今週の要約記事・コメント

4/30-5/4

IPEの果樹園 2001

中央銀行と政府は、それぞれの地域で、異なった条件の、異なった目標を掲げて、異なった合意もしくは交渉=取引を維持していると思います。私は日銀が構造改革に取り組むことを支持しました。政策は社会的な選択であって、決して一つではないからです。政策モデルの選択は、政治的・社会的な条件と権力を握る者の描くイメージに依存しているのではないでしょうか。

政治の可能性について自由に想像力をめぐらせれば、私は、野党が小泉政権の自民党改革を積極的に支援すべきだ、と思います。

今回の総裁選挙に対する関心の高さは、自民党の復活もしくは変化に対する期待感であったと思います。もし自民党が内部の改革に成功し、今後とも国民の関心を引く争点を明確に示すことができるなら、むしろ野党との政策協議や対立が明確になって、二大保守政党が形成されると思います。他方、小泉人気が単に旧支配のイメージ・チェンジだけに終われば、自民党そのものが消滅することを予感します。

二大保守政党の時代は、おそらく、労働者や地域社会の利益を目指す第三政党の誕生で次の転換点に向かうでしょう。小政党の乱立や小派閥の合従連衡を越えて、社会的公正を重視する政党、もしくは一方の保守政党の変身によって、基本的な政策と社会的改革の対立軸が示されるのではないでしょうか。

緩やかな二大政党政治は、結局、非常に良く似た政策綱領を示して、政権交代のショックを減らし、争点を取り入れやすくするでしょう。しかし同時に、それは根本的な批判や特別な小集団の問題を政党が制度的に取り込む能力を低下させる危険を示しています。政治の領域が国際的にも地域的にも水平的に分割されて、より多くの整合的な選択肢を選挙によって、またそれ以外のさまざまな手段でも示す工夫が、繰り返されるでしょう。

政治家たちは、どの政党でも、どの政治家でもなく、政治システムとして、国民の政治的な想像力を汚染し、衰えさせた愚行を繰り返すべきではないでしょう。

Financial Times, Monday Apr 23 2001

Editorial comment: Europe's navel-gazing

ドイセンベルグECB総裁は、財務大臣たちがECBの判断と政策を支持してくれて、安堵しただろう。また、大臣たちは通貨統合の暗黙の取引を堅持すると約束した。すなわち、労働市場や資本市場の改革を進め、政府が潜在成長率を高める代わりに、ECBは成長を支持する金融政策を採る、という取引である。

各国の意見は対立し、ベルギーのDidier Reynders財務大臣はドイセンベルグの職務遂行に疑問を示した。ECBの独立性と正統性を重視して、多くの大臣はドイセンベルグを支持した。しかし、ECBの金利政策を見る目はますます厳しくなる。

ヨーロッパの内部分裂は二つの危険を招く。一つは、改革と成長に関する政府とECBの暗黙の合意が失われることだ。構造改革は行き詰まり、投資家は将来に向けて悲観的になる。闘士や雇用が失われるだろう。もう一つは、アメリカとの対立が深まる危険だ。オニール財務長官は、ECBと各国財務大臣に対して、世界経済に対する責任ある対応をG7で求めるだろう。


Financial Times, Monday Apr 23 2001

Editorial comment: Peso's new peg

アルゼンチンのDomingo Cavallo経済大臣が発表したカレンシー・ボード改革案は、即座に金融市場での彼に対する評価を暴落させた。アルゼンチン国債の金利は他の新興市場の国債に比べて10%以上も高くなり、アルゼンチン株式市場は6%以上下落した。

カヴァロ氏は、アルゼンチンの通貨をドルだけでなくユーロにも固定する、と提案した。それはカレンシー・ボードを廃止するのではなく、ユーロの価値が増価してドルといっしょになった時点で、ドルとユーロを半々で評価したものにペッグする。すなわち、彼がこの計画に期待した利点は以下のものである。1.これは切り下げではない。2.これによって為替レートが貿易パターンをより良く反映する。3.その後のユーロ高はドル建の債務を軽減する。4.ペソ切下げや完全なドル化についての投機的な売買を終わらせる。

