IPEの果樹園2002
今週のReview
1/28-2/2
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日本経済の改革が進まない理由は何でしょうか? 「日本人」が公開での交渉や説得を好まず、組織に依存して、合意形成の名のもとに僅かでも既得権を損なう改革は潰してしまうからでしょうか? 私は、人も組織も変わりうる、と思いますが、むしろ対立や競争を自由化することで破局的な関係が拡大することを、人々は押さえ込んできたように思います。それは決して特別なことではなく、社会化された協調行動を確保するために、世界のどこでも行われることでしょう。
改革を実際に進めるには、「苦痛が伴う」と繰り返されます。長期の目標を示し、公平で合理的な負担を求め、政治が指導力を発揮しなければならない、と。しかし実際には、誰も痛みには耐えられず、政治家たちに保証や損失補填を求めます。結局、政府は赤字を増やし、変動レート制を良いことに金融緩和と円安を繰り返しておけば、デフレなんて絶対に起きないのだ、と主張する者さえいます。
あるいは海外の論調で繰り返されるのは、日本社会における危機意識の欠如、家計への苦痛の不足です。小泉氏が必要とするのは、本物の経済危機や銀行の連鎖倒産であり、アメリカや中国などからの強烈な圧力や脅威であり、あるいは政府や官僚を見捨てて国民が資金を海外に逃避させ始めることなのです。自ら進んで市場を開放し、世界的な市場競争を招き入れることで活力を蘇らせるか、あるいは鎖国を続けて衰退し、最後には日本自身が市場の圧力で整理を強制されるしかないのでしょうか?
私は、煽動家の喧伝する悪夢も、悪意をもって陰謀を邪推することも嫌いです。これまで日本の平和と繁栄を支えてきた多くのシステムが機能しないのなら、これを改革するために対立や競争も必要でしょう。そのとき重要なのは、わたしたちが互いを罵り、破局を強めあうのではなく、前向きの構造調整を競い合うことです。透明で公正な基準を掲げ、率先して改革を進める政治家や企業、銀行、個人が賞賛され、それに苦しむ者も支援が受けられることです。
NHKのクローズアップ現代「急増する一日契約社員」(1月21日)は、若者たちに増加している、時間決めの労働契約を紹介しました。解説の内橋克人氏は、遂に、労働力の利用についてまでジャスト・イン・タイムが導入されたのです、と述べました。そして画面には、自分が人事部ではなく、購買部で契約されている物でしかなかった、と慨嘆する、解雇された元契約労働者の男性が映っていました。しかし、効率的な労働力利用を追求する会社にとって、その合理性は疑いえないものです。他方、契約社員たちの能力を高めて、派遣会社は格付けによって給与を段階的にしました。
フリーターと正社員の間には、分厚い障壁があります。給与や労働条件だけでなく、昇進にも仕事の内容にも、厳しい差別化が行われています。最初は良くても、数年たてば、もっと仕事全体を統括したり、自分も家族を持って、ローンで家を建てたり、両親を安心させてやりたい、と若者たちが苦悩し始めるのです。内橋氏は、派遣労働者の問題を、会社が人件費の高騰を労働者の能力開発で解決せず、派遣労働者に依存することで、今までの労働者にとっても権利の侵食が進んでいる、と警告しています。こんなふうに労働者の「尊厳」を失わせる企業や国が、将来も有能な労働者を育てられると思うのか? と。
他方、以前にNHKが紹介したオランダのワーク・シェアリングは、今も私にとって強く印象に残っています。ある人は銀行に勤めながら週の半分は大工になり、ある夫婦は二人で週の半分ずつを子育てに費やします。分業が廃止されたユートピアについて、かつて考えたことのある人なら、これは最高だ! と跳び上がったことでしょう。不良債権の処理をめぐる「資本の目減り」で騒ぐより、労働者を生産的に再配置できる仕組みや労働組合に、もっと注目して欲しいです。改革の目標は失業ではなく、むしろ社会にとって必要な雇用の拡大なのです。
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Financial Times, Thursday Jan 17 2002
Let pounds and euros compete
Samuel Brittan
10年以上も、イギリスのユーロ参加をめぐって政治的論争が続いてきた。ユーロ紙幣とコインが登場したことで、この論争はさらに熱を帯びたが、解決には程遠い。実際、ユーロはすでに3年間も存在していたのだ。Dマルクやフラン、リラは、ユーロの地方名に過ぎなかった。
