IPEの果樹園2002

今週のReview

1/14-1/19

R.ドーンブッシュが日銀による株式購入を提唱したのはなぜですか? という質問をゼミで受けました。日本の政治家が自分の選挙区の建設業や不動産会社、企業を助けるために言いそうなことと、どこが違うのか? というわけです。その説明は無かったようです。銀行システムの危機回避やデフレ解消、企業による前向きの資金調達、家計による貯蓄の有効な運用手段として、日銀が株価を上昇させる仕組みに直接関わる可能性があると思います。優良な企業を競争的かつ透明に選別して、巨額の資金を一定期間は積み増すような工夫が必要でしょう。実際、香港は、アジア通貨危機に際して、株式市場を維持するために直接介入しました。

日銀の量的緩和やインフレ目標に加えて、円安誘導や円安目標の明示、外債(ドルやユーロの政府債)購入、RCCへの資金供給、株式買い上げ機構や預金保険機構への融資、目的を限定した国債の直接購入・・・ 日本の政策課題が日銀に集中し、物価の安定性や資本市場の効率化を後退させています。ECBが国によってデフレに苦しむようになれば、単一の通貨政策決定は非常に難しくなるでしょう。日本でも、特定の地域や産業分野で対立があり、銀行・企業・家計の貯蓄増加・債務返済と投資削減の悪循環が起きているはずです。

EMU加盟を目指して競争したヨーロッパ諸国でも、アメリカでも、財政赤字を減らすためにはITブームや通信免許の入札などで、民営化と株式バブルを通じた歳入の増加が重要であったでしょう。日銀の支援で企業が再生し、政府や官僚、銀行の主導する経済が、消費者の利益と家計による安定した投資による、多様な自律した企業の競争体制に変化するとしたら、ようやく過大な政策負担を解除して、日銀も信認と独立性を確立できるのかもしれません。

NHK日曜討論「日本経済・どうなる2002年」は、小泉政権の改革路線が描く日本経済について、本間正明氏とリチャード・クー氏がその支持論と反対論を明確に展開し、印象的でした。意見が激しく対立するのは、もちろん、ペイ・オフ解禁と30兆円国債発行上限です。

クー氏は、ペイ・オフを絶対すべきではない、と言います。:日本の銀行は、一部が弱っているのではなく、すべての資産状態が非常に悪いから、ペイ・オフすれば一斉にすべての銀行で信用不安が起きる。それが分かっていながらペイ・オフを議論するのは、どこの国の中央銀行でも考えられないことだ。銀行自身が、延期して欲しい、と言わないのは当たり前だ。

またクー氏は、国債を増発して積極的な財政支出を行うべきだ、と言います。:日本の民間部門は、GDPの3年分に相当する1400兆円の資産を失った結果、支出を抑制して貯蓄に励んでいる。企業は債務の返済に熱心であり、誤解されているような「金融逼迫」など起きていない。貯蓄の効率的な利用が妨げられているのではなく、有効需要が足りないのである。消費も投資も増えない以上、政府が支出を増やして補う必要がある。

他方、本間氏は、ペイ・オフを予定通りすべきだし、国債増発には依存すべきでない、と言います。:不良債権処理を短期に行うことは望ましくないが、ペイ・オフで生じる不安は金融庁の審査やセーフティー・ネットで正しく対応できる。他方、国債発行による財政支出の増額で改革路線を放棄するのは間違いだ。金利が抑えられているのは、政府の財政規律が守られているからであり、国債発行枠を放棄すれば債券価格は暴落する。名目金利がゼロでも、デフレのために実質金利はプラスなのであり、企業の投資を促すにはデフレ解消が重要だ。

このように、クー氏は、目前に迫ったシステム危機を回避し、システムの機能回復には積極的な財政政策を主張します。しかし本間氏は、小泉改革の基本路線が間違っていないこと、これを一貫して維持することで、市場に安心感を与え、改革への民間の取り組みを促すことが何より重要だ、と考えます。政府と銀行が企業に低利融資を行った過去の制度と決別するときだ、というわけです。(そして司会者は、クー氏の発言を抑えました。)

本間氏は、小泉改革路線が市場に信頼されていると考えますが、クー氏は、金融システムへの不安は政策を転換しない限り危機につながる、と言います。日本貿易振興会の宮原氏と、東北地方の経済状態を前提に主張した坪井氏は、ともに規制の緩和、開発・消費・投資の促進という、行政権限の大幅削減と投資・消費の奨励策を提案しました。

日銀と消費者が委員会を作って、新しい企業金融の仕組みを自分たちで考えることです。ただし、必ずJ.K.ガルブレイスの『バブルの物語』を読んでから。

The Guardian, Saturday December 29, 2001

The euro delusion

Larry Elliott

Trieste からTipperaryまで、仮想的な通貨であったユーロが消費者の手に届く。しかしイギリスはそこに居ない。この「プロジェクト」の支持者に言わせれば、これは国民的悲劇であり、その大失敗は、1956年に共同市場への参加を拒んだことと同様に、明白である。

