今週の要約記事・コメント

9/10-15

IPEの果樹園 2001

日本政府は円安政策を選択すべきでしょうか? 河野龍太郎氏はデフレを払拭する方法として、日銀が量的緩和政策を採用する場合、長期国債や株式、社債、土地などをも購入する方法より、世界でもっとも安全かつ流動性の高いアメリカ財務省証券を日銀が保有する方が良い、と考えます(「論点:ドル買いでデフレ懸念払拭」読売新聞、95日)。

少し違う理由で、私もそう思いました。銀行を通じて資金供給すれば銀行融資が増え、国債を購入すれば政府支出が増えて、金融緩和の実現過程を担うはずです。しかし、日本の銀行融資や公共投資が、経済改革や効率性の向上に有効な視点から行われているのか、疑問があります。むしろ円安で、海外の投資家や消費者に日本経済の改革を刺激させる方が良いでしょう。

しかし、大幅な円安はアジア諸国に競争圧力をかけ、日本からアジアへの直接投資や銀行融資を減らし、国内の構造改革圧力をむしろ弱める、と指摘されます(Paul Alapat, “Asia’s Yen Problem,” International Economy, July/August, 2001.)。特に、日本との輸出財が競合する韓国、台湾や、さらに多くの分野で輸出を増やす中国の通貨切下げが起きれば、深刻な影響が出ます。競争的な切下げによるデフレ型調整を回避するには、アジア諸国間で為替レートの安定化が合意されるべきでしょう。

中国からの輸入急増とデフレ圧力に対して、人民元の切上げを求める声が強まっています。しかし日本は経済成長を促す有効な手段をほかに持ち、対外不均衡がもっぱら資本収支で決まります。貿易摩擦や国内のデフレを理由に特定の国の通貨価値に言及するのは不適切です。国内のさまざまな過渡的補償措置に加え、中国との話し合いで摩擦を回避し、為替市場が安定的に調整される余地を拡大して互いの構造調整を多角的に促すべきでしょう。

不良債権を外国の投資家に売るべきでしょうか? 企業の債務処理に伴う失業は抑制すべきでしょうか? 日本の銀行や企業は、失業者を出さないために破産処理や事業部門の分割・売却・合併を回避し、企業組織や給与体系にも手をつけない、と批判されます。円安政策や人民元の切上げに頼らず、たとえ遅すぎたとしても、政府や企業がバブル崩壊後の処理を適切に進める方が良いでしょう。

不良債権や債務を積み残したまま、私たちは貯蓄や売上を償却に当てて、そのたびに経済規模を縮小させたのでしょうか? 適切なマクロ政策を実施し、公的な資金投入を覚悟して銀行システムの破綻を防ぐ以外に、バブルの処理方法は無い、とPosenは言います。日本の政策は、そのうえに政治的な理由で紆余曲折を生じ、不良債権処理の目標を達成できませんでした。日本の政党組織や選挙制度が有効に機能しなかったと思います。

中高年の失業を回避するために、若年層が長期の失業で就労意欲を失ってしまうことは、社会にとって非常に深刻なコストとなるでしょう。中高年が速やかに適切な新しい職場を見つけられる条件とは何でしょうか? デフレ経済は、職を維持できている者・賃金や売上が安定している者と、職を失った者・賃金や売上が大幅に減少する者との間に、深刻な分配上の格差を生じます。職場の移動や職業訓練・再教育の機会、企業形態や最適規模に、大きな変化が求められています。

資本市場の改革だけが「鍵」を握るのではありません。ドイツ再統合やEMU参加のために、ヨーロッパ諸国は増税も受け入れました。銀行部門の整理と金融緩和、自由化と新興企業育成、財政支出の効率的配分から再建へ、これらが日本経済再編の基本方針です。

