今週の要約記事・コメント
1/22-1/27
IPEの果樹園 2001
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大統領就任式典は夏にやるべきだ、とブッシュ氏が言ったかもしれません。何よりも、その演説の大仰で、あまりに立派過ぎる内容が、彼の政策や思想を貧しいものに見せていました。アメリカも日本も、この20年間の世界経済共同管理に関する宿題を解かねばなりません。ともに政治不信が強まる中で。
アメリカ政府が、対外債務を軽視して、財政黒字を富裕層に有利な減税で減らそうとしています。他方、日本政府は公的債務の累積によってクラウディング・アウトや金融不安が心配される中、資本流出を恐れるようすはなく、円安に依存するしかないようです。それは、崩れかかった巨大な二つの建物が、互いにもたれ合っているようにも見えます。
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Financial Times, Monday Jan 15 2001
America cannot afford tax cuts
Fred Bergsten
ジョージ・W・ブッシュは、1981年にロナルド・レーガンが行ったように、財政を悪化させる減税策を準備している。アメリカの貯蓄率が非常に低いから、それは外国の投資家によって融資されなければならないだろう。しかし、1981年と今とでは、アメリカが世界最大の債権国から最大の債務国に変わった点で、大きな違いがある。
アメリカの対外経常赤字は約5000億ドルあり、対外純債務は1兆5000億ドルを超えている。外国投資家は毎日20億ドルを供給している。アメリカの成長が衰え、株価が下落する中で、より多くの額を注ぎ込むことに逡巡するかもしれない。経常収支の不均衡はGDPの5%に達し、アメリカの対外短期債務10兆ドルは、いつでも売却して引き上げられる。アメリカ人自身がドル資産を売却することも考えられる。すなわち、アメリカは通貨の変動にきわめて脆弱になっているのだ。
資金流出はともかく、資本流入が弱まるだけでも、ドルは20〜30%も簡単に下落し、経済がほぼフル稼働しているから、インフレ率が2〜3%も上昇するだろう。連銀は金利引下げができなくなり、海外投資家がドル価値の下落に対して金利の引き上げを要求するだろうから、金利はむしろ上昇する。株式市場は再び下落し、資産効果がさらに消費を減らし、成長を損なうのである。
確かに、今日、アメリカ経済は20年前よりはるかに強力であり、かなりの財政黒字がある。しかし、財政黒字が減ることは、何であれ、財政赤字増加と同じく、国内の貯蓄を減らす。それでも国内投資と成長を維持するには、より多くの国内貯蓄か外国からの融資を得なければならない。資本流入が現在の水準から減少するリスクが強まっているときに減税策を提案することは、海外からの投資をさらに求めるものである。
民主党も共和党も、特に短期的な政治的関心が強い下院では、1981年に起きたように、財政支出を奪い合っている。確かに、レーガンの減税は海外の資本をひきつけ、1980年代初めの不況から投資と成長を回復させた。そして過去60年間に築いた対外資産を失った。さらに、1985年から87年に約50%もドルは減価し、金利が上昇してブラック・マンデー(ダウ平均株価の20%下落)の引き金を引いたのである。
1980年代前半のドル増価は、製造業と企業を苦境に追い込んだのに加えて、貿易不均衡を拡大してその後のドル暴落をより激しくした。次期政権が受け継ぐアメリカの対外金融状態から見て、その執行猶予は長く続かない。それゆえ、金利を下げる政策がもっと賢明である。アメリカの実質金利は歴史的に見て高い水準にあり、インフレを招かずに切り下げることができるだろう。他方、減税策は対外借入を増やし、金利を上昇させる。
アメリカの対外債務が維持可能な水準に低下するまで、減税策は延期すべきだ。
Financial Times, Tuesday Jan 16 2001
Editorial comment: Asia's currencies
南北アメリカにはNAFTAがあり、ヨーロッパは単一通貨を持つ。しかし、アジアでは、内部の通貨的な安定性がドルペッグとともに粉砕され、自由貿易もまだ程遠い。経済・通貨協力を進める最善の道を探しているが、再び通貨危機に弱い制度を慌てて採用してはならない。