しかし、サッチャー女史をERMへの参加反対で非難したのは賢明でなかったのと同様に、中道左派がユーロ加盟に反対することを非難するのも冷静さを欠いている。

ユーロ支持論は三つの主要な命題を含む。すなわち、(1)単一通貨は、アメリカ主導のグローバリゼーションに対抗して、より人間的なヨーロッパを実現する。:しかし、ECBは単一通貨をアングロ・サクソン型の経済にヨーロッパを再編する手段と見なしている。1940年代以来、ずっと、アメリカ政府はヨーロッパの通貨統合を望んでいた。労働党は巨大企業や自由市場の魅力に翻弄されて、この考え方を愛するようになった。トニー・ブレアが仲良しになった超国家企業がユーロ加盟の熱烈な応援団だ。イギリスでユーロ加盟に最も反対なのが緑の党であるのは偶然ではない。

(2)通貨統合は単一市場を完成するために必要であり、ヨーロッパの資本主義を効率的に機能させ、成長率を高めるとともに、物価を抑制する。:経済学に関する限り、ユーロ加盟には何の利益も無いとか、加盟しないことがリスクをともなわない、とは言えない。ポンド高に苦しむ輸出部門だけでなく、消費者にも利益があると言って良い。しかし、大蔵省もイングランド銀行も通貨同盟への加盟がもたらすリスクは、その潜在的な利益よりも大きいと考えている。

ポンドを廃止すれば、確かにポンドを防衛する心配はなくなる。しかし、通貨政策をECBに譲渡することになり、ヨーロッパにとって良い金利がイギリスにとっても良いことを確信しない限り、それは承認できない。イングランド銀行総裁Sir Eddie Georgeが注意したように、「同時にすべての国に最適な単一の通貨政策はない。」すでに金利は、ユーロ圏の周辺部、アイルランドやポルトガルでは低すぎたし、ドイツには高すぎた。

理論的には単一通貨政策の不便さが、不況地域から繁栄している地域への労働者の移動で、あるいは豊かな地域から貧しい地域への財政政策による資源移転で、緩和されるはずである。しかし、言語や文化の違いが障害となって労働者の移住は少なく、ヨーロッパの予算規模は構造的問題に比べて小さすぎる。その結果、ユーロはドルに対抗するどころか、その価値を減らし続け、インフレ抑制に拘るECBの通貨政策は成長を抑えてしまった。

では、国際政治上の理由でユーロは正当化できるか? 通貨同盟は、人々から資源を奪ったり与えたりするのが好きな政策決定のエリートたちが、時代遅れの中央集権モデルを振り回す最後のあがきであって、彼らの破滅路線なのである。しかしそれでも最後の命題は主張するだろう。(3)ユーロ加盟は、イギリスの外交官が「ヨーロッパ最高会議に席を占めて」、われわれの発言に力を与え、帝国喪失後の夢の回復に結び付く、と。

イギリスが超俗の域に達したわけではないが、ユーロ圏の証拠が示すように、規模がすべてではない。加盟しない生活の方が、加盟した国々の生活よりも、はるかに恵まれていた。ユーロの誕生は、加盟諸国の10年に及ぶ通貨・財政の緊縮策による低成長や高失業の末に実現されたのだ。

Bill Morrisのような実際的な労働組合指導者が、力強い成長が医療や教育への財源をもたらす、と指摘するのは当然だ。オールド・レイバー(ブレア以前の労働党支持者)たちは、政府はヨーロッパ委員会の席よりも、もっと「パンとバターの問題」を重視すべきだ、という信念を持っている。実際、Morrisの組合員たちは、ERMに留まるための混乱で倒産や不況に巻き込まれ、多くが余剰削減策の犠牲となった。

それでも当時はERM離脱が可能であった。しかし、ユーロ加盟は後戻りを許さないのだ。


The Magic Moment

By Elise Kissling

12日。あなたはフランクフルトか、あるいはミュンヘンの街角で、新しいユーロの束を財布に満たす。輝く金色や銀色のコインを実際に見て、触れることができる。キャッシャーやなじみのコーヒー・ショップで、この新しい札を使ってみる。今や、ユーロの人気や対外価値など、誰が気にするものか? これこそ歴史的な瞬間だ。われわれはそれを体験する。

3年前の生活を思い出せば、Dマルクや他の国民通貨が時計の針を止めていた。それまで各国通貨は電子的なユーロに交換できたが、国際資本市場をユーロが侵食することはほとんど無かった。しかし、それは確実に変化した。1999年以後、ユーロは企業の会計に、金融取引に、外国為替に現れた。今やすべての取引の35%がユーロ建となり、45%のドルに次ぐ。

ヨーロッパ企業は資本市場の統合を生かした。フランクフルトの銀行家に尋ねれば、誰もがユーロ建社債で儲けた話をするだろう。ユーロが法貨になる前は、10億ユーロを超える債券市場は無かった。しかし、ヨーロッパの巨大なテレコム企業が何十億ユーロも発行した。そしてユーロ圏株式市場でも、全ヨーロッパ型投資戦略が急速に展開されている。