Financial Times, Friday Aug 31 2001

Japanese bad loans become worse under Koizumi regime

By Gillian Tett in Tokyo

5ヶ月前に小泉氏が権力を握ったとき、株式市場は改革派の首相を好感した。しかし今週、市場に失望が広がった。柳沢金融改革担当大臣が銀行の不良債権処理は2007年までかかる、と認めた後、日経2251984年以来の最安値を付けた。

日本の銀行システムの問題は、単に不良債権の規模だけでなく、明らかに国にもそれを処理する能力が欠けていることにある。1992年以来、70兆円以上を償却しても、まだ不良債権が残っている。柳沢氏は「不況」や「デフレ」を責めるが、多くの意見では問題はミクロのレベル、すなわち不良債権の定義にある。

銀行の示すデータによれば、銀行の資産の5%は明らかに返済不能であるが、11%(79兆円)は返済見込みが「灰色」の債権である。それは一部の有効な企業活動に、多くの不採算部門を抱えた、過剰債務を負う企業であり、利子は支払っているが、元本をすべて返済できるとは思えない。アングロ・サクソン式には、こうした企業を再編することが望ましい。収益の上がる部門だけを独立させて、この健全な企業の債務を削減する。しかし日本では、勝者と敗者を分離することを嫌う文化的な慣習により、銀行は企業に再編を求めにくい。倒産を恥とみなす日本の経営者は、自ら再編を行うことは決してない。

金利があまりに低いために、利子を支払えるというだけでは企業の健全さを示せないことも問題だ。結局、多くの銀行は行動を起こさず、問題を先送りにする。一部で、企業に再編を求めたケースもあるが、銀行にはこうした専門スタッフが欠けている。

不良債権を民間銀行から切り離し、政府が処理することも考えられる。しかし、スウェーデンでは成功したが、日本では機能しないかもしれない。例えば、2年前に設立された債権回収機構は、銀行の債権を購入したが、灰色債権になってしまい、企業再編の能力が無い上、それをオープン市場にも売却しない。

もう一つの選択肢は、不良債権を債権処理を専門とする外国の買収ファンドに売却することである。外国の銀行には、資金も、技術もあり、文化的なお荷物と無縁である。1998年から99年に、Goldman SachsMorgan StanleyCerberusLonestarなどが行ったこうした投資額は、推定で100億ドル(約12000億円)に達した。ただし、それらは銀行と借り手との関係がすでに悪化していた場合に限られる。ここでも、文化的な要因が処理を妨げている。

さらに重要なことは、灰色債権の売却には割り引かれた価格であるから、銀行は損失を認める必要がある。しかし多くの銀行は新しい損失を吸収できる自己資本が無い。外国の銀行が投資しないのではなく、日本の銀行が売却できないのである。

柳沢氏の債権処理に関する発言が、公的資金注入への地均しである、と楽観する者もいるが、政府関係者は法的な措置で「灰色」債務者の再編を助けよう、と考えている。経済が上向くとか、政府が積極的な処理案を進めるとか、金利が上昇するとか、いずれも当面は起きそうに無いが、そうでもしない限り、変化が加速する見込みは無い。


Far Eastern Economic Review, September 6, 2001

ASIAN ECONOMIC OUTLOOK: OVERVIEW

Asia's Red-Queen Economies

By Tom Holland/HONG KONG

アジアは世界経済の落ち込みだけでなく、もっとも低コストの製造業基地となった中国からの挑戦を受け、真実の比較優位に基づく成長を求めざるを得ないだろう。

1990年代の豊富な需要や、輸出産業への資本供給は、もう望めない。明日からは、世界的な経済統合の中で、中国と競争しなければならない。はるかに迅速に経済構造を転換しなければ、今の位置、年率5%の成長、に留まることさえできないだろう。

ナスダックのバブルが破裂し、技術革新に関するすべての神話が失われた。アメリカは技術分野の過剰設備を解消しなければならず、アジアからのハイテク関連輸出はアメリカからの需要が失われた。ヨーロッパも日本も、アジアの期待に反して、それに代わる需要をもたらしてはくれない。