イギリスにとってEMUの主要な経済的価値は、中央銀行の独立を得る最も容易な道であった。しかし、ゴードン・ブラウン蔵相が1997年の選挙後に、驚いたことに、即座に独立を与えてしまったから、このEMUのメリットは失われた。ユーロ懐疑派が言うように、ECBはイングランド銀行の金融政策委員会よりも実績が劣る。12カ国の代表からなるECBは、もしその投票や議事録が公表されていたら、独立性や団結を維持することは一層困難であっただろう。ユーロ圏の高い失業率は労働市場の硬直さによるが、ECBはそれを補う金融緩和ができなかった。
現在、経済論議は、為替レートの安定性に向けられている。しかし、それは「どの国にも望ましい金融政策は無い」という命題の半面でしかない。大蔵省の経済官僚Gus O'Donnellは、EMU加盟がイギリスにとって有利であるとするいかなる科学的根拠も無い、と認めた。皮肉なことに、彼はTony Blairの顧問である。経済学者が専門的に発言すべき側面とは、加盟による為替レートへのマイナスの影響である。しかし、ここでも過度の厳密さは望めない。
イギリス政府は、加盟による重大な政治的利益を強調する。しかし、それを明確に説明する者はいない。不幸にして、ブレア氏は外務省や内閣府といった、こうした側面を重視する官僚に囲まれている。彼らは「最高会議」での活躍を夢想する。
私は、数年前に提案したように、イギリス政府が加盟問題を5年間は扱わないことを薦める。イギリスがユーロを採用するとしたら、それは日常のビジネスにおけるユーロ利用が緩やかに拡大して、いわゆる「浸透による加盟」を実現することであろう。
この発想には興味深い歴史がある。1980年代末に、Margaret Thatcherはユーロに対抗する独自の通貨統合案を、突如、発表した。当時の大蔵大臣、Nigel Lawsonが、各国通貨を競争させる構想を持ち出したのだ。これは元来、経済学者のFriedrich Hayekが、民間企業による通貨発行を競争させる仕組みとして提案したものである。しかし、イギリスの官僚たちにとって、たとえ異なる国民通貨間の競争でも、特定の提案にまとめることは非常に難しかった。
イギリスの法体系には、契約をどのような通貨で行っても禁止する条文は何も無い。法貨とは、契約通貨が明確に規定されていない場合にだけ適用される。当時の問題はむしろ、なぜもっと通貨間競争が起きないのか? 政府はそれを刺激するために何かできるか? であった。
次に、John Major政権が「通貨間競争」の第2案を示した。それは「ハードECU」と呼ばれ、EU通貨のバスケットとして以前から公的取引の計算単位に用いられていた。官僚たちは、この提案が新しい制度や手続きを含む点で、EUに受け入れられるかもしれない、と考えた。そうだとしても、すでに遅すぎた。
ユーロの浸透というリトマス試験は、イギリス国内の給与支払いにユーロを用いるかどうか、であろう。これは非常に難しいだろう。3000マイルもの国境を接するカナダでさえ、ドルが支払われている兆候は無い。
ユーロ懐疑派は問題をユーロの浸透状態を見守ることに任せ、ブレア首相はその使用を促進すれば良い。最も重要な政策決定は、ユーロによる納税を認めるかどうか、である。換算のために一定の日付を定める必要があるだろう。また象徴的な決定として、ユーロを法貨として宣言するとか、いっそ、法貨などという古代の考え方を廃止することであろう。
Bloomberg, 01/17 15:04
Argentina's Blejer, IMF Veteran, Leads Central Bank
By David Plumb
アルゼンチンの新しい中央銀行総裁に指名されたMario Blejerは、20年間IMFに勤め、ロシアからインドネシアまで、多くの国に金融危機の克服方法を助言してきた人物である。Blejerは、切り下げを決めた政府に対して、通貨政策は彼に任せるよう説得しなければならない。「もし政府が成すべきことを行うなら、Blejerはこの沈没船を引き揚げられるかもしれない。」と、1970年代半ばからBlejerをよく知るABN Amro Securities LLCの新興市場主任エコノミストArturo Porzecanskiは語った。
IMFは今日、Blejerの総裁指名がアルゼンチンとIMFとの関係を改善する助けとなるかもしれない、と示唆した。そして1410億ドルの債務への支払いを止め、切下げを行ったアルゼンチンに、9億3300万ドルの支払いが1年間遅れることを認めた。
Blejerは、イスラエルや中国のような、発展途上諸国に関する学術的研究を100以上も書いてきたし、東欧やアジア太平洋のIMFの部局で、政府に予算赤字削減を求めたことで評価されている。1980年からIMFに入り、IMFの通貨・為替局で働いた。
Blejerが示されたのは、政府が対ドル固定レートを破棄し、銀行と貿易取引に対して1.4の新しい公定レートを決めた後であった。しかし、為替業者は1ドル=2.1ペソで取引している。Duhaldeは4-5ヶ月で通貨を変動制にすると言ったが、二重為替レート制度はもっと早く崩壊するだろう、と業者たちは言う。
