IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

7/10-15

New York Times, June 28, 2000

RECKONINGS/ By PAUL KRUGMAN

Japan's Memento Mori

日本の自由民主党は、自由でもなければ、民主的でもなく、ヨーロッパやアメリカの意味での<政党>ですらない。それは、受益者の連合体が動かす集票マシーンでしかない。自民党は、かつて驚異の成長を遂げた国を、10年に渡る不況に陥らせた。

森首相は選挙を生き延びた。その理由は、野党がそれ以上に頼りなかったから、というだけである。誰もなすべきことが分からないのだ。なぜ、日本に関心を持つ必要があるのか?それは、経済的な繁栄の根源は意外に浅いものである、ということを考えておくために重要なのである。それは、日本の80年代がアメリカの2000に似ているのではなく、日本がどうして間違った経済政策を採りつづけるのが不思議なのである。

経済学者は、1930年代の大恐慌の経験から皆が多くを学んでいるから、「需要サイド」の不況が10年も続くことはありえない、と考えている。しかし日本では、消費者や企業が十分に支出しないために、使用できない生産力が放置されているのである。今も、私を含むかなりの経済学者が、十分に低金利にすれば解決できないはずは無い、と思っている。しかし、現実にそれが日本で起きているということは、アメリカでも起きるということか?

日本政府は、船が沈むのを遅らせようと、穴の開いたボートを救出しつづけてきた。それは時間を稼ぐためであった。しかし、何のための時間であったのか? 自民党も野党も、それを考えていないようだ。そして、唯一、次に何をすべきか、明確な考えを示しているのが日本銀行である。日銀は「ゼロ金利」政策をもうすぐやめると注意しつづけている。

経済がまだ停滞し、再び不況に落ち込む危険があるのに、なぜ日銀は金利を上げるのか? 「経済の構造改革」を強いるためである、という。日銀は、民間部門の効率性を高めるには金利引上げが必要だ、と考えている。これはフーバー大統領がアンドリュー・メロン財務長官から受けた助言とそっくりだ。

グリーンスパンは、1987-88年の金融危機に対して、正しい政策を採用した。私たちは、こうした正しい政策が、どこでも、当然に採られるものだと誤解している。しかし、現実には、グリーンスパンのような有能な経済官僚はいないのである。つまり、日本の問題は、世界を統治する者に十分な知性が欠けていることを気付かせてくれるのだ。

(コメント)少し前まで、橋本首相をフーバー大統領にたとえるのが流行っていましたが、今では日銀がフーバーの愛弟子になった、と見ているようです。何でもアメリカの歴史、アメリカの経済政策として理解することでしか説得できないのか? という違和感を持ちます。こうしたレトリックは、たとえ「アマチュア社会学」であっても、各社会(日本やアメリカ)の政治・社会構造や権力闘争から政策を理解することを怠らせる、と思います。

なお以下の私見は、読者を間違った<もっともらしさ>に迷い込ませないために、すべてカッコに入れて、それは正しくない・なぜなら…、と考えてください。

日銀が政府・大蔵省と経済改革の主導権争いをするのは当然であり、重要なことである。政府のモラル・ハザードを正し、市場重視の経済政策と構造改革を求める姿勢は、穴の開いた船から水を汲み出すばかりの政府の姿勢と対立する。

名目ゼロ金利がデフレによって実質で引締め(金利上昇)になっている、とかつて批判されたように、デフレが解消すればゼロ金利も自然に解除されるだろう。

他方、政府が日銀に圧力をかけるのは金融市場をますます混乱させる。国債の安定した市場消化に日銀が協力すると言えば、それで十分ではないか? むしろ金融当局(大蔵省・日銀)の反目は、投資家を不安にさせるだろう。

