今週の要約記事・コメント

10/22-27

IPEの果樹園 2001

New York Times, October 12, 2001

Clouds Seen for Emerging Markets

By JONATHAN FUERBRINGER

金融市場にこれ以上ショックが起きるのはまっぴらだろう。しかし、新興市場には多くの危機の種がある。「投資家は、新興市場で、将来、危機が起きる可能性を無視すべきではない」とシティ・グループの副会長は述べた。

主要工業諸国の株価はテロ攻撃前の水準に回復したが、新興市場ではほとんど回復していない。外国からの資本流入が衰え、来年も少ししか回復しないと思われるからだ。アルゼンチンとトルコからは、今年、230億ドルが流出するだろう。

しかし、新しい通貨危機が起きれば、アメリカとIMFはむしろ迅速に対応するだろう。特にイスラム諸国では、オニール財務長官が消防士と揶揄して反対した過去の態度を、テロリストとの戦いのために翻すよう求められている。

IMFのケーラー専務理事は、先週金曜日、IMFが新興諸国の苦境を理解しており、必要なら助言と金融的支援を与える用意がある、と明言した。すでに投資家は新興市場を避けていたから、直ちに危機が生じる心配は無いかもしれない。しかし、テロリズムとの戦争が不確実性を増した。

「すべての新興市場がより厳しい脅威にさらされている。なぜなら貿易や観光が落ち込み、世界的に経済活動が低下しているからである」とアルゼンチンのカヴァロは述べた。

アメリカで金利は下がっているが、新興市場の金利は上昇してきた。アメリカとの格差は10%もあり、この2年間で最高だ。また、国際商品価格が下落している。多くの新興経済が商品の輸出に頼っている。新興経済の債務諸国には、この先、投資家が寄り付かなくなるかもしれない。「アジアの新興諸国は、工業諸国の需要の落ち込みに加えて、ハイ・テクの不調や日本の弱い需要を感じるようになる。」

以前から危機にさらされている新興経済の3カ国、アルゼンチン、ブラジル、トルコでは問題が深刻化している。もしいずれか一つでも危機に陥れば、危機の伝染はこれまでよりさらに急速に拡大するだろう。

アルゼンチンはアメリカ市場にそれほど依存していないが、ヨーロッパやブラジルとの貿易がテロの影響を受けている。日曜日には議会選挙がある。しかし、その後の政策は明らかでない。デ・ラ・ルーア大統領がカヴァロを交代させるという話もあるが、彼自身は辞任の話を否定した。9月の税収は前年比で14%も落ち込み、歳出削減努力にもかかわらず財政赤字ゼロの達成は難しい。アルゼンチンの産出は2.4%も減少すると予想されている。要するに、カヴァロは成長を回復させる計画を示せないのである。

これらすべてが、結局、アルゼンチンにデフォルトか切下げ、あるいはその両方を強いているように見える。しかし「皮肉なことに、他の新興市場諸国に比べて、アルゼンチンはアメリカの諸問題から保護されている」とBNP Paribas のラテン・アメリカタイ政府戦略部長Rafael de la Fuenteは語った。「それでも、彼らは強制的な債務の組替えを受け入れるしかないだろう」と。一方、カヴァロは「デフォルトも、強制的な債務組替えも無い」と述べた。

ブラジルの問題は、アルゼンチンの危機の副作用に苦しんできたことだ。ブラジル通貨、レアルは、1年で30%下落し、最安値をつけていたが、911日以後に6%下がった。同時に金利は急騰している。平均16.3%に達した金利は、利払いを難しくする。「この二つ(レアル安と金利上昇)を逆転させなければ、債務は維持不可能になる」と、J. P. Morganのブラジル担当アナリストは言う。

さらに、ブラジルに流入する資本は急速に減少すると予想されており、2000年の300億ドルから2000億ドル以下に減るかもしれない。IIFによれば、ラテン・アメリカへの資本流入額は、昨年の610億ドルから今年は450億ドル、来年も430億ドルに減少するだろう、という。

トルコは資本流出に苦しんでおり、2002年の財政赤字をまかなうには巨額の援助を必要としている。通貨リラは今年すでに57%も減価している。選挙の早期実施は、政治的な危機を高める。

