IPEの果樹園2002
今週のReview
2/18-2/23
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カリフォルニアの豊かな陽光と涼風を満喫したくても、つたない英語では冷や汗をかくことが多かったのです。それでも、物静かで辛抱強い、まじめな大学院生のBenと話していた頃、私は日本が変化するシナリオを彼に示そうとしました。
「確かに、日本の政治家も大学も非常に劣悪で、改革の主体にはなりそうにない。しかし、気の抜けたサイダーのような学生たちも、優れた企業に雇用されれば、数ヶ月で完璧に変身する。優れた企業の内部において、労働力が新しい部門に再配置されるのではないか。」
「確かに、日本の民間部門には二重構造が存在し、農民や土地所有者、銀行の利益が不当に守られることで、経済システムをゆがめている。硬直的で横柄な官僚制度も、改革の触媒にはなりえない。しかし、業者と癒着して私腹を肥やす幹部たちを排除できないけれど、猛烈に仕事に励む若い官僚たちがいる。」
私は、ロナルド・ドーアやアンドリュー・ションフィールドの著作が好きでした。
「社会や政治のシステムがもっと多極化すれば、悪質な部分を容易に切除できない場合でも、良質な部分はもっと自立できるのではないだろうか? 行政が徹底的に透明化されれば、政治システムも変化するだろう。つまり、行政機能を政治家たちの隠れた介入から分離して、住民の自治や市場の機能改善について独自にプランを立てさせ、既得権を重視する政治家たちと一定の緊張関係を保つようにする。」
私は、土地を担保として銀行が融資できる額を制限し、あるいは、土地を担保とした融資を完全に禁止して、日本の地価が下落すれば、住宅政策や公共輸送システム、無料の高速道路が社会を大きく変えるのではないか、と考えました。地方政治家や大蔵省ではなく、日銀や(当時の)通産省などが、もっと国内市場の競争促進と優良企業の育成・支援に取り組み、優秀な人材を過剰に独占してきた銀行業界は、半分どころか4分の1程度に縮小すべきだ、と。
しかし、アメリカ人が警告するのは<改革のスピード>でした。日本は突然死ではなく、緩やかな衰弱に囚われて、激しい痛みを自ら選択できない、と。終身雇用や円安操作を続けることで、恐慌は回避できるかもしれない。しかしその結果、日本経済がより大きなコストを支払っていることに、国民は気付かないままだ。低成長と失業者の増大に苦しみ、新規投資の多くは海外に向かい、国内ではほとんどの工場が老朽化してしまった、と言うのです。
他方、カッツェンスタインやロドリク、フリーデン、などの研究は、世界市場に包摂された多くの小国が生き残りのために経済構造を変え、政治・社会システムを大きく変えて、市場の利益を享受しながら、その社会的な軋轢を緩和した個性的な試みを重視しています。
ある日、彼といつものコーヒー・ショップで会ったとき、ドラッカーの日本論が話題になりました。ドラッカーも官僚たちの役割を強調していたからです。
「社会が大きく変わるには、政治的な指導力が発揮されなければならない。ドラッカーは、正直に、日本の軍国主義が復活することを心配している。確かに、多くの日本人は政治家を信用していない。改革を議論し、指導できるような政治家は、今の政治システムの中から生まれないと思う。良い政治家を育て、悪質な政治家を排除する、政治的な中間システムを創るべきだ。政治家個人に帰属しない選挙支援システムや、各政治家の発言・行動の情報公開、政治的競争システムの構築に、社会はもっと関心を向けるべきだ。財界や労働組合からの資金、若者や高齢者のヴォランティアが、こうしたシステムを活かせると思う。」
本当は、こんなことを話したかったのです。多分、少ししか伝わらなかったでしょう。そう言えば、日本に帰ったら学生たちと模擬選挙を定期的にしてみたい、と約束しました。私たちには、自分で、政府や政策を選択している、という意識や経験が無いからです。
今夜、バブル絶頂期?に書かれた二十一世紀研究会『新・日本改造論』(1990年)をブック・オフで見つけ、新鮮な驚きを感じました。
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New York Times, February 6, 2002
Not in Finland Anymore? More Like Nokialand
By ALAN COWELL
フィンランドの首都、ヘルシンキ。ここは企業都市を超えて、今や企業国家である。
10年程前には、ロシアの脇腹に位置する氷の前哨基地、フィンランドは、ソビエト連邦という従来の市場を失い、深厚な不況に陥っていた。5人に一人は失業し、カフェは閉鎖され、照明もくすんでいた。
そのとき、フィンランドの新しい神話が始まった。企業家による十字軍が、紙でもゴム長靴でも、何でも作っていた会社で、未来の市場が携帯電話にあると信じたのだ。それは現在、フィンランド人と世界中で10億人以上を結び付けている。その会社こそ、ノキア、であった。その名はフィンランド南西部の川と、それに沿った街の名前である。
