今週の要約記事・コメント
11/19-11/24
IPEの果樹園 2001
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極端なデフレと極端なインフレの間の限られた条件でしか、人間は生きることができません。地球の温度と同じように、熱すぎても寒すぎても、体は動かないのです。インフレについては多くの経験や研究が重ねられてきました。しかしデフレについては、貨幣を人為的に増発できるのですから、それが続くこと自体に説明が必要です。
確かに、戦争に代表される大幅な財政赤字の貨幣化はインフレをもたらし、大恐慌や銀行倒産に代表される大量失業と信用逼迫はデフレをもたらします。なぜなら前者は買い手が支払い額を膨張させ、後者は買い手が支払える額を縮小するからです。しかし、もしそれが貨幣だけの問題であれば、なぜ量的に追加したり、吸収したりして、問題を解決しないのでしょうか? そうした疑問を抱きながら、デフレで私が思い付くのは次の三つです。
(1) イギリスの旧平価による金本位制復帰
(2) インフレと通貨の競争的切り下げを防ぐ国際協調体制
(3) 超インフレが市場の機能を失わせた後で好まれる為替レートの固定化
激しいインフレと同様に、通貨政策だけでデフレが解消できないのは、資産と債務を負う主体が、協力して、異なった利害を調整できないからでしょう。それを逆転させる政策は分配関係に激しい影響を与えるために、これを意図的に行おうとする政治家は、決して長く政治生命を維持できませんでした。あるいは、政府が対外的にコストを転嫁する政策選択に流れやすく、それゆえ国際システムや外国の投資家から厳しい報復を受けました。特に、国内でも国際間でも大規模な資源の再配置が必要な場合、その実行可能性が乏しいために、通貨当局や政府自体が信用を失います。
現在のアルゼンチンと日本はともにデフレです。どちらも、基本的に、デフレが不況と累積的に深まっています。アルゼンチンは為替レートの増価と対外債務負担が問題であり、日本ではバブル崩壊による土地・金融資産の価格下落と銀行システムの不安、過剰設備や輸入の増加などが問題ではないか、と思います。長期的な契約や、資源の再配置にはコストが伴うために、通貨政策や為替レートの名目的な変更は、実物経済にも重大な影響を与えます。既存の政治構造や官僚制度が維持されている限り、インフレにもデフレにも強い慣性が働き、政治的な危機によって呪縛を断ち切るしかないのです。
極端なインフレが銀行システムや通貨当局からの貨幣利用者の離散であるように、極端なデフレは政治システムの政策遂行・改革実行能力の喪失、国際システムの圧力にさらされた政府機能の摩滅ではないでしょうか? グローバリゼーションは銀行や企業の競争を促すだけでなく、中央銀行や政府の間の競争も強めました。そして、安定した通貨を中枢の資産家が求める圧力に応じて、周辺地域は激しいインフレやデフレに襲われる仕組みが準備されてきたのかもしれません。
なぜ、景気回復ではなく、アルゼンチンはこれほど長い時間をかけてデフォルトの崖にしがみつき、日本は不良債権処理と為替レートの安定化に骨身を削ってきたのでしょうか? それは、脆弱な国際金融システムを維持する時間稼ぎであったとともに、資産価値や雇用の維持を求める多くの有権者の声を、慣性としてではなく、新しい社会的選択と改革の基礎として本当に吸収できる政治・官僚システムが欠けていたからではないか、と思います。
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Financial Times, Thursday Nov 8 2001
Competitiveness and compassion
Paul De Grauwe
グローバリゼーションの圧力で豊かな国の社会保障制度は危機に瀕している、という認識が広まっている。すなわち、社会保障には金がかかり、労働コストを引き上げる。それは企業を、社会保障の発達していない、労働コストの低い国へ、移転させるだろう。こうした競争圧力が、すべての市民に一定の合理的な所得を保証できなくするのである、と。
この底辺への競争シナリオは、どの程度、信用できるのか?
グローバリゼーションはすでに長い時間を経てきた過程であり、1980年代に加速した。しかし、OECD諸国1980年以来社会保障費を増額しており、GDPの19.5%から24%にその重要性を増している。工業諸国の社会保障水準は大きく異なるが、より多くの社会保障を支払う国ほど、競争力は低くなっているだろうか?