「彼らには強力な中央銀行総裁が必要である。なぜなら、通貨政策を持たずに通貨を変動レートにすれば、非常に深刻な問題が起こるからだ。」とIMFの元副専務理事Stanley Fischerは言う。「彼らは中央銀行を、人についても補強しなければならない。」
Blejerをブラジル中央銀行のArminio Fraga総裁に比べる者もいる。Fragaは、1999年に、インフレを招くことなく通貨を切り下げることに成功した。
Duhaldeはアルゼンチンの預金額の3分の1、670億ドルを封鎖し、ドル預金は強制的に1.4ペソでペソ建に転換することを命じた。Blejerの前任者はこの問題で大統領と話し合ったが、その際、銀行が破綻させないために、ドル建の融資をドルで支払うように求めた。Blejerが成功するためにも、「いつか大統領に、はっきり『できない』と強く否定しなければならない。」と、イタリアの経済副大臣で、IMFでは15年間Blejerの上司であったVito Tanziは述べた。
Blejerはシカゴ大学で学び、世界銀行と米州開発銀行でも働いた。またイスラエルのHebrew大学では経済学を教えた。アルゼンチンのデ・ラ・ルーア大統領が6月に彼を副総裁に指名し、25年間、外国で暮らした経済学者を呼び戻した。彼の妻はIMFアフリカ局の副部長である。
Financial Times, Saturday Jan 19 2002
The Long View: Passing the devaluation parcel
By Philip Coggan
事態が悪化すると、通貨は切り下げられる。アルゼンチン・ペソも。日本の円も。これは、「サウンド・マネー(安定通貨)」の改宗者と、実体経済を重視する者との間の、昔からある戦いが最近起こした小競り合いに過ぎない。問題の核心とは、経済ショックのコストを誰が担うのか? である。
安定通貨は金融部門の中心的な信念であり、資本の安全と何よりも関わっている。しかし、それはしばしば、実体経済に対してデフレと不況を強制し、それによって固定レートや金属本位制を守ろうとする。大衆がこれに反発するのは当然である。
1896年に、William Jennings Bryanはアメリカ大統領に農民の利益を代表して立候補し、「人類を金の十字架に架けてはならない」と主張した。彼は敗北したが、民主主義では実体経済を重視する側が投票者の多くから支持を集める。1992年には、トレーダーたちが、イギリスの政治家はERMに留まるコストを支払わないだろう、という方に賭けて勝った。
安定通貨派にとっては、切下げは中世の君主たちが行った貨幣の改鋳(含有量を減らす)に等しい。しかも、切り下げは決して見かけほど容易な選択肢ではない。輸出競争力の改善はインフレ高進で失われ、外国投資家は通貨リスクを考慮して、それを補う高金利を要求する。
しかし時には、対外価値の変更が自分のポケットに在るポンドの価値を損なうことなく行えた。1992年おき利下げはイギリス経済全体に利益をもたらしたし、損害を受けた外国投資家もイギリス資産への投資意欲を失わなかった。
現代の為替レート論争は、金融市場自由化の問題に極限されている。各国は、固定為替レート・独立した通貨政策・自由な資本移動、の内、二つしか享受できない。ブレトン・ウッズ体制は最初の二つを選択し、資本規制が採用された。1980年代の規制緩和で、多くの国が資本規制を撤廃した。戦争でもない限り、主要国がそれを再導入することは無いだろう。
それゆえ選択は、固定為替レートか、独立した通貨政策か? である。これがイギリスのユーロ問題の本質だ。しかし、為替レートを固定するには、他国の通貨が必要であることを思い出すべきだ。それは、その他国の通貨政策が自国にとっても適切であると当てにしていることを意味する。だが、アメリカの政策がアルゼンチンにとって望ましい、などということはほとんど無い。明らかにこれは賭けだ。それでも、その国の通貨政策が信用されなくなったときに行われる。他国の通貨に「ただ乗り」できれば、という期待だ。
その国の初期の信用が破壊されていればいるほど、信用を得るための通貨の固定化は厳しくなる。アルゼンチンは債権者や債務者を説得するためにアメリカ・ドルの使用を促す固定化を採用し、その結果、この政策が破棄された場合の苦痛は増加した。
安定通貨への愛着はその国の活力に対する印象と結びつき易いから、切下げには政治家の面子が関わる。正しい決定でも、その前に政権交代が必要だ。1930年代に挙国一致内閣が金本位制を離脱した際、労働党の前閣僚は、「誰もそんなことができるなんて言わなかったのに。」と嘆息した。
今は金本位制ではないから、他国が切り上げなければ、どの国も切り下げできない。アジアでは円安が進んで、「近隣窮乏化」切下げのリスクが生じている。貿易上の競争相手国は、切下げで有利に立とうする国を許さない。切下げは、デフレという「荷物を転嫁する」ゲームである。近年では、世界中がアメリカにこの荷物を押し付けて安堵してきた。貿易で加重したドル価値は、1995年4月以降、40%も増価している。もちろん、アメリカ経済の好調さ、アメリカの金融資産の魅力、その他の通貨の弱さが、その原因であった。
