今週の要約記事・コメント
2/12-2/17
IPEの果樹園 2001
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「銀行」というのは、社会契約の一部です。銀行は貨幣を扱い、信用によって他者に購買力を創出し、社会の経済取引を仲介することで自ら利益を得ています。「銀行」が破綻したり、買収されたり、あるいは、外国の「銀行」が国内の金融市場に参入する、というのは、常に、その国の政治や「主権」に関わる重要な決定事項でした。
貨幣や信用を作り出せるのですから、こうした機関が社会的な目的に応じて、規制され、監視されるのは当然です。もちろん、個別企業の債務を貨幣化したり、脱税や犯罪集団の資金洗浄に使われたり、財閥の過剰投資や競争戦略、政治家の選挙資金に利用されてはならないでしょう。日本のように、政府が長期にわたって単一政党の支配下にあれば、利益誘導政策と結びつき、関係業界や利益団体の損失を税金で補償してやるために財政赤字を貨幣化する、という深刻な疑いがあります。その場合も、「銀行」の社会的な正統性はきわめて疑わしいのです。
ローウェル・L・ブライアン『銀行の破産』は、銀行業が規制されたことで、いかに時代遅れになり、モラル・ハザードに陥ったか、を明解に説明しています。原著は1991年に出版されました。貯蓄貸付組合S&Lの破綻について、次のように、彼が「銀行家」の質の変化を強調したとき、社会契約としての銀行が崩壊したことを感じました。「地域に根ざした、居住者用住宅モーゲージの保守的な貸し手が、良くても、押しの強い経営者に、最悪の場合は、完全な犯罪者に置き換えられた。」
コア・バンクという理想は、この報告でも民間利益との折衷であり、金融持株会社がファイヤー・ウォールによって日本で上手く行くとは思えませんでした。しかし、金融改革や経済再建、構造改革を進めるとは何か、基本的な議論の力を伝えています。日本でも政府によって進められた金融再生計画が、この報告から多くを学んだ形跡があります。しかしその結果は、悪い意味で予想通り、個別の銀行や業界、政治家の利害に翻弄されています。
亀井静香と榊原英資、竹中平蔵を揃えて、田原総一郎は、現在、望みうる最強の経済討論だ、と持ち上げました。ゼネコンを倒産・整理したほうが良い、郵便貯金も民営化するべきだ、という二人の意見に、亀井氏は日本の社会契約を強調しました。こんな人らより、タクシーの運転手さんとかを呼んで、もっと話し合ったほうが良い、と。
武村健一は、誰でも彼でも悲観論ばかり吹聴せずに、株価を100円上げたら15兆円の資産が増やせるのだ、と咆哮しました。以前から、経済学者は、金利引下げによる円安が景気を回復させるのだ、とか、むしろ円高こそ日本の銀行や投資家を甦らせ、アジアの景気を指導する、とか議論してきました。今では、日銀の量的緩和で調整インフレを促そうとか、資本逃避が3月(か、遅くとも9月)に起きて、銀行倒産にいよいよ点火するとか、議論しています。これほど危険で、しかも進路の見えない時代は珍しいでしょう。
コア・バンク制度により、銀行を地域社会の取引・決済システムとして、他の金融業から完全に分離できないか。そして地域の小規模貯蓄・融資制度として、100%預金保証してはどうか、と思います。安全な貯蓄と決済、投資先を、金融システムの変化に対応して提供することが、金融不安や信用逼迫から、正しい競争や金融再編を分離する道ではないでしょうか?