突然の景気減速に直面して、アジア各国の政府は金利を引き下げて投資や国内需要を刺激した。また、通貨を減価させて輸出競争力を強め、財政支出の増額や減税で国内需要を引き出している。その結果、韓国では減速の程度を緩和できた。アジア地域全体がこの例に倣うこともできる。

しかし、金融緩和は必ずしも有効ではない。アジアには過剰生産力があり、融資は伸びず、外国の需要も減少しつつある中で、その効果は限られている。財政政策の余地はある。しかしアジア各国は、不況を抜け出す点で、政府の財政能力が非常に制約されていることを知った。台湾はすでにGDP比4%の財政赤字と、40%の国債累積額がある。シンガポールも、多くの外貨準備がありながら、財政刺激策には慎重だ。ハイ・テク・アイランドとして生き残るための長期的な能力を重視するからである。

中国は、世界経済の落ち込みにもかかわらず、その競争力と輸出財の多様性、他のアジア諸国に比べた貿易依存度の低さにより、景気悪化は限定的である。政府の財政刺激策とWTO加盟による直接投資の増加は、8%の成長を回復するだろう。中国と競争するアジア諸国は、乗り越えがたい難問に直面している。

香港がそのモデルである。1980年代初めには、製造業が香港経済の約50%を占めていた。しかし、今ではそれが10%以下に低下し、おびただしい構造的失業者をもたらす懸念もあったが、今なお失業率は4.7%で台湾や日本より低い。もちろん、香港経済の中国との密接な結合が有利であったし、この地域の経済が非常に弾力的で、資本、労働力、不動産市場が比較的自由であったことは、新しい環境への適応を可能にした。

経済学者は、他のアジア諸国も香港をまねるべきだ、という。台湾やシンガポールが地域の指導的企業を育成しようと補助金を出したが、むしろ新しい輸出産業に資源を振り向けるのではなく、規制緩和して政府は産業から手を引くべきだ、と。むしろ政府は脆弱な銀行システムを強化し、需要と供給に従って市場が融資を配分できるようにすべきである。それは政治的に受け入れがたいかもしれないが、中国の台頭で、アジア諸国ははるかに迅速に動く必要がある。

「何が自分たちの比較優位部門か?」という基本問題に帰るしかない。もしタイが鉄鋼を生産し、マレーシアが自動車を生産したいなら、彼らは貿易障壁を必要とする。なぜなら比較優位が無いからだ。しかし、ナショナリズムのせいで、東南アジアはそれを採用するかもしれない。

中国に対抗して経済を再編することは、部分的な解体や失業の増加をもたらすだろう。しかし、貿易障壁を築く国は、経済発展のレースから取り残されていく。東アジア諸国がこれまでの成長を続けたいなら、一層早く走り続けることだ。


New York Times, September 2, 2001

RECKONINGS

Damaged by the Dow

By PAUL KRUGMAN

1999年後半、ジョージ・W・ブッシュが減税案を初めて言い出した頃、私はテレビを観ながらビールとピザの昼食を食べていた。バーのテレビにはCNBCが点いていた。「これはまずいことになるな」と私は心の中で思った。そして、それが起きた。

1999年にダウは10000ドルを超えた。2000年初めに一時的にそれを切ることもあったが、投資家がダウに退屈してナスダックに移っただけであった。しかし、先週の事態は本物だ。市場全体が下落して、ダウは10000ドルを割った。株価のバブルが完全に終わったのだ。

それが残した混乱のなんと酷いことか!

