IPEの果樹園2002

今週のReview

2/11-2/16

日本の社会が大きく変わるとしたら、「日本人」という<社会的な心性>の変化が必要かもしれません。他の先進工業国にあって、日本にほとんど無いもの。そして日本的な心性を大きく変容させるような衝撃力を持つものとは、開放型の性的欲求・充足と、移民の大量流出入・定住化ではないでしょうか。

雑誌やビデオ、ゲーム・ソフト、携帯電話、インターネットによるセックス・ビジネスの蔓延と性の商業的濫用。非合法移民の斡旋業者や犯罪組織による移民ネットワークの社会的浸透。若者や労働者がすっかり減少して、衰退し切った町工場や学校による外国人労働者・学生の誘致が、突如、臨界点を超えます。それらはしばしば、「日本社会を守る」理由にされますが、むしろ閉鎖的な社会規範が現実の変化を歪めている結果ではないか、と思います。

かつて、「日本人」が賞賛されたような、家族への信頼や子供たちの笑顔、若者の向学心、労働者の勤労精神などが、着実に根底から蝕まれています。過去の閉鎖型社会を懐かしみ、大げさな規律を賛美して、家庭・学校・国家による調教を吹聴する保守的な思想家たちが、社会の活力を再生するために何の足しにもならないと分かれば、政府は教育制度の最重要目標を、小学校低学年から性と異文化に対する理解や受容性を高めることに向けるでしょう。

たとえば、北欧やオランダのような開放型の性と、イギリスやアメリカのような移民の居住を前提とする社会システムが日本にも形成されれば、私たちの「心」の中でも何かが変わるでしょう。その日以後も、天皇制や日本企業の集団主義、ヤクザの暗躍、日本語の曖昧さ、などは残りますが、日本的な「心性」はもはや社会・政治システムを拘束する重要な要因ではなくなります。何よりも、社会を動かすエンジンが、自分の欲求や意見を率直かつオープンに追及する、すなわち、合目的的に、できるだけ多くの人に訴えれば、支持者がもっと流動化するような仕組みに基づいて機能するのです。他方、沈黙を強制する老人たちはより早く引退します。

それでも「日本人」は源氏物語や方丈記を好み、夏目漱石や芥川龍之介、あるいは北杜夫や開高健などを読んで、彼らに続く新しい文学者を生むでしょう。日本的な「心性」がグローバリゼーションの中で生きる人々の楽しみや死生観を彩ることもあります。ただしそれは、南米やアフリカにおいてであり、最も日本的な「心」を持つ者が東欧の農夫であったり、アジアの小さな露天で働く少年であったりするのです。逆に日本の政治家や企業は、日本人が狭隘な「心性」に固執することの不利益と、他国の硬直的「心性」との摩擦について、より大きな不安や怖れを抱くのです。

Integrity and the State of the Union

By KEVIN PHILLIPS

Taking the War Beyond Terrorism

A Wrench in Korean Peace Machinery

David I. Steinberg

By Charles Krauthammer

(コメント)

もちろん世界を変えるのは、開放型のセックスや移民だけでなく、むしろ新しい戦争への恐怖であると思います。テロリストへの報復攻撃を願ったアメリカ国民に応えて、ブッシュ氏は世界の果てまでも彼らを追跡し、一人残らず生死を問わずに爆撃します。彼はこの戦争に向けて、世界中の国が賛成か反対かでアメリカと新しい同盟関係を築くべきだ、と主張しました。一方では、テロリストに武器や避難所を提供している政府をアメリカは転覆して良いし、民間の施設や市民であっても、彼らに犠牲が出るのは間違った政府の責任だ、と主張します。他方で、アメリカのテロとの戦争を同盟諸国は受け入れ、基地を提供し、強い政治的な支持を表明するとともに、軍隊を派遣しなければなりません。

KEVIN PHILLIPSは、聖書に依拠して十字軍を指揮したがるブッシュ氏の「悪との戦い」に、重要な欠陥を指摘します。「イラクを攻撃せよ。なぜならサダムは邪悪だから。」しかし、誰が戦費を賄うのか? ブッシュ氏は今までの大統領と違い、戦費の支払い方を説明しません。今までの大統領は富者の支払いに依存しましたが、ブッシュ氏は借金で支払うから?

