IPEの果樹園2002
今週のReview
1/7-1/12
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お正月の番組で面白かったのは、「名探偵ポワロ」は別にしても、「『平和の世紀』は築けるか?・ノーベル平和賞受賞者に聞く(解説:山崎正和)」と、「スピルバーグ自身を語る」でした。「激動の世界経済」や「世界はどこへ向かうのか」は、少しだけ観て消してしまいました。伝統的な行楽地や自然美は衰退し、移動手段が不便で、やたらと時間もお金もかかる日本では、公共空間としての電波による情報が重要なはずです。
大晦日と三が日。日本人やこの社会は、お盆と並ぶ国民的な休日を、忘年会と新年会の宴会で疲れた胃腸を休ませ、現実に眼を閉ざすために粗悪なコントやギャグ、ドタバタ劇を観るだけでよい、と思うのでしょうか? 本当は誰も、こんな正月を望んでいないのでは・・・?
NHK以外のTV局が、政治経済の変化や改革路線を一切扱わなかったことに、不思議な、あるいは不気味な悪意さえ感じました。紅白歌合戦は世代や時間を超えようと試み、新春かくし芸大会は魅力を失いました。初詣に散歩した春日大社が賑わっていたのは、デフレを無視した法外な露店の価格で酔いを吹き飛ばし、規制の中だけでカネを吸い上げてきた旧式の商売をもう一度だけ味わうためであった、と思いたいです。
スピルバーグは、「あなたが死んで神に会ったとき、なんと言われたいか?」という質問に、「(お前は)よく聴いてくれた。」と答えました。ユダヤ教徒の両親が、よく聴くことが最も大切である、と教えたからだと言うのですが、スピルバーグの話はそれ以上のものでした。彼は自分自身に正直であり、人の話にも耳を傾け(なぜなら、それが自分にとって成長の機会であるから)、神や子供たち、家族の声にもよく耳を傾けました。「自分が有名人である、と思ったら、それはだめになったことだ」とも言いました。周りが期待するように振る舞い、自分を見失ってしまう、と。「大きな力に支配され、自分の人生を失ってしまうが、再びそれを回復しようと立ち向かう人々を、私は描いてきた」という彼の言葉に、そして彼がアメリカでその仕事によって富や栄光をつかんだことに、革新を好む自由主義の強さを感じました。
「最も幸せなときは?」「7人の子供たちが一斉に笑い声を上げたとき。」・・・「最も悲しいときは?」「彼らが一斉に泣き出したとき。」
イギリスでもアメリカでも、新聞や雑誌、TV番組の分極化が進み、毎日、有名人のゴシップやポルノ写真を載せて新聞は購入を促し、スポーツや音楽の情報だけで過ごす人が多いと思います。日本でも若者や単身者は新聞の宅配を利用しなくなり、携帯電話のメールとコミックに多くの金と時間を注ぎます。情報を選別する眼を個人が持てば、それも良いでしょう。しかし、多チャンネルのケーブル・テレビが普及し、インターネットがオーディオやビジュアル情報をパソコンに充満させる過程で、公衆の社会的関心を目標とした旧来型の組織はさらに衰退します。
一つだけ、そういえば私が好きなのは、この寒い季節に行われる全国高校ラグビー大会や社会人ラグビーです。髭をはやした、いかつい高校生たちが突進し、全身をぶつけ合って、試合が終われば悔しさや感激で天を仰ぎ、笑い、泣く姿に、微塵も作り物でない真剣さを満たしています。
アルゼンチンの経済・政治危機とEuro誕生で始まった2002年は、日本の経済再編をもう一人の主役としています。優れた公共空間を設計するために、スピルバーグを導いた神を、日本にも招待したいです。
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New York Times, December 26, 2001
Fallout of U.S. Recession Drifts South Into Mexico
By GINGER THOMPSON
エル・パソから国境に延びる工業地帯の周辺にあるスラムでは、平日でも週末のように静かだ。ようやく10時を過ぎてから、金槌やのこぎりの音が広がった。多くの工場で仕事が減り、人々は仕事が無いときに、古タイヤや金属のクズ、木片で、壊れた家を修理していた。
「事態は深刻なんです。」と工場労働者であるErica Rosalba Aguilarは語った。「私たちは仕事を求めてここへ来ました。しかし、今やマキラドーラは解雇された労働者でいっぱいです。完全に倒産した工場もあります。」
国境地帯はメキシコ経済の強力なエンジンであったが、アメリカの不況で生産が減り、テレビから自動車部品、ジーンズ、おもちゃなど、あらゆる組み立てラインにおいて、この20年間で初めての厳しい労働力削減が起きている。マキラドーラと呼ばれる輸出向けの工場で働くAguilar婦人のような労働者が、20万人も職を失った。