それは今のところ、バブルがもたらす、ありふれた話である。株価の上昇にユーフォリアが生じて、過剰投資が行われた結果、この先、数年間は投資の減退が続く。しかし、バブルは政治も堕落させた。

結局、ブッシュの減税案がバブルのはじける前に提案されたのは偶然ではなかった。株価の熱狂と減税への熱狂。この二つは同じ方向を目指していた。

1990年代、右派のメディアは株価上昇を煽った。特にThe Wall Street Journalは、株価が上昇していた間、その社説で株価を説明する変人たちの理論を好んだ。『ダウ36000ドル』を覚えているだろうか? それがでたらめな数学に基づいているとか、高収益は永遠に続かない、などと指摘すれば、危険な左翼思想だとみなされた。要するに株式市場は資本主義のもっとも純粋な表現であるから、誰でも市場を疑うような奴は反資本主義に違いない、と。

しかし、より重要なことは、株価のバブルが無責任な政策を一時的にもっともらしく見せたことである。

1994年から2000年まで、税率は同じであったが、キャピタル・ゲインによる納税額が増えて、税収はGDPに占める割合を高めた。その結果、政府には資金が余っているという間違った印象が広まり、巨額の減税案が支持された。

今や、税収は落ち込み、社会保障にも赤字が迫っている。破壊的な減税案を阻止するのは手遅れだ。もちろん、ブッシュ氏は訂正しなかった。市場の熱狂がもたらした減税案は、バブル崩壊後も全く同じまま有効である。税収がまっさかさまに下落しているが、政府は議会に何の問題もないと保証し続けている。

この政権は、状況が変化しても計画を変更せず、ただセールス・ポイントを変えるだけなのだ。すなわち減税案は不況対策となり、社会保障制度の民営化も人々を暴落の恐怖にさらしている。われわれは長年にわたってバブルがもたらした政治的愚策の代価を支払い続けるだろう。


New York Times, September 2, 2001

How Long Can Consumers Keep Spending?

By ROBERT B. REICH

かつて産業社会の対立は企業と労働者との間にあった。新しい対立は、・・・やはり、企業と労働者の間にある。ただし、それは誰が経済を前進させるに足る支出を行うか、という問題をめぐって争われる。もし企業があまりに多くの労働者を解雇すれば、消費者は支出を止めるストライキに入るだろう。

昨年から、企業が支出を削ってしまったが、消費者は支出を削らなかった。もしそうしていたら、アメリカ経済は不況になっていた。消費者が支出を削るのは、貯蓄をしすぎるか、借入れを増やしたがらないからだが、売上が落ちれば企業も支出を減らす。今回は企業が先行した。90年代の後半の投資は行き過ぎであったから、特に技術部門で投資が大幅に減った。

昨年、176万人の雇用を生み出した経済が、今年の3〜7月には民間部門で394000人の雇用を減らした。これは199192年の不況以来、最大の減少である。企業が支出を減らしても、消費者が支出し続けるなら、経済は前進できる。結局、消費支出は経済の3分の2を占めるのだから。しかし、ここに経済対立の核心がある。解雇やレイオフが続けば、いつか消費者は支出を減らすであろう。

消費者の債務額を考えれば、消費の削減は突然起きるだろう。問題は、なぜ消費者が非合理的な豊かさを信じて消費し続けているか、である。石油価格が下がったとか、減税が行われたという以上に、以前の不況や失業に関して、労働者の記憶が薄れていることに理由があるだろう。

1990年代には、失業しても容易に新しい職を得られた。失業率はこの30年間で最低であった。しかし今や、より厳しい現実が迫っている。繁栄の10年間で一定の生活水準に慣れた人々も、ほかに選択の余地が無いと知るにつれて、ベルトをきつく締め直すだろう。請求書は多すぎるし、職場を失う危険が高まっている。

本格的な不況に落ち込むかどうかは、金利の引き下げと政府の追加的な財政支出に懸かっている(お願いだから、社会保障制度の黒字を維持することに拘らないで欲しい)。企業が支出を続けて、被雇用者が非合理的な豊かさを合理的に心配し始める前に、解雇を止めさせることだ。


Financial Times, Tuesday Sept 4 2001

The end of top-down IMF packages

Domingo Cavallo

(コメント)

