今週の要約記事・コメント

12/3-12/8

IPEの果樹園 2001

アフガニスタンの戦争や新政府樹立に関する交渉、自衛隊派遣のニュースが、突如、皇太子妃の出産、内親王誕生に変わってしまいました。もし新しく皇室に加わった彼女が、皇位継承を女性にも認める法律改正をもたらせば、女の子で残念だった、などと言われず、皇太子妃とともに日本の皇室を大きく変えた、と言われるようになるでしょう。

アメリカで戦争反対を主張した議員や女子高生が白眼視され、社会的な制裁を受けています。そして、そのたびに真珠湾や冷戦時代が回顧されます。組織的な流血と正義の戦争が始まってしまえば、何よりも国家が団結しなければならない、という意味で、政治の言説が対立する場を共有できなくなる、そんな暗鬱な気分が広まります。日本では「皇室」や「君が代」がそうです。

戦況に関する情報操作や、捕虜収容所での「反乱鎮圧」と捕虜全員!?の殺害、難民や食糧援助を材料にした政治的派閥の駆け引き、高められた戦争準備体制と国内世論を使って一気にフセイン政権も圧倒しようとするブッシュ政権内のタカ派、意外なほど慎重な軍関係者、一時は自制するかに見えたイスラエルとパレスチナ・ゲリラの暗殺・報復、続発する自爆テロ・・・ そして、皇室の存続!? 政治とは何でしょうか? サウジ王家が崩壊の危機に瀕するときに、皇室をそのまま安定の象徴と見なすことは間違いです。

メディアにあふれる出産や平和、家族のイメージは、ある種の理想を示しています。皇室がその媒体となることは、多くの国民に支持されているのでしょう。しかし、アジアは皇室をどう見るでしょうか? なぜならアジアへの戦争拡大過程では、天皇は侵略や征服のイメージであったからです。一体、皇室自身は、どこまで自分たちのイメージを選択できるのでしょうか? どのような儀式に参加し、どのような式辞を述べるのでしょうか? 

皇室の政治的な透明性は、彼ら自身が自由と理想とを確立する条件でしょう。政治家のようにたとえ選挙で試されなくても、また、決して自分から政治的な主張をできないとしても、彼らは人間としての自由や公的な秩序への参加を国民の高い支持によって主張したいはずです。それは可能だと思います。すなわち、皇室の行事(とその解釈、支持、論争)が、国民の望むような現在と未来の価値を示すからです。

確かに、それは危険なことでしょう。政治化されることを恐れて、100%支持され、歓迎されるという条件がなければ、天皇は外国を訪問できない、と言われるかもしれません。小泉首相は、中国や韓国の日本軍侵略記念施設を訪問し、過去への反省と将来の平和について国民のメッセージを伝えました。なぜ天皇もそうしないのでしょうか? 日本国内では見えないだけで、皇室も100%の支持に生きることなどできず、例えばイギリスでも元捕虜たちが天皇の訪問に抗議しました。

国民が100%支持している、と喧伝することは、マクドナルドやニュー・ヨークのワールド・トレード・センターがテロの標的となったように、皇族たちを危険に直面させます。決して100%支持されていないからこそ、彼らは国民の希望を理解しようとし、自ら発言し、行動して、説得や和解を試みるのです。そして他国に対しては、日本国民が行ったことについて、弁解や謝罪をすべきでしょう。

もちろん、こうした機能を天皇だけが担う必要はありません。天皇が政治家に尊重されたのは、日本という国が政治的表現力の乏しい文化や、発言を許さない制度に縛られてきた結果かもしれません。共和国は戦争しない、と言うなら、天皇制とは? 発言しない政治的伝統の遺制なのでしょうか? 天皇の戦争責任を問う場合も、総懺悔論を説く場合も、天皇自身は発言しなかったと思います。法律と伝統、そして敬語のニュース!に縛られた家族を思えば、一つの疑問が浮かびます。どうすれば彼らは幸せになれるのでしょうか?

