IPEの果樹園 2000
今週の要約記事・コメント
6/9-14
The Economist May 27th 2000
Exodus
エフード・バラクの選挙公約は、南レバノンの22年に及ぶ占領を終わらせる、ということであった。それは勇敢で、しかも広く支持された主張であった。イスラエルの軍事的拡張は決して誇れるものではなかったし、多くの死者をもたらし、イスラエル国民にも軍隊を置く十分な理由が見出せなかった。それが今週、劇的な変化をもたらした。秩序ある撤退が混乱した敗走に変わり、その騒動はイスラエルの準軍事民兵組織をも退却に追い込んで、ヒズボラの支配領域としてしまった。
バラク首相の最優先事項はシリアとの和平であった。シリアのアサド大統領(その後、6月9日死去)は、軍事的勢力を失ったが、イスラエルとアラブとの対立を利用する狡知に今も長けている。アサドは息子に占領問題を残したくなかったし、アメリカとの新しい、利益ある関係を築きたがっていた。ウェスト・ヴァージニアでの1月の会談に始まり、こうしてイスラエルは撤退と和平を合意したはずであった。しかし、クリントン大統領がアサドに確認を迫ったとき、占領地の僅かな、しかし両者が譲れない数メートルについて、合意が成立せず、交渉は決裂した。
バラクは、それでも一方的な撤退を7月7日までに行うと再確認した。それは、パレスチナとの交渉が進展しない以上、バラクにとって選択の余地のない方針であった。そして迅速な撤退作戦と大規模な報復の威嚇があるから、国境線に新しい防衛線を築いて、すべては首尾良く行えるはずであった。しかし、報復は効果が無く、レバノンのゲリラによる攻撃が増加して、イスラエル系民兵は平静を失った。イスラエル軍の後ろ盾を失って、主にキリスト教徒の民兵は壊滅し始めた。家族を連れてイスラエルに逃げ込み、彼らが放棄した武器や弾薬はげリラのものになった。もしもレバノン軍が戦争を継続するためにイスラエル北部にロケット砲を打ちこめば、報復は恐るべきものとなるだろう。
ヨルダン川西岸・ガザ地区ではパレスチナとの合意が実行されておらず、このままではパレスチナ警察との衝突にもなりかねない。パレスチナ難民の生活状態は改善されず、人口増加は将来の支配逆転を確信させている。和平の実現は大きな失望に変わり、イスラム主義が強まりつつある。他方で、イスラエル側は、いかなる和平合意も譲歩であって、相手が感謝するべきだと考えている。アラブ人は決して感謝などしないだろう。彼らは長く深い怨恨に沈んでいる。バラクは、さらに果敢に、一方的な和平を進めるしかない。
Adventurous venture capital
聡明な人々とガレージ、そして一滴のヴェンチャー・キャピタルをたらせば、ほーら、もう一つの先端的世界企業のできあがり!?
