IPEの果樹園2002
今週のReview
2/4-2/9
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土曜日の朝は、よく、文珍の「ウェーク・アップ!」を観ながら新聞を読みます。Reviewに何を書こうか? と想うとき、文字よりも他者の発言によって刺激されることが意外なくらい多いです。ゼミナールでも家でも、質問されたり、話し合ったりすることで、論理や言説の起源を追体験するわけです。
TVに出てくる政治家や学者、評論家は、基本的に自分の言説に自信があり、聞かれれば、いつでも立派な主張をします。しかし彼らが集まると、少なくともその人数か、それよりも多くの「正しい」言説が聞き手に向かって発射されます。それらはしばしば対立し、矛盾し、公然と互いに否定し合います。その点、文字は所詮独白であり、自己矛盾だけを(自分勝手に)排除して、精緻で長大な、体系の美学に耽ります。
田中真紀子も外務省も、族議員、特殊法人、医療費、年金負担、雪印、巨泉? そして円・株・国債のトリプル安も、問題自体より、その問題を処理する制度内部の不透明さに苛立ちを覚えます。本気で制度を改革したいのであれば、解決すべき問題に焦点を絞って、<情報の公開>と<説明責任>を強く要求し、これを進める政治家が国民に支持を訴えるべきでしょう。
私は田中真紀子氏の言説を好みませんでしたから、彼女が更迭されて良かったと思います。彼女の強圧的な手法は官僚制度の改革に失敗しました。また政策以外の点で、もっぱら個性や刺激的な言動を有権者に振り撒き、高い支持率を獲得する手法が、政治をますます閉ざされた内輪の駆け引きと見せかけの人間性、主観的な好悪の感情に矮小化しました。それゆえ政治スタイルに制約されて調整能力は低下し、デマゴーグの応酬から突然の市街戦!へと国民を振り回す結果になったのです。官僚・政治家・産業界への情報公開や改革を促進する大臣なら分かりますが、日本の外務大臣には決して相応しくなかったわけです。
しかし、加藤紘一氏であれ、田中真紀子氏であれ、改革を唱える政治家が多数派によって退場を強いられるのはなぜでしょうか? 自民党という多数派支配・集票=集金=利益再分配マシーンこそ、改革の主題であるべきだと思います。自民党を透明にして、彼らがいつ、何をしているのか、その資金や政策決定に関わる活動、利害関係者(個人・団体)に関する情報を公開し、当事者たちに説明責任を課すことです。そして、政治的にも法的にも、その責任を追及して欲しいです。
一人一人は賢人や偉人でも、多くが集まれば話はまとまらず、次元の低い理由で実に粗末な、醜い収拾策が最終案として誕生するのは、疲弊した閉鎖的(既得権維持)制度にありがちなことです。そしてこうした最終的妥協案こそが、各人の思考に硬直化と沈黙を強いるのです。それが解決策を示したものではなく、実際には密室内の秘密取引と、排除された者へのコスト転嫁を合意しただけだ、とは決して語りたくないからです。
世界経済フォーラムに集まるエリートたちと、グローバリゼーションに抗議する運動家たちとが、新しい民主主義を模索しているように、日本でも本当に機能する民主主義とは何か? が問われています。もしかすると、火星人!でなくても、関西人!? にならできるかも。落語や漫才には、話芸として計算された落ちや、アド・ホックな展開、寄席、ボケとツッコミ、などがあります。来年の今ごろは、文珍委員長が「ウェーク・アップ! 国会!」を怒号と笑いで進行する姿を、毎週土曜日の夕食後にTVで楽しく観ているかもしれません。
そして国会では、政党横断的な改革派の議員たちが次々と新しいアイデアを示し、政府も官僚も新しい指導部の下で迅速に実行する、と約束するのです。銀行や企業の競争的な選別が進み、既存の優良企業と新興企業が株式相場を2万円に押し上げ、日本への資本流入で為替レートはは1ドル=100円を目指し、アジアからの輸入と日本からアジア諸国への直接投資、証券投資が増えるでしょう。為替レートと金融安定化の国際協力が活発に議論され、日本はアジアの経済安定化のために規制緩和と積極的な増税・財政再建をアジア諸国に約束します。こうして平和的なアジアの経済・政治秩序形成に、日本が指導力を発揮する条件が整うのです。
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Financial Times, Monday Jan 21 2002
This Argentine scheme
Sebastian Edwards
アルゼンチンの新しい経済大臣Jorge Remes Lenicovは、最初の記者会見で、この国のインフレの歴史から考えて、ペソ切下げが成功する見込みはあるのか? と質問された。彼は即座に、先例を挙げた。彼がまだ非常に若い頃、1967年に、40%の切下げがインフレをもたらさずに成功したことを覚えている、と。
