今週の要約記事・コメント
1/8-1/13
IPEの果樹園 2001
*****************************
1980年代半ばのプラザ合意から1987年のブラック・マンデーに至る時期を転機として、公式の国際通貨制度は再建される見込みがなくなり、不均衡の調整ルールに各国が合意する可能性はなくなったように思います。そして世界の主要経済圏が順番に調整を迫られるのが、事実上の民間投資家による国際通貨制度になろうとしています。
極端に言えば、直接投資が調整を担うシステムと、通貨危機が調整を強いるシステムとが、潜在的なモデルとして現れつつあるのでしょう。前者は少し突飛かもしれませんが、後者のイメージはより馴染み深いものであり、株価本位制や情報本位制とも呼べるでしょう。両者は国内の生産体制・金融市場においては統合されており、安定化のための手段や制度が蓄積され、かなり機能しています。それは決して不可能ではないと思います。しかし、国際システムは非常に未熟です。
1月4日の日経新聞夕刊に、中前忠氏が日本経済の短評を書いていました。改革とは、効率の悪い企業が倒産し、失業と資源再配分が活発に行われることである。その過程では過剰な設備や雇用が解消され、金利はプラスに維持されるだろう。政府は財政赤字削減を本格化し、不況にも関わらず、むしろ自由化を支援しつづける。なぜなら、これこそが「グローバル化した市場経済の原則」だからである。政府にも日銀にもそれができないとしたら、市場が行うだろう。改革を避ける国から資本は急激に流出し、金利が上昇して、通貨価値が暴落する。それを恐れず、むしろ好機として、明確な改革プログラムを企業も銀行も政府も実行すれば、日本の展望は明るい、と。
あるいは今度はアメリカの番かもしれません。ドルとNYSEが急落する可能性があるからです。しかし、資本はどこに向かうのか? アメリカからの資本逃避がなければ、グリーンスパンの手品は生き延びます。もし市場がドルの価値を半分以下にするとしたら、それは株価の暴落であり、円を半分以下にするとしたら金融システムの破綻、ユーロが半分以下になるとしたら通貨統合の解体、というシナリオでしょう。
他方、そうした予想はそれ自体で主要国による協調的な刺激策の可能性と、回復予想による安定化に向けた投機をも示唆します。うまくいけば、民間市場は主要国の調整を促しつつ、その改革を支援するかもしれません。
アメリカが不均衡を調整する番だとすれば、他の主要経済圏は景気刺激策と通貨の増価に向かうわけです。ユーロ圏が景気刺激策と通貨価値の増大、国際商品価格の下落や国際投資の流入、株価上昇などで、好循環を取り込むかもしれません。それに遅れて、日本も改革の好機を活かすことができるか、あるいは、アメリカの不況に追随するのか?
今や、市場参加者は多くのシナリオを描きながら、互いに次の登場人物が発する信号を待っています。民間投資による国際資本移動の下で、新しい政策協調と国際通貨システムの改革論が、これから始まるでしょう。ただし、政府は役者の一人に過ぎないのです。
Financial Times, Tuesday Jan 2 2001
Editorial comment: Nine reasons to be optimistic
アメリカの景気が減速しても、楽観的でいることができる九つの理由がある。
1.長期の繁栄はアメリカに減速を求めているし、その意味で、株価の下落はパニックにつながらないだろう。
2.主要国はインフレの抑制と、日本を除いて、財政赤字の解消に成功しており、不況を緩和する手段が使える。
3.アメリカは帝国よりも経済発展を優先した史上最初の国であり、自由と民主主義を標榜している。
4.かつてに比べて、政治的・軍事的な脅威が大きく後退している。ロシアの軍事的脅威も、中国の経済的脅威も、抑制されている。
5.産油諸国は1970年代のような支配力を持たない。石油価格は25ドル程度で安定するだろう。
6.ヨーロッパは経済の自由化と改革を進めてきた。
7.科学の進歩は続いている。
8.世界貿易が維持され、成長を刺激しつづける。
9.世界の12億人におよぶ極端な貧困層を支援する富を、世界は十分に保有している。
Financial Times, Tuesday Jan 2 2001
Latin and German lessons
歴史家にとって、ヨーロッパの経済・通貨同盟はよくあることとは言えないが、前例の無いことでもない。問題は、通貨的な集権化と財政的な分権化とが、どれくらい維持できるのか、である。歴史が示すところでは、それは長く無い。