10年を経て、ノキアは多国籍企業となり、雇用を増やしてフィンランド経済のエンジンとなった。その株価総額はフィンランドの株式市場の3分の2、フィンランドの輸出額の5分の1を占める。2000年3月のピーク時には、ノキアの株価総額が3000億ドルに達し、ヨーロッパで最大であった。昨年までに世界で販売された携帯電話100台の内37台はノキア・ブランドであった。その年間売上高250億ドルは、フィンランドの予算にほぼ等しい。
このあまりの成長に、フィンランド人も、ソビエトに代わる新しい支配者が来たのではないか、と怪しむ。「私たちは何もかもがノキアの前兆であったと考える。」フィンランドは、人口たった500万の非常に過疎な国土で、世界一発達したインターネット社会であった。「ノキアがわれわれを不況の底から救い出してくれた。ノキアこそ、国家の中にある国家である。」
かつてソビエトに敬礼しなければならなかったように、今ではノキアがそこにいる。実際、フィンランド人はノキア会長のJorma Ollilaが、フィンランドの厳しい累進所得税を下げるべきだ、と言うのを聞いた際に、それを理解した。フィンランド国民は、企業幹部たちがこの国を脱出する用意をしており、この国の福祉手当を支える税収が失われるかもしれない、と悟った。ノキアは世界で5万4000人を雇用しており、その内の2万2000人がフィンランド国内にいる。
ノキアの流出をめぐる懸念は、フィンランドの伝統的な、隔離された、高税率社会と、より厳しい、ノキアの従事するグローバル・ルールとの深刻な対立を示す。ノキアの売上のたった1.47%がフィンランドで占められ、株式の90%以上がアメリカ人などの海外投資家に保有されている。ノキアは「フィンランド社会を急速に世界価値へ開放したが、同時に、その利益が決してフィンランドに属さない会社に依存することで、脆弱になった。」1995年以来はじめて、ノキアの売上が減少したため、フィンランドの成長率も5%から0.7%に急減した。
ノキアが去れば、フィンランドはどうなるのか? ハイテク企業がこの国に持ち込んだ世界市場による成り上がり文化は、平等主義的な国民の熱意を蝕んだ。「この平等な社会で初めて、急速に豊かになる人々、が誕生した。こうしたカネには多くの憎しみがともなう。」フィンランドの最も裕福な50人の内、30人はノキアへの雇用や株式保有で財を成した。
億万長者の新しい波がいかにこの国の伝統的な価値観とかけ離れたものか、先月、ノキアの幹部Anssa Vanjokiに対するスピード違反の罰金で明らかになった。時速30マイルの区間で、彼は46マイルを出して捕まった。フィンランドでは最新の会計報告によって罰金が決められるが、彼の場合、200万ドルを超えるノキアの株式を売却していたために、10万ドルという桁外れの罰金額になった。新しい不平等が急速に拡大している。
ノキアが社会に及ぼす影響は、ヨーロッパ福祉国家のより広い価値対立を鮮明に示している。北欧諸国では特に、国家が医療や教育、失業手当、年金を保障し、国民は高額の税金を支払ってきた。フィンランドのすべての学校は無料であり、大学では国家が学生に毎月300ドルの生活費を支給する。失業した者は15ヶ月間も失業手当がもらえる。高度な教育を受けた労働者はノキアの成功を支えたが、高額の税金はその前進を阻む。
新しい企業国家には二極分解が生じている。「われわれはこの国に強い愛着を感じる。」と、ノキアの広報担当者Lauri Kivinenは言う。しかし、それでも、高い税金は「われわれが熟練労働者を雇ったり、外国から連れてきたりするのに、障害となっている。」
それでも、新しい富裕層はフィンランド国民のすべてではない。むしろ国民の多くは伝統的な生活を好む。牧歌的な夏の小屋に行って、18時間の長い昼間を、手ポンプで家庭サウナを楽しみ、脂肪を落とす。「素敵な家に二人の子供、犬が一匹、ボルボが一台。それが快適な生活だ。」「限界まで突き進んで、何でも億万長者になるためと考えるようなことは無い。」
Financial Times, Friday Feb 8 2002
Editorial comment: Seoul lessons
再び大規模な銀行救済が迫っている、と政治家たちがほのめかした。15兆円がすでに金融危機の対策費として用意されている。銀行が技術的に支払不能であることを疑う者はほとんど居ない。木曜日に銀行株が8.2%上昇したのは、公的資金の再注入が近いと金融市場が確信したからである。
政治家たちの問題は、1999年に9兆円を注入して何が変わったのか、ということだ。その答えは、不幸にして、事態を悪化させた、である。不良債権は増え続け、債務増加とデフレの悪循環が強まった。銀行は今もダイエーなどの破綻企業を延命している。
