IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

7/31-8/5


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アジアの地域主義は、制度として、まだほとんど育っていないと思います。日本、中国、アメリカの意図とその相互の対応には大きな違いがあります。しかし、それぞれが一定の限界を認めた今が、次の危機に対処する制度の構築に許された短い時間なのです。安全保障体制や地域通貨システム、自由貿易・市場統合、情報・輸送システムの整備、マクロ政策監視・協調体制、文化・思想・人の交流、直接投資やM&Aなど、ヨーロッパやアメリカが達成した水準に比べて、アジアには何があるでしょうか?

確かに、市場と相互依存関係の拡大・深化は重要です。全体としてみれば、アジアの産業構造変化は今後もCatch-upにより急速な成長を支えるでしょう。しかしそのためには、アジアが市場としても政治・制度的統合としても、一層緊密に変化を吸収する必要があります。ASEAN拡大外相会議と中央銀行間協力が、本当に地域フォーラムの形成に重要な役割を担えるのかどうか、今後を注目したいです。


日本経済新聞


元世銀副総裁のアメリカ代表がASEANで提起した「東北アジア開発銀行」設立構想に、日本はADBで十分だと反対した。「アジア通貨基金」設立構想とは逆のパターンである。しかし、朝鮮半島統一のために制度化された国際交渉の場を設けるのであれば、日本は参加して、その制度の決定や運営で直接発言するしかない。資金負担は、将来の発言と地域協力を促す基金として、各国に公平な基準を示すべきであろう。

724日付記事によれば、中国の通貨・元が変動幅を拡大して、為替管理を緩和するようである。貿易が自由化されて、ますます国際取引が増加する中で、為替管理を続けることは難しくなってくる。あるいは闇取引が拡大して、経済過程を一層混乱させる。

WTO加盟で、為替レートを固定するために貿易を統制できなくなり、それは国内の金融政策・景気調整に負担が増すことを意味する。それゆえ、自由化によって貿易黒字が減少する前に、将来の金融政策の自由を確保しておくため、今のうちに為替レートを変動させておくことが必要である、という。しかし、他方で、国内の成長が資本流入や輸出に支えられているようでは、為替レートの不安定化や資本移動の自由化が資本逃避と通貨危機を招く恐れも高まる。市場の変化に対応できる経済構造を実現し、自律的な経済成長の国内条件を確保する以外に、通貨危機を回避する特別な方法は無いであろう。

現在、香港ドルのカレンシー・ボードは安全だというが、本当だろうか? アメリカ・ドルと中国経済とを結びつける香港の地位に、ますます両経済の軋轢が集中して耐えられなくなるのではないか。望ましい通貨管理が、貿易取引・経済圏や政治的秩序と無関係に決まるはずは無い。それゆえ変動制の導入といっても、バスケット・ペッグの採用や緊急避難的な一時的輸入制限・資本取引規制などから、長期に及ぶ制限策・為替管理、市場介入の併用や、制度の改革による調整などが、今後も長期にわたって必要であろう。

こうした各国の政策や措置は互いに影響を及ぼし合うから、いずれの国の経済発展を安定的に維持するためにも、常時、調整されることが望ましい。アジア地域においても、一般に不安定といわれる三極(日本・中国・アメリカ)型の政治・経済管理の現実を直視して、今後の大きな転換期を導いて行くことが、特に主要国の政治的課題となる。


The Economist July 15th 2000


Tax-cut with a purpose


アメリカの財政黒字予測が膨らむに連れて、減税策をめぐる政治家の狂騒が激しくなっている。共和党だけでなく、民主党も、課税条件に悩み始めた。固定資産税やいわゆる「婚姻懲罰課税」、すなわち正式に結婚すると二人の収入から支払う税金が増えてしまうような状態、がリストのトップである。下院はこれらを通過させ、上院が拒否するか大幅に修正を求めるだろう。

どちらの減税改革案も間違いである。それは短期的な政治家の大衆迎合的人気取りに過ぎないからである。アメリカはもっと長期的な税制改革を必要としている。そもそも財政黒字の予想は小さな条件の変化でも簡単に無くなってしまうだろう。

アメリカの課税率表は複雑で、控除により穴だらけである。税制全体を見なおすべきである。その結果、会計士は大繁盛し、多くの納税者には悪夢となっている。さらにクリントン政権が社会政策の手段として税の払い戻しを多用したために、複雑さがさらに増した。