しかし、テロリズムとの戦いにおけるトルコの役割は重要であるから、投資家たちはトルコが支援を得られるだろうと期待して、911日以後の落ち込みからある程度は免れた。


Financial Times, Monday Oct 15 2001

Editorial comment: Argentina's woe

911日の前から、アルゼンチンの金融・経済は安定性を失っていた。しかし、この1ヶ月の事件は、この国がカレンシー・ボードを転換すべき点へさらに近付けた。

日曜日の選挙は、デ・ラ・ルーア大統領の地位をさらに弱め、その支持基盤である中道左派連合のメンバーでさえ、選挙で政府の出したどん底の経済成果を弁解できなくなっている。

不況は4年目に入っており、9月の税収は前年比14%も落ち込んだ。財政赤字ゼロ目標は実現できそうに無い。昨年8月のIMF融資は市場の信頼を得られず、アルゼンチンのドル建債券価格は、19%という最低水準で取引されている。明らかに、投資家はアルゼンチンの対外債務1300億ドルがデフォルトになるだろうと信じているのだ。

政府の政策変更余地は限られている。選挙が終われば、経済再生と債務支払い負担軽減の対策が発表されるはずだ。しかし、国際経済が回復しない限り、こうした対策では不十分である。さらに悪いことに、政治危機が金融システムへの国内の信頼を蝕み、アルゼンチンは銀行システムへの取り付けに瀕している。

貸し手の多くはペソの切下げは避けられないと確信している。実際、もし包括的な債務の組替えがともなえば、それがこの「ぬかるみ」から抜け出す術となるだろう。しかし、そのコストも甚大だ。アルゼンチンのドル化が進んでいるために、債務不履行は連鎖的に拡大し、金融システムは崩壊する。少なくとも短期的には、この国をさらに深い不況へ突き落とす。さらに、この国の債務の92%が外貨建であることから、債務負担は増すだろう。


The Observer, Sunday October 14, 2001

Just feel quality of cheaper pound

William Keegan

学生は皆、経済学が需要と供給の学問だ、と習う。そして、需要と供給の変化を反映する市場の偉大なシグナルこそ、価格である、と。しかし、価格は決して売り買いを決断する唯一の要因ではない。必要性、質、信頼度、なども重要だ。長い間、経済学者たちは「完全市場」や「完全情報」に魅了されていた。しかし、どれほど些細な実証でも、そんな完全さは教科書の中にしかない、と分かる。

先週、3人のアメリカの学者がノーベル賞を受賞したことで、このことを思い出した。彼らは広く「非対称的」と呼ばれる市場を研究した。そこでは人は、通常、売り手は、取引される物の質を、買い手よりも良く知っている。中古車市場がその代表である。

経済で最も重要な価格は、その他の世界と財・サービスを取引するときに使う為替レートである。そして、まさに、その質が重要なのだ。もし為替レートが強くなりすぎれば、経済は世界市場から追い出される。輸出は利益を生まず、問題が起きるだろう。イギリスが過大評価されたポンドに長く関わっていると、必ず、強いポンドを正当化する人々が「問題は価格じゃなくて質だ」と言う。しかし、もちろん、どちらも重要なのだ。

何年もポンド高が続いて、貿易赤字が膨らんで、輸出業者は儲けが無く、市場から締め出された。イングランド銀行の通貨政策委員会は関心を示す。しかし結局、全体として、「安定的で競争力のあるポンド」という信念を公表するだけで、大蔵大臣はポンドの価値を経済政策の直接の目標にはしなかった。

イギリスは、いやいやながら、単一通貨への参加を準備しつつあるから、この状況は注目に値する。フランスは、ユーロに参加する際、何年もかけて為替レートをドイツに対して競走場の優位が保てる位置にした。私の印象では、ドイツ人たちはイタリア人たちが余りに有利な地位を得ることが無い様に注意する余り、フランスを見落としたようだ。いくらかはこの為替レートによって、近年、ドイツの成長がフランスに劣るというようなことになったのだ。

イングランド銀行の元主任エコノミスト、ジョン・フレミングはこう言った。「われわれは皆、ポンドが過大評価されていると知っている。特にユーロに対してだ。しかし、低迷するドイツが通貨を切り上げる必要は、本当に、あるのだろうか? また、アメリカは莫大な、維持できない対外赤字を持っている。特に、ドル切下げが対策として有効であるとしても、現状の日本が競争力の喪失に耐えられるのか? もしこうした問いへの答えが否定的であるなら、われわれは他の刺激策を探す必要がある。」

