今週の要約記事・コメント
1/1-1/6
IPEの果樹園 2001
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年末年始の番組に、日本や世界、暮らしの変化を考える内容が少ないことが何か不安でした。ピンク・レディーは懐かしく、小林幸子は衣装を芝居小屋のような道具にしてしまい、筋肉番付や、芸能バラエティー・ショーなど、それを放映するテレビ関係者は満足したかもしれません。しかし、子供たちと楽しくドラえもんを観て過ごしながら、日本のメディアは何も語ってくれない、という空っぽな印象を持ちました。
田原総一郎が司会し、堺屋太一と石原慎太郎も出演した年末の特集番組を観ながら、権力への意志、を考えました。権力欲なしに政治家であることは難しいでしょう。政界を辞した堺屋氏は、実に楽しそうにアイデアを語っていました。他方、石原慎太郎や小沢一郎が日本の政界を代表するとしても、私は彼らが選挙制度や政治意識を改善できると思いません。有能で、人々に向かって常に権力のあり方を問い、その発言と行動に責任を問う、謙虚な政治家がもっと増えて欲しいと思います。権力欲に駆られた政党や政治家が権力を失うことで、政治全体が安定し、活発になるような仕組みを作ってほしいです。
田中直毅の司会で、日本の経済改革を議論していました。「変革のDNA」という比喩には幻滅しますが、オランダの例に感心しました。パート・タイムとフル・タイムの雇用に差別を禁止する法律を作り、人々が選択的に労働時間を割り振る生活を始めた、と言うのです。ある人は週三日だけ銀行で融資の審査を行い、週二日は内装工事の大工になりました。さらに、定年制度なども廃止して、体力と能力に応じて週二日だけ働く老人を増やし、新しい分野に挑んで再教育を選択する労働者や、男女とも子育てとチャレンジを可能にする社会を作るでしょう。
西沢潤一の司会で教育を問う二日目の番組では、一人の女子高生が、明瞭に感想を語っていました。彼女は高校でアメリカに交換留学し、結局、日本の高校を退学して、アメリカで学びつづけました。アメリカでは学校で学ぶことが楽しく、自分のためになり、光栄であると感じる。しかし、日本では学校は面白くない。無益な、ただ親や世間体のために、良い子であるしかないから行くところである。だから日本には帰らなかった、と。
政治家とともに日本の権力を分かち合ってきた大蔵省や文部省も、今では権力を手放すことに熱心になった、と感じます。それは、ある意味で、介入による失敗の責任を免れるには、権力を隠蔽するだけでは十分でなくなったからです。彼らの生存本能が、複雑な手続きによって権力を注意深く回避すること、反対意見を常に取り込み、失敗に備えて保険をかけ、すべてが市場の無作為な選別と、できれば理想的な自由競争の結果であると説明することで、そのシステムを擁護することに向かいつつあると思います。権力と切り離されたところに自分達がいる、と自ら信じ込もうとしているのでしょう。
権力は、それを自己の手段として弄ぶ、権力欲に駆られた者たちに大幅に開放され始めました。しかし、今のメディアも選挙も、官僚制度や資本市場も、その空白を満たせないでしょう。市場の時代は、権力への欲望を解き放つ暗い予感を秘めています。
New York Times, December 27, 2000
RECKONINGS
We're Not Japan
By PAUL KRUGMAN
アメリカ経済の心配は、日本のようなバブル崩壊によって不況になることではない。それは、Fedが流動性を供給して金利を引下げれば解決できる。むしろ、不況を恐れるビジネス界に政府が取り入って、短期的な効果も無い減税策を、長期的な経済条件を悪化させるために実行することが心配である。われわれは、日本ではない。
Financial Times, Friday Dec 29 2000
The case for a smaller state revisited
Robert Skidelsky