中国や日本は含まないが、アジア通貨同盟を究極の目標とすることには確かに一定の意味がある。アジアの貿易の大部分は域内で行われ、各国が同じ対外的なショックにさらされている。今のように、各国が、個別に変動するだけでは、通貨の浮動性が高まる。さらに、もしこの地域の巨額の外貨準備をプールすれば、単一通貨も容易に運営できるはずである。
しかし、日仏政府の最近の議論で支持されたような、東アジア諸国による共通の変動幅を設定する案は、間違いである。過去20年の新興経済で起きた通貨危機が示したように、カレンシー・ボードや正式の通貨統合ではない形で、事前に固定されたレートや変動幅を公表することは破局に至るだろう。無限の外貨準備がないなら、いかなるソフト・ペッグ(調整可能な釘付け)も投機的攻撃に弱く、固定制が崩壊したときの損害は変動制で減価が生じる場合よりもはるかに大きい。アジアで共通の変動幅を維持するには、日本が政治的・金融的に支援しなければならないが、その可能性はないだろう。
アジアが地域化の利益を実現するには、むしろ域内の貿易自由化を急ぐべきである。多角的な自由化と矛盾しない限り、ASEANで自由貿易圏を目指す動きも有効である。ただし、その内部の政治対立で前進は望めなくなっている。他方、アジアの単一通貨は、たとえ成立するとしてもまだ何十年も先である。そのために通貨制度をいじるのは無謀な試みだ。
Financial Times, Saturday Jan 20 2001
Editorial comment: Basle gets more sophisticated
銀行の自己資本比率を規制するには、1988年のバーゼル協定は古くなった。そこで、バーゼル協定Uが公表された。バーゼル協定Tは、国際規制の画期的な前進であった。100以上の国がこれを採用し、リスクの大きな融資に十分な自己資本を要求し、不注意な貸付にペナルティーを与えることで、より安全で公平な、世界的規模の銀行システムを築いた。
しかし、デフォルトの危険に応じて四つの「バケツ」に資産を分類するのは大雑把過ぎて、リスクの多様さを反映していなかった。さらに、これらの分類は本当のリスクを考慮できず、危険な融資を拡大する誘因にさえなった。
バーゼル協定Uは分類を増やし、最大規模の銀行が自ら行っているリスク評価システムを採用した。また「オペレーショナル・リスク」という分類を設けて、システム危機や訴訟に関するリスクを含めた。それはまた、資本市場の規律を強調し、銀行により完全な情報開示を求めた。銀行は市場条件に敏感な資金調達を行っているから、これはその意味でも重要である。
監督者と銀行との情報の非対称性を認めたバーゼル協定Uは、特に、急速に変化する資本市場で、原則として正しい方向である。より効率的な融資の配分と、世界システムにおける資本供給の全体を適当な水準に維持することとが、注意深く目指されるだろう。
しかし、異なる組織間でリスク評価が厳格でないし、大きすぎて倒産させられない、と知って、無謀な融資が繰り返されてきた。「オペレーショナル・リスク」の明確化、異なる国での一貫した適用、さらに、もっと循環的なリスクへの配慮など、問題は多い。
Financial Times, Saturday Jan 20 2001
Japan's economic black holes
Martin Wolf
日本経済が、世界の懸念項目に再び上がっている。過去の不況から学んで、日本は三つの方法で回復を試みてきた。1.積極的な金融緩和政策、2.債務デフレ・スパイラルの回避、3.財政赤字拡大による需要維持、である。
しかし、いまだに自律的な成長は回復できていない。二つの失敗がそれを説明するだろう。一つは、公共部門の投資に依拠して財政支出を浪費してきたこと。もう一つは、金融システムへの強制的資本注入にもかかわらず、まだ余りにも多くの金融機関が弱体なままであること。
貨幣政策は、デフレによって実質的な金利上昇が生じているのに、昨年8月、ゼロ金利政策を終わらせた。日銀はインフレ・ターゲットを採用し、国債を購入して貨幣供給を増やすべきである。
しかし、長期的に維持可能な成長を回復するには、民間部門の貯蓄と投資(海外投資も含む)が、世界実質金利と国内の完全雇用水準を実現しなければならない。現状は、余りにかけ離れている。昨年、民間貯蓄はGDPの30%に達したが民間投資は19%で、11%の経常黒字、もしくは資本輸出を行った。民間主導の成長を実現するには、国内の貯蓄・投資ギャップが無くなるか、過剰貯蓄を海外投資に向けて利潤を上げねばならない。
