IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

5/23-28

The Economist, May 13th 2000

Hopeless Africa

19世紀初めのフリータウンは、人里離れた、マラリアの恐れがある、しかし希望に向かう街であった。それは、イギリスで成立した奴隷貿易廃止法を実施するために、イギリスからの貧しいアフリカ人やアメリカの元奴隷が住めるように、アフリカ西岸にできた入植拠点であった。しかし21世紀の初め、そこは挫折と絶望の象徴である。シエラ・レオネの首都として、何年も続く内戦が人々を肉体的、精神的に傷付けた。アフリカは、他の世界から見放されつつあるように見える。

国連安保理は、アフリカへの無関心を批判されて、今年を「アフリカ月間」で始めた。それは成功して、AIDSや難民、戦争が次々に議題となった。クリントン政権はAIDS撲滅計画の予算請求を倍増した。アメリカ議会は、アフリカ48カ国に対する関税の廃止や引下げを認める法案を支持した。世銀などがマラリア撲滅を加速する準備に入った。国連はシエラ・レオネやコンゴへの平和維持軍増強を決定した。

しかし、すべてが上手くいってるわけではない。モザンビーク、マダガスカルの洪水。エチオピアの飢餓再発。ジンバブエ政府は人殺しを奨励した。何よりも、アフリカ中に戦争が広まっている。天候ではなく、アフリカ社会と文化に根を張る蛮行が、人々を絶望に突き落としている。そしてシエラ・レオネは、この大陸の中で最悪である。政府は存在しない。貧困と病気が蔓延し、そして富が溢れている! ダイヤモンドが反乱者にこの地を蹂躙させている。その残虐さは尋常ではない。強姦、人肉食い、手足の切断がどこでも行われてきた。子供たちがしばしばその犠牲者である。しかもこうした反乱者の首領、サンコーFoday Sankohが、昨年7月の間違った和平協定で政府に加わったのだ。

シエラ・レオネそれ自体は重要ではない。苦しむ住民への同情から、アフリカ復興への象徴として国連は軍隊を送った。サンコーはそれを追い出すために多くを捕虜にし、威嚇している。安保理の意見は分裂している。ルワンダと同様に、こうした野蛮な振る舞いを放置できない、と苦悩する。1月にアフリカの再生を約束したばかりで、もう手を引くとは言えない。しかし、平和の存在しないところで平和を維持することはできないし、世界中の紛争に介入も出来ない。勝利できるところでしか戦えない。アフリカの戦争は、基本的に住民たちの内戦である。

これらの主張はそれぞれ長所もあるが、矛盾もしている。安保理が目指す正しい道は、サンコーを逮捕して、最近の行為に対して裁判にかけることである。それに必要な装備や人員を国連は提供しなければならないし、それはまず既に展開しているイギリス軍となる。戦闘が終わっても国連軍はそこに留まり、バルカンと同じく、平和を維持する、すなわち勝利しなければならない。シエラ・レオネを切り捨ててはならない。国連の威信を保ち、アフリカを私兵たちによる殺戮と絶望の地としないために。

Time to break the rules

「今世紀の平和と繁栄、それ以上のものが、他の何物にもまして金融政策にかかっている」と、数年前にサマーズ財務長官は述べた。それは世界の中央銀行に過大な責務を負わすものであった。しかし、二桁インフレや資産市場のバブル崩壊への避難、愚かなマネタリズムの実験を経て、近頃の中央銀行家たちは立派に仕事しているように見える。政治家たちから独立して、物価を安定させることが、世界中で認められた仕事である。しかし、それは単純過ぎないか。インフレだけが重要だ、と言うのは間違っている。

アメリカでは、その結果、FRBは明らかに物価が上がり始めるまで金融を引き締めず、株価のバブルを放置した。3年前から警告しつつも、グリーンスパンは「ニュー・エコノミー」を擁護し、金利引上げを渋って市場の楽観を促した。

為替市場もまた、株式市場と同様に、過剰に変動し易い。ユーロは「トイレット・カレンシー」(トイレで使うくらいの価値しか無くなった!)とディーラーの一部に馬鹿にされている。反対に、ポンドは深刻な過大評価になっている。もし正統的な見解のように、ECBやイングランド銀行はインフレだけを監視する、というのなら、それが正しい。しかし、金融的、経済的な安定性はもっと広い視野を必要とする。その最大の失敗例は80年代後半の日本である。為替レートの水準にも同様のことが言える。市場のオーバーシュートは最初に挫いておくべきだ。