多くの老人が天皇家のイメージを慕い、多くの農村や漁村で天皇の話題が好まれるのは、原初的な敬虔さや宗教的精神とともに、都市の繁栄に取り残され、若者や地域の活力を奪われ、忌避されたような日本中の過疎地が、もっと大きな一体感の中で尊厳を回復できると感じるからだと思います。皇室は、まさに和解や社会的統合化の象徴として、社会変化の中で安定化をもたらす触媒となれるのです。しかし、彼らが明確に発言しなければ、引きずってきた排他的特権や民族の幻影が消えることも無いでしょう。

政治システムとして天皇制を見れば、その最大の特徴は、皇室の評価や判断基準が非常に長期であることです。皇族たちは、賞賛されるにせよ、批判されるにせよ、その歴史を評価されます。将来についても、彼らが日本の政治を象徴している限り、日本が国家として行う多くのことに、何十年、何百年と責任を負うわけです(少なくとも意識の上で)。

日本が再び軍国主義に染まれば、軍隊の蛮行や政府の愚策を免罪し、情報を隔離し、劣勢の戦況判断を受け入れない口実にされるでしょう。そして勝利しても、降伏しても、天皇は平和的な占領や新しい政治体制を受け入れる見本となります。歴史的な記憶としての日本を代表して、あるときは憎悪の対象となり、あるときは尊敬の対象となるのです。

戦争の情報を交戦国が互いに伝え、一定割合の報道時間を認め合う協定を結んではどうでしょうか? 軍事行動や意思決定の記録を必ず残し、事後的検証を行うことが合意されれば、戦争行為そのものが変わるでしょう。また国際公共放送や報道官の制度を認めたり、戦争に反対する者の自由を保障したりするのはどうでしょうか? BISに集まる中央銀行総裁と同様に、皇室の相互交流や社会的目標への理解、その開放性が、戦争を防ぎ、彼ら自身の自由と社会的開放度も高めるでしょう。

ジュネーブの国際赤十字博物館のように、将来、日本政府は戦争記念博物館を世界各地に建てて、子供たちにその惨禍と、平和を築こうとした人々の努力を学ばせるかもしれません。そして、日本国民の歴史的記憶装置としての皇室は、静かに引退できるのです。映画「ラスト・エンペラー」で、文化大革命の混乱の中、私は庭師です、と答えた溥儀の言葉や、ペットのコオロギ?を見せる楽しそうな笑顔を思い出します。王朝の崩壊をもっとも恐れたのは、むしろ閉鎖的な社会で生きるしかない宦官たちではなかったでしょうか。

イギリス連邦を離脱すべかどうかで国民投票を行ったオーストラリアのように、皇室の赤ちゃんは、日本という国の現在より将来を考えさせました。メディアを占拠する過剰な皇室礼賛が無く、いつものニュースに戻るなら、今は、彼女が幸せになれば良いと思います。

Bloomberg, 11/22 08:47

Argentina Rides Roughshod Over Currency System: Tom Vogel

By Tom Vogel

アルゼンチンはその10年間維持した通貨制度を踏みにじっている。中央銀行は12億ドルの外貨準備をBanco de la Nacionのニュー・ヨーク支店の口座に預金している。政府はその預金を債務の支払いに借りた、というのだ。

それでもこの預金は国内貨幣流通の準備として「会計目的で」登記されている。それは禁じられていることである。僅か30日だけである、と言うが、たとえ5分でも、結果は同じことだ。アルゼンチンは貨幣の規則を無視しつつある。

今やアルゼンチンの国民や投資家は、ほかに何が隠されているか、問う権利がある。アルゼンチン国民の多くが給与を削られ、高失業と、3年も続く不況に苦しんでいるのは、この通貨制度を守るためであった。他のなにものにも増して、彼らは預金の価値が目減りすることを嫌うだろう。指導者たちは、このゲームがたぶん終わりに近いことを国民にまだ話さない。

IMFも一貫した政策を見失い、アルゼンチンは国内投資家と外国投資家とを差別する交渉を始めた。一体、彼らに貸した金は返ってくるのか? 中央銀行にも返って来ないだろう。結局、1980年代にラテン・アメリカ諸国がやっていたように、財政赤字の穴埋めに使い始めたのだ。


New York Times, November 24, 2001

South Korea Planning to Build a 'Hong Kong'

By DON KIRK

地理的な位置や世界不況など無視して、韓国政府は、済州Jeju島を香港のように変えようとしている。朝鮮半島の南西に浮かぶ卵型の島は、本土政府の支配に逆らい、しばしば島流しの土地にされた。

