今週の要約記事・コメント
10/1-5
IPEの果樹園 2001
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ゼミの選考を行うために教室に行こうとして、自分がキャンパスを間違えてしまいました。大変、申し訳なかったです。
大きな集団になればなるほど、一体どこで、誰が決めているのか? と思うことが多くあります。何かを変えようとすると反対が多く、失敗することばかりが強調されます。誰も責任を取りたくないから、誰が決定するのか分からないようにしているのでは、と邪推したくなります。日本の政策や制度は、変化を求める声をすぐに消してしまいます。集団で議論し、合意を形成することが余りに下手だから、都合よく集団主義や画一主義を利用するのでしょう。
社会にはいろいろな仕事があり、多くの違った街に、友人や恋人になるかもしれない多くの人々がいるのに、自分の生活はストレスの多い繰り返しばかりだ、と思います。よほど切羽詰らないと、日本の社会は「創造的破壊」を開始しないようです。それでも社会的な革新により、硬直した、活気の無い社会を、変化に富んだ、自由な社会に変えることはできないでしょうか? たとえば、
1.社会保障制度を整備する:公共住宅や公立学校制度、給食制度などの中身を改善し、大幅に拡大してはどうでしょうか? どこにでも住めるし、子供は優れた教育を受け、終日、無料で面倒を見てもらえる。
2.職業訓練制度を充実させる:どのような職業でも、それに必要な知識や技能が手際よく習得できる、無料の、開放された社会人学校があれば良いでしょう。必要な知識の中身が透明で、それを習得すれば誰でも同じ条件で参入できる、というのが理想でしょう。企業が就労機会を保証すべきです。
3.移動や移住の自由を増やす:鉄道、高速道路など、輸送や移動のコストを一気に下げ、土地の売買を容易にし、安価な住宅地の供給を増やして欲しいです。地方において、土地の国有・公有化も含めて、公共の空間を大きく取り入れた、優れた都市計画が現れると、人々が移住し始めるのではないでしょうか?
4.一時雇用やパート・タイム、休職を活用する:複数の職業を兼ねたり、活発に転職したりできるような、中間的な雇用を増やしてはどうでしょうか? 人事のルールと透明性が重要です。
5.新興企業家のための情報提供と資金調達を支援する:活気ある新興企業群が常に市場を動かすような、迅速に変化できる社会に適した小企業の育成を進めて欲しいです。企業の競争条件や新規参入の奨励を各地域で競ってはどうでしょうか?
6.所得や富の公平性を重視する:所得や富の保有が大きな較差を生まないように、累進課税と社会的な公共資本を拡大する。新しいことを実現する人には課税せず、既存の富を活用しない人から多くの税を徴収してはどうでしょうか?
子供たちに、何になりたいか? と尋ねて、なりたいものになろうと思えば、知識や経験が必要だと感じるだろう?と言います。自分はどうだろうか? 八百屋さんや魚屋さん、政治家や大工さん、小説家や新聞記者、小学校の先生や森林警備員、あるいは鳥や虫を観察して、彩色した詳しい絵を描き、大きな図鑑を作りたかったな、と思います。
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Financial Times, Saturday Sept 22 2001
The Long View: Rules of engagement
By Barry Riley