複数の政治主権による通貨同盟は、多くの場合、政治的、それゆえ税制的な集権化に続いて、もしくは少なくとも同時に、行われるものである。たとえばアメリカでも、中央銀行は第一次世界大戦後まで実現しなかったが、通貨統合は州の権利を奪って連邦政府に政治が決定的に移行することで行われた。ところがEUでは、EU予算がGDPのたった1%しかなく、逆に各国予算はGDPの48%に匹敵する。
その問題は、1860年代の二つの対照的な通貨同盟が示している。一つは、フランス、ベルギー、スイス、イタリア、さらに後にはギリシャが加わった、ラテン通貨同盟LMUである。それは中央銀行も政治制度もなく、鋳造だけに限られた。しかし、それは政治同盟の始まりとみなされた。
LMUの失敗は、イタリア政府の財政赤字を抑制できなかったことである。Papal政権は財政赤字を通貨の悪鋳で継続し、しかもそれをLMU全体に輸出した。イタリア政府が赤字を大量の不換紙幣発行でまかなうことを止めさせるメカニズムがLMUにはなかった。
他方、1871年に形成されたドイツ帝国にいたる通貨同盟は継続できた。確かにそれは、EMUに比べて、文化的な同質性やプロシアという覇権国が存在した点で異なる。なによりも、それは軍事力によって要請された帝国の建設であった。
とはいえ、重要な類似性が見られる。ビスマルクの帝国は、EUと同じく、規模や伝統、制度の多様性を含み、特に、プロシアだけでなく、他の三つの南部王国が拒否権を持っていた。また、財政的にも、帝国はプロシアの旧関税同盟を拡大したものであり、今日の政治的な共通農業政策とよく似ている。
ドイツの通貨統合は1875年のライヒス・バンク法で完成された。しかし、EMUに比べて、二つの点で異なっている。1.ドイツの金融制度は金本位制の規則にしたがっていた。2.労働力の高い移動性が存在した。これに比べて、Euroは通貨価値を固定する義務からは免れているが、労働市場の弾力性を大幅に失った。
それに対して、財政的な補償が行われるだろう。この点で、ドイツ帝国は財政的な集権化を急速に進めることができた。同様のことは、EUにおける「構造基金」などの国家間財政移転システムにいえる。その制度が弱体化する傾向にある。しかし、国家間の再分配要求は高まり、労働移動が少ないままで資本の移動が増えれば、地域的な所得格差が増大するに違いない。
財政的な集権化無しに通貨統合が維持できるとは思えない。ドイツのフィッシャー外相は、EUがドイツ型の連邦制を目指す、と明確にした。しかし私は、EUがドイツ第四帝国になる、と皮肉るつもりはない。問題は、EMUが目指すのは、ラテン通貨同盟か、ドイツ帝国か、である。
New York Times, January 4, 2001
The Fed Moves First
アラン・グリーンスパンが先手を打った。
ジョージ・W・ブッシュ次期大統領は、テキサス州オースティンで、財界の側近たちと減税や金利引下げが必要なことについて会談していた。その最中に、グリーンスパンはワシントンで、異例の金利引下げを決断した。臨時の会合で、しかも0.25%ではなく一気に0.5%の引下げを決めたことは、投資家たちに、景気後退を阻止するというFedの決意を確信させたであろう。
多くの指標が経済の減速を確認している。Fedは成長の減速が縮小に落ち込む前に、行動を起こした。Fedがその決定を躊躇する唯一の理由はインフレであるが、エネルギー部門を除いて、それは落ち着いている。
政治的手腕にも秀でたグリーンスパンのこの決定は、ブッシュが議会で、高所得者に手厚い大型減税を主張する前に行われた。そのような政策は、不況が深まっているのでない限り、むしろ後から景気を過熱させてFedの仕事を難しくするからである。
New York Times, January 4, 2001
The History: Similar Cuts Have Yielded Varied Effects
By FLOYD NORRIS
市場は金利引下げを好む。しかし市場の好感が持続するのは、実際に経済が強まり、また信用が拡大するときだけである。
この12年間で金利が引き下げられた例は二回だけであるが、異なった結果を示した。1989年には経済が不況に入るのを防げず、株価も下落した。1998年には不況が回避され、株価は上昇した。しかし切り下げた直後には、株式市場はそれぞれ間違った反応を示している。1989年にはすぐに株価が上昇し、1998年にはなかなか反応しなかったのだ。
現在の状況は、1998年よりも1989年に似ている。当時も、今と同様に、経済が減速し始めており、資本市場は不安を感じていた。株価は熱狂的に反応したが、それはもっと下がるのを待っていた人々が金利引下げに反応したからである。他方、1998年は、市場の不安が主に海外の金融混乱から生じており、アメリカ経済は決して減速していなかった。