政治家は歴史を指針とするが、都合の良い教訓しか導かない。Remes氏は、1967年の為替レート調整が、輸入関税率の大幅な引下げと厳しい財政引締め、厳格な賃金抑制策を伴っていたことを、言わなかった。国際競争力の回復が主要な目的であり、二重為替レートが廃止され、資本・為替管理は行われず、賃金のインデクゼーションは禁止された。1967年、財政赤字が半分に削られ、翌年にはまた半分に削られたのだ。
闇市場の為替レートとの差は一夜にして消滅し、インフレは1968年までに大きく圧縮された。外貨準備も回復した。さらに重要なことに、1968年にはほとんど5%の成長、さらに1969年には8.5%もの成長を達成したのである。
条件は異なるが、それは現在の調整政策が従うべき指針を与えている。最も重要なのは、1967年の改革を進めたAdalbert Krieger Vasena経済大臣が、競争力と成長を回復するために輸入制限を撤廃したことである。現在、アルゼンチンは世界でも非常に閉鎖的な勲位の一つであり、輸出はGDPの9%でしかない。そして1990年代の生産性上昇率はマイナスであった。他方、チリは輸出がGDPの25%に達し、生産性の改善が成長率を毎年3%も高めている。
アルゼンチンが輸出を減らし、成長を実現できなかった原因は、過大評価された為替レートとメルコスールである。域外に高い共通関税率を課すメルコスールは、非効率な関税同盟の典型である。メルコスールのせいで、アルゼンチンはブラジルの脆弱な制度、保護主義、マクロ経済の不安定性も輸入してしまった。
もしアルゼンチンが真に世界経済に統合するなら、輸出は急速に成長のエンジンとなるだろう。そのためには、1967年にやったように、メルコスールを再考する必要がある。これを離脱して、一方的な貿易自由化に踏み切るのが最善である。1970年代にチリはアンデアン・パクトを見捨てて輸出志向戦略を採用した。次善の策は、メルコスールを自由貿易圏に改造することである。この場合、アルゼンチンはブラジルや他のメルコスール諸国と外交的な関係を追及できる。
しかし、ブエノス・アイレスからのニュースはどれも、Jorge Remes Lenicov氏の逆向きの政策を伝えている。ブラジルの産業大臣と一緒に、両国で地域産業を保護しよう、という。そのために公的部門はコストのかかる地元企業から購入することが強制される。これは間違った経済学だ。
もし生産性の上昇と国際貿易が促進されるなら、アルゼンチンは現在の苦境を脱し、急速に成長を回復するだろう。しかし、もしポピュリスト政策や保護主義に走るなら、それは陳腐な詐欺であるとしか言いようが無い。
Financial Times, Tuesday Jan 22 2002
Argentina brings in help to solve banking crisis
By Thomas Cat疣 in Buenos Aires
アルゼンチン政府は銀行危機から抜け出す助言を得るために最高水準の国際顧問チームを集めつつある。それにはブラジル中央銀行のArminio Fraga総裁、1994年の危機のときにメキシコ中央銀行にいたMiguel Manceraが含まれる。アルゼンチンは1997年の韓国の危機から学びたいと考えている。他にもこのチームには、アメリカ財務省から誰か招く。すでにStanley Fischer や、Adam Lerrick and Allan Meltzerのような、国際的な経済学者が助言を与えている。
国際顧問チームのアイデアは、アルゼンチン政府とIMFのHorst Kohler専務理事、Enrique Iglesias米州開発銀行総裁や、アメリカ財務省との話し合いから生まれた。ブッシュ大統領からの個人的な支援に加えて、こうした国際的な関与が、アメリカやG7はEduardo Duhalde政権を国際的に支援している、ということを示す。他方で、Duhalde氏はポピュリストやナショナリストの主張を取り下げた。IMFとの関係修復は、昨年までIMFにいたMario Blejerを中央銀行総裁に指名したときにはっきりした。
しかし、支援を得るには政府が包括的で「持続可能な」経済政策パッケージを採用することが条件である、とIMFもアメリカ政府も表明していた。Jorge Remes Lenicov経済大臣は、2002年の緊縮予算、通貨の完全な変動レート制への移行を、20日以内に発表する。それからアルゼンチン政府の代表がアメリカとIMFとに最高級会談を申し入れ、200億ドル支援を求めるのである。
IMFと世銀のスタッフが最も重視する問題は、ドル預金をペソで引き出させる交換レートである。Duhalde氏は470億ドルのドル建預金を切り下げたペソで引き出させると述べて、金融システムを破綻させるような以前の約束を取り下げた。しかし政府は預金者にその損失をいくらか補填することで、これまで二つの政府を退陣させた大衆抗議の圧力をかわそうとしている。彼らはその価値がインフレによって目減りしないインフレ連動預金を検討している。