政治家の介入と資本流出で中央銀行の独立が脅かされ、最後の貸し手として機能せず、国債の格付けも低下する国で、社会にとって必要な銀行システムを分離、再建する道筋を見出さねばなりません。自民党や官僚の不祥事を裁くことが自分達の得点だと思うような国会運営を、野党はやめるべきです。不況が続くとしたら、それは制度や構造に問題があるか、政治が適切に対応できないかである、というのが大恐慌の教訓です。
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Financial Times, Thursday Feb 1 2001
US warns Seoul on conglomerates
By Edward Alden in Washington
アメリカ政府は韓国に現代財閥の救済が経済改革を妨げ、アメリカとの通商摩擦になる、と警告した。その方針はクリントン政権だけでなく、ブッシュ新政権の通商代表部でも、ゼーリック長官によって引き継がれる。
韓国の国営金融機関、韓国開発銀行KDBなどが、民間企業の返済不能な社債、およそ200億ドルを購入するために設立されている。1月19日にクリントン政権の国際問題担当財務次官が、基本的に、繰り返して政府が民間部門を救済することは韓国の金融システムや民間部門を弱める、と文書で注意した。
アメリカ政府は特に、世界最大のメモリー・メーカーである現代電子をKDBが救済することに難色を示した。メモリー・チップ市場で現代電子の最大の競争相手であるアメリカのマイクロン・テクノロジー社は、もし救済融資が行われたら、アメリカ政府が通商的な対抗策を取るように求めている。また同社は、韓国が合意を破って、IMF融資を半導体企業の救済に用いている、と主張している。韓国政府は、予定されている救済融資が金融危機の悪循環を防止するための一時的な緊急措置であると弁解している。それは特定産業を支援するものではなく、また社債の金利支払も市場で決められるから、WTOに違反していない、と韓国政府はアメリカに1月26日に文書で回答した。
ゼーリックは、今後もWTO違反が行われないように韓国政府に要請し続ける、と述べた。
Financial Times, Monday Feb 5 2001
The business cycle lives again
Samuel Brittan
アラン・グリーンスパンが金利を引き下げたから、すぐにアメリカの景気が回復する、と思うほど私は強気になれない。1930年代の景気循環に関しては、経済学者に二つの見方があった。ケインズは、投資不足が問題である、と考えた。他方、いわゆる「オーストリア学派」(ただし、ロンドン大学のほうが中心であったが)はブームにおける過剰投資が問題だ、と考えた。
当時の史上最悪の不況において、過剰投資を議論しても仕方なかった。1930年代の終わりまでに、LSEでもほとんどの学者がケインズに従った。しかし、時代が変われば理論も変わる。20世紀最後の数年にアメリカが経験した好景気は、オーストリア型の循環に陥っている。強調されていないが、アメリカは過剰投資に走ってきた。株価の水準が高すぎるだけでなく、物的な投資が過剰であった。
さらにアメリカの調整はオーストリア学派が予想したよりも困難であろう。その理論では、投資ブームが高率の国内貯蓄で行われる。しかし、最近のアメリカのブームは国内消費をまったく削らなかった。むしろこの5年間は活発に増加した。アメリカの過剰投資をもたらした貯蓄は、巨額の財政黒字と資本流入による巨額の経常収支赤字であった。他方、アメリカの個人貯蓄はなくなったのである。
資産価格の上昇による「富効果」が、金融資源を減らさずに消費を増加させることができると思わせた。もしこの株価に対するユーフォリアが終われば、富効果も失われ、人々は通常の貯蓄行動に戻るだろう。だから、アメリカの不況は消費の削減をともなう。
急激に金融緩和すれば不況は緩和できるか? それは最近の過剰投資の処理を遅らせ、グリーンスパンが株価を維持してくれると言う考えを強める危険がある。では、減税がより直接に消費を補うのだろうか? いままでファイン・チューニングを批判してきた共和党が、ブッシュ減税を叫ぶのは見苦しい。構造的な財政黒字は誇張されているのではないか。もし消費者が減税策を一時的と見れば、その効果は失われる。