小さな国家が必要であるのは、非効率や公共財の改善を実現するために、国家や官僚制度ではなく市場が求められるからである。公共財が必要なくなったわけではない。かつて、サッチャー首相は政府部門の経済学者を皆くびにしろ、と叫んで有名になった。だが、公共財の問題は、経済学では解決できない。
小さな政府を主張する基本は、個人の自由を重視することである。しかし、個人の自由と個人に可能な行動とを区別しなければならない。民間部門では供給できない安全保障や、法と秩序、有効な輸送システムなどは、かつて慈善や相互扶助で供給できたが、いまでは国家が税金を徴収して実現しなければならない。
それは購買力を再配分することである。民間部門の資源や生産能力を公共財のために配分する。そのために人々は、社会にとって何が公平か、という合意を形成しなければならない。それは結局、裕福な者の負担で、貧しい者の生活を改善することになる。機会を平等にしようとすれば、より多くの公共財が求められる。それがどこまで必要か、は倫理的な原則の問題である。
そこでさらに、小さな国家を支持する者は、効率を重視する。少なくとも発達した豊かな諸国では、国家が資源を処分する割合が高くなるほど成長率が低下する。ある点を越えれば、公的部門の拡大は民間部門を「クラウド・アウト」してしまうだろう、という直感が刺激される。他方、公共財の供給には高い成長が望ましい。
最後に、公共財の量ではなく、満足できる質の向上に関する問題がある。公共財も、市場において競争的に供給されなければ、消費者の満足を得られない。
こうして、倫理と効率とがぶつかる点で、政治論争が必要なのである。
Financial Times, Friday Dec 29 2000
Spreading the world's wealth
Martin Wolf
イギリス政府国際開発局の白書は、グローバリゼーションが世界の最貧困層を減らすような改善策を豊かな国に求めた。特に、次のような指摘は重要である。
・ 海外の汚職に関わったイギリス人をイギリスの法廷が裁くこと。
・ 武器の取引をより厳しく規制すること。
・ エイズ、マラリア、結核のワクチン開発を支援すること。
・ 知的所有権の保護を開発諸国に有利なように修正する委員会を設置すること。
・ 開発援助をより多く貧しい国に配分すること。
・ イギリスの開発援助を統合すること。
・ 国際機関のトップを決める過程を公開し、競争的なものにすること。
何よりも、白書はグローバリゼーションが世界の貧困を減らすことに役立つ、と主張している。
貧困を減らすために再分配を行うことも可能である。一日1ドル以下で生活する12億人の最貧困層がその所得を2倍にするには、豊かな国がGDPのたった2%を援助するだけでよい。しかし、再分配は国境によって妨げられる。大規模な国際的所得移転は政治的に困難である。他方、南アジアやサブ・サハラ・アフリカの貧しい諸国が国内の再分配を行う能力も限られている。
彼らが持続可能な高い成長を実現できることが重要である。そのためには、経済を開放することが不可欠だ。世界市場に開放することで、輸出部門が拡大し、直接投資が流入する。もっとも貧しい人々が、多国籍企業や強欲な外国商人の犠牲となっている、というのはまったく間違っている。
最も重要な問題は、グローバリゼーションの機会を世界のもっとも貧しいものに利用できるようにする世界的な政策である。国際投資契約を守り、市場を自由化し、開発諸国は市場アクセスを補償して、労働基準や環境規制による保護主義的な規制を回避しなければならない。
貧しい諸国の政府が改革を進めることが重要である。内戦や汚職がはびこり、教育が欠如し、伝染病は蔓延、そして世界から隔離された国が豊かになることはできない。グローバリゼーションへの対応に単純な答えは無い。
Financial Times, Friday Dec 29 2000
It's not the end of the world
アメリカがもし不況になれば、世界はどうなるのか?