International Herald Tribune, Friday, February 1, 2002

Global Capital Crisis Is the Greater Peril

Philip Bowring

世界経済フォーラムの総会に集まった人々がもっと注意すべき問題がある。それは、なぜ世界は資本をこれほど間違って配分し続けるのか? ということだ。単に債務不履行の国に資金が注ぎ込まれることだけでなく、ほとんどすべての主要国が製造量に過剰生産力を抱えている。

グローバリゼーションの支持者たちは、累積債務と過剰設備の危機を回避し、緩和する方法を見つけなければならない。トルコやアルゼンチンだけでなく、東アジアも、今ではアメリカでさえ、危機が忍び寄る。

反対派は貿易、労働、環境の問題について論争しすぎである。分配が間違っているとしても、貿易の利益は明白であり、環境破壊で苦しむのは発展途上諸国である。労働問題はしばしば保護主義のすり替えだ。ところが、過度の、不安定な資本移動については、アジア危機以後も改善策が採られていない。資本市場はアメリカを過剰な債務に依存させているし、資本流入は必ずしもその国の政策や投資対象が賢明な選択であることを意味しない。アルゼンチンやエンロンを見ても、資本取引を仲介する制度や機関に問題がある。

過剰投資は、借入の容易さとグローバリゼーション崇拝の結末だ。どれほど多くの国際企業が、中国に投資しなければならない、と感じていることか? そのほとんどで利益は出ないかもしれないのに。同じ衝動に従って、韓国の産業複合体、チェボルは、過度の拡大、過剰な設備、支払いきれない債務を負った。グローバリゼーションに踊らされた投資が失敗して、今や世界中の資本収益が悪化している。「外国投資」が、本当は、浪費された過去の投資を隠して悪化させている。


Spreading alarm among friends

By Quentin Peel

一人の賢明なワシントン・ウォッチャーに言わせれば、それは「素晴らしい演説だったが、まずい政策である。」ブッシュ大統領の最初の年頭調書は、議会で行われると同時に、世界に放映された。それは国内で夢を描くものであったが、海外では警鐘となって鳴り響いた。

今日、アメリカの大統領が国内向けに話すだけではいけない。さらに世界のテロリズムと戦争するのであるから、全世界が耳を傾けている。よく分かった。素晴らしい。しかし、その話に世界の聴衆は満たされなかった。そして中東でも、ヨーロッパでも、アジアでも、アメリカの同盟者は仰天した。

決して予め連携した形跡など無い、むしろ互いに対立するイランとイラクを、北朝鮮と一緒にして「悪の枢軸」とは、危険な単純化である。それはむしろ、共和党のかつての語彙「無法者国家」を思わせる、ミサイル防衛システムを議会に売り込むための表現を思い出す。ハマス、ヒズボラ、イスラム聖戦機構。ブッシュ氏がテロリストの地下組織の仲間として指名した四つの組織の内、三つはイスラエルに敵対する組織であった。これではまるでイスラエルのシャロン首相がアメリカの外交政策を決めたようなものだ。中国は憤慨し、ロシアも拒んでいる。ヨーロッパの同盟諸国でさえ、こんな戦争に付き合いきれないとぼやき出した。

コーリン・パウエル国務長官はどうしたのか? テロリズムとの戦争に際しても、彼こそ各国を訪問して国際的な同盟の拡大に努め、大統領の戦争拡大を抑制してきたのではなかったか? もしパウエルではなく、ラムズフェルドやウォルフォヴィッツが大統領に戦略を授けるとしたら、パウエル長官はどうするのか?

ウォルフォヴィッツ氏の主張は明白だ。ワシントンは応酬の遅い対応に我慢できない。NATOの連帯は重要だ。必要なら呼ぶだろう。しかし、戦争の使命が重要であって、加盟国がそれを決めるわけではない。気に入らなければ勝手にせよ、と。今まで、アメリカの代表はヨーロッパの同盟諸国に分担を求めてきた。しかし、今度はヨーロッパがアメリカに何をすべきか正している。軍事力の差を考慮すれば、もはやヨーロッパはワシントンを動かせない。


Roused by Economic Crisis, Argentina's Middle Class Finally 'Gets Involved'

By LARRY ROHTER

アルゼンチンの政党は経済危機によって信用を失い、政治的な真空状態が生じている。この国では「政治に関わるな」と言うのがモットーであった。しかしこの数週間で、「自己召集による近隣集会」が誕生してきた。街角でも公園でも、仕事帰りや週末に庶民が集まって、政治家への不満を述べるだけでなく、危機の解決策を議論して組織化を話し合っている。その主要な要求は、預金封鎖の解除、である。

非政党・非暴力の運動が、自発的な街頭デモから生じ、1220日にデ・ラ・ルーアを辞任に追い込んだ。その前夜、人々はこの国の伝統的な抗議形態である、鍋やフライパンを叩きながら首都のいたるところに集まった。そして議会と大統領官邸に向けて行進した。「デ・ラ・ルーアの辞任は、始まりであって、終わりではない。」

