今週の要約記事・コメント
3/5-3/9
IPEの果樹園 2001
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自宅で使っているコンピューターが壊れ、システムが立ち上がらなくなりました。何日も右往左往し、頭が真っ白になったり、真っ暗になったり…。バック・アップを必ず取っておく、しかないようです。「リスク管理」という言葉が流行したのも、テロや戦争ではなく、むしろコンピューターによる取引量の増大と処理速度の向上が、組織や社会の意思決定を変質させたことと関係あると思います。
第二次世界大戦前、再建金本位制が衰退したころの世界は、今と少し似ていたようです。世界のあちこちで、何人かの人が、再びポピュリズム政治運動とオーストリア学派の金融理論に注目し始めています。
ポピュリズムを批判するのは容易かもしれません。しかし、既存の政治制度や市場の調整過程が、社会のますます多くの人びとに不公平な印象を与えています。新しいエリートたちの問題解決能力に対する不信、もしくは旧体制に関する怨嗟が深まっていることも、その背景にあるはずです。
管理された貿易や管理された為替レート、管理された資本市場が、その国際基準を失って解体してから、「市場の制御」という思想は後退し続けてきました。しかし、株式相場を予想する市場分析家たちが、各国政府の箸の上げ下ろしにまで注文を付けるのは、本当に「合理的」なのでしょうか? 資本市場とメディア、コンピューターに増幅された妄想に従い、人々は多くの判断を市場に期待しすぎています。市場は自らを統治しない、というように、すでに形勢は逆転しているかもしれません。
自律的調整メカニズムと投資ロボットの支配する世界資本市場では、どのような政治や民主主義が可能なのでしょうか? 世界大恐慌と1930年代の経済・社会変動が、その後の戦争と国際組織の発達とともに、現在の私達の社会にとって基本的な土台を形成しました。
確かに、政府への批判を弾圧することはできても、大規模な人口移動や資本逃避には勝てません。通貨危機は、無能な政府を解任する、資本市場の最後の手段であると思います。しかし、同様に通貨危機は、資本流入が「合理性」や社会にとって正しい政治判断を示すものでもない、ということを示しました。
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Washington Post, Monday, February 26, 2001
This Tax Cut Could Too Hurt Us
By C. Fred Bergsten
減税は当然のこととして、その規模や異なる集団への効果ばかり議論されている。誰もが減税政策は経済を刺激すると前提している。しかし、それは疑わしい。なぜならアメリカの国際的な純債務額が無視されているからだ。
大型減税は財政余剰を減らし、アメリカの国民貯蓄を減らす。減税が大規模になるほど、貯蓄率は大きく低下する。アメリカの貯蓄率は既に主要諸国の中でも特に低い。アメリカが投資と成長を維持するためには、国内民間部門か、もしくは外国から貯蓄を引き寄せねばならない。他方、減税策の目的はまさに民間の支出を増やすことなのである。
1981年のレーガン政権による減税は、まさに外国から貯蓄を引き寄せた。当時、アメリカは60年間も国際収支が黒字であり、世界最大の債権国であった。だから外国の投資家は1980年代に約8000億ドルを貸した。しかし、同じことを今後も期待してはいけない。この20年間で、アメリカの対外ポジションは大きく変化したからだ。今やアメリカは、毎年5000億ドルの赤字を出し、外国投資家から毎営業日およそ20億ドルを借入れている。アメリカは2兆ドルの対外債務を負った世界一の債務国である。
ドルはすでに危険な位置にある。10兆ドル以上のドル資産が、短期に、ヨーロッパや非アメリカの資産に移転されるかもしれない。アメリカ人もドルからの逃避に参加するだろう。毎年1000億から2000億ドルもの投資をさらに引き寄せるつもりなら、減税策はらくだの背中を打ち砕く。
ドルは20%か30%は暴落するだろう。輸入物価が上昇するので、アメリカの物価水準も2ないし3%は上昇する。それに応じて外国投資家はより高い金利を求めるから、少なくとも同じか、多分、それ以上に高い金利になるだろう。すると、今まで以上に株価が下落する。こうして減税策の結果は、三重の打撃により、経済を刺激するよりも落ち込ませる。そしてFedも金融緩和ができなくなる。