最近では人口53万を擁するJeju市を中心に、新婚旅行の勧誘から産業政策にも向かいつつあった。今や、政府は36億ドルの9年計画で、この島を「国際自由都市」に改造し、香港やシンガポールを凌ぐある種の企業「難民」のための逃避地に変える、という。すなわち「環境に優しく、ビザの必要ない、観光や保養所として、またハイテク・ビジネスマンや国際指令本部、金融ビジネスなどを、2010年までに誘致する」というわけだ。

そんな開発でこの島の田舎の魅力が保てるとは思えないが、金大中大統領の政敵が2年前に提案し、国会に波紋を投げた。なぜこの計画を政府が突然採用したか、島民にも説明は無い。批判派は、これが国民一人当り1200ドルの免税品購入をJejuで認める提案である、という。安上がりのゴルフができるだけでなく、豊富な免税措置がある。

Jejuの企業に1000万ドルの投資をした場合、最初の3年間は完全に免税され、さらに2年間は通常の税率の半分を支払うだけでよい。関税は全くの自由だ。また、韓国は外国人を迎える場合、ときには厳しい感情もあったが、Jejuでは外国人が学校を建てることも、現地の学校に通うことも自由になる。また、外国の大学も誘致する。Jejuでは英語を第二公用語として、すべての政府記録を英語でも出版する。


Bloomberg, 11/29 16:35

That Oasis of Prosperity Known as Korea

By William Pesek Jr.

金大中大統領は、特にアジア太平洋の指導者たちと会う際に、気取ったように見えないよう努めている。というのも、韓国は遅れをとる地域の仲間の中で成長を続けているからだ。中国は突出しているが、韓国も今年2.5%の成長を実現し、予想を超えて健闘している。

それは続くだろうか? 金は続くと考える。政府の予想では来年も4〜5%の成長を実現する。しかし、日本に続いて、1997-98年の危機を抜け出す機関車となったアメリカも不況に入る中で、それは非常に難しい。アメリカは韓国の輸出の20%を購入しているが、日本より早く回復するとしても、そのスピードは不十分だ。

内需による成長も難しい。韓国政府は道路建設や失業者の再訓練に何兆ウォンも注ぎ込んできたが、それは財政的な刺激で人々の購買意欲を維持するためであった。それが輸出の落ち込みを相殺する。しかし最大の問題は失業の増加である。日本に良く似た経済モデルで、韓国企業は大量解雇を避けてきたが、アメリカの不況は今後数ヶ月の間に一層の失業をもたらすだろう。それは家計の支出を抑制させる。失業率は今、3.5%である。

韓国政府の眼は為替レートに向けられるだろう。官僚たちは、東京と同じように、ウォンの過大評価を非難している。この数ヶ月でウォンが1.2%増価したことは、どの程度まで競争力を奪われるか、と彼らを狼狽させている。

Morgan Stanley Dean Witter & Co.のAndy Xieは、「韓国の優れた経済パフォーマンスは世界的な循環から独立していない」と言う。「それは主に通貨問題であり、輸出が維持され、金利が下がった。もし為替レートが増価すれば、この関係も変わる。」しかし、韓国のウォン安は、日本の円安と衝突する。日本の改革が不満や麻痺を生じるにつれて、日本政府は円安で彼らを救済しようと考える。官僚たちは繰り返し市場に介入して円を売り、円のデノミや日銀に外債購入を促すものさえいる。

この3ヶ月で3%円安が進み、輸出による刺激を達成しつつあるが、この近隣窮乏化戦略にアジアの他の輸出依存諸国は黙っていられない。たとえば中国は、円安が続けば元を切り下げると警告しているし、韓国にとっても円安は明白な危機である。


Financial Times, Monday Nov 26 2001

Wake up to the law of the ratchet

Steve Hanke and Robert Higgs

アメリカが新しい危機に直面すれば、それを利用しようとする者がいる。アメリカでも他のどこでも、政府の膨張は、戦争や経済不況のような国家の危機が直接、間接にもたらした結果である。それはラチェット効果をもち、政府の規模と範囲を次第に高めていく。

政府が、戦争や経済の救済にかかわって支出や規制を増やすのは無理もないが、より積極的な政府はこの機会を利用して私的な利益を満たす者を集める。今もそうであると、歴史は教えている。