分散型のヨーロッパ資本市場が形成される一方で、製造業、輸入業、輸出業、サービス業で、ユーロはいわゆる共同市場を完成させる。すべてが国内取引になるのだ。フロリダからネヴァダへのオレンジ取引は、スペインからドイツへの取引と変わらない。

ユーロが他の点で失望を生んだことも確かだ。世界の外貨準備額では、わずか13%しかユーロが占めず、68%のドルに大きく遅れている。1999年に1ユーロ=1.18ドルで開始された為替取引が、今では25%も下落し、89セントでしかない。しかし、通貨の対外価値の減少や直接投資の流出、株式投資のアメリカ流出は、通貨の問題であるより、ユーロ圏の構造問題である。

ユーロは心理的な衝撃を越えて、楽観論者が言うように、ユーロ圏内に透明性と一層の競争をもたらす。そしてこの激しい競争が、ドイツも含めて、ヨーロッパ中の国々に必要な構造改革を急がせるのである。


One Currency, but Not One Economy

By ROBERT M. DUNN JR.

ユーロ紙幣とコインが今やヨーロッパで循環している。第二次世界大戦後のヨーロッパの指導者たちが夢に見た、経済的・政治的に統合された大陸の実現に向けて、大きな一歩が踏み出された。

しかし、EMUが完成しても、それは成功を保証されていない。重大な問題が存在する。この同盟は、しばしば異なった景気循環を示す、かなり異質な国民経済の集まりに、単一の通貨政策を行うものであるからだ。この3年間、ほとんど常に、ECBが12カ国に対して共通の政策は行ったものの、ドイツにはもっと低い金利を、オランダやアイルランドなどの小国にはもっと高い金利を採るべきであった。

異なった景気循環を経験する以上、ECB内部の政策委員会で各中央銀行総裁の意見が対立するのは避けられない。しかし、アメリカFedの公開市場委員会と違って、議事録も投票結果も公開されない。

アメリカでも12の異なる地域が、時には、通貨政策の決定で同様の問題を抱える。たとえば1986年、87年に、ほとんどのアメリカ経済はブームであったが、ダラス地区は石油・ガス価格の暴落で厳しい不況にあった。Fedはかなり高い金利を維持したが、石油生産地域の不況は改善するどころか悪化した。しかし、典型的には、アメリカは単一の国民経済として全地域に渡って循環的なショックを共有している。

1997年にできた合意が、EMU加盟国の個別に財政支出や減税を行う能力を制限したため、各国は不況に対応しにくくなっている。GDPの3%を超える財政赤字には罰金が科される可能性があるのだ。

たとえ12ヶ国の経済が景気循環で収斂するとしても、それには期待されているような10年や15年ではなく、もっと長い時間がかかるだろう。それゆえ政策委員会の合意は難しく、大国には、小国が同じように通貨政策決定の代表を出すことに不満がある。


A Precarious Balance Emerges Between America and Europe 

この数日間で、21世紀の国際的な勢力配置を決める二つの重要な事件があった。一つは、アフガニスタンにおいてアメリカの圧倒的な軍事力が目覚しい成果を上げたこと。もう一つは、ヨーロッパの新しい統一通貨、ユーロが誕生したことである。

しかし、「ヨーロッパ」は経済的な分野で誕生しただけであり、政治的な統一的権力ではない。現在のヨーロッパ諸国は、アメリカに比べて、イスラエルの対パレスチナ政策を批判的に見ている。ヨーロッパのアフガニスタンへの軍隊派遣を、アメリカが望んでおらず、アメリカの決めた戦争に、ほとんど余計な存在となっている。「ヨーロッパ」は、政治的にも軍事的にも、存在しないのである。

誕生しつつある新しい国際的均衡は、アメリカの軍事力、政治的指導力、金融市場の支配力に依存している。それは911日以前からそうであったが、今やアメリカがその力を本気で行使することは明らかだ。問題は、それに唯一対抗しうる「ヨーロッパ」が、今後どのように政治的・軍事的な権力を形成できるか、である。その答えを、われわれはまだ知らない。

Argentines, Bitter and Skeptical, Doubt Economic Rescue Plan

By Michael Smith

Eduardo Duhalde大統領が経済危機の緩和を約束する演説を数分見ただけで、コーヒー・ショップの主人Diego Bruscoはスポーツ・チャンネルに切り換えた。

この2ヶ月間の売上減少で、破産に直面している30歳のBruscoは怒り、幻滅していた。産業を助け、職を増やすために切り下げを行う、というDuhaldeの提案にも元気は出ない。増税、賃金・社会給付カット、切り下げられた給与支払小切手、銀行預金の凍結という2年に及ぶ政府の姿勢により、Duhaldeがどんな提案をしても多くの市民は信用しなくなっている。