減税策は景気回復ではなく「ハード・ランディング」をもたらすだろう。政府もFedも、破壊的な連鎖の引き金に触れないよう、この問題を話さない。オニール財務長官は「減税がわれわれに悪いはずはない」と言ったが、それは違う。貿易赤字や経常赤字を大幅に削減し、外国からの融資に依存することをまず止めるべきだ。
Far Eastern Economic Review, March 1, 2001
Reinventing the Bank of Thailand
By Shawn W. Crispin/BANGKOK
タイ中央銀行(BOT)のチャツモンコル・ソナクル総裁は技術者であった。1998年、アジア通貨危機の後、タイの金融制度は大改革を必要としていた。彼は民間銀行の既得権から自由であったため、BOT自身を苦しみながら変えることで、銀行システムの改革を指導できた。
BOTの組織は階層が減り、指令は広く行き渡るようになった。各部局が互いに情報を隠匿することはなくなり、職員を<OTAE>open communication, teamwork, accountability and efficiencyで評価した。実力主義は新しい能力を必要としたから、職員の自発的な退職を促した。チャツモンコル総裁が厳格な指導力を発揮できたのは、王室の血縁でもある彼の人柄が重要であった。彼がBOT総裁である限り、誰もその改革を邪魔できない。
それゆえチャツモンコル総裁と新しいタクシン首相との間で対立が起きる可能性が高い。タクシン首相の公約である農民の債務支払猶予や巨額の財政支出は、BOTの金融監督やマクロ経済管理の目標と矛盾している。これらの対立がどのように解決されるかが、BOTの将来の独立性と信頼を長く支配するだろう。
危機以後も、BOTへの信頼は欠けていた。情報開示と縁故による融資関係のチェックが不十分で、危機への警告を見誤り、もしくは黙認した。中でも最悪の事実は、バーツ買支えのために234億ドルの先物とスワップによる介入を放置したことである。BOTは経済危機を招いた官僚の失政と腐敗を象徴していた。
ゆっくりではあったが、チャツモンコル新総裁はBOT内部の「文化革命」を推進した。共有された情報と業績が、曖昧さや権威よりも重視されている。職員に特に求めている技術とは、リスク管理である。その精力的な改革姿勢により、彼はタイの不良債権問題に挑む理想的な大蔵大臣候補とみなされていた。しかしタクシン新首相は、無名の、自分に忠実なソムキッドを、蔵相に指名した。
タクシンは金融サービス産業の将来を支配できなくなることを喜ばないのである。チャツモンコル総裁の自立した地位は、タクシン政権によって脅かされる。もしすべての公約を実現するつもりなら、タクシンとBOTとは戦うことになる。タクシンが国債による財政赤字拡大を続ければ、BOTの基盤であるインフレ・ターゲット政策と完全に矛盾する。
「大蔵省の誰もが政府の銀行を欲しがっている。率直に言って、そんな政府は、頭に穴を開けるようなものだ。」と総裁は言う。しかし、タクシンの経済改革案には二つの国営銀行を設立することも含まれる。農民債務に対する3年間のモラトリアムにも、BOTが築こうとしている良質の債権管理文化に矛盾するモラル・ハザードの心配がある。マクロ経済が安定している今、両者の対立は表面化していない。タクシンはチャツモンコルを大蔵省の次官から排除しただけである。しかし、アメリカと日本で景気悪化が予想される中、対立が深まり、総裁の辞任に及ぶかもしれない。
The Nation, February 27 , 2001
'Populist' policies under fire
タクシン政権とチュアン前首相ら野党との国会論戦が始まった。野党は、タクシン首相の政策を、すべての者に利益を約束して経済を破綻させる「ポピュリスト」政策である、と批判した。政策論争は、イデオロギー対立を鮮明にしている。
チュアン氏は、政府の政策を「不必要で、効果のない政府支出を増大させ」、「納税者に対する将来の負担を増加させ」る、と批判する。豊かな農民やそれぞれの農村の事情を無視して、一律に補償金をばら撒くこと。弱体な、もしくは悪質な銀行にも包括的な保証を与えること。無料の医療サービスを必要とする農民や高額の負担を行える裕福な者に一律一回30バーツの医療費で固定すること。こうしたことには何の根拠も無い。タイはまだあまりに貧しく、限られた資源をより効果的に、もっともそれを必要としている人びとへの支援に充てなければならない、と。