GDPの6%という記録的な水準に達したアメリカ民間部門の債務超過が逆転し、投資が減少して貯蓄が増えると仮定しよう。長期間に渡って、民間部門は6%の赤字ではなく、2〜3%の黒字を出さねばならない。それは、有効需要を減らして、不況のオーバーシュートをもたらす。
しかし、財政支出で刺激策が採られ、経常収支が改善すれば、不況は緩和される。それゆえ、アメリカの経常収支赤字が消滅して、大幅な財政赤字がもたらされるだろう。その場合、世界は4つの経路で影響を受ける。貿易、資本移動と為替レート、国際商品価格、そして金融市場の伝染contagionである。
1.貿易:アメリカの赤字がなくなるには、少なくとも数年間、不況によって輸入が20%減少し、輸出が5%増加しなければならないだろう。それはその他の世界に対する直接的な需要を1.3%減少させる。カナダ、マレーシア、メキシコなどでは、その影響がGDPの3〜8%に達するが、それは例外である。特にユーロ圏や東欧では、その影響は非常に限られている。イギリスや日本も、アメリカ向け輸出はそのGDPの2.8%と3.1%に過ぎない。
2.資本移動と為替レート:もしアメリカへの資本流入が止まれば、ドルの価値はユーロや円に対して大幅に下落し、3分の1か、それ以下にもなり得る。しかし、それは過去に起きたことがあるし、短期金利の低下で加速されるだろう。ドルに固定した新興経済は大幅な利益を得る。他方、日本は円高による大きな調整を回避するために、日銀が無制限な為替市場への介入を迫られるだろう。しかし、ECBは金利を引き下げることができ、それは世界経済の調整にとっても有効である。
3.国債商品価格:特に石油価格は、アメリカの不況によって、即座に下落する。それはインフレ圧力を減らすから、アメリカやその他の主要国の中央銀行に対応する余裕を与え、新興経済にも刺激策を可能にする。他方、石油輸出国は打撃を被る。
4.金融市場の伝染:最も重要なのは、特に株式市場の伝染である。日本の市場以外では、ウォール街の投資熱が株価を支えてきた。しかし、ここでもユーロ圏のGDPに対する株式市場の規模はアメリカの半分でしかなく、しかも個人より企業による保有が大きい。その意味で、株価下落の影響は小さい。
それゆえ、アメリカの不況は、ユーロ圏が正しく対応するならば、日本を除いて、決して世界経済に破壊的な影響を及ぼさないだろう。日本の危機が深刻なのは、それ自身が脆弱さを深めてきたからである。
もちろんこの結論は、政治的な混乱や、特に国内市場を閉ざすような対応を主要国が採用しない、ということを前提している。今までの通貨危機でも見られたたように、不況は閉鎖的な対応を求める政治的圧力を強める。政治家の責任は、そうした間違った政策による悲劇を回避することである。
<コメント>
大幅なドル安が世界経済の再調整を可能にする、というのが、現在の国際通貨制度におけるルールです。株価暴落は主要国中央銀行の協調金融緩和で回避する、と。
しかし、この制度は特に二つの点で不満です。なぜ、今まで不均衡を調整しなかったのか? アメリカが不況であれば調整を強要し、他国が不況でも不均衡を蓄積した、という批判を免れません。また、主要通貨間の資本移動と為替レートの大きな変動が調整過程を促す、と考えますが、それによって生じる不平等な調整コストの分担、分配の問題をどうするのか? 通貨危機の頻発や強国への市場統合、独占企業の繁栄を、社会の豊かさと同一視するのは間違いです。
現在の制度は、巨大な内部市場を持つ、主要国の経済運営にますます重要な決定を集中させ、大きな政治的権力を蓄積します。しかし、その権限を独占する者たちが責任を負うのは、わずかな国民や株主、さらにわずかな制度の基幹部分を担う人たちです。そしてその現実は選挙の誤差や心理的ショックなどにますます依存しています。
Financial Times, Friday Dec 29 2000
New economy, old politics
Moies Naim