「何を聞けと言うのか?」「この数ヶ月で事態が改善しないようなら、私はすべてを売り払ってヨーロッパに移住する」とBruscoは言う。

Duhaldeは、通貨を切り下げ、物価上昇と賃金切り下げによりアルゼンチンの製品を外国の製品よりも安くすることで不況を解決する、と言う。それは74歳のRicardo Greigに、この四半世紀に廃棄してきた4つの通貨を思い出させる。Duhalde1991年にCarlos Menem大統領が5000%を超えるインフレを抑制するために導入した通貨制度を解体しようとしている。Greig38年前にキューバから移住してきたが、昨日、ブエノス・アイレスの市街でドルを闇市場で買おうとしたが、どこにも売ってなかった。

「私の経験では、切り下げには終わりが無い。それは結局、政府に紙幣を増刷させる言い訳となる。」Greigは先月、注文がなく、通貨の将来が不安になって、学校の制服を作る彼の工場を閉鎖した。「いわゆる救済計画が上手くいくことなど無い。私は多くの混乱を見てきたから、恐ろしいのだ。」

ブエノス・アイレスでサンドイッチ店を開くAndres Rodriguezは、1990年代にブエノス・アイレス知事であったDuhaldeを信頼できない。あの男は貧しい者に住居や食糧を配って、州の支払いを倍増させ、この国で最も大きな債務を負う州にした。「何を約束しようが、誰もこんな奴を信用しない。」「こいつは悪者 ‘a crook’ だ。誰でも知ってることさ。」

33歳の建築家、Nancy Fajgenblatは、Duhaldeに一応はチャンスを与えたい、という。「私は事態が変化すると期待しようと思います。」「でもここから抜け出すには20年かかるでしょうし、一世代が失われるでしょう。」


Bush's Policy on Argentina Signals Shift in Approach

By JOSEPH KAHN with DAVID E. SANGER

7年前にクリントン大統領がメキシコを救済したとき、この反対の多い巨額の融資を、共和党の有力政治家として、テキサス州知事であったジョージ・W・ブッシュは支持した。アルゼンチンが同様のデフォルトに迫られたとき、ブッシュ氏は救済融資を行わず、アルゼンチンが自国の経済政策の結果に苦しむままにした。政府幹部は、メキシコには改革を成功させる時間が必要であったが、アルゼンチンは警告を無視して破滅に陥った、という。

クリントン政権は危機の「伝染」を恐れて、タイ、インドネシア、韓国、ロシアへの融資を支援した。しかしブッシュ政権の幹部は「タフ・ラブ」と呼ばれる政策を採用する。それは、債務国が十分に大きいか、戦略的に重要であれば、アメリカ政府は財政的・政治的な崩壊を回避するために介入する、という資本市場の期待を除去するためである。

ブッシュ氏は、選挙期間中、そのような政策を約束したが、昨年春にトルコが問題に陥った際には、それを守らなかった。ブッシュ政権の安全保障問題に関わる幹部が、重要な位置にある同盟国の崩壊を受け入れず、IMFの処方箋を呑んで救済融資を受けられるようにしたのだ。

アルゼンチンに対する強硬姿勢は、ブッシュ政権からの計算されたメッセージである。アメリカは消防士になりたくないし、市場は救済融資をあてにできない、と。このメッセージによって、途上諸国の政府や外国投資家が、IMFやアメリカからの巨額の支援なしに、問題を解決して欲しい、と政府幹部は語った。財務省国際問題担当のJohn B. Taylorも、「われわれは、債券保有者を救済しない政策で、市場全般を改善したい」と述べた。

次々に助言や指導を行ったクリントン政権の幹部たちに比べて、オニールの財務省は債務国に何のアドヴァイスも与えない。債務国は独自に計画を示し、われわれはそれが気に入れば支持する、と。このアプローチには重大なリスクもある。アルゼンチン政府が自由市場に背を向け、IMFの強く支持する財政や銀行の引き締めを嫌がるかもしれない。

政府は、アルゼンチンへの融資を拒否したことで、危機の引き金を引いたと批判されている。先の融資もオニール長官の監視下で行われたものであった。クリントン政権もブッシュ政権も、アルゼンチン通貨の11の固定制を維持する政策からアルゼンチン政府をもっと早く引き離すべきだったと批判されている。


Financial Times, Monday Jan 7 2002

The fall of a star pupil

David Hale

アルゼンチンのデフレ政策が暴動で終わったのは、ジョージ・ソロスとジュリアン・ロバートソンが2年程前にヘッジ・ファンド活動から引退していたからだ。もしソロスとロバートソンが活躍していたら、彼らはアルゼンチン・ペソを攻撃して、1218ヶ月前に政策を劇的に変化させたはずだ。

1992年に同様の攻撃を受けたイギリス・ポンドが切り下げてから回復したように、こうしてアルゼンチンも経済回復の前提ができただろう。しかし、ヘッジ・ファンドが間違った経済政策を攻撃する効果的な機関でなくなったために、アルゼンチン市民が暴動でそれを行うしかなかった。