たとえば大恐慌の際に、農業団体は政治家に圧力をかけて補助金や救済パッケージ、農業調整法を成立させた。その法案は「現下の国家的な経済非常事態を解消する法案」と名づけられた。その後70年が経っても、農民たちはまだ社会から補助金を吸い上げ、環境保護、栄養、第三世界の友、など、農業政策はそれ以外の利益団体にも恩恵を拡大し続けている。第二次世界大戦では、政府がGDPの約半分を支配し、事実上すべての団体が莫大な予算から利益を得た。

より小さな危機も熱狂をもたらす。IMFは、常に機会を利用する代表だ。1944年、ブレトン・ウッズ協定で設立された際には、国際収支に問題がある国への短期融資に、責任を負っていた。しかし1971年、ニクソンが金交換を停止すると、ブレトン・ウッズ協定は崩壊し、IMFも元来の目的を失った。しかしそれからも、いわゆる危機があるたびに、IMFは拡張され、増額されてきた。

1970年代の石油危機が彼らを再生させた。確かに国際収支の調整を促す融資が求められた。1970年から75年に実質で2倍以上、1975年から82年には58%の融資拡大を果たした。1980年に大統領に選出されたロナルド・レーガンは、IMFの危機に乗じる拡大を抑えるかに見えた。しかしメキシコで債務危機が発生すると、より多くのIMF融資が「必要に」なった。IMF増資を承認するために、レーガン自身が435人の議員の内で400人に働きかけた。こうしてIMFは再び強化され、第一期レーガン政権で27%の増資を行った。

9月11日の事件もIMFのこの傾向を変えなかった。9月18日にオニール財務長官はケーラーIMF専務理事と朝食をともにし、同盟諸国への金融を相談した。また、ワシントンの路線から外れた国への融資を拒むことも話し合われただろう。またアメリカ国内では、航空業界が救済され、ワクチン生産が国有化され、1000億ドルに達する「景気刺激策」が生み出された。


Los Angeles Times, November 25, 2001

HISTORYAll the Presidents' Words Hushed

By ROBERT DALLEK

セオドア・ルーズベルトが大統領在任中に大統領がアメリカ政治の焦点となって以来、ジャーナリストと歴史家は大統領の意思決定の重要性について議論し続けている。なぜ大統領はある国内問題をほかよりも優先するのか? なぜ、また、どのように、戦争と平和の間で彼らは選択するのか?

最初はジャーナリストたちが、限られた情報によって、こうした問題に答える。歴史家は、後知恵の優位さを生かして、さらに重要なことに、大統領の考えを理解させてくれる十分な記録を用いて答える。その研究はしばしば、過去のホワイト・ハウスの成功と失敗についての説明を常に強く知りたがっている、大統領たち自身を教育する。

ところがブッシュ大統領は、われわれ歴史家が大統領の秘められた思考や作業に関して研究する能力を無効にしてしまった。11月1日に、彼は特権を行使して、レーガン政権やその他の最近の大統領に関するすべての記録に対するアクセスを停止させたのだ。実際には、6万8000ページに及ぶレーガン大統領とその顧問たちの親書を秘密にした。1978年の大統領記録法では、大統領の記録が情報公開に従って体系的に公開されるのは、彼が退任してから12年後である。この法律の趣旨は、大統領の資料を適時公開することが、この国についての政府と国民の理解を深め、特にホワイト・ハウスの理解を促すということである。ブッシュ政権は、国の安全保障を損なうような記録の公開を防ぐ必要がある、という。しかしこれは、1980年代ではなく1960年代の大統領記録から、すでに安全保障や個人のプライヴァシーに配慮していることを知る者には、意味の無い説明だ。しかも、以前公開された秘密資料が明らかにしたように、大統領や政府機関は過度に注意し過ぎるものだ。

もし安全保障が理由で無いとしたら、ブッシュ氏の本当の動機は何か? 彼の政権に加わっているレーガン政権にも参与した者を、記録の公開で悩ませることを防いだのか? と憶測する。あるいはまた、彼の父がイラン・コントラ事件に果たした役割を隠そうとしているのかもしれない。そして、彼の政権がすでに関わっている何かを隠そうとしているのか、部外者の多くが言うように、彼は国内問題にも安全保障問題にも無知で、顧問たちに極度に依存していることを隠そうと考えているのではないか、とまで想像できる。

