今週の要約記事・コメント
2/4-2/9
IPEの果樹園 2001
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風邪による高熱のため、長い時間何もせずに横になっていると、今までの議論を思い出します。
さて、ここ数日の日経新聞には、日銀の金融緩和政策を強く要請する発言が目に付きました。今までのように、政治家の圧力や、銀行不安にからめて主張されるのではなく、浜田宏一や深尾光洋、サマーズ元財務長官、ブラインダー元FRB副議長、スティグリッツ元世銀経済顧問など、学会の指導者達がデフレへの政策対応として日銀に量的緩和を求めています。
The EconomistやFinancial Timesなども、日本のデフレは危機が加速する深刻な局面に近づいていると見ています。しかし、日経新聞の報道が「日銀」の責任や失敗、政策変更に集中しがちであるのに対して、彼らは「日本経済」や「改革能力」に不安を感じているのです。
私は、ゼロ金利政策解除に関して、日銀による(暗黙の?)「構造改革論」を支持しました。
市場による価格メカニズムがスムーズに機能すれば、経済は自動的に不均衡を調整するでしょう。かつてキンドルバーガーが書いたように、日本の不況でも、システムの非対称性を説明しなければなりません。市場は必ず反対の作用をもたらし、均衡を見つけ出します。問題は、社会が望まない水準、政治的・制度的に受け入れられない方法で、それを実現するときです。あらゆる恐慌が政治的である、と言われます。なぜ大幅な不均衡を蓄積したのか? なぜ悪化を阻止できなかったのか? なぜ不用意な発言や介入を繰り返したのか? 誰の利益になり、誰が負担するのか? その他、答えなければならない問題が多くあります。金融政策の一振りで、こうしたすべてが解消される、と思うのは間違いです。
経済学者は、たいてい、マクロ経済の安定を重視します。しかしまた、たいてい、政策に関する意見は一致しないものです。ところが、国内的にも世界的にもデフレが懸念されており、金融政策以外の選択肢が無いという日本ですから、政治家、実業界、マスコミのインフレ政策支持論を、学会が代表する結果になったのではないか、と思います。実業界には、きっと、構造調整論を支持する者がいたはずです。しかし、アメリカの不況と日本に波及した株安に怯え、アラン・グリーンスパンの手品にも魅せられて、日銀非難に加わったのかもしれません。
日銀は、インフレ・ターゲット政策や、それに代わる複数の数値目標を掲げて、自分達の金融政策を市場に理解させる努力を強めるべきではないでしょうか。他方、住専処理や金融再生法の具体的な利用例に関して、金融界が事後的な検証を徹底して行い、国民に理解を求めることで金融不安を払拭すべきだと思います。
デフレに関して議論して欲しいのは、貨幣供給を増やせば解消できる、と主張することではなく、どのような調整過程を目指すのか、です。預金の全額保証を行い、公的資本注入を行って、実質的な国有化を進めながら、過去の責任や経営改善の決定権を求めなかった理由は、互いの無責任であったでしょう。企業の債務処理を促し、不動産業者にも課税し、不正に対する徹底的な取り締まりによる整理を行うとともに、農業や銀行、流通部門といった国際競争力の無い部門をどうするのか、市場圧力を利用して「構造改革」を進める場合も、社会保障制度の改革や再雇用・雇用条件、融資条件や市場競争の適正化について、政府がもっと取り組むべきだったと思います。
日本の銀行はドルで調達してドルで融資しているから、為替リスクを負わない、という主張も、日本は世界最大の対外債権国であるから、通貨危機は起こらない、と言う主張も、間違っているでしょう。
しかし、金融政策についての私の感想が重要とは思いません。正直言って、金融政策よりも、教育テレビのシネマ・フロンティア(2月4日)を観て、息を呑みました。アジアで、こんな映画が作られていることに驚嘆しました。いや、世界のどこにも、もうこんな映画は作れないような気がしていたのです。1996年の『ラヴソング』。監督ピーター・チャン、脚本アイビー・ホー、主演レオン・ライ、マギー・チャン。
香港とニューヨークを舞台とし、大陸から来た主人公達の生き方がテーマです。だから、近代化と資本主義、アジア、アメリカを背景として、愛やセックス、本当の生き方を求めて苦しむ人間たちを撮れたのだと思います。もし軍隊や通貨ではなく、映画による文化の質でその社会を見るなら、香港あるいは華僑たちが世界の頂点かもしれません。