すでに市場で大きく割り引かれていたため、アルゼンチン危機が広範な金融市場で伝染することは無かった。しかしそれは知的な伝染をもたらし、発展途上諸国で市場向けの政策から離反する政府を増やすだろう。アルゼンチンは、1990年代のいわゆるワシントン・コンセンサスの模範生であったから。

しかし、アルゼンチンにはいくつかの問題があった。カレンシー・ボードはペソを過大評価にした。アルゼンチンはもっと為替レートに弾力性を与え、国際商品価格を反映したオーストラリア・ドルのような通貨に固定すべきであった。そうしておけば、ペソはドルに対して今より40%は減価していただろう。

もし国内物価がより弾力的であれば、香港やエストニアのように、切り下げなくても良かっただろう。これらの国では価格がより大きな競争にさらされている。企業は大幅に賃金を切り下げることができる。香港の不動産価格は1998年以来50%も下落した。これに比べてアルゼンチンは、労働市場が高度に規制されており、労働組合も強く、賃金や価格の弾力化に反対した。

1990年代にアルゼンチンは国営企業の民営化で競争を取り入れたが、90年代前半にインフレ率がアメリカよりも高かった。もっと労働市場自由化に果敢に取り組み、競争を促す規制緩和が必要であった。直接投資や貿易に市場を開放した発展途上国では、インフレ抑制のようなマクロ経済目標が、経済効率を高めるミクロ経済改革よりも重視されすぎていた。

アルゼンチンでは、多分、競争力を向上する改革がもっと必要であった。それは保護主義の長い歴史と、米欧間の農産物輸出問題で国際貿易が妨げられた犠牲となって、GDPの僅か10%しか輸出していないことに示されている。またアルゼンチンは、もっと海外からの借入れに慎重であるべきだった。政府は90年段前半に国民の貯蓄や年金基金を促すべきだった。逆に新興市場ミニ・バブルへの資本流入を煽った面がある。

昨年の最大の悲劇は、投資家に高い信頼を得ていたカヴァロが救世主となれなかったことだ。彼は通貨制度を調整して債務を組み直すべきであったが、もはや機能しない通貨制度の防衛に努めた。今ではグローバリゼーションへの反対勢力や伝統的な左派が市場型改革を圧倒し、自己破壊的な傾向を示している。

それでも希望はある。アルゼンチンはロシアの最近の経験から学ぶことだ。デフォルトと金融危機を経ても、ロシアは回復し、投資家の信頼を取り戻した。新政府は危機をもたらした矛盾を是正し、輸出と貯蓄を促すミクロの改革を目指すべきだ。


Argentine President Aims to Kill Off Local Banks

By David DeRosa


The Argentine peso holds lessons for the euro

Amity Shlaes

アルゼンチンでも、ヨーロッパでも、通貨がニュースになっている。これらは全く切り離された事件であるが、共通の問題を提起する。アルゼンチンの物語は、どれほど有徳の概念であっても、通貨だけでは人民や一国の経済を救えない、ということである。競争力を高め、政府の役割を低下させる必要があった。通貨を政治問題化し、競争力の改善を無視したことが、危険をもたらした。

アルゼンチンは世界でも最悪の通貨管理の歴史を持っていたから、ネメム政権がペソとドルを等価交換すると約束したことは歓迎された。カレンシー・ボードと呼ばれるこの制度は、ユーロ圏に属する各国にとってのユーロと同じように、重要であった。アルゼンチンは、事実上、通貨政策を切り離して、金利とインフレの管理をアメリカに譲ったのだ。

アルゼンチンの等価交換計画の支持者たちは、同じメッセージをユーロ支持者にも送った。われわれを信用しなさい。通貨から、より大きな政治的意志が生まれる、と。短期的にはアルゼンチン通貨は成果をもたらした。インフレによる収奪を免れて中産階級は通貨への信頼を回復した。それは外国の投資家も惹きつけた。1990年代半ばまでに、アルゼンチンは新興市場経済の神童となった。

しかし、カレンシー・ボードが創り出した安定性は、競争力の改善無しに無限に続くものではなかった。政府はこれに失敗した。政府は、貿易自由化、労働法の緩和、税率の抑制に失敗した。その結果、アルゼンチンは外部のショックに耐えられず、投資家の信頼にも応えられなくなった。

IMFやアメリカ政府が、自分たちの政策の神童を救うために巨額の資本を注ぎ込んで、アルゼンチンに救済融資はいつでもあると思わせた。さらに、1990年代後半には州政府が持続不可能な支出を行うのを見逃した。最後に、ドルとの固定制を守るより、通貨契約の尊厳を無視することを、国際機関のアドヴァイザーが勧めた。

結局、「彼らは私をだました」とある女性は新聞記者に語った。経済問題が有権者を怒らせたが、ネメム政権の通貨契約が裏切られたことで暴動が起きた。「ポルトガルの田舎では、人々は政府を信じず、教会を信じている。」とABCニュースは報じる。「政府ではなく、教会がユーロ普及の運動に加わっている」と。しかし、南欧の教会の牧師たちは、ユーロが増価した場合、苦しい雇用改革が必要なことを市民に語るだろうか?