海外の影響はどうか? アメリカの不況は、通常、太平洋岸やラテン・アメリカ諸国に強い影響を及ぼす。少なくとも不況の初期においては、ヨーロッパへの影響は小さい。イギリス経済も、むしろ過熱気味で、金利引上げが必要であったはずだ。今でも、金利引下げを急ぐ必要は無いだろう。
アメリカの金利低下がドル安を促すので、今までユーロや酢に苦しんだヨーロッパの政策当局は金融緩和の余地が大きくなった。ECBもインフレを心配しなくて済む。
Washington Post, Tuesday, February 6, 2001
Boast Aside, Japan Loses Momentum
Indicators Suggest a Slide Into a New Recession and a Possible Banking Crisis
By Clay Chandler
森首相がスイスのダヴォスで、日本は世界経済の指導的役割を果たす用意がある、とぶち上げて一週間もたたないうちに、アナリストや投資家は日本が18ヶ月で二度目の不況に入りつつあり、再び銀行システムが破綻する恐れがあると警鐘を鳴らしている。森は、自信をもって、日本経済を登山にたとえ、8合目まで来たと言った。しかし、その後の悪い諸統計は坂を転がり落ちる競争であった。
世界第二の経済として、日本の回復が最も期待されているときに、その勢いは失われている。日本は何より、半導体やソフトウェア、重機械、映画、アパレル、農産物など、アメリカの財やサービスにとって最大の消費者である。4兆7000億ドルという経済規模はアジア経済の中で突出している。日本の製造業が生産目標を引き下げれば、その影響はインドネシアからマレーシア、タイ、中国にも及ぶ。
それゆえブッシュ大統領も日本を無視できないが、クリントン政権の対日政策には批判的であった。オニール財務長官も、アメリカが日本政府とあれこれ細かいことを議論しても無駄であった、と述べている。
政府の公式統計で昨年末の成長率が大幅に下方修正され、マイナスになることに注目が集まっている。それは、日本経済が回復に向かうだろうと言う世界の見方を覆した。そして日本の金融機関がさらに多くの企業倒産と株式含み益の喪失に苦しむことを心配させている。日本の倒産企業が保有する債務額は2000年後半に史上空前の850億ドルを記録した。それは金融機関が償却するのとほぼ同じ規模である。
しかし、最大の懸念材料は株価の下落が銀行のバランス・シートに及ぼす影響である。銀行は債務処理のために株式を売却し、それが株価を下げている。株価が下がれば、銀行は世界的な自己資本規制が満たせなくなり、配当もできなくなって、株価が一層下落する。再び銀行に対する公的資本の注入が必要である、と言う思惑も出始めている。銀行の3月危機説が、週刊誌の見出しを飾っている。
投資家は、国民の支持率が低迷する今の日本政府に対応する能力がある、とは考えていない。柳沢金融担当相は、日本の銀行が危機にあるという見方や、公的資金注入を否定した。株価がたとえ1万2500円でも自己資本規制は満たせる、という。
しかし、ダヴォスでスタンリー・フィッシャーが述べたように、日本には選択肢がなくなりつつある。これ以上の財政刺激策は、自民党の行った従来のばら撒き型支出に、中産階級が激昂している以上、もはや限界である。7月に参院選挙があるため、企業の再編を促したり、自民党を支持してくれる不動産業界や建設業界、銀行に損害を与えたりする政策は採用できない。日銀への金融緩和要求は強まっているが、速水総裁は昨年夏の金利引上げを失敗とは認めない。西側の著名な経済学者たちが求める「管理されたインフレ」と言う政策も拒否している。
「日本が墜落大破シナリオを選択しているのは確実だ」と中前忠は言う。もうすぐ警報が点滅し始めるだろう。4月1日から銀行も新しい会計基準に従って金融報告しなければならない。その最初の報告を、投資家は9月に手にするだろう。そして政府が保有する株式に対して、銀行は配当するか、それができなければ経営改善を求められる。こうして実質的な国有化が進む。
中前のような改革論者が、銀行の「ハード・ランディング」を日本経済にとって長期的な薬だと考えても、それが短期的に日本や世界に与える危険は予測できない。1998年、日本の銀行が倒産すれば、アメリカやヨーロッパの銀行にも「滝のような損失」をもたらして破綻に追い込むだろう、とアラン・グリーンスパンは繰り返し警告していた。それ以降、日本の銀行は対外資産を大幅に減らしたが、それでもアメリカ企業や政府に対する何十億ドルもの資産を持っている。