カヴァロは今回の追加融資に大変な自信と世界的意義を強調しています。そのキー・ワードはlocal leadershipです。融資計画は各国の実情を反映し、各国の主導権に従って、決めるべきだ、というのです。アルゼンチンはその意味で、新しい金融アーキテクチャーの前進を担っている、と。

彼が指摘するアルゼンチン自身の新しいアイデアとは次の二つです。一つは、財政均衡法を議会が承認したこと。もう一つは、中央政府と地方政府の関係を合意したこと、です。カレンシー・ボードを採用した国は、ショックを吸収できるほど価格が弾力的でなければなりません。しかし、賃金契約だけ見ても、アルゼンチンには十分な弾力性がなく、それを補うためには財政が弾力的に変化できなければならないでしょう。

新しいIMF融資は、アルゼンチンのこうした事情を考慮して、中央銀行に準備を補い、それによって最後の貸し手機能を支持することで経済の転換を支持するとともに、自発的、市場型の債務処理を促しています。いわば、IMFがその国の政策決定を積極的に支援する形で協力するようになった、というわけです。

しかし、法律で決めれば財政均衡が実現できるとは限らず、IMFが政権維持に手を貸すには、条件を付けないはずがありません。カヴァロが言うほど大きな違いは無いように思います。それは、破綻を恐れて独裁者の国に融資するのと、どこが違うのか? むしろ、ドルとユーロのバスケット・ペッグ制に向けた移行を明確にして、金融緩和の余地や財政均衡法を緩和できる方策に知恵を絞るべきではなかったでしょうか?


Financial Times, Wednesday Sept 5 2001

Schroeder calls for debate on currency speculation

By Haig Simonian in Berlin and Tony Barber in Frankfurt

ゲルハルト・シュレーダー首相は、ドイツとフランスが投機的な国際資本移動に関する論争を指導して、ヨーロッパの政治課題に反グローバリゼーションの要求を取り込むように求めた。国際金融システムの弱点として、オフショア・センター、ヘッジ・ファンド、デリヴァティブなどに取り組むべきだ、と。

彼はジョスパン氏が示唆した「トービン税」には触れなかったが、反グローバリゼーション運動では、これを世界的な貧困の救済に役立てるべきだ、と主張されている。シュレーダー氏はその欠陥を指摘していたが、最近、反グローバリゼーションの指摘を肯定する方へ論調を変えた。

しかし、ハンス・アイヘル蔵相やエルンスト・ヴェルテケ連銀総裁は「トービン税」を批判している。ウェルテケ氏は、そのような課税のコストは高く付き、国際分業による富の増加を妨げる、とし、また、投機的な資本取引の利潤は大きすぎて「トービン税」に効果は無い、とも言った。同時に彼は、世界金融市場の流動性と経済統合とを賞賛した。

首相は、集団主義的なヨーロッパの社会的価値と、より個人主義的なアメリカの精神とを、明確に区別し、社会問題を重視する。選挙が1年以内に迫ってきたことで、SPDの中道左派に訴えるため、こうしたテーマに重点を移し始めたのである。


Financial Times, Wednesday Sept 5 2001

Responding to the anti-globalisation protesters

投資銀行家で、アメリカの前フランス大使でもあったFelix Rohatynの提案した、発展途上諸国の代表、NGOs、民間企業の指導者なども参加する「新ブレトン・ウッズ会議」は、サディスティックな発想であると思う。それはまるで、ビンの中に何匹もサソリを入れて観賞するようなものだ。

反グローバリゼーションの運動家たちは、ただ一つの点を除いて、意見が一致していない。すなわち、自由資本主義、「企業のためのグローバリゼーション」に反対だ、ということである。共産主義の崩壊は、ユートピアを夢見る自由を既存の社会主義体制から解放したが、自由市場への過信がはびこった。その理由だけでも、反抗には意味がある。