簡素・効率・公平という課税の古典的な原則に従って判断しなければならない。消費税が良いという者もいれば、所得に対する一律課税(フラット・タックス)を主張する者も居る。いずれの道を選ぶにしても、個々の減税案はその原則から判断させるべきだ。社会保障の改革も大統領選挙の争点となったのだから、減税をめぐる争いではなく、税制改革を争点にすべきである。


Vodafone’s folly


Vodafone Air TouchChris Gentは、ドイツのMannesmann買収でドイツ人に多くの敵を作っただけでなく、今度は自社の株主に批判されている。1100億ポンド(1750億ドル)の買収成功による彼へのボーナスが、500万ポンドの株式と500万ポンドの現金で、認められたからである。イギリスの全国年金基金協会はこれを理由に、今月末の年次総会で役員を支持しないようメンバーに呼びかけた。

株主が喜ばないのは当然である。Gent氏の報酬は、株主のために何ら持続的価値をもたらしたわけではない。Vodafoneはドイツ市場を開放した意義を強調し、アメリカの役員報酬と比較して弁明している。

しかし、アメリカの過剰報酬がドイツの過剰報酬を正当化するわけではない。高給を支払った多くの投資銀行顧問に頼ったGent氏の仕事は、まったくその報酬に値しない。また彼のやり方は賢明でもなかった。ドイツ人幹部の発音をからかったりして、すっかりドイツ人株主に嫌われた。さらに、Gent氏の企業買収の仕事が、日頃の有機的な企業内部の改革よりも特別な報酬に値する理由など無い。

買収が成功に終わる保証も無い。実際、ほとんどの企業買収は約束された利益を実現できず、それどころか企業や株主の莫大な価値を破壊することも多い。Vodafoneがそれを免れるかどうか、判断するには早すぎるのであり、少なくともその株価は買収以来15%も下落したのだ。

ボーナス目当てに経営者が企業買収ばかり求め、株主のために価値を作らなくなることを助長してはならない。


East Asian Regionalism: Towards a tripartite world /Fred Bergsten

(ほぼ全訳)


国際金融構造を考える場合、G7(もしくは、ロシアを含めてG8)とIMFを思い浮かべがちである。しかし、それは正しくない。中期的に見て、国際金融構造にとって最も重要な変化は、日本、中国、韓国、そしてASEANを構成する10カ国によって達成される東アジアの新しい地域的取決めから生じるであろう。

国際貿易についても同じである。世界貿易システムの最も顕著な変化は、特に短期的には、WTOや「超巨大地域(mega-regional)」取決め、すなわち南北アメリカ大陸を包む自由貿易圏(FTA)や拡大されたEUから生じはしないだろう。それは、今、日本、韓国、シンガポール、その他の東アジア諸国によって頻繁に議論されている準地域取決めの主催国からもたらされるだろう。

他の世界が気付かないうちに、東アジア諸国は自分たちの経済取決めを構築しつつある。その結果、歴史的にはじめて、世界は三つのブロックからなる構造に向かいつつある。世界の経済的、並びに政治的関係は、この新しい取決めがどこに向かうのか、またアメリカとその外側の地域がこれにどう反応するか、にかかっている。

10年前に初めて東アジア経済グループ(EAEG)を唱えたのは、マレーシア首相のマハティール・モハマドであった。当時、それは保護主義であると疑われ、特にアメリカが「太平洋を真中で分割する」ことを恐れて、潰されてしまった。アメリカはその代わりにAPECを指導することに成功した。しかし、大騒ぎすることなく、アジアは今やマハティールの描いた構想と同じことをASEAN+3」で成立させた。このグループは3年に1度のサミットを続けて開き、「ヴィジョン・グループ(将来構想委員会)」を設置し、蔵相の定期的な会合を行うのである。

構造的には、ASEAN+3はG7と似ている。それはEUに次いで活発な地域集団化であり、すでにNAFTAを越える高度な機関を持っている。しかし、それはまだ初期段階に過ぎず、そのためにEUNAFTAの持つ実質や統合に欠けている。

新しいアジア地域主義は、貿易よりも金融の問題で急速に進められている。EUや他の例から見れば、これは逆立ちしているように見える。しかし、貿易取決めは政治的に実現困難であり、組織化が遅い。それに比べて、通貨取決めは地域外への差別化無しに進められる。さらに、金融問題こそ数年前の東アジア経済崩壊の核心であった。