たとえ北アメリカ経済が回復しても、この地域はすでに世界の未熟練製造市場で価格競争に負けている。10年もの拡大を経て、今年、97のマキラドーラ工場が閉鎖された。メキシコ政府は南部の開発によって低賃金工場の拡大を目指すが、失業者はアメリカを目指す。
すでにメキシコの賃金水準は他のラテン・アメリカ諸国よりも高く、9月11日以降は雇用減少が加速した。マキラドーラのみ熟練労働者は、アメリカの労働者よりも少ない、一日当り4〜5ドルを得る。雇用主には交通費や食費、政府への支払いもあるので、実質賃金は1時間当たり2〜3ドルになる。他方、エルサルバドルの未熟練工場労働者は自給1.59ドル、ドミニカ共和国では1.53ドル、インドネシアでは1.19ドル、そして中国では43セントである。しかも海上輸送費はますます安くなっている。
マキラドーラで生き残れるのはハイテク工場だけかもしれないが、1994年のNAFTA成立後、工場の進出で昨年だけでも4万人を雇用し、1999年には14億ドルの税収をもたらした国境地帯の衰退は重要な意味がある。政府は、中国に移転する工場を、メキシコ南部に誘致できると言うが、南部の貧困やインフラの欠如はそれを妨げている。
新聞の求人蘭は減り、雇用仲介所は閑散としている。115万人のマキラドーラ労働者はもう一つの選択肢を考える。国境を越えてアメリカへ働きに行くことだ。マキラドーラはアメリカへの移民を吸収するために推進されたのである。それが今までは国中の移民をひきつけていた。仕事が見つからないなら、彼らは北を目指す。
Financial Times, Sunday Dec 30 2001
World Economy 2001 - Economy
Architecture may be put to the test
by Alan Beattie
国際金融アーキテクチャーの改革について語られたことが実際に行われていたら、この数年で世界経済は大きく変わっていただろう。しかしアジア金融危機以後も、政府や官僚が合意できたことと言えば、このままのシステムでは上手く行かない、ということだけであった。危機が起きるたびに、国際金融の制度や規制は信用を失った。
IMFは「早期警戒システム」の構築に努力してきたが、危機の防止はその処理よりも望ましいと言うだけで、実際に何をするかは反対も多く、機能しそうにない。IMFのスタッフも認めるように、「早期経済システムの矛盾は、それが上手く行けば、民間投資家はリスクに注意を払わなくなることだ。」何にでも有効な手段は無い。
どの国も、特に新興市場は、危機が避けられなくなるまでIMFの融資を求めない。それゆえIMFは債務国に道徳的な説得をする以外、間違った政策を改めさせる力が無い。多角的協調による機関が行動を起こすのは遅く、狼が来たぞと叫ぶリスクはなかなか冒せない。クリントン政権のアメリカ財務省が生み出したCCL(緊急融資枠)も使用されていない。
金融市場の伝染は、最近、抑制されているようだ。トルコやアルゼンチンの金融危機も、メキシコ・ペソ危機の半分ほどしか、新興市場に波及していない。しかし、それは国際金融アーキテクチャーが改善されたと言うより、民間投資が十分に回復していないからであり、IMFも、アルゼンチンがさらに深刻な危機に陥った場合、波及しないとは限らない、と警告している。
危機を解決するシステムの改革を要求してきたthe London Business SchoolのRichard Portesのような専門家に言わせれば、危機が起きても反応は鈍い。アルゼンチンが混乱したデフォルトに入らないよう、民間部門の投資家に強制的な交渉への参加を求める法律が必要である。しかし彼は、その運動がほとんど前進していないことを認める。明らかに、レトリックは肯定的に変化した。しかし、計画は曖昧だ。アメリカは、集団的な再交渉の義務を債券発行に書き込む法案を出そうとしない。IMFの協約を書き換えることも同様に進まない。IMFはより恒常的な資本市場の監視委員会に民間部門を参加させたいと考えているが、投資家は強制的な債権放棄に極めて否定的だ。
レトリックを除けば、実際には何も変わらない。「アルゼンチンやトルコの救済融資を見ても、G7やG20の宣言が出る前と何が変わったのか?」とPortes教授は問い、何も変わっていない、と言う。トルコやアルゼンチンが不安定性の源としてあり、潜在的な下約要因となる。もし工業諸国の経済や金融市場が脆さを示すなら、来年こそ国際金融アーキテクチャーは試練の時を迎える。「透明性は望ましい。しかし、メキシコで1994年に何が起きているか、誰もが知っていた。それでも危機を防げなかったのだ。」
Los Angeles Times, December 31, 2001
Japan's Military Gets It Right
By ERNEST W. LEFEVER (a senior fellow at the Ethics and Public Policy Center in Washington, D.C.)
