今週の要約記事・コメント
7/16-21
IPEの果樹園 2001
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大学の最適規模は何によって決まるのでしょうか? 企業の最適規模、都市の最適規模、通貨の最適規模、あるいは、国家の最適規模・・・?
クルーグマンは、言葉と同じように、通貨が取引費用を減らすという意味では、世界単一通貨が望ましいだろう、と考えました。大学も、誰でも自由に学べて、できるだけさまざまな科目が選択できるという意味で、学生数も教員数も多ければ多いほど望ましいでしょう。世界でたった一つの巨大な大学が存在する都市は、かつてのアレキサンドリアかローマ、現代のボストン、ケンブリッジのように、私たちの社会にすばらしい条件を提供してくれるかもしれません。
しかし、大学はしばしば政治的指導者や優秀な官僚、エリートの育成を目標としています。その場合、世界が単一の社会的な共同体でない以上、各国や地域の分離主義者が独自の大学を要求するでしょう。各国は異なった伝統やその国の利益を正当化する研究を優先し、授業内容や教科書を制限します。それ以外の優れた知識は、たとえば漫画やアニメのように、大学の外にしか育ちません。
肥大化した都市が社会的な革新能力や自由な発想を失っていくように、大学の巨大さそれ自体が質的な劣化をもたらしている、と思うときがあります。煩雑な履修要綱と登録手続き、誰に話しているのか、誰が話しているのかも分からない大教室の講義、実質的な議論もできない教授会、有効に使われない施設、予算やポストの奪い合い、単位や就職のことばかり気にする学生からの質問・・・
アダム・スミスが警告したように、大学ギルドによる保護主義は講義の中身を失わせ、授業料や大卒の初任給だけを高くしました。市場による競争を免れ、学生からの質問を排除し、自分たちが社会の要求に応えているか自問しなくなった大学教師や学生は、バブルに栄えた銀行と同じく、その規模を大幅に縮小しなければならないのでしょう。
近代化にともなう「学歴病」を指摘したロナルド・ドーアは、教育を受けた労働者が就く十分な雇用が供給されない、という点に産業社会や民主化の変化を予感しています。情報通信や輸送のコストが劇的に低下し、ホワイト・カラーやブルー・カラーの仕事が十分な所得も安定した生活をもたらさず、職業として社会的な尊敬を得られないとしたら、市場によって社会的な資源配分を効率化することが制限される理由になるかもしれません。
もし自分たちの職業と社会的な多様性を人々が好むという理由で、農業や手工業が保護され、たとえ人の嫌がる労働であっても、社会的に必要となれば進んで従事する人が尊敬されるとしたら。社会の参加者すべてに雇用や最低生活水準が保証され、子育てや老後を楽しく過ごす地域社会を中心に、大学の持つ意味を考え直すとしたら。キャンパスを歩く教員や学生の態度はまったく異なっていたはずです。
大学の最適規模は、効用最大化や最適化アプローチとともに、次第に捨てられていくでしょう。そして人々は、自分にとって大学とは何か? という最初の問いかけに戻ります。
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New York Times, July 8, 2001
A Strong Dollar Clouds Prospects for Quick Rebound
By RICHARD W. STEVENSON
Fedの6度に及ぶ金利引下げにもかかわらず、ドルは他の主要通貨であるユーロと円に対して減価せず、その結果、アメリカがその製品を海外で売る際に値段が高くなってしまった。ヨーロッパでも日本でも成長は思わしくない。こうして、海外からのアメリカ製品への需要が減っていることは、アメリカの景気回復を難しくする。
この数週間だけでも、アメリカの主要企業が収益の悪化をドル高のせいにした。従来は、景気循環の悪化局面ではドルが安くなり、海外市場のアメリカ製品を安くして、国内の売上減少を緩和した。しかし、ドルが強くなれば、海外での売上をドルに換算すると減ってしまう。大企業のレイ・オフが増えるだろう。
ドルが特にユーロに対しても強くなったことは多くのアナリストを驚かせた。しかし、それは投資家や企業幹部たちの信念を単に反映したに過ぎない。すなわち、アメリカが他のどこよりも投資するのに適当な市場である、と。株価が暴落しても、企業が投資を減らしても、アメリカが金利を引き下げて不況を回避するために闘っていても、投資家はヨーロッパやアジアで株や債券、工場を買うより、ドルを保有し、アメリカの不動産を保有した。