スタンダード・オイルNJでもアメリカン・オンラインでも、ユナイテッド・フルーツでもヤフーでも、企業が国境を越えるのはより大きな市場と利潤を求めるからである。しかし、それぞれの産業が特殊な事情でそれを決定してきた。インターネット産業の特徴は、市場を拡大するために物理的に国境を越える必要がなくなったことである。
しかし、ニュー・エコノミーは利潤を確保するための新しい外交に取り組んでいる。彼らは自社の技術やコンテンツを世界的な規模で確立し、その富をインターネットの海賊たちから守らなければならない。それはいかに強大な国でも、その権限を越えた問題である。覇権による国際秩序は有効性を失った。それに代わって、多国間の交渉Multilateralismが重要となった。
ニュー・エコノミーの世界企業は多くのロビーストをジュネーブやブラッセルで雇い、国際的な統一技術規格の決定に関与している。しかし、ここに大きな矛盾がある。世界企業の好むスピード、分権化、個人主義、そして地理や国境・主権の無視が、国際交渉の緩慢な合意形成、フリー・ライド、目的の不明確さ、国家主権に対する極端な過敏さ、などとまったく一致しないことである。
新しい経済主体と古い政治主体との衝突が、未来の世界を形作るのである。
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The Economist, December 16th 2000
A treat from Nice
The Nice Summit: So that’s all agreed, then
ニース・サミットは、東欧諸国に対する参加の道筋を明確にできた点で成功であった。
独仏同盟による指導体制が崩れ始め、新しい投票制度に対する複雑な合意形成は深夜に及んだ。NATOと独立した軍事展開能力を構築する可能性は先に持ち越した。委員会の増殖と組織の無秩序さを抑制する方策が求められた。多数決原理が支配する領域は拡大し、少なくとも小国の拒否権を削って人口に比例する方向で調整が進められた。フランスは、統一ドイツの人口に見合った主導権を認めるべきであろう。いずれの国もドイツへの特別な懸念を理由にすべきではない。
東欧諸国の加盟は、労働者の自由な移動を制限する条件が付けられた。共通農業政策は議題からはずされた。サミットがEU統合に完全な答えを示したわけではない。しかし、その結果は歓迎できるだろう。
Discomfited Japan
戦争犯罪に対する女性による国際法廷が、1930年代、40年代の、日本軍による公娼制度(従軍慰安婦)に関して、亡くなった先の天皇裕仁を有罪とした。朝鮮、フィリピン、中国、インドネシア、マレーシア、ビルマなどの女性、20万人が、奴隷として軍隊に奉仕させたことを、慰安婦の生き残り達が証言した。
日本政府はまだその事実を認めない。村山首相が謝罪したのは個人的な話しとして扱い、一般的な反省しか口にしない。それでも右翼の激しい抗議や論争は、日本がドイツのような公開の正直な謝罪を行わないことに対する、アジア諸国の疑念を強めさせる。
日本に限らず多くの国が、戦争に際して女性や子供に対する非人道的振る舞いを犯し、その罪を認めるのが余りに少なく、また遅かった。しかし、日本は50年を経てもまだ過去の罪を認めようとしない。日本政府が、軍隊によって蹂躙された女性たちの人生に、直接かつ明確に謝罪することのほうが、日本をアジアで尊敬される地位に近づけるのである。
Argentina: Long recession, short shrift
2001年がアルゼンチンにとって良い年であるかどうかは、300億ドルにもおよぶであろうIMF融資の成否にかかっている。
12月12日、議会は予算案を可決した。上院の反対により、政府は地域補助金を削減できなかった。また政府部門の賃金カットを翻す結果になった。これに対してはデ・ラ・ルーア大統領が拒否権を発動するだろう。また政府は、既に、知事たちと財政移転を凍結することに合意している。
こうした財政改革によって、経済成長を回復するために、IMFは短期的に財政政策の緩和を認めた。それはアルゼンチンの政府債務を拡大するが、IMFが約220億ドル融資して債務不履行のリスクをなくし、借入コストを削減するだろう。
