今週の要約記事・コメント
5/14-19
IPEの果樹園 2001
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ブッシュ政権の世界構想が、いよいよその姿を現しつつある、と感じるのは、決して私だけではないはずです。大幅減税の看板は下ろさずに景気対策へと姿を変え、中東和平を突き放してイスラエルの軍事行動を容認し、中国との衝突事故を契機にアジア戦略の意味を同盟諸国に問いかけ、テロ支援国家の北朝鮮とも韓国が交渉できる余地を残し、EU諸国や日本の顰蹙を買いながらも、地球温暖化に関する京都議定書を反故にし、他方でロシアや中国が強く反対するミサイル防衛構想を断固として推進する姿勢を示しました。ミサイル防衛構想とNAFTAの拡大こそ、ブッシュ政権が描く世界秩序の核心ではないでしょうか? そして今、共和党保守派の指導する国際通貨秩序の改革案が、現実に動き始めたようです。
反対派の人々からは今も「無能」呼ばわりされているこの人物が、実は、共和党の強硬派が示すさまざまなアイデアを、現実に機能する枠組みへ取り込む、非常に有能なプラグマティストではないか、という気がします。もしブッシュ氏が、新しい安全保障体制と新しい環境保護協定、そして新しい国際通貨秩序の強化策を実現可能な姿に導くことに成功するなら、彼は共和党復活の指導者となり、アメリカの新しいグローバリズムを世界に提示できるでしょう。
もしそれが成功すれば、未来の歴史家たちは、世界がアメリカにそれを許したのは当時を除いて他になかった、と書くでしょう。EUは新通貨の導入と内部の政策や制度の政治的調整に忙殺され、日本はデフレによって窒息寸前であり、中国は改革のためにプライドを抑えて対話を受け入れ、ロシアの政治家はプライドに惑わされて国民の暮らしを省みなかった、と。新興市場諸国は次の危機に怯えて、アメリカのグローバリズムが何よりも新興諸国の利益になる、という約束を本気でブッシュ氏が守ってくれることを切望したのです。
しかし誰もが、アメリカにも、日本にも、ヨーロッパにも、その金融的な不安定さと安全保障上の懸念(あるいは、アメリカにとっては社会不安かもしれません)を抱えていることを知っています。ブッシュ氏の挑戦は、各地域の深刻な危機を何度も乗り越えたときにだけ成功するのです。そして危機を克服する力は、アメリカのグローバリズムにではなく、それを取り入れて独自の協調体制を機能させる、各地域の政治的指導者たちが示す能力に懸かっていると思います。
他方、もし本当に日本の経済がかつてのイギリスのような海外投資の持続的な流れを必要としているなら、改めて、<円圏 Yen Bloc>の構想が模索されるでしょう。しかし、次の構想は極端なアジア主義を取り除き、弾力的な域内の調整が可能で、しかもアメリカやEUとの国際協調の仕組みを備えた、ブッシュ氏の南北アメリカ経済圏に呼応した自由化支援体制を目指すはずです。
それは単に、裕福な人々のための、支配者の思想に過ぎないのでしょうか? 私は、必ずしもそうではない、と思います。
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New York Times, May 5, 2001
In Argentina, More Room to Breathe
By CLIFFORD KRAUSS
6週間前に就任してから、カヴァロ氏は驚異的な速さで改革を突き進めている。新しい課税、新しい関税、新しい通貨、新しい予算を、毎日のように発表し、寝る間も惜しんで地球上を移動しては、外国の銀行や投資家にアルゼンチンは大丈夫だと説得している。アルゼンチンがその1500億ドルの債務を支払えなくなって、ペソを切下げ、ブラジルから香港に至る全ての新興市場経済の株式と債券が暴落するだろう、という噂を、カヴァロ氏が否定しない日は無い。