過去の経験によれば、政府の最悪の対応は、銀行の改革を止めて救済する、ということだ。それが今回もまず間違いなく起きるだろう。その政治的な利点は、訪日するブッシュ大統領にたしなめられるのを紛らすことだ。また、4月のペイ・オフ解禁を円滑に行うこともある。しかし、そのようなご都合主義には深刻な損失がともなうだろう。これで1999年の資本注入が最後であると言った政府はバカにされ、銀行の内部改革を促す圧力は失われる。
日本の銀行システムと経済困難を解決する道は何年も前から明白であった。需要を喚起する根本的な政策転換、インフレ期待を促し、同時に、資本を間違った投資に向けている配分メカニズムを構造的に変革することである。銀行にとって、それは不良債権額を正直に公表し、バランス・シートを修復するために一時的な国有化を受け入れることである。そして政府は、健全な部分を株式市場で売却し、同時に、日銀が物価を安定させ、デフレを防ぐという役割を法律に従って果たさねばならない。
この計画は、完全に実行可能である。実際に、行われているのだ。1997年のアジア危機から、韓国が金融システムの改革に取り組み、その結果、不良債権は減少し、経済も成長している。それは決して完全ではないが、日本が反省するには十分な記録である。日本の政治家たちは嫌がるかもしれないが、隣国の経験から学ぶことが賢明である。
International Herald Tribune, Thursday, February 7, 2002
Immigration Changes the Face of the West
William Pfaff
新聞が伝えるところでは、イギリス政府が教育政策を改正して、教師たちはもっと「白人文化に誇りを持つ」ようにする、と言う。イギリスの公立学校における「反人種主義の教育」が行き渡った結果、白人の学生は自分たちのアイデンティティーや文化に自信を持てなくなっている、と新しい教育要領は述べている。
多文化主義や反人種主義教育は、ある程度まで、西欧やアメリカに20世紀半ばまで支配的であった信念、すなわち、物質的に最も進んだヨーロッパとアメリカ社会は最良のものである、という独善的な信念に対する反動であった。どちらもアメリカの大学教育に、同化assimilationではなく統合化integrationを強調する移民理論として現れ、公立学校に広まった。
多文化主義はある意味でヴェトナム戦争やアメリカの公民権運動に対する答えであった。アメリカ人やヨーロッパ人は、搾取や「人種差別的なracist」見解の犠牲者と見なされるようになった、かつての植民地の人々に対して、謝罪し、補償することになった。しかし実際には、多文化主義教育は表面的なものであったり、しばしば無視されたりしたが、教育政策と移民政策に不幸な結果をもたらした。
1960年代の後半と70年代のアメリカでは、以前の制限的な移民政策が破棄されて、共産主義のインドシナ半島から流出する反共難民を受け入れ、ヨーロッパ系の移民を優遇する措置を廃止した。その結果として、今世紀最大の人口転換が起きたのだ。産業界はこの変化を強く支持し、安定した安価な労働力の供給を歓迎した。戦後すぐに大量の低賃金移民労働力を利用していた西欧諸国は、すでにこのことを知っていた。
最初、ヨーロッパではこうした労働者の帰化(国籍取得)を抑制していた。かつての同質的な社会に、北アフリカやアフリカ、トルコ、カリブ、アジアからの少数民族が受け入れられ、合法的に住むようになった。さまざまな取り組みがなされてきたが、いずれも成功していない。
アメリカの国籍は取得し易かったから、今では約5500万人の移民とその子供がアメリカ人口の5分の1を構成する。非ヨーロッパ系の人口が急速に増加している。世論調査はこのことについて不安を示しているが、産業界も政治エリートたちも政策を変えるつもりはなさそうだ。
この問題は、政府や学校の手を離れてしまった。誰も多文化主義の採用や同化、移民たちの同化拒否を強制できない。アメリカ社会では、移民がアメリカに順応するよりも、社会が移民に順応している。
しかし、19世紀の大移民時代には、移民たちが支配的な白人プロテスタント社会の規範に従うよう最善を尽くした。そうすることで、繁栄とともに人種間の結婚が増えて、移民ゲットーは解消された。しかし現代では、それほど明確な結果は示されない。社会の繁栄は文化的・言語的なゲットーを解消しない。学校でも、善意の多文化主義により、移民の子供たちが出身社会と居住社会の両方の最悪部分を吸収する。両親の文化を表面的に受け継ぎ、アメリカ文明を不完全に模倣して、彼らはアメリカの目立った、強烈な、暴力的大衆文化に翻弄される。
アメリカでは、この変化が逆転不可能である。その結果、アメリカ社会はヨーロッパの起源からさらに遠ざかっていく。
Financial Times, Saturday Feb 9 2002
Reaganomics returns
Gerard Baker
(コメント)
減税と軍事予算の大幅増額、他方では福祉予算の削減、「悪の枢軸」演説など、ブッシュ大統領をかつてのレーガンの時代と比較する議論が盛んです。ブッシュ氏は、アメリカ政治の地図を書き換えてしまうa "transformational" presidentとなるのでしょうか?