政府はアルゼンチン国民とこの国の金融システムを支配する外国銀行との間で、慎重に政策を模索している。さもないと銀行はアルゼンチンから逃げ出してしまう。切下げによる債務者への緩和策として、政府は10万ドル以下のドル建債務をペソに転換し、他方、ドル預金は元通りに引き出せると約束した。これによる資産と負債とのミスマッチは、切下げによる不良債権も加わって、金融システムを破綻に追い込む恐れがある。Moody's Investors Serviceは、そのコストを540億ドルと見積もって居るが、それは全株式発行額の3倍以上である。Duhalde氏は、銀行には預金者に支払うお金が無い、と認めた。
Financial Times, Thursday Jan 24 2002
A solution for Argentina
Adam Lerrick and Allan Meltzer
アルゼンチン中央銀行が紙幣を印刷するにしても、何のために、どれだれ印刷すれば良いのか? インフレを引き起こさずに経済に資金を注ぎ込む魔法の数字など見つからない。
デ・ラ・ルーア政権は、人々に預金引き出しを拒み、経済の半分が現金支払いの連鎖で成り立ち、貧しい者のセーフティー・ネットも提供していることを無視したために、追放された。ロドリゲス・サーの短い大統領就任期間も、新通貨の発行が1990-91年の5000%というハイパー・インフレの記憶に結び付くや否や終わった。
取り付けを防ぐための預金凍結は、危機に際してラテン・アメリカで採られる古典的な方策だ。経済が現金支払いに依存しているために、預金凍結は経済を停止させる。過去1年で税収は30%減り、インフォーマル部門の賃金は1ヶ月で半分になった。
こうした古典的なラテン・アメリカ型流動製不足は、新通貨の爆発的発行と、その挙句にハイパー・インフレーションに向かう。アルゼンチンの生産者や主要輸出業者は、今や急落するペソに備えて投機的な在庫積み増しに走っている。
家計がテーブルの上に食糧を並べるためのお金をすぐに手に入れられないなら、政策担当者が経済を安定化したり、成長を回復させたりする余裕も無い。Eduardo Duhalde大統領も、預金や賃金の封鎖を「時限爆弾」と呼んだ。しかし、預金封鎖の解除は銀行の取り付けやインフレを招いてもならない。
解決策はある。それは銀行システムの中にある。この解決策により、金融部門は一時的に凍結されていても、完全な経済活動が可能になる。それは固定制でも変動制でも、ドル化にも対応できる。恐れられるような新通貨の発行では決してないし、新しいペソが氾濫することも無い。すなわちそれは、中間的な決済手段として流通しつつも、銀行準備を変化させず、通貨供給量には影響しないのである。
あたかもサイロから穀物を動かすことなく商品の倉庫保管証が売買されるように、各人は預金額を示す保証書を銀行システムから現金を引き出さずに日々の取引に使用できるのである。商業銀行は預金受領証を、2,5,10,20,50,100などの基準額で発行すれば良い。これらを銀行は無条件に発行し、要求払い預金と1:1で対応させる。受領証は貨幣のすべての機能を果たす。これで税金や賃金を支払い、貯蓄口座に回したり、融資や返済を行ったりもできる。銀行口座を持たない人でも支払いに使える。
弱い銀行から強い銀行に預金が移って取り付け騒ぎにならないように、資本が強化されるまで政府は預金の全額を保証しなければならない。それゆえすべての銀行の預金受領証が同じに扱われる。こうして銀行預金が利用可能なキャッシュと同じにすることで、当座勘定と貯蓄勘定の全額を貨幣に転換できる。流動性が直ちに得られる一方で、インフレは起きない。なぜなら預金受領証の上限は既存の預金額に制限されており、新通貨は一切発行されず、政府もこれで財政赤字を賄えないからである。
短期には、この新しい流動性メカニズムが好ましい脱出策である。しかし、一旦、信頼が回復されれば、預金封鎖は次第に解除され、預金受領証は消滅する。
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New York Times, January 27, 2002
Planet of the Privileged
By MAUREEN DOWD
An Orange Grove Illustrates Japan's Economic Woe
By JAMES BROOKE
(コメント)
これは、地球とは異なる惑星エンロンに吸い寄せられた、大統領と政界の有名人たちを扱った寓話です。この惑星が放つ特権や豊かさは、余りに強い引力となっていました。ブッシュ政権に関する胡散臭さも指摘している、と思います。大統領とは、人気が無くなれば戦争し、何か都合が悪くなれば、それを合法的に秘密にしたがる人のことか? そして仲間を裏切った奴は乗用車の中で自殺する?