私がフレミングのコメントを呼んだのは、有名なアジアの虎、シンガポールが通貨の減価を歓迎した時期であった。われわれは再び、経済危機の出口を競争的な切り下げに頼る危険と直面している。1930年代にこれが流行した際、世界経済はそれによって改善されなかった。それこそ、戦後、IMFが」できた理由の一つであった。IMFは切下げ競争を止めさせ、有益なマクロ政策を採用することですべての国に利益をもたらす為替レート制度ができたのだ。

フレミングは「インフレの恐れが無い」世界経済の下降期には、通貨的な拡大を刺激策として優先した。アメリカの連銀やイギリスの通貨政策委員会はそれに努めているが、日銀がハイパー・インフレーションを注意したのはジョークとしか思えない。他方、ECBは、政治的圧力に逆らって、少しも動こうとしない。あるいは、ECBはそうしているが、印象が薄いのである。問題は、彼らの関心がインフレの時代のままであり、不況を主要な脅威とは思っていないことだ。

通貨政策が無理なら、ヨーロッパでは強調的な財政支出拡大策が強く支持される。しかし、ここでも不況など関心に無かったマーストリヒトとアムステルダムの条約が、いわゆる安定性と成長の協約をルールとして強いる。幸い、イギリスやアメリカ、東南アジアの財政政策は拡大に向かっている。不幸にして日本は、構造改革、すなわち財政赤字削減を行いつつある。世界経済にとって、全く時期にそぐわない。


Washington Post, Sunday, October 14, 2001; Page B06

Return to Nation-Building

ブッシュ氏はその立場を変えつつある。彼は記者会見でアフガニスタンの「国家建設」に言及したからだ。ブッシュ大統領とその顧問立ちにとって、この言葉は呪われている。特にブッシュ氏個人にとって、彼の父がソマリア介入に失敗したし、クリントン政権は国連と組んだ人道的介入で海兵隊18名を死亡させ、アメリカがソマリアに軍を拡大投入したのは失敗だった、と批判した。しかし、アフガニスタン介入が拡大するにつれて分かってきたのは、過去の介入が残した本当の教訓は、その後の安定した政治秩序建設こそ重要である、ということだった。

恐ろしく貧しい、飢えた国で、権力は武装集団に分散してしまっているとき、そのような政治秩序を描くことは非常に困難だ。今のところブッシュ政権は情報を収集して、この問題に対応しようとしている。亡命した元国王や核武装集団の代表を集めて、政治会議を構成し、アメリカや西側の公式を当てはめたり、その指導力を用いたりしなくても、アフガニスタンのプレーヤーだけで政府を再建できる、というのだ。しかし、それはアフガン人の激しい反動や外国政府の介入を招くだろう。アメリカの司令官たちが空爆をためらっているのは、北部同盟のカブール侵攻が抑えきれなくなることを心配するからだろう。人道的な解決策を探り続け、アフガニスタンの次の政府にアメリカの関心はないと言い続けるのも、政治的な関与を減らすためである。

しかし、木曜日の記者会見で、大統領はアフガニスタンとの関与で「軍事的目的が達成されても、単に撤退すべきではない」ことを学んだ、という。しかし、過去の経験は、友好的な外国の政府を、アフガニスタンのような国に建設するのは、しばしば反動につながる、という教訓も学ぶべきだ。アメリカは政治的な競争で、タリバンを上回るような攻撃的で、反西側の軍事集団が政府を支配しないように、確認する必要がある。それは人道的な支援や経済再建によって準備されているが、アフガンの指導者たちが求めれば、国際的な平和維持軍の有益であろう。それにはアメリカの強力な支援と参加が必要である。タリバン崩壊後に、より多くの軍事行動が必要になり、たとえ死傷者や敗北があっても、アメリカはそれを見届けるべきである。