2000年までは、この仕組みが皆を満足させた。アメリカは好景気と経常赤字を融資する外国投資家を見出し、ヨーロッパと日本はインフレ無しに、輸出による刺激を得てきた。しかし昨年、ドル高はアメリカの問題とされ、製造業は政策の転換を求め出した。ドル高は連銀の金融緩和の効果をいくらか失わせた。実質的な金融緩和が進んでいないという事情を考えれば、連銀が今年中に金利を引き上げるというのは全く起こりそうに無い。債券市場のトレーダーたちは喜ぶだろう。
しかし、アメリカ経済は期待されるほど急速に回復できず、投資家はまだしばらくアメリカ企業の苦痛の遠吠えを聞くことになる。
Bloomberg, 01/20 00:01
A Nice Try, But No Cigar for U.S. Manufacturers
By David DeRosa
通貨市場のトレーダーたちは、財務省の国際局次長であるJohn TaylorがNAM(the National Association of Manufacturers)の代表と会見したことでパニックになった。アメリカ政府が製造業の利益に配慮して、ドル高を是正する政策転換を行うことを恐れたのだ。
しかし財務省スポークスマンのTony Frattoは、「アメリカの政策について考えをお持ちの方々と意見交換するのはいつも好ましいことです。アメリカのドルの関する政策は変わりません。」と発表した。こうして財務省のNAMの鼻先でドアをバタンと締め切った。
NAMの諸君は良くやった。南極の異星人探索に資金提供を求める連中と同じように、何の成果も無かったが。そして、アメリカ財務省は諸君の示したエイリアンや円に関する関心に対して感謝している。
NAMへの扱いは正しかったし、オニールは正しいドル政策を行っている、と私は思う。ただし、彼はしばしば誤解されているのが心配だ。Robert Rubin元財務長官の「強いドルがアメリカの利益だ」といった発言に結び付けられる。
日本はこの先週金曜日の発言を、大きなクッキーのプレゼントのように、喜んで食べるだろう。しかし実際は、NAMがドル安を約束されなかったように、日本もドル高を約束されてなどいない。オニールは、アメリカにとって正しい政策を行えば、それがドルの価値を高めるというだけで、決して人為的な介入を考えていない。
私の考えでは、日本が円安を進めることは日本自身にとっても間違いだ。それは単に、これまで長く続いてきたマクロ経済のごまかしに追加されるだけだ。もし円安で成長を回復するとしたら、どれほど円は安くなるのか? おそらく、大幅な円安である。さらに、景気が回復しそうだと思い始めたらどうなるか?
貿易だけに限っても、輸出による刺激策は逆転する。日本が成長回復への政策転換を果たせば、円は間違いなく強くなる。一つの理由をあげれば、ポートフォリオ・マネージャーたちが10年近くも日本を投資先リストから消していたことだ。もし日本が突然回復を示したら、円に対する大量の需要が発生する。
そして何が起きるのか? 貿易は逆転する? 円高が進んで輸出は落ち込み、経済も転落する。日本は振り出しに戻る。他方、Taylorを訪ねたNAMの諸君は満足するだろう。
Financial Times, Tuesday Jan 22 2002
The problem with fiscal policy
Stephen Cecchetti
アメリカの不況に対しては、金利を急激に下げた。それでも雇用が失われていくことに、議会は減税と財政支出を組み合わせて対処しようとしている。問題は、財政政策が政治家によって作られ、それゆえ何もしないほうがましなことである。
災害に対する自然な反応として、政府が支援することを求める。不況に対しては、中央銀行が先頭に立つ。中央銀行の主要な目的は経済活動の安定化であるが、他の経済政策と違って、通貨政策はほとんど一夜にして変更でき、迅速な行動こそが効果的である。問題は、誰に対しても金利は変化するが、企業や消費者の意思決定に関わるのは一部でしかなく、通貨政策の効果が鈍いことである。
失業者への給付や所得税の減少は自動的な安定化をもたらし、裁量的な財政政策は景気減速に対して行われる。しかし、財政政策を適当なときに正しく行うことは難しい。裁量的な政策には根本的な欠陥があり、しかも決定に時間がかかる。
ほとんどの不況は1年か、それ以内で終わる。しかし、データが利用できるまでに数ヶ月かかり、不況が始まったことを確認するまでに半分が過ぎている。タイミングが重要である。予め景気刺激策を用意している政府は無く、不況とともに法案を用意しているが、それでは最速でも数ヶ月を要する。さらに政策が効果を発揮するのにも時間がかかる。法案が成立し、税制が変わっても、消費や投資はすぐに変化しない。それが変わる頃には不況が完全に深まっているだろう。