The Lausanne business schoolが毎年発表する競争力指数によれば、社会保障支出が大きいOECD諸国の競争力指数は上位にランクされている。オランダ、フィンランド、デンマーク、スウェーデンはGDPの30%以上を社会保障に支出するが、同時に、世界で最も競争力のある諸国に属する。
アメリカは例外的に社会保障が劣っている。1997年から2001年に競争力は1位であったが、GDPのたった17%しか社会保障に支出しなかった。しかし、実際には、社会保障と国際競争力にトレード・オフの関係はない。社会保障費の高い国もグローバリゼーションを恐れる理由は無い。
ある国の競争力を決めるのは人的資本の質である。教育を受けた良質の労働力が多いほど、新しい技術や製品を開発する創造的な人も多い。革新を行う能力が高いことは、競争力を維持し、向上させる上で決定的に重要である。上手く機能する社会保障システムは、その国の人的資本を改善する、と考えることができる。労働者は安心して革新に取り組め、そのシステムに帰属していることを実感できる。この帰属意識が安定した社会と強い結束力をもたらすのである。上手く機能する社会保障システムは、その国の生産性を究極的に高める社会資本を創っているのである。
もちろん、巨額の社会保障費を支払うことが自動的に国家の生産性を改善するわけではない。その鍵となるのは効率的な政府である。政府が効率的な国では、社会保障はその価値を超えた社会的価値をもたらす。そのような国では労働者も雇用主も生産性の改善に満足する。逆に非効率な政府は、より少ない価値しかもたらさず、不満と革新の欠如に苦しむ。
ある意味で、グローバリゼーションはアダム・スミスの「見えざる手」となる。それは各国に競争を促し、好むか好まないかに関係なく、政府は効率的に支出しなければならない。競争力を改善できた国は市民により多くの福祉を提供できる。それゆえ、グローバリゼーションは、政府に人々の必要を満たすより強い責任を負わせるのである。
New York Times, November 7, 2001
A Cross of Dollars
By PAUL KRUGMAN
フランクリン・ルーズベルトが1933年にアメリカを金本位制から離脱させたとき、予算局長はショックを受けた。「これで西側文明は終わった」と、彼は宣言した。しかし実際は、大恐慌とその政治的結末こそが文明への脅威であって、もしルーズベルトが通貨政策の正統的見解を破壊しなければ、起きたかもしれないことを想えば誰もが身震いする。
不幸にして、もっぱら右派のシンク・タンクが称揚したせいで、他のすべての配慮を犠牲にして貨幣的な規律を主張する、心の狭い旧式の経済宗派が、近年、復活してしまった。そのイデオロギーこそ、何にも増して、アルゼンチンを覆う破局に責任がある。
ほんの3年前まで、アルゼンチンの「カレンシー・ボード」通貨システムは、Forbesや The Wall Street Journal がその驚異的な成果を賞賛し、the Cato Instituteのエコノミストたちが他の諸国にもアルゼンチンのアプローチを見習えと指導していたものである。なぜ右派はそれほど熱狂したのか? 基本的に、1991年に導入されたカレンシー・ボードは、この国が金本位制に復帰した、と投資家に確信させたからである。ただし、金の延べ棒ではなくドル紙幣であったが。将来のインフレを防ぐために、この制度はペソの価値を厳格に1ドルと固定し、通貨政策に裁量の余地をほとんど認めなかった。
それのどこが間違いか? 債務不履行の話ばかり聞けば、問題は政府が浪費したからだろう、と思うかもしれない。しかしアルゼンチンの予算はGDPのわずか1〜3%であり、不景気にしては悪くない数字だ。その政府債務額もGDPの約半分しかなく、多くのヨーロッパ諸国より優れている。数字だけ見れば、アルゼンチンの財政状態は10年前のアメリカよりも良い。
本当の問題は、財政ではなく、経済である。この国は今や4年も不況が続いている。しかし、インフレを防ぐために作られた硬直的な通貨制度によって、金利の引き下げや通貨の減価という、デフレと戦う当然の行為を禁じられているのだ。その代わり、アルゼンチンは財政引締めを何度も繰り返し、そのたびに、今度こそ賃金と雇用を削減すれば投資家の信頼を取り戻し、景気が良くなります、と約束し続けた。そして逆に、不況は深まり、社会的緊張が高まって、市場の不安を煽ったのだ。
この拘束衣を脱ぎ捨てろ、というのが当然の答えである。ペソを変動制にして、経済を回復するために必要な政策を実行するのだ。イギリスは1931年と1992年に行い、どちらも有効であったし、ブラジルは1999年に市場で強いられたが、通貨を変動させることは大きく経済を改善することが分かった。確かに、アルゼンチンの民間債務の多くがドル建であることから、ペソの切下げで金融危機を招く恐れがある。しかし、Ricardo Haussmanが指摘したように、その対策はある。要するにドル価値への固定を一部キャンセルするのである。それは過激な解決策であるが、状況がそれほど悪いということだ。その前例として、1933年にはルーズベルトがほぼ同じ事をした、と言える。そして投資家の中でも、ここ数ヶ月、こうした案が事実上は私的に支持されてきた。
昨年の春以来、アメリカの保守的な経済学者たちは、アルゼンチンに対して、ドル・ペッグを維持して、債務をデフォルトにせよ、と求めてきた。そして、それが実際に起きている。私は以前から、第三世界の経済政策にはダブル・スタンダードが明らかだ、と書いてきたが、この例ではそれが特に酷い。先進諸国はしばしば通貨価値を切り下げる。しかしアルゼンチンはそれができない、と言われる。他方、先進諸国は決して債務不履行などしない。しかしアルゼンチンは、債務不履行しなければならないと言われる。しかもアルゼンチンは通常の基準で見て決して債務超過ではないし、不履行にしたところで金利が下がるわけではなく、競争力が改善されるのでもなく、緊縮財政をやめられるわけでもない。要するに、それで経済危機が終わるわけではないのである。