自民党の亀井は、税金を使って株価対策をやればよい、と要求したが、投資家に非難されて取りやめた。柳沢は市場への介入を考えない、と言明する。
Washington Post, Thursday, February 8, 2001
Ghosts of Booms Past
By Robert J. Samuelson
大恐慌を引き起こした原因は何か? 1920年代と現在との経済条件はどこが違うのか? 大恐慌は、失業率を25%にまで高め、二桁の失業が1940年まで続いた。そして第二次世界大戦の軍備拡張によって、漸く終息した。この長期にわたる不況が、大恐慌をあれほど恐れされた。
それは繰り返されないだろう。大恐慌の記憶は今も重要である。連邦準備銀行は金利を引下げ、議会は減税策に傾いている。それでも、政策の効き目は遅く、不確かであるから、予想外に長く深い不況がくるかもしれない。特に、人々も企業も、過度の楽観から債務による支出を増やしすぎているから。
1920年代との類似点を挙げてみる。1.技術革新の礼賛。2.庶民の株式投資への参加。3.借入れに依存した過剰消費。4.連邦準備銀行への過度の信頼。
1929年の株価暴落後に、消費は7%も減少した。債務が重要であった。ローンが支払えなくなって、自動車や冷蔵庫を持って行かれることを恐れて、彼らはその他の支出を削ったのだ。
幸い、今では政府支出が大きく、減税や財政支出の効果が大きい。同様に、金本位制が存在しないことも重要である。当時、金本位制が維持できないのではないか、と言う不安に駆られた投資家を説得するために、各国政府は金利を引き上げ、紙幣を減らした。銀行は倒産し、経済が累積的に悪化したが、主要国が金本位制を離脱して本格的な景気刺激策を取れるようになるまでに、貿易の減少と悲観論が不況を世界に広めてしまった。
大恐慌のメカニズムについて、こうした合意が形成されたことは良いことだ。金本位制は存在しない。再び株価が暴落しても、アメリカは貿易や投資、市場心理を悪化させて、破壊的な連鎖の引き金を引くことは無いだろう。しかし、不幸にして、悪循環を生じるメカニズムは今も存在する。
New York Times, February 11, 2001
Slicing the Salami
By PAUL KRUGMAN
ジョージ・W・ブッシュのサラミ戦略とは、反対派を薄切りにして抑え込むことである。基本的に、連邦政府の歳入は三つの税金からなる。所得の15.3%を一律課税される給与税。5家族に4家族が支払うこの税金がもっとも大きい。そして、ほとんどの家族には10%以下で、高所得者には30%まで累進的に課税される所得税。最後に、67万5000ドル以上の遺産に適用される相続税、である。これは非常に裕福な家族だけが支払い、たった2%である。
保守派はいつも給与税を含めた税負担を非難し、減税の議論でも繰り返し5.6兆ドルの財政黒字予想を聞かされる。その額を信じる必要は無いが、半分以上が社会保障とメディケアに由来し、それらが給与税でまかなわれていることには注意すべきだ。
さて、減税となると、ブッシュ陣営は給与税を無視する。大部分の家族が支払っている税金を無視して、裕福な家族が主に支払う所得税を大幅にカットし、金持ちだけにかかる相続税を撤廃しよう、というのだ。それは富裕者にひどく偏った減税である。年収5万ドルの家族は約800ドルを減税されるが、年収100万ドルの家族は約5万ドルを得るのだ。
満ち潮になればすべてのボートが浮き上がる、と言って、この減税策で成長を加速させることが十分な根拠になるだろうか? むしろクリントン政権時の著しい好景気を考えれば、過剰な税金が成長を妨げているとは思えない。さらに政府は、減税が労働者家族を広く対象にしている、というふりをしいている。オニール財務長官は率直に語る人物と言われてきたが、早くも政治家の交渉術を身につけてしまった。
ブッシュ政権は、所得税減税のより大きな部分が、高所得層よりも低所得層に向けられることを強調する。しかし、そうした家族の税負担は所得税ではなく、減税されない給与税から来ていることを気付かれないようにしている。そして富裕層の子弟は相続税の廃止から巨額の追加的減税を得られる。
オットー・フォン・ビスマルクは、「人民は、ソーセージと政治がどうやってつくられるか知らない方が、よく眠れる」と言ったそうだ。
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The Economist, January 27th 2001
Debt trap!