他方、惑星ニッポンでは、首相が地球でシンガポールやタイと自由貿易協定を相談しながら、老人たちが働けるようにブルドーザーで平坦なみかん畑を作っています。74エーカーを数年がかりで平坦にする工事が完成し、納税者がエーカー当り30万7000ドル(約4000万円)支払います。それはブラジルのオレンジ畑と比べて約68倍も高いコストだ、と言うのです。中国との貿易戦争を回避するため、惑星ニッポンは保護主義を諦め、ますます農業補助金に頼るでしょう。どちらにせよ消費者のコストです。すでに農民は老人ばかりであり、若者は町でサラリーマンになります。
しかし残念ながら、これは寓話ではないので、自民党議員を老人ホームの管理人にして、土地を開放した方がよい、とは書いていません。
Financial Times, Tuesday Jan 29 2002
Japanese banks on a downward spiral without growth
David Pilling
日本政府は銀行を救済する用意があるかもしれないが、経済を再生できなければ不良債権は増え続ける。Standard & Poor'sは日本の銀行システムを「技術的に見て支払不能である」と述べたが、反応は無かった。なぜなら利害関係のない専門家のほとんどが、この世界第二の銀行システムは本質的に破綻している、という点で異論無いからだ。
「問題のある債権は銀行システムの自己資本額をはるかに超えている」と、Mikuni & Co.のAkio Mikuni(三國)は語る。「日本の銀行システム全体が国有化されるか、資本注入を必要とする。」と。この理解は小泉首相の政策に転換を迫るものだ。彼は日本経済に市場の規律を求め、国債発行額を制限した。しかし彼も旧式の政府による銀行救済を迫られるだろう。
不良債権額は、公式でも43兆円、GDPの8%に達し、1980年代アメリカのS&L危機の二倍である。実際、実質的なゼロ金利政策が採られてから、倒産すべき企業が延命されて不良債権を増やしている。銀行は昨年も72兆円の不良債権を償却したはずだが、新しい不良債権がそれ以上に増加した、とHSBC のアナリスト、Brian Waterhouseは言う。そして銀行のコア・キャピタルは失われ、BISの自己資本規制を満たせなくなる。
最近、金融庁の検査によって石川銀行が破綻したが、不安を強める預金者は第二地銀から預金を引き出したり、あるいは金を買ったりしている。2003年4月にかけて1000万円以上の預金を保護しなくなれば、預金流出は政府が銀行への資本注入をしなければ破綻は避けられない、と格付け機関は言う。
政府が銀行システムを支えるだろうという格付け機関の確信を国民も共有しているから、日本国内にはパニックの兆候が無い。しかし、同じことが国際的には言えなくなっている。先週、日本を訪問したオニール財務長官は、「日本の銀行が不良債権を処理することは、実体経済に過大な重荷となっている。」と警告した。そして「瑣末なコストの軽減ではなく、問題全体を片付ける」ように求めた。それは、政府がダイエーの2兆2000億円に及ぶ債務に関する救済策をまとめてから、わずか数日後であった。経営陣を残し、教団などの営業を残した「整理」は不十分だ。UFJ・富士・住友銀行のダイエーに対するエクスポージャーは大きすぎて、不良債権額を膨張させる。INGのアナリストJames Fiorilloは、「ダイエーが銀行システムを崩壊させかねない」と言う。
主要銀行が苦しむ一方で、他の銀行はどうしているのか? 昨年、日本企業の70%は赤字であった。三國氏はそれを経済に空いた「ブラック・ホール」と呼ぶ。彼の推定では、企業の損失はGDPの6%に及ぶ。銀行がそれを支え続けることはもうできない。元大蔵省のトップであった、慶応大学の西村教授は、銀行の苦しみは経済が長い不況から抜け出せないことの一部である、と言う。ダイエーのような救済を続ければ、銀行システムが破綻する。「不良債権ではなく、日本の不況が銀行を弱くしている。」信用逼迫で不況が続き、銀行システムが改善されれば問題は解消する、という考えは愚かである。デフレ経済には融資に対する需要が無いのだ、と。