ヴェンチャー・キャピタルのおかげで、企業家は融資や利払いの心配をせずに、将来の優良企業になるという希望に基づく株式と交換に、必要な資本を得られる。しかし、各国が羨むヴェンチャー・キャピタルも孤立した魔法ではない。アメリカの成功は、マクロ政策、労働市場、企業家を生む文化、などによる。
しかし、ヴェンチャー・キャピタルが巨大化し、ますます世界化するに連れて、より多くのヴェンチャー・キャピタルが利益をもたらすとは言えなくなっている。ヴェンチャー・キャピタリストは、しばしば小さな、ある場所に集まった「まとまり(群生地)cluster」であり、専門主義と名声とが多くの企業家をそこへ引き寄せてきた。
今では余りに多くの資金が流入して、ヴェンチャー・キャピタルの良し悪しが区別できなくなって来た。ますます多くの投資をしなければならない以上、投資におけるパートナーシップも軽視される。カリフォルニアはヴェンチャー・キャピタルの群生地であったが、インターネット取引で参加する、弛緩した世界的ネットワークになった。革新的アイデアを短期間で市場に株式公開し、大きな利益を実現する「孵化業者incubators」によって、ヴェンチャー・キャピタルは制度化されつつある。
インターネットとバブルが、こうした傾向を加速してきた。市場の下落でしばらく隠れたが、再びその傾向が現れている。これは持続するだろうか? 革新的アイデアに対しては、建物や工場に対してと違って、過剰投資(が後の投資を阻害する)危険は少ない。しかし、ヴェンチャー・キャピタルは金融よりも揺籃期の革新的企業の経営を改善することに優れていた。資本を与えすぎるのは、肥料をやりすぎて木が枯れるのと同じく、有害であろう。
Safety in numbers
2002年5月に、あるニュースがあなたの目を引く。「アメリカの国際収支は大幅に修正された。2000年の経常収支赤字は当時の報告額の半分しかなかった。」もしそうであれば、2000年10月の株価暴落によるジョージ・ブッシュの地滑り的大勝利は起きなかったはずである。思い出してほしいが、この大きな赤字額がドルの大暴落をもたらし、Fedに急激な金利引き上げを強いたのだ。大統領選挙前の1ヶ月でダウ平均株価は40%も下落し、ゴアは当選できなくなった。
これはもちろん全くの作り話である。しかし、金融市場は統計数値のどんな痙攣にも反応するのに、こうした統計は大幅な誤差を含み、改訂が行われる。ブッシュ氏の父親は1992年の選挙で敗れたが、当時既に4%成長が実現していたのに、統計は間違ってまだ不況が続いていると知らせた。そのことが敗因の一つであった。また、1980年代後半に、イギリスの元蔵相ナイジェル・ローソンが、公式の数値以上に需要が急速に拡大していることを知っていたら、より早く引締め政策を採っていただろう。そしてインフレを加速せず、経済が大きな不況に落ち込むこともなく、1992年のERM危機にポンドは耐えたかもしれない。(ヨーロッパ通貨危機やその後のEMUも変わっただろう。)
最近でも、アメリカの統計はインフレを過大に示し、生産性上昇率を過少表示した。日本の統計数値は、GDPの異なった基準に食い違いが大きく、まったくデタラメに近い。そして最大のブラック・ホールが、世界の国際収支統計である。ある国の輸出は他の国の輸入であるから、世界の合計は収支均衡するはずである。しかし、世界の輸入額は輸出額よりも3%多く、その差は拡大している。地球はまるで自分自身に(あるいは宇宙人に)大幅な経常収支赤字を出しているようだ。
統計の信頼性が低下した理由は、一部は、規制緩和、経済のサービス化、急速な技術変化、などである。情報化によって、最も計測しにくい「情報の価値」やインターネットによる取引が増えるのは、皮肉なことである。そして政府は統計の整備に十分な資金を出さず、また統計家たちは過去の統計からの連続性を重視しすぎる。
現実には、こうした信頼性の低い統計に頼って生きるしかない。政府が統計を示さなければ、金融市場はますます自分たちの情報だけで判断するだろう。もっと頻繁に改訂すべきだろうか? より多くの統計と頻繁な改正は、個別の数値や改訂の意義を減らすだろう。だから、例えば、季節調整されれば、ドット・コム企業の株価はまだ上昇しつつあるのだ、といった良い面もある。(今の株価や金利の調整は行き過ぎだ?)
Sorrows on two fronts
髭に覆われたヒズボラのゲリラは、何もかも捨てて逃げ去ったイスラエルの軍隊や入植者を眺めていた。ヨルダン川西岸で何が起きたのか?