Financial Times, Wednesday Oct 17 2001

Clinging on

Alan Beattie


Washington Post, Wednesday, October 17, 2001; Page A35

An Orwellian Moment

By Jim Hoagland

ジョージ・オーウェルは1936年の随筆「象を撃つ」で、アフガニスタンを爆撃するアメリカ軍の問題を見通していた。オーウェルは植民地の警察官として、植民地主義と植民地化された人々を観察した。彼は、自分が治安を守り、保護しているはずの村で、冷笑され、ひそかに侮辱され、村人たちの汚い罠にはまった。

その話では、おとなしいはずの象が狂って、村人を殺す。オーウェルは、強力なライフル銃を借りてから、この象を調べに行く。彼の周りに人だかりができるにつれて、ライフルを持ってきたことで、彼は象を撃ち殺すしかない、と悟る。「2000人の群集が私について来るのだ。そして何もしないのか? 否、それは不可能だった。群衆は私を笑いものにしたであろう。私の全人生は、そしてアジアに暮らす白人の全人生が、笑われないための長い苦闘であった。」そして彼は象を撃ち、村人たちはまんまと、狩猟を禁じられている象の肉と象牙を手に入れた。

アメリカは強力なライフル銃を持って狩りに出た。もちろん、アメリカはアジアで植民地主義を掲げないし、ヴェトナム以来、ありがたいことに国際的な「信認」を維持するために戦争しない。しかし、オーウェルの指摘は本質的に正しい。アメリカは重要であるから憎まれる。世界権力として、援助したり、恥をかかせたりして、誰からも感謝されない。その政策であれ、富であれ、独立した強力なアクターとしてカオスや無能力を作り出す存在である。アメリカは自分自身の理由で行動しなければならない。目に見える群集たちの常に変わる情緒を追いかけてはならない。

オーウェルは反対者の心理的側面を問題にした。援助や開発計画、外交を屈指して歓心を買うのも良い。しかし真実は、アラブ世界の市街やその他どこでも、人々がその貧困や政治的抑圧、文化的な停滞の原因としてアメリカを責める誤解を解くことはできない、ということだ。表面的な言葉は「恥辱ゲーム」を解消しない。誰もが自分を非難している中では、われわれは防衛的になり、自分たちの目標が彼らの目標を傷つける場合、それを恥じて我慢してしまう。


Washington Post, Wednesday, October 17, 2001; Page A35

An End to the Greenspan Illusion

By Robert J. Samuelson

幻滅の時代である。911日のテロ攻撃で、われわれの不可侵幻想が壊れ、今また、「ニュー・エコノミー」の神話も消滅する。幻滅リストの次に入るのは、連銀の権力、であろう。人々はFedが経済を微調整、(1970年代に信用を失った言葉を使うなら)「ファイン・チューニング」してくれるから、低インフレで高雇用、高成長の時代が続くと信じ始めていた。

グリーンスパン議長さえも、こんな議論に巻き込まれた疑いがある。彼の見事な指導で通貨政策への期待は非現実的なまでに高まった。しかし、9回も金利を引き下げたが、通貨政策は投資や雇用、市場心理の悪化に抵抗する力など無かったのだ。

日本はその見本だ。1999年、日本銀行は金利をゼロにまで下げたが、(一時的に0.25%にした以外は)いまだにゼロのままである。低金利は貸付や借入を増やすはずであるが、日本では45ヶ月連続で銀行の貸付が減少した。どうして借り手も貸し手も居ないのか?

日本では、政府による過剰な規制、悪質な銀行慣習が、とんでもない遺産となっている。競争が妨げられ、カルテルによって新規参入ができない。だから借り手が居ないのだ。他方、日本の銀行は1980年代後半と90年代初めのバブルによる不良債権に苦しんでいる。新規貸付などできないのだ。消費者は不況と失業による悲観に沈み、借りる気が無い。

要するに、他の条件が不健全であれば、ゼロ金利でさえ経済に活気を取り戻すことはできない、ということだ。「経済」とは、ビジネス、金融市場、政府の規制、文化的な態度(特に、労働とリスクに関して)、人々の気持ち、対外貿易、の合成物である。通貨政策はその一部でしかない。日本だけでなく、アメリカでもそうなのだ。