世界の貧しい諸国で、市民たちは、切り下げが豊かな国を偽善者にする、という。彼らは安定した通貨について多く語りながら、アルゼンチンが維持できない政策を支援し、通貨崩壊の条件を作った。それは国際経済介入にモラル・ハザードをもたらす。アメリカは通貨の安定を求め、ドルを与えて、それからドルを奪い去る。切り下げ以外にはない、と言われ、カレンシー・ボードやハード・カレンシーを支持することで、自分は時代遅れの金本位制に閉じ込められたのだ、と悟る。


Lessons from Argentina's debacle

By JOSEPH STIGLITZ

アルゼンチン経済の崩壊が史上最大規模のデフォルトを引き起こした。デフォルトは10年に及ぶ経済運営の失敗がもたらした。

問題は1980年代のハイパー・インフレーションから始まった。インフレ期待を下げるのに、通貨をドルに固定して安定化すること ‘anchoring’ が提唱された。インフレは通貨の実質的増価をもたらし、輸出を減らし失業を増やす。それゆえ賃金や物価を下げるだろう。それが分かればインフレは持続せず、この為替レート制度が信用されるなら、失業増加というコストを支払わずにインフレが抑制できる。

それは幾つかの国でしばらく成功したが、アルゼンチンが示すように、リスクがあった。固定レート制はインフレを抑制するが、成長を約束するものではない。アルゼンチンはもっと変動できる為替レートに固定すべきであったし、少なくとも貿易パターンを反映させるべきであった。

アルゼンチンの経済改革も間違っていた。銀行を外国資本に売却し、安定した銀行システムを作れるかに見えたが、中小企業への融資に失敗した。成長は減速し、企業は十分な融資を得られなかった。

政府は問題に気付いていたが、外部からのショックが続いて対応できなかった。1997年の東アジア危機は、IMFの失策もあって、世界的な金融危機になり、アルゼンチンのような新興市場への金利を高くした。アルゼンチンの固定レート制は生き延びたが、二桁の失業率を残した。日本よりもGDP比率はずっと低いが、高金利のために財政赤字が債務を増加させた。政府の緊縮予算は市場の信頼を回復できなかった。

東アジア危機に続く世界金融危機が為替レートの大幅な再調整をもたらした。アルゼンチン・ペソが固定していたUSドルは急激に増価し、メルコスールの参加国である隣国ブラジルの通貨は減価した。賃金も物価も下落したが、特に農産物の輸出競争力を維持するには不十分であった。2000年から2001年にかけて世界経済が減速したことはアルゼンチン経済をさらに悪化させた。

IMFは、東アジアでも指摘された、致命的な失敗を繰り返した。アルゼンチンに緊縮財政を求めたのだ。それは市場の信頼を回復するはずであった。しかし、景気減速と財政均衡を予想する計画の前提は矛盾していた。経済は深刻な不況と二桁の失業率に落ち込んだ。アルゼンチンのように民主化が行われていなければ、軍事独裁政権がこうした社会・政治不安を利用しただろう。

ここから7つの教訓を学ぶべきだ。

1. 為替レートが浮動的な世界で、アメリカドルに固定するのは危険だ。

2. グローバリゼーションによる外的ショックの増大は、為替レートの調整を必要とする。

3. 国民の多くを失業させるような政策に従う政府は成功しない。

4. 雇用や成長を無視して、インフレ抑制だけを目標にするのは危険だ。

5. 成長のためには国内企業に融資する銀行が必要であり、外資に銀行システムを売却するのは成長と安定性を損なう。

6. 深刻な不況に導く政策で経済や市場の信頼を回復することはできない。

7. IMFは政策の強調点を変えるべきだ。


Duhalde's wrong turn

Jeffrey Sachs

新政府には二つの選択肢がある。一つは、切り下げもしくは通貨のフロート制である。もう一つは、ドル化、すなわち自国通貨を放棄して通貨投機を終わらせることである。多くの経済学者と同様、政府は40%の切り下げを支持している。しかし、私はアルゼンチンが道を間違ったと思う。

切り下げには明白な理由がある。アルゼンチンの通貨が過大評価されていることだ。確かに、固定レート制から離脱した過去の例では、成長が回復した。1994年のメキシコ、1998年のロシア、1999年のブラジル。しかしアルゼンチンには、通貨管理に失敗した、驚くべき歴史があるから、その例外となる。アルゼンチンほど自国の通貨を濫用し、操作し、凍結し、偽造し、繰返し通貨や契約を入れ替えた国を、私は知らない。カレンシー・ボードはこの歴史を断った。ドル化はそれを決定的に終わらせる。