クルーグマンのインフレ・ターゲットや量的金融緩和政策には、金融市場と為替市場の安定化が不可欠の条件である。日銀はこうしたことも含めて金融調整しているだろうが、ターゲットを公表して市場の期待を形成することには慎重になると思う。それは、中央銀行の信用を移り気な市場に直接依存するだけでなく、不測の事態において、投機的な撹乱にまで自身をコミットさせてしまうからである。

アメリカのグリーンスパンに(幸運にも)できたことが、ECBや日銀には難しく、アルゼンチンや香港には不可能であることも多いと思う。それは、経済官僚の知性の問題ではなく、国際通貨制度や国内・国際政治の構造的問題である。

日本の政策論争は、むしろ市場の大きな変化を見れば、次第に日銀が優勢になるだろう。政府は、個別の銀行や企業を直接に救済することから手を引き、日銀に経済運営を委ね、むしろ中央銀行への信認や市場の反応を高めるようになるだろう。「ゼロ金利解除」を日銀が模索すれば、それを受けて市場の転換を不安なく準備させるのが、政府にとっても有利なのである。

政府としては、金融・流通やIT分野で外国企業に投資を促す方が、よほど効果的に景気拡大と構造改革を進められるのではないか? また、土地制度・市場の透明化や、さまざまな組織内部の既得権廃止を、競争による圧力で進めれば、アメリカやアジアの優良企業も巻き込んで、新規参入が増加するだろう。その過程で、自国企業のシェアを維持したいなら、新たな市場型管理制度を模索すればよい。

The Economist June 24th 2000

Phoney democracy

表面的には、この10年は民主主義にとって素晴らしい時代であった。世界中で、軍事的もしくは共産主義的な独裁者が敗退し、投票箱、選挙監視、議会の運営が、ポケモン・カードのように大フィーバーであった。世界190ヶ国余りの中で、およそ120カ国が民主主義を標榜している。「民主主義・世界フォーラム」が、来週、ポーランドで始まる。

インターネット賛美者にとって、もう一つの良いニュースは、どんなに離れていても自宅からコンピューター網で投票できる可能性である。ただし、ネットは政府にとっても有用な手段となるだろう。すなわち、公共サービスの面でもオンライン化が進み、アマゾン・コムと同じスピード、信頼性、丁重さ、革新、が求められるようになる。選挙民は、政府に、彼らを単なる家畜(票田)として数年置きに世話をさせるだけでなく、顧客として応対させるようになるだろう。

とはいえ、民主主義の前進は明るい面ばかりではない。民主化は永久に続かず、しばしば古い独裁体制が復活する。また、たとえ民主的な投票が行われるように見えても、市民は決して自由ではない。投票箱だけでは十分ではない。自由な意見、自由な新聞、権力から独立した法廷、公平無私な法の支配、などが必要である。

それが実現されていない民主主義を、部分的な民主主義、などと呼ばずに、はっきりと「にせもの」phoneyと呼ぶべきだ。結局、より多くの民間資本や援助を引き寄せるために、こうした政府は「にせもの」を使うのである。ペルー、ハイチ、ロシア、マレーシア、ジンバブエ、… そこでは独裁よりも悪いことさえあるのだ。「にせもの」は「にせもの」と呼ばねばならない。

Napster’s wake-up call

もし、世界のポップ・スターたちがリムジンや金の鎖を奪われ、突然、無一文になって、彼らの著作権料が流行のオンライン海賊によって冷酷にむしりとられたとしたら、それは憂鬱な光景だろうか? このまま何もしなければ、MP3フォーマットされた音楽は、オンライン上で交換されてしまう。最も普及している交換プログラムであるNapsterは、誕生後、10ヶ月で、世界に1000万人の利用者がいる。彼らは1ペニーも支払わずに、互いに数秒でポップ・ソングをコピーできる。

レコード会社は損害を訴えるが、誰も飢え死にしてはいない。むしろこれにより、デジタル情報は、一旦、インターネットに載れば管理することが非常に難しいことが分かった。Napsterは氷山の一角でしかない。書籍、ビデオなど、他のデジタル情報も、同様の問題をコピーと流通に抱えるだろう。Napsterをたとえ法廷で処罰できても、より多くの、もっと強力な、管理できないシステムが次々と現れるだろう。