突如として、金融市場のルールは変わった。1990年代を通じて、私たちは中央銀行の知性に慣れ、その父権的で、民主的に選出されたわけでもない、通貨の支配者たちが厳密に通貨政策を管理し、インフレ目標を追求するものと思っていた。市場参加者たちは、次の4分の1ポイント短期金利引上げや切り下げがいつあるか、を議論していた。
しかし今や、部分的な戦争状態が宣言され、優先順位が変わってしまった。中央銀行は、長期的結果を無視して、金融市場を流動性で満たしている。通貨でも証券でも、多くの市場で(公表されているよりも多くの市場で)政府が介入している。それは、公式のインフレ目標やヨーロッパの「安定と成長の合意」を反故にして、不安定化を招く恐れがある。
自由で効率的な市場が平時の贅沢でしかない、ということをわれわれは知った。戦争のための金融手段とは、市場の凍結や閉鎖、承認されたチャンネルだけでの貯蓄、最後には価格や利潤の統制まで含まれる。今でも、1917年に最初に発行され、愛国的な投資家が大きな損失を被ったいわゆる戦時国債が取り引きされている。
投資家たちは国民的な目標に従うよう圧力をかけられている。今週、ニュー・ヨークのヘッジ・ファンドは、ダウ平均株価が約12%も下落したのに、アメリカの株式市場で借りた株を売ることが許されなかった。
銀行システムに対する国民の信頼と担保を守るために、極東の諸政府は株価を支え続けてきた。アメリカにも、支持の程度や、機関投資家に政治的圧力がかけられた、という多くの噂がある。短期の浮動性を取り除き、自己増殖する下降スパイラルを阻止することもあるだろうが、すぐに崩壊すると分かっている人為的な底値を正当化する根拠は無い。
通貨はどうか? 今週の公式発表の中でも特にずうずうしいのは、日本政府がUSドル買い介入を公表したことである。日本人が海外に投資していた資産を回収することで円高が進み、日本経済の不況にさらに競争力の悪化が加わったため、自分の問題を外に押し付けているのだ。
テロリストたちはアメリカに戦いを挑んだが、その最大の犠牲者は銀行の担保価値が失われる日本になりそうだ。これまで日本は債務の罠から抜け出す最短コースとしてハイパー・インフレーションを選択せよ、という海外のエコノミストたちが発した警報に従わなかった。しかし今度は、東京の政治家たちが通貨破壊の引き金として非難できる外からの新しい脅威が、都合よく、あるわけだ。
もちろん、現在の労働市場や住宅市場、商品の売れ行きからは、大きなインフレなど起きそうに無い。しかし、2年か3年先を見れば、軍事支出と流動性の特別供給はより深刻なものとなる。国債への投資は、いずれにしろ潜在的に弱い立場にある。長期国債は容易に品薄から過剰に変わるだろう。
一方、世界中の株式相場は底値を求めている。しかし、評価の合理的な基礎は見出せない。疑いなく、オサマ・ビン・ラディンがすぐに捕まれば、株価は大きく反発するだろう。たった一人の男に世界中の株式市場による資金調達がこれほど影響されるのか、とわれわれは驚く。しかし、それで終わりではない。
信頼が回復し、長期的に安定した経済成長を基礎に合理的な予測ができるようになれば、株式市場を通じて将来に投資することには価値がある。しかし、不確実性がこれを破壊している。確かに不合理な悲観主義は、不合理な楽観論と同様に、正しくない。時期に応じて判断されるべきだ。
New York Times, September 21, 2001
First, Define the Battlefield
By MICHAEL WALZER
「戦争だ、と私は言うよ、スロックモートン。そして、戦え!ってね。」
9月11日以来、ワシントンでもこうした会話を良く聞く。国中で、スロックモートンの友人と同じ気分がある。しかし、これは戦争か? どうやって戦えばよいのか?