わが国にとって何が最善かを過去の記録から類推できなくなれば、現在の政策決定にも有害である。過去のホワイト・ハウスについてよく知る大統領は、より正しい政策判断が行えるだろう。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は第一次大戦後のウィルソン大統領の失敗に学んだし、リンドン・B・ジョンソン大統領が「偉大な社会」法案に拘ったのも、ルーズベルトと議会との関係から学んだものであった。また、ハリー・S・トルーマン大統領は北朝鮮に攻め込む過ちを犯したことで、ジョージ・ブッシュにイラク侵攻を思いとどまらせた。

最近公開されたジョンソンLBJ大統領のテープ記録は、歴史が彼の意思決定に影響したことを良く示している。そのテープで、LBJは1965年2月に北ヴェトナムを空爆する「ローリング・サンダー」作戦について話した。彼はこの作戦を強く疑っていたのだ。「今や、われわれは人々を空爆することになる。」とジョンソンはロバート・S・マクナマラ防衛長官に語った。「われわれはハードルを越えたのだ。敗北するような酷いことにはなるまい。しかし、私には勝利する道も見えない。」軍事最高顧問のハロルド・K・ジョンソンにはこう言った。「爆撃、爆撃、爆撃。私にはそれしか教えないのか? 10人の将軍が呼ばれて、10人とも私に爆撃せよと言う。私は解決策が知りたい。何か答が欲しい。」上院軍備局議長のリチャード・ラッセルにはこう言った。「空爆ではダメなんだ。・・・工業都市やニュー・ヨークになら意味があるだろう。・・・空爆で戦争には勝てない。」LBJはビル・モイヤーに語った。「トンネルの向こうに明かりが見える? バカな。われわれはトンネルにいない。どこにあるのかも分からない。」

ジョンソンは第二次大戦の空爆の効果に関する調査を知っていた。それによれば、イギリスやドイツへの空爆は、彼らを敗北させないばかりか、抵抗を強めて市民の参戦を励ました。こうしてジョンソンは陸軍の派遣へ傾いた。

彼がケネディのメモを知らなかったのは大きな過ちであった。それはケネディがキューバ危機の終わった1週間後にマクナマラに出したものだ。ソビエトが「攻撃的」武器を撤去しなければ、キューバに侵攻するという計画を、ケネディは「浅薄だ」と感じた。「われわれは行き止まりになりかねない。ボーア戦争でのイギリス、先の戦争でのロシアとフィンランド、われわれ自身の北朝鮮を思い出すべきだ。」と。もし歴史的経験がケネディにキューバ侵攻を思いとどまらせたとすれば、何万もの軍隊をヴェトナムのジャングルに送ることを彼はどう思っただろう?

ブッシュの指令で最大の犠牲者は彼自身とこの国である。レーガン、ブッシュ政権の独自の研究を妨げることで、ホワイト・ハウスの能力は損なわれる。この国が大統領の意思決定を良く知るほど、誰をホワイト・ハウスに送るべきかについても良い決定を下せるだろう。大統領の歴史は大衆の娯楽ではない。それはわれわれの民主主義を最善に統治させる重要な要素なのである。議会は大統領の決定を覆し、大統領の本分とわれわれの歴史を取り戻すべきだ。


Financial Times, Tuesday Nov 27 2001

Boom and bust banking

John Calverly

過去20年間で、市場取引される資産とその価値変動が主要国経済にとって重要な役割を占めるようになった。多くの国で、土地や株式の価格が暴騰と暴落を経験し、景気循環の決定的な要因となった。

インフレが鎮圧されたことで、各国の金融的安定性は資産価格の浮動性を制限することに重心を移している。次の景気循環では、デフレ圧力が金利をゼロにまで下げているために、金利水準が非常に低いだろう。激しい景気悪化を避けるには、過度の資産価格上昇を回避することが決定的に重要だ。