ASEAN+3は、将来のアジア通貨危機に備えて通貨スワップ・システムを地域で整備した。これはG10に集まった先進工業諸国が1960年代に行ったことと似ている。準地域的な金融構造も整備されつつある。将来の危機を予測し、防ぐために、非常に高度な早期警戒指標システムや、北東アジア地域の集団的な短期資本監視を含む、サーベイランス・システムが作られた。信用を失ったかつてのドル・ペッグ体制や、危機が押し付けたコストの大きい変動制に代えて、共通通貨バスケット方式や協調介入に関する議論が溢れている。

アジア通貨基金(AMF)構想は、拒否されてからわずか3年で甦り、こうして成長し始めた。中国は当初の日本提案を非難したが、現在の指導力を支持している。香港やフィリピンはEuroをモデルにしたアジア通貨単位を提唱した。こうした構想は実現するのに何年もかかるが、少し前まで検討されることさえなかったのである。

貿易分野でも動いている。東アジア自由貿易圏に向けてのはっきりした進展は無いが、世界第二の経済国である日本が多くの二国間・多国間取決めを指導している。日本はこれまで多角システムに頼ってきたが、今や積極的に韓国、シンガポール、メキシコ、カナダと優遇取決めを追及し始めた。そしてこの地域の第三の経済国である韓国も、優遇取決めに反対することを止め、日本だけでなく、ニュージーランドやチリと優遇取決めを結んだ。同様に東南アジア諸国も自由貿易圏(AFTA)を交渉し始め、中国、日本、韓国も含む方向で検討しつつある。

マハティール博士のEAEGや日本のAMF構想が21世紀の入口で甦ったのはなぜか? 四つの理由があるだろう。1.東アジア金融危機、2.WTOAPECによる自由化交渉の失敗、3.EMUによる刺激、4.アメリカとEUとの行動に関する不安。

1997-98年の金融危機で、アジア諸国は西洋諸国に見放され、はめられたと感じた。彼らの考えでは、西側の銀行とその他の融資者が資金を引き上げることで危機は起きたのである。しかも、アメリカがタイに関して示したように、主要な金融大国は危機への支援を拒んだ。しかし同時に、IMFとアメリカが危機への対策を支配した。「ワシントン・コンセンサス」への忠誠が公的支援や民間資本市場への復帰の必要条件であった。そのイメージは、インドネシア大統領に対するIMFの支配を象徴する写真映像として広まった。そしてIMFのプログラムは危機を、少なくともしばらくの間、悪化させたという見解が、アジアをさらに激怒させた。IMFを受け入れなかったマレーシアの回復も、IMFに従うことが決定的な条件ではなかったことを示唆している。

こうしたアジアの危機理解はかなり偏っている。日本の銀行はおそらく通貨市場で取り付けに走った点で主犯格である。また、危機に陥った多くの国が今では急速に回復しているのだから、IMFの計画は基本的に成功したのである。アメリカは経済を成長したまま維持し、市場を開放して膨大な貿易赤字を受け入れたのである。これに対して日本は、経済を不況に陥らせ、円の価値を暴落させた。従って日本の貿易黒字は記録的に増加し、アジアの問題を悪化させた。ところがアメリカの無能な外交は、両国の対照的な姿勢を強調し損なった。そして日本は、政府資金をアジア諸国の緊急的な要望に応えて投入し、少くとも部分的に景気回復したのである。

その意見がどれほど正しく、あるいは間違っているかは別にして、将来の危機において、アジア諸国はアメリカや西洋諸国に従いたくない、と決意した。それは、国際資本市場や貿易の世界化から選択的に離脱することはあるにしても、多角的制度を拒否するということではない。国際制度から離脱すれば、彼らの繁栄も失われる。しかし、東アジア諸国は多角的制度が無謬のものだという信頼をもはや持てなくなった。さらに、東アジアの経済規模や貿易額はアメリカやEUに匹敵し、外貨準備ははるかに大きいことが注目される。だから彼らは自分たちの制度を作って、自分たちの運命を話し合いたいのだ。東アジアが回復すれば、再び完全な従属的地位に戻ることはない。