バラク首相は否定するが、明らかにイスラエルの占領軍は尻尾を巻いて逃げ帰った。イスラエル空軍は残された武器をゲリラに渡さないように空爆して破壊していた。撤退計画は第二のサイゴンを生んだ。
バラクは、レバノンとシリアの双方と完全な和平協定を結ぶことで、撤退をその一部にしたかった。しかし交渉が決裂すると、レバノンはシリアに侮辱されて、法外な領土を要求し、撤退後の真空地帯に部隊を展開することを拒んだ。それはパレスチナ・ゲリラが襲撃に来るという脅迫であり、ヒズボラ・ゲリラが撤退するイスラエル部隊を妨害した。
しかし、占領を崩壊させたのは非武装の市民たちであった。5月21日、シーア派の群集が占領地区の端にあるオアンタラ村を奪回するために動いた。既にイスラエル軍は前線基地を後退させており、後に残された南部レバノン軍(SLA)は武器を降ろしてレバノン当局に投降した。同じように、さらに7つの村が奪回され、占領区域は半減した。
2日間、イスラエル軍とSLAは群集の膨張を防ぎ、近付きすぎた民衆を7人殺した。しかし、イスラエルの残した武器では戦えず、2500人のSLAは半分以上が投降した。残されたイスラエル軍には、バラクが即時撤退を命じるしかなかった。
多くの村と違って、キリスト教徒の村は、ヒズボラのシーア派ゲリラを熱狂的に歓迎することは無かった。「神は偉大だ」と叫ぶゲリラに、村人は儀礼的な拍手を送った。SLAに関わる者はイスラエルに亡命することを考えているが、ヒズボラはそれに配慮して解放兵士の乱入を防ぐ歩哨を村の入口に配置した。そしてターバンを巻いた牧師が派遣され、彼らは村のキリスト教牧師に接吻して、国民の統合を確認した。
イスラエルは、いかなる越境攻撃にも報復することを宣言している。突然の撤退で、国境線の防備は非常にもろくなっている。UNIFIL(イスラエルの撤退を監視する国連平和維持軍)は、国境線の紛争を抑えるべきである。しかし、レバノン政府は、イスラエルにシリアとの和平合意を強いる圧力として、この地区の紛争を利用したがっている、という観測がある。レバノン政府は自国内のパレスチナ難民を帰国させることを求めるが、それは次の戦闘を招く恐れがある。
For Palestine, bring in Solomon
最近の事件で、エフード・バラクとヤセル・アラファトは6年に及ぶ交渉を中断した。オスロ和平プロセス(1993年9月調印)の実行も、期限以外は何一つ決まらない。アメリカとEUはバラク政権の和平姿勢を支持しているが、バラクは和平だけでなく、入植地拡大についても、今までの政権以上に熱心であった。
この二人が妥協し、それを国民に受け入れさせる以外に、和平が進展する道は無い。しかし残念ながら、独裁的体質でありながら、両者とも国内の政治的地位はそれほど強くない。バラクは国民投票や政権維持に不安があり、アラファトは年老いており、難民たちから支持を失いつつある。パレスチナ難民の生活は和平プロセスによっても悪化しつづけている。ヨルダン川西岸の難民は、ガザへ行くのはニューヨークに行くより遠い、と嘆く。
パレスチナ人は、間違った一時的和平のために、アラファトが彼らの悲願を放棄するのではないか、と疑っている。そして今、レバノンが武力でイスラエルの占領地をすべて奪い返したのであれば、なぜ自分たちはより小さな領土回復を和平で願うのか? と。占領地の回復と独立、東エルサレムの扱いで、アラファトの態度は妥協しすぎている。
バラクは「和平フレームワーク」と「恒久的取引」とに分けて協定を結ぶつもりだ。しかし、この場合、問題は細部よりも基本的枠組にある。エルサレムをどうするか? 難民の将来はどうなるか? 水の管理問題をどうするか? こうした問題に答えずに、占領地の線引きやパレスチナ国家の合意は出来ない。イスラエルが拒んでも、アラファトは一方的に独立を宣言するかもしれない。