アルゼンチンがその経済を犠牲にするだけでなく、通貨神学の祭壇に載せられて信用格付けを下げ続けるだろう、というのは信じがたい。しかし、あなたがこの記事を読んでいる間も、アルゼンチン政府の職員は苦しみあえぐ自国をドルの十字架にはりつけているのである。
South China Morning Post, Thursday, November 8, 2001
Interest rates lowest on record
LOUIS BECKERLING
香港の銀行は、昨日、貯蓄・モーゲージ金利を25ベイシス・ポイント下げて、記録的な低水準にした。しかし、それが香港経済や不動産市場を直ちに回復させるかどうか、は分からない。標準的な貯蓄金利はたったの0.25%となり、さらに低下しそうだ。日本で起きたように、金利がゼロやマイナスになる見込みさえある。
これはアメリカの連邦準備制度が今年になって10回目の、50ベイシス・ポイントの金利引き下げを行ったからである。香港ドルはアメリカ・ドルにペッグしているから、預金が大量に移動するのを防ぐには金利を一致させねばならない。
香港通貨庁のLeung Kam-chungは、金利引き下げが景気刺激に「即席の効果」を持たない、と注意した。それは長期的にプラスであるだろうが、主に金融市場に対してである。実物市場は外部の不況に影響されている。アメリカ経済が急速に回復するとも思えない、と。
香港通貨庁長官のJoseph Yamは、北京で、今回の切下げについて「アメリカ経済の悪化と、アジアへの影響を懸念させる。来年の経済はかなり厳しいだろう。」とコメントした。「人々は貨幣を他の投資に振り向けようとするかもしれないが、金利が上昇して、債券価格が下落するリスクに注意しているに違いない。債券投資は短期に限られるだろう。」
金利低下だけで不動産市場は回復しない。Credit Lyonnais Securitiesの不動産アナリストJohn Saundersによれば、「問題は失業である。街では1ヶ月で解雇されるかもしれないのに、25年のローンを組んで不動産を買うことなど、ありえない。」
一方、銀行もこれ以上金利を下げると利益が無くなる。Hang Seng Bankなどは、資産の3分の1を銀行間市場で貸している。昨日、その金利はたったの2.0%に下落した。もしアメリカのFedがさらに金利を下げれば、Hang Seng Bankは預金金利を賄えなくなるだろう。銀行株は大きく下げている。
Hang Seng Bankの親会社である香港上海銀行は、「貯蓄金利をゼロやマイナスにはしないだろう。そんなことになれば貯蓄が大きく動いて、香港の銀行システムの安定性を脅かす」とコメントを発表した。
Washington Post, Friday, November 9, 2001; Page A37
Enter China:WTO membership has important potential.
By Charlene Barshefsky
貿易やグローバリゼーションに関するアメリカの論争は、国内の公平性から国際取引や国際投資における環境保護、労働者の権利に関してまで、多くの重要な論点がある。しかし、最も基本的な価値がしばしば見失われている。それは貿易政策が経済的な繁栄を通じて、われわれの基本的な関心を、平和のより一層の確立に向かわせることである。
中国のWTO加盟でわれわれが得るものとは何か? アジア最大の国が、1920年代以来、ルールに基づいた貿易や投資に参加していなかった。われわれは少なくとも三つの領域で利益を得るだろう。
まず最初に、われわれの輸出と成長に対する機会を増やすだろう。世界不況によって今年のアメリカの輸出は減少した。しかし、中国向けは20%も増加した。特に、コンピューター、半導体、科学機器など、ハイテク製品で輸出拡大が目覚しい。香港と合わせた場合、中国はドイツと並ぶ第5番目の輸出相手国である。中国の急成長が続けば、この傾向はさらに強まる。ただし、条約を実行するように継続的に監視する必要がある。
WTO加盟交渉を通じて、中国側の指導者は大きな譲歩をしたが、それは大部分が国内の改革目標と重なっているからであり、国内の抵抗が他の手段を採れなくさせたからである。同じ企業や官僚が、特に通信や農業では、あるときはWTO加盟を促し、同時に抵抗する。
第二に、WTO加盟は人権問題を改善するだろう。中国の反体制派や香港の民主化運動がWTO加盟を支持した理由がそれである。経済改革と政治的な自由化とは間接的な関係しかないが、楽観的な期待には根拠がある。中国は、WTOに加盟したことで、中国市民が直接に外国から商品を輸入することに許可制度を用いられない。それは個人的な自由や遠隔地域に重大な意味を持つ。同様に、流通、銀行、建設など、今まで政府が独占してきたサービス分野でも、市民生活から政府の管理が後退するだろう。それは、WTOが関わらない国内の改革、例えば特定の村や工場に中国人を拘束する政策の廃止、と一緒に作用して、社会を開放し、地方の若者に中国の成長に参加できる希望を与える。
第三に、中国のWTO加盟は地域の平和や安全を確立する。米中間の根深い対立を取り除くわけではないが、共通の利益を互いの関係の中心に置く方向へと変わる。特に台湾との関係は重要である。中国と台湾が同時にWTOに加盟することで、両者は主権の問題を刺激せずに、経済問題を話し合える新しい制度を得る。それは両国間の信頼と相互利益の分野を拡大するだろう。実務的には、両国は経済を開放し、「非公式な」貿易や投資を拡大してきた。これらは、完全な保証とは言えないが、海峡を挟んで安定性が高まる見込みを強める。同様に、米中関係でも安定性が強められるだろう。両国は互いに信頼を深め、平和的な、利益を得られる関係であると確信しつつある。