Financial Times, Sunday Jan 7 2001
Gains from Fed's rate cut slip away
By Peronet Despeignes in Washington and Ed Crooks in London
金利引下げによる株価上昇は、投資家がハード・ランディングを恐れ、そのほとんどを数日で失った。雇用が伸びないにもかかわらず、賃金は上昇している。減速によってもインフレが抑制されず、それがFedの金利引下げを制約するのではないか、と投資家は心配している。また市場では、先日の金利引下げが、市場にまだ知らされていない銀行部門の損失が発生しているからではないか、という噂がある。
Fedがどこまで金利を下げれるのか、市場の見方は分かれている。
*******************************
The Economist, December 23id-January 5th 2000
Tales of youth and age
科学、経済学、社会、その他から、新しい問題が提起され、権力と変化を彩るだろう。それが政治である。しかし、21世紀の政治を決定する最も重要な問題の一つは、若者と老人との衝突であり、対照であろう。
20世紀において、人類は大規模に農村から都市の工場へと移動した。それは、都市における工場労働者の誕生という予想もしない事態を生じて、それが20世紀を形成した。21世紀においては、人類が若者から老人へと移動するのである。豊かな国でも貧しい国でも、若者と老人との戦いが政治を支配するだろう。
たとえ老人のほうが多くなるとしても、若者のほうが機会に恵まれている。企業も社会も階層的な秩序は失われていくだろう。年功制は弱まり、指導力と創造性が重要になる。技術の革新は、それを活用するものを豊かにする。社会のバランスは若者に向かうだろう。
しかし、若者とは誰のことか? 人が若いと感じる期間も大きく伸びている。老人と若者の境界線はますます薄れていくのである。政府を悩ましてきた、退職者の増加と若者の減少も、すでに、誰がいつ退職するかが大きく弾力化している。課税や年金の制度も大きく変わる必要があるだろう。
社会が老人を増やしつづけたのは、平和と成長を続けた無意識の結果であり、逆に、再び戦争や不況が甦ることも考えられる。自由な資本主義的グローバリゼーションは、今年、アメリカの不況で試練に直面するだろう。そして将来も、こうした試練が乗り越えられるとしたら、それは貧しい第三世界の若者が豊かな老人となれるときである。
Go west, young Han
中国による「西部開拓」の実現は、江沢民政府の使命と化している。中国の西域には、人口の4分の1、13億人が住み、その面積は国土の半分以上を占める。そして中国の貧困層の半分以上が含まれている。農民の所得は沿岸部の3分の1しかなく、中国向け直接投資のわずか5%しか行われていない。それでも、中国の政治・経済的な関心は沿岸部の勢力が支配してきたために、開発を促すことは今まで無かった。
政府の西部開拓キャンペーンには疑わしい側面がある。政府の歳入はGDPの14%しかなく、それが財政的な支援を制約する。また、西域は市場よりも国家が支配する部門が大きい。さらに、政府は学校や医療、道路の整備などではなく、しばしば無駄な記念事業や大規模工事を好む。
確かにハイウェイや鉄道の建設、パイプラインの工事などが始まった。しかし、そこに深刻な懸念がある。政府は、貧困の解消よりも、西域の地下資源を確保し、分離独立運動に備えて治安部隊を展開するために、こうした工事を行っているだけではないか? 地元の社会にどのような利益があるのか、は明確でない。
道路や鉄道ができて、西域への漢族の移民も増えてきた。西域の地方政府は漢族の増加を厳しく抑制する政策を採ってきた。しかし年々彼らは増加し、住み着いている。ウイグル人の若者は、自分が健康で教育も受けたのに失業しているのは、中国企業が雇おうとしないからだ、と憤慨していた。「駅に行けば分かる。鉄道で着いたばかりの漢族の労働者を、彼らはすぐに雇うのだ」と。
これが中国式の植民化である。
The world in their hands
ブッシュ次期大統領が指名したコーリン・パウウェルとコンドリーザ・ライスは、ともにすばらしい経歴の持ち主だ。パウエル元将軍は、ジャマイカの移民の息子であったが、サウス・ブロンクスから、湾岸戦争を指揮するまでになった。またライスは、民族対立による教会爆破で幼なじみを亡くしたが、ソビエト崩壊時に国家安全保障会議のロシア語を操る専門家になった。彼らは英雄であり、貧しい黒人たちとの和解を示すモデルでもある。