過去の不良債権だけでなく、銀行は現在のゼロ金利政策で苦しめられている。短期金利は0.001%しかなく、100億円で278円しか利子が付かない。これではコーヒー一杯も飲めないのだ。その結果、銀行は融資を増やすことを止めてしまった。日銀がベース・マネーを16.4%増やしたが、こうした円の洪水も実体経済に影響していない。融資額も消費者物価水準も低下し続けている。
こうして銀行と実体経済が互いにデフレを強めている。政府は今にも再度の資本注入を、税金を使って、行うだろう。それでも、経済を再生するという問題には手がつかない。それができないなら、不良債権は増え続ける。
International Herald Tribune, Monday, January 28, 2002
Clear all Clippings Enron-Style Bankruptcy Could Help Japan
David Ignatius /Washington Post
エンロンがもし、アメリカのエネルギー会社ではなく、日本の銀行であったら、Kenneth Layはまだ後10年も重役であり続けただろう。しかし現実には、Lay氏は水曜日に、エンロン破綻を取り巻く業火の中へ突き出されて、焼き尽くされた。
外国から見れば、エンロン・スキャンダルで驚くべきことは、その崩壊のスピードである。宇宙の支配者であったエンロンが、僅か数週間で破産に至った。このような崩壊は、特にLayのような政治的に重要な人物が絡む場合、世界中のどこでも起こらないことである。エンロンはその意味で、アメリカ資本主義がいかに上手く機能しているかを示している。Layとその仲間、そして会計事務所のArthur Andersenには、弁護士たちに無限に責められるという、アメリカ的な地獄が待っている。エンロン破綻の人情劇は、元副会長のClifford Baxterが拳銃で自殺した、というニュースで強められた。それはまさにギリシャ悲劇のように、その傲慢さが男や女を悲劇的な運命に突き落とす。
エンロンは重役たちを、会計士を、投資銀行家を、政治家を、セキュリティー・アナリストや無数の投資家たちを、そのでたらめな金融書類で誘惑した。しかし、それは無限に続けられるような詐欺ではない。1年前に、アメリカ資本主義の美徳である売り投機人の一人、Jim Chanosが真実を示し始めたのだ。
それは「偉大なるギャツビー」のようなアメリカ的物語である。アメリカは、まさに機会の国であり、一晩で億万長者になれる。しかしまた、毎日、何百もの企業が破産する国でもある。破産法はその残骸を速やかに処理し、破産企業の資産を有益に使用する新しい所有者に買い取らせる。
シュムペーター的な「創造的破壊」は、アメリカ人以外には、無慈悲に見える。しかし、そうすることでアメリカ市場は「清算」され、価格が他の誰かに購入されるまで下落する。それは損失を受けた個人にとって悲惨ではあるが、経済全体を前進させる。
エンロンの猛火を、日本の銀行システムに見られる凍結した灰燼と比べてみよ。問題の起源は同じである。日本の銀行もエンロンも、金融問題を帳簿外に長い間隠していた。エンロンでは"Related Party"として知られる企業群が債務を隠していたが、11月8日に情報を開示させられた。そして過去4年余りについて、利益を6億ドルも取り除いた。そして1ヶ月足らずで、エンロンは破産申請した。
日本の銀行は同じようなごまかしを行ってきた。10年前にバブルが弾けたとき、水増しされた土地が担保である融資は回収不能になった。これらの不良債権を直ちに償却せず、多くの銀行は関連企業に問題を振り替えた。1999年、政府は600億ドルを救済につぎ込んだが、それでも銀行は帳簿外に回収不能な債券を隠し続けていた。政府も国民も、まだこの笑劇を続けている。もし彼らが問題の深刻さを認めれば、いくつかの銀行は破綻するだろう。
日本ではどの銀行も政治家も、破産の汚名を受け入れようとしない。そしてシステム全体が機能しなくなる。同様の問題はヨーロッパにもある。
アメリカの政治家たちがエンロン・スキャンダルに群がって憤慨するのを見るのは喜劇的である。奴らこそ、エンロンからの莫大な選挙資金で当選したのである。SECの元議長Arthur Levittが会計処理を浄化しようとしたとき、彼らがそれを邪魔したのではなかったか?