ほとんどの中央銀行家は、資産市場の安定化のために金利を変更する、という考えを受け入れない。株価や為替レートがどの程度ファンダメンタルズを反映しているのか、誰にも正確にわからないからである。しかし、ゴールドマン・サックスのJan Hatziusも言うように、その不確実性は重要ではない。資産市場が通常以上に急激に上昇するなら、それがバブルであれば金融引締めが必要であろうし、それがむしろ生産性の上昇を反映しているのであれば、実質的な均衡利子水準が上昇している。いずれの場合も金利は上昇するのが正しい。

単純な金融政策の規則を求める中央銀行家にとって、資産市場は無意味である。しかし、かつて金本位制であれ通貨供給量の目標であれ、そういった規則は失敗であった。インフレ目標もそうなる。

Lost in the post

郵便局が必要無い世界を想像してみよう。人々はE-mailなどで交信し、企業も宅配便を使う。福祉手当などは各人のスマート・カードで受け取り、郵便局が行っているその他のサービスはインターネット上で即座にどれも提供される。これは冗談ではなく、部分的に実現しつつある。ヨーロッパ諸国の郵便局の多くは、巨大な国家独占体であり、それに安住していれば、死滅する危険がある。

欧州委員会は二つの注目すべき決定を行った。ヨーロッパの郵便局体制を改革しようと言うのだ。それは一方で、ヨーロッパの単一市場計画に沿うものである。また同時に、独占を緩和しようとしている。郵便物の独占は、2003年初めまでに、350グラム以下から50グラム以下に緩和すべきだと検討し始めた。しかし、改革の歩みは非常に遅い。

成功した例もある。スウェーデン(1994年)やオランダ(1989年)は、自由化を恐れずに郵便局を大幅に改革し、その利益を実現した。他方、それ以外の諸国は郵便局を社会の一部として、コストを無視して維持しようとする。さらに、郵便サービスは言わば普遍的な責務であるから、どのような土地にも同一料金で届けられるべきだ、と。

しかし後者の主張は、スウェーデンのように、法律で定めれば良い。遠隔地であれば競争の利益にあずかれない、ということはない。むしろ、銀行が撤退した後、郵便局はますます重要な取引拠点となるだろう。規制緩和された郵便局は、それを拡大の好機と見なす。

第一に、e-commerceが拡大し、郵便の独占も浸食する。切手を舐めるだけの顧客は新しいサービスに取られてしまう。第二に、郵便関連サービスの世界市場が形成されつつある。UPSFedExのような攻撃的企業が、アメリカから各国に進出するだろう。だからこそヨーロッパの郵便局は保護を必要とするのか? それは間違いである。開かれた市場無しに、改革は進まないのである。郵便事業の独占を、直ちに廃止することだ。

e-commerceが市場を本当に変えるのか? と質問を受けました。私は基本的な知識も無いのですが、しかし、あえて予想することで、今後の展開に関心を持つために考えて見ました。私の答えは、二つの問題にかかわります。商品やサービスの質・流通などが標準化できる財であるか? また、インターネット上の取引契約や決済に信頼性と強制力が十分に確保できるのか? です。どちらについてもYesであれば、e-commerceは飛躍的な市場統合と(分野によっては)「規模の経済」を実現し、第三の問題、技術革新のスピードや性格に応じて、世界的独占企業の形成か、世界的な市場競争の激化、をもたらすのではないでしょうか。ただしその場合でも、わたしは独占であれ、猛烈な競争であれ、一定の制度的な安定化や規則の世界的整備無しには危険な気がします。

e-commerceInternetに乗せることのできる商品・サービスがどの程度あるのか、は(特に技術的に)分かりません。典型的には、国際商品市場や主要国の金融資産・資金市場は、急速にInternetに吸収されていく傾向にあります。他方、自分で履いてみないと納得できない靴や、非貿易財として有名な散髪屋さんが、Internetで(広告媒体としての利用ではなく)商売することには無理があります。