運動は主として未組織で、ウェブ・サイトを通じた個人が、非公式に展開している。その参加者はラコステのシャツを着た中年の専門職から、とんがった髪型の鼻にリングをした学生まで含んでいる。市民生活を送るこうした人々は、長く受け身であったが、アルゼンチンにおける最も基本的な問題は経済や政治ではない、と言う。それはかつてない道徳的な危機である、と。「法の秩序と市民生活を守り、互いに豊かになる道具として国家を考えるべきだ。」

彼らの多くにとって、特に1976年から1983年にかけて、3万人もの民間人を誘拐し、暗殺した軍事独裁の時代を経験して以来、初めての政治参加である。42歳のエンジニアであるJorge Onetoは、二人の隣人が右翼の軍事クーデタを批判するパンフレットを配った後、1977年に行方不明になったことを思い出す。軍事独裁が崩壊して20年を経ても、「人々は政治に関わるのを避けてきた。」「われわれは漸くそれを克服し始めたばかりだ。」

また、メネム政権のもたらした1990年代の繁栄を後悔する人たちもいる。1991年、ネメム大統領がペソとドルを固定して外資の大規模な流入を促し、過剰な輸入と虚飾に耽った。それはアルゼンチンの歴史にかつてないことであった。「ネメム政権のもたらした安定性に満足して、人々は問題を放置し、貧しい者の声も聞かなかった。」と、41歳の国語の高校教師Paula Finkelは言う。「連帯や自戒ということを忘れていた。今や、過ちを認め、こうした感覚を取り戻すときだ。」

彼らには統一された要求も無いが、警戒を示す声もあがっている。指導的なビジネス紙は彼らを「ソビエト」と呼び、ネメム時代を分析したベスト・セラーも書いた社会学者のSylvina Walgerも、「危険な無政府主義的・反政治的気配があり、ファシズムの悪臭がする」と言う。沈黙してきた多数派の中間階級が「不十分な自己批判に甘えて、スケープ・ゴーとを捜している」と。「しかし、われわれが彼らを選出したのであり、世界一豊かで偉大な国であるという嘘を信じたのだ。」

預金封鎖が彼らの夢、アルゼンチン・ドリームを打ち砕いた。それが無ければ、こうした直接行動への参加も疑わしい。そこには明確な指導者がいない。誰も問題の解決を示せないのである。今までと全く異なる政治政党が生まれるかもしれない。彼らの声が政治に届く必要があることは確かだ。


Financial Times, Tuesday Feb 5 2002

Spend now, pay later

Ronald McKinnon

ブッシュ大統領の予算案は共和・民主両党から支持された。軍備の大幅増強と、国内安全保障体制の拡充、教育や処方箋投薬への保険適用、失業手当の増額、その他、多くの社会支出が盛り込まれている。政府はこの歳出増加をどうやって賄うか触れていない。不況対策として減税も繰り返し約束している。より多くの財政赤字は避けられない。

こうした赤字は、ジョンソン大統領が出した赤字予算を思い出させる。それはヴェトナム戦争のために軍事費を増額し、「偉大な社会」を築くための社会支出も盛り込んだ。1964年にもジョンソンは増税を拒み、過度の経済刺激策が重なって、1968年にインフレが強まった。リチャード・ニクソンも本質的にはジョンソンの政策を継承した。その結果、19716月に、アメリカのインフレがドルの価値を切下げ、ブレトン・ウッズ体制の崩壊をもたらした。そして1970年代の高度インフレ時代に突入した。

しかし、歴史は完全な繰り返しではない。現在では、1960年代と違って、財政の大幅赤字も金融政策による追認も無い。もしインフレの恐れがあれば、アラン・グリーンスパンは金利を一気に引き上げるだろう。しかし、インフレは起きそうにないが、ブッシュ氏の財政政策は他の反応をもたらす。簡単に言えば、アメリカの国際収支がさらに悪化する。

もちろん、アメリカの経常収支はすでに赤字である。過去10年間、アメリカの財政黒字が増加する以上に、個人貯蓄は減少し、経常収支赤字は2000-2001年にGNPの約4.5%であった。歴史的にGNPの約17%である民間国内投資を維持するために、アメリカは海外の貯蓄に大きく依存している。ブッシュ政権の予算は、1990年代のGNP比約2%の財政黒字を消滅させ、さらに赤字をもたらすだろう。アメリカの貿易赤字が将来さらに増加すると言える。