それまで政権を批判してきた愛国党が、庶民の苦しみを救えない、という同じ理由で批判されている。タクシン首相は「われわれは皆、同じ船に乗っている」と主張する。ソムキッド蔵相は、より攻撃的に、「金で解決できる問題で人々が苦しんでいるとき、政府が金を出せるのに寝たふりをしていられるか!」と反論した。
しかし、チュアンらは「船が沈んでいくとしたら、政府が乱発する国債の重みのせいだ」と追求する。そして農民への債務減免も、将来、さらに多くの債務を農民にもたらすだけである、と。
批判に対してタクシン首相は、経済危機で傷ついた地方の経営者と失業した労働者たちを励まし、農民達の生産性を向上させることこそが自分の目標である、と答える。
Financial Times, Monday February 27 2001
Turkey trips on its weak peg
Martin Wolf
IMFの主席副専務理事であるスタンリー・フィッシャーは、1994年のメキシコ危機以来、主要な通貨危機はどれも固定レートもしくは釘付けされたレートを採用していた、と述べた。その崩壊は、通貨政策への信任を失わせ、バランス・シートを悪化させる。
インフレ率の高かった国は、通貨の減価がインフレを予想させ、それが実現する。それゆえ爆発的なインフレを防止するために、長期にわたって実質金利を高くしておく必要がある。しかし、それは不況をもたらし、倒産を増やす。
為替レートが釘付けされていれば、外国の低金利で資本を調達して、国内の高利回り資産に投資すれば明らかに儲かる。しかし、ペッグが崩壊すれば、多くのヘッジしていない債務者は損失を出し、国家によって実質的に債務保証されている銀行のコストは税金で支払われる。それは政府の政策を最も信用した者が最も罰せられる点で、政府の信任を深く傷つける。しかも信任を得ていない政府ほど、ペッグ制に頼りがちである。
フィッシャーは、「二極化」が避けられない、と考える。世界資本移動にさらされた諸国は、変更不可能な長期の固定制か、変動相場制か、どちらかを採用するだろう。政府が特定の為替レート(もしくはその変動幅)に安住しつつ、すべてを賭けてこのレートを守る必要は無い、という制度は不可能になった。
固定制の崩壊によるコストは同じではなかった。1990年代に固定制が採用された条件は三つに分けられる。1.高度な金融システムを持つ発達した諸国。2.貿易に依存し、金融システムは未熟だが金融・財政の安定性を維持していた新興市場経済。3.通貨の不安定性を抱えているため、ペッグ制にインフレ抑制のアンカーを求めた新興市場経済。
最初のグループ(イギリスのERM離脱など)は大きな被害を受けなかった。第二のグループ(インドネシア以外のアジア諸国)は政府の信任を失うことは少なかったが、バランス・シートの悪化が大きかった。最後の諸国(メキシコ、ロシアなど)は、政府の信任が大きく損なわれた。それゆえ、長期の高金利政策を強いられた。
イスラエルやポーランドのように、インフレ抑制に為替レートのペッグを利用し、通貨が安定してから、これを放棄した国もある。しかしそれが成功するには、幸運と規律と時期が味方しなければならない。トルコも政府への信任を維持できれば、極端な減価によるバランス・シートの大幅な悪化を防げるだろう。
また、トルコが対外債務を、特にヨーロッパの、銀行融資に拠っていることは幸運である。融資を維持してくれるように合意を形成する説得も可能であろう。そのため、政府は国内の銀行再編を促し、追加の融資が支払不能の機関に流れる心配を最小限に食い止めなければならない。政府は、断固として、財政規律を守り、金融政策の信認を制度化し、金融システムの健全化に取り組むべきである。
Financial Times, Thursday Mar 1 2001
Alternatives to inflation targets
Samuel Brittan
2%のインフレ目標は、イングランド銀行が不況に直面して過度に引締め策を採らないよう定められた、大まかな予防策であった。しかし、この目標が間違う状況もある。たとえば、もし不況のせいではなく、生産性が大幅に上昇したためにインフレ率が低下し、あるいはマイナスになった場合、競争は利潤を制限し、インフレ率もさらに低下し、物価が下落することさえ望ましいだろう。
逆に、原油価格が大幅に上昇した場合、中央銀行はインフレを以前の水準に急速に戻すべきだろうか? あるいは、ウォール街の大暴落やLTCMのような大規模倒産が起きた場合、デフレの危険が無くても、連銀は流動性への回帰を支持して貨幣供給を増やすべきではないのか?