しかし、主要な問題は財政刺激策の中身である。経済学者たちは、それが効果的に支出を促すよう望む。投資を刺激する一時的な誘因や、低所得層への減税策などがそうだ。しかし政治家たちは、景気刺激策として、自分の再選のための支持を確保するように配分したがる。経済が減速する中でも、政治家たちはその本能で行動し続ける。
これらを考慮すれば、裁量的な財政政策が安定化の手段として好ましくないことが分かる。しかし、経済的に見て正しい刺激策は成立せず、むしろ病気を悪化させるような治療が正当化される。
財政政策の正しい役割は、長期的な成長の確実な基礎を固めることである。すなわち、税体系や財政支出によって、投資や革新、勤労を支援することである。他方、安定化は中央銀行に任せるべきである。中央銀行は迅速に行動し、選挙民から独立している。不況に対して、財政政策は何もすべきではない。
New York Times, January 22, 2002
The New China Syndrome
By NICHOLAS D. KRISTOF
9月11日のアメリカへのテロ攻撃でアメリカが少しは控えめになるだろう、と喜ぶ周りの人々を見て、Nanjing Universityの学生が膨張する中国ナショナリズムに関する小論を書いた。「私を絶望させたのは、これらの飛行機を乗っ取ったテロリストたちが愉快に笑ったのと同時に、私の同胞たちの少なくとも半分が大きく笑っていたことだ。」
「愛国心は、事実上、私たちの血の一部である。」「しかし、愛国心が人間性を失わせる旗印になったことを知って、私はにわかに恐怖を覚えた。これが私の愛した国であり、人民であるのか? このような国と人民が、いつか、本物のテロリズムやナチズムに走るのではないか?」
政府による「愛国主義的教育」のキャンペーンやプロパガンダによって興隆する敵対的ナショナリズムに関して、この学生が指摘することは全く正しい。来月、ブッシュ大統領が江沢民主席に会談した際には、この問題を取り上げる必要がある。中国のイデオロギー的団結を強めるために1990年にナショナリズムを促したのは、江主席である。彼は、こうした教育やプロパガンダ制度をわれわれは受け入れられない濫用と見なす点を、知る必要がある。
他の多くの分野と同じく、教育でも改善が進んできた。しかし、中国はまだ歴史を国民的な屈辱の連続として教育している。その結果、多くの中国人は何でも新しい屈辱と解釈する。ベオグラードの中国大使館への誤爆。海南島へのアメリカ偵察飛行機の不時着。あるいは通商交渉でもそうだ。中国当局は朝鮮戦争でアメリカ軍が中国に対して生物兵器を使ったという間違った展示を続けている。
矛盾したことだが、われわれはより自由な中国の新聞にも傷つけられる。似非民間の中国タブロイド紙は、資本家的本能と新聞売上げへの情熱に駆られて、最も激しい外国攻撃を撒き散らすからだ。
ひとつの希望は、中国の知識人たちが自ら改革に立ち上がりつつあることだ。テロ攻撃の後、27人の主要な学者たちが同胞によるテロ賛美を非難する公開書簡を発表した。「このような反応が起きたことの一つの理由は、ある種のニュースや教育用語が人々を間違って指導していることにある、と考える。そこでわれわれは、広報や教育、プロパガンダ、ニュース・メディアの全面的な見直しを要求する。」と。
特に中国は、彼らがthe Riben guizi、日本人の悪魔と呼んで、国民に日本憎悪を教え込むのを止めるべきだ。学校でも、映画でも、テレビでも、あらゆるプロパガンダを通じて、日本への敵意が高められていることは危険である。
最近、有名な女優のZhao Weiが、中国のファッション雑誌で日本の戦争時の国旗に似た服を着て、写真に撮られた。その結果、Zhao Weiは国民的な非難を浴びた(非国民となった)。彼女は殴打され、テレビの生中継では糞便を投げ付けられた。政府は彼女を新年を祝う番組から降ろし、ファッション雑誌の編集者の一人を解雇した。
中国では、次第に、より大っぴらな対外強硬論が重要になっている。その一つの危険性は、敵対的なナショナリズムが中国政府の行動を制約して、台湾問題をめぐるアメリカとの関係や、尖閣列島など、日本との領土問題で、対立が激化することである。
中国の台頭をどのように受け入れるかは、世界化する社会にとって最大の問題の一つである。中国が金融システムだけでなく、国際的な憎悪では無く調和を促すように、そのプロパガンダ機関を近代化すれば、中国の世界的な地位向上はさらに円滑に進むということを、ブッシュ大統領は江主席に理解させねばならない。
International Herald Tribune, Wednesday, January 23, 2002