「アメリカが止まれば、それ以外の経済もさらに悪化することを、誰もが知っている。アメリカこそが世界の成長のエンジンなのだから。」
アメリカは金利や税金を引き下げたが、ECBやヨーロッパの諸政府は刺激策を採っていない。日本はすでに短期金利をゼロにまで下げており、巨額の財政赤字を出している。しかし、銀行部門の不良債権にはほとんど改善が見られない。主要諸国の減速は、他の地域に不況を強いている。
強いドルと世界経済の悪化は、アメリカの回復を妨げない、とも主張されている。金利引下げと減税で景気回復は可能である、と。しかし、ブッシュ政権への強いドル政策見直しへの圧力は高まっている。政府は、他国が通貨価値を高める方法は一つしかない。それは競争力を高めることである、という。しかし、特に製造業者は、ドルの価値を国際的な協力によって引き下げるべきである、と求めている。
それは難しいが、銀行家や政治家たちも検討しなければならないだろう。
Financial Times, Monday July 9 2001
The hedge fund bubble
Barton Biggs
ヘッジ・ファンドの熱病がアメリカとヨーロッパを覆っている。それはテクノ・バブルほど巨大ではなく、それゆえ危険でもないが、金融市場にかなりの衝撃をもたらすだろう。その原因は、やはり「合成の誤謬」である。それぞれの決定は合理的であるが、それは他人が彼と同じ事をしないときだけである。突然の火事には、全員が出口に殺到する。明らかに、金の卵を産むガチョウを、多すぎる資金流入が絞め殺すだろう。
ヘッジ・ファンドは景気の良いときも悪いときも利益を出せる、という確信は、弱気の市場で試されたことが無い。技術関連株の投資が失敗し、個人の株式投資が収益を大幅に悪化させた後、世界の攻撃的な資金はヘッジ・ファンドを目指している。最初は裕福な個人だけのものであったヘッジ・ファンドが、ますます多くの基金や財団、年金から資金を受け入れている。今では4000億ドル以上の自己資本と、およそ6兆ドルの投資額が、まったく規制されない、高度にレバリッジされた取引を成している。
そこには、ヘッジ・ファンド自体か、あるいは通常のファンドからの出資、仲介を目的とした投資銀行、コンサルタント業者、が参加している。個々のヘッジ・ファンドに関する情報は無く、ファンドやコンサルタントは投資選択だけでなく、投資戦略や資金の引き上げにも影響力をもつ。ヘッジ・ファンドに関わる4者には利益相反関係があり、このことを自分たちの契約者に知らせていない。投資信託が集中的な検査や報告義務に従っているのに対して、ヘッジ・ファンドは秘密にされている。
アメリカだけでなく、ヨーロッパにもこの熱病は広がっている。毎日のように新しいヘッジ・ファンドが設立され、資金流入が増え続けている。それはすでに人口過密状態である。すると、収益は減ってくる。LTCMを覚えているだろうか?
旧来の名門ヘッジ・ファンドに資金は向かうが、彼らは十分に裕福になって資金を受け入れない。そこで彼らの弟子たちに資金が集まっている。一人の若者が3億ドルを集めて、最初の年に大当たりを出し、一気に10億ドルを稼ぐ。しかし、数年、失敗が続けば、その資金は消失する。無能なヘッジ・ファンドが多く設立されている。他方、旧来の名門ファンドを避けるべきだ、とも言う。彼らは金持ちになり過ぎた老いぼれである。こうして、莫大な資金が、口達者な、成り上がりの、手が早い若造に、奔流となって流れ込む。レバレッジを多用した、経験不足の若者が、浮動的な市場で大金を動かす、という危険なカクテルのできあがりだ。
もちろん、彼らはみんな天才かもしれない。多分、19680年代や70年代と比べて、レバレッジの使い方や強欲の抑制の点で、より堅実かもしれない。しかし、多くの新しく設立されるヘッジ・ファンドが破綻し、投資家が損を被るのは確実だ。しかし、それは市場にさざ波も起こさないだろう。「資産効果」が問題になることも無い。投資家としては、それでも、注意しておくべきだ。
Bloomberg, 07/08 15:35
For Singapore's Banks, Statism by Another Name
By Patrick Smith
「われわれは現在の構造を破壊するよりも、既存の物の上に建設しなければならない。」と、Goh Keng Sweeは25年前に述べた。シンガポールの指導者たちは今もそう考える。現在進められているシンガポールの銀行同士による買収合戦を考える際にも、その考えは重要である。