ヨルダン川西岸は狂気の沙汰である。イスラエル軍、入植者、民兵、パレスチナ難民、ゲリラ、パレスチナ警察、などが虫食い状態にある。イスラエルが返還に合意してできたパレスチナ支配の村や町は、イスラエルが今も保持する領地で分断されている。イスラエルの補助金でできた入植地の村は返還を妨げている。パレスチナ人の人口増加と土地要求は、イスラエルによる軍事緩衝地帯の設置構想と対立する。
神の都市エルサレムが情念を煽る。イスラエルはここを永遠に統合すると宣言した。しかし、この合併宣言は世界の誰も承認していない。しかし、エルサレムの過ちを認めることは、イスラエル誕生の原罪を認めることとして容認されない。両者の統治地区は分割され、共通問題を管理する機関が設置されている。イスラエルの入植支援や拡大を中止する条件で、パレスチナ人は市民権や移動の自由を確立し、両国共通の首都としてエルサレムを承認する、という解決案も出されているが、イスラエルは認めそうに無い。
イスラエルの独立戦争により、80万から90万人のパレスチナ難民が発生した。国連総会は彼らの復帰と補償を求める決議を行った。しかし、その後も、300万人に達する難民がどちらも認められないままである。イスラエルは何の責任も認めず、アラブ世界は、ヨルダン以外、難民をイスラエルの不正義の証として市民権を与えない。国連は難民を生かしておけただけで、彼らは今も難民キャンプと掘建て小屋で生活している。
しかし、両者の妥協できない原則も、解決策が無いことを意味してはいないだろう。国際的な資金は、受入国に留まる難民たちの暮らしを助ける。新しいパレスチナ国家も難民を受け入れて再建を促すだろう。また、水管理問題で、イスラエルは譲歩しなければならない。パレスチナの一人当り水使用量は、イスラエルの30%でしかない。入植者たちは灌漑設備を使いまくって、近隣のパレスチナ人の5倍も6倍も水を消費する。イスラエルはより水を使わない作物に転換して、パレスチナ人に水を分けるべきであるが、これに反対するイスラエル農業利益団体は強力である。水問題を、パレスチナ人が次に取り上げるだろう。
オスロ和平プロセスは賢明であっても、曖昧であり、実行に関して現在のような問題を解決できなかった。むしろ今は、二人の政治指導者が決定を下すことである。そして各政府は、その国民にこの妥協を受け入れるように説得することである。
Kazakhstan; Priming the pump
カザフスタン沖のカスピ海で膨大な油田が発見されたという話を聞けば、この貧しい国をもう一つのサウジ・アラビアにする、と思うかもしれない。だが、そう確信するのは早過ぎる。
ロシアやアゼルバイジャンの支配するカスピ海で確認されたように、カザフスタン政府も10億トンの埋蔵量を期待し、アメリカ政府のもらした推計では68億トンである。それが本当なら、ナザルバエフ大統領が2015年までにサウジ・アラビアを目指すのも当然だ。そしてパイプ・ライン敷設の政治交渉にも大きく影響する。
アメリカは中央アジアの石油をロシアやイランから遠ざけたい。むしろ、相対的に安全なトルコ経由で西側に輸送させたがっている。しかし、ロシアやイランは彼らにとって隣接して暮らす大国であり、より安価な世界市場への出口を提供している。
アメリカ政府は、イギリスのBPアモコ社をトップにしたアゼルバイジャン石油コンソーシアムで、バクーからのパイプ・ライン建設を進めている。しかし、問題は24億ドルの建設費用である。それを支払うには、確認埋蔵量が少な過ぎる。試掘の結果は天然ガスばかりで、失望が広がっている。もう一つの問題は、時期である。アメリカはパイプ・ラインを2004年までに建設しようとしているが、カザフスタンは2008年まで本格的な産油量が確保できないだろう。また、イランの輸送ルートはより安いかもしれないが、まだ数年かかり、取引は追加のコストとリスクを含む。こうしてロシア・ルートが有力となる。
本当のことは分からない。アメリカが情報を漏らしたのも、トルコへのパイプ・ライン計画を支持するためであろう。皆がカシャガン油田の試掘調査報告を待っている。