Clear all Clippings To Head Off Mass Migrations, Set a Global Minimum Wage
Michael Ardon
世界における貧富の格差がグローバリゼーションを蝕んでいる。グローバリゼーションは国家や地域の壁を越えた商品や資本の字湯ない銅を意味する。しかし、グローバリゼーション世界経済が真に競争的な市場であるためには不可欠な要素を欠いている。それは、労働力の自由移動である。移民規制に依拠したグローバリゼーションとは、自己矛盾している。
グローバリゼーションの最も非難される側面は、この労働力の自由移動に関する規制に由来している。それが発展途上国の一日1ドル以下の賃金を維持し、極端な貧困国と富裕国との並存を許している。それが豊かな北に対する貧しい諸国の憎しみを生んでいる。
しかし、もちろん、現在の世界で北側諸国が移民規制をすべて撤廃することはできない。そんなことをすれば、豊かな国は無数の貧しい移民で溢れてしまうだろう。そんな大規模人口移動が極度に破壊的でさえあるだろう。この問題に早急な解決は望めず、長期的に両者の所得格差が縮小することしかない。そうなって初めて、世界的な自由労働移動が、大規模移民をともなわずに可能になる。なぜなら、人々は所得格差が大幅に無い限り、言語や文化、社会障壁、生活習慣の違いから、生まれた土地に留まりたがるものだから。
所得格差が合理的な範囲であれば、流出圧力は緩和され、二つの望ましい結果がもたらされる。1.南の飢餓と貧困を無くせる。2.それでも資本は南に流入する。
では、どのようなメカニズムがあれば格差は解消できるか? 一つの選択肢は包括的な世界最低賃金制度である。最初は、最低賃金は発展途上諸国の現行賃金より少し高いだけである。しかし、毎年、それより高く改訂される。最後には、工業諸国の40-50%にするのである。最低賃金を実施しない国からは、輸入を禁止すれば良い。
9月11日以後、労働力のグローバリゼーションをともなわない、豊かな者のためのグローバリゼーションは維持不可能であると理解された。豊かな国と貧しい国との間に何らかの公平さが確保できなければ、真のグローバリゼーションは達成できない。そしてこの格差が解消できなければ、貧しい国ではわれわれの文明を脅かす暴力がはびこるだろう。
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Financial Times, Monday Jan 21 2002
Japan's jolt from next door
Gillian Tett
(コメント)
これは、すでにステレオタイプ化した日本批判と黒船待望論です。英米ジャーナリズムには、「日本病(より一般に、先進国病)」の原因がその戦後開発モデルの限界にある、という合意があります。このモデルは、日本が成熟した経済となり、国際環境が変化した中で、企業に活発な革新や組織の変革を促せてい無いのです。規制や補助金で成長を刺激できると考えているようではだめだ、と。
なぜ日本は旧制度を改革しないのか? 日本の社会・政治制度に深く打ち込まれた合意による決定という前提が、改革のダイナミズムを失わせている、という点が指摘されます。デフレが続いても消費者は購買力の改善に満足しており、国債累積額が増してもほとんど国内で保有しているから大丈夫だ、というわけです。現状が維持できるなら、大きな変化だけは避けたい、ということです。
そこで黒船待望論となります。工業先進国はどこでも、自分から進んで制度を根本的に改革できなかった、と言います。たとえばIMFにより政策転換を迫られた1970年代のイギリス、1990年代前半に経済危機と外国投資家のパニックを招いたスウェーデン、NAFTAのショックにさらされたカナダ、EUから累積債務の削減を要求されたイタリア、がそうでした。日本にはアメリカの圧力があるはずですが、軍事的な同盟国の経済破綻を恐れて、それが弱まっています。
黒船とは、現在の日本にとって、中国の脅威、製造業の海外流出、を意味します。中国だけでなく、アジア諸国からの輸入増加で、日本は経常黒字を失いつつあります。さらに、中国の台頭は政治・軍事的な意味でも、アジアの指導的地位を日本から奪ってしまうという不安を日本の指導者たちに抱かせます。日本は、強烈な心理的な脅威を共有することで、たとえ彼らが嫌う銀行破綻や大量失業、規制撤廃を伴っても、より弾力的で競争に富んだ、ダイナミックな経済を再生させるだろう、と。それがどれほど遅く見えても、日本は再び明治維新を行うのであるから。
こうした論調は、ある程度、日本に同情的であり、よく理解しているようですが、実は空疎な市場賛美ではないか? と私は疑っています。
Financial Times, Tuesday Jan 22 2002
Editorial comment: Bankrupt Japan
Financial Times, Thursday Jan 24 2002