残念ながら、中国や日本を含めて、東アジアは輸出増加に大きく頼った成長をつづけるだろう。危機からの回復は、一層の輸出増加に依存している。その結果、各地の保護主義に対して世界貿易システムが絶えず自由化を進めて行かないと、彼らの輸出市場が脅かされる。特に、5000億ドルに達する貿易赤字が最大の輸出市場であるアメリカで保護主義を強めることを、彼らは非常に心配している。

しかしWTOのシアトル大会が失敗しただけでなく、APECも行き詰まっている。アメリカは国内に反対があり、日本とアメリカの意見は大きく異なっている。東アジア諸国は、アメリカが指導性を発揮し、あるいは積極的に参加することさえも、彼らが反対する農産物自由化や労働・環境基準について新しい条件が主張されるなら、それを受け入れないだろう。アメリカが、オーストラリア、チリ、ニュージーランド、シンガポールと提唱した「P5」イニシアティブも、昨年のAPECサミットが合意できなかったことに彼らは注目する。

こうした理由で、ますます多くのアジア諸国が自由化を実現し、また他の地域において保護主義が強まることに対する保険として、準地域的な条約を求めるようになった。まだ今は、こうした条約がアメリカやEUの通商利益に触れていないが、WTOAPECの混迷が続けば、新しい東アジア貿易取決めが拡大し、包括的な東アジア自由貿易圏が生まれるだろう。あるいは、少なくとも中国と日本、韓国の、いずれかが協力を模索する。それがどのような形でも、世界の貿易構造は転換するだろう。

東アジアの地域主義的展開は孤立して起きているのではない。それは世界各地の優遇的地域取決めの一部である。アメリカが新しい自由化交渉を指導できない限り、そうした条約も有効な手段であろうが、アメリカやEUにおけるどのような保護主義的な動きも、東アジア地域主義に大きな刺激を与えてしまう。

もちろん東アジアには、地域主義の発展を阻む現実が多くある。文化、政治体制、経済発展水準における多様性は、この地域に多くの異なった制度を必要とさせる。日中間の不信感と反発は特に全体の雰囲気を悪化させている。ASEAN諸国も、互いを、協力するより、競争する相手と見なしている。保護主義的な諸国が相互に域内で自由化することもない。何よりこの地域には、個人であれ集団であれ、指導者がいない。アジアにこんなジョークがある。彼らの国民は、(ヨーロッパ政治統合を指導した)モネが絵描きで(独仏協力により欧州石炭・鉄鋼共同体を実現した)シューマンは作曲家だと思っている、と。

ほんの数年前まで、おおくの研究者がどのような初歩的地域協力も予想していなかったが、今では多くのアジアの指導者たちが真剣にヨーロッパのモデルを賞賛している。それが持続すれば何が起きるかを、アジアの外の指導者も理解していなければならない。それは長く期待され、あるいは恐れられてきた、世界の三極管理体制である。

アジア地域もヨーロッパの経験に従い、日中が独仏のように政治的同盟をなして、この世界の主要不安定地域に安定をもたらすのだろうか? アジア経済統合が世界の成長、貿易、投資に恐るべき挑戦者となり、あるいはすばらしい刺激となるだろうか? 統合された東アジアは、分裂状態と比べて、世界平和に大きく貢献できるだろう。そしてアメリカやEUにとって、世界経済管理の三極的パートナーとなるだろう。

しかし他方では、最悪の場合、統合された東アジアが世界経済を破壊するだろう。莫大な貯蓄と8000億ドルの外貨準備を使って、自分たちだけの資本市場を育成し、国際金融機関の独裁ではなく、その助言も、次第に無視するようになるかもしれない。そして域外に対する差別化を始め、アジアを排除した大西洋自由貿易圏のような、他地域からの対抗を誘発する。東アジアが太平洋協力を拒否するどのような動きも、アメリカの孤立主義と、経済だけでなく安全保障問題に関する、アジアからの撤退を刺激するだろう。

他の地域主義と同様、アジア地域主義にも二つの方向がある。その方向は彼らの政策と他地域からの反応によって決まるだろう。最も可能性が高いのは、中間的な準ヨーロッパ型のコースである。東アジアは十分な自律性を獲得して、危機に対する独立した行動を採れるが、しかし平常時における経済的・軍事的な他地域との協力も維持する、ということである。問題によってはアメリカと組み、またヨーロッパと組むが、恒久的な同盟化もありうる。しかし、それももちろん、3要素の構造として、本質的に非常に不安定であろう。