契約や決済の信頼性をInternetが確保できるかどうか、はもっと根本的な疑問です。アメリカでe-commerceが発達しているところを見れば、決して克服できないものではありません。しかし、アメリカでは地理的な裁定取引の可能性が大きく、それが初期の利益を大きく見せているだけかもしれません。ハッカーの危険は誰しも認めるところであり、たとえアメリカ国内でe-commerceを機能させる法整備・裁判所と保険制度、ハッカー対策の組み合わせができるとしても、それが世界中で機能するとは思えません。もちろん、きっとOECDなどでは、既にInternet警察や特別処理システムが検討されていることでしょうが。

(余談)e-commerceが最も強力に展開するのは情報(それゆえ金融や管理・統治、そして教育などの分野)に関してでしょう。情報は、信用や決済と同じく、<質の判断>と<法の支配>を必要とします。それを整備できるInternet上の<都市>に、最初は<クラブ・メンバー>として、次第に<市民>として、人々が集まってくるかもしれません。情報はその質を厳しくチェックされ、公開されます。各都市の成員はすべて一定の公平な法体系に従い、各都市が指定した<犯罪>を完全に締め出すのです。何が<犯罪>か? もちろんInternet上で定義するしかないでしょうが…。

Africa; the heart of the matter

アフリカの問題は、現在の指導者たちが作り出した。しかし、その指導者を作り出したアフリカの社会や歴史に、深刻な欠陥がある。

1990年代半ばのアフリカにおける民主的政府と指導者の登場、「アフリカのルネサンス」は、幻想であった。成長率は人口増加率に並ぶのがやっとで、生活は悪化している。急速に成長した三カ国は、石油に依存して他部門を破壊した二国と、援助の流入に頼っている国であった。なぜアフリカはこれほど貧しく、成長から取り残されているのか? 同じ植民地支配と受けたアジアと何が違うのか?

ヨーロッパからの侵略を受ける前も、アフリカの自然はあまりに厳しく、小さくて頑丈な、鉄器時代の共同体しかなく、それらは途方も無くさまざまな社会組織と言語を持っていた。それは一つ一つが小さな王国であり、発展よりも不安定な気象条件を生き延びるため、ひどく保守的であった。宿命論者といえるほど、住民たちは家族や共同体の絆に従い、その日を楽しむ。他方、社会は不信に満ち、組織化されていない。アフリカの商売はしばしば一人の支配者が握っており、彼らが死ねば無くなる。

19世紀半ばのアフリカ。東部では奴隷を求めたアラブ人の侵入、西部では奴隷狩りと輸出で栄える諸王国の誕生、そして南部のZulu帝国による支配拡大は、ヨーロッパの征服以前にこの地を弱めていた。そして、ヨーロッパによる植民地支配は、彼らの心理的な自律、自負心を破壊した。現在も、アフリカの国家は、エスニシティやナショナリズム、そして戦争が作ったのではなく、植民地支配者の高度に集権的で権威的な、一握りの西側で教育を受けた官僚たちが、それを単に相続したのである。アフリカの豊かな資源、一部の豊かな耕地は、利益をもたらす点で支配され、その他は見捨てられた。

アフリカの指導者たちは民族や統合も主張していたが、すぐに気づいた。植民地政府がそうであったように、ここで権力を維持するには、部族の帰属関係を操作するのが最も確かである、と。アフリカの政治支配が何を意味するかは、大統領宮殿の控え室に朝行けば分かる。接待を受ける外交官、契約が欲しい抜け目無い外国企業の社員、そして大統領の家族や部族の一員たちが、金を、学校を、葬式の費用を求めて待っている。家族の要求が、真っ先に満たされる。支配者は権力と富を意のままにする “Big Man” である。

権力は私物化され、法も民主主義も存在しない。住民たちは部族や土地に忠誠を誓い、彼がそのような支配者である限り、支配者を支持する。政党や選挙も支配者のものでしかなく、容易に当選する。民間援助団体は独裁を嫌って、民主的な選挙を条件にしたりするが、こうした選挙をたまに実現するだけである。内戦が常時起きているのに、民主主義が独裁よりもましだ、とは言えない。他方、経済分野では、IMFや世銀が求める金融引締めやインフレ抑制、官僚削減、などを実施するのに、不安定な民主政府よりも独裁政府がむしろ成功する。