資産価格が重要になった理由は5つある。@所得の増加。A金融革新と市場型資産の増加。B期待による資産価格上昇。C政府の支援策。D資産価値と消費や投資との連動。

中央銀行は金利の決定に資産価格をどのように反映させるか苦しんでいる。資産価格は実物経済に影響を与え、将来のインフレをもたらす。しかし、資産価格を考慮した通貨政策については合意が無い。通貨当局はしばしばブームより不況で重視される。しかしその結果、資産価格を維持できないような水準に押し上げてしまうラチェット効果がある。

一つの方法は、ECBが貨幣増加率に設けているように、資産価格にも「参考価値」を設けることである。中央銀行はこの価値から乖離した場合に必ず介入するわけではないが、こうすれば中央銀行も資産価格の変動により反応するだろうし、より対称的に反応するだろう。


New York Times, November 27, 2001

Now Bonds Pose a Problem for Japan's Troubled Banks

By KEN BELSON

日本の大銀行はすでに不良債権や保有する株式の価格下落で苦しんでいるが、新たに国債保有による損失が加わりそうだ。近年、国債は悪化するバランス・シートの中で唯一輝く部分であった。しかし、小泉首相が赤字予算の歯止めを失えば、国債価格が暴落し、政府が金融危機に近づく。

この3年間、日銀の超緩和政策で無利子の借入れを行い、国債を買うことが銀行の利益を維持してきた。確かに国債の利回りは10年物で1.3%しかないが、株や土地のようなリスクが無い。銀行が保有する固定利付債券は67兆円に達し、1999年2月に金利がゼロになってから2倍以上に増えた。日本の4大銀行グループは1280億円の収益をこの9月末で終わる半期に上げたが、それは債権償却や株式保有の損失穴埋めに消えた。

日本の大銀行は軒並み赤字である。今や、銀行の債券保有がデフレを起こし始めているようだ。日本の銀行が6兆円以上の国債を売却し、債券価格の暴落リスクが強まるにつれて、さらに国債は売却される、とアナリストたちは予測する。税収が減り、利子負担が増えて、小泉氏は国債増発に迫られる。もしそうなれば、国債の価格は暴落し、銀行が巨額の評価損を被るのだ。「日本の銀行の自己資本は悪化しており、これ以上、市場からのショックがあれば吸収できない。」と、Standard & Poor's のNaoko Nemoto は言う。

もう一つの脅威は、日銀にインフレ目標の採用を迫る政治家たちだ。「日銀がもしインフレ目標を決めたら、銀行は国債を投売りするだろう。そして、債券価格の暴落は波及して、政府の財政全体がブラック・ホールに吸い込まれる。」慶応大学の金子勝はこう語った。


Financial Times, Thursday Nov 29 2001

Editorial comment: Ending bail-outs

アルゼンチンが8月に危機に陥った際、IMFとその主要な株主であるアメリカは目配せして救済した。そうしなければデフォルトのもたらす混乱は酷かっただろう。今や、こうした追い貸しや民間投資家の救済は終わりにすべきだ。

国際金融界は、救済融資か、それとも金融危機か? という選択に陥るべきではない。国際金融アーキテクチャーの提唱は政治的な支持を得られなかったが、もはや違う。月曜日の演説で、IMFのナンバー2である、アン・クルーガー女史が国家の債務組替えに関する公式のメカニズムを提案したのだ。

その考えは簡潔である。債務国は、債権者との交渉の間、債務への一時的な支払い停止を認められる。もしIMFが同意すれば、債務国はアメリカの破産法11条にあるように、債権者からの保護を与えられる。そしてIMFは責任ある経済政策を債務国に課す。

これは債務者への徳政令ではない。自力で克服できないような債務問題と一定のデフォルトは、それでも厳しい経済コストを意味する。たとえば、将来の融資は難しくなる。他方、債権者は救済融資を期待できなくなる。彼らは貸付を改善するだろう。しかし債権者も秩序ある債務組換えから利益を得る。

しかし、もちろんこの提案は容易に実現しない。1.それは国際法の大幅な拡大を意味する。IMF加盟国が国内法で債務支払いの停止を認めねばならない。2.債務が維持不可能であると宣言する基準は、論争になる。3.支払停止期間中に債務国が意味のある経済政策を実行することを保証するメカニズムが必要だ。


Washington Post, November 29, 2001; Page A33

The 'Emerging Markets Bubble'