中国のWTO加盟は、アジア太平洋地域全体を、不信と危機に染まった関係から、平和と成長を本質とした安定した関係に向けるだろう。これこそが究極の目標である。
Financial Times, Monday Nov 12 2001
Argentina needs effective not unthinking support
By Michael Mussa
アルゼンチンの不況は深まっている。税収を増やす改革を行ったが、財政は大きく悪化した。デフォルトが避けられるのか、という不安から、5月までにアルゼンチン国債のスプレッドはアメリカ財務省証券に比べて1000ベイシス・ポイントも上昇した。アルゼンチン政府は苦し紛れに比較的短期の債券120億ドルを、より長期の660億ドルに交換したが、その暗黙の利子コストはアルゼンチンの長期的な成長率を倍以上も超えている。
この夏、状況はさらに深刻になった。銀行の預金引き出しがアルゼンチンの外貨準備を枯渇させたのだ。国債のデフォルトとカレンシー・ボードの破綻を恐れて、金利は1500ベイシス・ポイントも急騰した。資金が枯渇し、政府はIMFに合意された支援策を前倒しに実施することで実質的に追加の資金を得ると発表した。ブッシュも、ブレアも、シュレーダーも、IMFが原則を無視して支援を拡大することに支持を与えた。しかし、それは氷山にぶつかってからタイタニック号に再融資するようなものだ。
3ヶ月たって、アルゼンチン政府が債権者に債務の減額を要求したことで、この融資がまるで不毛であったことが明白になった。アルゼンチン政府の圧力と少しでも早くいくらかを返済して欲しいという動機から、多くの債権者が比較的穏やかな形で債務の減額を受け入れるかもしれない。しかし、公式には純粋に自発的で、市場に従った、それゆえデフォルトではない交換と言われるが、それはまったくのナンセンスだ。財布を手で押さえ、拳銃をわき腹に突きつけて、自発的にどうぞ、というJack Bennyの昔のギャグにそっくりだ。他の債権者はもっと良い条件を求めて保留し、法廷で争うだろう。その結果、アルゼンチンの国際金融市場における正常な関係は長期にわたって損なわれる。
国際社会は建設的な役割を果たすべきだ。しかし、追加の公的な長期融資(や保証)は責任ある対応ではない。少なくともIMFはこうしたことに資源を使ってはならない。建設的であるためには、アルゼンチンの現実の状況を正しく知る必要がある。追加の支援は必要だが、早期に持続可能性成長を回復し、公的な支援が管理できなくなるほど膨れ上がらず、計画通りに返済されるような政策を採用しなければならない。また国際社会は、一旦、債務の組替えに合意した民間債権者たちが合理的に保護されるようなアルゼンチンの政策を確実に実行させねばならない。
第一に、今年のアルゼンチン政府部門は、IMFとの合意目標であった60億ドル、さらにその後の修正された目標、70億ドルを大きく超える赤字であった。公的部門のさまざまな債務増加や支払いの遅れを合計すると、赤字額は200億から250億ドルにも達する。不況によって、2002年の政府赤字額は120億から150億ドル以下に削減できないだろう。必要な融資額の多くは民間債務の削減もしくは延期によるしかない。アルゼンチン経済が回復するにつれて、民間債権者への支払う見込みは徐々に改善する。しかし、現在の契約を履行するほど十分に回復することはありえない。
第二に、アルゼンチンがカレンシー・ボードを放棄することの危険性や維持することの不利益が議論されているが、現在の危機においてこの制度が生き延びることはできない。問題は通貨価値の過大評価が競争力を奪っていることより、必要な資源(外貨準備)が無いと言うことだ。財政赤字と預金流出がアルゼンチンの外貨準備をマネタリー・ベース以下にしてしまった。銀行のポジションは危機によって大きく損なわれ、国債の組替えでさらに悪化するだろう。預金流出と外貨準備の枯渇はさらに加速する。さらに、民間資本流入が回復する見込みは無い。アルゼンチンは必要な国際取引のために、カレンシー・ボードを廃止して、残された外貨準備を利用可能にするしかないのだ。
第三に、カレンシー・ボード廃止後、アルゼンチンはRicardo Hausmannが提案したようなドル建資産のペソ化を実行する必要がある。国内金融契約の約3分の2がドル建で行われているから、為替レートが自由に減価する以上、この論争的な手法に代わる現実は、国内金融の崩壊でしかない。
最後に、国際社会が1年前に今回の危機を悪化させたのではないか、という論争は別にしても、特に今年の夏に行った追加支援は金のかかる暴挙であったことが証明された。利用可能な資源が限られているのだから、成功する見込みの無い政策を支持することは、これ以上絶対に不可能だ。追加の支援は、アルゼンチンの現実の状況を正しく理解し、それに応じた政策への支援としてだけ許されるべきである。
Bloomberg, 11/11 00:01
Japan Officialdom in Quandary Over Yen Strength
By David DeRosa
日本の高官が円高を牽制した言葉には、ある意味で、暗いユーモアさえ感じる。その黒田東彦国際金融担当財務次官の発言とは、「それはファンダメンタルズを反映していない」というものだ。
実際、日本はいろいろな点で板ばさみ状態にある。しかし、もし円が20%か30%も安くなれば、官僚たちは幸せになるだろうと思う。その場合、問題は不況に苦しむアジア諸国だ。円安誘導は他のアジア諸国からの輸出を奪ってしまう。