しかし、民間投資が大幅に増加する見込みは無い。それは今でも欧米に比べて高すぎる。幸い、民間貯蓄が減少することは、日本の高齢化で、より起こりやすいと考えられる。日本人が貯蓄しすぎる理由は、企業と家計との機能的な分断に問題がある。企業は低収益の投資を過剰に行い、家計はその貯蓄にもかかわらず豊かになれなかった。
1970年から1998年まで、土地を除いて、家計の資産保有額は1990年の物価で860兆円(約6兆ドル)増加した。しかし、その間の民間貯蓄は(土地の純売却額を除いて)1250兆円あった。すなわち、家計の被ったキャピタル・ロスは389兆3000億円(土地を除く)、貯蓄のほぼ3分の1であった。これこそが、企業の投資による家計の資産増加の失敗である。
1990年代は、事態がさらに悪化した。1995年から98年にかけて家計の純資産は減少し、企業の投資率が低下して、政府がそれを補った。今や、豊かになろうとする家計の貯蓄は、二つのブラック・ホールに吸い込まれつづけている。企業部門の債務と、公共部門を介した自分達への債務である。
これは狂気の沙汰である。もし改革によって、企業に内部留保している収益を吐き出すことを強いれば、民間投資は減るが、より高い収益をもたらす。民間貯蓄も急激に減少するだろう。財政政策や通貨・金融政策は恒久的な解決策ではない。患者が根本的な処置を施されるまで延命させるに過ぎない。それが終われば、日本は民間投資が減少し、より高い収益を上げ、はるかに少ない貯蓄を行って、成長を加速するだろう。財政赤字が縮小するにつれて、経常黒字は増大し、通貨は実質的により減価する。
日本は回復可能である。しかし、そのためにはマクロ経済的な緩和剤と構造的な治療が必要である。
<コメント>
将来、日本が世界の経済調整を担う際には、より少ない貯蓄と高収益の投資で、内需主導型の経済運営を目指すことになります。しかし、財政赤字を縮小して経常黒字を今より増加させる必要は無いでしょう。さらに大きな資本輸出と減価が起きるかどうかについて、ウルフの説明は不十分と思います。特に、世界経済の管理に関して、たとえば、日本の資本がアメリカのバブルに供給されてきたのは間違いでした。キャピタル・ロスに関しても、一方では土地が、他方ではドル建資産が、それを大きくしたように思います。
日本の企業や海外投資が、家計の富を本当に増やすためには、国内および国際的な制度の再構築が必要なはずです。
Financial Times, Saturday Jan 20 2001
Japan needs radical measures
Graham Turner
日本を「債務のわな」から救出するには、従来の選択肢を諦めて、もっと根本的な手段、銀行の国有化、を考える必要がある。
アメリカの連邦準備銀行は金利引下げの余地が十分ある。しかし、日銀にはない。政府がこれ以上に債務を増発して支出することはクラウディング・アウト効果によって失敗するだろう。債務の貨幣化、不胎化されない為替市場介入、インフレ・ターゲットなどが議論されるだろう。しかし、どれも機能しそうにない。「債務のわな」では貨幣需要が従来の仕方で刺激できない。インフレ・ターゲットも、期待が合理的でなく適応的であると、機能しない。マイナスの金利でさえ、日本のように犯罪の少ない社会では、現金を銀行に預ける理由にならないかもしれない。
日本政府はすべての銀行を国有化すべきである。インフレ率が深くマイナスに落ち込んでいる以上、実質金利を適当な水準に決める機会は失われた。銀行を国有化して、数年間の債務免除を行い、経済を安定化すべきである。
銀行は、個別に合理的な判断から融資を減らし、債権を回収しようとするが、合成の誤謬により、それは株価や地価を下落させて倒産を増やす。日本は、倒産件数の増加を何とかして抑えなければならない。それには銀行をすべて国有化し、企業の利払いを3年程度免除することである。そして政府はすべての銀行に資本を注入して、債務不履行や担保の処分を止めさせるのである。
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The Economist, January 6th 2000
Greenspan’s big surprise
アラン・グリーンスパンは、市場を驚かすような中央銀行家ではない。彼はウォール街が望むものを、ウォール街が期待するときに、原則として、与えてきた。しかし、1月3日の利下げは予想外であった。それは、1998年のロシア債務支払い拒否とLTCM危機の際よりも、劇的な緩和であった。