Duhalde政権は、一方では責任ある政策を採用したが、他方では熱烈なペロニズムを示した。価格統制、二重為替レート、ドル価格表示の廃止、インデクセーションなど、彼の短期的な施策が、社会混乱に配慮した単に一時的戦術なのか、事後的なごまかしが長く続けられるのか、定かではない。しかし私は、最悪のケースに賭ける。

ドル化にはマイナス面がある。過大評価された通貨価値の修正は長くかかる。それでもより望ましいのだ。まず、流通させるドル紙幣の供給について、アメリカ政府の支援が合意できるだろう。アメリカ政府は、金利の付かないスワップ契約で100億ドル程度の紙幣を供給することが望ましい。より重要なことに、ドル化は通貨価値の完全な約束をもたらす。これは画期的である。それゆえドル化は、早期に銀行預金を凍結解除し、銀行システムへの国民の信頼を回復するだろう。

International Herald Tribune, JAN 5, 2002 SAT

Time for US 'empire' to build a fairer world

By ROBERT HUNTER WADE

あなたは現代のローマ皇帝であり、複数の主権国家からなる世界で、また国際的な市場においても、最強の国家の指導者であるとしよう。どのような国際政治経済の枠組みを作れば、あなたの国を最も繁栄させ、あなたの国の市民たちに生産した以上の消費を許し、挑戦者たちを弾圧するために、市場諸力を働かせることことができるだろうか?

あなたは為替レートや通貨政策があなたの目的のためだけに決定でき、他国はその経済を管理するためにあなたの支援を必要とすることを望むだろう。あなたは他の世界の浮動性や経済危機を操り、潜在的な挑戦者の成長を妨げ、あなたの国の「はげたか資本」が投げ売りされた他国の資産を買えるようにしたいだろう。あなたは、他国の輸出業者を競り合わせて、あなたの国の輸出財価格に比べて輸入財価格が常に安くなるようにしたいだろう。あなたは自国の大学や企業、研究所が世界で最高のものであることを望む。そしてあなたは、世界中の中産階級と親交を結び、彼らがこの枠組みを支持するような物質的な理由を与えたいだろう。エリートや大衆があなたの支配に対して反対するために団結したり、彼らがあなたの国の競争相手となる産業を育成するような、「ナショナリスティック」な開発政策を求めたりしないようにする。

では、それはどのような国際政治経済秩序であろうか? 1.自由な資本移動。2.自由貿易(ただし、国内産業が脅威と感じる分野は除外させる)。3.自国のエリートたちが慣れ親しんだ金融資産管理や教育制度、保健制度、年金制度などを採用する自国企業の自由を強調し、各国が差別的な扱いをできないような、自由な国際投資。4.自国通貨を主要な国際準備とする各国の通貨制度。5.他方、自国の通貨を発行することは無制限。だから世界中に赤字を出すことも無制限。6.変動する自国通貨建の国際融資。つまり危機にある国からは、その返済能力が無くなっても、急激に取り立てる。

こうしてあなたの国では市民が生産した以上にふんだんに消費し、他国で定期的に金融不安や危機を引き起こし、それゆえ各国はあなたの国の通貨を大量に準備として求め、それがあなたの国の赤字を容易にして、あなたの国も企業も資本も他国の市場を迅速に出入りできるだろう。あなたは、借入国で定期的に起きるパニックに備えて、あなたの国の債権者を助け、そのコストを転嫁するために救済融資メカニズムを必要とする。この枠組みを守るために、あなたは多角主義的国際機関の正当性を組織しつつも、あなたが管理した形でしか資金を提供しない。

これは世界経済におけるアメリカの役割をマキャベリズムで解釈したものではないか? もちろん、その通りだ。

現実には、繰り返し、アメリカの支配は一般的な善のために設計されてきた。そのスローガンは、「世界のために考える。」しかししばしば、その要求は最も裕福な市民たち、最も強大な企業の利益のみに沿って行われた。その傾向は、最近、ますます強まっている。

アメリカの一方主義Unilateralismは、911日のテロ攻撃とアフガニスタンでの「成功」で強められた。WTOのサービス貿易に関する一般合意は、発展途上諸国の社会サービスをアメリカの企業に支配させるものだ。世界銀行も同様の目的で基本サービスへの融資を商業ベースに転換し始めた。普通、これらがグローバリゼーションの中身であるとは述べられていない。

他国の市民を縛るグローバリゼーションや世界的監視機関は、情報、金融、財貨、サービスの国際移動を自由にして、他国の制約を増し、アメリカを制約から解放する。それがテロリズムの直接の原因ではないが、1980年以来、発展途上の世界を低成長に押し込んできた。成長の減速、所得格差は、教育ある若者の怒りと絶望を育てる。ある者は西側に移住し、ある者は軍事行動に身を投じて互いに殺し合い、あるいは支配者を倒す。しかし今や、原理主義者の間では一つの考えが広まった。アメリカを直接に攻撃すべきだ、と。

アメリカとその同盟諸国は、軍事力と賄賂で各国に特別な集団を形成した。しかし長期的には、その構造的枠組みがとんでもない不平等な世界を作り、第二次大戦後にアメリカがブレトン・ウッズでしたように、枠組みの再設計を求められる。新しい枠組みで、市場がより平等な成果をもたらすように。

1世紀後、歴史家たちは現在を振り返って、それが始まったのは当時(すなわち今)である、と言うだろう。

Foreign Policy, September/October 2001

Vox Americani: What do Americans really want?