エンロン事件が示したのは、一旦、虚偽が暴露され、事実が公開されれば、アメリカ市場はいかに過酷な処罰を下すか、ということである。
Straits Times, JAN 29, 2002 TUE
Globalisation lessons from history
HAROLD JAMES
グローバリゼーションに関する論争と抗議は、9月のテロ事件以後、静かになった。しかし、それは消滅したことを意味しない。事態が正常に戻って、反対派が騒ぎ出す前に、歴史をふり返ることで理解を深めよう。
歴史家にとって、グローバリゼーションは強烈な既視感deja vuをもたらす。それは一世紀前の私たちであった。当時も今も、逆流は、資本主義的搾取の対象と見なされた貧しい周辺諸国ではなく、豊かな工業諸国から起きた。先進諸国が「不公正な」国際競争に関税を課し、中央銀行は無秩序な資本移動を管理する責任を負った。移民政策は厳格になって、大規模な移民受入国が移民の選別を議論し始めた。
第一次世界大戦で後退し始めた統合化は、大恐慌で完全に破壊された。保護関税、周辺から中枢に波及した金融危機の伝染、経済ナショナリズムと自給体制への転換、一連の悪循環が作用したのだ。1914年以前は過度のグローバリゼーションに対抗したセキュリティー・ネットが、第一次大戦後は世界経済を窒息させる罠となった。
逆流の最も顕著な特徴は、右派と左派の奇妙な同盟関係であった。19世紀後半、ヨーロッパの貴族たちは穀物市場の国際競争に苦しんでいた。農産物は安くなり、地代も低下したため、貴族は没落しつつあった。同様に、小規模農家や小規模生産者、職人たちも、無制限な競争を有害と見なす点で貴族たちと一致した。彼らにとって、グローバリゼーションとは所得の再分配に等しかったのだ。
左派は、より累進的な課税を求め、旧秩序を守るために関税を利用することを止めさせようとして、増大する労働者の政治力を使った。Max Weberは、ドイツのポーランド移民がもたらす悲惨な結果に有名な警告を発した。「資本主義的に無秩序な経済では、高級な文化が生存競争において低級な文化に勝利できないような、ある状況をもたらす。」と。他方、中道派では、左派と右派からの反グローバリゼーションに対抗して、自由主義的な商業エリートが市場開放やグローバリゼーションを有益であると主張した。
こうして、反グローバリゼーションの保守は、グローバリゼーション支持の自由派、そして再分配を求める左派という、三極化した政治状況が生まれた。しかし、戦間期に、政治的な対立が先鋭化すると、反国際主義の右派はファシズムに、左派はコミュニズムに向かい、民主主義政治は機能麻痺に陥った。
1945年以後は、こうした分裂は解消され、右派も左派も国民経済内で再分配を求めて争ってきた。かつての三極化が復活したのは、グローバリゼーションの新しい波が始まってからである。反国際主義の右派は主要国業国で再生し、国際市場の浸透に抵抗している。他方、左派の反グローバリゼーション保護主義は目立たないが、政治を動かす力がある。労働組合と新右翼は支持を競い合い、国際競争や移民を賃金低下の脅威と見なしている。その結果、「不公正な」競争を排除することが中道・左派の政党に受け入れられている。
低賃金への恐怖は、反グローバリゼーションの包括的な同盟形成を助け、多国籍企業や国際金融機関を非難して、不満を吸収している。現代の中道派が19世紀後半のヨーロッパの自由主義秩序と似ているのは、グローバリゼーションを支持するエリートたちが、その利益を主張する点である。彼らのことを、批判家たちは「ダヴォス・マン」と呼ぶ。
現代では、選挙民をひきつける政治プログラムなど無い。しかし、グローバリゼーションのコストはあまりにも明白であり、人々の不満は激しい。単純な自由化と市場開放を唱える政党は有権者を惹き付けない。新しい政治は、この不安と頼りなさの感情に訴える。
20世紀の旧式の政治運動は大部分が滅んだ。古典的な保守主義も、古典的な社会主義も、社会の急激に変化についていけなかった。この空隙に、反グローバリゼーションに依拠した新しいポピュリズムが受け入れられる。新旧の政治が内向きになり、外国製品や外国移民、外国資本による乗っ取りに対する防壁として、国民を再生する議論が好まれる。
それは危険であるとともに、破壊的である。19世紀ヨーロッパの恐るべき政治状況こそ、20世紀前半の悲劇に多くの責任があるのだ。
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New York Times, January 31, 2002
Why Are Globalizers So Provincial?