現時点で敵の国は見えず、戦場も無い。「戦争」という言葉は、闘争や関与、忍耐を意味する比喩である。戦闘行為が、たとえあるとしても、最初に起きるわけではない。むしろテロリズムとの戦争では、他に三つの重要な先行条件がある。国境を越えた警察力の強化。テロリズムに関する論争や弁解を取り上げて、それらを論破する、イデオロギー闘争。真剣かつ持続的な外交努力。
この戦争で、現実の戦闘行為はどうするべきか? 正当な戦闘行為であるためには、まず二つのことが必要だ。一つは、正しい標的。もう一つは、無関係な人々を大量に殺したりしないことだ。
アメリカ政府には、イスラエルによる「暗殺」を批判する者もいるが、私はこの二つの条件が満たされているなら、道徳的な観点からの批判は重要でないと思う。しかし、もしこれらが満たせないと、われわれも自分たちの文明を守るために、それを攻撃したテロリストと同じことをしてしまう。
従って、特殊部隊の方が、ミサイルや爆弾で攻撃するよりも、これらの基準を満たしやすいだろう。しかし、もし攻撃の目的がテロリストを支援する政府を屈服させ、資金を枯渇させると言うことであれば、それは許されるか? その目的は全く正当であるが、他国を強制するわれわれの能力には限界がある。われわれはその国の民衆を恐怖に陥れることなど(道義的に)できない。アフガニスタンのような極端に貧しい国で、電機や水道など、残されたインフラを破壊するのも正しい目標ではない。
誰もいない政府の建物を縛で期することはできる。もしそれが見栄えよく、パイロットも英雄的であれば、こうした劇的な行動が人々の満足につながるかもしれない。しかし、重要なのは、テロリストたちを孤立させ、追放し、どの国にも入れないことだ。彼らの秘密組織に潜入し、そのイデオロギー的な正当性を完全に奪うことだ。現在、もっとも危険なのは、なにか十分な損害を与えれば、それに満足して、われわれがテロリズムを撲滅することに十分取り組まなくなることである。
われわれは比喩的な戦争に止まり、戦闘行為を急ぐべきではない。
Bloomberg, 09/23 18:18
Mega in Washington: A Mona Lisa With a Message
By Patrick Smith
メガワティ大統領は、ブッシュとの共同宣言を「モナ・リザの微笑で」断った。テロリズムへの戦いを世界的な連携で行いたいなら、ブッシュ氏は「生死を問わず」といった調子の独断を放棄すべきである。アメリカはもっと外交的な努力を積み重ねるべきだ。
東南アジア全体で、イスラム教徒の政治力は重要である。ストレイト・タイムズ紙の記者ははっきりと書いた。「テロリズムは政治的問題であるから、その解決も政治的でなければならない。」アメリカの「ダブル・スタンダード」は、インドネシアで続いた独裁政治に顕著であった。
その金融的・軍事的中心に対するテロリストの攻撃後、アメリカのユニラテラリズムは死滅しつつある。しかし、まだ死んではいない。ワシントンがこれにどれほど巧妙に、あるいは醜悪に対応するかは、非常に重要である。アメリカの悲劇は、覇権の衰退をアメリカ人がまるで受け入れられないことだ。
New York Times, September 23, 2001
RECKONINGS
A Bad Week
By PAUL KRUGMAN
1997年後半、韓国は突如として経済危機に陥った。そして愛国心が高まった。女性たちは金の宝石を政府に差し出し、外貨準備の不足を補おうとした。何百万もの人々が支出を抑え、国が危機にあるのに自分だけ贅沢品を買うのは無責任だ、と感じた。当然、こうした国のための犠牲は、事態をさらに悪化させた。消費の減少は、韓国が極度に厳しい不況を経験した理由の一つとなったのだ。
CNNが「アメリカの新しい戦争」と呼んでも、9月11日の経済的影響は通常の戦争に比べて些細なものであり、アジア金融危機で見られた事態に似ている、と思う。金融市場の恐怖の一週間を終えて、攻撃に対して国家を守ろうという本能が、犠牲という名で楽しみを諦め、経済を悪化させている。
