IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

8/7-12


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いよいよ夏休み。読みたい本が一杯あります。しかし、何冊読めるのか? 自分の研究に戻るとすぐに、もう、秋の気配を感じてしまいます… やれることから、小さな一歩でも進めたいです。そして、できればSF小説を読んだり、外国を旅して、社会に関する想像力も蓄えたいです。


The Economist July 22nd 2000


How mergers go wrong


男女が再婚するときのように、経験よりも希望が優る。しかし、企業の合併は、人が再婚すること以上に失敗する確率が高い。1999年は、世界のM&Aが3分の1以上増えて、3兆4000億ドルに達した。特に、最も活発なヨーロッパでは倍増して、12000億ドルもあった。

この2年間のケース・スタディーから、何か有益な教訓は得られるか? 多くの合併が防衛的なものであった。マクダネル・ダグラスとボーイングの場合、市場の規模と性質が、最大の買い手であるアメリカ国防省の支出半減で大きく変わったことに対応したものであった。クライスラーがダイムラー・ベンツと合併したのは、いわゆるグローバリゼーションに対抗して、世界の主要自動車企業として生き残るためであった。あるいは、国内の競争相手の餌食とならないために、国際的な合併を選択することもあった。

脅威から逃れるために合併を行った場合、問題は結婚後に持ち越される。そして合併後の整理・再建戦略が練られる。それは被雇用者の誰もが知っているように、大幅な解雇を含んでいる。優れたスタッフは、合併が新しい機会を保証してくれなければ、その企業を去って行く。

成功する合併では、経営者が賢明な戦略をもっており、それを率直に実行した。しかし、ビジネスは幸運と景気に大きく左右される。株価の上昇は紙切れを資本に変えて、収益を増やす。

何よりも、結婚を維持するには、個人としての化学的融合が重要である。それは企業のトップでも重要であり、いかなる企業も指導者は一人しか居ない。しかし、打ち負かされた企業の社員たちが被占領地の敗軍兵でしかないと感じれば、彼らは新たなゲリラ戦を始めて、新企業を疲弊させる。

多くの合併が失敗することから、企業が合併を回避すべきだと主張するわけではないが、合併でその企業の問題が解決されることはない、と知るべきであろう。


/日本でも、多くの銀行や企業が合併計画を公表し、いくつかは、その後、破棄されました。そして何年もかけて合併計画を進めながら、けっして企業の組織や経営、収益力は改善されていません。解雇は難しく、規模に頼った生き残り策は、その効果が曖昧です。

それでも日本は、さらに多くの、人を生き返らせるM&Aを必要としていると思います。

過去の人脈より、債務の累積が積極的な経営を妨げているのではないか? なぜ、才能ある者が自分の計画を実行するために、10年以上も年功序列の階段を待たねばならないのか? 忠誠という形で、企業や社会を信頼し、隷属することが、本当に正しいことなのか?

弱体企業の雇用維持を名目に、税金や借金、中央銀行の政策まで歪めて企業の再編を遅らせているのか? かつて、「花見酒の経済」と言われた、土地・債務への依存とどこが違うのか? では株式市場が、社会的にも有効な資源配分を担う情報処理組織になったのか?

周りを見れば、朝夕、勤め人でごった返す駅前は雑居ビルや廃屋があふれ、ネコの額に喩えられる空き地に細かく刻まれています。他方、舗装されただけで畦道のままの道路脇に、突如として、マンション群が建ち並ぶ違和感。幹線道路と数メートルしか隔てられない木造家屋は排気ガスと粉塵に変色し、渋滞の道路を気ぜわしく運転しつつも、ここに人が住むことに、この企業社会の人間不在と見通しの無さを痛感します。誰も渡らない、幽霊のための歩道橋を、なぜ政府は日本中に作ったのか? 

こんなことはもう止めよう。私たちは、もっと違った社会に住むことができる。と、皆、誰かが言うのを待っているのです。


Labour’s new prudence


トニー・ブレアは中道左派の新しい政治を定義するためにずっと闘ってきた。彼の「第三の道」は、共感と平等を実現する上で、伝統的な価値と緊縮財政という保守的な信念を利用してきた。

しかし、イギリスの大衆は次第に疑い始めている。めぼしい主張も無く、国民の関心を惹けなくなった。労働党政権は絶え間無い批判とからかいの対象になっている、と世論調査員も心配する。

新しく公表された財政支出計画は、それゆえ、重要であった。ブレアは大幅な財政拡大を宣言した。特に、教育と医療の改革に支出を増やす。この計画は、「近代的な」政府を辞任する政権から示されるには、あまりに伝統的な転換ではないか? ドイツでは、ブレアに学んだはずのシュレーダー首相が大胆な減税策を実行してきたのに。