South Korea warns Tokyo over yen
By Andrew Ward in Seoul
(コメント)
デフレこそが日本病の根本である、と言います。なぜならデフレで売上げは減るのに、債務は減らないからです。銀行も企業の再生するためには、デフレを解消し、経済再編restructuringと需要拡大を同時に行いなさい、と日本政府に求めています。
しかし、実際の提言は正統的とは言えない金融緩和策採用を日銀に促すことです。政府が日銀に明確なインフレ目標を課し、それまで外債を購入し続けることです。その過程では円安も望ましいとしてアメリカやアジア諸国は受け入れるだろう、と言います。オニール財務長官の東京訪問は、こうした政策を公的に支持し、同時に改革を強く促して、国内の保護主義を抑えるのがその目的であった、と。
他方、韓国政府は人為的な円安政策が日本の製品を各国製品に比べて有利にしている、と批判します。そしてJin Nyum韓国財務大臣は、日本、韓国、中国の財務大臣が集まって、円安と為替レートの協調に関する話し合いを持ってはどうか、と提案しました。しかし、こうした政治的な意味を含む発言が、市場や日本政府を動かすかどうかは不明である、と。
アジアの通貨政策協調が徐々に整備されていく過程を、問題に取り組む中で、進めて欲しいです。
Financial Times, Wednesday Jan 23 2002
The yen's fundamental weakness
Haruhiko Kuroda
円がドルに対して昨年から約10%減価したことに、国際的な関心と少なからぬ批判が集まっている。私は為替市場に関する個人的見解を示し、日本が政策によって円安を促しているという疑いを晴らしたい。
まず、円=ドル・レートは、昨年夏の125-120円からドルが減価し始め、9月11日のテロ事件以後、さらにドル安が進んで115円に達した。日本経済のファンダメンタルズに照らして、そのような円の急激な増価は矛盾しており、すでに不況と闘っている日本経済に悪影響を与えると考え、通貨当局は為替市場に本格的に介入した。
テロ事件は円=ドル・レートを120-125円に戻して比較的安定したが、12月初めに円安が進み始めた。現在、130円を下回っているが、市場介入はしてこなかった。私の考えでは、円の減価は、日本と他の主要経済とのファンダメンタルズに沿うものである。9月11日のショックも、すべての主要国の経済見通しを悪化させたが、多くの人が恐れたよりも、世界経済、特にアメリカ経済には回復力がある。
残念だが、日本経済はそうではない。すでに2年以上のデフレが続き、持続可能な成長に戻るには相当の努力が要る。特に三つの分野で構造改革が必要だ。銀行部門の不良債権処理。新規ビジネスへの投資を増やす規制緩和。財政再建、である。
小泉政権は改革を精力的に進めているが、まだ成果を生むには時間がかかる。その意味で、昨年の円安は以前の過大評価が、ファンダメンタルズに従って修正される、自然な減価であったと理解すべきであろう。
日本政府が最近の円安を誘導している、という声を聞くが、それは間違っている。日本政府は円安をマクロ経済政策の手段としたことは無い。経常収支の黒字が続いたことは、この10年以上にわたって円を高く維持してきた。円安が不況を解消する最後の手段だ、という声も聞く。しかし、いくつかの部門で利益はあるとしても、日本経済全体に円安がどのような効果をもつかは明確でない。それが万能薬でないのは当然であり、むしろファンダメンタルズの悪さを反映しているだけである。
円安がアジア諸国の経済に及ぼす悪影響を心配する者もいる。しかし1997-98年のアジア金融危機の後、ほとんどの国はより弾力的な為替レート制度を採用しており、外貨準備も改善している。それゆえ、最近の円安がアジア経済に重大なマイナスの影響を及ぼすとは思えない。アジア各国の通貨に投機的な圧力がかかることも無いだろう。実際、日本で構造改革が進み景気が回復すれば、アジア経済は大きな利益を受ける。為替レートの適切な変動が持続的な回復の基礎となるのだ。
最後に、ユーロ紙幣とコインが成功裏に導入できたことを歓迎する。その規模から言って、これはまさに驚異的である。私は、ユーロがますます世界経済で重要な役割を果たすようになると確信する。しかし、為替市場におけるその価値は今までのところ失望させるものである。私は、多くのヨーロッパの指導者たちと同じように、ユーロは過小評価されていると思う。物理的に流通し始めたユーロが、速やかにユーロの増価につながることを強く希望する。
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The Economist, January 12th 2002
Argentina’s economy: Devaluation’s downbeat start