国民が国を愛するな支出して欲しい、という試みもなされたが、成功しそうに無い。他方で、市場を再開する前に、人々はアメリカへの忠誠として株を買うように求められ、それが暴走してしまった。愛国心で株を買った人が、1兆ドル以上も富を失わせた市場の暴落に巻き込まれた。他方で、情緒に流されず、株を先に売っておいたヘッジ・ファンドは、そのおかげで、大いに儲けた。
これは自発的な行動がもたらした解決ではない。アメリカの悲しみと不安を経済的破局に結びつけるかどうかは、政府にかかっている。
第一にすべきことは、現実的な修辞法に戻ることだ。ブッシュ政権が大衆の怒りと悲しみを表現するのに、戦争や復讐、という言葉を当初は使ったとしても、私は間違いではなかったと思う。しかし結果的に、政府はこれが通常の戦争ではなく、多くの人々の日常生活にほとんど影響しない、ともっと強調すべきであった。
第2に、政府支出を加速させるべきである。IMFのスタンリー・フィッシャーが述べたように、アジア危機の一つの教訓は「ケインズ主義は生きており、しかも優れている」ということだった。財政支出の増加が経済を助けたのだ。450億ドルの追加支出が認められたが、先週の株価下落は「資産効果」のリスクを高めた。政府は早速、支出を増やすべきだ。
アラン・グリーンスパンは、先週、「拙速よりも、正確であるべきだ」と警告した。もし彼が、経済の弱点をいわゆる景気刺激策として減税を繰り返すことで補おうとしてはならない、というのであれば、全く賛成だ。長期の財政見通しを悪化させて長期金利を上昇させるのは、彼が指摘したように、全く必要ない。私は、この危機に対して、来年の財政収支まで変えるような法律を作らないほうが良いと思う。
しかし、迅速な行動という意味では、資金を直ちに注ぎ込むことが、上手くするよりも重要だ。楽観的に言えば、韓国の不況でも一年は続かなかったのだから、われわれはもっと上手くやれる。
Financial Times, Tuesday Sept 25 2001
The new economy
9月11日のテロ攻撃以後、ビジネス環境はどう変わるか?
世界同時不況が強められる。回復策がとられても、不確実性が増したことは投資計画を延期させるだろう。多国籍企業にとって弾力性の追求は重要な原則であった。テロ攻撃によって航空輸送に支障があると分かった以上、戦略の見直しが進められるだろう。
世界生産への傾向は逆転しないだろう。しかし、効率を犠牲にしても、各地の部品供給先を重視するようになるだろう。それは、社員の安全をどうやって確保するか、という問題にも関わる。大企業は、アメリカの自由市場思想が世界では好まれていないことを再認識した。たとえ費用がかかっても、現地企業との合弁を重視するかもしれない。
1970年代もアメリカは嫌われていた。今では世界中の人たちがコカ・コーラを飲み、ジーンズをはいている。しかし、アメリカ企業と世界資本主義の意識には長期の循環がある。
(コメント)
アメリカ社会が高い移動性によって特徴付けられるのは、誰もが感じることでしょう。ガソリンの値段が上がって自動車に乗れなくなれば、アメリカ社会は大きく変わるだろうな、と考えたことがあります。こんな形で飛行機が利用されなくなるとは思いませんでしたが。
輸送や移住の可能性が世界経済の構造を大きく変えた、というのは、経済史によって示されることです。植民地やその独立、金本位制や固定レート制の崩壊、多国籍企業や軍事基地の変化、…
もし世界中で、イスラエルのように、本当にテロが繰り返されたら、世界の姿は大きく変わるでしょう。
Financial Times, Tuesday Sept 25 2001
How Japan can recover
Lars Svensson
日本の不況とデフレはすでに10年に及ぶが、さらに10年も続きそうである。ゼロ金利政策も、最近の量的緩和策も効果が無く、過剰な流動性が増えるだけである。