アメリカによるアフガニスタンでの戦争に並行して、気付かれないほど静かに、日本は世界政治に再登場した。
11月25日、アメリカの作戦を支援するために、日本政府は、かつてアメリカ人の憎しみの対象であった日の丸を掲げた自衛艦を、インド洋に送り出した。人道的な物資の補給に当るが、攻撃されれば戦うことになる。
9月11日のテロ攻撃は、日本人を、アメリカ軍の占領によって半世紀前に押し付けられた「平和憲法」の第9条とともに、大きく動揺させた。ワールド・トレード・センターやペンタゴンへの攻撃に、世界中の人々と同様に日本人もショックを受けたが、その野蛮さを日本による真珠湾攻撃としばしば比較されることに、日本人は特に打ちのめされた。こうして日本は戦後の規範を破り捨てた。
その決定は、憲法第9条による平和(不戦)主義と、広島・長崎への原子爆弾について深い悔悟を持ち続ける国民の雰囲気を知っているなら、容易なことではなかった。私は1965年に日本の防衛大学で講演し、第9条を批判して、日本が軍隊を海外に派遣すべきだと主張し、主催者を驚かせた。そして、日本は中東で行われている国連の平和維持活動に部隊を提供すべきだ、と示唆した。
26年後の1991年、日本政府は湾岸戦争後の中東に500名の自衛隊員を派遣し、砂漠の嵐作戦の費用に130億ドルを貢献した。さらにカンボジアの国連軍にも参加し、第二次世界大戦で生々しい残忍さを記憶された東南アジアにも、47年ぶりに戻ってきた。
反対派の声は、愛国的な主張と自演官たちの家族への気遣いに隠れてしまい、野党・自由党の小沢党首も、憲法を改正して同盟国と戦えるようにすべきだ、と主張する。日本人の軍隊への感情は矛盾を含みつつも、テロ防止法案の可決に示されたように、アメリカと日本の同盟関係は太平洋を越えた。日本は経済大国だけでなく、文明的な軍事大国にもなろうとしている。
ブッシュ大統領も述べたように、「われわれの持代の大きな裂け目は、異なる宗教や文化の間にではなく、文明と野蛮との間にある。」
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South China Morning Post, Thursday, December 27, 2001
Pressure mounts on Japan banking sector
JON OGDEN
Indosuez WI Carr Securitiesによれば、日本は、銀行の取り付け、債券価格の暴落、銀行システムの強制的資本増強、という金融危機を醸成しつつある。銀行の不良債権は、政府の統計でも44兆円、実際には100兆円に達しており、それに比べて銀行の自己資本は13兆円に過ぎない、とWI CarrのエコノミストMichael Taylorは言う。
景気の悪化と銀行システムの弱点が悪循環を起こしている。これは、ある段階まで達すると、銀行への信頼を崩壊させるが、規制当局がそれを十分な速さと規模で改善できるとは思えない。1990年にバブルが弾けてから、家計は金融資産に投資するより銀行預金を増やしてきた。その結果、銀行システムの資金調達は23.8%が預金であり、通貨の流通量に対するM1の比率は、日本では4.4に達するが、韓国では2.4、アメリカでは2.1である。
「銀行の融資先が倒産するというニュースは預金者を不安にし、銀行はもはや安全ではないと報せることになる。このメッセージが高まれば、預金の引き出しに人々が殺到し、これを止めるには強制的な資本強化しかないだろう。」
他方、銀行は現金を得るために国債を売却し、国債価格が暴落して利回りが上昇する。銀行の固有する国債は、168兆円の証券保有額の40%に達し、国債発行額の16.3%に及ぶ。他方、国債の累積は止まらず、政府はすでに歳入の34%を国債の利払いと償還に充てている。それゆえ、国債の悪循環がおき、価格の暴落が利回りを高めて、さらに国債発行を増やすだろう。「こうなれば、銀行国有化と資本再注入も、銀行システムの崩壊を止める、お得な買い物となる。」
銀行は株主の資本を大幅に減らし、その帳簿にある100兆円の不良債権を新しい国債と交換する。それが上手く行けば、金融危機も長期的な破壊的円安を必ずしも意味しない。しかし、とMr. Taylorは警告する。「金融危機は、その通貨的な意味合いが何であれ、必然的に短期的な通貨の暴落を引き起こす。」危機が触媒となって、さらに企業の倒産が増え、マイカルのように新しい不良債権を増やすかもしれない。金融監督が債権の分類を甘くしたという疑いは、預金者をさらにおびえさせる。
Financial Times, Sunday Dec 30 2001
World Economy 2001 - Region by region
Japan - alarming weakness
by Gillian Tett
日本経済の問題は四つある。1.経済停滞によって、日本の生産性は大きく悪化した。2.1990年代半ばから持続的なデフレが解消されない。3.10年間の財政刺激策で国債残高がGDPの130%に達している。4.金融システムに蓄積された不良債権を処理する資本がなくなりつつある。
この危険なカクテルを飲み続けて、日本には成長をもたらす有効な政策が尽きてしまった。これ以上の財政政策は困難であり、日銀は実質的なゼロ金利にまで金融緩和している。円安促進策が有効だ、というエコノミストもいるが、アメリカや世界経済が減速する中では、中国や韓国などの近隣諸国が反対する。
