今週の要約記事・コメント

5/21-26

IPEの果樹園 2001

かつて、あるテレビ番組で「日本経済への処方箋は?」と聞かれたフェルドマン氏は、『真実』、と書きました。

上位の者が合意に沿って改革を進めるのが、儒教的な支配の国では常道かもしれません。しかしその場合、上位の者は真実を知り、正しい改革の道を知っていなければなりません。彼は有徳の人であり、この社会の優れた知識や情報が自然と彼に集まり、その決断が公平で、社会への隠れた貢献にも手厚いものであることが、彼に対する強い信頼と反対者の服従を約束するのです。

日本の政治家や経営者は、できるだけ真実に触れない形で、民主主義や資本主義を利用してきました。それは政治的な正統性を維持し、富の増大と分配関係を維持するのに便利な名目や制度を提供してくれたからです。しかし、真実を隠すことで維持される制度は、それを仲介する者に利益の大幅な抜き取りを許します。儒教的な道徳は、それをある程度は抑制し、また、ある程度まで我慢させました。

しかし、真実の無い国で生きる人々が、いつまでも改革に夢を託すはずがありません。もはや少しも道徳的でなくなった制度に対して、非常におとなしく、口下手で、争いを好まない人々は、消費を控え、借り入れや投資を減らして、抵抗したのではないでしょうか。それでも、『真実』を語る政治システムの再生が無ければ、経済の活力と人々の信頼を回復することはできないでしょう。

たとえば、こんな『真実』という大衆娯楽SF小説が書かれるかもしれません。

2014年のある日、老人たちの日本脱出が静かに始まる。カナダやオーストラリアでは日本人コロニーが一定の規模を超え、自己増殖し始める。同時に、金融・流通・建設業の国際ビジネス複合体が、南洋の小島を次々と買収し、現地政府と組んで一連の開発に成功する。2034年、日本の財政危機と通貨危機は深刻化し、アジア人盲流が国内で論争となる。政府は、次第に増加するアジア系住民の人口爆発に対して、産児制限と人頭税の導入を強行する。他方、モンゴロイド至上主義を唱える政党が支持を伸ばし、各地でネオ神国派の叛乱が起きる。2084年、新宿の騒乱を掃討中のアンドロイド暴動鎮圧部隊が、ハッカーによる指令系統の混乱と占拠により、真理省を含む霞ヶ関の官庁街を破壊し始めても、誰もそれを不思議だとか、残念だとは思わない。・・・こうして、オーウェルの予言は100年後の日本で正しかったことが分かるのだ。

しかし、誇張されたディストピアも、現実を超えることは無いでしょう。あたりまえの真実と、それに向き合う人々への支援が必要です。真実を語る者に、もっと勇気と、権力を。彼らが協力して解決を目指す、信頼できる制度を作るべきです。その前に、たとえば首都機能を各地に分散し、必要な情報はインターネット上で公開して、行政を政治家と完全に分離してはどうでしょうか? 行政の透明性と効率性が高まり、信頼を回復できるでしょう。他方、政治システムを改革する、と断言した小泉首相が連発するキャッチ・コピー、国会における資本市場への勧誘、さらには改憲論議や靖国神社参拝宣言といった意気軒昂ぶりには、発想の貧しさを感じます。自民党の改革と景気回復のための新思考に、すべての政治資本を注ぐべきではないのですか?

Financial Times, Monday May 14 2001

East Asia seeks its own voice

John Thornhill and Edward Luce

ばらばらだったヨーロッパ諸国が経済と政治の統合を目指す共通の基礎を持つなどというのは、かつてなら考えられないことだった。今日、東アジアの諸国が同じ道を目指すのは、一層、難しそうに見える。民族、地域、文化、言語、政治体制、経済システムがはるかに隔たり、歴史的な怨恨と相互の不信があるこの地域で、統合は進むだろうか?