それは6月12日に、シンガポール第三位のOversea-Chinese Banking Corp.がKeppel Capital Holdings Ltd.を26億ドルで買収する提案から始まった。10日後、シンガポール最大のDBS Group Holdings Ltd.が52億ドルで第四位の Overseas Union Bank Ltd. を買収すると申し出た。これに対してUnited Overseas Bank Ltd.が55億ドルの対抗買収案を示した。
シンガポールの銀行業が再編されるのは間違いない。政府はそれを市場の力に任せるのだろうか? 私はそう思わない。シンガポールはいつでもテクノクラートの設計に従って進んできた。彼らの剪定バサミはこれらの買収提案にも示されている。
世界化の時代に、巨大になることは望ましいし、市場を開放することはより効率的である。しかし、グローバリゼーションが機能することと、シンガポールで起きていることとは別である。「積極的な介入主義者」Gohの指令に従ったシンガポール建国のイメージが銀行合併でも守られている。1980年に彼がシンガポール通貨庁MASの長官となって以来、二大銀行への集約がまた一歩進んだ。
政府はシンガポールの銀行が外国の競争相手に負けないほど巨大で効率的であることを望んでいる。Lee Kuan Yew の長男で現在のMAS長官Lee Hsien Loong は、銀行自由化に関する新しい法律を示した。しかし、ここにはグローバル化させない矛盾が存在する。1990年代半ばの危機以来、シンガポールは日本の採って来た戦略に関心を寄せている。すなわち、外国人を排除しておくために彼らを招き入れる戦略である。
外国との競争は非常に強まっているが、シンガポールの銀行を外国の機関が支配することは、決して考えられていない。「銀行をシンガポールに強く結びつけることが、金融的・経済的な安定性を保証するだろう」とLeeの息子は述べた。シンガポールは脆弱な国家であり、不確実性は骨の髄にまで染み付いている。
例えば、最初のOCBC'によるKeppel Capital買収提案は、Keppelの45%を政府が所有していることから、今回の買収合戦を導いたと思う。また、DBSのOUB買収提案にもテクノクラートが介在する。確かに、DBSの政府保有比率は37%から25%に下がるが、同時に、完全な民間銀行を新たに支配するのである。<グローバリゼーション>として見えたものが、数分後には<ナショナリゼーション>であると分かる。
Lee Kuan YewはGohとともに独立を指導した仲間であり、MAS長官Lee Hsien Loongは何よりも彼の息子であるから、これは当然であろう。
しかし、市場の機能は混乱しつつも不可欠である。シンガポールの銀行部門はこの点で不十分だ。合併される銀行は小さいが、上手に経営され、市場に繁栄の隙間を見い出し、攻撃的である。市場競争は9月にモーゲージ市場を開始させたが、DBSは競争を嫌って、参加したのは最後であった。
Lee Kuan Yewの長い統治時代において、政府は企業家たちを決して信用しなかった。
Bloomberg, 07/08 00:28
On How Brazil Failed to Con the Currency Markets
By David DeRosa
ブラジル中央銀行総裁Arminio Fragaが外国為替市場への新たな介入に踏み切った。木曜日、彼は今年中にブラジル・レアルを60億ドル、均等に買い増していく、と公表した。
中央銀行家はたいてい、将来の外国為替市場介入を知られることが大嫌いだ。市場には何も知らせずに、最大限の驚きをもたらす。また彼らは、介入にいくら使ったか、その額を特定することを好まない。
ところがFraga総裁は秘密をぶちまけ、このルールを破った。通常の市場介入では、中央銀行家は警告なしに、突然、コブラのように襲う。これに対して、Fragaはボアのように絞め殺すほうを好むようだ。彼は規則的にレアルを買い上げ、ゆっくりと市場を締め上げる。60億ドルを目指す場合、彼は毎日およそ5000万ドルを使って、レアルを買うことになる。もちろん、市場は彼の計画を嘲笑して、直ちにレアルを2%減価させた。
外国為替市場への介入が成功するためには、中央銀行がトレーダーたちを「間違った足場」に立たせることだ、と知られている。すなわち中央銀行が突然市場に介入することで、損失を回避するためトレーダーたちにその持高を清算させるのである。言い換えれば、中央銀行が市場を転換させ、流動性を枯渇させるのである。株式市場であれば、これは価格操作として禁じられており、それに関われば刑務所行きだ。しかし外国為替市場では、中央銀行もやってよい。