デ・ラ・ルーアは改革に向けた政治的な支持を確保できるだろうか? また、IMFは経済成長をもたらせるのか? どちらも確実ではない。IMFが求める、現地の銀行や年金基金による政府への融資は3分の1までにすることは、少なくとも70%の削減となるだろう。デ・ラ・ルーアへの国民の支持は低下し、1995年以来、初めて銀行預金が減少した。
アルゼンチン国民は、アメリカ経済が減速し、国際的な金利水準を低下するだけでなく、ドルを安くすることで、デ・ラ・ルーアの2年目が容易になることを祈るだろう。
Mercosur: Chopping block
1994年に、アメリカ自由貿易圏(FTAA)が提唱されて以来、その細部はアメリカとブラジルの厳しい交渉にかかっていることはわかっていた。ブラジルは交渉力を強めるために、メルコスールの拡大により、南アメリカ連合を形成しようとしてきた。しかし、ブラジルの外交戦略は、地理がメルコスールに加盟するとともに、アメリカと自由貿易交渉を開始したことで逆流した。アルゼンチンも同じことを考えている。他方、FTAAを2005年より1年早める提案に、ブラジルが反対している。
メルコスールは、二年毎にサミットを開くが、ブラジルの切下げ、アルゼンチンの不況に苦しんでいる。さらに、域内の貿易障壁は減らず、市場を統合する恒久的な制度は何もできていない。ブラジルにとって、メルコスールは対外的な交渉に利用する見せ掛けだけの市場規模拡大にとどまるが、チリのラゴス大統領は、より不快政治・経済統合に向かうべきだと述べた。
今や新しい考え方が求められている。ブラジルの成長は、FTAAに対する危惧を和らげるだろう。また1994年以来初めて、今年の対米貿易は黒字となった。来月の外相引退は、ブラジルの方針転換にチャンスとなるだろう。しかし、他方、アメリカのブッシュ新政権はFTAAを支持しているが、議会で、交渉に必要な権限を承認されないかもしれない。FTAAに関するアメリカの後退は、メルコスールの転換にとって皮肉なことである。
Telecoms in Trouble: When big is no longer beautiful
巨大テレコム企業の没落:アメリカのテレコム各社は株価が暴落した。WorldComは、株価を上昇させるために、消費者サービス部門を分離する、と発表した。WorldComの市場評価額は、1年前の1500億ドル(約15兆6000億円)から500億ドルに減少した。ヨーロッパでは、第三世代移動電話のライセンスの落札価格が総額で1500億ドルに達した。それは各社のバランス・シートを悪化させ、ドイツ・テレコムやブリティッシュ・テレコムの株価は下落し、債券格付けを低下させた。
サラミ戦略:自由化と競争激化、新技術の導入で、テレコム各社は利益を蝕まれてきたが、今や、大きな利益が失われ始めた。さまざまな成長市場への期待も失望に変わった。テレコム企業の巨大化は、利益を蝕む挑戦者を垂直統合と莫大な規模の利益で締め出す戦略であった。規模こそが、技術変化のペースを支配すると信じた。しかし、明らかに投資家は規模の価値をもはや信じていない。
市場の失敗:テレコム株価の高騰は、アメリカとヨーロッパにおける約3年前の自由化と市場開放で始まった。次に、インターネットが加わり、消費者がデータや新しいサービスを求め始めた。第三に、移動電話が急激に普及し、統一規格された技術で市場が結びついた。ヨーロッパでは、国債が減少し、テレコムの民営化が進み、技術革新に関わる有望な株が少なかった。それゆえ、資金はテレコム株に向かった。アメリカでは、大企業による競争激化と監督当局による支援が、企業の吸収・合併を促し、株主たちはこれに熱狂した。
しかし、もはや革新的技術や規制緩和は当たり前となった。長距離電話が利益を生まなくなるこちとは分かっていたが、予想よりも早くそれが起きた。光通信網ができれば、競争激化でその価格はゼロに近くなる。企業のコア・ビジネスが衰退する一方で、株式市場が統合化をもはや喜ばないことに気付いた。むしろ関心は高度な純粋企業に向かっている。そして巨大企業の株価は、その不採算部門に従って割り引かれる。