Napsterの成功は、音楽のインターネットによる配信が容易なこと、それをレコード会社が妨げていること、を明らかにした。レコード会社は著作権を守るための技術にこだわり、その間に海賊たちに機会を奪われているのである。しかし、販売や配信に利用できなくても、インターネットを新人の開拓に利用できるだろう。最も重要なことは、Napsterが音楽情報のアーカイブを利用者に提供する大きな可能性を示したことである。その利用者は、無料であることよりも、たとえ有料でも、レコード会社の優れたアーカイブの利用を選択するかもしれない。

こうしたことから、Napsterに対しては訴訟を起こすよりも、市場で打ち負かす方が良いだろう。Napsterの利用者自身も、それが索引やアーカイブを持たないために利用しにくい、と述べている。すなわち個々には、合法的で、商業的な、世界的ジュークボックス・サービスの機会が存在しているのである。その新しい価格システムに移行するのは苦しいことかもしれないが、レコード会社の対応の遅れがNapsterを生み出した。

レコード会社とインターネット音楽サイトのいくつかの試みも現れている。レコード会社は、新しいインターネット環境に応じた価格戦略を採用すべきときである。

Health international

保険関係の投資は世界中で増加している。それは1948年に世界の総生産の3%であったが、WHOの新しいレポートに拠れば、今や7.9%に達している。そして、所得が増えたから、健康により多く投資している、という単純なものではない。組織のされ方や支払い方によって、健康への投資は異なった成果を示している。

各国政府は、他国の健康保険制度の構造や成果を調べることから、多くを学ぶべきである。第一に、財政支出と望ましい成果(健康状態の改善)との間には、明確な関係が存在しないことである。WHOは膨大な浪費の例を挙げている。医療・保険制度の構造や経営の改革によって、支出とは別に、より大きな改善の可能性がある。

第二に、アメリカの医療システムを改善するには、公的であれ、民間資本によるものであれ、国民的な保険制度への加入者を増やさなければならない。また、第三に、医療サービスの提供方法には、その金融面と異なって、かなり積極的な収斂の傾向が示されていることである。医療機関は、医者、病院、その他の医療スタッフが、一定の予算制約下で「管理」される形態に向かっている。それはまた、消費者の選択と提供者間の競争を促す方向にある。

第四に、公的機関と民間との違いは失われつつある。ほとんどの国で医療サービスに公的な金融が主に用いられているが、それは決して民間の保険や個人の支出を妨げない。責任ある、効率的な医療サービスを提供しているかどうかの区別が、国営か民営かよりも、重要である。いずれにせよ、医療は国家に任せるには重要過ぎる。!?

Mexico’s election; The beginning of the end of the longest-ruling party

クリスチャン・ヴィラセニョールは、乱れた髪をした、中産階級の男で、ある小さな輸入企業の帳簿係として、月に20000ペソ(約2000ドル)を稼ぐ21歳の若者である。スーツを着こなし、モバイル・フォンを利用する。しかし、彼は貯蓄にも励み、特権者の子弟がメキシコ・シティで浪費することを別世界と見なす。彼は企業家的で、おそらくは近代的なメキシコを代表している。そして72日の選挙では、野党PANの大統領候補ヴィンセント・フォックスに投票するだろう。

他方、レネ・マグダレーノは40歳代の小学校教師で、南部の州Oaxacaで教えている。マグダレーノ氏の仕事は、スペイン語が第一言語でない子供たちに、しかも親は畑で働かせたがっている子供たちを教える、という厳しいものである。彼の賃金はヴィラセニョール氏の3分の1しかない。彼は、たとえ当選する可能性がほとんど無いとしても、左派のPRDが推すカルデナス候補に投票するだろう。しかし貧しい地域では、PRIの候補、フランシスコ・ラバスティーダが僅差の本命である。