第四の選択として、小泉首相は迅速な構造改革を提唱した。財政と企業部門の債務を一気に処理して、日本の競争力を回復するわけである。しかし、多くの経済学者が生産制の改善を中期的に求めるが、短期的には構造改革が不況をさらに深めることを心配する。
解決策はあるのか? 結局、これらの政策を組み合わせるしかない。構造改革を進めながら、デフレを解消する極端な金融緩和を行い、財政の均衡を保ちつつ、円安を促すのである。これは複雑な政策協調と外交上の巧妙さが求められる。しかし、日本の最大の弱点は政治権力構造にあり、小泉首相はよほどの経済危機がなければ成功できないだろう。
小泉の経済チームはますます手詰まりになり、要するに、さらなる危機を待っている。
Financial Times, Monday Dec 31 2001
Editorial comment: Risky tango in Tokyo
金融界に広まる憂鬱なジョークがある。「アルゼンチンと日本はどれくらい違うか?」「・・・5年。」
日本はアルゼンチンとそっくりである。どちらも、デフレ、債務、経済の衰退という、深刻な状況にある。しかしアルゼンチンと違って、日本にはまだ対策を採る時間がある。小泉首相はどこから手をつけるべきか? 日本の銀行システムから資金を吸い上げる不気味な音が、その場所を強く示している。
先週、不良債権によって石川銀行が破綻した。この倒産は、デフレの下で債権回収に苦しむ金融システムの危険性を再認識させた。不況に再び入ることで銀行の破綻が続けば、国民の金融システムに対する信頼は失われる。すでに銀行預金を全額保証する制度が4月から廃止されることで、国民は神経を尖らせている。政府首脳は銀行破綻を防ぐために公的資金注入も含めて何でもやると明言している。しかし、日銀が金融危機を防止しなければならない。そのためには、政策の根本的見直しが必要だ。
日本の金融システムに今でも問題があるのは、バブルが発生して、それが破裂したからであると言われるが、そうではない。銀行は近年も引き続き不良債権を増やしており、そのことから日本の銀行は1990年代に何も教訓を学んでいないと分かる。日銀がデフレを逆転できなければ、日本企業の債務返済能力はさらに減退し、銀行のバランス・シートを悪化させ続ける。
政策転換で第一になすべきことは、小泉氏が、構造改革によってデフレを克服するような、明確なマクロ政策を行うことだ。日銀は、ついに、断固として物価水準に影響を行使するという、中央銀行の主要な教義を受け入れたようだ。必要なあらゆる手段を用いてインフレをもたらすときだ。
第二になすべきことは、銀行部門が抱える問題の深刻さを認識し、どうやってこれに対応するかを国民に説明することだ。日本の銀行システムは、流動性を持つが、支払不能である。融資の減額は広く行われるべきである。さもないと、資本は途方も無い規模で浪費され続ける。すなわち不良な企業を延命し、優良な企業を窒息させ、経済成長をさらに損なうのである。
問題の大きさを見れば、日本の多くの政府・官僚が不良債権を一夜で流動化することもできるかのように主張するのは危険である。たとえ国有化するにしても、透明で、体系的な銀行システムの資本再強化が工夫されねばならない。
第三になすべきことは、銀行部門を本当の意味での市場競争に着実に開放することだ。デフレの解消と実質金利の上昇は、信用リスクの差別化を促し、資本をより生産的な部門に向かわせる。外国の銀行を日本に展開させることも、国民の信頼と業績基準の改善に役立つだろう。
小泉氏は疑いなく日本を転換する機会をつかむ偉大な天分を持った政治家である。しかし、今すぐに、既得権を廃し、東京の官僚たちを圧倒しなければならない。危機はまだ避けられる。しかし、迅速な行動がなければ、アルゼンチンの影が忍び寄る。
Financial Times, Thursday Jan 3 2002
Japan's looming crisis
Peter Tasker
世界が最も嫌うのは、日本で再び金融危機が起きることだ。しかし、それは確実に起きつつある。政府と民間部門の債務、資本不足で、間違った規制に従う銀行システム、デフレに無頓着な中央銀行、それらがもたらす結果は明白である。金融危機は、もはや日本人の風土病となっている。
8ヶ月前に小泉純一郎が首相になったとき、改革への期待が高まった。彼は今までの首相と違って、国民に広く支持されていた。この指示によって、日本経済は健全な金融部門と、消費中心の成長に向かう、と思われた。しかし、それは間違いであった。小泉氏は国民の高い支持を厳しい現実にふたをする力に変えてしまったのだ。不況を予算争いの道具にしておきながら、批判する者は「抵抗勢力」として切り捨てた。
経済が回復に向かっているのなら、それも大したことではない。しかし、事態は逆である。過剰貯蓄を問題にせず、賃金引下げや財政支出削減が議論されている。そして構造改革の中身は、たとえば健康保険制度の改革として、財政負担を減らすために個人負担が50%も引き上げられる。