2002年に約27000億ドルに達した莫大な対外債務を考えれば、より大きな対外債務は将来の問題とならないのか? アメリカについては、通常のように、債権者が突然資金を引き上げる心配が無い。なぜなら世界はドル本位制であるから、すなわち、ドルは国際決済に圧倒的に使用されており、アメリカの対外債務もすべてドル建であるから、アメリカが破産することは無い。財・サービスで見たドルの購買力が安定している限り、アメリカは全体として(もちろん、個別の家計や企業は破産するかもしれないが)常に外国人からドル建の預金を得ることができる。

この天与の才によって、世界の通貨システムにおけるアメリカの中心的地位が、事実上、無限の国際信用をアメリカに保証してくれるのである。過去20年にわたって、アメリカの貿易赤字はドル建の債務により高い金利を支払うことなく外国の債権者によって蓄積されてきた。

にもかかわらず重大な問題が残されている。アメリカの国際競争力が全体として悪化する、ということだ。アメリカの貿易赤字がもたらす莫大な資本流入がドルの実質的な増価をもたらしているから、たとえばボーイングはヨーロッパのエアバスに比べて競争力を失った。鉄鋼産業は繰り返し外国の生産者をダンピングで訴える。映画界者も外国で映画を製作し、ハイテク産業もアウト・ソーシングにますます依存する。アメリカの生産性上昇率が低下することもありそうだ。すでにアメリカ企業も労働組合も、ますます保護主義的になっている。


The Palestinian Vision of Peace

By YASIR ARAFAT

過去16ヶ月にわたって、イスラエルとパレスチナは暴力の破滅的な循環に捕らわれてきた。平和は不可能だ、パレスチナを無視しろ、という者も増えてきた。今こそ、パレスチナ人が、世界に向けて、パレスチナの考えを明確に述べるときである。

最初に、はっきりさせておきたいが、私はテロリストたちによるイスラエルの民間人を狙った攻撃を非難する。これらの集団はパレスチナ人を代表する者ではなく、自由を正当に希求できる者でもない。彼らはテロ組織であり、私は彼らの活動を終わらせたい。

パレスチナの求める平和とは、1967年にイスラエルが占領した領土において、独立国家パレスチナを築き、イスラエルの対等な隣国としてイスラエル人とパレスチナ人がともに平和と安全を享受できる暮らしを実現することである。1988年、パレスチナ国民評議会は歴史的な議決を行い、国連決議の実行、特に第242号と第338号決議の実行を求めた。パレスチナ人は、イスラエルが歴史的にパレスチナの領土である78%で存在する権利を認め、1967年以来、イスラエルが占拠している残りの22%で自分たちが自由に生活することを認めたものである。私たちは両国家共存案を支持する立場を変えておらず、その返答を待ち続けている。

われわれは真の独立、完全な主権を求める。われわれが領空、水資源、国境を管理し、経済を発展させて、近隣諸国と正常な通商関係を結び、自由に旅行したい。要するに、われわれは自由世界が現在享受しているもの、イスラエルが自国に主張しているものを、求めているのだ。すなわち自分たちの運命を支配し、自由な諸国家の中に位置することである。

さらに、54年間も自宅に戻ることを許されていないパレスチナ難民の窮状に対して、公平で、正当な解決策を要求する。われわれはイスラエルの人口問題を理解し、難民たちが国際法や国連決議194号によって保証された権利を行使することが、イスラエルの人口問題に配慮しなければならないことを理解している。しかし、われわれパレスチナ人が現実的でなければならないように、イスラエル人も現実的でなければならない。こうした何の罪も無い人々が無視され続けるなら、イスラエルとパレスチナとの紛争を解決することはできないのだ。パレスチナ難民の権利が否定される一方で、コソボのアルバニア人や、アフガン人、東チモール人が帰還の権利を認められることを、一体どう理解しろと言うのか?

私(アラファト)は和平のパートナーではない、と言う者がいる。それに対しては、イスラエルの和平は、個人に対してではなく、パレスチナ人民に対して行われる、と私は答える。和平とは、個人間の合意ではなく、人民間の和解である。二つの人民が和解するというのは、一方が他方を支配し、他方を和平の相手と認めないような状況で、また一方が「論理の力」によるよりも「力の論理」を使用する限り、実行不可能である。正義を否定する限り、平和を得られないことを、イスラエルはまだ理解していない。パレスチナ人の土地が占領され、パレスチナ人の自由が否定され続ける限り、私のパートナーである故ラビン氏とともに始めた「勇気ある平和」への道は、汚物でふさがれたままだろう。