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Financial Times, Wednesday Jan 23 2001
America's millennium hangover
David Hale
2001年のアメリカは不況を避けられない。それはクリントン不況か、それともブッシュ不況か、ともめるより、Y2K不況と呼ぶのが正しいだろう。
後世の経済史家は、Fedが1990年代後半に金融緩和しすぎず、2000年後半に金融引締めを急がなければ、この不況を回避できた、と言うかもしれない。しかし、Fedが金利を変化させるのは、しばしば外的な要因に対処するためであった。アジア金融危機やロシアの債務不履行、LTCMの破綻を懸念して、金利を下げた。
1998年に緩和しすぎたと言う非難も、金融システムに関わる銀行家や債券トレーダー、資産管理者などの心理的反応を抑制しようと試みるFedに関して、単純化しすぎている。しかし今では、1999年末の貨幣供給増加を促したY2Kは、そのリスクが誇張されていたことが分かっている。あれほど貨幣供給を膨張させなければ、Nasdaqの株価暴騰や通信・ハイテク株による資金調達は実現しなかっただろう。
しかし、たとえこの不況をY2K不況と呼んでも、景気変動は決して政治から切り離せない。すなわち、2002年の景気回復を何と呼ぶか、である。金利引下げを行ったグリーンスパン景気か、減税を成功させたブッシュ景気か、あるいは財政支出拡大を目指すゲッパード景気か?
不況に対する経済政策はいろいろある。長くても、Y2K不況は6ヶ月から9ヶ月で終わる。もし景気悪化が2001年を超えて続くとしたら、それは党派対立で議会が混乱したからであり、ワシントン不況という名が残るだろう。
Financial Times, Monday Jan 29 2001
Ambiguity and interest rates
Rupert Pennant-Rea (formerly deputy governor of the Bank of England)
イングランド銀行の金融政策委員会MPCは、政治家、シティーのアナリスト、メディア、ロビー集団から、いつも多くの意見を聞いている。MPCが開かれた議論を必要としている以上、こうした外部からの意見は歓迎される。MPCが経済の最高裁判所として決定を下すのではないからだ。
しかし、残念ながら、外部の意見には混乱したものも多い。特に、「証拠が明らかでないから、MPCは金利を上げるべきではない」という意見だ。
もしMPCが明確な証拠を待って金利を変えていれば、それは遅すぎるだろう。経済というものは不明確さに満ち、ブームと暴落を繰り返してきた。だから、不明確な証拠はMPCの基本的な条件である。むしろMPCはインフレだけに議論を集中し、それ以外の証拠を示すべきではない(意図的に不明確さを残す)。そうすることで、政治家や経営者の金利に対するさまざまな(偏った)判断を回避できるのである。
グレー・ゾーンは、三つの意味で求められる。第一に、グレー・ゾーンがあるから、MPCのメンバーの意見が異なることに誰も驚かない。もしみんなの意見が同じなら、委員は一人でよい。第二に、政治家やロビーストたちを金利水準への過度な関心から切り離す。第三に、金融政策というたった一つの手段で、ミクロ・レベルの多くの異なった目的を実現することはできない。それぞれの問題に応じた、税制、教育、雇用に関して、政府が責任ある持続的な対応策を採らねばならない。
経済の基本的な問題、安定したインフレ水準と両立する失業の抑制はどこまで可能か? 生産性の持続的な上昇はどれくらいか? スターリングの為替レート変動はコストや物価にどの程度の影響を与えるか? こうした問題こそ、MPCは議論しなければならない。外部の意見もこれらに注目することから始めて欲しい。
Financial Times, Monday Jan 29 2001
Why Europe's eyes are fixed on exchange rates
Wolfgang Munchau
為替レートはECBの主要な関心事ではない。しかし、アメリカの不況が半年以上に及べば、為替レートへの影響は大きくなる。アメリカの経常赤字をわずかな金利上昇で維持できるという楽観もあるが、これまでの為替レートの大幅な変動を思い出せば、容易に安心できない。