今週、彼はIMFからの追加融資に合意できた。これによって財政赤字削減目標をわずかに緩和し、債務の支払いを減らすために200億ドルの債券を長期に転換できる。また議会下院はペソをドルとユーロに均等に固定するカヴァロの提案を通過させた。ハーヴァードで学んだ54歳の彼の非正統的手法は、サプライ・サイド経済学と保護主義とがミックスされている。
1990年代初めにハイパー・インフレーションを抑えた名声にもかかわらず、ウォール街の信用は得られていない。カヴァロ氏の貨幣改革はユーロが増価すればむしろアルゼンチンの競争力を損なうだろうし、銀行の預金準備を緩和したのは銀行システムを不安定化する、と見ているからだ。「カヴァロは死刑囚のように、一日だけでも生き延びようと処刑の日を引き延ばしているだけだ。・・・債務の組み換えをしない限り、資本市場はアルゼンチンを受け入れない。」
しかし少なくとも、カヴァロ氏の行動的なスタイルはデ・ラ・ルーア大統領の機能麻痺という悲観論を払拭した。ただし、消費者心理の悪化は止まったとしても、その回復の兆しは無い。金利高騰のために、先週、アルゼンチンは7億5000万ドルの国債売却を見送った。国民が貯蓄を海外に逃避させているため、銀行預金額は3月の30億ドルから4月には20億ドルに減った。
カヴァロ氏は、企業が生産・雇用・輸出をより安くできるようにして、景気を回復させようと考えている。しかし、サプライ・サイドの改革には時間がかかる。今は、増税しつつも、彼の改革に対する消費者心理が改善されることを期待するしかない。「投資家はまだ信用していないが、消費者の楽観が成長をもたらし、経済の見通しも改善する」とカヴァロ氏は強気だ。
カヴァロ氏の人気は、大統領や他のどの政治家よりも高い。しかし、彼のイメージも翳り始めている。雑誌に登場する政治漫画では、最初、デ・ラ・ルーアを糸で躍らせる操り人形師として描かれていたが、最近では裸の王様になった。
New York Times, May 6, 2001
Sugar Rules Defy Free-Trade Log
By DAVID BARBOZA
アメリカが自由貿易の国だと思う人は、ヒューストンの端、ハイウェイ90A沿いの10階建てレンガの建物、砂糖精製工場に驚くだろう。ここでは年間50万トン、約900億個のドーナツに甘味を付ける砂糖を作ることができる。しかし、アメリカは寛大にも、その砂糖を使用しない。むしろアメリカはあまった砂糖の海でおぼれている。
政府の調査によれば、アメリカは、国内の砂糖栽培を外国の競争から保護し、その価格を高くして、消費者に毎年20億ドルも負担させている。人為的な高価格は過剰生産をもたらす。100万トンの砂糖を購入し、貯蔵するためだけに、納税者は毎月140万ドルを支払う。それでも、今年初め、ここの精製工場を所有するインペリアル・シュガー・カンパニーは倒産に追い込まれた。粗糖の高価格と、砂糖市場の過剰供給で、大きな損失を被ったのだ。
精製業者は砂糖保護政策の見直しを求め、消費者団体はその廃止を求めている。共和・民主両政党の重要な献金団体である砂糖栽培者も今の制度に不満である。特に、NAFTAが砂糖価格を下落させていると、一層の保護を求めている。ワシントンでは、両党が献金で潤っている限り何もできないだろう、という常識を翻すような兆候も見られる。
この制度は、ニュー・ディールの商品市場安定化策として導入されて以来、続いてきたが、近年、技術や天候の変化で、砂糖生産が爆発的に増加した。おまけに政府による価格支持が、もっと価格の下落した他の作物を栽培せずにますますテンサイやサトウキビの栽培に向かわせている。過剰生産は価格を暴落させ、何より、精製された砂糖よりも高い価格を原料に支払う精製業者を襲った。このままでは国内の精製業者が消滅し、輸入が増えて、国内栽培や精製部門がなくなってしまう。