メキシコの選挙はいくつもの分割によって示される。富者と貧者、裕福な北部と貧しい南部、新しいものを求める者と古いものにこだわる者。それはまた、新しい断固とした反対派と、世界の変化にゆっくりと調整する支配政党との分割でもある。

一見すると、メキシコは好調に見える。現在のZedillo大統領が政権に就いたとき、政治的・経済的な混乱がこの国を覆っていた。過大評価されたレートで固定された通貨、大幅な経常収支赤字、短期証券投資に支配された外資流入、そして400億ドルの債務支払いが迫っていた。就任して数日で、彼の政権はペソを切下げ、通貨危機と不況に突入した。

しかし、外国からの緊急融資にも助けられて、経済は驚異的な速さで回復した。メキシコのマクロ経済指標は近隣諸国の羨望の的である。これは一部は良好な政府の、また一部はNAFTAのおかげである。1994年に成立して以来、NAFTAは、貿易と海外投資を倍増させた。他方、Zedillo政権は安定化政策を重視して、その結果、実質賃金は4分の1も引下げられた。

今や、国内の貧富の格差がかつて無いほど広がっている。1996年と98年とを比較すれば、上位10%の所得は36.6%から39.1%まで増加した。他方、下位60%の所得は26.9%から25.5%に減少している。それは他のラテン・アメリカ諸国よりも大きい。なぜ国が繁栄しているのに、庶民の生活水準は改善されないのか? 選挙では、それが問われるだろう。

その成立以来、PRIは政党ではなく、イデオロギーも無いまま、クローニー・ネットワークとして権力を保持してきた。PRIほど、指導者がさまざまに異なった政策を掲げた政党は無い。また、ソ連共産党と同じく、PRIは社会活動のすべてに浸透し、反対派の弾圧は最後の手段として、土地改革に示されるように、むしろ各層で忠誠を強化してきた。

国家介入主義はかつて上手く行ったが、石油価格の下落で経済運営が崩壊し、1980年代に開放政策へ転換した。すべての経済政策は失敗し、政治的な不満が高まってきた。しかしPRIは改革を指導できず、二重人格的なアプローチを続けた。特にサリナスの6年間は典型的であった。銀行、テレコム、その他の産業を民営化し、NAFTAを通じてアメリカとの開放された貿易を制度化し、土地改革を終わらせ、権力を分散し、メディアの統制を緩和した。しかし、すべての改革は中途半端で、新しい問題を引き起こした。

例えば、金融の監督は不十分で、不良債権を累積させたし、民営化されたTelmexは市場を独占したし、NAFTAによって、はるかに巨大で機械化され、補助金を大量に受けたアメリカの農民と競争するメキシコ農民を放置し、没落させた。土地改革を止めて、地方にも資本主義を導入することを主張したが、結局、僅かな土地にしがみつくか、土地を売って都市に流入するしかなかった。

メキシコの南北の分割はますます拡大している。アメリカに近い北部は、NAFTAの利益を最も享受し、部品や原料を輸入し、加工して再輸出するマキラドーラ工場が栄えている。アメリカと競争する近代的な経営を行う農民は、PANのフォックスに示されるような、企業家的な態度を示している。(注;その後、フォックスが当選した。NAFTAの勝利である。少なくともアメリカの繁栄が続く間は。)

他方、南部は山がちで、アクセスが困難なため、貧困に留まっている。インディアンの大部分が居住し、彼らは生存水準ぎりぎりの生活をしている。PRIの社会投資は効果が無く、今も公共サービスや教育は低い水準で、社会不安が広がっている。チアパス州におけるZapatistの反乱はまだ続いている。その他の多くの反対者にPRIは対応策を持たない。