日本は円安を促すことを自重するが、円高を抑制することには全く躊躇しない。とにかく日本人が円高を問題にし始めたら、中央銀行の介入に注意すべきだし、不胎化介入や不胎化されない介入に関する論争を聞いておくべきだ。
ここが、日銀と日本の財務省とに対して、世界が我慢できないところだ。もし日本が本当に円安や、円高に上限を決めるのであれば、不胎化されない介入をすればよい。日本は、ほとんどの場合、不胎化介入を行ってきた。しかし私はいつも、日本の不胎化介入が慎重な政策選択ではなく、官僚の縄張り争いに過ぎないのではないか、と疑っている。
多くに国がそうであるように、日本でも財務省が為替市場への介入を求める。日銀は実行班であり、決定するのは財務省だ。そのままでは介入によって貨幣供給が増える。それが問題である。なぜなら、通貨政策は財務省ではなく日銀が行うからだ。
言い換えれば、不胎化介入か、不胎化されない介入か、という論争は、実は通貨政策をめぐる日銀と財務省の対立なのである。それはともかく、為替市場を材料にして、互いに脅したり嫌がらせをしたりすることが、日本にとってどれほど有害であるか、いいかげん両者は学ぶべきである。
Financial Times, Tuesday Nov 13 2001
The gospel of globalisation
Henry Paulson(chairman and chief executive of the Goldman Sachs group)
世界的な景気後退は、ビジネス・リーダーたちにグローバリゼーションから繁栄を収穫する責任を負わせている。それこそが平和と安定性をもたらし、繁栄をさらに促すのだ。国内的、国際的な自由化は、貧しい者にとってもっとも有益なはずである。しかし、最大の皮肉は、グローバリゼーション批判運動は世界的貧困の解決を妨げようとすることだ。
世界の貧富の格差を拡大している、と世界的企業を非難するよりも、彼らは世界人口の大部分が暮らす貧しい国の劣悪な政府を批判すべきである。そしてグローバリゼーションが解放する多くの力は、情報の自由な流れのように、明らかに政府を改善する力がある。では、良い政府とは何か?
1.良い政府は社会の安定性を維持する。法による統治、人々に権力を分かち、教育ある労働者を育てる、すべての国民のための経済的進歩。
2.良い政府は市場志向の改革を進める。内外における規制緩和と競争促進。市場と政府を透明にし、汚職をできるだけ減らす。
競争は常に既得権から抵抗を受ける。しかし、競争だけが個人の努力を促し、所得を高め、富をもたらすように企業家を駆り立てる。競争は自由市場システムの根幹であり、グローバリゼーションとはこのシステムの国際的な側面である。
ヨーロッパはグローバリゼーションと戦っている。EU内部で経済改革をめぐる広範な戦いが、まさに息を呑むばかりに展開されつつある。社会的な結束を重視するヨーロッパでは、重要な点でアメリカと異なっているが、それでも改革は決定的に重要だ。年金制度、規制と課税、資本市場と労働市場の自由化と統合、大陸規模の決済網、そしてより説明能力の圧企業統治。
ヨーロッパがこの挑戦に応えられるかどうか、答は不明である。企業買収や労働市場の規制緩和で後退が見られ、イギリスでさえ、金融サービスや通信、水道、電気で規制が復活しつつある。この挑戦には指導力が無ければ対応できない。われわれは世界的な自由化を支持しなければならない。そして企業を株主のために経営することだ。その鍵は、再び、競争である。新市場、新技術、困難な経済条件でも、進んで挑戦する企業こそが成功をもたらす。
幻想を持ってはいけない。グローバリゼーションは一夜にしてわれわれを民主的で平和な世界に連れて行ってはくれない。しかし、世界をより繁栄させ、同時に、より自由で平和にする最も効果的な手段は、おそらく今も、グローバリゼーションである。9月11日以後も、グローバリゼーションは支持されるだろう。ビジネス・リーダーたちがそれを示すことだ。
(コメント)
Larry Elliott, “Time for the west to put up or shut up” (The Guardian, Monday November 12, 2001)は、Oxfam のKevin Watkinsが述べた「豊かな諸国は結束して自由化する領域を制限した」という 評価を引用しました。そして、貧しい国への関税率は、豊かな国に対してよりも4倍も高く、農産物への補助金は増加し、繊維製品を自由化する約束は無視され、知的所有権や投資ルールは貧しい諸国の社会的・経済的福祉を低下させる方向に変えられた。だから、三つのことをすべきである、と指摘します。
1.豊かな国は貧しい国の発展に関心を示すべきだ。学校を閉鎖するより、彼らの輸出品を購入すべきだ。
2.包括的な自由化交渉をするだけで、豊かな国の保護措置を見逃して、彼らの工業化を妨害してはならない。
3.貧しい国を積極的に支援するために、豊かな国は貧しい国に対して、互いの関税率より高くすることを禁止し、特に貧しい国で発展しつつある分野で禁止的な関税を課すことを止めるべきだ。
Washington Post, Monday, November 12, 2001; Page A25
The Globophobes' Guru
By Sebastian Mallaby
グローバリゼーション反対論の教祖であるHarvardの Dani Rodrikは何を主張しているのだろうか? 彼は貿易が成長にとって重要であると言う。また、成長は貧困を減らす点でも密接な関係があると言う。では、Rodrikはグローバリゼーションに何が不満なのか?