しかし、カヴァロの提案は市場の不安を増加させた。それは投資家たちに政府のカレンシー・ボードに対するコミットメントを疑わせた。なにより、アルゼンチンがデフォルトを回避するには、財政再建を長期的に進めていかねばならない。その政治的な支持を長期的に確保することは非常に困難であるからだ。


New York Times, April 22, 2001

RECKONINGS

Hearts and Heads

By PAUL KRUGMAN

あるヨーロッパの老人はこう言った。30歳にもならないうちから、社会主義者でないような奴はハート(真心・情熱)がない。30歳を過ぎても、まだ社会主義者であるような奴には頭(理性・知性)がない、と。これはまさに今のグローバリゼーション反対運動に当てはまる。

グローバリゼーションは必ずしも良いことばかりではない。第三世界で作られた製品を買えば、それは先進諸国の基準から見れば恐ろしく劣悪な労働環境の中、信じられないほどわずかな賃金で、労働者たちが生産した商品かもしれない。そのことに悩まされないとしたら、そんな奴にはハートが無い。

しかし、それは反対派のデモ隊が正しいことを意味しない。逆に、世界の貧困を救うには単に世界貿易をぶち壊せばよい、と考えるような奴には頭が無い。反グローバリゼーションの運動は、すでに貧しい者を痛めつけている。

たとえば、昨年の大統領選挙では、理性に欠けた者が理想主義に惑わされてネーダーに投票したために、ハートの無い人々が世界で最も強大な国を運営する結果になった、と見ることもできる。たとえ政府が彼らの望みどおりに動かせても、その結果は無残なものだろう。たとえば、1993年、ウォルマートで売る服がバングラデシュの児童労働によって作られた、ということから、Tom Harkin上院議員が低年齢の子供を働かす国からの輸入禁止法案を提出した。その結果、バングラデシュの衣服工場は子供を雇うのを止めた。しかし、子供たちは学校や家庭へ戻って幸せになったのか? Oxfamの報告によれば、工場を追い出された子供たちはもっとひどい職場で雇われ、あるいは通りで暮らし、かなりの数が売春している、と言う。

問題は、第三世界が貧しいのは低賃金で輸出しているからではない、と言うことだ。彼らが非常に貧しいから、低賃金の輸出産業が可能なのである。それは確かに劣悪な労働条件で、賃金も安いが、他の職場よりもましである。多数のメキシコ人がNAFTAによる輸出向け工場の職を求めて北部に移動している。もし賃金を高くすれば、そうした職場の多くは失われるだろう。インフラは乏しく、社会的な秩序も混乱しているので、彼らの生産性は低い。彼らは先進諸国よりもはるかに低い賃金を受け入れることで、世界市場の競争に参加できるのだ。

グローバリゼーション反対運動はこうした議論に反対して、たとえば、田園生活を賛美する。しかし、本気で工業化以前の村落に住む気があるのだろうか? また、第三世界の貧困は多国籍企業のせいだ、と言う。これはまったくの間違いだ。しかし、グローバリゼーションを悪者にしたい彼らには都合の良い迷信である。もっとも良くできた反対は、輸出に反対するのではなく、その労働条件や賃金を改善したい、と主張することであろう。しかし、それでも第三世界の諸国が渇望しているのは輸出産業であって、理想郷ではないのだ。そのために労働条件や賃金が(グローバリゼーション反対派にとって、受け入れがたいほど)悪くても、彼らはもっと多くの輸出を望んでいる。

誰が責められるべきか? 反対派の活動は、ケベックに集まった指導者たちを何千もの警察官に守られた飛び地に閉じ込め、激怒する群集の標的にした。イメージは重要である。しかし、フェンスの内側では貧しい者を助ける話し合いをしていたのに、外の群集は、その意図が何であれ、ますます多くの貧困をもたらしたのだ。