アメリカのドルが暴落することは、ECBを窮地に追いやる。すでに、ヨーロッパの経済変動が地域によって大きくばらついていることで、ECBの金融政策が内部対立を起こしている。アイルランド、スペイン、オランダは数年に渡ってドイツやイタリアよりも高い成長率を遂げている。ユーロが強くなることは、この地域較差をますます大きくする、と懸念される。ドイツやイタリアは輸出により大きく依存しており、為替レートの影響が大きいからである。ユーロ高はドイツで始まったばかりの景気回復を終わらせ、スペインやアイルランドには抑制効果が無い。
理論的には、ユーロ圏の経済は貿易に依存しておらず、地域経済全体の価格安定化だけを目標とすれば、ECBには問題が無い。しかし、実際には、ドイツが減速すれば近隣諸国に不況が及ぶ。為替レートの変動により大きくさらされているドイツ経済を悪化させないために、ユーロ圏のインフレ率が2%を超えているのに、大幅なユーロ高はECBに金利を引き下げる圧力を強めるだろう。
通貨の相対的な安定性はヨーロッパの経済政策にとって望ましい。それが大幅に変動することは避けたい、というのがヨーロッパの立場である。
Financial Times, Saturday Feb 3 2001
Editorial comment: Fed to the rescue - for now
信頼が何より重要である。アメリカの国債市場は金利引下げ期待から上昇してきた。しかし、企業の社債や消費者にとって、同じように信頼は回復していない。債券市場と企業・消費者との信頼回復に見られる較差は、グリーンスパンへの信頼に関わる。
国債市場の活況は、Fedが現在の諸問題を解決できるという合意によるものだ。インフレ率が低く、Fedの金融緩和を妨げるものは何も無い。だから、減速は一時的で、すぐに回復する、と。
金利引下げによる心理的な効果、貯蓄を減らし、支出を促す効果、企業の手持ち流動性を増やす効果、株式や債券の価格上昇が家計の資産を増やす効果、ブッシュ大統領による減税、生産性の上昇、が急速な回復を支持するだろう。
しかし、それが上手く行く場合、重要な問題は何も解決されないことに注意すべきだ。民間部門の金融的赤字はまだGDPの6%もあり、経常収支赤字も4.5%に近い。アメリカ経済の長期的な成長経路は回復されず、マイナスになる危険が残る。むしろ、すでに民間部門の債務削減が始まっていると考えたほうが良い。
金融緩和はこうした縮小圧力を容易に回避できない。消費者心理や支出は引き続く悪化し、それに応じて企業収益も株価も修正されるだろう。減税策は遅すぎるし、金融政策の従来の効果も時間がかかる。金融緩和(Fedによる証券購入)が続くという予想から、唯一、国債の市場価格が上昇しつづけている。
株式市場の自身回復は、二つの前提に基づいている。1.経済政策は現在の苦境を解消できる。2.回復さえできれば、再び無限に、成長できる。
しかし、後者の前提は間違いである。むしろ、前者の前提が正しいのは、後者の前提を損なう限りでだけである。
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The Economist, January 13th 2001
Sweeter Basle
Stronger foundations
銀行の自己資本規制8%といっても、秘教的で、頭の痛い無用の長物と思うかもしれない。しかし、今週発表された1988年のバーゼル協定改正は非常に重要である。ニューヨーク連銀のマクドナー総裁が指摘するように、健全な銀行システムを持つ国の方がアジア通貨危機にもより上手く生き残れた。「銀行システムはショック・アブソーバーである。」
しかし、洗練されたアメリカの銀行は規制を回避する多くの方法を知っている。規制自体がこうした複雑な取引を促した。なにより、旧協定の三つの分類(バケツ)は大まか過ぎた。そこで、新協定には三つの改革が盛り込まれた。1.リスクに応じて必要な自己資本を評価する。2.より厳格な監督を行う。3.市場による規律を大幅に取り入れる。
リスク評価には、結局、各金融機関の内部の評価基準が採用された。「オペレイショナル・リスク」として、コンピューターの間違いや、詐欺行為による損失のリスクなども組み込んだ。
デリバティブの使用と証券化によって、銀行はもはや融資を行い、返済されるまでそれを帳簿に残さなくなった。信用リスクを負わずに、融資組成手数料だけを銀行は追及する。理論上は、一切のリスクを負わない。が、実際には大部分のリスクが銀行に残り、監督者も含めて、外部から見えなくなっている。
オペレイショナル・リスクは、金融監督者が資本規制に手心を加える手段かもしれない。自己資本規制が特定の銀行に大きな負担を課したり、銀行システム全体の経済に対する資本供給を減らしたりすることが懸念されるからである。いずれにせよ、ドイツや日本は新たな合意の実行に消極的であり、どの国の金融当局にも解釈の余地を残している。