アフリカの支配者たちは、自分の権力基盤を弱めるような、外部からの民主主義や人権、行政の改善に対する要求を嫌っている。それゆえ彼らはますます国家を閉じようとする(Shell State)。近代国家の体裁は、その内側から崩壊している。実際には、支配者が個人的なネットワークで富を支配している。ザイール、ケニア、リベリア、ザンビア、…。

援助供与国は、アフリカが民主的な国家を持つことを望んでいる。しかし、彼らがこれほど貧しく、ますます貧困に落ち込む限り、それは無理である。アフリカからの輸出産品価格は、常にではないが、継続して下落してきた。たとえ政治家や悪党が富を得ても、彼らがこの地の工業化に投資することなど無い。途方も無い浪費、アメリカやヨーロッパへの資産移転。援助の効果も怪しい。それは内戦のための費用や武器商人に流れているだけなのかもしれない。

アフリカは成長できないのではない。洪水前のモザンビークや90年代のウガンダは高度成長を実現した。しかし、成長以上のものが必要である。アフリカの人々は、自信を回復し、互いに信頼し合える社会を再建しなければならない。そのとき彼らは内戦を終わらせ、信用の置ける政治制度を構築できるのである。

United States; Smoking and steaming

アメリカ経済の過熱を心配してスピード規制を行う、などと言うのは流行らない話だった。しかし、もうそんなことは言えないだろう。インフレ指標のどれもが明白に上昇した。FRBは次の政策委員会(516日)で0.5%金利を上げるだろう。しかし、本当の問題は、1990年代のアメリカの目覚しい拡大が、インフレの加速と大幅な不況で終わるのかどうか、である。

それは、インフレ圧力の強さと、加速の程度による。特に労働市場の逼迫は顕著である。賃金上昇圧力が徐々に、しかし継続して現れるだろう。生産性上昇も続かない。一旦過熱したボイラーは、破裂させずに過熱しつづけるのが難しい。

Cutting off NTT

NTTは世界企業になりたがっているが、アメリカ政府が阻止するだろう。

58日、NTTの子会社(NTTコミュニケーションズ)が50億ドルで、アメリカのウェブ・サイト・マネージャー企業、Verioの発行済み株式の90%を購入する、と発表した。さらに59日、NTT DoCoMo45億ドルで、オランダの移動電話会社、KPN Mobileの株式を15%買収する、と発表した。NTTにとって、この二つの取引は戦略の転換を意味する。

有望なインターネット企業によくあるが、Verio1996年の設立以来赤字を出してきた。その一方で、大幅な設備投資により、世界最大のウェブ・ホストと関連インターネット・サービス企業になった。127カ国にわたって、中小の40万ウェブ・サイトを管理している。ある調査では、ホスティング・ビジネスは毎年70%も拡大し、昨年の20億ドルから、2003年には150億ドルになると予測されている。この市場をNTTは狙っているのだ。

対抗するホスティング企業は、NTTの本国市場を狙っている。パソコン市場の利益が無くなって、コンパックやデルなどもこの分野に拡大してきた。IBMATTMCIも投資し始めた。NTTVerio買収で先頭に立ち、しかも自国市場を温存できるかもしれない。

Verio買収に67%という十分なプレミアムを付けたが、それは後から参入したためでもあるが、むしろ国内市場の独占利益が無くなる期限に追われているからである。日本の伝統的な国際競争戦略、すなわち国内市場で潤沢な利益を企業に与えて、国際的なシェア拡大を赤字で続ける、という姿がまた見える。10ヶ月前まで海外に展開出来なかったが、分割によってそれが可能になった。

ワシントンの通商問題担当者は、日本のやり方を承知しており、日本国内の市内回線を独占しながら、その利益を利用してアメリカの活発な情報ハイテク企業を買収することは許されない、と断言した。NTTは市内通話に、欧米に比べて、法外な高料金(基本料金2600円+3分間毎に10円)を課している。他社がNTTの回線を使用する料金は、国際的に見て、異常に高い。

日本政府は、NTTの高料金の弊害を認めたが、その後、立場を逆転させた。政府は、NTTが利益を失って大量の解雇を選択し、失業者が増えることを心配し始めたのだ。他方、クリントン政権は日本のテレコム分野の競争条件を整えることを、自分の任期内の仕事に決めた。もし沖縄サミットで妥協が成立すれば、NTTの資金は1年か2年で無くなる。だからNTTは焦っているのだ。

Central banks, all a-quiver

通貨当局はどのように為替レートや株価の水準調整に関われるか?