まず、グローバリゼーションは多くの主張ほど有益ではない。さらに、グローバリゼーションだけでは貧困を解消できない、と言う。この点はワシントン・コンセンサスに従う人々も気付いている。その意味では、Rodrikの主張はグローバリゼーション反対運動を支持する根拠にはならない。
しかし彼は、日本、韓国、中国、ヴェトナムなど、貧困を大きく減らした国が、急速な成長の過程でいくつかの産業を保護したと主張する。Rodrikは、こうした選択肢を許さないWTOのシステムに懐疑的である。
彼が言うように、WTOでも貧しい国に政策選択を許すべきかも知れない。知的所有権や、関税・制裁に関するルールは、貧しい国にとってコストがかかり過ぎる。世界貿易システムは開発の問題にもっと関心を払うべきだ、という点でRodrikは正しい。
Financial Times, Wednesday Nov 14 2001
Japan on the brink
Martin Wolf
1933年にIrving Fisherが「大恐慌に関する債務デフレ理論」で説明した言葉は、今の日本に良く当てはまる。その最も重要な事実は、物価が下落し続けていることである。GDPデフレーターで見て、1993年のピークから、物価水準は6%下落した。しかも、それは加速しており、2001年の第2四半期には2.2%、年率で7.4%も下落した。
物価の下落と低成長で、名目GDPは減少している。1997年前半と今年の第2四半期の間で、それは5.5%減少した。今年の第2四半期は、年率で10%を超える減少である。物価下落は実質金利をプラスにしている。名目では0%でも、短期の実質金利は2%あり、アメリカの短期金利が実質でマイナス1%であるのと対照的だ。こうして、日銀が物価の安定に失敗したせいで、日本経済はアメリカよりも緊縮的な通貨政策を採り続けている。これが公的部門と民間部門の債務問題を深刻にしているのだ。
1991年から2001年にかけて、GDPに比べた公的部門の債務比率は61%から131%に上昇し、OECD諸国で飛び抜けた数値である。もし経済が年1.5%で成長し、物価は年2%で下落するとして、また、利払いを除いた財政赤字がGDPの4%で維持され、政府による利払いが現在の3%から2003年に2%、2005年に3%、そして2010年に4%へと推移するものと仮定するなら、日本の公的部門の(社会保障を除く)対GDP債務比率は2007年に150%、2015年には250%に達する。あるいは、(社会保障を含む)総債務比率は2007年に185%、2015年に310%となる。
これは維持不可能である。おそらく10年以内に、可能性としてはもっと早く、事態が急変するだろう。一旦、市場の信頼を失えば、金利は急騰し、通貨当局は債務を貨幣化して激しいインフレを引き起こすか、デフォルトにするしかない。最もありそうなことだが、問題を先送りにする場合、民間部門の苦難が増す。
日本企業はアメリカに比べて収益が少ない。もしデフレの影響を考慮するなら、非金融部門の企業の利潤は公表されている額より4分の1も少なくなるだろう。すなわち、膨大な数の企業が、利益を報告しながら、実質的な損失をもたらしているのだ。物価下落、借入資本への依存、そして成長減速は、銀行の不良債権を毎年膨張させるだろう。デフレは債務という呪縛の前ぶれである。事態をますます悪化させる装置である。
日本は正しい選択を行う前に、政府がもてあそぶ間違った選択を排除しなければならない。すなわち、構造改革と、銀行による不良債権の最終処理、である。どちらも事態を改善するより、深刻にする。
構造改革は、もちろん、重要である。資本は無駄になっている。日本は労働時間に比べた資本ストックが、アメリカより13%も高い。非効率な資本の利用があるから、日本は大きな投資無しに産出を増やすことができるのだ。民間部門の投資が均衡する点は、現在のGDPに占める割合よりもずっと低い。ところが、構造改革は需要を急激に減らすに違いない。増加した失業はさらに事態を悪化させる。
不良債権の最終処理も重要だ。しかし、短期間に行うことは危険である。大手15行でも、正しく調整した場合、世界の自己資本規制を満たせないだろう。その上に債務の償却を受け入れ、債務企業を倒産させるなら、信用や貨幣、そして経済は極端に縮小するだろう。
どちらの選択も供給側に注目するだけで、需要の問題を忘れている。また、デフレの症状である不良債権を問題にするだけで、その原因を解決しない。デフレを止めるのは需要が増加しなければならない。長期の成長率を高め、金融システムの改善を図る政策は、その後である。需要不足の原因は、日本の貯蓄が利潤の期待できる民間の投資機会に比べて多すぎることにある。通貨政策を拡張的にすれば、二つの経路でこの問題を解決できる。