市場による規律とは、内部のリスク評価システムを含めた情報公開によって、銀行危機の予測能力を高めることである。既存の金融監督や格付け機関が決して成功しなかった以上、どのような内部評価システムの改善策も歓迎されるだろう。
Bush’s America: One nation, fairly divisible, under God
優れた社会史研究者、Gertrude Himmelfarbは、アメリカが二つの異なる文化をもつようになった、と主張する。一方は1960年代に由来し、快楽主義的、個人主義的、世俗的(物質的)である。他方は、1950年代に基づき、ピューリタン的、宗教的、家族中心主義である。もちろん、こうした区別はアダム・スミスの昔からある。
その一年前に、政治学者のAlan Wolfeは、異なる見解を示していた。アメリカは文化間の戦争に決して向かわず、かなり同質的な中産階級に支配されて、結局、「寛容さ」という一つの国をもたらした、と。もし文化の衝突があるとしたら、それは個人の内面にある。彼らは1950年代と60年代のバランスを取ろうと努めている。
ジョージ・W・ブッシュの勝利(もしくは均衡)を導いたのは何か? (白人、南部、宗教的保守派、減税策、非都市住民…)「われわれは二つの流れの合流であった。一つは地方から、キリスト教的、宗教的な保守派の流れ。もう一つは、ニュー・イングランド、太平洋沿岸部からの、社会的な競争促進、選択重視、物質的生活を享受する流れである」と、共和党の世論調査員は述べた。
アメリカの黒人は南部から流出してきたが、南部や南西部(いわゆるサン・ベルト)に向かい始めた。また海外からの移民の多くもこの地域に集まっている。ラテン系やアジア系の移民は、成長するカリフォルニア、テキサス、フロリダ、ニューヨークに多い。それ以外の地域では、白人の比率が上昇している。成長の極では、もちろん白人も黒人も増えている。
ゴアが敗北したのは、アメリカ人のますます多くが急速に豊かになった中産階級であることに対応しなかったからだ。彼らは対立する伝統的経済利益に注意したがらない(不況がくれば変化するかもしれない)。その代わりに、彼らは「価値」を重視する。Wolfeの指摘した「寛容さ」も。彼らの多くが信仰を持つが、決して友人に強要しない。
アメリカ社会が極端を好まないベル型の人口構成になったことは、ゴアよりもブッシュの中道戦略に有利であった。
Still the Democrats’ alpha male
これまで大統領を辞めたら、それぞれが自分のルーツに戻って、公職から身を引いた。しかし、クリントンはまだ54歳である。彼には、ワシントンに残って民主党の事実上の指導者となる選択肢がある。
しかし、古い指導者が引退を拒むことほど、政党にとって不幸なことは無い。フランス人にド・ゴールの事を聞いてみればよい。あるいは、イギリス人にマーガレット・サッチャーのことを尋ねても良いだろう。
クリントン氏は、人々を分裂させる種となり、宗教的に保守的な地域(バイブル・ベルト)だけでなく、多くの人々に個人的に嫌われている。彼は1990年代の政治のもっとも愚かな側面を思い出させるのだ。それは、セックスであり、金である。「ホワイト・ハウス・コーヒー」を始めて資金を集め、リンカーンの寝室をモーテル部屋にしてしまった。
間違いだけでなく、彼が行った正しいことですら、民主党を苦しめるだろう。すなわち、クリントン氏は中道路線を確立し、左派に健全な経済学を受け入れさせたが、今後、もしクリントンを退けるために民主党員たちが争えば、中道路線も失われるだろう。
まだ不完全な自身の評価を損なわないためにも、クリントン氏は政治の後方に身を置いて、民主党に緩やかな影響力を行使するだけに留めるべきだろう。
Gaza: Sowing seeds of destruction
イスラエルはガザ地区を三つの飛び地に分割しつつある。その損害は計り知れない。
入植者が殺されてから、イスラエルやエジプトとの交通を遮断し、唯一の国際空港を閉鎖させた。この4ヶ月間で5つ目の封鎖が行われた。経済に対する累積的な破壊的効果は、自然災害や長期の内戦に匹敵する。
10月8日以来、ガザ地区の失業率は11%から50%に上昇した。1日2ドル以下の一人当たり消費しかできない貧困層は21%から32%に増加した。ガザ地区のパレスチナ難民の85%、12万7000家族が何らかの食糧援助を必要としている。学校や病院へ行くにも、命がけで、この封鎖を徒歩で越えねばならない。