確かに景気の減速を示すデータが続けて公表されていた。しかし、過熱した経済を減速させることこそ、Fedが望んでいたはずだ。グリーンスパンは、金利引下げの前日に何を見たのか? 製造業の12月の落ち込みが予想以上であった。しかし、それでも、なぜ次のFOMCまで待てなかったのか、わからない。市場を驚かすことで株価を上昇させれば、投資家たちは供給よりも急速に需要が伸びても大丈夫と信じ、経済の調整が遅れるだけでなく、金融の不均衡は拡大し、将来のリスクを膨張させる。
多分、Fedは金融市場を心配したのであろう。Nasdaqの55%もの下落は投資家を傷つけた。しかし、ハイテク株の回復のために金利を下げるのは間違っている。それはまだ十分に高いし、バブルの温存が金融政策の目標では決してない。
アラン・グリーンスパンは、疑いなく、こうしたリスクを十分に知っている。それゆえ、アメリカの金融的な脆弱性に関して、彼が何か市場の知らないことを知っているのではないか、と疑わざるを得ない。もう一つのLTCM危機のような、金融破綻が波及することを防ぐために、Fedが動いたのであれば、後になって賞賛されるかもしれない。しかし、今は切下げを支持するどころか、理解することさえ難しい。
Rights and refugees
The Palestinian right of return
半世紀も否定しつづけたが、イスラエルは難民の発生に責任があったことを静かに認めつつある。しかし、難民が戻る権利を認める用意は無い。イスラエル領に取り残された家族の再統合として言っての数の難民を受け入れてきたが、今やそれさえ難しくなった。イスラエルは、他者による補償とパレスチナ国家への吸収を主張する。
難民達がそうなることは、多分、多くの者にも分かっている。彼らの住んでいた住居や村は、すでに破壊されて地上から失われただろう。難民達自身と再定住地への潤沢な補償が、多くの者にとって生活を改善する現実策である。パレスチナは帰還の権利を譲らず、イスラエルは安全保障上の決定を譲らない。
もしイスラエルが難民に帰還する権利を原則として認めれば、その場所や方法、時期、人数などについて、代表達が「弾力的な」交渉に応じるだろう、と難民は言う。イスラエルが難民に機関の権利を認めないのと、それを認めて実施のメカニズムを主張するのとでは、大きな違いがある、と。「私は帰還の権利を諦めるような協定を受け入れない。イスラエルは私の故郷喪失に責任がある。」
他方、バラクはこうした主張に驚く。アラファト自身が明確に認めたように、イスラエルからのあいまいな悔恨の表明をパレスチナの指導者達も受け入れ、難民達がイスラエル領内の故郷に帰還する権利の代わりに、豊富な国際援助を受け取るのではないか。これこそが、イスラエルにとって、オスロ合意の不可避的な意味である、と。PLOは、イスラエルと二つの国家による解決策を「戦略的に」受け入れたのである。
どちらの指導者も、草の根の抵抗運動や知識人の団体が、和平の前提を受け入れられないことに気付いた。バラクの政権延命策がもたらした選挙でも、意外な首相候補差し替えさえ考えられる。
It’s their business
Mean streets
売春は楽しい仕事ではない。それは住民達を憤慨させる。警察も、その弾圧にいつも最後は失敗し、困惑する。それが、売春を法律で許容できるようにする方向へ、イギリスの地方政治家たちを動かした理由である。
世界中の売春に関する法律は非常に異なっている。オランダのように合法化する国もあれば、イスラム諸国のように死刑によって弾圧する国もある。イギリスは穏健な、もしくは混乱した政策を採っている。セックスに支払うことは違法ではない。しかし、売春を組織する活動は違法である。しかし、街によっては、売春ビジネスを許容するところもある。
自由な社会においては、売春も合法的な商取引である。二人の大人が同意したのであれば、それを禁止することに法律が関与するべきではない。さらに、合法化したほうが、社会にとってコストが少なく、それに関わる者が危険にさらされることも減るだろう。非合法化して、売春婦を逮捕し、投獄しても、彼女・彼らは通りに戻ってくる。彼らは他の職業から強く排除されるし、他方、売春の価格は上昇する。必要な医療行為や、彼らを犯罪組織と分離することも難しくなる。売春の斡旋や麻薬による支配が広がる。