Gerard Bakerは、レーガノミクスがアメリカ経済の再生をもたらしたのかどうか、論争は続いているが、それが大幅な財政赤字と経常収支赤字という有名な「双子の赤字」をもたらしたことは明らかだ、と言います。それが1980年代のドルの急落や1987年の株価大暴落につながったことを指摘します。
ブッシュによる政策転換も、再び経済的不確実性と政治的紛争に陥るのでしょうか? ブッシュ政権はレーガン時代と比べて、今は不況からの回復期にあり、インフレ率も金利もはるかに低い、と主張しています。そして今後の財政赤字も僅かに留まるだろう、と。この予想の基礎にある議論を、Bakerは、ミニ・レーガノミクス、と考えます。
それでも危険はあります。財政状態の予測は難しく、国際収支がどうなるかも心配です。なぜなら、アメリカの民間部門が財政赤字に見合った貯蓄をすれば、それは景気回復を妨げることを意味するからです。アメリカ経済の長期的な成長力が乏しければ、ミニ・レーガノミクスが深刻な結末に向かう可能性が高まります。
The Guardian
Friday February 8, 2002
In a panic, Bush has opted to blame all the old enemies
Martin Woollacott
もし北朝鮮やイラクの政府が追放され、イランの国内闘争が穏健派の勝利に向かえば、安堵のため息をつかない人はまずいない。これら3カ国が大量破壊兵器を求め、すでに保有しているかもしれない、というのも議論の余地は無い。
しかしブッシュ演説が多くの批判を浴びたのは、そのような指摘によるのではないし、いつもの、アメリカによる一方主義、という非難でもない。その答えは、あの演説が一貫性を欠き、その意図が真剣さを欠いている、という点にある。
これは信用の置ける軍事的な解放計画ではない。彼らには緊密な同盟関係など無いし、アメリカの脅迫に応じるつもりも無い。サダムを失脚させるために戦争しながら、同時にイランにも戦争を仕掛けるなど、全くばかげている。
確かにイランは、最近、パレスチナに武器を運び、アフガニスタンでも影響力を拡大しようとしている。それは間違いなく、アメリカやイスラエルの嫌いなイランの外交政策である。しかし、それらはテロ行為ではない。そこは戦場であり、占領した土地で一方が武力によって完全に制圧している。そのバランスを変えることは事態を悪化させるかもしれない。しかし、もしパレスチナによる暴力を何もかも「テロリスト」とする、ふざけた考えを捨てるなら、それはテロリズムを支援する行為とは言えない。
要するに、アフガニスタン後、ブッシュ政権が何をするかは不確かなのだ。彼らの知識や好みにより、問題を余りに軍事的に色づけ、敵を分類し、同盟国に無愛想で、皆を消耗させる。ミサイル防衛網、通常兵器、テロリストに対抗する新防衛計画など、アメリカはすべてを得るだろうが、国内の社会政策に及ぼすコストや、海外の非軍事的な支出に関する配慮は失われた。
ハーヴァード大学のジョゼフ・ナイは、その新著で、海外におけるソフト・パワーの無視してアメリカは失敗した、と指摘する。軍事支出は連邦政府予算の16%に増加し、外交やその他の市民的な国際活動への支出は4%から1%に減少した。海外援助は壊滅状態だ。
何もかも軍事力で解決しようとするのは、愚かである。
New York Times, February 9, 2002
Challenging the Dogmas of Free Trade
By LOUIS UCHITELLE
世界経済フォーラムでDani Rodrikが与えられた時間は、たったの3分であった。ここではビジネス・エリートや政治家たちが自由主義的なグローバリゼーションを支持する点で完全に一致している。自由貿易。国営企業の民営化。資本取引の規制撤廃。そこでRodrikは、この短い時間で、新しい貿易自由化交渉の議題について異議を唱えることに絞った。
「グローバリゼーションに、単一の単純なモデルは存在しない。」グローバリゼーションへの反対は、街頭だけでなく、レッセ・フェールに代わる政策思想として、Rodrikなどの少数の経済学者、社会学者、政治学者によって示されつつある。
たとえばドーハのWTO総会では、開発諸国の強い反対で、労働力の移動は議題にならなかった。しかしRodrikは、次回の自由化交渉では、貧しい諸国から人々が豊かな国で3年から5年の労働に従事する自由を認めるべきだ、と言う。移民労働者の送金や熟練は、貧しい国の成長を促す、と。