Zedillo自身が、サリナスの指名した後継者の暗殺事件によって、突然、抜擢された、イェ−ル大学経済学博士号を持つ、若い経済官僚であった。PRIの組織力で当選したが、彼自身の経済チームを率いて改革を行おうとした。彼は悪人ではなかったが、改革に向けてPRIの組織を動かせなかった。そして、1995年に100%に達した金利によって倒産が増え、政府はますます多くの産業や銀行を救済する結果になった。

自国の指導的産業を保護する政府の姿勢は、多くの独占・反独占部門を残した。大企業は外国から資本を調達できたが、そうでない中小企業は高金利と動けない銀行に苦しんだ。犯罪率の上昇、特に麻薬組織の暴力事件や官僚の汚職が蔓延している。何よりも、南部の貧困問題を解決しなければならない。政府の貧困撲滅計画は、マキラドーラを南部にも誘致するために、教育や衛生を重視している。

こうして、メキシコは今や、6年前(の選挙)とはまったく違う国になっている。最高裁が憲法に違反した法律を廃棄させ、政府の論争を支配している。PRIはあ1997年に下院の絶対多数を失った。たとえ混乱しているとはいえ、閣僚は判を押すだけではなく、議会政治が始まっている。制度が開放され、新聞は自由になった。PRI自体が、予備選挙を取り入れ、民主化されてきた。Zedilloは、独立の選挙監視機関を設けた。

もちろん、まだ、選挙には多くの買収や強制が見られる。組合や政府職員への圧力で投票は支配されるだろう。洪水被害者や貧しい農民にとって、PRIの援助は重要だ。しかし、最も重要な政治的分割が、PANに投票する都市部の、若い、暮らし振りの良い、教育ある者と、未だに多くがPRIに投票する、政府の補助金に頼る、貧しい、遠隔地の住民との間に、存在する。今年の選挙が証明しなくても、人口の変化が、2006年までに必ずPRIの崩壊をもたらすだろう。ラバスティーダは、たとえ当選しても、最後のPRIの大統領となる。

Car making in Asia; Politics of scale

欧米の自動車会社はアジアの自由貿易に賭けることにしたようだ。タイがアジアの自動車生産・輸出基地となりつつある。

「安価で、教育があり、友好的、潔癖」と、BMWのラルフ・ライナー・オールセンは、タイの労働者たちを絶賛する。「本当に素晴らしい。タイ人は車に乗るときに靴を脱ぐのだよ!」と感激する。彼が前に居た南アやボリビアの工場では考えられないことだ。

フォードは昨年、GM4月に、そしてBMWが最新の、西側自動車会社でタイに自動車組み立て工場を持つ例となった。アジア危機以来、自動車販売の70%が落ち込み、生産がまだ危機前の水準を回復できていない国へ、これほど投資が集まることは異常に見える。この地域の自動車販売は、2005年まで危機前の水準を越えられない、と予想されている。

しかし、アメリカ企業もヨーロッパ企業も、この地域を支配する日本企業とは異なる考え方を持っている。日本企業はASEAN各国を別々の市場として捉えるが、米欧企業はアジア地域で自由な取引(自由貿易)ができることを前提に計画しているのだ。ASEANの自動車・トラックの9割を占める日本企業から西側企業への「パワー・シフト」は、アジアの政治・経済秩序を大きく変化させるだろう。西側企業の目標は世界的規模の経済性であり、それが実現するとき、日本企業は敗退する。

バンコクの北にあるトヨタのサムロン工場を見ればよい。タイの企業からタイの部品を使ってトラックを組み立て、タイの消費者に売っている。フィリピン、インドネシア、マレーシアでも同じである。どこでも日本企業はすべての生産物をその国で生産させている。これは非効率であり、実際、トヨタはアジアで損失を出している。しかしアジアにおいては政治が各企業の戦略を支配しており、その他の選択は出来なかった。