自由市場派の経済学者であれば、それがもっとも効率的である、と言うだろうが、戦わずに滅びる産業は無い。アメリカ最大の粗糖生産者、the Flo-Sun Corporation of Palm Beach, Fla.は、そのもっとも強力な砂糖帝国である。キューバからの亡命者Jose Pepe Fanjul と Alfonso Fanjulとが経営し、共和党と民主党に巨額の献金をしている。こうした生産者は国内の生産規制と(彼らが不公正な競争とみなす)貿易取引の制限を、砂糖過剰の対策として提案している。
これに批判的な食品製造業者や精製業者、消費者は、保護政策を撤廃するか大幅に緩和するよう求める。「それは非常に裕福な人々のための政策だ。この保護により、消費者はより高い価格を、納税者はより多くの税金を強いられ、アメリカ通商政策のアキレス腱ともなっている。」
他方、砂糖保護を強く支持するByron L. Dorgan上院議員は、アメリカ人は支払い過ぎではない、と言う。むしろ世界価格が、各国政府による補助金で拡大した生産により、人為的な低水準になっている、と。
栽培業者にとって最大の脅威は、自由貿易に向かう政治的な動きである。NAFTAやウルグアイ・ラウンドによってメキシコなどからの砂糖輸入が急増している。そこで彼らは国内の生産規制と保護貿易を強化するように求める。
Financial Times, Wednesday May 9 2001
Why Koizumi will fail Japan
Martin Wolf
小泉氏の健全な志向が、日本を地獄に導くだろう。もちろん、改革は必要である。しかし、総需要の問題を忘れてはならない。日本は1930年代のケインズが描いた状況にぴったり当てはまる。すでにジェフリー・サックスは、適切にも、日本が構造的な貯蓄過剰に苦しんでいる、と述べた。
サックス教授は、日本の不況は他の主要国が構造的な貯蓄過剰のもたらす日本の経常黒字を拒んだことで起きた、と指摘した。だが、バブル経済自体も、同じ過ちの結果であった。
日本の民間貯蓄はGDPの24%〜27%もあり、アメリカは15%、EUは21%しかない。日本が急速な成長を経験した時期は、それも問題ではなかった。しかし、いったん日本がキャッチ・アップ過程を終わり、貯蓄を効率的に利用するようになれば、日本はイギリスが19世紀後半から20世紀初めに行ったように、長期資本の巨額の輸出国として生きるしかなかった。しかし、イギリスのかつてGDPのおよそ9%を海外投資したが、日本は1985年〜87年に4.3%に達したことを例外として、経常黒字(すなわち海外純投資)がGDPの3%を超えたことは無い。
1980年代に日本の経常黒字が増えると、海外の政策担当者たち、特にアメリカから強い批判が起きた。日本は、資産価格のインフレにより国内の資本コストを低下させることで、彼らの要求に応えた。1990年、バブルに促された民間投資はGDPの26%に達し、経常黒字は消えた。しかしこんなことは続かなかった。バブルが破裂し、民間貯蓄は増加し、投資は減少した。
貯蓄過剰に対して三つの解決策がある。1.貨幣的な拡大策で貯蓄を抑制し、支出を促す。2.実質為替レートを減価させ、巨額の経常黒字を出す。3.財政赤字を拡大する。しかし、バブル後の経済で、資産価格が暴落し、金融機関が傷ついているのに、標準的な金融緩和策は効果を持たなかった。巨額の経常黒字を出すことには、世界がNoと言った。だから、日本は財政赤字を出しつづけた。
