いニュースである。銀行は信用情報を集め、企業リスクを吸収するという役割を果たせる。銀行はもはや借り手を得るために危険な分野や幻想的投資にかかわり、手数料収入や、最後の貸し手としての僅かな稼ぎを捜す必要はない。
悪いニュースとしては、企業に対する融資が利益を上げるには、それが失敗する場合を考えて、銀行が「No.」と言わなければならないことだ。リスクが高い投資にも、極端に安易な融資にも、融資条件の甘さにも「No.」だ。しかし50歳以下の融資担当者で大企業にこうした態度を取れるものはほとんど居ない。
銀行は、この役割を担えるだろうか?
Financial Times, Wednesday Feb 27 2002
Japanese FSA clamps down on short-selling
By Michiyo Nakamoto in Tokyo
日本の金融庁は、空売り規制違反で、クレディ・リヨネ、ベア・スターンズに罰金を科し、ドイチェ証券と日興スミス・バーニーを厳重注意処分にした。政府指導者たちの要求に金融庁が応えたものだ。彼らは株価の下落を空売りのせいだと思っている。塩川財務大臣は、「日本は博打天国になってしまった」と述べた。
市場を観る多くの者は、株価の下落がもっぱら企業業績の悪化や巨額の債務、銀行の不良債権、経済見通しの暗さによるもの、と考えている。しかし市場の悪化で、銀行が自己資本の国際的な基準を満たせなくなることを、政府はますます心配している。
最近の規制強化は、相場の下落を増幅する行為を取り締まるためである、という。しかし外国の証券ブローカーは「脅迫だよ」と言う。どのような技術的違反にもドラコニアン的な取締りを行って、政府は空売りを止めさせたいのだ。「誰もが失敗を恐れるようになる。」
金融庁は外資系の証券界者を狙ったものではない、と言う。しかし、日本の大手証券会社で空売り違反を問われたケースはない。「システムの透明性は保っている」と金融庁のスタッフは言う。処罰された会社は、空売りの額が最も多いからだ。
(コメント)
Editorial comment: Shorting Japanでは、「アメーバを顕微鏡でさがす一方で、金融庁は象を望遠鏡で探すことに失敗している。」と批判しました。空売りの技術的な落ち度を細かく捜す暇があれば、金融システムの大きな欠陥を是正するほうが重要である、というわけです。
過度の規制は市場を窒息させるでしょう。日本の市場から資金が逃げれば逃げるほど、市場の買い支えや介入は成功します。しかし、こうして危機をやり過ごすことは、日本にとって良いことでしょうか? 誰かにとっては望ましいことでも、他の誰かにとっては、痛みの多い、理不尽なことになります。政府は「危機」の中身を明確にすべきです。
Financial Times, Wednesday Feb 27 2002
An unsustainable black hole
Martin Wolf
アラン・グリーンスパンは不況の回避に素晴らしい手際を見せたが、まだ心配は残っている。金融緩和で短期的に問題を解決しても、長期的にはその反動があるかもしれない。
「二番底」の景気悪化を恐れる人々の頭の中には、1990年代後半の三つの不均衡拡大がある。すなわち、企業の過剰投資、家計の不十分な貯蓄、そして維持不可能な経常赤字の拡大、である。最初の問題が解消しただけで、あとの二つは是正できていない。逆にFRBとアメリカ以外の国は、それらが是正されないまま景気が回復することを望んでいる。
しかし、2000年の末に、アメリカの投資残高はマイナス2兆1870億ドルであった。これはGDPの5分の1に近い。2001年の経常赤字は年率で4190億ドルと予想できるから、現在はマイナス2兆6000億ドル程度に達するだろう。景気減速にもかかわらず、経常収支、対外債務ともに増加している。今、アメリカは内需による景気回復を期待されている。それゆえ、経常収支はさらに増大する。
5年後(貨幣価値の変動を無視した場合)、アメリカの対外純債務は5兆8000億ドルになっているだろう。これはアメリカのGDPの46%、世界GDPの15%に及ぶ(ただしドルの価値が維持される場合)。FRBのスタッフ自身が報告の中で2010年の純債務額をGDPの64%と予測している。