ASEAN諸国は輸入代替戦略を採って、外国企業にも自国の部品利用を強制した。マレーシアのように「国産自動車」構想を進めた国もある。自動車とその部品に関する関税率は高かったが、危機の間も、外貨を節約するためにさらに引上げられた。1980年代にアメリカの労働組合員たちが日本自動車を叩き壊すのを見て、日本企業はアジア地域で「調和的な成長」戦略に従うと決意したのだ、とタイ・トヨタの村松?社長は述べた。

しかし、ASEANの貿易を自由化するという展望は甦った。特に、20021月に発効するAFTAは、自動車とその部品に関する関税の上限を5%と決めている。これが西側各社を勇気付け、例えばGMのように、対抗上で生産したヴァンの90%をアジアや世界に輸出する計画を決定させた。フォードは、さまざまな車種を生産するのを止めて、単一の効率的な生産を行う。またBMWは、生産計画を三段階に分けて考えている。第一に、タイの国内市場、第二に、輸出向けの生産拡大、第三に、世界中からの部品調達、である。「第二、第三の局面が見れたら、それはハット・トリックだよ」とオールセン氏は言う。

自由化に賭けている西側企業は、猛烈なロビー活動を行っている。タイ産業省長官はこんなふうに言った。「日本人はやって来て、どんな法律があるのかを尋ね、私たちに気に入られようとした。ヨーロッパ人は、私たちの法律に完全には従えないが、できる限り努力する、と言った。しかしアメリカ人は、『これは全部間違っている。あなたたちが何もかも変えなければならない』と言うのだ。」

タイはこの計画に従って利益も得られるだろう。むしろAFTAに抵抗するのは、国産車プロトンを失うかもしれない、マレーシアである。しかし、西側企業は何も恐れていない。労働、部品調達、効率的な輸送が利用できる地域であればどこでも、彼らはそこを利用して世界に輸出できる。他方、村松氏は「一層の自由化をどう活かせるか、われわれも研究しなければならない」と述べた。日本企業の幹部たちはこれを「憂慮」している。

Sachs on Globalization; A new map of the world

(コメント)ジェフリー・サックスが数年来、開発政策の主要な水先案内人の一人となってきたが、ここでは技術革新を利用できるかどうかで、世界を二つの地域に分割している。そして技術革新から排除された地域が、新しい「貧困の罠」に落ち込むことを警告する。

サックスの議論は、累積債務であれ、ショック・セラピーであれ、通貨危機であれ、そして最近の衛生・健康・栄養・教育問題であれ、開明的な、同時に頑固な市場合理化論であると思う。なぜ先進諸国の政策協調を主張しなくなったのか分からないが(クーパーと大学内で分業したのか?)、効率的な市場に任せるためには、政治的にも制度的にも「自由化」が重要であり、また貧困国の政府の機能を「補う(?)」国際機関の強化と民主化にも熱心である。そして今や、彼は貧困国の病院や学校を再建し、ワクチンを寄付し、最後にコンピューターを寄贈して貧しい者に教えようとしている。

技術革新、というのが彼の新しい関心である。サックスによれば、技術革新は、資本よりも一層「収斂」することが難しい、という。それは既存の知識の蓄積が革新にとって重要だからである。また、大規模なR&Dを必要とする革新は市場の規模にも依存している。すなわち、公共財の供給問題に由来する市場の限界が強く示されるのである。発展途上国がそれを解決できるとは思えない。

しかし、革新を波及させることはできる、と言う。革新による資本財や消費財を輸入し、技術のライセンスを輸入し、技術を持った企業のFDIを誘致できるからである。サックスの考える新しい分割と、世界の統合化は、こうした民間市場と企業の活発な対応を促す政府の支援策に向けられる。しかし、導入するためには、その地理的な位置が重要になる、と言う。主要市場とのアクセスが確保されなければ、各国はむしろ革新の犠牲となる一次産品の国際市場において、不安定で、しかも長期的に悪化する価格に直面する。