Washington Post, Monday, April 23, 2001

Why We Shouldn't Bail on Bailouts

By Sebastian Mallaby

ケベック・サミットでブッシュ政権は反グローバリゼーションの抗議を退けて、南北アメリカの自由貿易を進めた。しかし、今週もう一つの重要な会議がある。ワシントンにおける春のIMF・世銀総会である。しかも今、金融システムの崩壊につながりかねない三つの国がある。NATOの重要な同盟国であるトルコ。ラテン・アメリカ、さらには新興市場全体への投資に影響するアルゼンチン。潜在的には中国に匹敵するインドネシア、の金融危機である。

これら三つの国では、すべて政治的な不安定性が金融問題に波及した。逆にまた、金融危機が悪化すれば政治的な崩壊が進むだろう。それは年金基金の資産が減らし、新興市場向け投資信託が損失を出すとともに、アメリカの輸出先が減るという意味で、アメリカの金融的な利益を損なう。

もし西側に好意的な改革推進派がトルコやインドネシアで経済復興に失敗すれば、両国で戦闘的なイスラム原理主義が強まるだろう。また、ハーヴァードで学んだアルゼンチンのカヴァロ経済大臣が失脚すれば、ヴェネズエラの嫌米ポピュリスト政治家、チャベス大統領がラテン・アメリカで気勢を上げるだろう。1998年のデフォルトがナショナリストを勢い付かせ、ロシアはチェチェン紛争に深入りし、結局、KGBのプーチンを政権に就かせたことを思い出すべきだ。あるいは、アメリカの救済融資でペソ危機を克服できたメキシコは、親米的な民主派のフォックス大統領に有利な選挙戦を準備した。

1997-98年の危機に比べて、今やアメリカの景気は後退しつつある。さらに、国際的な救済策bail-outsを嫌うアメリカ政府には、かつてのような国際的指導力を望めない。オニール財務長官も、大統領主席経済顧問ローレンス・リンゼーも、救済融資に反対である。

ブッシュ大統領は不況に対してできることがないとしても、金融危機に対して積極的な対応を促すことができる。彼は、世界経済のために環境についての強硬な姿勢を改めた。同様に、国際救済融資についても修正が必要だ。もし無責任な投資家を助長させると言って反対する者がいたら、その人に「自動車保険に入っていないのか?」と質すべきだろう。


Financial Times, Wednesday Apr 25 2001

Editorial comment: Demystification

大西洋を越えた非難の応酬で、今週のG7は互いに聞く耳を持たない喧嘩別れになるかもしれない。世界経済の現状に関してそんなふうにもめるのは、アメリカとヨーロッパでは基本的な政策観が異なるからだ。

アメリカは、積極的な中央銀行の政策として、景気後退局面の需要管理問題を扱おうとする。他方、ヨーロッパは経済政策の伝統的な立場を守り、ECBに物価の安定だけを求めている。EUの政治家の多くは及び腰であるが、供給側の改革がより多く必要である。

第二に、アメリカは大幅な需要の減少を心配しているが、ユーロ圏はもっぱら安定した域内需要に頼っている。しかし、アメリカの多くの政策担当者は、ユーロ圏の成長も低下すると見ている。

第三に、世界経済に果たす役割について考え方が異なる。ヨーロッパの政策担当者は成長率におおむね満足しているが、アメリカの政策担当者は世界経済の落ち込みを補うようにヨーロッパはもっと成長すべきだ、と考える。

もしアメリカがヨーロッパに長期トレンドを超える成長を求めるなら、メガホン外交ではなく、静かに説得すべきである。それが、潜在的な産出を増やす構造改革にも知的な支持を与えることになる。そしてECBは、アメリカ政府に過度の成長はインフレを招くことを説明しなければならない。