実際、東アジアと言うのは、要するに、単なる地理上の呼び名でしかない。ビルマの軍事的鎖国体制と民主国家の日本が、何を共有すると言うのか? しかし、1997年から98年にアジアを襲った経済危機は、アジア諸国が世界に占める位置を再考するきっかけとなり、IMFや世銀といった国際機関に対する彼らの信頼を打ち壊した。

WTOの機能麻痺やEUNAFTAの確執は、多くのアジア諸国に多角主義ではなく地域主義が将来重要になる、と思わせた。アジア地域に広がる企業の国際投資やアジア規模の企業拡大が、経済的に地域を結び付けつつある。金融資源も融合して、東アジアは一つの株式市場を持つようになる、と言う者もいる。結果として、域内の貿易自由化など、東アジア諸国の政府はより緊密な協力を目指すだろう。

最近、ハワイで開かれたアジア開発銀行の会議に並行して、13カ国が金融危機を防止するための通貨スワップ協定実施に合意した。「ASEAN+3」が参加したこの協定は、ほとんどの国が変動制を採用している以上、まだチェンマイ・イニシアティブに沿ったわずかな前進でしかない。しかし、この象徴的な意味を軽視してはいけない。それはASEAN諸国と共通の利益を意識し、アジア共通通貨の対話を刺激するものであるからだ。

グローバリゼーションへの協力した取り組みをアジアの視点から目指す、と言うが、チェンマイ・イニシアティブの目標について一致した見解は無い。かつて日本とマレーシアが、アジアの通貨協力を進めて「最後の貸し手」となるアジア通貨基金を提唱したが、アメリカの反対で頓挫した。IMF融資を条件に、二国間でスワップ協定を積み重ねる、という日本の試みは、その穏健な修正版である。しかし、ヨーロッパの経験が示すところでは、為替レートを含む協定が進めば、より正式なルールと協力関係が求められるだろう。

13カ国の外貨準備合計額7000億ドルに比べれば、合意された10億ドルの中央銀行間支援はほんの破片である。しかし、これが中央銀行間協力の市場に対する示唆となる。さらに、日本はそれ以上の協定を次々と準備している。

アジアは共通通貨を必要としているのか? ユーロの生みの親であるロバート・マンデルは、Yes、と答える。問題はその形がどうなるか、である。ADB研究所の吉冨勝は、1997年の危機を再現しないために、アジアは「最後の貸し手」を作るべきだ、と主張する。彼は論文で、IMFの不必要に過酷な融資条件が危機を長引かせた、と書いた。アジア通貨基金があれば、より迅速に資本を供給できただろう、と。それはマレーシア政府を喜ばせる。

今はまだ世界金融システムの範囲内で穏健な通貨協力を進めている。しかし、将来は違う。


Financial Times, Monday May 14 2001

Japan's history of oversight

Ronald Dore

先週の施政方針演説で、小泉純一新首相は25分で37回も「改革」という言葉を使った。それはしばしば「構造改革」として言及された。日本の歴史で、封建制度の下の200年間に、「改革」が大きな反響を呼んだ時期は3度あった。1720年代、1790年代、そして1840年代である。それらはいずれも儒教的な意味合いが込められていた。腐敗した日本を立ち直らせるには、緊縮と苦痛を耐えて基本に返らねばならない、と。

特に関係があると思うのは、1840年代の老中・水野忠邦が行った改革である。それは小泉氏が唱えているような規制緩和と激しい競争を促すものであった。すべての商人組合を廃止し、競争によって効率性を高めることで、商人や職人が武士をだませないようにして、価格の引き下げを図ったのだ。しかし、信頼関係を破壊し、商人の信用組織を混乱させて、経済は機能しなくなり、生産が落ち込んだ。物価は上昇し、侍たちの暮らしはさらに苦しくなった。こうして短期間で水野は失脚し、商人組合は復活した。

小泉氏の供給サイドの再編・活性化策は、二番煎じと言うより、むしろ悲劇的な近視眼のようである。要するに、日本の問題とは需要が不足していることなのに、それが分かっていない。債権を放棄し、破産を促し、失業を増やして、さらに土地の価格を下落させ、それを担保としてしか借金できない零細企業を苦しめることは、問題をますます悪化させるかもしれない。生産システムへの無知、無関心が水野を失敗させたのだが、小泉氏の演説も明らかにそうだ。「製造業」という言葉は一度も使われず、日本経済の心臓である偉大な製造企業に何ら言及しなかった。