しかし、売春はそれに関わらない住民にも影響し、健康問題を生じるから、他の危険な、汚れた、騒音を発する産業と同じく、特別な規制を必要とする。一つの方法は、オーストラリアのヴィクトリア州が行っているように、街娼を禁止し、屋内でだけ許可することである。もう一つは、オランダのように「許容地区」を設けて、そこに囲い込むことである。
バーミンガムのバルサル・ヒースは、売春産業の中心地であった。しかし1994年に住民が監視活動を強めて、通りから売春を追放した。しかし、多くは屋内に移り、あるいは周辺の他の地区に広がっただけだ、という苦情もある。バーミンガムでは法律を強化して、警察が売春婦達を次々に投獄してきたが、それは短期的な解決にしか過ぎなかった。他方、エディンバラのように、警察が一定の地区では取締りを行わない場合もある。
内務省の研究は、売春を屋内で合法化したほうが、むしろ抑制できると論じている。住民の中には、道徳の問題として、売春を決して受け入れない者もいる。しかし、この点は、他の社会問題と何ら変わるものではない。かなりの規模に達したすべての都市が、売春の扱いに苦慮している。バーミンガムの法改正が成功すれば、多くの地方政府が歓迎するだろう。
Wars of Intervention: Why and when to go in
ジョージ・ブッシュは、より多くの介入戦争が必要となる世界に直面している。人はなぜ、またいつ、戦争をするのか、まだ理解できていない。今まで、内政干渉に対する禁止が国際的に合意されてきた。それは、合法的な戦争行為を自衛のためか、同盟国を敵からの攻撃から守る場合に、限ってきた。ある国が行っていることを止めさせるために干渉して戦争を引き起こすのは、明らかに違法であった。
1999年に、コソボで、東チモールで、シエラ・レオネで、それは変化した。干渉戦争は、21世紀の国際政治で正当な、必要な部分となるかもしれない。では、誰もが同意する正当な干渉戦争の条件を示せるだろうか? 外国の事情が、かつてと違って多くの情報手段で伝えられ、TVで日常的に市民が関心を寄せる現在では、どのような支配者もカメラによって報復される。その映像が他国の国民を激怒させ、何かしなければならない、と政府に迫る。かつてのように強国が世界を分割していた時代も、冷戦が互いの陣営を動けなくさせた時代も終わった。
しかし、明確なルールがなければ、世界は混乱に落ち込むだろう。軍事力によって自分達の領土を拡張し、小国に主張を受け入れさせることは許せないが、また、助けを求める世界中の少数派をすべて支援できない。結局、世界は地理的に軍事力で分割される。それゆえ介入戦争は、単純で、直截な、広く世界が認めるようなルールを必要とする。多すぎてもいけないし、難しすぎてもいけない。
そのための二つの基礎がある。一つは、明確に限定された地域の、明確に識別された人々が、自分達で統治を行う権利を他者に暴力的に否定されているときである。強者のグループは弱者のグループを、自分達の領土の「主権」に含めている。コソボで起きたように、彼らは独立や高度な自治を要求する。しかし、こうした地域は世界中に多くあり、21世紀に彼らがすべて独立を支援される、と思うのは非現実的である。それでも、こうした宣言をすることに意味があるだろう。
第二の基礎は、むしろ本国に関わるものであり、政府がその非統治者の圧倒的な多数が望むことに反した政策を続け、その国の権力を手放そうとしないとき、干渉戦争が正当化される。セルビアのミロシェヴィッチはNATOによってコソボを追い出され、選挙に訴えたが敗北し、それを認めようとしなかった。民衆は街頭に出て退陣を求め、軍は介入しなかった。
これらの基本原則は、民衆が何を望んでいるかが、正しく知らされていることに依存する。これこそ、新しい情報技術と冷戦終結で大きく変化したのである。ますます多くの国でジャーナリストが自由に活動し、選挙を監視するNGOが活躍するようになった。もちろんまだ認めようとしない国もあるが、そのような国へは国連が特別な査察官を送り込むだろう。それを拒むか、不正を行っていると報告された国は、民主主義を擁護する国からの干渉戦争に直面する。
それが一貫性をもって行われるか? 干渉の理由を誰もが納得できるか? 死傷者が出ても支援する意味があるのか? こうした問いには、原則に基づいて、干渉戦争の成功例を積み重ねることである。民主主義の擁護には代償が伴う。原則が満たされ、その代価が高すぎない限り、干渉戦争は行われる。何よりも、その目的は紛争地域の住民を救出することであり、干渉国の利益ではない。