もちろん、介入は一時凌ぎでしかない。ブラジルの問題の根は他にある。第一に、この国は工場を動かす十分な電力を供給できない。旱魃で水力発電機が動かせない。第二に、ブラジルの隣国、アルゼンチンが債務と通貨の危機を招いている。アルゼンチンはユーロとドルのバスケットに交換される(貿易に関する)コマーシャル為替レートを創ったが、IMFなどはそれを切り下げとはみなさないが、私は、要するに8%の通貨切り下げを行ったのだ、と思う。
だからFragaが何を計画しても無駄であろう。ブラジル経済や通貨の問題は、彼のコントロールできない原因から生じている。
New York Times, July 8, 2001
A Leap in the Dark
By PAUL KRUGMAN
ある意味では、私は日本の経営者や官僚についてもっと否定的なことを書ければよいのに、と思う。もし日本の経営者たちが近代的な経営をまるで知らず、官僚たちは頑迷で愚昧であれば、日本の経済的な苦境は社会・政治システムがひどく間違ったものであるから生じた、アメリカでは起こりえない、とたかをくくっていられただろう。しかし、私が話した人々は情報を得ており、理性的であった。日本がブームに酔っていた時期に比べて、ずっとまともになったと言える。しかしまだ、私の日本に対する印象は良くない。
もし善意と情熱がマクロ経済の問題を解決できるなら、日本の景気回復はもうすぐだろう。小泉首相の空前の支持率と野心的な「構造改革」案は実行されつつある。だが、その内容を考えれば、疑問が湧いてくる。
彼の「構造改革」とは二つの主要な要素からなる。強制的な不良債権処理と、公共事業の削減である。それはもちろん正しいだろう。遅かれ早かれ、日本の銀行は帳簿を付けるしかないし、公共事業は無駄と汚職の温床でしかない。しかし問題は、日本経済が非効率ではなく、需要不足に苦しんでいることである。小泉氏の改革は問題を悪化させる恐れが強い。銀行の不良債権処理で発生する失業者は、経済が引き続いて停滞しているなら、さらに多くの失業者をもたらす。
私は竹中平蔵教授に質問した。彼は日米を渡り歩く人気者であり、小泉政権の経済計画を作った人物である。竹中氏はこれが「サプライ・サイド」の計画であると認めている。需要の不足している時期に、日本経済の効率化を目指している。しかし彼の考えでは、結果的に、改革が需要も増やすのである。消費者は経済の長期的な見通しを改善し、財布を開くだろう。特に、規制緩和と民営化で構造改革が進めば、新しいビジネス機会が増えて、投資も急増する。
まあ、そうかもしれない。しかし、その計画は暗闇に飛び込むようなものである。過激な政策が、その効果を信じることのできる確実な理由によってではなく、効果があるかもしれないからという理由で、選択された。それが成功するとしたら、金融政策を行う日銀の同じくらい大胆な行動で支援される場合であろう。しかし、日銀の態度は小泉氏と対照的である。
小泉氏は成功するだろうか? 私の感触は良くない。「改革か、さもなくば破綻か!」というスローガンは、危険なことに、「改革による破綻へ!」となるだろう。
Financial Times, Tuesday July 10 2001
Central bankers fear the effects of strong dollar
By Ed Crooks and Christopher Swann in London
スイス、バーゼルでG10の中央銀行総裁会議が開催された後で、議長のサー・エドワード・ジョージ、イングランド銀行総裁は、ドル高が大西洋の両岸で望ましくない効果を持ち始めたことに言及した。このコメントは、主要国の経済がドル価値の下落を歓迎する、と、異例の率直さで示したものである。
ドル高はアメリカの競争力を損ない、製造業を苦しめている。同時に、ユーロ・ゾーンの輸入物価を押し上げ、消費を妨げるとともに、ECBは金利引下げができない。世界経済にインフレ圧力は無いから、もし景気が良くないなら金利が再び引き下げられるだろう。しかし、ドル高がユーロ・ゾーンのインフレとアメリカの経常赤字に悪い影響を与えている、とG10は感じている。
先月、ドル高に言及したグリーンスパンは、それがアメリカのインフレ率を抑えているとだけ述べた。たとえドルがユーロに対して下落することは望ましいとしても、急激なドル安はアメリカ市場に対する投資家の信頼を損ない、大きなマイナスとなる。アメリカが減速しても、ユーロ圏と日本がより優れているのでない限り、ドル高は続く。2001年の第一四半期にも、経常収支の赤字額が1096億ドルであったのに対して、証券投資と直接投資の合計額は1280億ドルに達した。
ドル高は新興市場でも問題を起こしつつある。アルゼンチンとトルコの不安定化は、ある意味では、ドル高とも関係がある。
Far Eastern Economic Review, July 12, 2001