世界の裕福な経済にかかる影は晴れそうにない。アメリカでは、ブッシュ政権が減速を公に懸念し、不況にさえ言及している。第二の大国、日本は、再び不況の縁をさまよっている。今年、世界経済が下落する危険は本当に存在する。特に、アメリカには債務の罠がある。簡単に言えば、アメリカも10年前に日本が落ち込んだ罠にはまるかもしれない。バブルが破裂した後、深く長い不況に襲われ、停滞した。
しかし、アメリカの多くの経済評論家は楽観論に深く染まっており、そんな心配は笑い草である。確かにナスダックの株価が暴落してから、経済は急激に減速し、穏やかな不況になると認める者もわずかにいる。しかし大部分は年後半に、金融緩和が効いて、景気が回復すると信じている。アメリカ経済が日本と同じ道を進むなんて、まるでありえない、と言うだろう。結局、アメリカと日本とは全然違うじゃないか、と。
表面的には、そのとおりだ。アメリカの銀行は日本がバブルに浮かれていた頃の銀行よりも健全である。当時の日本の投資や株価は、日本が新しい経済法則を発明したかのような間違った発想で行われたが、ハイテクに導かれたアメリカの生産性上昇はより本物に見える。日本が成長を弱めたのは、バブル崩壊そのものよりも、政策の失敗が重要であった。日本の政策当局は、銀行システムを整理し、金融緩和する勇気に欠けていた。アメリカのほうが、日本の陰鬱な政治よりも正しい政策対応を採る見込みがある。
とはいえ、類似点も多い。その最大の共通項は過剰債務である。アメリカ経済における企業と家計の巨額の借入れは、貸し手を危険な状態にしている。株価上昇の含み益で借入れを増やすことが、家計に貯蓄せずに買い物を続けさせた。債務の増加は、それ以上の資産の増加によって裏付けられているから、帳簿は健全だ、と楽観するのは早い。1980年代後半の日本も、資産価格が暴落するまで、帳簿は非常に健全と思われた。そして、今のアメリカの株価水準はいかなる歴史的基準で見ても過大評価である。
日本の過剰融資は正気を失った土地価格に依存していた。アメリカにはそんな現象が見られない。アメリカの過剰投資や過剰消費は株式市場から生じている。頂点では、アメリカの家計は可処分所得の175%に相当する保有していた。それは日本の家計の株式保有が1989年の頂点でも所得の90%であったことに比べて、はるかに大きい。株価暴落が日本の消費者に貯蓄を増加させ、支出を削らせたように、アメリカ経済にも同様の危険がある。
要するに、日本が特別な例ではない。資産価格の急激な上昇が信用の膨張や過剰投資を促し、資産価格の下落とともにそれらが維持不可能であると分かった。近年の深刻な不況は、不動産や株式の価格上昇と債務の累積を経験した、1990年代前半のイギリスやスウェーデンに起きたことは、決して偶然ではない。
それでも、アメリカには金融的、財政的な対応策がいくらでもある? 金利を引き下げる余地があるし、大幅な財政黒字もある。しかし、日本にも1990年には多くの余地があったのだ。GDP比では、今日のアメリカよりも当時の日本のほうが財政黒字は大きかった。グリーンスパンには、少なくとも、日本の経験から学ぶことができる点で有利である。彼はデフレを起こさないだろう。
それでもFedはジレンマに直面する。余り急激に緩和すればバブルが再燃し、ドル暴落さえ起きるだろう。他方、緩和を抑制すれば日本と同じ道に進むことになる。
Manufacturing: Not making it
アメリカ経済が不況になるかどうかは議論が続いているが、製造業が深刻な衰退を経験していることは疑う余地が無い。毎日のように、有名な企業が雇用を削減している。2000年第4四半期は第3四半期に比べて生産が2.1%も減少した。それは10年前の不況以来の悪い数字だ。