アメリカやヨーロッパが狭い国益による武力行使しか認めないとすれば、民主主義の後退は避けられない。
By George
ブッシュ政権の骨格は、彼の連邦政府における経験不足を補うために、三つの同心円でできているようだ。国家安全保障と経済政策を担当する重量級の閣僚たち。国内政策を担当する保守派のリング・セコンド(補助者)たち。そして、外縁をなす雑多な乗組員たち、である。
彼のインナー・サークルは、フォード政権や彼の父親の政権にまでさかのぼる。その経営者的な嗜好を見れば、政府がアメリカの重役会議に見えてくる。ただし、ニュー・エコノミーよりもオールド・エコノミーの幹部である。クリントン政権の初めに政策がコロコロ変わり、政府が混乱状態になったことを思えば、ブッシュ政権の経験重視は望ましい。
しかし、次のサークル、内政を動かすより保守的な人物たちは、決して安心できそうにない。彼らは、特に避妊禁止問題に示されるような、保守的政策を支持するヒーローたちである。にもかかわらず、保守的思想の持ち主というだけで、互いに大きな違いが存在する。しかし、彼らがクリントンの遺産を覆すことは、十分に予想できる。
ブッシュの人選は、イデオロギーを重視しておらず、むしろ彼の政策に合わせて選んだことが分かる。選挙での公約を実現することが目指されている。ただし、重役達に経営を任せるからといって、彼の決断が必要なくなることは決してない。重量級の幹部達が対立した場合、あるいは議会が反対すれば、重役を好んだ彼の政治的な技量が問われるのである。
Divided about the dollar
20世紀を通じて、ラテンアメリカの政府は、国民は違ったが、自国の通貨にこだわってきた。例外は、独立自体をアメリカに依存し、最初からドルを採用したパナマだけである。しかし今や、新世紀は通貨への信認を変えつつある。
それはエクアドルから始まった。ドルが、その国の通貨スクレに置き換わった。1月1日に、エル・サルバドルでもドルが法貨になった。グアテマラでも、ドルが自由に使用できることになり、完全なドル化に進むかもしれない。コスタ・リカの政府も検討している。
エクアドルはハイパー・インフレーションを抑えるためにドルかを求めた。他方、エル・サルバドルは経済自由化のモデルであり、通貨コロンは1994年以来、ドルに固定されている。アメリカに住む150万人のエル・サルバドル人が行う16億ドルもの送金で、経常赤字は抑制されている。しかし、高い成長を実現することには失敗した。政府は、ドル化が借入コストを減らして、他の中央アメリカ諸国もドルを採用すると期待していた。いずれにせよ、アメリカが最大の貿易相手国であるから。
では、ラテン・アメリカの将来はドル化に向かうのか? 多分、それはない。メキシコ、ブラジル、チリ、コロンビアといった、この地域の大国は変動制に向かいつつある。アメリカは、ドル化を支援するために何もしてくれない。だから、アメリカとの取引が大きくないメルコスール諸国にとって、ドル化の利益は小さく、それによって政策の弾力性を失うほうが重大である。
その例外はメキシコである。NAFTAによって、アメリカに対するメキシコの経済的結びつきは強まった。アメリカとの通貨同盟を主張する経済学者もいる。しかし、政治的な意志はないだろう。
Microsoft’s cunning plan
マイクロソフトは三つの挑戦に直面している。インターネットの普及、Windows2000の採用低迷、そして分割の脅威、である。しかし、裁判所による分離命令でWindowsによる独占をたとえ失っても、インターネットのソフトウェアを作成する新しいプラットフォームによって、次の支配を目指す計画がある。ドット・ネット計画( “.NET” )である。
この計画が成功すれば、インターネットのプログラマーたちがドット・ネットで操作できるソフトウェアを書くようになる。Windowsと同じく、ドット・ネットもより複雑なソフトウェアを組み立てる基本的ブロックを提供する。重要な違いは、それがインターネットを介して、多くのコンピューター上で動かせることである。クレジットでの支払い、航空券の予約、外国語の翻訳、その他のサービスを、インターネットで供給できる。Windowsでやったように、マイクロソフトはこの分野でスタンダードを確立したいと願っている。そうすれば、もはやWindowsが入った箱を販売することで独占に問われる理由は無い。インターネット上で契約者にソフトを送ることで収入を得る。