しかし、日本経済を間違いなく急発進させる方法がある。それは、1.毎年のプラスのインフレ目標に合わせて長期的に上昇させるが、消費者物価水準を目標とし、2.直ちに円を減価させて、現在よりも十分に低い水準で固定し、3.円の固定レートを、物価が目標水準に達するまでは、変更しないのである。
日本は、少なくとも二つの理由で、物価を引き上げるべきである。第一に、ゼロもしくはマイナスのインフレは、実質債務負担を増やし、企業や銀行のバランス・シートを悪化させている。第二に、人々が貨幣を保蔵せずに支出するためには、デフレ期待を緩やかなインフレ期待に変えるべきである。
日本はこの目標を、円安と明らかに低い水準での固定レート、例えば、140円や150円で維持することにより、達成できる。割高なレートを維持すること(外貨準備の枯渇)と違って、自国通貨を割安に維持すること(外貨準備の累積)は容易である。わずか数日で、固定レートの信認は確立できる。
世界市場で日本製品が競争力を強めるから、円安は日本経済を直接に刺激する。しかし、より重要なことはデフレ期待をインフレ期待に変えて、国内消費を刺激することだ。投資家は円が永久に過小評価されているはずが無いと理解しており、為替レートが固定されてしまえば、減価を修正するにはインフレが起きるしかないと分かる。それゆえ投資家は、日本が将来はデフレではなくインフレに向かうと信じるだろう。
この提案は有効な退出策を持っている。一旦、物価水準の目標が達成できれば、日本は、イギリス、ニュー・ジーランド、スウェーデンのように、変動レートと低いプラスのインフレ率を目標とした通貨政策に戻れば良い。これによって、物価目標のオーヴァーシュートや過度のインフレも避けることができる。
この政策は、アジア地域やアメリカ政府の同意無しに、日本が単独に採用できる。円安政策に対して、これらの国が反対するのは間違っている。日本がより低い金利を必要としている以上、円安は避けられない。円安が短期的に日本の輸出を増やすとしても、景気が回復し、国内需要が増えれば、日本は輸入を増やすだろう。これは近隣窮乏化政策ではないのだ。中・長期的には、アジアもアメリカも、世界も利益を得られる。
従来主張されてきたインフレ目標政策(と円安)は、個々での提案と矛盾しないが、この提案の方が優れている。消費者物価の目標、円安の固定化、そして固定性からの退出、が含まれているからだ。固定化は停滞とデフレを終わらせ、通貨政策への信認を構築する点で、大蔵省と日銀との対立も終わらせるだろう。
金融部門の整理や構造改革は同時に必要である。しかし、経済停滞の中でやるよりも、景気回復とともに実行した方が、痛みが少ない。官僚たちの争いを終わらせるには、指導力と打開策が必要だ。この方法が、それを可能にする。
Washington Post, Monday, September 24, 2001; Page A19
'We Are All Americans'
By Otto Graf Lambsdorff
1961年、ジョン・F・ケネディーはベルリンに来て、「私はベルリン市民だ"Ich bin ein Berliner."」と述べた。彼は抑圧の海で自由の孤島を守ろうとしているベルリン市民を支持し、自分もその一人であると宣言したのだ。50年後の今、ドイツ議会の多数派、社会民主党の指導者は、議場全体の歓声の中で「われわれはアメリカ人だ」と宣言した。ドイツ人は、今、アメリカの市民たちが友人からの支持を必要としていると知って、それに応えたのだ。
(コメント)
日本の平和(不戦)主義と異なって、ドイツの反応は情熱的でした。ヨーロッパではテロの恐怖が身近にあり、コソボの平和維持でアメリカの協力を必要としており、冷戦後の秩序に積極的に関わる姿勢があるからでしょう。日本の世論がどの程度自衛隊の派遣を支持しているのか、疑問です。
しかし、反戦や不戦は必ずしも平和を維持できないでしょうし、日本政府の曖昧な安保体制への依存や国連重視は、どこまで厳密に検討されているのか、心配です。安保理決議による限り、常任理事国の拒否権を日本の行動に課すのでしょうか? ブッシュ政権が言うように、アメリカは新しい同盟関係の選別と評価を進めているのでしょうか?