CHINA: Breaking Barriers
By Bruce Gilley /BEIJING
「地域的な市場障壁」を非合法化するという趣旨の通達が、4月に、通常の経済政策とは違って、中国語だけで発令された。中国政府は潜在的な海外投資家に都合の悪いことは秘密にする。この20年間に世界市場向けの開放は進んだ一方で、あからさまな道路封鎖から洗練された技術基準まで、地方政府によるさまざまな保護主義が、国内経済はますます分割してしまった。
WTO加盟後は、中央政府が国内管理を統一し、明確な政策を実施する上で、この国内市場の障壁がますます深厚な問題になる。自由貿易の約束が、北京にこうした改革を進めさせる理由となる。
13億の人口に27の地方、4つの地方に匹敵する巨大都市が、地域取引の障壁を至る所に持つ。問題は中央政府の弱さや、20年に及ぶ改革で国家規模の計画経済から地方の官僚型資本主義に転換したことにある。タバコや酒は他の州で取引することが禁じられている。農産物も、ボトルに入った飲料水やビールも、禁止されたり、各地の規制に従って何倍も支払わされたりする。新聞でさえ規制される。
サービスの供給はより厳しい障壁に直面する。銀行業では、中央銀行が地方の小規模な攻撃的銀行に他地域への支店開設を規制し、国立の四大銀行による支配を維持しようとしている。制限は企業が他の地方へ支店を設けたり、他企業を買収したりするために資本移転することへも及んでいる。地方間の資本取引は法的にも規制される。なぜなら各地の裁判所は地元企業に有利な判決を出すからである。
こうした地方政府による保護主義は、価格を引き上げ、非効率的な投資を増やすが、その影響は測定しにくい。しかし多くの部門で見られる過剰生産力は明らかにその結果である。ほとんどすべての地方が洗濯機やカラーTV、冷蔵庫の生産者を持っている。全国に120もの自動車会社がある。中央政府は6社に絞り込みたがっているが、22の地方・都市が自動車部門を将来の中核産業と位置付けている。このままでは国際的な自動車会社から見放されてしまう。
国内市場における障壁の多さは、中国の輸出が改革によってなぜあれほど伸びたかを部分的に説明する。すなわち、輸出が二桁の成長を示したのは、それだけ国内市場で売ることができないからであり、同様に、中国が莫大な海外直接投資を吸収し続けたのも、国内の貯蓄を非効率な国営企業に消尽したことを反映している。
「20年間の経済改革により、過去何十年もラテン・アメリカで見られたような、保護された産業と結びついた地方官僚に支配された封建領地として分割された国内市場が残された。」と、シカゴ大学のAlwyn Youngは最近の論文に書いている。「中国経済は国際的に開放されたが、国内的にはますます分割されつつある。」
中央政府の試みにもかかわらず、保護主義は構造的な問題となっている。地方の指導者たちは地域利益を守ることに強い動機を持つ。国家計画局の報告書は二つの具体的な改革を提案している。一つは、財政制度を中央集権化して、地方官僚が地元の企業からの税金に依存しなくてよいようにする。もう一つは、地方の党員が各地の経済成長率で昇進できる評価システムを廃止する。
しかしこれらの提案も実現されず、北京政府はより一般的な形で地方政府の経済介入を減らそうとしている。国営企業の民営化、規制の簡素化、技術的標準や株式上場のように、独立の経済部局に処理させる、などである。しかしまだ、地方政府が握っている経済権限はかなりある。
地方政府の障壁であっても、中国に対する制裁が課されるかも知れない。それは、国際貿易に参加する正式なWTO加盟国として、中国政府の最大の悩みになるだろう。
(コメント)
FEERの同じ号 (July 12, 2001) に Heribert Dieter, “THE 5TH COLUMN: East Asia's Puzzling Regionalism” が載っています。
「1997−98年の金融危機によって自分たちの協力制度が必要なことを学んだアジアは、チェンマイ・イニシアティブで共同の通貨危機回避策を目指した。アジアが、今後、長い地域統合への歩みを続けるためには、強力なリーダーシップと共通の目標が必要である。しかし、日本はワシントンへの配慮もあって、この役割を果たそうとしない。日本が考えるような、IMFの承認を得なければ動けない緊急融資では、アジアの地域協力が無駄になる。
他方、通貨危機回避策に行き詰まったアジア諸国は、各国毎に外貨準備を増やしている。また最近、相互の自由貿易協定に動き始めた。その中心は、アジア通貨危機でも責任ある役割を果たした中国である。アジア諸国は、その指導力と目標について、日本ではなく中国と話し合うべきかも知れない。」