巨人の解体:そこでBT、AT&T、WorldComは、企業の切り離しと株価の軌道分割を採用し始めた。さらに、各社はその債務額を削減したいのである。莫大な資本による過当競争が利益をなくしてしまう恐怖が投資家に広がっている。インターネット需要は今でも毎年倍増しているが、市場のオーバーシュートは企業を大幅に破壊するかもしれない。
生き残りの戦略:新しい企業モデルは、水平的な競争を展開しながら、価値連鎖の他の部分にある企業とは協力することであろう。さらに、各家庭につなぐ際にボトルネックとなっている「最後の1マイル」がどのように解消されるか、が問題である。それが解消されたとき、再び新しい革新の波が起きる。こうした見方が正しければ、巨大テレコムの分割は、債務負担軽減という理由であっても、正しい方向であろう。コンピューターや金融部門が示したように、革新が加速すれば垂直的統合は分割に向かう。
First the put; then the cut
ウォール街は大統領選挙の混乱が収拾できたことで株価が上昇すると期待していた。しかし、上昇はすぐに終わり、市場は動揺を続けた。企業の収益見込みは悪化しつづけている。
投資家たちは、グリーンスパンが株価の下値を保証すると思っている。「グリーンスパン・プット」である。それは、1998年のLTCM危機のように、株価暴落を金融緩和で阻止する姿勢が、最低売却価格を株式保有者に保証するプット・オプションに似ているからである。そして12月5日の彼の公演は、「私が居る “I’m here”」メッセージとして歓迎された。
しかし、グリーンスパン・マジックは、今回かなり難しいだろう。金利を下げればドルが弱くなり、海外投資家はアメリカへの投資にますます慎重になる。他方、これほど強く長い消費ブームが続いた後では、金利の低下が消費を促すとは思えない。しかも彼らは記録的な債務を負っている。また、何より金融システムの機関をなす企業部門が、リスクを恐れて金利低下に反応しないだろう。グリーンスパンは、債務超過の経済を管理する中央銀行家にしては驚くほどはっきりと、民間銀行に融資の継続を促した。しかし、誰も聞くつもりは無い。
社債市場の状況はさらに悪い。1998年の流動性危機よりも今のほうが良い、と言う彼の発言は愚かな冗談である。社債による資金調達の悪化は優良企業にも及んでいる。それは、企業が社債をあふれさせたからであり、優良企業の格付け低下が続いたからである。ジャンク・ボンド市場では債務不履行が急増すると予想されている。
ブッシュ次期大統領の減税案も事態を改善できないだろう。1992年の選挙はグリーンスパンのせいで負けた、と考えている彼の父親に相談するのは、論外である。
Asian economies: The future that might have been
ドイツ銀行が発行したレポートで、アジア担当者が「2001年は、われわれが1999年に起きると予想した不況の年になる」と述べている。1999年は、アメリカの需要がアジアの驚異的な景気回復を実現し、2年にわたって年率7%の成長を可能にした。しかし今度は成長率が低下し始めた。銀行部門の弱さと、累積した政府債務を考えれば、それは深刻な事態である。
電機産業とアメリカ向け輸出に依存している国ほど、その影響は大きいだろう。アジア各国は互いに貿易しているが、その最終市場はアメリカとヨーロッパである。では、アジア域内で協力してはどうか? 貿易依存度の低いインドは悪影響を免れるし、中国の株式市場は活発に上昇している。しかし、各国・各部門によって大きく異なるが、他のアジア諸国は深刻な影響を被るだろう。ただし、数年後を見れば、その展望は明るい。
2001年の谷を決定するのは、何よりもアメリカ・ドルの動向であろう。ドルが弱くなれば、ユーロや円は強くなる。しかし、ドルへの固定化を放棄したものの、政治不安が続くアジア諸国では、通貨価値が上昇せず、むしろ低下する可能性がある。それは悪いことではない。確かにドル建の債務があるが、アジアは他の地域に比べてその程度が少ない。それゆえ、債務負担の増加よりも輸出の増加のほうが重要であろう。
アジアの中央銀行にとって、対外債務よりも、株価下落の影響がより心配であろう。