パレスチナ人民は長くその自由を奪われ、外国の占領下で暮らす唯一の人々である。なぜ世界は、こうした占拠、差別、屈辱に耐えられるのか? 1993年のオスロ合意は、19995月までにパレスチナ人の自由を回復すると約束した。ところが1993年以降、イスラエルの入植者が二倍に増え、パレスチナの土地への非合法なイスラエル入植地が拡大し、自分たちの移動の自由をますます制限することに、パレスチナ人は耐えてきた。撤退を交渉しながら、同時にパレスチナの土地をますます植民地化してきたイスラエルの過去を知りながら、私は一体どうやって、パレスチナ人民に対して、イスラエルは和平に真剣に取り組むと説得できるのか?

しかし、どれほど抑圧され、絶望したとしても、それが罪の無い民間人を殺す理由にはならない。私はテロリズムを非難する。私は、イスラエル人でも、アメリカ人でも、パレスチナ人でも、殺してはならないと信じる。彼らを殺したのがパレスチナの過激派であろうと、イスラエルの入植者であろうと、あるいはイスラエル政府であろうとも。しかし、批判してもテロリズムは止められない。テロリズムを止めるには、それが症状であって、病気そのものではない、と知らねばならない。

私を避難しても、イスラエルの言い訳になる程度であって、和平が進むわけではない。イスラエルの首相、シャロンは、今までイスラエルが署名したすべての和平条約に反対であり、交渉を無限に引き延ばすことで情勢を不安定化しようと狙っている、と言う者も多い。残念ながら、彼もこうした主張が間違いだと示すことはほとんど無い。イスラエル政府は入植地を建設し、パレチナ人の住居を破壊して消滅させ、政治的な暗殺を実行し、イスラエル入植者による暴力や日常的侮辱が目の前にありながら、それらについては恥知らずな沈黙を続ける。こうした行為が事態を沈静化する目的に反するのは明らかだ。

パレスチナ人は平和を求めている。それはイスラエルによる占領を完全に終わらせ、1967年の国境線に戻ることを意味する。エルサレムは、パレスチナとイスラエル、両国家の首都として、一つの開放都市になる。相互の利益をもたらす経済的・社会的な協力を対等な両国間で進めることで、暖かい平和が生まれる。過去40年間にわたって、パレスチナ人は残酷な抑圧を受けたが、それにもかかわらず、一方がその意志を強制するような従属民としてではなく、イスラエルがパレスチナを対等な関係で見るとき、この平和を実現できる、と私は信じる。そうでなければならない。

パレスチナ人には紛争を終わらせる用意がある。われわれはイスラエルのどんな指導者とも交渉の席につく。彼の経歴に拘らず、パレスチナ人の自由、占領の終結、イスラエルの安全保障、難民帰還に関する創造的な解決策を交渉するためだ。しかし、われわれは対等な関係でだけ席につく。われわれは嘆願者ではない。パートナーであって、従者ではない。正当な平和的解決を求めており、敗戦国が自分のやり方をすべて放棄して、解決策なら何にでも従うというのではない。イスラエルが軍事的には圧倒的な優位を持つとしても、われわれはさらに強力な優位を持っているからだ。それは、正義の力だ。


Yam warns of risk in weak yen

ENOCH YIU

香港金融庁長官のJoseph Yam Chi-kwongは、円安が直ちにアジア金融危機の再来や人民元の切り下げにつながることは無いだろう、と述べた。香港の外貨準備は固定制を守るのに十分な水準である。しかし、経済的な不確実さが増す中で、彼は為替基金を財政赤字に流用することを拒んだ。「円安やアルゼンチンの危機で、世界の金融システムはリスクの合流による未知の領域に入った。」

資本規制を採らない香港市場では、アジア地域の投資家がアジアのリスクをヘッジするために頻繁に市場を利用している。財政赤字が数年に及べば、公的金融に関する不安が生じる。香港の固定レート制にとって、健全な財政を維持することが決定的に重要だ。と彼は言う。

財務長官のAntony Leung Kam-chungが為替基金の使用を求めたことについて、Mr Yamは、法的にそれを妨げる理由は無いが、しないほうが良いと助言した。そのような行為は固定制の信認を損なうから。また、たとえ為替基金に大幅な黒字があっても、アジア金融危機に際して、香港の株式を買い支えるために1180億HKドルが必要であったことを指摘した。


Financial Times, Wednesday Feb 6 2002

America's crony capitalism

Caroline Atkinson

Financial Times, Thursday Feb 7 2002

The dangers of hedge funds

Hans Eichel

The Economist, January 26th 2002