ブレアの主張は単純である。イギリスは基本的な公共サービスの供給で投資が不足している、というのだ。アメリカやドイツ、フランスと比較して、また他のOECD諸国に比べても、イギリスの医療、公共交通機関、教育などは劣っている。

しかし、この計画には三つの重要な問題がある。まず、政府の大幅な政策転換が「ブーム・アンド・バースト」(景気の大幅な変動)を起こさない、という政権の目標と矛盾する。今までの緊縮財政を、これから放漫財政で補うのか? 第二に、慎重さを欠いた政策運営が、いままで築いてきた金融市場の信頼を破壊してしまう。財政黒字も、所詮は、好景気によるものでしかなかったのか? 第三に、「過少投資」の解決策を、ブレアは、より多くの財政支出を伴なう、複雑で、命令好きな、公共部門の成果管理体制に求めようとしている。それはソビエトで失敗したはずではないか?

目標など決めるより、公共サービスの在り方を変える方が良い。資金も供給体制も、改善するにはもっと競争と民間資本を導入することであろう。


A more realistic Russia


ロシアが本当にその新しい外交を実践するなら、G8に相応しい席を得ることだろう。

ウラジミール・プーチンは、本気で、超大国から第三世界への転落を心配している。北京で、中国と多極的な世界を求めると宣言しても、北朝鮮のミサイル開発や中国の台湾併合、イラクの再軍備に協力しても、それでは自国が衰退するのを逆転させる見込みは無い、と自覚しつつある。

プーチン政権の新外交では、次の点が受け入れられた。1.帝国の負担を削減する。2.旧外交戦略を再考し、同盟関係を清算する。3.ロシアの過去の戦術は長期的なロシア復興を妨げてきた。

ロシアが再び成長を開始するとしたら、その経済関係は豊かな民主主義国に向かうだろう。そして、彼の軍顧問たちは、中国にミサイルを売りつづければ、それがいつの日か自分たちに向けられることを心配している。新外交を実行できるかどうか、が問われている。


Blowing smoke


145,000,000,000! 判決に並ぶゼロの数に、誰しも自分の目を疑ったであろう。民間の損害賠償額として史上最大の、1450億ドル(約15兆円)、という判決を下したことは、タバコ会社への怒りを示す点で成功かもしれないが、同時に、法廷で民間産業の活動を「処罰」することが度を過ぎた結果、こうした裁判闘争が放棄される転換点ともなるだろう。その代わりに、生産物を規制する適当な枠組を合理的に示し、また、個人が自ら好んでこうした不健康な悪弊や習慣に耽ることを、企業への訴訟ではなく、望ましい規制として争うべきである。

タバコ会社は賠償金を支払うためにタバコの値段を上げるしかない。しかし、なぜ悪弊を好んだ者の不健康を、現在の喫煙者が補償しなければなら無いのか? それを認めた州の裁判所と、喫煙者全体への値上げは、代表無き課税にも等しい。法廷所は間違った行いを処罰することができるにしても、タバコに関わる複雑なトレード・オフを評価するべき所ではない。

処罰に頼る制度は、もう一つの深刻な問題を悪化させている。麻薬中毒の蔓延である。課税、管理、抑制、というタバコの問題は、「麻薬戦争」にも当てはまる。処罰にだけ頼ることは、アメリカ人の失敗である。


Wired China: The files swarm in


インターネットと携帯電話の使用は、必ずしも中国の権威主義体制を崩壊させるものではない。

中国の貧しい奥地の村でも、人々はインターネットや携帯電話の夢に駆られている。共産党のスローガンも、すべての家庭が電話を持つような、良い生活を約束する。

しかし、指導者たちも党への支持や「社会主義市場経済」の成功として歓迎している。そこでは、西側の無政府主義を防ぐために、国家の強い指導が望ましいことなのだ。改革のために市場を開放しよう、たとえ何匹かハエが入ってくるとしても、とかつてケ小平は語った。情報化は、地方政府をより緊密に中央政府に従わせ、権力の集中を実現する、とも期待する。

軍と警察の治安部局は、コンピューターやインターネットの中国最初の利用者である。彼らはウイルス防止ソフトを開発し、将来は中国市民の上方監視と規制を行うつもりである。個人利用者にスマートIDカードの発行を検討している。