国家間の戦争ではない形で、安全保障の定義や国際基準を充実させること(国際的な警察・保安・裁判・情報管理など)を考えて欲しいです。
Washington Post, Tuesday, September 25, 2001; Page A23
Bush vs. Powell
By William Kristol
11年前、パウウェル将軍は、「砂漠の嵐作戦」で当時のブッシュ大統領(父)を説得して、フセイン政権打倒を諦めさせた。今回も、ブッシュ大統領(子)のタリバン政権打倒を諦めさせることができるか?
ブッシュ氏は戦闘を当然としているが、パウウェル氏は回避したいと思っている。ブッシュ氏はまずアメリカが報復するべきだと考えるが、パウウェル氏はテロリズムに対する国際的な連携を重視する。パウウェル・ドクトリンを世界化して、世界の世論が支持しなければ戦争は続けられない、と主張しているように見える。アラファトの組織がテロリストとつながっていることを承知の上で、彼は協力を求めた。
今回もパウウェルが勝つのか? それともブッシュに従うのか?
Bloomberg, 09/26 16:11
There Goes the Globalist Enterprise We Once Knew
By Patrick Smith
至るところでネオ・リベラリズムの崩壊が始まっている。ポスト冷戦時代が終わったのだ。荒れ狂う勝利の興奮とアメリカ資本主義の絶対性は、何千もの死者たちと一緒に葬られた。
市場がすべてを支配し、政府を無視できるほど小さくする。産業の規制は撤廃し、公共機関は民営化せよ。市民生活は際限の無い契約書となり、株価を高める以外に社会的な配慮は追放する。これが私の言う<ネオ・リベラリズム>であり、その外国への誓約がグローバリゼーションであった。
アジアの人々はこの変化を見守るべきだ。太平洋沿岸に「ワシントン・コンセンサス」をもたらした投資銀行家や官僚たちが、話し方を変え、偽善にふける。この20年で最も保守的なアメリカの政府が、自らすすんで認めはしないが、多くの原則が破棄された。
戦闘的右派のアシュクロフト司法長官は市民の自由を次々と反故にしている。ビッグ・ブラザーズの警察国家がやって来た。証券取引委員会は、上場企業が自社の株式を買い戻すことを認めるようになった。それは自由市場の勝利ではなく、市場操作に近い。そして今や財政赤字だ。財政・通貨の刺激策。ニュー・ヨーク・タイムズがいみじくも書いた「重要産業におけるケインズの復権」。IMFと世銀が、ブッシュ政権とは独立に、と当然にいうだろうが、改革はしないが重要な国、パキスタンに融資を増額し始めた。
何か、どこかで見たような気がしないか? 公的資金を利用した株価操作。政府が関与した企業へのリストラ策無しの資金供給。市場を維持するために、債務を積み上げた企業の延命。今度のことはすべて、アメリカ人であった私が日本人になるわけだ。ワシントンはアジアの宿命であった政策を採用しつつある。突然、彼らの弱味が強さに見えたのだ。
アメリカ型の開放市場とグローバリズムは、アメリカ企業の利益を海外に拡張すること以外は何も意味しなかった。必要であれば政府の援助も付いた。グローバリズムと呼ばれていたものは、ユニラテラリズムと同じく、過去の歴史になった。アメリカ型モデルは信用を失った。アメリカ以外の世界企業モデルを探さなければならない。アジアにはその覚悟がある。ワシントンとウォール街が押し付けるもの以外に代案を求めて、官僚も、政治かも、企業も苦闘してきた。そして、そのときが来た。
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The Economist, September 15th 2001
The day the world changed
60年前も、アメリカは攻撃を受けた。真珠湾がアメリカを変え、それから世界を変えた。9月11日の惨劇も、アメリカだけでなく、すべての文明世界に対する宣戦布告であった。それはハワイで起きたこと以上に残虐で、衝撃的であった。アメリカは変わり、世界も再び変わったのだ。