このような変化は持続できない。問題は、いつ、どうやって、この傾向が終わるのかである。時期が長引けば、その結末により大きな苦痛がともなう。
IMFによれば、昨年のアメリカの経常赤字は3920億ドルである。日本の910億ドル、アジアのNIEsが440億ドル、アジアの発展途上国は240億ドル、石油輸出諸国が510億ドルの黒字であった。EU諸国はたった10億ドルしか黒字を出していない。しかし、世界全体では1820億ドルの対米黒字であり、残されたブラック・ホールが何かは、発展途上諸国から膨大な資本逃避があっただろうと言う以外に、何も触れられていない。
日本の黒字は構造的であり、アジア諸国も国内貯蓄を吸収しきれないでいる。こうした黒字がアメリカによって吸収されるのは安全だ。しかし、それだけではアメリカの赤字に大きく不足している。この過不足がどうやって埋められたのか、われわれは知らないが、それが容易であったことは分かる。貿易で加重平均されたドルの実質価値は、この1年で6.5%増価したのだ。今では1980年代半ばの水準にある。
こうした容易さが将来も続くと信じるのは難しい。確かに黒字はどこかで投資しなければならず、アメリカはそれを吸収できる。しかし、純債務が増えれば、そのコストも増加する。アメリカへの株式投資や直接投資は、2000年の2210億ドルから2001年最初の三つの四半期にはたった210億ドルへと、激減した。他方、株価の下落や企業業績の見直し、さらに資産減少のリスク回避を求めて、債券市場への投資は急増した。
アメリカにとって安全な債務とは、海外の投資家にとって危険なものである。彼らはますます重要ななっているドル建資産のリスクに神経質になっている。ドルの価値はこうした心理を敏感に反映する。
もし今後5年間で、貿易赤字の実質額が半減すると仮定すればどうなるか? アメリカの輸出は年10%で増加しなければならない。しかしアメリカの輸出は世界GDPとせいぜい同じ速さでしか増加しない。そこで、もし世界が過去20年間の成長を続けるなら、アメリカは約3.5%でしか輸出を増やせない。この3.5%を10%に膨らませるのが、ドルの減価である。大幅で持続的なドル価値の減少が求められるわけである。
投資家がこれを気付けば、直ちにスパイラル的な減価が生じる。金融の超緩和を維持することがFRBにも困難となり、国内市場も不安を感じ始める。ドル高はまだ数年続くかもしれない。しかし、それは無限に引き伸ばせない。最後には跳ね返るのだ。
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Financial Times, Wednesday Feb 27 2002
Editorial comment: Light in a blind alley
イスラエルが西岸とガザ地区から完全に撤退することを条件に、アラブ諸国がイスラエルを承認する、というサウジ・アラビアのアブドラ皇太子の提案が注目されている。シャロンの戦略は自爆テロと暴力のエスカレーションを生み、パレスチナにおけるアラファトの支持も動揺している。ブッシュ氏は今もイスラエルの政策を支持しているが、この提案を「真っ暗な路地に差し込んだ一条の明かりである」と示唆した。
Washington Post, Tuesday, February 26, 2002; Page A21
Why Daniel Pearl Died
By Richard Cohen
パール記者は、「反イスラムであり、ユダヤ人であるから」誘拐され、殺害された。容疑者の一人はこう語った。ビデオの中の彼は、「私はユダヤ人だ。私の母はユダヤ人だ。」と言うことを強制された。なるほど。私もそうだ。私は犯人たちだけでなく、こうした帰結をもたらした反ユダヤ主義、ユダヤ人憎悪を教え込んだ、政策を憎む。確かにシオニズムはユダヤ人と関係が深い。しかし、すべてのユダヤ人がシオニストではない。9月11日のテロ攻撃も、その責任はシオニストとユダヤ人にある、とアラブ世界の新聞は書いた。サウジ・アラビアもエジプトも、もちろんアラファトの組織でも、ナチズムが用いたユダヤ人憎悪を認めている。