By ALICE H. AMSDEN
Globalism and the Liberal Model
By VIRGINIA POSTREL
(コメント)
第32回世界経済フォーラムに集まる世界の産業界・政界の指導者たちに、Alice Amsdenは、準工業化諸国や中所得国から、もっと多くの人々を国際ビジネスの指導層に組み込む方法を見つける必要がある、と以下のように言います。
グローバリゼーションは未だに地方第一主義の問題である。国際競争条件の均一化と言いながら、国際機関や世界市場では豊かな国同士がいいかげんな指導をしている。アメリカは世界銀行総裁を指名し、ヨーロッパと日本がIMFの専務理事を争った。WTOはもっと民主的であるが、それでも権力構造によって豊かな国が加盟諸国の織物や農産物、鉄鋼を輸入規制することを許している。こうした世界的機関の何と地方主義的なことか。
多くの野心的な中間段階の発展途上諸国にとって、均一化された国際競争条件を受け入れることは、世界市場への参加する利益と、経済編成や必要な学習過程を選択する自由を奪う不利益を意味する。こうした自由こそ経済的近代化が成功するのに不可欠であった。
世界経済フォーラムの参加者たちは指導力を問題にする。彼らがどの国にも硬直的なルールを強制せずに、世界市場の新規参加者に弾力性を取り込み、異なった経済発展水準に応じた政策の違いを認めるなら、もっとグローバリゼーションに参加する国が増え、この「脆弱な時代」を乗り越えられるだろう。と。
他方、Virginia Postrelが紹介するBrink Lindseyの新著"Against the Dead Hand: The Uncertain Struggle for Global Capitalism" (Wiley) に示された考え方は、これと全く逆です。グローバリゼーションは、アメリカや国際機関が推進したものではなく、過去のグローバリゼーションの反動で各国が閉鎖市場と政府介入を行い、経済をすっかり衰退させたことを反省する過程であったに過ぎません。金融部門も含めた完全な世界的分業と法の支配が実現することで、自由主義モデルの正しさは証明されるのです。
Financial Times, Saturday Feb 2 2002
A new era of protest
James Harding
ブラジル南端のPorto Alegred開催された第2回The World Social Forumは、世界資本主義への批判が復活したことを示す。「もう一つの世界はできる」というテーマで、世界中から4000人以上が集まった。同時に、アメリカでは企業によるグローバリゼーションに反対する大規模なデモ行進が行われる。
9月11日のテロ攻撃以後、反グローバリゼーションの運動には二つの重要な問題に答える責任がある。1.反グローバリゼーションのデモに大衆の支持は集まるか? 2.テロリストや流血を好む革命屋、爆弾騒ぎと、自分たちをどうやって切り離すか?
The World Social Forumを組織したフランスやブラジルのインテリやNGO活動家たちは、このサミットを反グローバリゼーションから「反<anti->」を取り除いて、もう一つのグローバリゼーションへ発展させたがっている。貧しい国から資本逃避する場合に為替取引に課税せよとか、「もう一つのグローバリゼーション」に向けた具体的な政策プログラムを持ち寄るべきだ、と考える。
フランスの主要政治家はこぞって賛同している様子だ。シラク大統領やジョスパン首相を含めて、6名もの閣僚がPorto Alegreに集まった。他方、ニュー・ヨークに来たのは3名に過ぎない。
(コメント)
LAT, January 31, EDITORIAL “Two Worlds Converging” は両方のサミットが収斂していくことを期待しています。
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The Economist, January 12th 2002
Economic policy: Restoring the fiscal option
Economics focus: Remember fiscal policy?