日本の金融部門が再編され、成長が回復すれば、また、中国がWTO加盟後の困難な国内改革と保護主義の克服に取り組むならば、日中間で、より真剣な交渉が行えるような時期が来ると思います。両国とも、アジア地域に共通の目標が示せるような、国内改革に成功することが条件なのです。
Financial Times, Wednesday July 11 2001
All risk and no reward in Latin America
Rudi Dornbusch
アルゼンチンが再び綱渡りを始めた。ブラジルのレアルも今年になって25%減価した。メキシコ・ペソはドル高以上に増価している。ラテン・アメリカはこの緊張を打ち破れるか? それとも、再び落胆が襲うのか? 悲しいが、後者であろう。
ラテン・アメリカは資金流入があれば良さそうに見える。アルゼンチンの1970年代後半や、ネメム政権の時代は、「シャンパン付きのピッツァ(鴨がネギ背負って来た)」時代と呼ばれた。そのたびに海外投資家はすべてが変わったと説得された。しかし今日、投資家の関心を再び南に向けるのは難しい。ラテン・アメリカ投資はリスクだらけだ。
第一に、新興市場が資産として分散投資の対象になると考える者はいなくなった。次に、世界の過剰な貨幣供給がなくなった。確かに金利は下げられたが、それは世界経済が不振の結果であり、ラテン・アメリカに向かわない。最後に、アメリカ、EU、日本の成長鈍化はラテン・アメリカの輸出を減らし、安易な成長シナリオを不可能にした。
ラテン・アメリカに投資家が戻らないのは、次のような将来の見通しによる。過去において、ブラジルやアルゼンチンのハイパー・インフレ鎮静化が投資家の楽観をもたらした。また、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンでは規制緩和と政府の改善、民営化が、投資の殺到をもたらし、政治的な困難をもたらした。もはや資産は売り切れてしまった。最近では債務のリストラクチャリングに必要な資金にも不足している。
今後の見通しは国によって違うが、アルゼンチンは最悪だ。カヴァロ財務大臣は手品師のような人であったが、もはや種切れである。アルゼンチンの問題はドルとの固定レートによる交換ではない。メキシコ通貨の方が実質的な増価は大きい。むしろ長期的な投資の不足、財政収支の混乱、政治の分裂が問題である。カレンシー・ボードを維持しても、しなくても、アルゼンチンの苦痛は続き、債権者は何よりも失望を感じるだろう。
ブラジルは、アルゼンチンより市場規模が大きく、よりダイナミックで弾力的である。政治は窒息していない。むしろブラジルの問題は、アルゼンチンの隣国であること、そしてラテン・アメリカにあること、だ。インフレ目標を守れず、成長は減速し、予算が再び悪化し、国内債務の支払いも問題になっている。ブラジルの将来見通しはさらに悪い。来年は大統領選挙である。成長区が減速して、左翼の連立政府ができるかもしれない。ブラジルの所得分配は世界でももっとも不平等な状態にある。
コロンビアの内戦、ヴェネズエラの独裁者、ペルーの政治的混乱、しかし最も興味深いのはメキシコである。メキシコ通貨は、インフレ目標と変動為替レートで非常に増価している。いつも6年おきの選挙のたびにペソが暴落し、政権が変わった。安定的な政権移行が実現したのはZedillo前政権のおかげである。しかし今や、アメリカ経済の減速とペソの増価、NAFTAの幻想が覆っている。
アメリカの安定が持続し、メキシコが改革を進めれば、ペソの現在の強さも、将来は、正しいと言えるだろう。しかし当面、過大評価された通貨は成長を損ない、メキシコに後退を強いる。こうしてすべてを考慮すれば、ラテン・アメリカの困難な時代が予想される。
(コメント)
NYT(July 10, 2001)I.M.F. Warning on Asian Recovery By DON KIRK によれば、アジア危機のその後についてStanley Fischerが各国の改革に警告を発している。
まず小泉首相の唱える改革が、すでに西側と日本の経済問題で悪化したアジア諸国の経済に苦しみを与えるかもしれない。日本の役割を過小評価すべきではない、と警告した。そして、日本はもっと景気刺激策を採るべきだ、と。
また韓国経済についても、政府による安易な融資拡大が合併もしくは倒産すべき企業を延命させて、改革の苦しみを増している、と批判した。特に、政府は金融部門から手を引くべきだ、と述べた。
韓国の次にはマレーシアの改革が進んでいるが、タイの改革は後退しつつあり、フィリピンでは不確実さが増し、インドネシアの改革が進むには政治的な指導力が必要だ、と。