第一に、プラスのインフレをもたらせば、実質金利と実質債務負担が軽減され、バランス・シートを改善して、投資が促される。第二に、円安をもたらし、経常収支黒字を増やす。それが、民間部門の過剰貯蓄を吸収するために(持続できない)財政赤字で需要を補う必要をなくすだろう。
それゆえ通貨政策は転換しなければならない。もはやインフレ目標だけでは不十分だ。Lombard Street Researchの Tim Congdonは、政府が銀行から直接に借り入れて、非銀行民間部門の債券購入にあてればよい、という。それは広義の貨幣供給を増やす。問題は、それがどの程度速やかに需要を増やし、物価を上昇させるか、である。
日銀は、深刻なデフレに陥っているから通常の通貨政策は機能しないのだ、と言う。しかし、そうであれば、何もしないのではなく、通常は行わないような手段も採るべきだ。緩やかなインフレを今達成するか、それともデフレを許すのか? そして結局、債務を貨幣化し、効率のインフレを将来に引き起こすのか? すでに潜在的には破綻している。行動のときである。
(コメント)
日本はデフレから脱出するために、国内の政治的対立を克服するか、アメリカやアジア諸国との政治的対立を克服するか、迫られています。一方では、銀行や企業への財政的な支援や、日銀の政策転換が調整されなければならないし、他方、円安によるアジア諸国への影響や、アメリカへの金融市場と雇用にもたらす影響を話し合わなければなりません。Editorial comment: Halting Japan's deflation(FT, Thursday Nov 15 2001)
日本のためには、何も選択しない、できない政治家ばかりであれば、倒産と失業の増加が国債増発と交互に政治問題となり、国際的な対立激化も予想されます。
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The Economist, November 3rd 2001
Argentina’s economy: Down, and almost out, in Buenos Aires
ブエノス・アイレス郊外の町、Mataderosの裏通りには、慈善団体Caras Sucias(“Dirty Faces”)の配給するスープをもらうため、多くの人がぼろを着て行列する。ここはかつて国際食肉市場の中心地であった。彼らは夕食をもらうために並んでいる。ソーセージやにんじんのかけらが入った薄い米のシチューと、今日は珍しく、小麦粉、パスタ、オレンジも少しもらえる。彼らの多くはこの何年も職が無い。長くラテン・アメリカでもっとも豊かであったこの街で、年ごとに乞食が増え、希望は失われて行く。
1930年代、アルゼンチンの一人当たり所得はフランス、ドイツ、カナダと同じであった。その後、ポピュリズム、経済的孤立主義、そしてインフレーションが、アルゼンチンを転落させた。しかし、1990年代になって、再び前進し始めたように見えた。カルロス・メネムとドミンゴ・カヴァロがカレンシー・ボードを採用し、経済を開放して民営化を進めたからだ。それは機能した。インフレは解消し、資本が流入し、経済は1991年から98年まで平均年5.7%の成長を実現した。
こうした時代は、ブエノス・アイレスでは遠い記憶である。カレンシー・ボードのせいで、切下げも自主的な通貨政策も禁じられ、世界経済の悪化をデフレによって調整するしかない。ブエノス・アイレスでは中心街でも店を閉めたところが目立ち、レストランでは客よりも給仕のほうが多い、自動車工場は労働者を解雇し、フットボール・チームの賃金支払いは何ヶ月も遅れている。失業率は16%と言うが、さらに15%が「低雇用」である。製造業の賃金はこの3年間で名目5分の1も減少した。
輸出業者は、通貨価値を強いドルと固定したことが競争力を奪った、と文句を言う。今年になってブラジルの通貨が28%も減価しているのに、どうやって競争できるか? 「アルゼンチンには二つの国がある。一つは民営化されたサービス部門や外国銀行の支店であり、素晴らしい利益をあげている。もう一つは世界市場で競争するアルゼンチンであり、非常に苦しんでいる。」と、産業連盟のスタッフは述べた。今やアルゼンチンは牛肉をアメリカから、スウィートコーンの缶詰をフランスから、マッシュド・ポテトをカナダから、そして練歯磨きや電球をブラジルから輸入している。
3月以来、経済大臣に復帰したカヴァロも、今度ばかりは(何でも黄金に変える)ミダス王の魔法を発揮できなかった。彼(の存在)は債務不履行への不安を払拭し、「競争力」を高めて成長への転換を同時に図るはずであった。その両方に、彼は失敗したようだ。