中央銀行の主要任務は物価の安定化である、と考えられているが、株式や為替レートのような資産価格の間違った水準を放置しても良いのか? 多くの経済学者や政治家がユーロの価値を高めるべきだとECBに要請している。イングランド銀行も、ポンド高を何とかしろ、と強い圧力を受けている。FRBのグリーンスパンは株価を金融引締めで抑制すべきか、何年も悩んでいる。

先週、ジュネーヴのICMBS(通貨・金融問題国際研究センター)で、中央銀行は資産価格に対してどう対応すべきかが議論された。そして、中央銀行は金利を変更して対応すべきであり、それによって物価と生産水準の長期的な安定化を実現できる、という論争的な結論を導いた。

この報告は、その執筆者の多彩な経歴(NYFed、イギリス金融政策委員、Wall St.の指導的経済学者)と言う点で、また為替レートの水準調整と株価のバブルを同じ枠組で分析した点で、非常に注目される。資産効果や通貨価値下落によるインフレ懸念という直接の問題はすでに注意されてきた。しかし、インフレ以外の理由にも、金融政策の変更を求めている。例えば、株式市場のバブルは債務を累積させる。株価下落は、その結果、金融システムや経済を危険にさらす。為替レートの間違った水準も、実体経済に痛みを伴わずには調整されない。

中央銀行が株価や為替レートを目標にすべきだ、というのではないが、現在以上に重視して、それがもしファンダメンタルズから乖離すれば、市場に対抗して介入 “lean against the wind” すべきでだ、という意味である。株価のバブルを考えて見れば、金利引上げは最初インフレ率を目標以下に下げるだろうが、バブルを早めに挫けば、それが破裂する際のインフレや生産水準に及ぼす影響は小さくできる。いまインフレを少し下げ過ぎることで、将来の大幅な下落の危険を防ぐのである。

多くの中央銀行家はこうした意見に反発する。株価や為替レートの正しい水準は判断できないからである。しかし、不確実さはインフレを目標とする場合の、潜在的成長率の予測や、インフレ(デフレ)ギャップの計算、にも同様に存在する。他方、このような金利変更を行う際に、中央銀行はどうやって説明するか、という問題は答えにくい。インフレ目標を自分で無視するから、信頼性を損なう恐れがある。ましてやバブルで喜ぶ国民に株価を下落させる介入を行う中央銀行家はいない。しかし、それは単純なインフレ目標だけで金融政策は上手く行くということを意味しない。

Ecofinessed?

ユーロ参加11カ国蔵相会議は通貨価値を回復させる初めての共同声明を発表したが、やはり市場に無視された。「ユーロ11」の惨めな敗北? 今のところそうである。しかし、政治的な転換が起きつつあるのかもしれない。

通貨統合が議論されていた頃、フランスなどがECBに対抗する一種のヨーロッパ経済政府樹立を提唱していた。しかし、市場がそれをひどく嫌ったために、各国政府も諦めた。フランス政府はその構想を捨てずに、ジョスパン首相が再び議論しはじめた。ユーロがこれ以上大幅に下落する場合には、何かしなければならないし、独仏のEU指導力を回復したい。フランスは7月に議長国となるから、計画を進めやすいのだ。

そこで「ユーロ11」増強となる。 立法権力のない既存のEcofin(経済・金融会議)とは別に、 EUの正式な機関を設置する。この新しいユーロ11は、「ユーロ代表Mr. Euro」を決め、対外通貨政策についての発言力を強める。フランスはファビウス蔵相を任命したいのだ。

強化されたユーロ11は、ユーロに参加していない国、特にイギリスに不利である。Ecofinに参加しているが、それは形骸化する。しかし、参加国にとっても有利だろうか? それが構造調整を進めるのであればYesだが、議論だけで終わるならNoだ。

The Polish zloty; Free and uneasy

ポーランド通貨も、ユーロ圏の金融当局は少し心配したほうが良い。ポーランドは長く中央ヨーロッパの成長国であったが、対外不均衡が拡大し、通貨危機の警報が点滅している。