指導者たちは、以下の点で彼らの意見を聞き、それに答えるべきだ。:

@     グローバリゼーションのもたらした問題でなくても、指導者たちは正しく答える必要がある。

A     豊かな諸国の指導者たちは、世界が、特にアフリカが、(市場に任せるだけでは)持続的な成長を実現できていないことを無視してはいけない。

B     世界経済は、特に金融市場は、自由化によって必ずしも上手く機能していない。

C     外部の団体は自分たちの意見を表明し、それに賛同するものを支援しても良いが、条件を押し付けてはならない。各国が自分たちの目的や政策を決定できる。

D     先進諸国は、自分たちの原理が一致している場合にだけ、一緒に行動できる。それを超えた目標を国際機関が求めても実現できない。

E     NGOsが、政策に民間企業の利益しか反映されていない、と疑うのは正当である。

F     世界的な民主主義は存在しておらず、豊かな諸国だけで世界のことを決める権利は疑わしい。

G     指導者たちは今後も決して抗議のすべてに十分な回答を与えないだろう、ということを理解すべきだ。なぜなら政治的指導者たちが責任を負うのはその有権者たちであって、反グローバリゼーション運動それ自体ではない。


Bloomberg, 09/05 00:02

Euro Shows Lack of Identity and Self-Confidence

By David DeRosa

ユーロの価値を変動させているのはドルであって、逆ではない。ドル建資産やアメリカ経済に不安があるときだけ、ユーロの価値は増加する。ユーロは、ドイツ・マルクほども、市民の間にそのアイデンティティーや自信が確立されていない。

ユーロは来年11日から流通し始めるが、今まで偽札防止などを理由に、その紙幣は秘密にされていた。しかしECBは、市場で利用される前に、市民が新しい紙幣に慣れておく必要がある、と考えるようになった。今や公開された紙幣は、実に醜く、退屈な代物である。それはハイテクを駆使してはいるが、要するに、恥知らずなほどEU統合を賛美する政治的宣伝手段である。

多くのEU市民はこの紙幣に憤慨している。ドイツ市民がユーロを嫌っていることは公然の秘密であるが、それが採用されたのは、彼らがその意志を表明する機会を持てなかったからに過ぎない。

EUは、どの国にも偏らないように、紙幣が特定の文化や歴史を現すことが無いように注意した。その結果、紙幣には存在しない橋が、抽象的な「ヨーロッパ」の象徴として描かれている。まさに、ヴァーチュアル・リアリティー銀行券!である。

美術館のようなフランスの紙幣、数学者ガウスの肖像と公式・グラフを描いた10マルク紙幣、など、ヨーロッパ各国の紙幣は個性的で、国民に愛されている。一体どんな政治家たちが、これらのすばらしい紙幣を、退屈な橋の紙幣に取り替えると決めたのか?


Financial Times, Friday Sept 7 2001

The IMF blows the whistle on Japan

Adam Posen

IMFが日本の銀行システムに特別査察を申し入れたのは、日本に改革の時間が残されていないからだ。IMFは、世界の金融システムの安定性に責任を負い、危機後の救済ではなく危機の予防に重心を移せ、という要求に応えた。

小泉政権は選挙を通じて改革の追い風を受けてきたが、政策の詳細が発表されてから逆風に変わった。そこで小泉氏は自民党内の公的資金再注入論を非難し、資本強化と償却で問題が解決できるという幻想を振りまいた。塩沢財務大臣は日銀の金融緩和を評して、インフレの心配に言及するという過ちを犯した。だからこそ、IMFが、今、行動を起こすのは正しい。

1997年前半のタイのように、IMFは難しい政治的判断を求められる。市場に問題を起こすことで、当局が避けようとした危機を逆に引き起こすのではないか? それでも警告を発するのは、危機の蓋然性が非常に高く、当事国に適切な政策を実行する機会が無く、市場の圧力が政策変化を促すほど強くない上に、他国への波及を限定できるかもしれない、と確信するからである。