「競争力」を回復するために、彼は投資減税と資本財への関税率引き下げ(消費財には引き上げ)を行った。またカレンシー・ボードを修正し、貿易に対してはドルとユーロの均等な合計価値に固定し、輸出業者に4%の利益を与えた。しかし、こうした聡明な工夫も、通貨切下げへの不安を煽る結果になった。7−8月に、銀行への取り付けが起きて、カヴァロは方針を転換した。彼は議会を説得して今年度の予算を均衡させ、そのために公的部門の給与や年金を13%削減した。しかし不況で税収が落ち込む中、財政均衡化は維持不可能なコストをともなう。
銀行への取り付けは信用逼迫につながった。銀行は融資の返済を求め、企業は納入業者への支払いを遅らせた。9月までの3ヶ月間に、GDPは年率6〜12%も縮小したようだ。連立政府与党は中間選挙で議席を失い、一つの政党が連立を離脱した。それでもデ・ラ・ルーア大統領は、「デフォルトも切下げもしない」という政策モデルを転換しないと述べた。そして国内市場を活性化するために金利の引き下げを図る。そのためには債務負担を減らす必要がある、と。
多くのアルゼンチン国民はカレンシー・ボードを捨てられない。それはアルゼンチンがヨーロッパの片隅で繋がっているという彼らのイメージを表すかのようだ。「切下げは想像を絶する混乱を意味する。それは基本的な価値を失うことだ。われわれは新興市場並み賃金に戻りたくない。」と、Colombo首相は語る。その代わりに、政府は財政を均衡させるために支出を削減し続けている。また、地方政府への財政移転を一方的に停止した。
地方政府との合意も、国内機関投資家との合意も得られていない。1320億ドルの公的債務のうち、約半分を占める国内の債権者に、政府は「自発的な債務スワップ」で、より低い金利と3年間の支払猶予を求めている。カヴァロはこの交渉に外国の債権者を含めると発表したが、格付け機関は、そのような条件ではデフォルトになる、と警告した。IMFもこの計画を支援しそうに無い。政府の緊急課題は、今月中に支払うべき14億ドルの利払いである。切り下げもデフォルトも無いとしたら、政府の選択肢は急速に失われていく。
アルゼンチンの改革モデルが失敗した理由について、対立する二つの答がある。一つは、第二メネム政権の債務累積。もう一つは、カレンシー・ボードそのものである。しかし、輸出は、ワインや化学製品、鋼管など、近代化された部門で増加しており、物価の下落はアメリカに対して切下げを行ったに等しい。競争力を損なっているのは資本コストであって、為替レートではない。
他にも、最も重要な第三の答えは、外部からの不利なショックある。それは、輸出農産物価格の下落や豊かな国の貿易障壁、そして資本流入の枯渇である。さらに、第四の要因として、政策失敗がある。カヴァロは政策をいじりすぎて、彼自身の高い評価だけで十分と言わんばかりに、説明が不十分であった。結局、他の要因が動かせないなら、彼の評判で決して十分ではなかったのだ。
Economics focus: Sinking like a souffle
2000年から2001年のアメリカの名目GDP成長率は、1930年代以来、2年間では最も低い水準になりそうである。その理由は、アメリカが歴史的に見て低いインフレ率で不況に入ったからである。40年間、以前の不況はどれもインフレの高進に対して、中央銀行が金利を引き上げて起きたし、その後もしばらくは高いインフレが続いた。今回は投資バブルの破裂から不況が起きた。競争激化と世界的な生産力過剰、健全な通貨政策は、物価を抑制した。
最も憂慮すべき例は日本であるが、インフレは世界中で低下し、シンガポール、香港、台湾、マレーシア、アルゼンチンで名目GDPが減少している。それがどうした? 実質GDPが繁栄の最善の基準であり、低インフレは良いことではないか? しかし、賃金と利潤は、名目賃金を超えては増加できない。だが「貨幣錯覚」があるせいで、だが名目GDPが余りに少ししか成長しないと、4つの経路で問題が起きる。
1.利潤が少ししか増えないから、株価の上昇期待が失われ、解雇が増える。2.人々が貨幣錯覚により貯蓄を増やし、消費を削る。3.債務負担は名目売上額が増えれば軽減されるが、デフレは、日本がそうであるように、負担を増やす。日本は債務の対GDP比率を上昇させた。4.名目金利がゼロに近づくと、通貨政策が難しい。デフレが進むと実質金利が上昇し、金乳引き締めになってしまう。
理想的には、2−3%の実質成長率を見込んで、名目成長率を4−5%にすることを中央銀行は目指すべきである。世界の三大中央銀行はそれから外れている。