412日、ポーランド政府は予想外に、ドルとユーロにリンクしてきた通貨ズロチを変動制に移行させた。それは直ちにドルに対して10%以上下落した。58日に、大統領やジョージ・ソロスが参加する緊急会議が開かれた。ユーロ下落だけでなく、ポーランドの経常収支赤字がGDP8.3%に達したことが注目される。危機の警報が鳴っている。

EU経済の低迷、ロシアの混乱で輸出が伸びず、借入れによる輸入増加は金融引締めにもかかわらず止まらない。貿易収支が大幅に赤字である。しかもそれは短期資本流入に大きく依存している。今年の経常収支赤字予想額、125億ドルの半分以下しか、直接投資流入で賄えない。短期的なhot証券投資流入が残りを埋める。ズロチの運命は金利やファンダメンタルズよりも資本流入が握っている。

中央銀行は財政政策の拡大効果を打ち消す金融引締めを続けている。しかし、その高金利がますます不安定な短期資本流入をもたらすのだ。ズロチの下落を介入で阻止するにも、外貨準備は十分でない。結局、民営化や国営部門改革、そして政治家が財政支出引締めを行うことに懸かっている。しかし、選挙の気配がある中で、どれも実現しそうにない。チェコやハンガリーが通貨危機を通じて学んだことを、次はポーランドも学ぶしかない。

Asian currencies; Swapping notes

IMFはアジアで好かれていない。アジア諸国の景気は回復してきたが、各政府は通貨危機の悪夢を払拭するのに懸命である。政治家は好んで言及したりもするが、アジア通貨基金の実現はまだほど遠い。しかし、アジア開発銀行の今週の会合で、アジアの13カ国が資本逃避に対応して相互支援する計画を進める点で合意した。

この考え自体は新しくない。メキシコ・ペソ危機の後に組まれたが、アジア通貨危機を防ぐには不十分であった。新しい点は、日本と中国がその外貨準備をより多く利用する点である。両国はアジアにおける発言力を高めたいのだ。

既存の枠組では、中央銀行間で「買戻し」を合意することになっていた。それは信用拡大ではなく流動性を供給する。この制度を利用する国は、タイが当時行ったように、市場で危機の深刻さをむしろ印象付けて、通貨の売り圧力を強めた。ASEANによる相互協力も同様の問題がある。危機が波及するだけで、互いに信用できない。

新しい提案は、日本と中国を加えた点で改善されている。詳細は分からないが、日本は二国間協定を増やしたいようだ。互いに自国通貨を50億ドルまで現金で交換することに韓国と合意した。同様に、マレーシアには25億ドルまで認めた。

日本経済の規模と外貨準備の量(3040億ドル)、日本がこの地域に求める友好関係への熱意から見て、二国間の保証はASEAN内の合意よりも信用できる。もし日本が他国にもこうした協定を拡大し、中国の参加もあれば、政府は次の通貨不安に備えてより安心できるかもしれない。多くの国が日本との二国間協定に惹かれるのは、IMF融資と違って、条件が付いていない点である。13の潜在的な協定国は、原則として、より頻繁に話し合い、隣国が間違っていれば声を上げることに合意した。しかし、それが上手く行くとはまったく思えない。この地域は率直な相互批判を苦手としている。

Russian debt; Orient express

「昔の借金を払うより、もっと金を貸してくれ。債務は組み替えたほうが良い。」とソ連に融資した西側政府にロシアは言う。しかし、説得力はない。だがこの作戦は成功し、民間商業銀行による「ロンドン・クラブ」は、ソ連に対する債権の3分の1以上を放棄し、残りを長期の低利債券に交換した。

ロシアは同じ作戦を使って、19カ国の債権国からなる「パリ・クラブ」で420億ドルを騙そうとしている。これで国際金融市場に復帰できる。19988月の債務不履行の際に、慌ててモスクワを逃げ出した銀行家たちが戻ってくるとは、とても考えられなかったが。同じ銀行家たちが、今やロシアのユーロ債発行を手掛けようと涎を流している。

ロシアはソ連時代の債権を放棄しないまま、政治家たちは全額を放棄させられると望むが、政府はひとまず半額放棄を要請している。それは300億ドルの債権を保有するドイツを驚愕させている。ドイツ政府は低利で長期融資に切り替えることには合意できるが、債務返済の現行額が減ることは嫌う。IMFによれば、ロシアは原油価格上昇や切下げによる輸出増加で、支払い能力がある。ある意味では、民間銀行が債権放棄したことで、ヨーロッパの納税者は既に負担(その分、銀行の納税額は減った)を強いられたのだ。これ以上の負担がなぜ受け入れられるか? など。