Los Angeles Times, February 27, 2002
Land for Peace Is a Losing Trade
By FRANK J. GAFFNEY JR. (senior positions in the Reagan Defense Department, president of the Center for Security Policy in Washington)
その提案がイスラエルとパレスチナの戦闘を終わらせる新しい「和平への呼びかけ」である、という理解は、完全な謀略とも言えるほど、大きな間違いだ。9月11日以後アメリカのメディアや政府内部でも噴出したサウジ・アラビアへの不信感に応えた、彼らの伝統的なダブル・ゲームである。アメリカもイスラエルも、答えは"Thanks, but no, thanks."である。
Los Angeles Times, February 28, 2002
Saudi Plan Grabs Notice
17ヶ月で300人近いイスラエル人と900人近いパレスチナ人を殺した戦闘を終わらせるためなら、こうした提案も大歓迎だ。最終的には、イスラエルとパレスチナだけに和平の進展がかかっている。しかし事態を鎮静化するためには、イスラエルが安全で、防御可能な、アラブ諸国も承認した国境線を必要とする。アメリカだけでなく、ヨーロッパやアラブ諸国からの支援も、強められることが望ましい。
Financial Times, Saturday Mar 2 2002
Any ray of light in the Middle East
Harvey Morris and Richard Wolffe
1967年の七日間戦争後に国連安保理決議242号に遡る、サウジ・アラビアの旧い外交的立場を改めて表明したとも言える今回の提案が従来と異なるのは、提案者がアブドラ皇太子であったことと、発表に至る手段がニュー・ヨーク・タイムス紙のトーマス・フリードマン氏によるコラム記事であった、ということである。多くの難しい問題に触れられておらず、国境線も決まらない。同様の提案はエジプトやヨルダンの指導者からもなされたが、注目されなかった。この提案が重要なのは、アラブ諸国がいよいよイスラエルを承認し、国境の開放や貿易、安全保障の協力に関して受け入れる用意ができたかもしれない、と考えさせたからだ。しかし最終的解決は、まだ、非常に遠い。
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The Economist, February 16th 2002
The sadness of Japan
The non-performing country
1998年9月28日のThe Economistに「世界を失望させる日本の驚くべき能力」という特集を載せた。今回は、「不良債権ではなく不良国家」だ。日本は緩やかに衰弱しているにもかかわらず、何も新しい試みが見られない。このことが日本の最も悲しいことである、と。
日本中が問題だらけだというのに、同じ政党が政府を担っている。一匹狼の小泉首相が登場して高まった改革への期待も、失望に変わり始めた。改革は既得権を失わせるから、反対派を強める。彼らは小泉氏の人気が高い間だけは自民党の支持を集めるために彼を利用している。
日本病に簡単な解決策はない。衰退しつつあっても、日本はまだ豊かな社会であり、公共サービスやインフラも良好だ。他の選択はより困難に見える。円安を促しても、金融緩和を加速しても、財政改革や銀行の国有化、民営化、規制緩和、ゾンビ企業の大量破壊など、そのいずれもが一つでは決定的な回復をもたらせない。政府はこれらを一斉に行い、しかも需要を喚起するために、民間企業を再生し、消費を刺激しなければならない。どれも多大の痛みをともなうから、このまま危機を先送りすることがもっとも容易であろう。