入植者を殺害されたあと、ユダヤ人の村は報復に近隣のパレスチナ人が保有する畑や灌漑施設、住居を破壊した。翌日、軍隊はその土地の果樹をブルドーザーで根こそぎにした。仲間を殺された入植者達は移動住宅をここに展開し、入植地域の拡大を進める「シオニスト的報復」を求めている。
パレスチナ人権センターによれば、9月29日のインティファーダ開始以来、ガザ地区で400ヘクタール以上のパレスチナ人の土地が掃討され、16の小さなユダヤ人入植地を繋ぐバイパス道路を広げた。待ち伏せや狙撃兵を近寄らせないためだ、と言う。倒された樹木、押し潰された温室、破壊し尽くされた住居を見れば、この焦土政策が良く分かる。道路を広げ、増設しながら、イスラエル軍は入植地を、パレスチナ人の居住する村落や街全体を包囲する、巨大な軍事領域に改造しつつある。
その動機が何であれ、イスラエルはより多くの憎悪と破壊の種をまいている。インティファーダは、誰の手にも負えなくなるだろう。
California’s Power Crisis: A state of gloom
1月16日、州に電力市場の中心的役割を与える法案がカリフォルニア議会で通過した。これは1996年の規制緩和前に時計の針を戻しただけであろうか? 実際、選択肢はほとんど無かった。その日、二つの大手電力供給会社の社債がジャンクに格下げされたのだ。発電所の限界まで1.5%のレベルに需要が達したときにのみ発令される、非常事態「ステージ3」が宣言された。1月17日に1時間の停電が起きた。
技術革新と市場を利用したモデルであったはずのカリフォルニアが、なぜこうなったのか? その答えは、つぎはぎの規制緩和、である。特に間違っていたのは、電力の卸価格を自由化した一方で、小売価格を凍結したことだ。カリフォルニアの住民にとって、高くついて、わずらわしい昼間の停電が続いたため、今では毎朝、渋滞情報と天気予報に並んで、停電予報が流れている。
政治家達も漸く動き出した。電力会社を助けるために小売価格の一時的な引き上げを認めた。しかし、わずか10%を3ヶ月間だけである。それは電力会社が生き残りに必要としていた30%値上げにまるで及ばない。電力会社が倒産すれば、金融市場を通じて、アメリカ経済への影響も心配されている。
カリフォルニアは、10年前に成功したイギリスの電力自由化に刺激されて、アメリカを自由市場の「すばらしい新世界」に導こうとした。そして、利益団体の間で数年に及ぶ駆け引きが行われた結果、ほとんどすべての関係者を喜ばせるベルやホイッスルをつけた規制緩和の妥協案が成立した。
最初から、イギリスとカリフォルニアでは発電力の余剰が異なっていることを、自由化論者達は指摘しなかった。ヨーロッパでは電力の過剰が問題であった。また、カリフォルニア当局は利益団体の関与を許し、小売市場の育成を阻害した。むしろ価格の変動を許さなかった。また電力会社の利益を考慮して、自由化前の行き詰まった発電所計画などを補償してやった。さらに、当局は新規参入者にそのコストの一部を求めた。競争を促さず、消費者が供給会社との契約を変更することも少なかった。
カリフォルニアの電力不足をもたらしたのは、三つの特異な問題であった。1.発電所建設への強い反対。2.電力需要の急増。そして特に、3.利益誘導政治とポピュリズム、である。
カリフォルニアの強烈なNYMBY(not in my back yard)シンドロームと、アメリカで最も厳しい環境規制が、もう10年以上も新しい発電所の建設を許さなかった。他方、カリフォルニアの電力需要は1990年代に急増した。それは特に北部のデジタル革命で爆発した。インターネットや「ニュー・エコノミー」は電力消費を減らすはずであったが、シリコン・ヴァレーの中心、サン・ホセでは、電力消費が毎年8%で増加した。
電力不足に対して、カリフォルニアの政治が課した価格制限は供給を増やさなかった。さらに、当局は市場を信用せず、卸売価格の高騰から電力会社を守るデリバティブの使用を禁止した。これが電力会社を倒産に追いやっている顕著な愚行である。カリフォルニアの改革は、中途半端な自由化とあからさまな反競争条項を詰め込んだぼろ袋であった。
<参考>
P.クルーグマンは Power and Profits (NYT, January 24, 2001) で、規制緩和を強く批判した。「ケーキを食べさせろ」と叫んだのは、行列のできているケーキ屋の所有者であった、と。
電力の配給が自然独占のままである以上、電力卸売市場こそ価格の上限を設けるべきである。今は卸売価格を引き上げることで、電力供給を減らしても、利潤を増やすことができる。上限の設定は、短期的に電力供給を増加させるだろう、と。
Asian bonds: Safe harbour?