それでも、地政学的な配慮から、ロシアは大幅な債務免除を獲得するだろう。アメリカもヨーロッパ各国も、ロシアの新大統領と友好関係を保ちたいのだ。ドイツも、ロシアに対して、ある意味ではドイツ再統合をロシアが黙認する見返りとして、1310DM(現在のユーロ相場では600億ドルだが、実際にはDMはもっと価値があった)をこの10年で融資や贈与として与えてきた。

一つ注目されるのは、ロシア大蔵省が発行した外貨建国債である。それはロシアの金融システムで果たす重要な役割により組み替えされなかった。政府に結びついた企業はそれを市場価格で購入し、額面で納税に使った。ロンドン・クラブでの思惑が、このロシア外貨建国債MinFin4の価格を上昇させている(政府が最初の条件でこの国債を償還するかもしれない)。しかし、パリ・クラブは、公平の原則から、この国債も組み替えられるべきだと要求するだろう。ロシア政府がそれに合意すれば、国内の国債保有者は政府をロシアの法廷で訴えるだろう。ロシア政府の無責任な借り入れ行動に対して無駄な国際制裁を行うよりも良い。

Rescuing the euro

政府はヨーロッパの打ちのめされた通貨を助けるために市場に介入すべきか? うまく介入が行われたとしても、それで話は終わらない。

為替レートのターゲットと言う考え方は空想である。この考えに染まったEMSやアジア諸国が何を経験したか見れば良い。為替レートに関する政策というのは無くなった。完全に変動させるか、それとも変更できない形で固定してしまうか、である。中間の選択肢は存在しない。ほとんど誰も異議を唱えなかった。

何が起きたのか? 最近は、ユーロの下落やポンド高に介入せよと言う大合唱である。こうした論者も、為替市場が騙し合いであるという見解を変えていない。しかし介入は必要である、という。すなわち、(a)政府は正しい為替レートの水準を知っているし、(b)それを市場に教えることができる、と。

もし介入が為替の間違った水準を正せるのであれば、政府は国内需要を管理する金融政策に加えて、通貨の対外価値を安定化する手段も手に入れる。それが出来ないのなら、時間の無駄だ。今の支持論は水準や目標を軽蔑しておきながら、介入を求めている。

他方、中間の政策を否定することも間違いである。特に小国開放経済の政府は、為替レートを重視するべきだし、たとえ固定できなくとも、状況に応じてそれに影響を与えなければならない。そして、状況によっては介入が有効に機能する証拠もある。不胎化されない介入が、金融緩和をもたらし、その国の通貨価値を下落させるのは疑いない。しかし、金利を変更しないで為替レートを変更したいから、経済学者は不胎化介入を議論してきた。

1993年のKathryn Domingues & Jeffrey Frankelの研究は、通説に反して、場合によっては不胎化介入も有効である、と主張した。しかし、介入が公開で、国際協調の形で、しかも将来の金融政策変更に関する新しい情報をもたらすときに、より成功し易い、と論じた。

イギリスのユーロ買いは、ドルの下落を望まないアメリカ当局と協調で行えない。それでも、ユーロ・ドル間のレートは不変でも、ユーロ・ポンド間のレートを変えるべきだ、という。その場合、問題はイギリス金融政策の不安定化を招くことである。なぜなら、介入が成功してポンドが安くなれば、金利の上昇を予想する。金利を引上げればポンドが再び増価する。こうして、独立を与えられたばかりのイングランド銀行の金融政策は迷走し、信頼を失うであろう。

為替レートの変動を予想して、予め金利を小さく変更すれば、その後は不胎化介入でも有効になる。すなわち、介入が中央銀行のインフレに対する望ましい管理経路の変更を示すならば(将来の金融政策決定の変化)、介入は有効になるかもしれない。

/込み入った論旨で、間違っていないか心配です。この議論は、中間的選択の消滅、為替レートや株価の水準調整、不胎化介入、について、興味深い論点を示しているので要約しました。

この主張は、Barry Eichengreenが主張したものであり、彼にインタビューした際も興味深い説明を聞けました。その要旨も公開します。→ IPE


注意:不胎化介入について