この古典的な開発問題に対する、彼の回答は、1.公衆衛生と人口管理、2.遠隔地のアクセス、3.技術の普及促進・公的支援、である。彼はこの最後の選択を、新しい「プッシュ」理論と名づけ、知的所有権の緩和さえ求めている。これが彼の、ポスト・ブレトン・ウッズ型世界管理である。

資本を公的に配分した国際通貨制度や政府の国際協調はもはや有効でない。「技術・病気・環境」にだけ政府は関わるべきだ、と。

しかし、市場は必ずしも機能しない。ましてや、世界的な技術格差を多国籍企業が解消する、というイメージは、企業に国際赤十字のような高邁な精神を求めていないならば、アメリカ社会も植民地の歴史も、決して希望だけを与えてはくれない。もっと先進諸国の経済制度や社会状態が改善され、もっと国際制度が明確に高邁な精神を代弁できなければ、多国籍企業の楽園と武装集団の資源占拠とが点在する、広大な無政府状態を世界市場が「統合化」することを心配するべきではないか?

Sermon from the governor

中央銀行は情緒に欠けた作業に従っている。しかし、日本では選挙とともに、金融政策が政治論争の一つとなってきた。1990年以来、初めて金利を上げるべきかどうかが、にわかに善と悪とのメロドラマになった。

これはまた、日銀の速見総裁が信者たちの神様になったからだ、とも言える。というのも、日銀の外では悪人たちがはびこって、政府の政策を誤らせ、腐敗や汚職が暴かれている。日銀こそは公共心の最後の守護神なのである。

日銀と対照的に、政府を支配する自民党は、1955年以来、金をばらまき、非効率な産業を保護して組織投票を買い取る政治を続けてきた。今や日銀は、「ゼロ金利政策」を終わらせる非正統的な説明を展開する。それは自民党の伝統的政治手段を、少なくとも遠まわしに攻撃している。

日銀は、金利を敗者にではなく勝者に対して設定すべきだ、という。日本の過剰債務をもつ非効率な企業は、既に十分な補助を得てきたはずだ、とつぶやいている。彼らが整理されるためには少し苦しんだ方が良い、と。他方、日本の貯蓄者は、長く低金利で苦しんだが、預金金利を引上げられるべきであろう。鼻持ちならない膨張した建設業者たちに、政府が財政的に資金をばら撒くようなシステムは終わらせるべきだ、というスタッフもいる。

しかし、公表された資料で見る限り、政策決定は非常にオーソドックスに、景気の動向に関する中央銀行家の判断が示されている。もしかしたら、ごく最近、態度を変えたのかもしれない。そして、消費支出の回復といった、政策変更できる証拠が出てくるのを待っているのではないか。もしそうなら、金利引上げはボーナスの出る秋以降になるだろう。無利子の資金が企業の改革を遅らせる「モラル・ハザード」を招いている、と言う批判もある。

混乱の原因は、日銀が最初にゼロ金利政策を採用した理由が明確でないことがある。デフレを解消するためと言われ、また弱っている金融システムを助けるためとも言う。派や三総歳は後者に、山口副総裁は前者に近い。しかし、最近、議論が起きたことの背後には、むしろ利上げ反対の連携強化にあるだろう。政府・大蔵省の批判に対して、1997年に独立性を法的に明記された日銀が、政治家たちへの反撃を開始したのだ。そして、洗練された説明を求める金融市場にはもっともらしい説明が提供され、また国民には、悪者と戦うヒーローの話が提供される。

こうした戦略は、しかし、日銀の政策決定を不透明にする。政府の不明瞭な仕組みと同じく、混乱が日銀の正確な意図について憶測を生む。日銀と大蔵省の関係も悪化する。日銀が独立性を示すことは重要だが、政府との協調も同じように重要である。

日本の混乱し、幻滅した政治に対して、独立し、公共心に富んだ、信用できる日銀は重要な政策機関である。だからこそ、その信認を注意深く守るべきであろう。