構造改革は問題を解消できるか? その答は、No、だ。平均的な日本企業はアメリカ企業に比べて、同じ価値を生産するのに70%も多くの資本を必要としている。この高い資本・産出比率は、低い資本収益率を意味する。改革が成功するには、資本収益が世界的な水準にまで上昇しなければならない。すなわち、実質賃金を(国内の混乱と不況で)約30%削減し、資本ストックを30〜40%償却しなければならない(株価の暴落と金融システムの破壊につながる)。
さらに、将来の投資も削減しなければならないだろう。日本の労働力は年0.6%で減少しているが、労働力率は高く、生活水準も高い。利潤を出すことに目標を絞った民間部門はGDPの11から12%も投資すればよい方だろう。それゆえ、構造改革は貯蓄過剰をさらに深刻にする。構造改革だけでは不況になる。不況が続けば新しい不良債権が増えつづけるから、不良債権の処理が日本を救うわけではない。それゆえ、いくつかの要素を組み合わせた解決策しか続かない。
長期的なミクロ経済改革が経済の長期的な成長力を高める。企業が資本ストックを償却し、金融システムは政府が再資本注入する必要がある。最も重要なのは、マクロ経済政策でデフレを一掃し、財政赤字の際限ない増加を止めること、そして国内の過剰貯蓄と海外投資との均衡を図ることである。日銀にはプラスのインフレ目標を掲げさせ、大幅な金融緩和と円安政策、財政赤字の緩やかな解消、そして大幅な経常黒字を受け入れてもらうことである。
日本の新政府は構造改革だけに頼らず、需要拡大策を見出さねばならない。その答には、GDPの10%に及ぶ持続的な経常黒字を含める必要がある。これは近隣窮乏化政策ではない。豊かな高齢化社会のもたらす貯蓄過剰を解消する手段なのである。世界は今や、日本にその貯蓄を国内で吸収させることが如何に破滅的であったか、ということを認めるべきであろう。
Financial Times, Thursday May 10 2001
The excuse of globalisation
グローバリゼーションは、ときに都合の良い<言い訳>でもある。左派は政府が社会主義を実施できない言い訳として使い(世界資本市場には勝てない)、右派は政府の支出を削減する言い訳にする(経済を世界市場で競争できなくする)。主流派の政治家も、年金制度や労働市場改革を説得する際に、神秘的な世界市場からの逆らえない圧力を強調する。
イギリス産業連盟の元会長Adair Turnerが書いたJust Capital (Macmillan 2001)は、こうしたありふれた迷信を打ち壊す。たとえば、グローバリゼーションのせいでヨーロッパ型社会モデルが不可能になった、というのは間違いである。高い税金とさまざまな公共サービスのネットワークを本当にヨーロッパの人々が選択するなら、労働者は手取りが減ることを覚悟すれば良い。それは彼らの問題だ。しかし、政府も労働組合もそう言わないが、給与と課税の合計が増えれば雇用が減る。労働市場を規制する最大の損失は、異なった基準でなら彼らを雇用したはずの企業を失うことである。
こうした不利益は直接に議論する必要があり、ヨーロッパが「競争力を失う」から諦めろ、というのではない。競争力を失うのは企業であって、国家や地域は実質為替レートが高すぎる場合にだけ競争力を保てないだけで、不均衡はしばしば自律的に解消される。
いわゆる経済のグローバル化とは、概して、第一次世界大戦前の経済に復帰したことを意味する。当時、世界貿易や国際投資は同じくらいの重要さを持っていた。私が強調したいのは、貿易であれ投資であれ、一層の自由化を維持することは政治的な条件にかかっている、という点である。