199799年のアジア危機において、IMFなどの外国の金融機関や債権者が日本に圧力をかけなかったのには理由がある。第一に、日本の金融的脆弱性に警告を発すれば、世界的な問題に拡大しかねなかった。第二に、日本の当局が問題を解決する機会があると思われた。最後に、世界経済が回復して問題を緩和すると思われた。

小泉氏の政権が4月に誕生したことは、ブッシュ政権に期待を抱かせた。日本を「叩く」よりも、安全保障上の同盟関係を重視するようになった。しかし、金融的なリスクを放置するのは危険すぎる。不況とデフレが日本の不良債権を増やし、アメリカもヨーロッパも減速し始めたことで、リスクは大きく増加した。小泉政権の改革案は、銀行の資本強化を公的資金で行わず、緊縮的なマクロ政策を目指す点で、リスクを減らすよりも増加させるものであった。

痛みに直面して始まった短期的な軌道修正はさらに悪い。要するに、長期的に無視されてきた日本の不良債権問題は、資産価格が減少し、投資と消費に大きな穴をあける以外に、解決策は無いのである。不良債権の償却を管理することは、銀行システムの崩壊を許すことよりも望ましい。しかし、IMFが先取り政策をうまく実行できても、加盟国が無責任な政策を続けるなら、その成果は限られている。

日本が金融危機に陥るかどうかとは別に、IMF監査は三つの点で望ましい先例となる。1.秘密裏に圧力をかけたり、危機が起きてからそれを承認したりするのではなく、公開で政府に説明を求め、真に、予防策を目指している。2.IMFの基準が世界経済に対するリスクの大きさによるのであり、その国が貧しいとか、IMFとは別に融資を得られるということから判断されていない。日本はIMFの二番目の大株主であり、国際収支も黒字である。3.金融的な安定性に対して透明な銀行監督が重要なことを再確認する。

IMFの予防措置の価値は、日本がこの先に破局を迎えても、見失われてはならない!

(コメント)

著者のAdam Posen氏は、欧米読者向けとは別に日本向けに、日経新聞827日にも意見を載せました(「経済教室:銀行の資本増強を第一に」)。そこでは、銀行システムを再建し、財政政策と金融政策を有効に使用することを薦めています。しかし、そのためには三つの方針転換が必要だ、というのです。すなわち、1.銀行に資本再注入の必要は無いという柳沢金融担当相の方針。2.国債発行の上限を30兆円とした小泉首相の方針。3.日銀の金融政策の目標設定まで独立性を許した日銀法。

Posen氏は、銀行の数を減らして収益性を高め、不良債権処理を強制しても資本注入して健全性を確保すれば良い、と考えます。他方で、国債の発行に上限を設けず、歳出の中身を効率的に配分し直し、政府がインフレ目標を決めて日銀に金融緩和を続けさせれば、マクロ的な均衡が回復される、と言うわけです。

政府が決意すれば、例えば、国債の増発で30兆円の資本を銀行システムに再注入することはできるでしょう。しかし、どの銀行をつぶすか、どの歳出を削るか、というのは、政治的な交渉を必要とし、容易に行えないでしょう。政府が決めるインフレ率が適当かどうか、日銀がそれを達成する政策が適当か、という点で、互いの不信感が解消できるとは限りません。Posenが指摘した三つの方針は、日本の国内政治に関わって必要とされました。

それが個別の銀行や企業、公的部門の改善につながるのか? という問題もあります。Posenの批判に対して、日本の関係者(政府・官僚・日銀・銀行・投資機関・企業・消費者・労組・地方・国際機関など)は、匿名で率直な意見を交換し、その要点を必ず公開する定期会合を、継続して持ってはどうでしょうか。異なった複数の政策や制度の目標と効果に関して、関係者の合意や対立を示すことで、対案や方針転換、自己改革を加速できると思うからです。