製造業の問題はいろいろある。ユーロに対して下落したとはいえ、ドルはまだ貿易相手国に対して強く、アメリカの輸出は伸びない。それは利潤を減らし、工場の建設が抑制されて、資本財の需要が停滞している。
1年前は多くの工場が過度に楽観的であり、生産を拡張し、在庫を増やしすぎた。多く企業が、アジア経済危機による不況から決して完全に回復できなかった。
製造業はGDPの16%、雇用の15%を占めるに過ぎないから、それが直ちに経済の不況を意味しない。しかし、過去数年にわたって企業の投資は大きく好況に貢献してきたし、派生的な需要も大きかった。雇用不安はアメリカ人の心理を悪化させ、消費を減らすかもしれない。
一つの謎は、製造業の落ち込みが続いていたのに、なぜ失業率は低いままであったか、である。その限りでは、消費の大幅な削減が起きなかった。企業は、景気が予想外に良くなる場合を考えて、労働力を手放さないようにしているらしい。それゆえ、経済の減速は、雇用よりも生産性に最初に示されるだろう。
それはアラン・グリーンスパンの仕事を難しくする。彼は分裂病の経済に直面する。完全雇用と高賃金、強気の消費者心理を知りながら、経営者の弱気に対処しなければならない。Fedは再びフーディニの奇跡の脱出魔術を披露するだろうか? それが簡単そうに見えるほど、彼は苦しめられるだろう。
Japanese Banks: Fiddling while Marunouchi burns
丸の内の銀行家たちは、もう一つ大手の顧客が倒産したり、株価がこれ以上に下落したりすれば、決して考えたくない底なしの暗黒に落ち込むことを知っている。
こんなはずではなかった。日本の銀行は、かつて破局の入り口に立っていた。1997-98年の金融危機を経て、金融システムを正常化するために、政府は金融再生委員会(FRC)を設けた。その任務は2001年に終わるはずであった。唯一計画どおりに実行できるのは、FRCが閉鎖されることだけである。銀行には不良債権があふれ、収益が上がらず、経済は今も沈滞している。
問題の根源に劣悪な融資判断があった。自己資本と準備の2倍を償却したが、不良債権はなくならない。銀行の債権分類は嘘に塗り固められていた。さらに銀行は、ピークから80%も下落した都市の地価を偽って、担保価値をごまかしている疑いがある。
銀行が再生しない理由は、それ自身が十分な収益を生めないことだ。利益のほとんどは保有株式の売却から得ている。長期的な競争力のために必要なIT投資も削ってしまったようだ。銀行は企業への貸付で利益を得られず、新しい手数料収入も開拓できていない。巨大銀行系列の合併に期待することはできない。それは「大きすぎて潰せない」という戦略でしかない。ゴジラのような巨大銀行たちがよろめいているうちに、ソニーなどが新しい銀行を作って市場シェアを拡大している。
もし日本経済が完全な回復に進みつつあるなら、こうした問題もそれほど深刻ではない。しかし、不幸にして日本は、債務を抱えた企業と消費を抑制する家計によって、債務の重荷が膨らんでいる。実質では成長しても、名目で縮小しているのだ。債務はデフレによって調整してくれない。倒産件数は記録的な水準を続け、企業の債務免除要請が銀行に押し寄せる。
経済の回復を示す分野もある。しかし、優良な企業が劣悪な企業を淘汰して拡大しても、銀行の助けにはならない。こうした企業はますます証券市場で資金調達し、銀行は劣悪な企業への融資に取り残される。
銀行は今まで保有株式の含み益で損失を隠してきた。しかし、株価の暴落でそれも失われた。市場価格による保有資産の報告が新しい会計基準で義務付けられると、銀行は不良資産の償却を行わなくなるだろう。もし配当が払えなくなれば、劣後債への利払いもできなくなり、「ジャパン・プレミアム」が復活する。