携帯電話の普及は急速で、今年の販売数は、アメリカや日本よりも多い。インターネット利用者も2000万人を超えて、ドメイン名も48000に達する。

それは中国に民主主義をもたらすのか? テレコムやインターネット・プロバイダーなどへの投資は、WTOに加盟するまで、まだ違法である。確かに中国企業のアメリカにおける株式発行は進んでいるが、これもいつか中国当局が違法であると宣言しかねない。たとえWTOに加盟しても、問題があるだろう。

第一に、国家管理は続く。実際、中国への情報はネットワークを限定されているし、外国メディアのサイトは(The Economistも)しばしば妨害されている。第二に、検閲と暗号化で支配される。中国は外国製の暗号化ソフトの使用を禁止している。第三に、インターネットにおいても、政府は警察力を行使する。実際に、インターネットに流した情報の内容により、何人も逮捕し投獄している。第四に、国家が許したニュースしかインターネット上に流せない、という法律を作った。

政治的な抵抗の手段というよりも、インターネットで栄えるのはむしろゲイ交際や纏足反対運動などである。そして、中国における市民社会の拡大をもたらすかもしれない。消費文化とともに、インターネットは新しい阿片となるのか? 若者たちは、すでに政治に関心がない。指導部が見るように、インターネットは革命の武器にはならないようだ。


The chaebol spurn change


アジア金融危機は、韓国経済の再編成を促した、としきりに話題になるが、実際には大きな変化は無い。

最も保守的な大宇から、最も優良な三星まで、韓国のチェボルは、危機の後、改革を求められた。連結決算を行い、透明性を高め、債務依存を減らし、相互の債務保証を止める、など。販売額の多さではなく、収益性を高めて、少数の中核企業に資源を集中するように求められている。

しかし、投資家の半分以上が外国人である三星電子のような場合も含めて、見かけよりも改革は遅い。チェボルは債務の返済より新規の株式発行でレバレッジを引下げた。だが今年は、そのレバレッジも三星以外で再び増加している。間違った企業文化がその原因ではないか、といわれている。危機によって退陣を求められた創業者家族が、しばしば見せかけの改革だけで、意思決定を支配しつづけている。政府や銀行も、改革を支援するより、チェボルの生き残りに加担してモラル・ハザードを強めている。

韓国経済は、改革実行への決意と、企業文化の転換を、今こそ問われている。


Japanese exports: Advance of the amazonesu


ヤマンバ、アマゾネス(顔黒?)、アツゾコ(厚底)、など、J-pop(日本の大衆文化)がアジア諸都市で若者に急速に浸透している。トム・クルーズやMTV、リーヴァイスのジーンズで育った世代には、こうした若者の生態は理解できない。その企業が買収され、再編され、インターネットで繋がれているように、旧世代はアメリカの影響が永遠に続くと信じている。しかしその子供たちの関心は、音楽、本、マンガ、TVなど、西側に向いていない。彼らは日本を見ている。

日本のポップ・カルチャーは巨大産業である。J-pop音楽の売上だけで年間400億円(約3億7300万ドル)、人気歌手は1000万枚のアルバムを販売する。電話帳のように分厚いマンガ本が子供からサラリーマンにまで読まれており、少年マガジンは毎週400万部を販売する。バーガーから銀行口座にまで登場するキャラクター・ビジネスも、年間4兆円(370億ドル)以上に達する。ハロー・キティーの契約料だけで、年間13億円である。

最近まで、J-popは日本の輸出額に反映されていなかった。おもに盗用・海賊行為がその理由である。ドラえもんは、台湾でリトル・ディング・ドンとして複製され、アジアで販売されており、小学館には1円も支払っていない。

しかし、変化が起きつつある。アジアの消費者が豊かになるに連れて、次第にまがい物ではなく本物を求め始めた。ハロー・キティーは、マクドナルドの景品になって、少女たちの徹夜の行列騒ぎを引き起こした。そして不況の日本よりもアジアで売上を17%伸ばし、4000万ドルに達した。

1930年代、40年代の日本の残虐な戦争行為により、日本文化の浸透は各地の政府に歓迎されず、海賊行為を放置させた。政府間関係もまだ整理されていない。例えば、日本は中国を刺激することを恐れて、台湾と二国間の著作権保護協定を結ぶことを躊躇っている。しかし、問題は次第に改善されている。2002年のサッカー・ワールド・カップ共同開催を前に、韓国政府は徐々に日本文化の受け入れを緩和しつつある。日本映画もヒットしている。