伝統的なケインズ政策としての大幅な財政赤字は何年も前に廃れてしまった。政府が財政赤字を、不況対策としてだけでなく、毎年成長を刺激するために使ったからである。その結果、慢性的なインフレと増税がもたらされた。しかし、政府は財政政策による景気循環の平準化効果を見失ってはいけない。それは有益であり、時には致命的である。
しかし政治家たちはこの選択肢を無視したがっている。ヨーロッパではいわゆる「安定協定」で、アメリカでは刺激策をめぐる議会の混乱で、日本では繰り返された刺激策の失敗で、まさに積極的な財政政策が有益なときに、それを拒否している。これは危険な状況だ。通貨政策は、特にインフレ率が低ければ、安定化目標のすべてを担えない。
しかし、日本はデフレ圧力の下で通貨政策の効果が無いことを示しているではないか? 否、そうではない。日本は1990年代を通じて、財政刺激策をためらいながら、不完全に行った。今では政府が国債累積を恐れているが、それは経済の停滞がもたらしたものであって、リフレ政策を行ったからではない。この恐怖心は間違いだ。金融緩和と一緒に財政的なリフレ政策を行うなら、その場合、財政赤字が「貨幣化」されて、国債は大衆ではなく中央銀行によって保有される。今でも、日本が財政刺激策を行うのに遅すぎるとか、コストがかかり過ぎるわけではない。
アメリカの財政刺激策はどうか? 確かに積極財政主義への危険はある。長期の財政均衡を損なわずに短期的な不況対策を行うため、議会は政治的に好ましくなくても今すぐに手を打つべきだ。たとえば、税金や財政支出でもめるよりも、一回限りの納税額還付を行う方が良いだろう。
もしインフレが抑制されるなら、政府は財政政策をより賢明に使用することを学ぶ必要がある。日本は、それができないとどうなるか、を示している。
財政政策による安定化への反対論は、その効果が疑わしく、政治家たちの決定が遅すぎる、というものである。特にBarroが言うように、消費を平準化しようとする家計に対して政府が安定化政策を行えば、財政刺激策の効果は過大な消費を長引かせて、不況を大きくするかもしれない。他方、Laurence Seidmanは、家計のこうした行動は起きていない、と主張した。
いずれにせよ、財政政策による安定化にはスピードが求められる。そこでSeidmanは、安定化政策を自動化するように求めた。数値目標を定めて、議会が予め一定の戻し税に合意しておくとか、経済状況に応じて一定範囲内で税率を変更できる権限を独立の機関を、連邦準備制度のように、設立することである。
財政政策の自動化や独立化は政治的に受け入れられないだろう。しかし、財政状態が健全化すれば、黒字そのものが目的ではないと知るべきだろう。状況に応じて広い範囲で予定された変動を平均して実現することが、明らかに財政政策の目標なのである。
Argentina: Survival struggle
Eduardo Duhalde大統領には時間が無い。おそらく彼の考えている以上に、大衆の怒りと反抗は激しい。
Duhalde氏の前任者二人は、ブエノス・アイレスの中産階級が抗議を拡大したことで辞任した。人々が鍋やフライパンを叩きながら首都の街頭で抗議する光景が繰り返し見られる。今週、再び暴力事件に発展し、いくつかの都市では外国銀行の支店が若者たちに襲われた。
Duhalde氏は未だに前任者たちを非難しているが、特に不人気な銀行口座の部分的凍結措置を継承している。それは銀行の取り付けを防いでいるが、支払いを止め、経済活動をほとんど停止させた。そして自分の銀行口座にある金を奪われた大衆は激怒している。ところが、Duhaldeの最初の措置(通貨切下げと大口融資のペソ化、預金のドル価値保証)は、銀行の預金引き出しをますます難しくした。
抗議の背後には政治的な陰謀があるのか? たとえば前大統領のCarlos Menemとの内紛はペロニズムを二つに分裂させている。しかし、国民はMenemを信用しない。そもそも彼の政権のずさんな財政状態がこうした混乱をもたらしたのだ。彼の主張は、切り下げのコストをどのように分担するか、に懸かっている。Duhaldeの政策は、その大部分を銀行と民営化された公益企業に負わせるものである。そのいくつかはスペイン企業の所有である。そしてMenemはこうした企業と親しいのだ。
他方、最初のポピュリズムの論調を、Duhalde氏は取り下げた。IMFやブッシュ政権に協力を得るために、「健全かつ持続可能な経済政策」を模索する。国際的な支援を受ける代償としては、二重為替レートの廃止、より公平な銀行の扱い、支出削減と州政府への補填を抑制する、不人気な緊縮財政の承認、である。すべては彼の政治的な支持を脅かす。
今年の終わりにはアルゼンチン経済が回復し始める、とIMFは述べた。しかしDuhalde氏は、今まさに生存をかけて闘う。