グローバリゼーションが各国経済の統合化を意味するとしても、それに至る方法はいろいろである、と彼は強調する。中国、インド、台湾、ヴェトナムが貿易自由化により不平等を抑制したまま成長したことを、自由貿易論者は自慢する。しかし、Rodrikらは、それが現実を捉えていないと指摘する。こうした諸国は、実際には、成長を開始するまで市場を開放しなかったし、国内企業を先進諸国の企業との厳しい競争にさらすことを避けてきた。
グローバリゼーションはさまざまな戦略を組み合わせて達成される。政府は未熟な国内企業が競争できるように支援しなければならないし、さまざまな試みや決定権の分散化が不可欠である。その地域の制度が活かされるべきであって、無視されてはならない。地域や企業によって、グローバル化のスピードは異なるのである。
Charles Sabelも、市場の規律が必要なことはもちろんであるが、それは必ずしも自由貿易論者が考えるようなものではない、と言う。たとえば中国は、市場の開放と閉鎖性とを混ぜ合わせた実に複雑なシステムである。インドの企業は公的な金融で技術の高度化を支援されている。自由化の手本であるチリでも、その世界的な農産物産業は冷酷な市場競争にさらされて誕生したのではなく、政府の支援によって育成された。
Robert Wadeが好むのは、台湾のテレビ生産だ。フィリップス電機が台湾でテレビ生産を始めたとき、ブラウン管を海外のフィリップス工場から輸入していた。台湾の工業開発院では、多くの台湾企業から技術者が集まって、製品の工場に努めた。そしてフィリップスからの支援なしに、いくつかの台湾企業が同品質のブラウン管を生産し始めた。工業開発院はこれをフィリップスに示したが、すでに良質の供給体制がある、という理由で採用されなかった。彼らはフィリップスを脅さなかったが、ブラウン管の輸入が遅れ出した。それは1週間遅れ、2週間遅れ、遂には4週間も遅れるようになった。フィリップスは結局、台湾企業の改良に協力し、この製品を採用することになった。今では台湾企業が世界市場に輸出を伸ばしている。
アメリカなどの先進諸国がWTOで農業補助金を非難されているのも、それが政治的により強硬な農民たちへの都市からの所得移転として譲れないからである。もしこうした国によるニュアンスの違いが認められるなら、グローバリゼーションはもっと実際的で柔軟な議論が進められるだろう、とRodrikは言う。「自由市場モデルが他の開発モデルを排除してはならない。」
Financial Times, Monday Feb 11 2002
Editorial comment: Afghan anarchy
予想されたことではあるが、アフガニスタンが無政府状態に戻りつつある。暫定政権のハミド・カルザイ議長は、対外的にアフガニスタンを代表する希望となった。しかし軍閥たちは強奪と殺戮という悪しき風習に戻った。いくつかの地域では戦闘が勃発している。資金も、軍隊も無いカルザイ氏が、それを止めさせる力は無い。外部世界はこの混乱に対して何をなすべきか?
一言で言えば、何も無い。アフガニスタンは自分たちで問題を解決するしかない。彼らが正常化のための最大のチャンスを拒むなら、内戦に戻る。小規模な国際治安維持軍を派遣しても意味が無い。どのような事件でも、内戦状態でどちらか一方の側に立つのは困難であり、アフガニスタンの泥沼に沈み込む。
それでも、カルザイ政府の権威を高め、その警察と軍隊を鍛えるために国際治安維持部隊を送るのは有益であろう、と言われる。さらに、カブールやいくつかの大都市を保護し、暫定政府が外部の干渉を排除して自由に動けるようにしてやれる。人道的な援助物資の配給を護衛できるだろう。
非常時には、アメリカ空軍が、全国的な内戦をもたらすような軍閥を爆撃するべきであろう。アフガニスタンの指導者たちは、ボンで合意されたタイム・テーブルに従って国民大会議を準備しなければならない。しばらくの間は、国連の監視下で、カルザイ氏が安定性を確保する上で政府を動かす。そして政府から軍閥を排除し、あるいは引き入れる。
明らかに納税者の資金が浪費されていく。しかし、資金を浪費するほうが、人命を犠牲にするよりも、当然、望ましい。アメリカ政府が今年のアフガニスタン再建に約束した資金提供は2億9700万ドルであり、それはアメリカの防衛支出の僅か7時間分である。
New York Times, February 10, 2002
FIVE QUESTIONS FOR STEVE H. HANKE
Peso Peg: Done Wisely, but Not Too Well?