Financial Times, Thursday July 12 2001
Editorial comment: Emerging crisis
ラテン・アメリカの株式、債券は、アルゼンチンのデフォルトや切り下げを心配して下落した。他方、東アジア諸国の市場も経済統計の悪化に困窮している。二つの新興市場で起きた深刻な問題は、ともに開発地域、特にアメリカの減速という、同じ引き金で生じた。
アルゼンチンはデフォルトを回避しようとしているが、アメリカ経済の減速はその輸入を減少させ、ハイ・テク・バブルの破裂で投資家はリスクを嫌っており、アルゼンチンの対ドル固定制がさらに企業の競争力を損なった。そして経済的・政治的な苦境に対して税制規律が緩むと心配されている。
東アジアでは、1997-98年の金融危機から急速に脱して、特にアメリカ向けの電子機器を輸出した。それが落ち込んだとはいえ、1997年の危機は繰り返されないだろう。各国は通貨を固定していないし、外貨準備も豊富で、ほとんどの国が大幅な経常収支の黒字を出している。この地域の苦境は、アメリカのハイ・テク・バブルに輸出をしてきたことの反動である。
1997年の記憶が薄れるとともに構造調整(リストラクチャリング)がなし崩しになっていたが、今やそれを中心に戻さねばならない。改革無しには国内の需要も成長も戻らない。工業諸国は景気が後退し、国際投資も質への逃避に向かう。特に、IMFが救済融資に消極的であれば、なおさらである。リスクは大きく、アメリカ、ヨーロッパ、日本の不調は続きそうである。新興市場の困難は深刻である。
Financial Times, Thursday July 12 2001
The irresponsible monetary fund
Oktay Yenal
かつてIMFが加盟国に対して処方箋を書く場合、財政政策や金融政策の調整は優秀なエコノミストたちが厳格に理論的な検討を加えたものであった。しかし、近年では、IMFの仕事も傲慢で無責任になっているようだ。トルコに対するIMFの政策監視はこのことを示している。
1995年、IMFは高インフレに冒されたトルコ経済の安定化を求めて、中央銀行貸出の厳格な上限を設けた。この計画は政府が農業補助金を削減できなかったことで放棄された。しかし、計画の失敗はホット・マネーの流入による貨幣供給の増加にも原因があった。IMFはこの問題に何の対応も講じなかった。
1999年末、IMFは融資計画で再び中央銀行融資を管理するよう求めたが、為替レートをインフレ抑制のアンカーに追加した。為替レートの切り下げを事前に発表して通貨を割高にし、インフレ抑制を促したものだが、それは1年以上も続けられた後、インフレ率が為替レートの倍以上も高くなって崩壊した。そのトルコ経済に与えたコストは甚大である。
5月に始まった最新のIMF計画は、重要な点で以前の計画と異なる。第一に、IMFは中央銀行が貸し出しを急激に増やすことを認めた。第二に、変動レート制を好んで、かつて嫌っていた貨幣供給量の目標を薦めている。
新しい戦略では中央銀行による膨大な銀行貸出が行われたが、それは貨幣供給目標を達成するために、IMFが提供した外貨準備を売却して増加した流動性を取り除く操作に引き継がれた。公的部門の借入れが増え、金利が低下し、銀行が回復してから、インフレ率を下げる、という考えによる。
しかし、ちょっと待てよ。以前の戦略の何が間違っており、このような方針転換がなぜ正当化されたのか?
IMFのトルコに関する報告では、1999年の計画が失敗した一つの理由は「トルコ・リラが過大評価されているという市場の認識」であった。実際に、その1年間、毎月の為替レート調整はインフレ率を3分の1も下回っていた。もう一つの理由は、政策の「実施」が不十分だった、というものだ。しかし、完全な政策の実行など期待できない。現在行われている計画でも、IMFからの資金吸収、貨幣供給の抑制、経常収支赤字の削減、金利の引き下げ、といった二次的目標をどのように配分したのかは決して明らかでない。
国際収支の予想を見れば、IMFの提供する150億ドルは、銀行の対外債務支払い、民間企業、証券投資の引き上げ、に支払われる。それは中央銀行によって行われるから、他方で、国債を買い入れ、外貨を売却して、流動性を封じ込めるのである。このハッピー・エンドが前提したものは示されていない。IMFのケーラー専務理事はトルコ政府からの高金利批判に公正でないと応えた。トルコ政府の欠陥もあるだろうが、論争の余地ある理論に依拠したIMFの間違った安定化計画にも責任はあるだろう。
それは、トルコの国民にとって事態を改善するものであったのか?