協力を進めるために、まずアジアが他地域に積極的かつ率直に相談することである。アメリカとはAPEC、ヨーロッパとはASEMが役立つであろう。東アジア諸国は世界に対して明確に、何をしようとしているのか、それは世界的、超地域的なシステムにどのように合致するのか、彼らの考えを示すべきである。他地域はそれを注意深く聞いて、もし可能であれば、外向きの方向に刺激する必要がある。

もう一つの方法は、既存の世界制度を、アジアの不満を吸収する形で、改革することであろう。多角貿易体制やIMF、世界銀行も改革し、アジアはより大きな代表権を得るべきだ。しかし、そのためには、削減されるヨーロッパの反対を解消しなければならない。WTOの次の議長がタイから出ることは望ましい変化である。

東アジアが地域レベルで危機により迅速かつ効果的に対応できるのであれば、それは世界システムとも両立する。危機の感染Contagionはもっぱら地域的な現象であるから、IMF融資と矛盾しない緊急融資枠は、事後的な救済案でつぎはぎする必要を減らすだろう。アジア開発銀行が成功したように、アジア通貨基金(AMF)も条件や制度次第で国際金融システムに貢献する。

準地域的な、東アジアに限定される貿易協定でも、世界の貿易システムを変化させる。アメリカとヨーロッパが積極的に対応して、互いに差別化を抑制し、世界体制の再生を目指すこともできる。東アジアは、今、歴史的な生成の時期を迎えている。これを尊重せずに拒否することは、悲劇的な結果をもたらすだろう。世界は東アジアの世界的役割を受け入れ、その希望を入れて既存の制度を改造すべきである。その成否が今後の50年を支配するのである。


/日本では「円高誘導論者」として嫌われていたバーグステンが、これほど明確にアジア地域主義を支持したことに、日本の官僚たちは驚くかもしれない。しかし、バーグステンは日本を市場型の世界管理体制に取り込むことを常に主張してきたのであり、三極型協調管理体制という意味で、開放型地域主義の確立に積極的であったと思う。

アジアにおける地域主義は、アジア通貨危機の再発を防ぐこと、に焦点がある。アメリカと国際金融市場に支配された通貨危機後の介入に不満を強めたことが、アジア諸国の金融協力を模索させている。貿易よりも先行する金融協力関係、世界の自由化に対する最も重要な選択、アジアの貯蓄と経済規模への注目、域外差別化の抑制、日中間の政治同盟と地域の平和維持、孤立主義とアメリカの軍事的撤退、その他、興味深い指摘に満ちている。

全体として肯定的・積極的なアジア地域主義の評価に基づき、アメリカ、EUに受け入れる政治姿勢を説くことが、彼の目的であろう。それは、欧米のアジア軽視や日本への失望を修正する試みと理解できる。しかし、アジアの統合が互いの実質的な経済調整を国際監視・管理する方向にまで踏みこむのかどうかは疑わしい。むしろ、市場による調整が主流となるかもしれない。その意味で、アメリカ型の金融再編と資本市場統合化が、アジアの政治家や失墜した過去の巨大企業グループによっていくら憎まれていても、景気回復と新規投資の中心になるかもしれない。

アジア地域主義が欧米と異なるのは、Catch-up型の構造変化と近代化の条件が残っている部分と、世界的な市場統合、資本市場の競争戦略に対応した市場型管理の必要な部分とが、同時に存在することである。日本や中国の政治改革と政治的リーダーシップが重視されるのも、こうした背景による。危機と再編問題に企業や各政府がばらばらに対応するのではなく、次の保護主義や通貨危機の可能性まで含めて、集団として有効な対応を採るために、アジア地域主義を正しく確立するチャンスが今こそ開かれている。

その点で、しかし、アジアの政治は最大の障害である。そして、相互の対話と調整がどの程度継続的に危機を乗り越えて行けるかが、アジア地域主義の実質的な中身を決定するだろう。緊急時の金融支援、摩擦回避的な経済協力に留まらず、各国の経済改革を地域的に共通した基準で支援し、軍事的な緊張を国際的な協力機関への権力委譲によって解決することができれば、地域主義は重視されるようになるだろう。危機に至るまでに将来に向けた改革の提案を主要国が発し、アジア域内の議論を企業や国民間でも活発に展開し、深めていくことが、重要であると思う。