The Economist, August 25th 2001

グリーンスパンは不況を回避するために努力しているが、各地でそれはすでに手遅れとなった。メキシコ、シンガポール、台湾、その他、次々と各国が不況に落ちている。世界生産は、20年間で初めて、二つの四半期で連続の減少となる。

今度の不況は、1.1930年代以来、もっとも広範に及ぶ世界同時不況である。2.インフレ率が低く、アメリカには財政政策を採る余地もあるが、金融政策が有効に機能しない。長期金利は少ししか低下せず、株価は逆に下落し、ドルも減価していない。3.インフレ抑制のための金融引き締めではなく、投資ブームの破綻が不況を導いた。その結果、経済には過剰設備と過剰債務が残っている。それゆえ、不況は長引くだろう。

ドルが減価することを歓迎するものもいるが、アメリカの経常収支赤字を考慮すれば、急激なドル暴落が起きるかもしれない。それはユーロや円を増価させて、ヨーロッパや日本に不況が輸出される。特に日本は、すでにゼロ金利であり、円安を望むしかない。主要国が為替市場を操作できるなどと思うべきではない。


IMFの賭けは、緊縮財政と債務組替えが民間市場の投資家たちにアルゼンチンの危機が終わったと信じさせ、金利が低下することである。しかし、そのためには一切の懸念が、特にデフォルトと切下げの心配が完全に払拭されることしかない。延期されるだけでは無意味である。より巨額の融資と、アメリカ政府がアルゼンチンの失敗を許さないという強いメッセージが必要だ。

アルゼンチンの金融不安は引き延ばされた。投資家の雰囲気はほとんど変わっていないし、アルゼンチンが成長を回復することのできる政策も示されていない。


輸出が落ち込んでも、中国経済は8%近い成長を今年も達成できるだろう。しかし、衣類や家財、輸送・通信費の値下がりを見れば、中国もデフレと無縁ではない。都市部では雇用の70%が今も国営部門による。一方で所得格差が拡大し、国営部門が担う社会保障制度や雇用が解体されるにつれて、消費は減少する。公務員の給与引き上げや輸出促進策で、政府は景気を刺激しようとしている。

この3〜4年、政府の住宅建設促進やインフラ整備政策が重要な刺激策であった。しかし、公的債務を無限に増やすことはできない。財政赤字は膨張し、銀行システムへの保証が隠れたコストを増加させている。他方、成長のエンジンとして期待された地方の市場は、WTO加盟で輸入農産物との競争にさらされる。

中国は、富を効果的に分配し、労働コストを低く維持するためにも、毛沢東時代の労働力移動禁止を撤廃すべきである。しかし、それは都市のインフラ整備などに莫大なコストを追加して、政治問題となる。

他方、中国の工業力が向上することは、近隣のアジア諸国に発達してきた国際分業構造を破壊すると恐れられている。中国は「雁行形態」で飛行する雁ではなく、むしろ19世紀のアメリカ経済に似ている。中国には生産過程のすべてが集まり、世界価格を決定できる規模を持つ。

しかし、第二のアジア危機を喧伝するのは間違っている。貿易を決めるのは、絶対優位ではなく、比較優位である、と示した19世紀前半の経済学者、デイヴィッド・リカードを思い出すべきだ。問題は、アジアが新しい比較優位を貿易パターンに反映させる柔軟性を欠いていることだ。タイが製鉄所を閉鎖すれば、都市労働者の賃金は下がり、たとえ米の輸出で農民が豊かになっても、その政治的な所得移転は難しい。

もう一つの見失われがちな視点は、輸出を増やす中国の通貨が増価し、他の通貨は減価することだ。各国は産業構造を転換して中国の成長から利益を受けるだろう。確かに台湾が生き残るのは最も難しいが、どこでも政治家に頼るまやかしの企業家たちは没落する。