金融危機がアジアにもたらしたすばらしいものの中に、より大規模で良質な債券市場、がある。韓国、マレーシア、タイは、銀行の過剰な融資で深刻な経済危機を被ったことから、今や、より流動的な債券市場で国民の貯蓄を吸収したいと考えている。輸出の低迷から投資化が弱気になる今年こそ、国債市場が避難所となるのではないか?
しかし、投資家は慎重である。成長が衰え、インフレも起きないとすれば、信用の高い債券が魅力的になるはずだ。韓国、シンガポール、タイで可能性がある。他方、政治不安のあるインドネシアやフィリピンなどは難しい。タイの新政権も、債券価格の下落を招くだろう。マレーシアや韓国も、今後の経済再編過程によっては政治的な介入が起きるだろう。
アジアの新しい債券市場は、政治問題で成長を阻まれている。
The only way out?
ユーロはドルに対して回復し始めたのに、円は回復しないのか?
円は18ヶ月ぶりの最安値1ドル=119.35円をつけた。アメリカの成長が日本に比べて相対的に低下しているのに、なぜこうしたことが起きるのか? さらに日本は大幅な経常黒字を持ち、アメリカには巨額の経常赤字がある。
一つの説明として、ユーロがこれまで大きく過小評価されていたのに比べて、円は過大評価されてきた、ということができる。多くの経済学者が、円の「正しいfair」相場は120円程度である、と言う。また、投資家は日本の景気回復を信用していない。株価の下落は日本の金融システム不安を再燃させた。公的債務がGDPの120%に達していることも、投資家を日本の将来について不安にさせる。デフレが続いて名目GDPの伸びが金利よりも低ければ、日本の債務比率は急速に上昇するだろう。
デフレを終わらせ、成長を開始しなければならないが、日本の政策当局には選択肢が無い。財政政策も金融政策も動かす余地が少なく、構造改革の効果が現れるには時間がかかる。しかし、日銀は完全に無力ではない。国債を買うか外為市場でドルを買って貨幣を供給し、円安を促すことができる。
日銀は、既に金融政策を十分緩和していると言う。しかし、2000年後半まで円相場が高かったことは、金融が過度に引き締められていたことを示している。また、日銀は国債の貨幣化を心配する。しかし、インフレ期待と国債価格の上昇は今の日本に必要であり、円安も輸出を促し、デフレを退治する。
確かに円安は企業のリストラを遅らせるかもしれないが、今はデフレを終わらせるほうが重要だ。また、輸出が増えれば、景気が悪化し始めたアメリカに保護主義を強めさせる、と言う批判がある。しかし、短期的には、円安がアメリカにも利益なのである。
ドルは引き続いてユーロに対して下落しそうである。しかし、円安が起きれば、すべての通貨に対してドルが下落するという深刻な事態を回避できる。そしてより長期的には日本が回復し、アメリカは赤字を抑制しなければならないから、円に対してドルが安くなるだろう。
日銀は、その独立性を誇るのであれば、物価が急速に上昇するときだけでなく、下落するときにも、価格安定化の義務を果たすべきである。