By Robert J. Samuelson

「インターネット・バブル」、「テレコム・バブル」に続いて、「新興市場バブル」が追加できるだろう。すべて弾けた。しかし最初の二つに比べて、新興市場バブルはゆっくりと、より地味に破裂している。IMFの統計によれば、2001年は14億ドルの民間資本が新興市場(発展途上国の新しい呼び方)から流出した。資本流出は1984年以来のことであり、ピークの1996年には2340億ドルが流入していたのだ。1991年から2000年までに流入した資本は1兆2000億ドルに達する。

熱狂の頂点では、世界中の投資家がショベルでカネをどんな手段にせよ新興市場に投げ込んでいた。銀行融資が行われ、投資信託は新興市場の株を買った。機関投資家は債券を買い、多国籍企業は工場を建てた。そしてインターネット・バブルとテレコム・バブルが弾け、景気が悪化し、世界貿易が減少した。海外投資も減り、発展途上国は輸入を減らした。誰もが所得を失った。彼らが買わないから、私たちは売れない、と。

メカニズムは単純だ。輸入に支払うため、発展途上国は主にドル、あるいはユーロや円の外国為替が要る。それは輸出するか外国からの投資で得られる。どちらも今では枯渇しつつある。世界貿易の成長率は2000年の13%から、2001年は1%に減少した。アメリカの前回の不況では、新興市場への投資が増え、1990年から92年のアメリカの輸出を増やしたが、今回は期待できない。

新興市場熱は、ある意味で、冷戦終結の結果であった。人々がアングロ・サクソン型の資本主義が勝利したと確信し、新興市場もこれを採用した。資本移動は安全になり、世界中どこでも政府は貿易上の優位と外国からの投資を受け入れ、進んだ技術を利用できる。「グローバリゼーション」は運命であった。それは貧困を解消し、繁栄をもたらす、と。

もちろん、それがロマンチックで、素朴な、結局は正しくない、お題目であることを誰でも「知っていた」はずである。貿易や海外投資、技術の利益は間違いではないが、それだけでは貧困を減らさない。資本主義の拡大は容易でなく、各地の政治や文化に阻まれた。多くの人はそれを冒涜的と見なし、政府は不安定で、法律も裁判所も頼りにならない。いずれにせよ、ビジネスは即席に生まれてこない。政府にも銀行にも腐敗がはびこり、コネだけで安易な資金を集めた。

リスクが過小評価されたため、資金は浪費され、失われた。そして幻滅が始まった。1997年から98年にはアジア、98年にロシア政府のデフォルト、現在もアルゼンチンはデフォルトを回避しようとする。少しずつ、熱狂が用心に変わり、恐怖に変わった。アジア危機までは事実上の固定レート制が外国投資家に一方的な賭けを許していた。今では多くの国が変動レート制になった。

国際的な債券発行で資金を得ている国もまだある。しかし金利は高く、債券発行も融資も減った。最近まで直接投資がそれを補ったが、今ではそれも減少しつつある。景気後退の中では、過剰設備があるからだ。過去の過剰投資のツケを、今、支払わされている。2002年には、1200億ドル以上の融資や債券が返済されねばならない。そのどれくらいが新規融資で行えるか分からないが、借入れができなければデフォルトが増える。

たとえ新規融資が行われても、発展途上国は為替市場の圧力にさらされ、輸入と成長を抑制する。それがまた世界不況を悪化させる。こうして今日の悲観は、過去の過度に膨張した楽観の報いである、と知るのだ。

The Economist, November 17th 2001

パキスタンの海外の顧客は、たとえ戦闘地域からいくら離れていても、保険料を値上げし、経済の破壊に拍車をかける。財務大臣は、貿易、製造業、外国投資、政府歳入についての短期的コストを20億ドルと見積もっている。

しかし悪いニュースばかりでも、パキスタンの通貨は911日以来値上がりし、株価も上昇し、外貨準備は今までに無い水準である。その理由は、戦争で密輸が減り、石油価格が低下し、資本流出が抑えられたからだ。むしろ湾岸の銀行免税地が閉鎖されるのを恐れて、資本が還流している。また一部は、パキスタンが長期的には世界経済との結びつきを強め、短期的な戦争の被害よりも利益が大きいだろう、という楽観による。