A much-needed victory
5月24日、アメリカ議会の下院は、中国に対する最恵国待遇(MFN);恒久的正常通商関係PNTRを237対197の大差で承認した。それは直ちに貿易や企業に影響するものではなく、内外の政治的な影響という点で、今までにない重要な投票であった。
これにより米中関係が破綻することは回避された。また広くは、アメリカの通商政策に対する信頼が回復するだろう。クリントンが1997年に、議会から交渉権を委任される通商法案を通せなかったことは、貿易交渉におけるアメリカへの信頼を損なった。昨年、アメリカ上院が包括的核実験禁止条約を通過させなかったことは、もう一つの失敗となっていた。
また、もしPNTRが通過しなければ、クリントンは残りの任期に影響力を失い、国内問題や資金集めでも失敗しただろう。そのために、敢えて民主党の基盤である労組が反対しても、通過させたのである。しかし、ブッシュと違ってゴアは、この通過を手放しで喜べないだろう。
この投票結果は、議会に新しい自由貿易同盟が形成されたことを示している。すなわち、政府、貿易支持派の議員、実業界のロビーである。共和党の指導者だけでなく、クリントン政権もPNTR通過に全力を傾け、「参謀本部war room」を設置して商務長官に指導させた。クリントン自身が態度を保留している議員の説得に当った。人権問題への監視や、中国からの輸入増加に対する追加措置を盛り込んだ修正案が、超党派で形成された。
もちろん、NAFTAほどではないが、政治的な再分配もふんだんに支給された。ラテン系、黒人系の民主党議員の支持を得るために貧困地域への経済支援策が発表された。地元の貿易産業が政府発注で生き残れると確認してから、法案を支持する議員もいた。
労組は宣伝と議員説得に200万ドルを使ったが、労組の反対宣伝は効果が無かった。PNTR支持に、すべての産業・通商関係者が、小規模農民からハイテク大企業まで参加していた。アメリカ商工会議所のコールマンが述べたように、空中戦(政治宣伝)だけでPNTRは勝てなかった。アメリカ企業のロビーイングには、地上軍が重要であった。宣伝・運動資金だけでなく、企業は社員に議員宛ての手紙を書かせた。商工会議所は通商問題の教育プログラムを各地で催した。それは地方政府や小企業・商店を貿易法案賛成に向けて組織した。議員を中国と取引する地元零細企業へ連れて行った。
この自由貿易支持連合こそ、PNTR可決の最大の遺産である。もちろん、不況になれば人々は貿易問題について懐疑的になるだろう。しかし、こうした政治同盟が状況を変化させる。
Mercosur’s trial by adversity
数ヶ月前にはメルコスールMercosurは、数ヶ月前に崩壊寸前であった。アルゼンチンには反ブラジルの気運が強く、ブエノス・アイレスの市長は地元の工場を閉鎖して(通貨価値を切下げ、企業へ補助金も出す)ブラジルへ進出する自国企業に制裁措置を求めていた。他方、ブラジルはアルゼンチンの繊維製品に対する輸入割当制度をWTOに訴えると脅していた。
しかし、興奮状態が過ぎて、企業流出は誇張であると分かり、アルゼンチンもメルコスールの交渉パネルの決定に従った。5年間の交渉の末に、ブラジルとアルゼンチンは2006年までに自動車と自動車部品の貿易規制を撤廃することに合意した。そして両国はメルコスールの再生と深化を宣言した。そのために「ミニ・マーストリヒト」が提唱された。
メルコスールが行き詰まったのは、1998年の不況と域内貿易の減少による。1999年1月のブラジル通貨切り下げは、アルゼンチンの輸出財をその主要市場であるブラジルで40%も高くしてしまった。その後、ブラジル経済の回復はアルゼンチンにも助けとなった。さらに、アルゼンチンのデ・ラ・ルーア大統領は財政均衡化政策を実行した。