G7は、大臣や中央銀行総裁、官僚たちの単なる会合だけでなく、彼らが心情としても歩み寄る場であるはずだ。


Financial Times, Thursday Apr 26 2001

Debt is not the problem for Argentina

Domingo Cavallominister of the economy of Argentina

アルゼンチン国債とアメリカ財務省証券との金利差が、今週、13%近くにも達した。しかし、アルゼンチンが債務免除を求める、という思惑は間違っている。過去には、もっと深刻な債務を負った国があったが、見事にそれを返済した。たとえばアイルランドの債務は1995年にGDP81%であったが、今では40%に抑えられた。債務問題の解決策は、免除ではなく成長である。

ウォール街の投資家は、アルゼンチンが「戦略的」債務破棄に進む、などと憶測しているが、それは間違いだ。なぜなら、そんなことをしても持続的な成長につながらないからだ。むしろそんなことをすれば不況が悪化し、アルゼンチンの国民自身を苦しめる。エクアドルやロシアがどうなったか考えてみればよい。

債務の組み換えが、一部のヘッジ・ファンドやヴェンチャー・ファンドにとっては、コストのさほど高くない選択肢かもしれない。しかし、長期の債権債務関係を持つ銀行にとって甚大なコストを意味する。彼らは融資を削減し、経済の拡大を破綻させるしかない。

アルゼンチンの債務は、多くのものが思うほど大きくない。それはGDP50.8%であり、平均満期は約8年で、国際的に見て十分に長い。外貨建債務ということを問題にするが、現在のような貨幣制度の下では自動的に外貨の流入がともなっており、しかも債務の大部分は国内向けである。

アルゼンチンは直接投資も証券投資も必要としている。国内の消費を増やさなければ、政治的な混乱を避けられないからだ。デフォルトは、むしろ資本逃避を促す上に、債務返済が確かでない経済において生産的な資源配分は達成されない。金融システムの崩壊をもたらす債務の組み換えではなく、国内の資本市場、金融市場の発達を促すことで、われわれは問題を解決する。

中央銀行は銀行の預金準備率を低くできる。財政赤字と政府債務の水準を下げる必要があるので、政府は規制緩和や国際貿易の拡大で民間投資の増加を促したい。しかし、最初の一歩は、市場の否定的な認識を改めさせることだ。次に、この3ないし4年で失われた国際競争力を回復させる。税制の改革、企業家を促し長期的に生産性を上昇させる改革も進めるだろう。こうしたことすべてが、債務の不履行や組み換えと矛盾する。

アルゼンチンは債務を必ず履行するし、切下げるつもりも無い。根拠の無いサイレンに惑わされず、われわれの政策を見て欲しい。


Financial Times, Thursday Apr 26 2001

Steady as she goes

Gerard Baker

先週の金利引下げは、楽観派によれば時機を得た的確な判断であり、悲観派によれば絶望的な自滅行為であったが、Fedは前回の金利引下げとともに予定していた行動であった。では、その目標はどこにあるのか? どこまで下げる気か?

一つの基準は、インフレを調整して経済を引き締めも刺激もしないような、中立的な実質金利を、Fedがどこに求めるかである。生産性上昇率を2.252.75%とすると、約2.5%の現在のインフレを考慮して、それは4.75から5.25%であると推定される。4.5%はすでにその下にあるが、経済が潜在成長率を下回っているという観点からは、さらに刺激が必要である。

それゆえ、Fedがこれ以上の景気の減速はないと確信するまで、金利引下げは続くだろう。その判断には、投資が確実に減少する上に、二つの曖昧さが残る。投資サイクルの低下局面では金融政策が効果を失うという問題があり、バブルの破裂で、消費者の行動がどうなるか分からない。さらに、日本やヨーロッパの経済成長が衰える危険もある。

今回の引き下げですべてが上手くいく、とは、まだ言えない。

(コメント)

Washington Post, Wednesday, April 25, 2001に載った Greenspan vs. The Glut ではRobert J. SamuelsonGreespanが戦っているのは「過剰(Glut)」である、と述べています。過度の強気な需要予測と投資が、過剰な生産設備、過剰な在庫、過剰な債務となって、いまや企業を押し潰しつつある。Fedにできることは、せめて消費者が過度の悲観に捕らわれないように、金利を下げつづけて景気拡大がすぐに来ると信じさせるだけであろう、と。それは非常に困難であるけれど。