「アルゼンチンは、さらに一歩、後ずさりした。そこには血の海があるだけだ。」こう言って新大統領のEduardo Duhaldeは、経済崩壊に対処する非常特権を与えるよう議会に求めた。週末を経てそれが認められると、Duhaldeは早速、切り下げを命じ、アルゼンチンは知られざる領域に踏み込んだ。
1月6日には、新経済大臣のJorge Remes Lenicovが多くの緊急手段を発表した。それらは主に、切下げがアルゼンチンの庶民に与える影響を緩和するためのものであった。政府は自由な変動レートを採用せず、輸出と、政府が必要と認めた輸入、そして資本取引には、1ドル=1.4ペソの公定レートを設定した(29%の切下げ)。奢侈財の輸入や旅行者などは、市場レートでドルを購入する。政府はこの新しいレートを3−6ヶ月間固定したがっているが、それは難しそうだ。すでに通りでは1.6ペソに下落している。
Duhaldeは、切下げの苦しみをほとんど銀行に負担させようとしている。大部分のモーゲージや融資がドル建である一方、賃金はペソで支払われる。だから切下げは、政府だけでなく市民の多くを破産させる。新しい法律では、10万ドル以下のドル建融資はペソ建に1対1で転換される。しかし預金者の怒りをなだめるために、Duhaldeは、預金のドル価値が保証される、と約束した。ただし、預金がいつ、どのように引き出せるか、については語らなかった。
もう一つの大衆迎合策は、民営化された電話・水道・エネルギー会社が科す料金を改定したことだ。これらはドルに固定され、アルゼンチンの物価が下落してもアメリカのインフレに並行してきたが、公共料金も今やペソ建になり、アメリカの物価に連れて値上がりすることは廃止された。
こうした手段を講じることで、Duhaldeは二人の前任者たちの二の舞いを逃れるつもりだろう。しかしアルゼンチンのようにハイパー・インフレの歴史がある国では、切下げが歯止めのないインフレとの悪循環を引き起こす危険に注意しなければならない。今は不況がそれ自体でインフレを抑え、Duhaldeの政策も冷静に受け止められている。
しかしその政策は、大手はほとんどが外国資本に所有されている銀行を莫大な損失に陥らせる。それを補填するため、政府は切下げで儲かる石油とガスの輸出に20%までの課税を新設した。それでも多くの銀行は救済できない。融資は切り下げされて、預金は切り下げられないということに加えて、多くの債務者が支払不能で、不良債権は増大している。また、今やほとんど無価値となったアルゼンチンの国債を銀行は大量に保有しているからだ。金融システムを支えるにはIMFの融資が必要だ。また政府は銀行の株主に増資を説得しなければならない。
インフレを抑制するには、議会が予算を均衡させねばならない。昨年も政府は支出削減で財政均衡化を図ったが、税収の落ち込みで90億ドルの赤字となった。今では債務支払いの負担がなくなったが、それでも厳しい支出削減を必要とする。政府は、政治的に指名された仕事の無い公務員を追放する、という。しかし、Duhaldeを含む政治ボスが利益を得ている制度を支えている彼らを、どうやって追放するのか?
ブエノス・アイレス州知事としてのDuhaldeはポピュリストであった。彼は自由市場型の改革を逆転すると語り、実際にはより正統的な手法を守った。議会が認めた価格統制は燃料や薬品などに限られている。賢明にも、Duhaldeは第三の通貨案を破棄した。短期政府債の発行は、地方公務員に対して未払いの賃金を処理するための28億ドルである。保護主義を唱えるものもいるが、Duhaldeはブラジルとの関係を修復し、メルコスールを支持している。
DuhaldeとRemesは非常に難しいバランスを求められる。彼らは、たとえさらに厳しい予算が求められても、銀行を救済する必要がある。たとえ短期的にインフレが生じ、生活水準も悪化するだろうが、できるだけ早く、為替レートを含む物価を自由化しなければならない。そして激昂する国債保有者や公共企業を説得して、彼らに新しい条件を受け入れさせ、訴訟を増やさないことだ。さらに、できるだけ早く、預金封鎖を解除しなければならない。
同時にDuhaldeは、ペロニストの支持者や他の反対派を政策で協力させなければならない。もしそれに失敗すれば、議会は解散され、政治的空白とクリスマスの混乱が蘇る。
外務省の経済担当者Redradoは、1999年のブラジルが切り下げた後に力強く回復し、インフレも僅かであった、と指摘する。しかし、当時のブラジルは今のアルゼンチンに比べて銀行システムも強く、ドル化していなかった。これまでの政策で、アルゼンチンが社会的な混乱を回避する可能性はある。しかし、回復には程遠い。銀行家たちは全員が良く知っている。今後は、預金者も投資家もアルゼンチンの銀行にお金を置かないだろう。そして銀行システムが破産しているということは、融資は行われず、景気回復も無いのである。