日本人の自信や誇りを呼び覚ますため、日本企業のアメリカにおける特許取得や、輸出業績を見ることなく、小泉氏は市場で儲ける少数の日本人や外国人に呼びかけた。それは水野が国民のたった5%でしかない侍の暮らしにしか関心がなかったのと同じだ。税金を使って銀行の不良債権を処理しても、銀行が喜ぶだけである。しかも銀行部門は製造業より30%も高い賃金、80%も多いボーナスを取っている。

小泉氏の進める改革は、年金や個人貯蓄のますます多くの部分を貯蓄機関ではなく直接に市場へ向けるだろう。金融資産の売買が非常に投機的になって、業者にたっぷり手数料を稼がせる。また彼は郵便貯金を民営化することに大変な熱意を傾ける。日本最大の銀行を倍以上も上回る個人貯蓄が官僚の手に握られていることは、彼の怒りに火を付ける。小泉氏の仲間は、「世界金融の株式化」を信奉する。

竹中平蔵経済担当大臣は、資本を効率よく配分する最善の手段が株式市場だと確信しており、受身の貯蓄者を活動的な投資家に変え、学校でもリスクとリターン(投資の楽しみ)を教えるように提言する。彼の具体的な提案の一つに、銀行の株式保有に上限を設けて、株式の持ち合いを解消させ、企業を従業員の共同体ではなく、乗っ取りの対象として、企業買収文化を日本に普及させる、というのがある。

しかし、短期的に小泉政権がもっとも悪影響を示すとしたら、それは年金制度を解体して消費者をますます不安にすることだろう。すでに2年前に年金制度は削減された。小泉氏の勝利は、日本人の貯蓄を株式市場に流し込もうとする者たちの勝利であった。


Financial Times, Monday May 14 2001

How to lift the barriers to growth

Mike Mooredirector-general of the WTO

世界のもっとも貧しい国が経済的に辺境化される“marginalisation”を防ぐには、できるだけ広範で包括的な貿易交渉を開始するよう、11月のカタールで開かれるWTOの理事会で決める必要がある。工業製品の輸出は1990年代に年率5.6%で増えたが、LDCsの伸びは3.6%であった。その結果、LDCsの輸出シェアは減っている(1999年に0.4%)。

WTOのような国際機関は、貧しい諸国により大きな輸出機会を与えるだけでなく、技術的な支援や、彼らがWTOの規則に従えるような弾力性を与える。もちろん、LDCsの抱える問題は深刻で、貿易だけでは解決できない。特に、健全なマクロ政策と確かなインフラ、債務の削減や、良い統治、が重要である。学校や病院ではなく武器に対して支出するための巨額の財政赤字と対外債務を抱える国が、豊かな諸国の市場に参加できても、利益は少ない。

貿易は重要な支援策であるにもかかわらず、豊かな国がLDCsに対する関税は、特に農産物で、まだ非常に高い。OECD諸国の農業補助金は1999年に3610億ドルもあったが、それはサハラ以南のアフリカ諸国全部のGDPより大きい。豊かな国が農産物に関する関税を下げ、補助金を削減することで、LDCsは現在の開発援助の3倍以上を農産物輸出で得られるだろう。

ノルウェーとニュー・ジーランドは、LDCの輸出品に対する関税をすべて削減することに同意した。カナダ、アメリカ、EU、日本も、LDCsの苦境に対応策を示した。しかし、衣類や靴といった製造品の分野で、さまざまな規制が残されている。また加工度にしたがって関税率が高くなる制度は、LDCsの生産多様化や工業化を妨げている。そして、セーフ・ガードや商品規格、アンチ・ダンピングといった非関税障壁がある。

LDCsは、ウルグアイ・ラウンドの合意を実施するにも、制度や人材、資金面で能力が不足している。それにもかかわらず、さらに次の交渉を急ぐべきではない、と言う批判もある。しかし、バランスの取れた交渉だけが、より公平な貿易システムを作れるのである。