By ANTHONY DePALMA
アルゼンチンの危機は1991年のthe Convertibility Law(アメリカ・ドルとアルゼンチン・ペソとの1対1での交換を保証した)によるのではないか? しかし、カレンシー・ボードには支持者がいる。そこで、その一人、Johns Hopkins University のSteve H. Hanke教授に質問した。彼はe-mailで回答することを条件に、質問を受けた。
Q.カレンシー・ボード制は経済の安定化を保証するはずでした。何が間違っていたのですか?
A.1991年の本で、Kurt Schulerと私はアルゼンチンが正統的なカレンシー・ボードを採用すべきだと提案した。実際には、アルゼンチンは交換性システムを1991年4月に採用した。その10月に、われわれはカレンシー・ボードに近い制度が中央銀行制度に変化するだろうと警告した。それは正しかったのだ。昨年、交換性システムの「純粋な」外貨準備額は、4月に総貨幣残高の193%を占めたが、12月には82%まで減少した。アルゼンチンが正統的なカレンシー・ボードを採用したのであれば、外貨準備の変動が100%貨幣残高に反映されたはずである。
さらに悪いことに、Domingo Cavalloが2001年3月に経済政策の支配者になってから、直ちに、交換性システムがいじられた。4月にはドルだけでなく、ユーロと半々の価値に固定することになったし、6月には輸出財に優遇レートを適用する、と発表した。これらは交換性システムをますますカレンシー・ボードから乖離させ、金利が急上昇した。その教訓は明らかだ。正統的なカレンシー・ボードからの乖離が問題を引き起こしたのである。その結果、アルゼンチンは不況の真っ只中で金融引締めを強いられた。
それに加えて、デ・ラ・ルーア政権は過去2年間で3度も増税し、法人税はアメリカよりも高くなった。それは当然、不況を強めて、税収を激減させた。
Q.だからカレンシー・ボードに罪は無い、と言うのですか? アルゼンチンはそれをいじり過ぎて失敗した?
A.カレンシー・ボードの考え方に何の問題も無い。IMFが結論したように、1990年代に導入されたカレンシー・ボードは、香港も含めて、財政規律や銀行システムの強化に役立ち、改革を促して成長を導いた。アルゼンチンでも交換性システムを操作する前は成功していた。アルゼンチンの実質GDPは、20世紀のいつの時代よりも、交換性システムの時代に大きく成長したのだ。
カレンシー・ボードは、1999年にブラジルが切り下げたような、外的ショックに対する準備が欠けていたように思う。それはアルゼンチンの輸出を大きく損なったが、それがカレンシー・ボードの欠陥であるとは言えない。
Q.あなたはペソを強いドルと結び付けることでペソの価値が過大評価され、アルゼンチンの競争力が損なわれると示唆しました。これはナンセンスです。アルゼンチンの輸出は1999年を除いて増え続けたのです。
A.アルゼンチンの輸出パフォーマンスは世界貿易に比べても良かった。輸出は、確かに、アルゼンチン経済の数少ない成長部門だ。
Q.アルゼンチンはどうなるのか?
A.1935年に中央銀行が設立されてから1991年までに、アルゼンチン・ペソはドルに対して3兆分の1に減価してきた。中央銀行制度と変動レート制が、再び、アルゼンチンの危機をこれから拡大するだろう、と思う。
Q.アルゼンチンの危機を経た後でも、カレンシー・ボードは信用をなくしたのでは?