しかし、アルゼンチンの対ドル固定政策は景気回復を資本流入に依存させており、外国投資家は政権内部の対立や、アメリカの金利上昇を懸念している。こうした大変動に対して、両国政府は「ミニ・マーストリヒト」を求めたのではないか。
最初の目標は、公的債務、政府借入れ、インフレーション、であろう。他に、国際収支も次に扱われるかもしれない。長期的には共通通貨も目標にされている。同様に、両国は短期的な利益を意図している。アルゼンチンは切下げによる自国経済への損害を「補償」する要求を取り下げるだろう。というのも、この新しい枠組がブラジル政府の財政赤字を抑制し、切り下げに頼る傾向が弱められるからである。ブラジルとアルゼンチンは、メルコスール内の貿易問題を解決する恒久的な機関を設置することに合意した。域内の競争を確保する政策も重要である。そしてまた、不公正な貿易に対する共通の政策が必要であるが、そのためには超国家機関がそれを実施しなければならない。両者はアルゼンチン企業が生産性を向上させるまで、一時的に市場シェアを制限することで合意している。
しかし、メルコスールの他のより小さな参加国、例えばウルグアイは統合市場から自国企業が締め出されることを恐れて、二大国による交渉を歓迎しない。ブラジルやアルゼンチンにとっても経済情勢次第であり、成功するためには国内の不人気な改革が必要になる。
Ecuador; Greenbacked, but green
経済学者のグスタヴォ・ノボアが、昨年1月の軍事クーデタ後、第四代エクアドル大統領になったが、数ヶ月続くとも期待されていなかった。しかしノボアは生き延びて、17億ドルのIMF融資を含めた経済改革策を議会に提出し、現地通貨のドル化を行った。
IMFとの合意は、財政赤字を減らすために補助金を削り、石油価格の60%引上げ、庶民が利用するガス・ボトルの40%値上げ、などを求めている。政府は反対勢力を買収しなければならない。市場価格の導入はドル化の最も難しい局面になる。これに反対するストライキが前政権を弱めたのだ。国民は生活水準の悪化を見てきた。最低賃金は月49ドルで大幅にインフレにも調整されていない。政府はさまざまな集団を買収しようとしている。タクシーやバスの料金引上げを認め、先のクーデタ関係者に恩赦を与えた。
政府には二つの問題がある。一つは政府内部の政策不一致で、対外債務問題とドル化の指導的人物、グズマン蔵相が辞任した。彼はノボア大統領の漸進策を受け入れなかった。続いて二人の中央銀行理事も、中央銀行の独立をめぐって辞任した。もう一つはアンデス農民運動への融和策である。農民問題がクーデタの発端であった。ノボア大統領は地方に学校や病院を建てて懐柔に努めた。しかし農民たちはドル化に反対である。
ドル化は上手く行っているようだ、とIMFのフィッシャー副総裁は述べた。通貨の交換は進み、資金が市場に出て、銀行部門が甦って、輸入も再開された。しかし、本当のテストはまだこれからだ。
Eastern Germany’s slow revival
ドイツのロルフ・シュヴァニッツ旧共産州問題担当大臣は、東ドイツの経済見通しが以前よりも良くなった、と議会で述べた。製造業は西側の二倍の早さで拡大している。注文が増え、輸出が伸び、失業は減少した、と。しかし拍手は少なかった。
事態が改善したのは西側からの1400億Dマルク(650億ドル=6兆8000億円)の財政移転があるからだ。それは西側GDPの約5%にもなる。それでも失業が過去2年間、17~18%もあったし、生産性は今なお西側の60%でしかない。ユーロ安で輸出は伸びているが、西側の半分の水準である。東は全人口の19%を占めるが、納税額は8%しかない。
東の経済は、建設ブームで、西側の2倍~3倍の成長を実現した。しかし、過去3年は成長率が1.2~2%に落ちた。東で支出されるお金の3分の1が外から、主として西側から公的資金や民間投資として行われている。しかし官僚は傲慢で非能率だ。ショッピング・モールや高速道路、最新式の工場や電話網もできた。こうしてこの10年間で1兆2000億Dマルク、国家予算の2倍の資金を投入して、まだ東のインフラ整備が西側に並ぶには3000億DMが要るという。