05/13 02:55

Japan Swings 180 Degrees From Keynesian Policies

By David DeRosa

私が驚いたのは、小泉内閣の新しい財務大臣が、公共事業の支出を抑制したい、と述べたときである。日本の過去の政権は、いわゆる補正予算を用いて、経済成長を促す大規模支出計画を追及してきた。それこそ、ケインズ経済学のチャンピオンであった(ただし減税策は嫌ったが)。ミルトン・フリードマンは、ケインズの公共政策を失墜させる上で誰よりも貢献したが、完全雇用を口実に財政支出を増やすケインズの主張こそが政治家を非常に喜ばすのだ、と指摘した。

ケインズの教えに加えて、クリントン政権は日本政府がさらに財政赤字を増やすように、強制とは言わないまでも、説得しつづけた。そして、日本はどうなったか? 莫大な債務の累積である。1992年から98年までの6度の景気刺激策で、成長への兆しも無いまま、763000億円(6230億ドル)が支出されたのだ。それは今や、自民党の支持者が特に多い建設業界を助けるためでしかなかった、と責められている。すなわち、逆買収、である。政治家たちは彼らへの投票の報酬として公共工事の発注を行った。

それゆえ、小泉政権がこれを減らすと言うのは驚きである。他方で、ブッシュ政権は日本のために新しい支出計画を練ってくれている。ブッシュ政権は日本との関係を重視し、イギリスとの「特別な関係」に匹敵する、と大いに賞賛した。そして、アメリカは日本が憲法を改正し、地域の安全保障に軍事的な責任を完全な形で分担することを望んだのだ。

そのような考えは中国政府を激怒させるに違いない。しかしそれとは別に、日本の再軍備は莫大な政府支出!が必要になる。再軍備を否定しない小泉首相は、ケインズの亡霊に頼るまでも無く、こうして新しい公共支出に向かうことができる。


New York Times, May 13, 2001

LIBERTIES: Space Cowboys Inc.

By MAUREEN DOWD

新しいSF未来スリラー、宇宙ブラック・コメディー版“ブレード・ランナー”、“ギャラクシー・クエスト”、“フェイル・セイフ”、“オン・ザ・ビーチ”風のフィルム・ノワール、というアイデアを私は得た。それは、セックス抜きの形で、ブッシュ政権が示してくれた。

時は2007年。“ブッシュ・ランナー”もしくはHow I Learned to Stop Worrying and Love the Shieldが、Oil Rig Earthの風景の中に登場する。それは荒涼とした工業地帯、もはや太陽の輝きは無く、火を吹く石油精製工場の乱立する終末世界である。レーガンのレプリカンとアニモイドたちが働いている(石油化学の合成食糧を食べる、分子生物学が合成した生き物たちである)。

大統領の第一期の公約「吸い込めない大気! 飲めない水! 食べられない食品! 危険なガス!」が目覚しい成功を遂げて、地球はアンドロイドたちだけが住む、穴だらけの星になった。ホワイト・ハウスは地球外に脱出し、円形のカプセルに包まれたthe U.S.S. Robert Borkとして、木星の第三衛星イオを回っている。政府は銀河系間・野生生物避難所にイオの採掘許可に対する支払いをしたところである。

ミサイル迎撃ミサイル、衛星攻撃用衛星、スパイ・ロケットなど、役に立たない防衛システムを、国防長官のDr. Strangerumは何でも宇宙に廃棄している。彼はディック艦長と、この球体衛星議会のラウンジを兼ねた戦争司令室で、ウィスキーを飲みながら宇宙の運命をもてあそんでいる。

「火星を見ろよ。共産主義者Redsなどいない。中国の宇宙ステーションから極秘報告が入ったが、中国人たちは共産主義仲間の北朝鮮が核ミサイルを持っているとアメリカに思い込ませて、アメリカ人たちをスター・ウォーズ計画で消耗させてやった、と自慢している。ばかな奴らだ! そんなことを仕組んだのは実はロシア人だが、われわれの方こそ北朝鮮をだましてやったのだ。われわれが北朝鮮の核ミサイルを信じたと思わせて、北朝鮮が中国をだましてそれが成功したかのように思い込ませたのだ。ヘ、ヘ! こうしてわれわれは議会から600億兆ドルも余分に軍事予算を騙し取ったというわけさ。」