アジアの貿易が規制緩和されるに伴ない、日本企業は海賊行為の禁止を各国政府に求め始めた。こうした変化は一夜で達成できない。しかし少なくとも、ハロー・キティーなど、日本のポップ・カルチャーのアイドルたちが、その醜い歴史を否定する恩着せがましい援助提供などより、工業成長力を支える、よほど好ましい友好使節となるだろう。


Infrastructure exchange: Kobe’s dream


神戸市は、震災からの復興をハイテク医薬品企業誘致に賭けて、アメリカへの直接企業誘致に乗り出した。しかし、ハイテク都市の建設には、高度な条件を満たす用地の準備が必要である。

開発地区の建設を、因習的に集団化した、しばしば腐敗・汚職の温床になる、地元建設業界に依存せず、神戸市はインターネット上で建設の細かい条件を示して、入札させた。神戸市の発注条件は、新空港建設も含めて、サンタ・クララのNeptune Technologies社がサイトの製作を行い、それをシリコン・ヴァレーのInfrastructure Worldという世界の建設工事入札公募サイトに載せた。

この試みは、環境保護団体や、東京に集まった日本の製薬業界、建設業界、などとの対立を生じるだろう。また、市長が単にコスト節約のために国際建設業を利用しているのであれば、国際的な汚名を被るだろう。


Japanese telecoms: A banana for the gorilla


日本の消費者は、またもアメリカの要求で料金引下げの利益を享受できた。NTTとの接続料金引下げ交渉は、沖縄サミットへの悪影響を心配した政府の圧力で、NTTの妥協をもたらした。

しかし、同時に、NTTは法律の改正を求めて、より自由な活動を認めさせようとしている。全国一律料金制度も義務付けられなくなり、値引き競争と独占強化が目指されるだろう。さらに、海外で活動する制約を取り払われたなら、次は不調のAT&Tを買収しようとするかもしれない。


A raw deal


国際政治や社会の象徴的意味に溢れたサミットでありながら、現実には中身の無い大騒ぎであった。主催国の日本が未だに不況であるから、積極的な議論は指導できなかった。むしろ、互いの対立点は回避されて、世界の開発問題を「世界的デジタル・ディバイド」として唱えた。

その解決策は、アメリカの対策をまねて、民間部門との協力が中心に置かれ、計画は多角的に、国連や世銀を介して進める、というのだ。日本は、早速、主催国として、いつものように資金を出したが、それに従う国はいないだろう。「沖縄憲章」を掲げても、何をどうやって解決するかが分かっていないのだから。そもそも情報分野が開発政策の重点的な目標としてふさわしいのか? 確かにサミットは、他の二つの問題、すなわち教育と健康の問題、特にAIDS対策も重視した。そして再び、日本は資金提供を公表した。

しかし、こうした目標や期限の設定は、割り引いて考えておくことだ。1年前にケルン・サミットで掲げられた重債務貧困国(HIPC)の債務免除は、一体、どれほど達成されただろうか? 債務国政府の腐敗や内戦が問題とされているが、他方、アメリカ政府は債務免除に融資する気など無い。

デジタル・ディバイドに言葉を費やすより、豊かな諸国が国内市場を開放する方が、貧しい国の開発を助けるのである。しかし、市場自由化は政治家を苦しめ、政治的費用がかかる。他方、大げさな言葉はただである。


E-money revisited


ハーヴァード大学のBenjamin Friedmanは、e-moneyの普及が中央銀行や金融政策を時代遅れにしてしまうことを予想した。しかし、LSECharles Goodhartは、これに反対する。

確かに、預金が保有されず、決済が銀行を経由しないなら、ベース・マネーの需要がなくなり、金融政策も働かないだろう。しかし、現金(決済)には、それが匿名で、しかも記録を残さずに行える、という固有の利益がある。さらに銀行は、通貨や信用のリスクを評価し、金融資産選択を助言する専門機関としての信頼を得ているから、現金以上に無くなりそうにない。

たとえe-moneyで現金がすべて失われても、中央銀行は機能できるだろう。それは短期金利を決定できる。なぜなら、ファンダメンタルズに従って、市場が長期金利を決めるにしても、短期的には、中央銀行が市場金利と異なる金利で融資や借入れを行えるからである。その場合に、一時的な損失を出してもこうした操作を継続できるのは、政府の徴税・増税能力が将来に渡って信用されているからである。

短期金利を管理する場合、政府は直接に規制したり課税することで金利を変更できるし、間接的に中央銀行を機能させることも選択できるのである。いずれにせよ、政府が中央銀行を支持し、それを説明しなければならない。

e-moneyの登場は、中央銀行を消滅させないが、その存在理由を明確にするよう求めるのである。