Powers of concentration


スイスのUBSがアメリカのPaine Webber108億ドルで買収すると発表した。しかし、それはUBSを世界のトップ銀行に飛躍させるわけではない。

規制緩和と競争、技術革新によって、銀行は単に商品・サービスの販売業の一つになった。債券、為替、デリバティブの販売だけでは儲からない。投資銀行が潤沢な仲介利益を得ていた時代は終わったのだ。手数料はますます減少するのに、設備投資は莫大である。市場の売買で利ざやを稼ぐことは不安定な市場に巻き込まれる上に、損失の押し付け合いとなって、株主に嫌われる。銀行の利益は、1998年の金融危機以後、もっと企業に沿ったものとなった。

銀行家は二つの収益を追求している。一つは、より浮動性の低い個人資金である。ところが、市場が弱気になって資金が集まらず、また、インデックス・ファンドが利益を減らすために、これは難しい。他方、UBSなどのように、巨大化する企業のIPO(新規株式公開)やM&Aを仲介する利益は莫大である。

この分野を支配するアメリカの主要投資銀行の力はますます強まっている。なぜなら企業の経営者は重要な意志決定に際して一流銀行の助言を何より欲しがるからだ。M&Aの世界化やIPOの国際化によって、アメリカ系銀行の支配は加速する。他の銀行がそれに対抗するためには、アメリカの投資銀行を買収するか、もしくは個別にスタッフを引き抜く、いわゆる「fill-in戦略」が採られる。その結果は、コスト・インフレである。アナリストや重役に、複数年の雇用契約と給与保証が増えている。銀行以外の産業でも、彼らへの需要が増えているからである。そして追い上げようとする銀行はますます高額の報酬を約束しなければならない。

相場が暴落すれば、競争は一気に集中と独占に向かうだろう。


Japan’s bond market


頂点に達した日本の国債市場は何によっても撹乱されないのだろうか? 金融危機も、資本流出もなさそうだ。財政赤字の拡大、国債の累積化は、多くの国債トレーダーにとって悪夢である。しかし、日本の財政混乱は市場をなぜか動かさない。債券市場を暴落させるはずだった景気回復も知らぬ間に過ぎて、日銀の喧伝する金利上昇も債券利回りをほとんど変化させない。

むしろ、どちらかと言えば、日本の超低利回りはさらに下落するかもしれない。国債の価格上昇が、日本国債を世界でも有数の高いパフォーマンスを上げる市場にしている。不思議に思うのは、トレーダーたちがこうした幸福な状態を将来も続くと信じていることである。外国の機関投資家はまだ日本の資産を十分にポートフォリオに組み込んでいないとか、アメリカ市場に代わって日本の国債市場が世界の主要な資金運用を担うとか、特に、日本の銀行が国債を購入する他に資金を運用できなくなっている、と言われる。それは満期になった郵便貯金からの資金移転が続いているからだ。企業でさえ、景気回復とは思えないような、資金余剰を抱えている。

企業は、不況期にも追加の融資を求める。それは回復が始まると返済され始め、銀行の融資を減らすのである。銀行預金は増えつづけて、企業向け融資は減って行く。それゆえ、日本の国債市場はまだまだ国内貯蓄で満たされていくかもしれない。それが国債市場に外国資本を寄せ付けず、危機的な資本逃避の可能性を抑えているのである。

それにもかかわらず、国債市場の危機のリスクは最近急激に高まってきたように見える。日本の赤字融資の構造が変化したからである。かつては家計部門が、郵便貯金を通じて、政府の赤字を融資してきた。しかし今や企業の再編が進み、富は家計から企業へと移転しつつある。そして企業部門は、家計と違って、資金運用を固定しないだろう。より良い収益が期待できれば、彼らは速やかに最も流動性に富む資産、すなわち日本国債を売却してしまう。問題はただ、それがいつ起きるか、だけである。


Japan’s bankruptcy department


Economistの見方では、「そごう」問題も旧弊を打ち破る新生銀行の融資判断に、自民党のご都合主義が矛盾していることを示したようだ。政府は、身勝手に企業を救済したり破産させるのではなく、明確な政策を示して、既存の経営者や株主に政治的勇気と処罰を与えなければならない。自民党がこうしたことをできないなら、弱体化した企業は次々と群集のリンチの波に投げ込まれるだろう、と。