「もっとでかい話をしようぜ、ディック」と、Dr. Strangerumはさらに話しつづけた。「私は銀河系ミサイル防衛構想を持っている。われわれは<ならず者の銀河系rogue galaxy>から奇襲攻撃を受けても自分たちを守れなければならない。TRW社もロッキード社もゼネラル・ダイナミックス社もわれわれの仲間だ。奴らは天の川the Milky Way全体を取り囲む特大のレーザー網を作るために、衛星ウラヌスに統合本社を作った。」

「民主党員たちがまだ木にしがみつく戦術を採ると思うのか? 一本も木が無いのに! 冥王星のゲッパートが石油企業に対して減税同盟を主張したり、金星のヨーロッパ人どもがまたも女々しい銀河系温暖化防止条約でわれわれを縛ろうとするってか? 原始人たちや、自由恋愛ヒッピーどもが、宇宙で鉱山を作るな、と喚いているだけさ。」

遠くの星で、幼い弟は大きなテレスコープを見ていた。そして兄に尋ねた。「あの灰色の飴玉の上にある黒い点は何?」

「アラスカだよ。」


Washington Post, Tuesday, May 15, 2001

Brazil's 'Destiny': An Obstacle to Free Trade?

By Henry Kissingera former secretary of state


Financial Times, Thursday May 17 2001

Coffee's bitter taste

Sergio Amaralpresident of the Association of Coffee Producing Countries

Brazilian ambassador in London

コーヒーは、世界市場の不均等性と、価格の下落や地域的な貧困の持続を示す象徴である。今日、ロンドンやニュー・ヨークで飲む一杯のコーヒーは3ドル程度であるが、それはアフリカ諸国の小規模なコーヒー農家が一週間働いて得られる純収入に等しい。

コーヒー価格が20年来の安値にある理由は、第一に、1989年の国際コーヒー協定崩壊が自由化をもたらしたこと。第二に、コーヒー・ボード(政府買い付け)が民営化され、売買や加工で少数の多国籍企業による所有が強まったこと。第三に、生産性の上昇と金融危機による通貨価値の下落。最後に、多くの国でコーヒー生産が増大し、新規参入国も増えたこと、である。その結果、コーヒーの供給は毎年3.6%で増加したが、消費はたった1.5%しか増加しなかった。1997年から200年に、コーヒー価格はポンド当り134セントから50セントに下落した。

同時に、コーヒー生産国は消費国の再輸出に苦しんでいる。昨年、アメリカは2450万袋を輸入し、240万袋を再輸出した。そのうちの半分以上が加工したコーヒーであった。EUも4600万袋を輸入し、1300万袋を再輸出している。1970年代にアメリカはインスタント・コーヒーの輸入に非関税障壁を設け、EUは関税を9%に上げた。これはまさに輸入代替政策である。

利潤の分配も不公平である。Oxfamによれば、スーパーにおけるコーヒー小売価格の20%しか農民は得ていない、と言うが、場合によっては6%に落ちる。これに対して、消費国のコーヒー加工業者は約30%の利潤を上げるし、インスタント・コーヒーではネスレ社が世界市場の半分を支配している。

簡単な答えは無い。供給削減は、コーヒー輸出が貿易全体の70%を占めるいくつかの貧しい国をますます苦しめる。2000万のコーヒー農民を失業と貧困に向かわせる。長期的には、コーヒー生産国が産業構造を多様化すべきである。しかし、一日当り10億ドルにも及ぶ工業諸国の農産物補助金が、オレンジ・ジュースや砂糖、食用油、肉などの農産物市場を閉ざしている。加工度を高めることも、輸入国の不適切な累進的関税制度が妨げる。


New York Times, May 17, 2001

Economic Scene: Wealth Depends on How Open Nations Are to Trade

By VIRGINIA POSTREL

The Economist, May 5th 2001