なにがあっても、この国は屈することが無い。アメリカ中で人々は献血の行列に並んだ。空港も株式市場も閉鎖されたが、パニックやヒステリーはどこにも無い。抑制された深い悲しみ、目的、団結、そして怒りがある。
ブッシュ氏の最初の演説は良くできていた。唯一つの欠点は、大統領の危険を重視するあまり、国民の前に現れなかったことだ。しかし、このようなときには指導力を発揮しなければならない。
国際的支援、空港の保安体制強化、捜査と自由主義的な民主主義とのバランス、防衛体制の見直し、NATO第5条の発動、そして報復。
アメリカが防御の内側に閉じこもる危険もある。ミサイル防衛網は世界に対してアメリカを閉ざすものか? われわれは、そうでないことを強く願う。アメリカのおかげで、まさにアメリカであったから、世界は過去数十年間、想像もできないほどの自由と機会とを享受してきた。それを理解しない者は、必ず失敗する。
Afganistan: A bitter harvest
アメリカは自分の正義を追及しだすと、都合の悪いことは忘れがちである。10年以上前にアメリカが行った政策によって、オサマ・ビン・ラディンと彼をかくまう原理主義者のタリバン政権は育てられた。
イスラム社会で死語になっていた「ジハード・聖戦」を復活させたのは、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻してから、アメリカが支援するようになった国際パン・イスラム運動であった。CIAとサウジ・アラビアの諜報機関は、資金をパキスタンのISIやアフガニスタンで戦うムジャヒディンに注ぎ込んだ。
その政策が成功し、1989年にソ連軍は撤退したが、アフガニスタンには武器と兵士、宗教的な激情が渦巻いたまま残された。この10年間で、その悪影響がパキスタン国内にまで及び、若いイスラム教徒たちはさらに国際展開するようになった。彼らの聖戦の対象は、腐敗した湾岸諸国の王族や、南地中海の抑圧体制、さらにニュー・ヨークやワシントンDCへも向けられた。
ビン・ラディン氏はサウジの諜報機関が資金調達のために巻き込んだが、ムジャヒディンの募集と訓練で中心的な役割を果たした。ロシア人が去れば、アメリカは急にこの国から関心を失い、政府はムジャヒディンの内部分裂で崩壊し、無政府状態となった。1995-96年に神学生たちの運動が秩序回復を唱えて拡大し、アメリカ人の容認を得て、パキスタンがこれを支援した。
一方、ビン・ラディン氏は、湾岸戦争の際に、聖地がアメリカ兵に満たされているのを見て、アメリカを敵と公言した。サウジ・アラビアを追放されてアフガニスタンに逃れてから、二度のテロ攻撃でアメリカに身柄の引渡しを求められたが、タリバンは拒否した。アメリカは巡航ミサイルでゲリラのキャンプを攻撃した。タリバンはビン・ラディンを引き渡すことを強く拒否し、彼はゲストとして残った。
Ecuador: Squandering an unlikely recovery
ドル化と原油輸出で、エクアドルはラテン・アメリカのもっとも好景気に沸く経済となった。今年は5%の成長が見込まれている。失業率も、2000年1月の16.8%から10.4%まで減少した。
しかし、成長のほとんどは失った地平を回復したに過ぎない。それは原油価格の上昇に助けられた。ドル化は経済を安定させたが、安定した成長ももたらすのか? 原油は政治家にもてあそばれているし、ドル化がアルゼンチンのような苦痛をもたらさないためには、財政基盤を改善しなければならない。しかし、税制改正や電力産業の民営化、労働法の緩和は進まない。
ノボア大統領は、歳入の一部を将来に備えて蓄えておく制度改革を提案している。それは国債を減らし、将来の不況に役立てられる。しかし、残念ながら、政治家たちの関心は2002年10月の大統領選挙に向かっている。それまで改革案は承認されない、と言われる。安定した成長を実現する政策を政治家たちが行えなければ、30年に一度の、この国の成長機会を取り逃がすことになる。