すでにアメリカ・ヨーロッパ・日本の間の関税は、農産物を除いて、非常に低く、WTOの主要な受益者は新興市場諸国である。彼らが貿易障壁で苦しみ、資本流入の継続を願っているのだ。資本移動を自由化することの最大のメリットは国内市場を改善する点にある。マレーシアの資本規制がもたらした最大の被害者は、政治的エリートに有利な不透明な合併を強いられた民間金融機関であろう。
西側の利益は二つある。一つは、人道主義的な動機である。貿易や資本移動は貧困を減らす。もう一つは、新興諸国の繁栄が世界の政治的な安定化と、移民流出につながる政治的な対立を緩和することである。
世界が1913年に達成していた統合を回復するのに一世紀を要したのは、戦争と不況があったからだ。不況は不安定な市場からの保証を人々に求めさせ、国内生産者の保護の<言い訳>となった。世界市場の統合を維持するには、投機の魅力による文化的・イデオロギー的な今の流行だけでなく、世界の指導者たちが深刻な不況と歯止めないインフレーションを回避できるかどうかに懸かっている。
景気循環はなくなっていないが、世界はそれにひとまず成功してきた。インフレ目標や財政規律との組み合わせが、将来の破局を回避するのに十分であると思いたい。それは経済予測だけでなく、過度の楽観が転換することをも予測できれば良いのだが。
Financial Times, Thursday May 10 2001
Beyond IMF bailouts: default without disruption
Adam Lerrick and Allan Meltzer
トルコ政府に対して、この6年間で9度目の債務救済を行うべきか? あるいは金融危機が世界に広がるリスクをあえて冒すべきか? 救済は、たとえその効き目が短期でしかないと分かっていても、繰り返されてきた。それは投機家を喜ばせるだけで、その国の政府が約束を守る見込みはますます怪しくなった。国際的な最後の貸し手にとって、もっと良い選択肢があるはずだ。
救済融資にはコストがかかる。繰り返される介入は市場をゆがめる。それは、債務不履行か改革か、という難しい選択を回避させる。健全な投資判断であったのか、それともG7の納税者を犠牲にして投機にふけっただけなのか、問わないで済む。資本市場は、IMFが大規模な新興市場の破綻を望まないことを学んでしまった。債務国は、改革を約束するだけで100億ドルの融資が得られ、金利が毎年10億ドルも助かることを学んでしまった。こんな政策がますます問題を引き起こすとしても、IMF以外は誰も驚かない。
このシステムを正常化するには、債務不履行を受け入れ、損失を発生させること以外に無い。しかし、それが世界的な危機につながることを、国際機関は債務者や債権者以上に恐れる。債務危機が波及し、資本市場で買い手がいなくなり、流動性が消滅してますます売りが殺到し、市場価格による再評価や保証金の追加請求、そして解約の波が襲ってくる。危機は新興市場の全ての政府に広がり、遂に関係の無い資産まで、投資家は売れるものなら何でも売り始めるだろう。こうして市場は閉鎖される。
市場を開いたままパニックを防ぐには、最後の貸し手が必要である。しかし、過去の資金投入はこの役割を逸脱し、さらに多くの危機を招いた。むしろ、過ちを犯した借り手と貸し手が秩序正しく矯正されるような、建設的な債務不履行が求められる。
そこでわれわれは、IMFと他の政府機関が、危機に直面した政府に対して、その国の民間債務の全てについて、その債務組み換え後の価値を十分に割り引いた水準で信用を供与し、それが超優良資産とみなせる下値を提示することを求めたい。これによって金融機関や危機の伝染やパニックに至る不確実性から解放される。民間債権者は損失を被るが、それは予測できる範囲にある。上手くいけば、債務の負担も維持可能な水準に抑えられる。