A Virtual Interview By Steven Kull

テロ直前のアメリカでFP(Foreign Policy)が注目していたのは、WTOで示された反グローバリゼーションの声でした。世界銀行Wolfenson総裁の責任を問うのも、貧困解消がアメリカとグローバリゼーションにとって非常に重要であったからです。

以下、質問はFP(Foreign Policy)。回答はJP(a virtual John/Jane Q. Public)。

FP:まず、世界におけるアメリカの役割について話し合いましょう。冷戦も終わって、あなたは世界から身を引き、国内問題に集中したい、と言われますが、本当ですか?

JP:まあ、学校とかの国内問題に関心があるね。・・・

FP:世界の事情には関わりたくない?

JP:[少し間をおいて]もちろん、そんなことは無いさ。それが可能だとも思ってない。当然、われわれは関与し続ける。今や世界中の事情にわれわれが関わっているからね。そして人々が飢え、罪も無い人々が殺されていれば、われわれは道義的な責任を感じる。もしわれわれが監視しなければ、世界は制御不能になり、大規模な戦争が起きるだろう。

FP:ということは、アメリカが世界の指導者である?

JP:それは、それは待てよ。私はそんなことを言ってないさ。「世界の指導者」なんて話を聞くと、私は財布を押さえるよ。率直に言って、アメリカはずっと世界の警察官であろうとした。マーシャル・プランや東西冷戦、そして湾岸戦争も、だ。いいかげんに休ませてくれよ!

FP:すこし孤立主義の感情を持ち始めているのですね。

JP:[嫌そうな顔で]否、そうじゃないさ。私はここで、毛布を被って寝てるか、世界の警察官であるか、たった二つの選択肢しかないのかね?

FP:では、アメリカは何をしたいのですか?

JP:第二次世界大戦が終わった頃、各国は国連でいっしょにやれると話し合っていたことを覚えているだろう。それが当時は良い考えだった。冷戦で何もかも機能しなくなったが。でも今、ロシア人だって歩み寄ってきたし、そうした協力を試してみるのもいいんじゃないか?誰もが一部を占めて、アメリカも応分の役割を果たす。 (中略)

FP:国連が強くなりすぎませんか?

JP:[笑って]そのとおりだ。でも拒否権はあるんだろ?

FP:アメリカ軍を国連の指揮下に置くことについてはどう思いますか?

JP:もし他国がわれわれより多くの軍隊を出せるなら、彼らが指揮すれば良い。失敗すれば責任をとる。そうやって分担するのさ。

FP:つまり、他国がもっと分担せよ、ということですか? アメリカが支配権を握っているから、それで良い、と?

JP:アメリカの負担はバランスを欠いているよ。

FP:アメリカがどう行動するかについて不安があるのでは?

JP:否、誤解して欲しくない。アメリカは素晴らしい国であり、世界の人権や民主主義のために貢献している。私はただ、過大な役割には問題がある、と言うだけだ。ヴェトナムだって、われわれは共産主義から自由を守る、善意で行って、世界から非難されるようになった。二度とあんな目にあいたくないのさ。

FP:すると、世界中に展開する軍事力は、国内に引き上げるのですか?

JP:事態に迅速に対応すべきだが、多分、今の海外駐留軍は大きすぎる。もちろんヨーロッパや韓国では留まる。彼らが何か文句を言うとしても、われわれは安定性を供給しており、結局、彼らもわれわれが居ることを喜んでいる。もちろん、誰かが一線を超えれば、サダム・フセインやビン・ラディンのように、われわれは奴らに思い知らせてやる。でも、そんな奴はめったに居ないよ。われわれがそれに長けているからと言って、いつでもボスである必要はない。他国と一緒に仕事をこなし、模範を示すのさ。

FP:なるほど、模範ね。他国はアメリカをまねて、アメリカ映画を観て、マクドナルドで食事する?

JP:まあ、そういう訳でもないが。それにはちょっと複雑な感じがある。でも、他国がわれわれを真似て、民主的になっている、と聞けば嬉しいね。

(以下、すべて省略。)

アメリカ人の感情はさまざまです。これに続けて、グローバリゼーション、貧しい国への援助、アジアやヨーロッパとの関係、そして最後に、アメリカ人は何を恐れているか、と続きます。

JP:最大の脅威はテロリズム。生物・化学兵器。サダム・フセインは制裁すべし。特に、アメリカ社会における麻薬の蔓延を恐れる。中国には要注意。ミサイル防衛網や軍事技術開発より、核兵器の廃絶には軍縮条約を。最強の軍事力を持った上で、国際協調は望ましい。