Bloomberg 04/25

Koizumi's Victory: It's the Singer, Not the Song

By Patrick Smith

スミスは、小泉の勝利は、その政策の選択であったのか? それとも、人物の選択であったのか? と問う。そして、小泉の最も重要な課題が、自民党を「若く見せる」ことであり、自民党が「若返る」わけではない、と言う。また彼の目標は、自民党を変えることであり、日本が変わることでもない。ただし、この点で彼の考えは矛盾していない。なぜなら、自民党にとって良いことは、日本にとっても良いことだ、と考えるからだ。

しかし、それは政治の問題であって、政策ビジョンではない、とスミスは小泉の政策に関して疑問を示す。小泉は過去30年間も自民党にいて、しかも森首相の下では総裁派閥に属していた。郵貯民営化への彼の執念も、総裁選とともに曖昧になった。他方、非効率な公共投資を削減するのは結構だが、銀行の不良債権処理や公共投資を減らした場合の不況についてはどうするつもりか? デフレが長引いた場合の経常黒字累積についてアメリカなどが不利益を被ることを彼はまったく考えていない。

反政治という政治スローガンを掲げることは、手作りビールとして安物の缶ビールを売るようなものだ。参院選で小泉が勝てなければ、自民党政治は終わりだろう。

また、KRUGMANは、小泉を日本のフランクリン・ルーズベルトより、日本のハーバート・フーヴァーになりそうだ、と心配する。


New York Times, April 25, 2001 RECKONINGS

Purging the Rottenness

By PAUL KRUGMAN

改革のためには血が流れてもやむを得ない、という小泉の考え方は、大恐慌時のアンドリュー・メロン財務長官とそっくりだ。「システムから腐敗を一掃しなければならない」と彼は主張した。しかし彼は、需要の問題を供給の問題と混同してしまったのだ。

生産能力の不足で苦しむ経済には、資本のような希少資源を効率的に利用することが必要だ。日本の郵便貯金制度は確かに利益を生まないような投資に使われており、大変、効率が悪い。しかし、日本は供給能力の不足に苦しんでいるのではない。むしろ、需要が不十分なために、すなわち消費者も企業も生産能力に見合った支出をしてくれないことで、苦しんでいる。そんなときに財政赤字を削減し、利潤を生まない企業をいくら整理しても、もっともらしく聞こえるが、ますます不況が深刻化するだけだ。

日本は不況を必要としている、という机上の空論があふれている。システムを浄化すれば、需要は湧き出すはずではないか? なぜ、銀行には現金があり余っているのに、融資できないのか? なぜ古い融資を償却できないのか? 確かに小泉が言うように、銀行の救済で政府債務を増やし続けることはできない。しかし、何かがなされるべきだ。小泉は、完全な不況によって問題を一掃する、という。

このジレンマに対して、多くの経済学者は合意に達しつつある。すなわち、日本は思い切った金融緩和策を採るべきである、と。日本銀行はドル、ユーロ、国債を購入すべきである。それは緩やかなインフレと円安とを促すことである。

それは機能するはずだ。しかし、問題はそれが採用されそうに無いことである。たとえ小泉が革新的な指導者でも、日銀とアメリカ財務省がそれを拒むだろう。日銀は、現在の不況は改革が足りないからだ、と言い、オニール財務長官は、日本が大幅な円安を促すことを許さない。日本は、過去から学ぼうとしない者たちのために犠牲となる。


Financial Times, Friday Apr 27 2001

Asia's colliding interests

John Thornhill and Gillian Tett

15億の人口と世界のGDPの20%が、この地域にはある。そして、世界で最も危険な二つの紛争点、台湾と朝鮮もある。いくつかの偶発的な事故が重なって、この地域の不安定さが浮き彫りになった。中国が軍事的・経済的な力をつけるに従い、この地域の勢力均衡は変化する。再生した日本と韓国が協力することでのみ、かろうじて均衡が保てるかもしれない。しかし、中国は余りに大きい。中国と日本で強まるナショナリズムの行方、そしてアメリカの関与が、この地域にとって重要な意味を持つ。