A.否、カレンシー・ボードは信用できる。アルゼンチンが破綻したのは交換性システムを公式に破棄してからだ。そのときまでアルゼンチンがなんとか水面上に頭を出せたのも、多くの欠陥にもかかわらず、交換性システムがあったおかげだ。
(コメント)
Economic self-sufficiency at the cost of independence (Straits Times, FEB 11, 2002 MON) でLim Say Boon(Director of OCBC Investment Research)は、経済的自律を求めて停滞し、その次は成長を求めて従属を受け入れる、というアルゼンチンの歴史的な悪循環を指摘します。国内貯蓄率の低さ(それを維持する社会構造や政治システム)が、今また政治的独立を捨ててIMFによる金融引締めと再建策を受け入れるか、それを拒んで社会的な混乱と貧困化に従うか、という選択を迫っている、と。
Financial Times, Monday Feb 11 2002
Fear of meltdown
Richard Katz
Bloomberg, 02/10 06:46
Japan Embarks on Annual Stock-Rigging Exercise
By David DeRosa
(コメント)
Richard Katzは、日本は破綻もしないが改革もしない、と予想しています。危機とは、政策担当者に何か対応を迫るものである。日本の場合、1.公的救済融資。政府が銀行や債務企業に公的資金を注ぎ込む。こうして問題は再び長引く。2.腹を括る。不良債権を処理し、債務企業を潰す。3.危機が手に負えなくなる。なだれのような連鎖倒産、銀行取り付け、資本逃避、生産が激減し、街は失業者で溢れる。
Katz氏は、救済融資が起こるだろう、と言います。その理由は、田中真紀子外相の更迭などで小泉首相の支持率が低下していること。青木建設やマルカイを処理したが、ダイエーは救済したこと。政治家たちは乏しいセイフティー・ネットで支えきれない大量失業者が発生することを恐れているから、と。しかし、倒産は、もし正しく行われるなら、無秩序ではなく、再生のための空間を生み出す。25万人を雇用するアメリカのKマートが倒産したが、アメリカ経済のしゃっくりに過ぎない。
韓国やアルゼンチンと日本との違いは、日本が対外債権国であることだ。韓国やアルゼンチンは大幅な経常収支赤字国であった。もし対外債務国であれば、海外の債権者は返済を待ってくれない。資金が流出し、輸入が止まる。工場が閉鎖されて、人々は街頭に投げ出される。日本では、そうならない。
問題は、政府がいつ、どのくらい、資金を注入するか、だけである。直接か、RCCなどによる間接か、条件はどうなるか? そして日銀はまだまだ銀行に資金を流し続ける。政府にできないこととは、債務を抱えた企業を延命したまま、成長を回復すること、である。過剰な生産設備とデフレ圧力が続くだろう。
そして遂に、日本は解決のための行動に踏み込む。それは、行動しない痛みが、行動の痛みよりも大きくなったとき、である。そのときが来るまで、危機は日本の改革を促す触媒にならず、腐食させるに過ぎない。経済破綻が起きるのではなく、経済破綻を恐れて動けない、という麻痺状態が続くのだ。
David DeRosaは、毎年、日本の政治家が株価対策を議論しはじめると春の訪れを知る、と述べます。柳沢金融担当大臣は、無残な日経平均の水準では会計に支障をきたす、と心配する。そこで早速、来週にも株価を引き上げるために政府が株式を購入する、と言う。まるで日本の危機を救うためには、こうする他ないかのように。なるほど、とんでもない相場でも政府が買い支えるから、われわれも株式を買った方が良いのか?
なぜ日本人は、毎年こんな喜劇を演じるのだろうか? この国の企業の帳簿を粉飾するために、もっと合理的で、コストのかからない方法がある。会計を誤魔化して25%も評価額を上積みしたり、塩川財務大臣は国債の個人保有者に免税措置を検討する。しかし、投資家が日本に期待しているのは、こんな誤魔化しを全部投げ捨ててしまうことである。と。
為替レートや金利、株式市場などで、市場モデルが実際に機能するには、社会・経済システムやリスクと利益の分配・補償メカニズム、そして何よりも政治システムについて、どこでも多くの改良が必要だと思います。以前の時代に達成された日本の成功がそれを妨げている、と言われながら、誰もシステムを改良する勇気を持たなかったのです。
Financial Times, Thursday Feb 14 2002
Seriously underachieving. Must try harder
Emma Tucker
Financial Times, Thursday Feb 14 2002
An education for tomorrow's workers in the UK
(コメント)
ドイツ人は、自分たちの教育システムがブラジル並だとOECDの報告書に書かれて、ショックを隠せません。高等教育への進学率は低く、しかも大学の教育内容は現実の社会や経済が必要としていることを無視しています。特に科学やエンジニアの学生が不足しています。
ドイツでは大学の授業料がただであり、教員たちは生涯の雇用を保証されているために、システムが非常に硬直的だ、と批判されます。平等主義的な社会哲学を前提として、大学は何年でも好きなだけ学ぶ自由を学生を許しています。授業内容も極端に理論的で、学術的なものです。その最も重大な問題は、大学に説明責任が問われないことです。大学の特権は濫用され、優れた授業と怠慢な授業との報酬は区別されていません。教授たちは大教室で多くの学生に講義するだけで、質問に答えたり学生を指導したりしません。