かつて、マネタリズム(インフレ目標)でもケインズ主義(有効需要管理)でもない、もう一つの貨幣政策に関する理論があった。スウェーデンの経済学者クヌート・ヴィクセルに依拠するオーストリア学派である。彼は、市場金利と区別して、意図された貯蓄と投資を一致させる、観測できない「自然金利」を考えた。金融政策の目標は「中立的」であること、言い換えれば、自然金利と市場金利との開きを最小にすることである。「オーストリア学派」、特にミーゼスやハイエクは、物価水準の安定化だけでは不十分だと主張した。彼らは、相対価格が変化して、投資の資本集約度が過剰に変化することを強調した。
戦間期、オーストリア学派は、間違った投資を清算させて、不況が完全に終わるまで放置するよう主張した。しかし、1970年代の初めから復活しつつあるオーストリア学派の一人、スティーブン・ホーウィッツは、通貨やインフレを目標とせず、中立貨幣を目指している。それは、民間の競争的な自由通貨発行を認める、というハイエクの晩年の思想に基づくが、ハイエクと違って、ホーウィッツは民間の通貨発行を商品量に結びつける。
不幸にして、「フリー・バンキング」は問題に直面する。すなわち民間による貨幣の自由発行は、現状では、人びとに公的な通貨を廃棄させて、歯止めないインフレーションに落ち込むことである。しかし、全く不可能というのではない。例えば、実質短期金利の正常な水準を求める調査が行われている。
自然金利は一定ではない。中央銀行総裁は、硬直的なインフレ目標をオウムのように繰り返すより、その判断が求められる。
Financial Times, Thursday Mar 1 2001
A different downturn
Gerard Baker
第二次世界大戦後の景気後退は常にFedの金融緩和で終わったことが、グリーンスパンへの強い信頼と金融緩和期待を生んでいる。しかし、今回の「景気過熱」は安定した物価の下で起きた。インフレ的な需要の抑制ではなく、株価の下落と投資の落ち込みが景気後退をもたらしている。
こうした景気循環は戦前のパターンに似ている。サプライ・サイドの不況はより長く、より深かったが、同時に、自律的に回復した。通貨政策ではなく、民間部門の投資の持続可能性が問題であった。その意味で、アメリカの今の苦境は日本の1980年代後半に似ている。資産価格の暴落に直面した日本銀行は、供給側のバランスが回復するまで、金融緩和は無効であった。
インフレ抑制において実現した経済の過熱が、はじめて後退しつつある。Fedの役割はより限られたものだろう。
Bloomberg 03/01 16:12
Japan Gives Even Lovers of Risk the Jitters
By William Pesek Jr.
ボストンのダン・フスほどガッツのある債券投資家を見つけるのは難しいだろう。1980年代に、皆が逃げ出したラテン・アメリカの証券を買い、1998年には、浮動的なニュー・ジーランド債を買った。危機に病んだ韓国やマレーシアの債券、2000年の後半には多くの投資家が買わなくなったアメリカの社債も買った。皆が恐れるクレジット・クランチこそ、フスの購入チャンスであった。
しかし、たった一つ彼の鋼鉄の胃袋も受けつけない債券がある。それは通貨の不安定なロシアやトルコでもなく、莫大な赤字と金融不安の歴史を持つブラジルやアルゼンチンでもない。また、政治危機の深まるインドネシアやフィリピンでもない。それは、G7の一つ、世界最大の国債市場を持つ、日本である。
「利回りは低く、信用は悪化しつつあり、首相は辞任寸前で、通貨も脆弱だ。私でも完全な混乱には投資できない。」と、彼は言う。
1月の工業生産は3.9%減少し、日経225は15年来の低水準、日銀は短期金利目標を0.25%から0.15%に引き下げた。先週、スタンダード&プアーズ社は日本国債の格付けを落とした。それは多くの投資家にとって、大きな売り圧力に日本の国債が脆弱になったことを示している。収益を重視する投資家は日本を避けるだろう。更なる金利引下げと円安の予想が強まっている。
「日本経済の現状を見れば、政府はまだまだ国債を増発するだろう。私はそれが壁紙に使うしかなくなると思う。」とフスは言った。確かに、国債残高の9割以上が国内の投資家に保有されているから、アメリカやヨーロッパの国債よりも海外からの売却の可能性は小さい。しかしながら日本の投資家は、あまりに低い利回りを嫌って、より多くの資金を海外に向けるだろう。