小泉政権の最大の失敗は、金融問題に真剣に取り組まなかったことだ。金融庁も日銀も自己弁護に耽り、景気回復に失敗しても政策を変更しない。1990年以来、毎年、土地の価格は下落し、GDPデフレーターは1995年にマイナスとなってからいまだにマイナスを続けている。それでも日銀は物価の下落を無視し、その効用さえ説いている。こうしてデフレ期待は投資家や消費者、経営者の心理を蝕んだ。他方、金融庁は主要銀行に十分な準備を促すことができず、逆に、その意見は「無責任な、失敗であった。」これらは、1998年の危機に至る数ヶ月に、繰り返し聞いたことばかりである。
1990年代の危機を経ても、日本の金融当局は無責任なままである。日銀は5年間もデフレを放置して、物価の安定に失敗しているが、誰も責任をとらない。金融庁も、その無能な監督により投資家に損失を負わせながら、何の償いもしない。制度の特権に守られて、自分たちは責任を問われない選択肢が残されたままだ。変化は危機でしか起こりえない。
その危機は迫っている。引き金を引くのは、3月に予定されている、銀行口座の全額保証解除であろう。もし政府が怖気づいて実施を延期すれば、システムの腐敗が中心まで進んでいることを公認したことになる。もし実施すれば、国民の信頼がはじめて直接に問われる。昨年秋に、国内で最初の狂牛病に感染した牛が発見された際、何が起きたかは、そのヒントとなる。政府は即座に安全性を確認し、検査手続きを完全に信用できると述べたが、国民は信用しなかった。数日で、スーパーの牛肉売上は70%も激減した。
結局、日本はリフレ政策に転換する点に達したのだ。それが金融部門を正常化するだろう。その意味で、危機は回復のための踏み台になる。政府から距離をおいて、リストラも、雇用の製造業からサービスへの転換も、建設部門の急速な縮小も、国内への直接投資も起こっている。かけているのは、問題を解決する政治的な意志である。
いつか、日本人は銀行システムの醜い現実を理解し、一貫したリフレ政策に乗り出す。それが小泉でなければ、他の誰かが政権を獲る。
Bloomberg, 01/03 17:38
Deflation May Save Japan, Not Destroy It: William Pesek Jr.
By William Pesek Jr.
日本はデフレに宣戦布告した。今や、デフレは世界第二の経済大国の2年に及ぶ敵である。中央銀行は貨幣を刷り増し、政府は価格下落を阻止するために支出する。
しかし、25歳のヘア・ドレッサー、浅井麗子は幸せだ。彼女は、もうレジに近づいても、恐れなくて良い。確かに、価格が下落すれば企業の利潤や賃金を破壊する。しかし、平均的な消費者は増大した購買力から多くの利益を得る。日本人は、とんでもなく高い物価を耐えて、日本の経済的地位を上昇させることに、誇りを感じていた。しかし時代は変わり、物価の下落と支出パターンの変化、ディスカウント・ストアの普及、中国などの安価な生産地から発達した流通システムや外資系の量販店を通じて購入する生活が拡大している。
もちろん、デフレは経済全般にとって良いものではない。企業の利潤や、労働者の賃金、政府の税収が減少する。しかし、高失業と20年ぶりの深刻な不況にあって、物価下落は唯一の消費刺激要因である。それは見えない減税策となっている。デフレへの宣戦布告にもかかわらず、日本はデフレを通じて回復を実現するかもしれない。なぜなら、デフレは日本経済の非効率な部門や企業を解体し、消費者により多くの購買力をもたらすから。
政府がデフレを恐れるのは、それがもたらす経済の根本的変化は管理不能だからである。しかし、その力は経済を悪化させるよりも、ついには改善させるかもしれない。
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Bloomberg, 12/29 13:53
Fear and Loathing as Argentina Nears New Explosion
By Tom Vogel
新年の2日前からアルゼンチンは騒乱状態となっている。27名の死者を出した騒乱によりデ・ラ・ルーア政権が崩壊してから8日目、多数の群集がブエノス・アイレスの街頭に集まって、Adolfo Rodriguez Saa大統領に抗議した。警官と争った後、暴徒は議会を破壊し、正面玄関に放火した。以前は考えられなかったことであるが、今では軍隊導入による治安回復も議論されている。
アルゼンチンの指導者たちが民衆と切り離されているのは、元軍幹部で、クーデタ失敗後、1998年に大統領となったヒューゴー・チャベスがいるヴェネズエラの状況とよく似ている。唯一の違いは、ヴェネズエラのような暴動の指導者が、アルゼンチンにはまだいないことだ。アルゼンチン国民は1980年代の大量の死者と行方不明者を出した軍事政権に戻ることを強く恐れている。
住宅街も商店も、新年の暴動再発を恐れている。多くのアナリストたちは、1997-98年にアジアとロシアの金融危機が波及したようなことは起きない、と言う。しかし、異なった伝染があるかもしれない。この10年間、発展途上諸国は市場を開放し、国家の役割を削って市場競争力をつけようとしてきた。こうした努力は逆転するだろう。ポピュリストの政治家たちはアルゼンチンを指差して、「やはり思ったとおりだ」と言っている。
アルゼンチンはこの10年間、自由主義的な経済政策を求めるアメリカやIMFの寵児であった。しかし今では、アメリカもIMFもかつての教え子と縁を切りたがっている。1994年のメキシコ・ペソ危機以来、彼らの発展途上国に対する政策はアルゼンチンの崩壊を導く要因でもあった。アルゼンチン政府が財政規律を失った上に、アメリカがドルの増価を放置したことで、それに固定するアルゼンチンは苦しんだ。
アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、今週、メキシコ、チリ、ウルグアイの大統領を呼んで、アルゼンチンについて尋ねた。アメリカ政府は、その救済融資を行わないというイデオロギーに従い、アルゼンチンを見放すことに決めた。しかし、アメリカの飴と鞭はすぐに余りに近視眼的であったと分かる。
抗議する者たちは、Rodriguez Saa大統領がメネム政権下で汚職に関わったと言われる人物を閣僚に指名したことや、最高裁が預金の引き出しを週250ドルに制限することに反対する下級審の決定を翻したことに怒った。アルゼンチンの労働者の60%は、現金払いのインフォーマル経済に従事している、と言われる。
かつては10人を雇用して洗車を商売としてきたAntonio Balbuenaも、この2年で近くの8つの店が閉鎖したことを知っている。2ヶ月前に、彼は最後の2名を解雇した。今や一人でやりくりする彼の店も破産が近いだろう。昨日は3台しか来なかった。「いつまでやれるか、私にも分からない。」
注意せよ。アルゼンチンはダイナマイトの上に座っている。
Financial Times, Wednesday Jan 2 2002
Argentina: Divided they fall
Thomas Cat疣
2週間の内に3人の大統領が入れ替わったが、誰も対立する利益集団を抑えられず、政治システムの信頼を回復することもできなかった。
これは、IMFが見るような1994年から続く新興市場の通貨危機ではない。政治システムに問題がある。アルゼンチンが社会的混乱に落ち込むのを見て、アメリカも国際社会もラテン・アメリカが再び1980年代のような不安定な状態に戻ることを恐れ始めた。
デ・ラ・ルーアの後任として指名されたAdolfo Rodriguez Saaは、まるで先の大統領選挙に勝利したかのように、尊大な態度で経済政策を発表した。1.1550億ドルの政府債務の支払停止。2.第三の通貨argentino導入。
しかし群集は再び鍋と釜を叩いて街頭の抗議活動に集まった。過激な若者が合流して議会に放火し、暫定政府は崩壊、その翌日、Rodriguez Saaも辞任した。そして第三の通貨は生まれる前に廃案となった。
景気回復が最優先の課題であるが、そのためには切り下げとデフォルトが必要だ。しかし、それはドルと同じ価値の貯蓄に励んだ中産階級から富を失わせることになる。また、競争力を維持するには、賃金を30%削減すべきだ、とエコノミストたちは言う。これも、彼らは容易に受け入れない。もしデフォルトと切り下げを回避するのであれば、アルゼンチンはデフレを続けて競争力を回復しなければならない。すでにデフレは続いているが、まだ10年も不況を続けて競争力を得るのは意味が無い。
地方の政治システムを支配するペロニストの知事たちは、州への財政移転を削減するような大統領を許さない。しかし、彼らが同意しなければ、維持可能な経済再建策は作れない。政治システムが不況と社会的混乱の収拾に失敗すれば、それ以外の解決策は軍事政権が示すのか? 1983年に民主化されるまでの50年間、政治が混乱すれば軍隊が介入した。最近の軍事政権では、9000人から3万人の国民を殺害したと推計されている。
国際社会やアメリカ政府はどうするのか? ブッシュ政権はむしろ援助を切り捨て、債権者たちに、アルゼンチンを救済融資が行われないことを示す見せしめにした、と批判される。政府幹部は、国内の秩序回復は強力な指導者にだけ行える、という。しかし彼も認めるように、今のところ、それは無理な情勢だ。
New York Times, January 1, 2002
Crying With Argentina
By PAUL KRUGMAN
アルゼンチンの暴動は、単に、よく知らない遠くの小国で、アフガニスタンと同じように、われわれに何の影響も無い出来事だろうか? 多くの人は、これもラテン・アメリカで繰り返される危機の一つとしか見ない。いつだって彼らは危機なんだ、と。しかし、世界中を良く見れば、アルゼンチンの経済政策には「アメリカ製」のラベルがはっきりと付いている。彼らの政策の崩壊は、まず何よりもアルゼンチン国民にとっての悲劇であるが、それは同時にアメリカ対外政策の悲劇でもある。
アルゼンチンは、他のどの発展途上国よりも、アメリカが推進した「ネオ・リベラリズム」に従った。関税を引下げ、国営企業を民営化し、多国籍企業を誘致し、ペソをドルに固定した。ウォール街はこれを励まし、投資を注ぎ込んだ。しばらくの間は、自由市場経済学がその正しさを立証したように見えた。
その後、事態は変化する。1997年のアジア金融危機がラテン・アメリカに波及した際、アルゼンチンは当初あまり影響を受けなかった。しかしブラジルが動揺すれば、アルゼンチンの不況は果てしなく続いた。不況の原因はいろいろあるが、その多くは自由市場よりも通貨政策に関わっていた。しかし、ウォール街とワシントンに市場と貨幣とは切り離せないと吹き込まれたアルゼンチンは、それを区別できなかった。