しかし、顧客は本当にプログラムの変更のたびに料金を支払って更新するのだろうか? 移行期においては、Windowsの低迷を加速する。また、固定料金の高速インターネットが世界中で普及しなければならない。さらに、ネットワーク上のどこかが破綻すれば、企業の生存が危うくなる。
The European Central Bank: The terrible twos begin
ユーロは誕生以来2度目の誕生日を、ギリシャの新加盟と対ドル価値の増加で祝った。しかし、世界経済の将来はますます難しくなり、ECBの責任は重大である。ユーロ圏が成長を維持し、その増価にも関わらずデフレーションを回避することが求められる。さらに、来年には紙幣とコインが導入される。2002年にドイセンベルグ総裁が辞任し、フランス銀行のトリシェ総裁に代わる話しは、クレディ・リヨネ疑惑もあって、不明瞭になっている。
こうした問題に加えて、少なくとも三つの重要な問題に対応しなければならない。一つは、ECBと市場との意思疎通問題。ECBはユーロ安を放置するといいながら、立て続けに無効な市場介入を強行した。第二に、各国中央銀行との責任分担問題。銀行破綻などに対してECBが動かねばならないが、規制や監督は各国中央銀行にゆだねられている。十分な権限の集中なしには、各国の政策を是正できない。最後に、中央・東ヨーロッパにおけるユーロ採用問題、である。大きな所得格差を解消するために彼らに高成長を許せば、ECBもインフレ的な運営に傾く恐れがある。アメリカの連邦準備制度や、マーストリヒトで合意された条件が、各国中央銀行のより緊密な協力にモデルを示すだろう。
When America sneezes
アメリカがくしゃみすれば、世界も風邪を引くのか? Fedが金利を切り下げたのは、アメリカが不況を真剣に憂慮し始めたからかもしれない。しかし、他方で、それが株価に下値を拾わせ、相場を加熱させる危険もある。さらに、新政権の減税政策は大幅な遅れとともに景気を撹乱させるかもしれない。
しかし、たとえアメリカが不況になっても、世界全体が必ずスランプに陥るわけではない。世界全体では、不況と好況(そして、マイナスの効果とプラスの効果)とが互いに打ち消しあって、大きな変動を抑制する。1970年代半ばの石油危機のときでさえ、世界の産出量は年2%で拡大した。
アメリカの不況は、さまざまな経路で他国に影響する。特に、貿易、国際商品価格、海外投資、為替レート、そして株価、が重要である。カナダやマレーシア、メキシコなどは、貿易の影響が大きい。韓国や台湾も、電機製品の輸出に大きく依存している。石油や国際商品の価格下落は、輸出国に打撃となるが、輸入国を助ける。ヨーロッパや日本は、むしろアメリカ企業の行う直接投資の変化に影響されるだろう。また発展途上国では、資本流出の心配がある。ドルの減価は、ヨーロッパの製造業に損失を与えるが、アルゼンチンや中国など、ドルにリンクした諸国は輸出が伸びる。アメリカから急激な資本流出が起きれば、Fedは金融緩和できなくなる。世界の株式市場に連鎖的な危機が及ぶかもしれない。しかし、幸いなことに、他国のハイテク株はアメリカほど上昇していない。
日本は国内問題でフタタに不況に落ち込むかもしれない。他方、ヨーロッパは、予定されていた減税も上手く働いて、世界経済の安定的な基礎になれるだろう。世界中の国が、自国の不振をアメリカの不況のせいにするだろう。しかし、より深刻な問題は、国内の経済運営にあるのだ。
Financial regulation in Japan
柳沢柏夫が金融庁FSA長官に復帰した。日本の銀行部門は1999年前半にも似た金融危機の不安に怯えている。不良債権は増加している。株価は10年来の最低水準だ。含み益どころか含み損になるかもしれない。地価下落で担保の価値も下がっている。二度目の公的資金投入も議論され始めた。
FSA長官として、柳沢は、この機関の信用欠如に苦しむだろう。初代長官であった柳沢の後に、適当でない政治家たちがFSA長官となり、その改革意欲をそいでしまった。規制緩和や競争を妨げるとともに、大蔵省の悪弊であった、公式の改正を行わない勝手な解釈で規制を変えている。もし柳沢に政治力があれば、こうした問題を解決できるだろう。しかし彼は加藤派の分裂で自民党内の政治力を失った。今回の復帰も、加藤派の反乱に加わらなかったことへの報酬と見ることができる。
株価操作を公言する亀井のような政治家に牛耳られているようでは、柳沢もFSAも残酷な一年を迎えるだろう。