こうした重荷に不満が溢れてきた。ドイツ人は、1991年に一時的に導入された、「連帯負担」の追加的所得税5.5%を今なお支払っている。毎年600億DMの財政均衡化システムが、その8割を西の16州から東の6州に移転する。再統合のとき、東側でより高い成長が起き、数年で西側の水準に達すると期待する政治家もいた。今ではもっと年月を要すると経済学者が言う。例えば30年か。本当に追いつけるのか? と問う者もいる。
War of the worlds
二つの経済圏で貿易不均衡が拡大すれば、常に深刻な貿易戦争が姿を現してくる。アメリカと日本か? そんな程度ではない。公式統計によれば、もっと大きな貿易赤字を世界が火星に対して出している。J.P.Morganの統計では、世界の経常収支は2450億ドルの赤字、世界の総輸出額の3%である。しかも1997年には若干の黒字であったが、それは赤字が拡大してきたといえる。
1980年代にも同じ問題が起きたが、それは主に投資所得の誤差・脱漏から生じていた。というのも、各国は受取よりも支払いについて几帳面に記録するからである。当時の金利上昇は急激な受取り額の増加をもたらし、誤差を膨らませた。しかし今日の問題は商品取引から生じている。1997年以来、世界の商品輸入が輸出よりもかなり急速に増加してきた。
一つの理由は、貿易自由化で政府がすべての取引を捕捉できなくなった。第二に、インターネットの利用も同じ問題がある。第三に、為替レートの不確実性が増した結果、輸出業者が大幅な通貨価値の下落を利用しようと、輸出額を過少表示して資本流出を行った。それは為替管理の撤廃で容易になっている。
世界のブラック・ホールがアメリカの赤字を意味しており、実はアメリカの不均衡が過大に表示されているのであれば、結構なことである。しかし、それは無さそうだ。むしろ東欧やラテンアメリカの赤字が過大に表示され、アジア諸国の黒字がまだ過少に表示されている、というのがありそうだ。もっと楽しい考えは、火星人がダンピング輸出しているということだ。そう言えば、昨年のシアトルに集まったWTO反対の「緑の」群集は火星人であった…ような気もする。
Growth is good
世界銀行のDavid Dollar & Aart Kraayが行った最近の研究によって、世界資本主義への批判はまったく放棄すべきものになった。すなわち、成長は金持ちだけを豊かにするとか、不平等が拡大して貧しい者は取り残される、という主張である。
第一に、世界市場と引き離すことは貧困を拡大し、逆に市場を開放することが国際的な所得水準の収斂をもたらした。第二に、成長は貧しい者を助けるのであり、誰の所得も同様に高めてきた。
それゆえ、Kuznets仮説は間違っていることになる。また、危機も貧しい者にもっとも大きな負担を強いたわけではなかった。さらに、かつての成長パターンと違って、新しい成長は貧しい者に差別的だ、という主張も間違いである。
法の確立、所有権は成長の条件として重視されてきたが、それが貧しい者を成長の利益から排除することはない。他方、民主主義や初等教育が特に所得分配に作用するということもないようだ。成長を促したり、貧しい者を支援する政策は、実際には効果が無かった。
二つの政策だけが成長にとって重要であった。すなわち、インフレ抑制と財政赤字抑制、である。しかも、それは予期しないことかもしれないが、平等な分配や貧しい者の利益にとっても重要であった。社会支出の名目で財政赤字を膨らませ、インフレを悪化させた政府は、貧しい者の所得を大幅に削ったのである。
こう言ったとしても、批判は無くならないし、政府は貧困救済や社会支出を止めないだろうが、世界資本主義と成長への支持を少しは強めるかもしれない。