しかし、彼らが担うアメリカの外交政策には慎重な判断が必要だ。パウエル将軍は湾岸戦争のときに、軍事行動を起こすかどうかについて、当時のチェイニー国防長官やブッシュ大統領と対立した。また、1995年のセルビア空爆にも「西側の利益が損なわれているわけではない」と反対した。こうして明らかにされた「パウエル・ドクトリン」は、アメリカの国益を非常に狭く定義し、正当化できる軍事行動の範囲を限定するものである。
ライス女史の評価は、むしろソ連崩壊に至る2年間のブッシュ政権に関わっており、それはアメリカの外交政策が、ゴルバチョフとの関係にこだわって新しい動きを軽視した、失敗の時期にあたる。しかし、ドイツの再統合問題に関しては、ロシアが関与することを強く拒んだ。
パウエル将軍に関しては、戦争の勝利と技術進歩がその消極姿勢を改善するかもしれない。他方、バルカン半島から撤退する、というライス女史の脅しは、EUの軍事組織をめぐる議論を牽制したものであろうが、アメリカの軍事的関与を弱めてヨーロッパを想像以上に不安定化するだろう。
ブッシュ氏は彼らの政策に関して慎重であるべきだ。
Ecuador drifts between opportunity and deadlock
ドル化と石油価格の上昇は、エクアドル経済にわずかな急速を与えた。人々の消費は少しだけ増えている、という。
1年前のエクアドルはひどかった。GDPの変化はマイナス7.3%であった。金融システムも通貨も大部分が崩壊していた。政府は債務不履行に陥った。多くが反対する中で、ドル化が採用され、ハイパー・インフレは沈静化してきた。しかし、大統領は軍隊に辞任させられ、議会は反対派の司令官たちとアンデアン・インディオ農民運動によって支配された。アメリカの圧力により、将軍たちは副大統領のノボアに権力を移譲した。
ノボア大統領はドル化を進めた。9月に通貨スクレを廃棄し、石油収入とIMFからの融資で、経済は今年、2%の成長を達成しそうである。貨幣が銀行に戻り、融資が再開された。しかし、ドル化が成功するためには、政府はまだ多くの犠牲を払う必要がある。為替レートも金融政策も失い、支出をまかなうインフレも起こせないのであるから、政府は財政を引き締め、成長するためには外国からの投資を引き寄せ、生産性を高める必要がある。そして外部のショックに対して労働市場の弾力性を高め、政府は再配置を支援しなければならない。
しかし、エクアドルの政治家たちは改革を受け入れない。貸出金利に上限を設けたり、石油収入で賃金を引き上げたりしながら、他方でIMFと合意した付加価値税の引き上げや補助金廃止を遅らせている。その結果、インフレ率は十分に低下していない。そして以前の大幅なスクレの減価で得た競争力を失ってしまった。IMFとの対立も強まっている。
投資を引き寄せるために、国内の法律を整備し、パイプラインの建設を進めることが必要である。しかし、工事は先週二度もゲリラによって爆破され、軍隊は石油収入の分配をめぐって政府ともめている。すべての集団が利権を争っており、民営化も計略としか見られない。
国民の生活は1980年の水準に後退し、40万人のエクアドル人が海外に出稼ぎを強いられている。ノボア大統領は政治集団の外部から権力を得た。政治家はクーデタを恐れている。ドル化の成功によって支持を得ていたが、今や労働組合やインディオの農民運動は支持を翻しつつある。ノボアが旧来の政治的な行き詰まりを打開しなければ、ドル化は決して成功を約束しない。
Dreaming of Altneuland
近代シオニズムの創設者であったセオドア・ヘルズルが夢に描いた「アルトノイランド・古くて新しい土地」は、彼の1902年に出版された小説の中に存在した。ヘルズルが間違い、その後も多くのシオニスト達が間違ったように、パレスチナは「土地の無い人々に用意された、人々の居ない土地」ではなかった。
1世紀前、そこはトルコの一部であり、確かに人口は少なかったが、ユダヤ人ではない人々が住んでいた。彼の小説では、アラブ人たちが新参者を歓迎してくれる中で、1920年代に、新しい社会が建設されるはずであった。しかし現実は、その10年も前から、血塗られた誤算であることがはっきりした。
当時は、しかし、彼の夢も現実味があった。世界の秩序はヨーロッパ列強が決めていた。そしてパレスチナには、トルコの支配下で多くの民族が混在していた。ユダヤ人もここで他民族と、互いに市民として、共存できると信じたのである。彼の夢想の国とは、1900年当時にウィーンで栄えたブルジョア文化を移植するものであり、それを担うのがたまたまユダヤ人であった。