日本よりずっと弾力的であるが、アメリカも史上最長の好景気による後遺症に悩まされる。さらに、Fedの権力自体が失われている。公開市場操作による影響は、主に銀行間の短期金利に限られる。他の金利も反応するが、当てにならない。モーゲージや債券への効果は小さい。それは長期の融資であるから、投資家の抱く将来のインフレやリスクの予測に依存する。他方、銀行融資の金利は密接に反応する。しかし、クレジット・カード金利はそうでもない。

The Economist, October 6th 2001

アメリカ、日本、ユーロ圏は、1970年代以来、最低の水準まで金利を引き下げた。これに加えて、アメリカでは財政刺激策も用意されている。まだ長期金利への影響は限られている。ただし、債券市場が過剰供給になるのは、政府が借りるほど早くなる。

実質金利で見れば、通貨政策が異常な緩和を行っているような印象が間違いであると分かる。一般の消費者物価でみれば実質ゼロ金利になるが、Fedの重視するコア・インフレ率では、まだ実質1%であり、過去の不況時よりも高い。G3の平均でも、90年代初めの不況では、ユーロ圏が好景気で、実質金利も6.5%に達していた。

通貨政策の緩和を測る目安は、名目金利と名目GDP成長率を比較することであろう。金利がGDP成長率より高ければ引き締め、逆に低ければ拡大的である。なぜなら、大まかに言って、GDPの成長はアメリカ株式会社への平均投資収益を示すから、それが借入コストよりも大きければ投資は増えるのである。

この見方によれば、通貨政策は決して例外的な拡大状態にはない。名目GDP成長率が、1930年代以来の最低水準である、たった1%に落ちたことから見て、金利はさらに下がるだろう。さらに、日本は末期的であるとしても、アメリカでも通貨政策が効きにくくなっている。債務負担やテロの不安を抑えて消費を促すには、今まで以上に緩和しなければならない。

アメリカの財政刺激政策はどうか? アラン・ブラインダーが提唱した購買にかかる税金を一時的に引き下げる案は優れている。しかし、日本は過去の無駄な公共投資による財政赤字に苦しみ、ユーロ圏も「安定」協定に縛られている。EU内の合意を壊さないためには、ECBの金融緩和に頼るしかない。

中央銀行は、本来、慎重な人々だ。しかし、インフレ率が低く、さらに低下している今、もっと不況を心配するべきである。やりすぎれば2年後にインフレが再現される。しかし、何もしないで世界が深刻な不況に落ち込むよりはましだ。


日本経済は停滞の20年に入るかもしれない。しかし、その救済策は弱く、円安を目指すだけである。さらに、それさえも非常に困難である。

円高になることは、日本がもっとも恐れることだ。デフレと債務に苦しむ経済に、円高は致命的である。輸出はできず、国内物価が下がるだろう。逆に円が10%下がれば、たとえ短期的でも製造業が活気付く。

1998年の金融危機において円が大きく動揺して以来、2000年初めからは次第に円安が進んでいた。9月11日までに2%円高が進んだ際、日銀と財務省は為替市場に介入した。円が1ドル=120円以上の水準を保つように、3兆円を売却したのだ。この介入が「不胎化されない」かどうか、が注目を集めた。もしそうなら、1945年以来、初めて、日銀がそれを許したことになるからだ。

ふつう、金融緩和で円安が進み、国内債券の金利も相対的に低下して、投資家は外国に投資する。しかし、日本はこうした為替市場の基本に従わない。

日本には巨額の、世界最大の経常黒字がある。そのような国は黒字を外国に投資しており、危機になれば通貨が増価する。リスク回避が強まって、投資家は国内資産を増やすからだ。日本の投資家はこれまで世界中で損失を出しており、テロ攻撃の前でも特に怯えやすかった。円安を望むものには不幸なことに、こうした海外資産はGDPの25%と、余りに多くある。

しかも日本の銀行はリスクを取れないほど状態が悪く、市場価格で資産を評価し直す会計基準が始まったために、さらに自己資本の強化が必要となっている。長期的に円安を妨げる最大の敵はデフレである。日本全体にとって、デフレを止めるしかない。

しきりに騒がれた不胎化されない介入も、デフレを払拭するほどの効果は無い。日銀が不胎化するのかしないのか、流動性をどのくらい、いつまで増加させるのか、はっきりしないからだ。為替市場で行動を起こしたのは、単に、彼らが目先の問題を回避したいからだけではないか?