アメリカやIMFはパキスタンに援助や融資を行い、市場を開放し、債務免除を認めた。しかし、構造改革を進めなければ、この褒美も失われる。危機が去った後も、政府はテレコム企業や石油販売から民営化を進めるべきだ。そして新しいアフガニスタンも、以前より好ましい隣国となっているだろう。


今週、FSAはロンドンの金融情報の会社に噛み付いた。そして、誰であれ誤った情報を流す者には無限の罰金を科すぞ、と警告した。従来の9つの規制・監督機関を集めたこのリヴァイアサンは、その権力とともに、扱う範囲の広さにも驚嘆すべきものがある。企業における幹部たちの間違った行為について、FSAは名指しし、信用を奪い、罰金を科す権利がある。

その長官、サー・ハワード・デーヴィスの仕事は、決してすべての金融破綻を無くすことではなく、システム全体としての安定性を守ることである。しかし、国民はより多くを期待する。FSAはドイツやオーストリアのモデルでもあるが、市場参加者はその権力の濫用を恐れている。

FSAは、「ルールによる原則」ではなく「リスクによる原則」を重視してきたはずである。すなわち、リスクを取る場合も企業のトップを信用し、FSAが予め制限を課さないのだ。それはしかし、下級の職員にも高度な金融専門家を必要とする。

ルール・ブックができるにつれて、アメリカの銀行家は弁護士とともにFSAを訪れ、FSAも法律解釈に傾いている。イギリスの金融界は、FSAが静かに是正措置を求める姿勢から、将来は失策を公然と非難するようになるだろう、と予感する。イングランド銀行の指導原理は、禁止されていないことはやって良い、であった。しかし、FSAは次第に、大陸風の、決められたこと以外はしてはならない、へと変わるだろう。

最大の試練は、イギリスの金融制度を大陸の制度と融合することだ。サー・ハワードはヨーロッパ委員会がEUの金融指針を採用するよう求めた際に、激しく怒ったが、それはゴードン・ブラウン蔵相の考えたルールがそこに示されているからだ、という評判である。FSAはこの不況で、少なくとも良いスタッフをシティから雇用できるだろう。


Dで始まる言葉には嫌なものが多い。災害、病気、債務、不況、しかし最近のエコノミストが好むのはデフレである。

アメリカの消費者物価は10月に下落した。石油価格の下落が大きいものの、他の商品の価格も低下した。過去1年間、アメリカ以外の主要国でも生産者物価が低下した。日本の消費者物価は1995年以来、何度か物価下落を繰り返している。中国や香港を含む東アジアでも緩やかなデフレを経験している。香港の消費者物価は3年連続で下落している。

日本以外の主要工業諸国ではインフレ率の低下が起きている。しかし、さらにインフレ率が低下し、不況と重なってデフレの可能性がある。世界の生産ギャップは1930年代以来の最大に達している。

デフレには二種類ある。一つは新技術や生産性上昇が物価を下げるもので、親しみがある。物価下落が好景気とより大きな購買力をもたらす。もう一つは危険なものであり、需要の落ち込みと過剰生産力によって起きる。物価はスパイラル的に下落し、需要が縮小し、金融的な破局がともなう。

デフレが経済を悪化させるのは4つの経路による。@債務の実質負担が増え、破産や銀行破綻が起きる。A価格下落を予想して、家計が支出を遅らせる。B労働者が賃金引下げを拒み、大量解雇をもたらす。C金利はゼロより低下できないから、実質金利が高いままになる。

アメリカの金利は40年ぶりの2%という低水準だ。それでもデフレを考慮するとまだ高く、過去の不況では実質金利はマイナスになった。物価が25%も下がるような1930年型のデフレは起きないだろう。そのような政策の失敗は、日銀を除けば、犯しそうに無い。しかし世界不況が予想以上に深刻になれば、中央銀行がインフレを抑制しすぎたのではないか、という疑問が再浮上する。

彼らが目標としている最適インフレ率は、ECBが0〜2%、イングランド銀行は2.5%、Fedも同じ程度であろう。しかし、もっと高い3〜4%であるという者もいる。その理由は、インフレをその程度に維持したほうが、深刻な不況に際して実質賃金を抑え、実質金利をゼロ以下に下げやすいからである。

その答はもうすぐ出るだろう。