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The Economist, February 17th 2001
Reforming the sisters
IMFと世銀の改革は、長年にわたってワシントンの伴奏曲であった。最近の国際金融混乱を処理する過程で、それは大きく注目されるようになった。もし「国際金融アーキテクチュア」の改革案一つ一つに1ドルを発展途上国が得られるとすれば、第三世界の貧困は解消されたかもしれない。
良くも悪くも、アメリカの両機関に対する政策が決定的である。ホワイト・ハウスの新しい政府チームには、この遅れた改革を要求し、監視する用意があるように見える。強硬なIMF批判を明らかにしたリンゼー大統領顧問も含めて、新政府は国際経済協力に懐疑的である。前政権も含めて、「国際派」の政府はIMFや世銀をそれ自体が優れたものとして支援することで、混乱をもたらした。これらの機関が存在すべきかどうか、どのような目的を追求するのか、どの程度その任務を果たしているのか、新政府が問うのは良いことだろう。
ジェフリー・サックスなど、下院に任命された重要な専門家を含むメルツァー委員会は、改革に役立つ報告を提出した。委員会は、IMFと世銀が過度に任務を拡張してしまった、と批判する。それは緊急時の流動性供給を目的に設立されながら、開発機関としてマクロの安定化やミクロの改革にまで口を出した。両機関の仕事は重複し、世銀は民間資本市場にアクセスできる諸国にもいまだに資金供給している。
両機関がもっと効果的になるには、その関与や融資を減らすべきである。両機関ももっと焦点を絞ると述べてきたが、しかし、人員削減や予算の減少には反対した。
アメリカの新政権は、それを実行するだろうか? 多分、そうならない。IMFの任務が失敗したのは、アメリカ政府の責任でもあった。ロシアに顕著なように、IMF融資はアメリカ対外政策の一部である。議会は、アメリカの国益をより明確に反映した援助を行えば良いと考える。しかし新政府も、今までの政府と同じように、IMFや世銀を利用し、後でそれを酷評することが、好都合であると気づくだろう。
Ireland’s euro-sins
ヨーロッパ委員会は、アイルランドの財政政策に懲戒処分や「政策ガイドライン」を示唆した。アイルランドはユーロ圏でもっとも高い成長率を実現し、マーストリヒト条約や「安定と成長の合意」を何ら逸脱せず、公債を減らし、GDP比で最大の財政黒字を出し、ヨーロッパ経済に何ら重要な影響を与えないにもかかわらず、こうした扱いを受けている。それはユーロ加盟を検討するイギリスにも不信を募らせる。
アイルランドのようなユーロ圏の貧しい国が、豊かな諸国に囲まれてキャッチ・アップする過程で、自らの正しい政策と改革で高い成長を実現することは、ユーロ圏の目標の一つでもあった。そこには確かに、7%のインフレという欠点もある。しかし、昨年12月、マクリーヴィ蔵相は増税ではなく若干の拡大的財政政策を行った。
それはインフレを加速させる恐れがある。しかし、アイルランドの競争力があまりに強いので、独自通貨を持たない以上、賃金上昇とインフレによってそれが解消されるのは当然であるとも言える。何よりも、アイルランドのインフレはその国民のコストであり、他国に不利益をもたらしていない。ユーロの価値を損なったり、ユーロ圏のインフレ率を高めたりしていない。
The Economist の考えでは、通貨政策の決定がECBに集中し、各国の財政赤字を救済することが禁止された以上、各国はより自由に独自の財政政策を追及できるはずである。しかし、ヨーロッパ委員会は財政政策の「協調」を求め、これから逸脱する「不良」な政策を制限しようとする。
アイルランドのような小国をいじめることが将来の大国の逸脱を防ぐ、と委員会が考えるのは、無意味である。
Indian agriculture: Prowling tiger, slobbering dog
インドの自給政策が改革を妨げている。インドの穀倉、パンジャブ地方のねずみや牛は良く肥えている。政府の備蓄は屋外に放置されているからだ。しかし、誰一人幸せではない。政府は備蓄の費用に苦しみ、貧しい者は食糧が買えない。人口の半分が栄養不良とも言われている。
農民達は、高コストと低価格、外国からの穀物輸入に脅かされる、と感じている。政治家は彼らの不満を反映する。緑の革命や灌漑、道路、その他のインフラに投資することで、インドは食糧を自給し、備蓄できるようになった。しかし、まだ近代的な食糧産業は育っていない。電力や水のような重要な投入は無料であり、肥料も補助されている。地域によっては、価格保証して農産物を買い取るインド食糧公社(FCI)がある。世界価格が下落しても最低保証価格は引き上げられてきた。しかもインドの経済改革は、農民の交易条件を改善した。