建設的債務不履行の仕組みを築くには、次の三つの条件を示すことだ。1.民間部門の全ての利子・元本返済に対するモラトリアム。2.債務を支払い可能な水準に抑える債務削減をともなった迅速な組み換え。3.危機の影響を受ける他の新興経済に対するIMFの支援。
債務国の国債は初め暴落するが、公的な下値を超えた水準で安定化するだろう。そして、市場が救済融資の無いことを理解するに連れて、全ての新興経済において、正しいリスクを反映した水準まで国債が減らされる。IMFに担保として公的に買い取られた債務は、全ての新規借り入れの半分を使って優先的に返済させる。IMFに国債を買い取ってもらうことで、民間投資家は次第に債務組み換え後の債券を高く買い取るようになるだろう。IMFの関与は限定的となり、民間部門が高収益と均衡する形で債務不履行時のコストをすべて負うようになる。
900億ドルの莫大な債務が維持できなくなった<マニャーナ共和国>を考えてみよう。この国は民間部門が負った、新興市場全体の4分の1に及ぶ債務を利用して、世界金融システムを人質にとれるだろうか? すでに額面の80%で取引されている債務を、支払い可能な水準に引き下げるには、その70%を償却しなければならない。IMFは額面の60%、540億ドルを保証する。もし残りの全てを投資家が負担すれば、360億ドルの損失となる。マニャーナ国の債務の3分の1が削減され、IMFは540億ドルの融資の担保として900億ドルを保有するが、それは今や健全な借り手となったこの国によって容易に返済される。
債務不履行ができるということは、IMFが警告する以上の効果をもたらす。投資家はリスクを正しく評価し、新興市場の健全な政府は低い利子で借りられる。各国は健全な政策と安全な金融システムによってのみ成長の原資を得られると悟るだろう。公的部門が投機家を助けることはなくなり、市場の失敗に対する最後の貸し手として正しい仕事に戻るのだ。市場の規律が守られ、結果的に、通貨危機は減るだろう。
Bloomberg 05/09 17:19
Malaysia Miracle and Life After Capital Controls
By Patrick Smith
1998年9月1日を覚えているだろうか? それはマレーシアが自国の株式市場に流れ込んだ投機的資本を狙って資本規制を導入した日である。先週、マレーシア政府は最後の資本規制を撤廃した。それはまさに衝撃であった。マレーシアの資本は減らなかったのだ。当時は、銀行家も投資家も、マハティール首相の採った異端の振る舞いを、まるでダーツ・ゲームの的のように攻撃していた。
あのころマレーシアの崩壊を予言した連中はどこに行ったのか? アラン・グリーンスパン議長も、マレーシアのような愚行に走る国は、将来、外資が枯渇して、生活水準の低下と技術進歩の遅れによる低成長を避けられない、と予言した。
他方、Salomon Smith Barney(SSB)はマレーシアが銀行危機から立ち直るのを助ける契約を結んだ。マレーシアの資産は十分に投資適格であった、という。しかし当時、私はまったく異なる話を聞いていた。成長率が落ちて資本は無く、株価も下落し、外国の証券投資からマレーシアは見放される。多くのマレーシア人も資本逃避に走っている、と。
しかし、実際にマレーシア政府が行ったのは、投機的な資本移動から自国を切り離し、リンギを暴落させずに金利を引き下げ、銀行システムの資本を再強化するまでの時間を稼ぐ、ということであった。その結果、マレーシアは正常な経済活動に復帰したのだ。経常収支は黒字になり、GDPもその年に6.7%、2000年には8.5%で成長した。・・・アランはどこだ? 聞いているか? きっと焼き飯でも買いに行ったに違いない!