株価がこれほど重要であれば、政治家も関心を払うのは当然だ。TOPIXが12500円の水準では、14の大銀行のうち10行が2兆1000億円の含み損を抱える、と言う予測もある。いまは12%と言われているが、さまざまな支援策がなくなり、株式も含み損となれば、バーゼル協定による自己資本規制8%も守れないだろう。日本の銀行は、個別にはメキシコやロシア並みの格付けに低下しているが、公的な支援が表明されているので、集団的に高い格付けを維持している。4月からは、それも変わるだろう。
1998年に用意された70兆円の公的資金のうち、二つの資金が3月末に廃止される。15兆円の「システミック・リスク」基金が設けられるが、その最終的な利用は首相が決める。その救済策は不透明であり、決定過程が恣意的であれば、公的資金投入に対する世論の否定的評価を気にして、結局、必要なときにも使われないかもしれない。その資金は、説得力のある信用のおける政治家にだけ使えるのであり、今の森首相では無理だ。
日本の病んだ銀行システムに何をなすべきか? 銀行再生と経済回復は悪循環に陥っている。銀行の追い貸しは企業の再編を遅らせ、新興分野への融資を抑制させる。そして淘汰されるべき企業が生き延び、価格競争を激しくして、健全な企業の収益も傷つけている。政府による公的資金投入で最大の失敗は、旧経営陣を残したことだ。彼らは失敗を認めたがらず、改革に抵抗する。これに対して、アメリカでも韓国でも、銀行の経営トップは排除され、刑務所に入った者もいた。
今、日本がすべきことは、銀行に不良債権を正確に公表させること、それが償却できるように公的資金を投入すること、旧経営者を解雇し、新しい経営陣に再建させること、である。これらをすべて行うには、支払不能や自己資本が不足する銀行を一時的に国有化することである。
自民党の改革派は主導権を握れないだろう。7月の参院選挙までに、自民党は株価対策を議論しているが、金庫株の考えは企業による株価操作を招く危険なものだ。他方、柳沢金融担当相はそれに反対するが、国有化も受け入れない。彼が行った先の公的資金投入が失敗であった、と認めたくないからであろう、と皮肉られている。こうして有効な対策も無いまま、丸の内に猛火が広がるかもしれない。
The difference that choice makes
ブッシュ大統領のスクール・バウチャー制度を先取りした研究がある。キャロライン・ホックスビーは、アメリカに現に存在するさまざまな制度の間で、人々が足による投票、チボー型選択を行っている、と言う。
その結論は、人々の選択は成績を改善している、と言うことである。それは決して支出を増やさず、むしろコストを抑制し、民間教育の必要も減らし、家族間の所得格差による違いを縮小した、と。
<コメント>
教育改革にも市場が機能している、というのは、アメリカだけでなく日本でも、異なった形で言えるでしょう。次第に、日本の公立の教育システムや大学の序列が解体し、より多くの子供が学校に来なくなり、優れた生徒は民間の進学塾や専門学校に流れ、アメリカ留学や各種の資格試験を競うようになっている、と聞きます。
「学校」も、社会契約の重要な一部です。政治家が「教育改革」をどのように議論するのか、期待するより、不安のほうが強いですが、少なくとも基本的な疑問や当事者の不満を正しく吸収しなければなりません。そして、必ず迅速に対応し、問題の解決と改革を支援する姿勢が重要だと思います。回答も対応も期待できないから、子供や親は発言するより、離脱するのでしょう。