しかし農民達は、昨年夏のモンスーンや、ココナッツ、綿花、茶、米の価格と手取りの少なさに不満がある。耕作を多様化するには、パンジャブのポテト過剰のように、破滅的な結果を自ら負わねばならない。農民達はWTOがインドに輸入自由化を強制しながら、豊かな国の農業補助を許していることに憤慨する。1600万の小農民を代表するという団体のヴァラダラジャン総書記は、輸入割当を関税に置き換えるように求めている。
他方、マハラシュトラの農民活動家Joshiによれば、檻を破りたがっている「虎」と、住み心地の良い犬小屋を守りたい「犬」、という二つのグループに農民運動は分裂している。虎は政府による過剰生産から自由になって、国内でも外国でも市場競争を受け入れる。現在の政策は、異なる州での販売を禁じたり、民間の農産物貯蔵を制限したり、高い税金を課した市場でしか取引できなかったり、先物取引を禁じたりしている。その結果、インドの農業から多くの価値が失われ、規制が投資を阻害している。
アメリカの多国籍企業カーギル社が農民から直接購入しようとしたとき、仲買人たちが政府に働きかけてこれを阻止した。しかし、障害が克服された場合もある。ペプシはパンジャブでトマトやポテトを2000人の農民に作らせている。Joshiは、小農民の土地を株式にして、より大きな一つの会社にまとめることを説いている。農業により多くの投資を促すために、インドは改革を必要としている。
Tricky moves for the Bank and the Fund
2月18日、IMFのケーラーと世銀のウォルフェンソンは、初めていっしょにアフリカを訪問した。しかしワシントンを離れるとき、二人はブッシュ政権が国際金融改革に関してどのような政策を示すか、それに両機関の将来がかかっていることを、もちろん分かっていただろう。
新政権の国際経済政策を担当する人物はまだ決まっていない。しかし、共和党がIMFや世銀を批判していること、アジアとロシアの金融危機以後に始まった改革が途中で停止し、何か変化が起きることを、両機関は心配している。「国際金融アーキテクチュア」の改革と呼ばれる議論の核心に両機関が関わっているのは間違いない。金融危機を処理できなかったことは、その予防として、長期的に各国金融システムの透明性を高め、短期的には両機関の協力を求めている。二人のアフリカ訪問はこの協力を示すためである。
特にIMFは、コンディショナリティーを絞り込むことを重視している。しかし他方、アメリカの新政権がもっと劇的な改革を要求しないか、と心配している。通貨問題担当財務次官補の候補であるジョン・テーラー教授は、かつてIMFの廃止を主張したことがある。リンゼー大統領経済顧問も基本に戻ることを重視している。オニール財務長官は、1988年のロシア救済に強い疑念を示した。
その主要な関心はモラル・ハザード問題にある。もし政府の間違った政策で破局をもたらしてもIMFが救済するとしたら、誰が最初の失敗を気にするだろうか? そしてまた、こうした政府に融資する西側の銀行も「モラル・ハザード・プレイ」を利用した。しかしこの議論には行き過ぎもある。救済融資を受けた国にペナルティーが無かったとは決していえない。モラル・ハザード論が理論的に喧伝されれば、現実の危機に際して国際協力が失敗すればどれほど大きな政治的・経済的コストがあるかを見失うだろう。
ブッシュ政権が重視するメルツァー委員会の報告は、両機関を大幅に縮小するよう求めている。IMFは新興市場経済の短期的な危機だけを扱い、事前の条件を満たす支払い可能な政府にだけ融資する。世銀は開発機関として、極貧国を支援することだけに集中する。その内容はすばらしいが、実現には時間がかかる。
結局、アメリカ政府でもプラグマティズムが優勢となるだろう。もし国際金融システムや、アメリカの利益が危険にさらされれば、各国が問題を解決すべきだ、などと言うことは政治的に不可能である。それゆえ、両機関への本当の脅威は、ホワイト・ハウスや財務省からではなく、アメリカ議会から来る。議会にIMF割当金の増額を承認させることはいつも非常に難しい。
議員達は重要なことを見過ごしている。両機関は他国のコストを分担すると同時に、アメリカの利益を守っているのだ。本当に重要なモラル・ハザード問題は、IMFと世銀にではなく、アメリカ議会にある。