タイなどの新自由主義秩序に従った諸国と比べても、マレーシアの成長は決して悪くない。資本規制は、最近の株価や成長率の低下と関係ない。それはアメリカのハイ・テク・サイクルに取り込まれた諸国と共通する問題だ。むしろ、1950年代や60年代のヨーロッパ諸国が、そして、より長期にわたってアジア諸国が、さまざまな為替管理の下で繁栄していたことを思い出すべきだ。
マレーシア批判の根本問題は、「ワシントン・コンセンサス」というイデオロギーの薦めたモデルの有効性に関わる。アメリカは民間金融部門の大きな赤字を抱えているから、資本移動の規制を奨励できないのだ。しかし、アジアは違う。簡単に言えば、アジアの資本主義は異なっている。豊富な貯蓄があり、銀行融資を中心にした「仲間」との長期的関係を大切にしている。彼らは大量の短期資本流入ではなく、長期の資本を必要としていた。
教会で暴言を吐いたマレーシアに、信仰篤い者たちは息を呑んだ。彼らは今も沈黙を守っている。結局、自分のことしか考えていないのだ。
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The Economist, April 28th 2001
Transatlantic money tiff
ECBはその誕生時からずっと批判の的であった。今また、世界経済に対する配慮が欠けている、とオニール財務長官が批判している。アメリカも日本も金利を下げたから、ECBが下げないのはおかしい? しかし、金融政策は物まね遊びではない。正しい金利は、国内のインフレと成長見通しから判断される。確かにドイツの景気は悪化しているが、ユーロ圏全体の経済がその供給の限界に近いと思えるから、ECBは金利を切下げる余地がほとんど無い。ユーロ圏の潜在成長率が低いことを憂えるとしても、ECBがこれに対してできることはあまり無い。
しかし、ECBには世界経済を救う責任があるのだろうか? 経験に拠れば、その最善の策はユーロ圏の成長を持続可能な水準に維持することである、とわかる。アメリカが他国に行ってきた助言は、しばしば、ひどい間違いであった。1978年のボン・サミットで、ドイツは、リフレ政策をとって世界経済の機関車になれ、という圧力に屈した。それはとんでもない間違いで、その後の世界的なインフレを招いた。1980年代後半、今度は日本がアメリカの叱責に負けて金融緩和を続けた。その結果は、株価と地価に生じたバブルであり、その破裂が1990年代の苦しみをもたらした。
ドイセンベルグ氏の待機戦術は正しいだろう。しかし、もしアメリカの景気後退が深まるようであれば、金利引下げに踏み切るべきだ。そのためにも、アメリカはECBの決定に口を挟むべきではない。
(コメント)
意外なことに、多くの批判をよそに、ECBは金利を一定に保っていました。しかし、驚いたことに、皆が諦めた頃、突然?金利を下げたのです。さまざまな圧力があれば、ECBはそれに屈して金融政策を変更した、と思われないように、決して政策を変更しない、と言うことでしょうか(Financial Times, Friday May 11 2001, Tony Barber An independent spirit in Europe)。確かに中央銀行の行動は余りに政治的で、その影響力を行使しないだけでも、大変な間違いを犯している、と非難されます。たった一つの変数に、余りに多くの目的や解釈が集まることを避けて、他の手段を開発しておくべきです。
しかし、中央銀行の権力は、資本市場が社会に及ぼす権力に対抗して認められているように思います。資本市場改革や企業の社会的責任、雇用の安定化、などを積極的に制度化しなければ、金融政策はますます「ジキル博士とハイド氏」のような状態になるでしょう。
A cautious yes to pan-American trade
ケベックで開かれた南北アメリカ会議は、予定のわずかな変更と大量の催涙ガスにまみれたが、それでもアメリカ自由貿易協定FTAAをいくらか前進させたと言える。しかし、FTAAの実現には多くの障害がある。
アメリカ国内でも意見が分かれている。ブッシュ氏は議会から期限を決めて一括交渉権を得ることに努めているが、それには民主党からも共和党からも反対がある。また、ヴェネズエラのチャベス大統領が「民主主義条項」に示す反発ほどではないが、ラテン・アメリカ諸国もFTAAを強く支持しているとは言えない。ブラジルのカルドーソ大統領は、アメリカが反ダンピング規制や非関税障壁を取り除く場合にだけ支持する、と注文をつける。他の小国は、アメリカ企業との競争や金融不安を心配する。メキシコのフォックス大統領は、EUに倣って、軍事費の5%を削減して「社会統合化基金」を設けるように提案したが、アメリカが受け入れるはずも無い。カナダの通商大臣は、自由化協定よりも、それを維持する各国内の社会政策が重要である、と指摘した。
カナダは、反対派との対話を進めてきた。政府がさまざまな圧力団体を含む「もう一つのサミット」を財政的に支援した。平和的な反対派のデモを育成さえした。しかし、ケベックの旧市街を囲い込む5キロのフェンスは排除のシンボルとなってしまったし、通商閣僚と「市民社会」グループとの対話集会からはジャーナリストを追い出した。反対派にもいろいろあるが、「FTAAがもし新しい帝国主義とみなされるなら、成功する見込みは無いだろう」とゼーリック通商代表も認める。
ラテン・アメリカ各国はアメリカ議会に対するブッシュ氏の要請を支援できる。それ以上に、彼らは自国民に自由貿易の利益を説明し、敗者を救済しなければならない。FTAAに備えて、もっと社会資本を整備し、民間企業の競争を促進しなければならない。反対派は、FTAAが民主化を支持する条項を入れたことに注目すべきだろう。しかし、指導者たちは、本気でこの条項を適用するだろうか? ヴェネズエラだけでなく、ハイチやコロンビア、ペルーの政治体制、そして麻薬戦争をどうするのか?