パレスチナに入植したその新しい社会は、都市計画や社会工学、生き生きした商業、工業、そして商品化された農業からなっていた。それは多くの協同組合が存在する混合経済であった。それを運営するのは慈善的技術階層であった。政治の役割は小さく、イディッシュ語やユダヤ教もその一部でしかなかった。旧来の住民たちの中から、ユダヤ人が土地の値段を上げてくれることで地主の利益となり、雇用を増やし、商売を盛んにしてくれるから、アラブ人社会の利益になる、と考える者が現れた。
しかし、それは1902年当時でさえ、もちろん、ユートピアであった。その後、植民地の独立が続く中で、ユダヤ人は大量にイスラエルに流入した。アルトノイラントの話には軍隊が登場しない。現実には、入植者達はかなり最初から武器を持ち込んだ。そして現在のイスラエルは、シオニズムではなく、あからさまな現実主義者が支配している。彼らは、ユダヤ人が土地をもち、未来を持つとしたら、それはライフルによる、と確信している。
The dollar’s looking peaky
多くの予想に反して、1999年と2000年に、ユーロの価値は下落した。2001年末のユーロの価値について、予想は大きく分かれている。しかし、ドルの価値はピークを過ぎたという点で、多くの専門家が一致している。
アメリカの成長率がヨーロッパと逆転するかもしれない。金利差も縮小するはずである。アメリカにはGDPの4.5%に達する大幅な経常赤字がある。1990年代半ば以来、アメリカへの直接投資や株式購入が、その赤字を十分にまかなってきた。その結果、アメリカの対外債務は2兆ドルに達し、各家庭が平均2万ドルの対外債務を負う。それゆえ、ドル価値は投資家の気まぐれに脆弱となった。
アメリカの成長と、それゆえ収益が、急激に減れば、アメリカの資産は外国の投資家に魅力が無くなる。実際、2000年のヨーロッパ株式は現地通貨建てでアメリカの株式よりも高収益であった。ドル高・ユーロ安がそれを見えなくさせてきた。両市場で急速に資産価格の調整が進むかもしれない。そうなればドルも下落する。
ユーロの増価に反して、円は減価している。低金利でも物価が下落しているから金融引締めが続いている。金融引締めと財政赤字は通貨の増価を強めるだろう。しかし、円高は日本の景気回復を破壊する。円が100円に向かえば、日銀は外国為替市場に積極的に介入するだろう。また、ドルに対してユーロが強くなることを否定する者は、アメリカの構造的な優位を信じている。減速によってアメリカ経済は速やかに成長を回復できる、と。
緩やかなドル安は、アメリカの経常赤字を削減し、自動車業界の保護主義要求を鎮める点で有益である。また、ドルにリンクした新興経済の景気も刺激する。しかし、急激な下落はFedを動けなくする。それはインフレを加速し、金利引下げを難しくすることで、ドル安、株安、不況という、ハード・ランディングにたやすく転化する。
ヨーロッパ諸国は、若干のユーロ高がインフレを抑制し、金利引上げを回避できると喜ぶかもしれない。しかし、すぐに、アメリカのハード・ランディングによるユーロ高に襲われ、アメリカ経済の好調さでドル高が続くことを恋しく思うだろう。
*******************************
Time, January 8, 2001
This Time It’s Different
Trapped In The System
Don’t Panic, Spend
アメリカの景気変動は、なくなったのではなく、ニュー・エコノミー型になりそうだ。消費やインフレ、失業を中心に景気が変動するのではなく、株価と資産効果が重要になり、その国際的な波及、さらに貿易と資本移動によって景気が変動する。技術革新が労働生産性に及ぼした効果は失われないから、長い目で見れば調整は緩和される、という楽観論が、しかし短期的には世界同時不況が強められる、という悲観論と交錯している。
アジアでは、アメリカ向けの電機製品・パソコン・通信部品の輸出で、通貨危機後に急速な回復が可能になった。アメリカ経済の減速は、各国経済を大きく損なうだろう。それを見越して、シンガポールはFTAの拡大や通貨の減価を模索し始めた。既に低金利と財政赤字によっても停滞し続けている日本は、次のエンジンになれない。
アメリカが調整するためには、世界の不均衡も調整される。アジア諸国は大幅な黒字を出すべきではない。アメリカがアジア通貨危機後の不況を回避させたように、今度はアジアが貯蓄を国内消費の拡大に回して調整を助けるときである。人口が停滞し、高齢化と耐久消費財が飽和に近い日本は例外であって、アジアにはそれができる。中国はインフラ整備に投資し、賃金を引き上げ、貯蓄を抑制する課税を行って、輸出よりも消費を拡大している。アジア諸国は中国の政策をまねるべきだ。