ドイツの経済成長が衰えた原因を探すなら、まず教育システムの中を検査するべきだ、と。
他方、イギリスでは「国語」(読み書き能力literacy)と「見習い労働者としての経験」が強調されています。イギリスの高等教育は優れた成果を上げているが、多くの若者は基本的な計算や文法も知らない。イギリスの識字率は、他の西欧諸国、特にドイツに比べて、大幅に低い。また、若者たちにエンジニアとしての関心を持ってもらうには、実際に職場に来て経験させることが何よりだ。と。
日本でも、同様の議論があります。国語や算数を重視して、基礎的能力を確立し、大学の授業をもっと現実に合わせるべきだ。若者の向学心を高め、大学の内容にも職業選択につながるような工夫を必要とする、と。戦争における国家への忠誠から、市場における企業への忠誠、そして次第に、各人が社会と経済の必要を予測して大学や講義を選択する時代になるでしょう。大学の競争は厳しくなるでしょうが、社会は平和で、革新に富んだ企業が増えると思います。しかし、大学や講義の中まで、政府や企業の監視と学生の気まぐれが支配する危険もあります。
New York Times, February 13, 2002
Crazier Than Thou
By THOMAS L. FRIEDMAN
(コメント)
ブッシュ氏とヨーロッパの論調とでは、「悪の枢軸」について異なった理解をしています。アメリカではそれが「イラン、イラク、北朝鮮」ですが、ヨーロッパでは「ラムズフェルド、チェーニー、ライス(Donald Rumsfeld, Dick Cheney and Condi Rice)」なのです。
ベドウィンのたとえ話が紹介されています。
昔、ある族長が威厳を示すために、七面鳥をふるまおうとした。彼は七面鳥を買ってきて、毎日、ごちそうを詰めて準備していた。ところがある晩、七面鳥が盗まれる。彼は息子たちを呼んで、われわれは危険な状態にある、と言う。どうせ皆に食べさせるはずだったのだろう、と息子たちは思っていたが、彼は、七面鳥を取り戻せ、と命じる。しかし息子たちは放っておいた。何日か経って、今度はらくだが盗まれた。族長はまた息子たちに、七面鳥を取り戻せ、と言う。それでも息子たちは何もしなかった。何週間か経って、族長の娘がレイプされた。
族長は息子たちに言う。すべては七面鳥に始まる。七面鳥を取り戻せなかったことで、奴らはわれわれからすべてを奪えると思ったのだ、と。
THOMAS L. FRIEDMANは、ブッシュ大統領の演説に対する批判がすべて当っているとしても、一つだけブッシュ氏は正しいことを述べたのだ、と言います。狂った独裁者たちが、アメリカは報復しない、と決めてかかっていたことにブッシュ氏は反撃した。Don Rumsfeldは、お前たちよりももっとクレージーだぞ、と。
こんな形で競争に勝つしかない、とアメリカ政府が本気で信じたとしたら、それこそ世界の安全保障体制は根底から再編されるでしょう。アメリカ政府の狂気を封じ込める、という意味で。
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The Economist, February 2nd 2002
Arafat under siege: Awaiting martyrdom?
軟禁状態にあるアラファトは、殉教を待っているのか。
アラファトが最も心配しているのは、イスラエルの戦車が彼を大統領官邸内に閉じ込めていることではなく、ワシントンから発射された銃弾である。チェーニー副大統領は、イランに武器密輸にアラファトが関与を否定したことを、嘘つきと断じた。そして以前は極端な行動と見なしたイスラエルの政策を、今ではアメリカも自衛のための正当な行為と見なすようになった。
クリスマスをはさむ3週間、アラファトはパレスチナの兵士たちに事実上の休戦を命じ、銃撃は抑えられた。しかしイスラエルはそれを計略と見なし、この時期に21人のパレスチナ人を殺し、パレスチナの支配地域を16回も侵略して、多くの家屋を破壊し、消滅させた。イスラエル兵の死者は5人であった。ついには、1月14日に、イスラエルがファタハの西岸指導者を暗殺した。そのときから武力対立が再び激化した。イスラエルへの攻撃で少なくとも3回はアラファトのファタハが行ったと言われ、イスラエルの市民9人が死亡した。アラファトは暴力を減らせるが、決して一方的にはできない、と疲れたパレスチナ人は言う。
イスラエルはパレスチナの各村落の代表と交渉しようとするが、問題は彼らもファタハであることだ。他の指導者を捜すなら、それはハマスやイスラム聖戦機構などの民兵である。彼らは西岸とガザ地区全体にパレスチナ国家を打ち立て、ユダヤ人入植地を破壊したいと考えている。あるいは、宗教的な対立にもっぱら関心がある。シャロンやアメリカが交渉できる相手ではない。
交渉相手にも後継者にも軽蔑されて、アラファトは深く絶望しながら出口を求めている。彼はアメリカのジニ特使に、帰還して交渉するよう求めている。パレスチナ自治区を自分たちで治安回復させるとともに、イスラエル軍の撤退と包囲解除、暗殺中止を交渉したいのだ。しかし、1月26日、ブッシュ氏はジニ特使の派遣を取り止めた。
アメリカの立場が変わらないなら、アラファトにはもう一つの出口しかない。その日、アラファトはラマラのパレスチナ民衆に「神よ。どうか私に、エルサレムのための殉教という名誉を与えてください。」と語った。「イスラエルが彼を拒むなら、彼は死を覚悟しているのだ。」とパレスチナ人は言う。