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The Economist, June 30th 2001
Monetary Policy: Another shot from Dr Feelgood
グリーンスパンの画期的な金融緩和政策にもかかわらず、よい知らせと悪い知らせは拮抗している。将来に向けて回復する期待はあるが、そう断言するのは早い。
まず、今回の減速は金融引締めで起きた過去の例と異なる。投資ブームの去った後で、企業には過剰設備や債務が残された。次に、輸出が回復を促せない。過去3ヶ月で輸出は年率にして13.4%減少した。それは国内の投資が減少したこととも関係ある。アメリカの輸出の多くは海外生産拠点との取引である。しかし、輸出減少の最大の理由は、ヨーロッパや日本の消費者である。それはドル高によってさらに悪化した。
世界経済が減速する中で、アメリカの景気回復は国内消費にかかっている。住宅市場の維持が非常に重要である。また、エネルギー価格の低下やインフレ懸念の後退も消費者を励ますだろう。ブッシュ政権のGDP比1%に及ぶ減税策も、その影響は人々の支出意欲に関わる。上手くいけば抜け出せるだろう。そうでないときは、もっときつい薬が出てくる。
China’s capital markets: Fools in need of institutions
中国の資本市場と投資家は「所有よりも売買」を優先する。これまで資本市場改革は「スプライ・サイド」中心であった。上場企業を増やし、企業の経営や情報開示を促してきた。しかし政府は「需要サイド」の改革が必要なことに気づいた。アジア第二の規模に達した中国の株式市場は、6000万人の無知な小口投資家とほとんど噂だけに基づいた売買で動いている。
投機から投資への転換を促すために、信託・生保・年金など機関投資家の参入を政府は決定した。これは三つの点で資本市場を改善する。@長期的投資。A分散投資。B企業経営の改善と情報開示。
どのように彼らを参加させるのか? 中国にはすでに小さな投資信託がある。しかし、それは5年おきに清算される「クローズド・エンド」の投信であり、資金の流出入や市場価格による売買ができない。そこで、「オープン・エンド」型の投信を認可する法律ができた。
次に、保険業の参入が認められる。中国の保険業は非常に遅れており、資産のほとんどを銀行預金や政府債券に投資している。政府は保険会社が資産の15%までを株式に投資できるように計画している。さらに、年金基金の導入を目指す。現在、国営企業によって支給されている年金は、高齢化とともに、急速に赤字になっている。そこで企業が上場する際に、資金調達した額の10%を事実上の年金税として徴収する。それを補う形で、アメリカの401Kに近い民間年金も許可するだろう。
中国の資本市場が効率的に機能するかどうかは、外資の参入を許すかどうかに懸かっている。この点で、政府は台湾が10年前にやったことをまねている。国内の資産運用企業に少数株主として外資の参入を認め、助言を求めている。
しかし、フィデリティーのような世界的資産運用企業は、直接支配できないヴェンチャーへの参加を好まない。世界的な効率を追及する彼らは、中国政府が求めるような中国だけのためのコンピューター・システムや支援体制を嫌うだろう。規模の利益を追求する点で、中国の貯蓄者と機関投資家の利害は一致する。共産党政府も、彼らの未来が国民の貯蓄に依存していることを忘れてはならない。
Bank regulation: Basel postponed
バーゼル合意の改正は延期された。それは内部に矛盾を含んでいる。一方で、自己資本の規制にリスクを加味し、他方では銀行を一種の「公共財」として扱っている。銀行に対して、リスクに備えて準備を積み増せ、と求めておきながら、融資を削減すれば不況を招くと非難する。
1997年のアジア銀行危機の前にできたバーゼル合意を見直すのは必要だ。しかし、IMFは改正後の合意を、すべての国の、すべての銀行にとって適当なルールにすべきだと求め、少数の洗練された国際的銀行だけに適用されるリスク評価モデルを好まない。
バーゼル委員会は、この点を正しく理解すべきだ。1997-98年のアジアとロシアで起きた銀行危機は1400億ドルのコストを納税者に、3500億ドルのコストを投資家に支払わせた、と言われる。バーゼル合意の改正が世界中の3万行に毎年平均で各行1500万ドルの追加支出を必要とさせるなら、そのコストは5年間で2兆2500億ドルになる。それ以上の利益を銀行や納税者が受け取れないなら、改正は失敗である。
Economics focus: A blunt tool
なぜ金融政策が十分に景気回復をもたらさないのか? 金利を引き下げても、実際の金融緩和につながらない。フェデラル・ファンド・レートを下げても、それが企業や家計に影響する波及過程は複雑である。
金融政策は三つの経路で経済に影響すると考えられる。@借り入れコストの減少。A通貨の減価。B金融資産の価格、特に株価の上昇。
しかし、実際に借入れを増やすかどうかは将来の金利やインフレ率の予想にも依存し、短期金利では決まらない。すでに巨額の債務を負っている場合や、現在の生産設備も十分に稼動していない場合、借入れコスト減少は消費や投資につながりにくい。また、Fedが金利を下げているのに、今年になってドルは増価し、株価も下落してきた。
金融政策が有効であったから、株価の暴落は回避され、消費も持続しているのだ、と主張される。しかし、今や金融政策はより迅速に人々の期待に働きかけ、生産やインフレが激しく変化しないように努めている、という結論は、私たちに一層の我慢を要求する。それが正しいかどうか、まだ断定できない。