シンガポールのStraits Times, APRIL 26, 2001 に載ったコラム WASHINGTON'S ARMS SALE TO TAIPEI: US and Taiwan's defence systems further integrated で、Ching Cheong は、今回の武器売却が、過去最大(70億ドル以上)であり、しかも防御だけでなく攻撃のためのKidd級戦闘機を含む点に注目した。これは、アメリカが台湾を国内の中国封じ込め体制に向けて組み込む姿勢をさらに進めたものだ、と中国側の軍事専門家は見ている。もちろん日本もその一部である。

他方、香港の英字紙South China Morning Post, Monday, April 23, 2001に載ったThree-way agreement needed to restore confidence というコラムでは、TOM PLATEが、ポスト冷戦構造の模索がアジアでも始まった、として、リー・クァン・ユーの言葉を引いている。アジアでは、アメリカも中国も、日本も、決して一国で覇権を確立することは無い。アメリカと中国が対立すれば、アメリカは遠すぎる。日本が地域の安定にもっと積極的な発言と行動を示す国に変わることで、この三国間のバランスが確立される、と。


Bloomberg 04/25

Argentine Currency's Night of the Long Knives

Bloomberg 04/29

Argentina's Bond Swap Deal Is Smoke and Mirrors

By David DeRosa

もしアルゼンチン・ペソをまだ持っているのなら、今すぐに売ってしまうことだ、と私は先週末に主張した。カヴァロが民間銀行の不満を聞いて金利を下げようと意図している。さらに、カレンシー・ボードの改革を試み、デ・ラ・ルーア大統領による思慮の無い批判がパニックを招きつつある。むしろ、民間銀行を政府の破産リスクから分離する必要があるだろう。

IMFやアメリカのブッシュ政権が救済融資を行うことは考えられない。民間企業は為替リスクをヘッジし、あるいは切下げの影響を受けない商品や原材料に資産を予め交換しようとしている。

アルゼンチンの金融市場は、政府が短期債務を長期に転換できた後で、強気に転じた。しかし、今は支払えないから債権者に融資の期限を引き延ばしてもらう、というのはよくある話だ。債権者は、より長期の証券を買いたかったのではなく、デフォルトを回避したかっただけである。

それは約200億ドルの債務に対する「自発的な」切り換えとして提案された、と言う。ある種のプレミアムを付けることで、この交換は強制ではない、という外観を保っている。しかし、私はそれを「自発的」などと思わない。債券保有者がそうしなかった場合の結果は受け入れられないほど酷い、というだけのことだ。

カレンシー・ボードの下では、すべての流通しているペソにドルの準備がある。政府はすべての通貨をドルに交換しつづけることができるはずだ。しかし、1対1の固定レートを信じて、為替ヘッジをせずに多くのドル建債務が契約されている。政府はある時点で外貨準備が枯渇することを防ぎ、切下げざるを得ない。

1998年のロシアで悪夢の先例がある。ロシアはカレンシー・ボードを採っていなかったが、ドルとの固定制を採用していた。ロシア国内の企業や機関はドル建の債務を過度に負っていたから、ルーブルを売ってドルを買い、リスクをヘッジすることに殺到した。ロシアの債務をデリバティブで保有していた外国投資家も、ルーブルへのエクスポージャーを一斉に切ろうとした。すなわち政府がデフォルトに陥って、通貨が下落すれば、それは尋常の暴落では済まないのだ。

アルゼンチン政府は、ほんのしばらく息継ぎができればよい、と説明したかもしれない。しかし、私はマレーシアが19989月に資本規制を導入したときのことを思い出す。当時も、外国為替市場に亀裂が走り、マレーシアはほんの少しだけ時間を必要としたように見えた。アルゼンチンの国債は、たとえ技術的にデフォルトを免れていても、それは事実上すでにデフォルトなのだ。

The Economist, April 14th 2001