アメリカ財務省の出張所に見えるIMFは、アルゼンチンの不況にも何ら助けとならなかった。IMFの職員はアルゼンチンの固定制が維持できないことを、数ヶ月か、数年も前から分かっていたはずだ。そしてIMFはアルゼンチンの通貨政策の失敗を回避し、政治指導者たちになすべきことをする支えとなってやれたはずだ。しかし、IMFは中世の医者と同じく、患者の汚れた血を抜き、さらに病状が悪化するとこれを繰り返し、死ぬまで続けた。財政支出を削減せよ。さらに削減せよ、と。
こうしてアルゼンチンは完全な無秩序となった。ワイマール共和国にたとえる者もいるだろう。そしてラテン・アメリカの人々は、アメリカが無関係の傍観者であったとは決して思っていない。アメリカ人の多くはこれを知らない。世論調査では、アメリカ人の52%が、アメリカは「多くの善いことをしているから」世界で好かれている、と答えた。外国人の21%、ラテン・アメリカの住民ではわずかに12%しか、これに同意しない。
アルゼンチンはどうなるのか? 整然としてデフォルトの処理を行い、ペソを切り下げて、ドル建債務をペソに転換するのがよい。しかし、その見通しは無い。むしろ新しい政府は時計を逆転させるだろう。為替管理と輸入制限を行って、世界市場に背を向け、反アメリカの主張に戻ることさえ予想できる。私は予告したい。景気を一時的に回復させる点で、この復古政策は機能するだろう。1930年代と同じように。しかし世界市場からの分離は、長期的には成長を損なう。とはいえ、ケインズも言ったように、長期は余り意味が無い(人はすべて死ぬ)。
4月にブッシュがFTAA(南北アメリカ自由貿易圏)を外交政策の主要な目標に掲げたことを思い出す。そして「自由の半球に繁栄の時代を築く」と。その目標が重要であるなら、私たちは大きな後退に直面している。アルゼンチンのために泣くな。彼らとともに泣け。
Financial Times, Friday Jan 4 2002
Argentina's route to salvation
Ricardo Hausmann
24の地方政府の内、17を支配するペロニストたちは、アルゼンチンを1990年代にハイパー・インフレから救った政党ではなく、1970年代に破滅に導いた政党として振舞いつつある。Adolfo Rodriguez Saaは辞任したが、新しく大統領になったEduardo Duhaldeと蔵相のJorge Remes Lenicovは、何をなすべきか?
まず、危機の性質を明確にすべきだ。ブエノス・アイレスで広く信じられていることとは逆に、アルゼンチンはケインズ的な需要不足に苦しんでいるのではない。それゆえ、国内需要の刺激策や流動性の追加供給は必要ない。アルゼンチンは経常赤字を示しており、収入以上に支出し、赤字を外国の貯蓄によって融資してきた。その財源が失われたために、国内支出は崩壊した。状況は、通貨制度や銀行システムの崩壊がもたらす資本逃避によりさらに悪化している。
国内需要を刺激するよりも、競争的な為替レートによる外国の需要を刺激し、同時に金融の安定化を図ることが、何より重要である。アルゼンチンは流動性を供給するのではなく、凍結された銀行預金を速やかに流動化するべきだ。アルゼンチン国民が既存の通貨・為替制度に執着していることから、蔵相のMr Lenicovは新しい永続的政策を国民に説得しなければならない。
新しい均衡レートを示唆することは控えるべきだ。新聞は1ドル=1.3ペソで固定するとか、通貨バスケットを議論している。しかしブラジルやチリでも、もっとよく管理された経済状態であったが、50%や32%も減価した。国際金融から切り離され、はるかに閉鎖経済に近いアルゼンチンでは、大幅な減価が予想される。それを阻止する外貨準備は持っていないし、阻止すべきでもない。
むしろ減価を農業や工業、観光などで雇用を拡大する機会と考え、関税を簡略化したり、メルコスールやFTAAなどの統合戦略を推進したりすることである。そして為替レートは信用を得られる通貨政策に結び付かねばならない。Mr Lenicovは、中央銀行の独立性を回復させ、慎重な財政政策と銀行システムの資本強化により、中央銀行への信頼を再建するべきだ。それゆえ彼は2002年の予算を緊縮型にして、これ以上の模造貨幣を印刷すべきではない。
通貨制度の変化により、銀行システムが生き残るには、ドル化した経済に何か対策が必要だ。Mr Duhaldeは、安易に預金の引き出しを約束したが、それには銀行の資本強化が必要であり、破産状態の政府に追加の負担となる。すべての債券と債務をペソに転換して、インデクセーションでインフレになるのを抑制するような、より実行可能で公平な解決策が求められる。アルゼンチンはIMFや世界銀行、米州開発銀行などの債務免除を求めるべきではない。むしろ引き続き金融的な支援を得て、民間債務の大幅な償却交渉に取り組むべきである。
閉鎖的な経済を閉ざしてしまうのは破滅の処方箋である。輸出ブームと銀行の健全化、債務を組替えてから国際金融市場に復帰することこそ、進むべき道だ。
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The Economist, December 15th 2001
Addicted to oil
アメリカが中東からの石油の輸入に頼っていることが、この地域の安定を死活的な安全保障上の関心事としている。しかし、サウジ・アラビアにアメリカ軍が駐留することで秩序が動揺しているように、このことは自己矛盾を含んでいる。むしろアメリカや西側は、軍事的・経済的・政治的に、中東地域への関与を減らすべきなのか?