事態が変化するとしたら、日本人を驚かせるような何かが起きることだ。パニックで銀行預金に取り付けが生じ、債券市場が崩壊することで、彼らの貯蓄が失われる恐怖から、政府に変化を強いるだろう。あるいは、こうした恐怖の結末の一つとして、石原慎太郎東京都知事のようなナショナリストの政治指導者がもっと極端な道を開く。
日本の崩壊が今また懸念され始めた理由は三つある。1.デフレと不況が悪循環に入るかもしれない。2.日本の銀行システムが4月の制度変化に耐えられないかもしれない。3.世界経済を危機に陥らせる可能性が高まった。
日本の既得権集団は、単に改革を頓挫させることができるだけでなく、新しいアイデアを選別し、法制化を行う制度を牛耳っている。首相がそれに挑んでも勝ち目は少ない。それゆえ有権者が明確に改革を選択しているにもかかわらず、彼らの希望はかなえられない。舞台裏での取引、精彩を欠くマス・メディア、派閥間の不協和音、それらはどの改革案にも合意を形成できなくする。
それゆえ、専門家会議が計画を立てても、回復は難しいだろう。彼らもまた論争を続けている。誰もが日本は物価の上昇が望ましいと言う。民間も政府も債務が莫大であるから、デフレを止めなければならない。しかし、資産価格の崩壊後、長く無策が続いた結果、デフレ期待が完全に根を張ってしまった。日銀は漸く「量的緩和」に踏み切ったが、銀行の貸し出しはむしろ減少している。
テクノクラートたちの対立は終わらない。一方は銀行に国債購入を促すことを、他方は円安促進と外債購入を唱えている。しかし、インフレを実現するような円安政策は考えにくい。さまざまなグループが異なった「構造改革」を唱える。しかし、供給側の整理は需要問題を悪化させる。結局、リフレ政策と一緒にしか、どのような改革も行えない。最優先候補は銀行の不良債権と債務企業の整理だ。政府がどのように実施するかは重要ではない。銀行を国有化しても、主要債務企業をリスト・アップしても良い。結果は同じである。また財政支出の部門配分を変えることが有益であろう。
でも今は、問題を回避して銀行を支援し、円安やワールド・カップが刺激となる。小泉にとっても、日本にとっても不幸なことに、本物の危機はまだ延期できそうだ。
Mexico’s border region: Opportunity lost
Ciudad Juarezは、アメリカ国境に接する、夏は炎暑、冬は厳寒という、何も無い砂漠である。しかし最近まで、この町はメキシコ輸出経済の心臓、生活の向上を求める移民たちを吸い寄せる磁石であった。今ではアメリカの不況と9月11日以後の国境閉鎖で、この1年間に6万人の工場労働者が職を失った。かつての組立工たちが、売春婦や押し込み強盗になって生き延びる。そして通りには、アメリカに運べなくなったコカインが溢れている。
僅か1年前には、ヴィンセント・フォックス大統領が商品と人々の莫大な流れ(人々は毎年3億回国境を超える)を指摘して、EU型の北米統合を唱えた。アメリカ人の設計した製品をメキシコ人の手で組み立てるというモデルが、この国全体で提唱された。しかし、そのモデルへの情熱も冷え切ってしまった。アメリカ人は統合よりも安全を優先している。国境の通過に2時間もかかれば、人々はメキシコに買い物に行かなくなった。組立工場の不況は次第に南に広がっている。
メキシコはチャンスを取り逃がしたのだ。1990年代後半にアメリカ向け輸出が急増し、旱魃に苦しむ南部の農村から労働者が国境地帯に移ったことで得られた富は、この町に投資されなかった。地方の税収は僅かなもので、都市の膨張はスラムを拡大し続けた。水道や下水道も足らず、道路の半分が舗装もされず、50万人が住む市の西側に二つしか高校が無い。しかも学生の95%がドロップ・アウトする。
1年前には労働者を奪い合って、ボーナスや託児所、医者、フットボール・コートを工場が提供した。今では僅かな募集にも深夜3時から行列ができる。悲観的な見方をする者は、アメリカの景気が回復しても職は戻らないだろう、と言う。メキシコの組立工の時給は2ドルするが、中国なら22セントである。「熟練工の育成でも、技術の高度化でも、輸送インフラの点でも、われわれはその機会がありながら準備を怠った」と。