Global Inequality: Winners and losers/Robert Wade
もし世界の所得分配を平等化するという意味でも、グローバリゼーションが全ての者に利益をもたらすなら、反グローバリゼーション運動が抱く不安のいくつかに対する回答になるだろう。世界の貧しい国と豊かな国の格差は狭まっているのだろうか?
世界の分配に関しては、主に、人口によって調整するか、市場の為替レートの代わりに購買力平価を用いるか、によって結果が異なる。どちらも採用しない場合、世界の分配は非常に大きく悪化しているが、両方の修正を加えると大きな変化は無い(それゆえ、所得の上昇は全ての者の利益になっている)。さらに新しい研究によれば、1988年から93年の間に、世界人口のの最貧困層10%が世界所得に占める割合は0.88%から0.64%に低下し、逆に世界の最富裕層10%の所得は48%から52%へと増加した。
世界の不平等が拡大している深い理由は、技術変化や金融自由化がもっぱら高所得層に利益をもたらしていることや、人口増加の影響、また豊かな国と貧しい国との交易条件が貧しい者に不利に作用した、と思われる。それゆえ、二重の極限化<marginalisation>が進んでいる。貧しい者の所得は減り、しかもますます高価な商品を買っている。
世界システムにおける分配の悪化は、世界の一方に平和と繁栄の地域を、他方に戦乱と貧困の地域をもたらす。教育や技術進歩、中間層の拡大や自由主義といった循環が働くのは前者だけであり、後者では国家が解体し、基礎的な物資にも事欠き、豊かな国の情報があふれて、ますます多くの者が移民となって流出する。
どの程度の不平等が望ましいか、という問いに単純な答は無い。しかし、豊かな国の市民たちが政治不安や移民への差別などで混乱を味わう前に、世界は、貧困を減らすすとともに、分配構造をより平等にするという問題を解決しなければならない。
(コメント)
The Economist は、Economics Focus: Of rich and poor でWadeに反対している。世界の分配問題を指摘するのは正しいが、その論理には飛躍がある、と。確かに、政府は成長を加速するために市場自由化を強調する余り、分配問題を解決する努力を怠っている。しかし、分配が顕著に悪化したのは、グローバリゼーションが及んでいないアフリカなどで中国・インドの農村地帯で貧困が解消されないからであって、グローバリゼーションを放置することも、それに逆らうことも、解決を意味しない。貧しい者を保護するのではなく、成長と革新に参加させることが重要である、と。
しかし、豊かな者の所得を減らすよりも、貧しい者の所得を増やす方が望ましい、というThe Economist の結論も、どれほどの所得格差が社会の公正さと両立し、経済的な効率を導くために必要か? という問題を避けていると思います。何億倍もの所得格差が許されるほど、世界はまだ豊かでも多様でもないでしょう。