そうではない。西側の政策は見直されるべきだが、それは「関与すべきか、すべきでないか?」という問題ではない。何より重要な事実は、サウジ・アラビアの低コストで得られる莫大な埋蔵量が、今後も世界の石油市場を支配し、その価格を決めることだ。
しかし、この経済的な依存が政治的・経済的な決定を支配するわけではない。長期的には、エネルギー利用の効率が高まり、採掘技術も進歩するから、石油価格はゆるやかに下落するであろう。それゆえ地下の石油資源は減価しつつある資産である。サウジ・アラビアの石油に西側が支配される恐れは、彼ら自身の死活的な利益追求と、エネルギー節約のための投資によって制限される。
アメリカは中東の石油に依存しても、そこで必ずしも友好的な政府を支援する必要はない。石油は市場で売らねばならないから、誰が支配者であるかは重要でない。この「ビナイン・デペンデンス(優雅な依存)理論」は、9月11日まで有効であった。非OPECの産油国が増え、ロシアも本格的に石油市場に復帰し、OPECの削減案を拒否した。しかし問題は、サウジの市場支配が今後数年間は増加することである。そして9月11日以後、石油市場の安定にとって不可欠の条件であるサウジの政治体制が、西側に友好的で、合理的であることが、確実でなくなった。
たとえば、利益を合理的に計算しない、タリバンのような軍事政権が油田の支配権を握り、西側の腐敗や放縦さを罰するために放火するかもしれない。中東の石油生産が戦争で停止し、さらに交戦国のいくつかは核兵器を保有しているかもしれない。
石油消費を削減することは、そのコストを決して誇張できないほど西側にとって重大だ。環境保護派は石油への依存を破棄できると喜び、中東の反西側の運動家たちは経済的な分離を歓迎する。しかしそれは間違いだ。われわれの生活は混乱し、世界の貧困が悪化する。こうして西側の中東石油に対する依存を削減する主張に根拠が与えられる。
たとえばアメリカのガソリン税は安すぎる。1回限りの税率引き上げではなく、歳入を所得税から炭素税に次第に転換するほうが良い。これにより新しい輸送技術も発達し、石油への需要を減らす。それは、2020年でなく、明日から石油価格を引き下げ、カルテルを弱めるだろう。
The prime minister who needs things to get worse
日銀短観が予想されたほど悪くなかったせいで、東京の株価は上昇した。しかし本当に問題なのは、ニュースがまだ十分に悪くないことである。
経済の苦境にもかかわらず、この数年、定期的に日本を訪れた者は、今も豊かさがあふれていると感じるだろう。しかし、かつての尊大さはなくなり、むしろイギリスに似た、自己嫌悪と宿命論の混じった感覚を日本人は持っている。国債の格付けが下がったことを聞かれて、財務省の幹部は「もっと悪くなるさ。すぐにチェコ並になるだろう。」と答えて肩をすくめた。世界最強の官僚であったはずなのに、なぜこうなったのか? と聞かれても、「システムも、われわれも、大学も良くないからだ。」と言う。
多くの人々は、変化が必要なことを受け入れている。誰もが改革を語り、それぞれの「過激な」改革案を出せる。しかし本当に痛みをともなう決断は非常に少ない。小泉純一郎は違う。民営化、規制緩和、財政再建、銀行の抱える不良債権処理など、野心的な改革案を示してきた。政府機関の民営化も考えている。
しかし、問題は時間がかかることだ。日本のほとんどの首相は1年か、せいぜい2年しか続かない。小泉はその例外であることを示している。国民に人気がある限り、自民党は彼を担ぐしかない。彼の人気は、国民が改革を支持していることによる。だが庶民には危機感が欠けている。デフレは消費者を潤しており、賃金や雇用が削られれば、デフレの苦しみは一気に増す。
デフレの真の犠牲者は債務者である。その最大の債務を負うのが政府である。しかし、日本の国内貯蓄はまだ大きく、国債の売れ行きも良い。ただし漸進主義は小泉氏の敵である。どのように格付けが下がっても、日本の国債市場は動揺しないだろう。この漸進主義は、改革を提唱する小泉氏の人気を脅かす。早期に危機が来ないと、彼に改革は動かせない。こうしたラディカル派の衰退と国民の穏健化は、小泉氏を危険な状態にする。早く危機が来なければ、彼の改革は進まない。
こうして小泉氏の最大の望みは、日本政府の国債がチェコと同じか、それ以下にまで格下げされて、価格が暴落すること、となる。