IPEの果樹園 2000
News & Review
最近の政治経済事件に関する記事の紹介とコメント
2000年4月11日〜
The Economist March 4th 2000
A crop that refuses to die
東ペルーの高地の村で8ヘクタールを耕作するロハス氏の農場は、国連の麻薬撲滅プログラムによる転換の成功モデルである。かつてはコカの農場であったが、今は大豆やコーヒーを作っている。ただし今でも、コカを一部で栽培している。
コカの栽培は、この地域の農民にとって、安定した高い所得の得られる唯一の作物であった。それゆえペルー東部の渓谷やボリビアのチャパレ低地では大量のコカが栽培された。それはコカイン・ペーストとしてコロンビアに輸出され、そこで精製されて、さらにアメリカに輸出された。
1995年以降、アンデス地域のコカの栽培面積は15%減少した。リマに駐在するアメリカ大使は、かつてはアイオワのトウモロコシ畑のように一面がコカで覆われていたが、ようやくそれを追い出す見通しがついた、と楽観する。1989年にブッシュ大統領がアンデス地域に「麻薬戦争」を宣戦布告して以来、とうとう勝利に近付いたのか?
アメリカの180億ドルと言う麻薬対策予算の13%でしかないこの作戦は、比較的安価な費用で達成された。しかし、外交的に費やされたコストはより大きい。アメリカはラテンアメリカで達成すべき民主化や人権という目標を犠牲にした。
麻薬への需要や、その栽培に必要な肥料、麻薬組織の武器や資金洗浄を、豊かな諸国が提供しなければ、これほど麻薬が栽培されることは無い、という批判もますます多く聞かれる。しかしアメリカ人は、その強硬で、しばしば一方的な戦略に執着している。例えば、隣国が麻薬撲滅に努めているかどうかを「認証する」。しかし、人工衛星でCIAが特定地域を監視すると言うが、その数字はコカの生産減を誇張している、と言う指摘もある。実際、純度の高い麻薬を供給するアンデス地域の麻薬産業はいっそう繁栄している。また、唯一の例外であるコロンビアの耕作地域拡大を見れば、栽培地域が北へ移っただけであるとも言える。
コロンビアが例外であるのは、南部の左翼ゲリラFARCが支配する地域に、大規模なプランテーション農場としてコカが栽培されているためである。以前のペルーにおける小農家の栽培に比べて、むしろ供給力を増している。そして、これがクリントン政権に、今後2年間で16億ドルを越える軍事援助をコロンビアに与えると宣言した理由である。右翼の武装集団もコカの農場や精製工場を持っている。
アメリカの援助は、こうした反政府武装勢力を軍事的に制圧するために与えられる。しかし、その効果には疑問があるし、そもそもコロンビアで武装勢力が拡大したのは、アメリカが2年前に当時のSamper政権を「認証」しなかったせいである。その当選に絡んで、麻薬組織から資金が流れていたかあら、と言う理由であった。その後、Samper政府は麻薬取引を厳しく取り締まったが、アメリカの支援を失った政権は弱体化し、武装勢力に南部を支配された。
他国で成功した軍事援助がコロンビアでも成功すると前提することに問題がある。また、こうした軍事援助増額は、次の栽培拠点へと麻薬業者を移動させるだけ、という疑問もある。
ペルーとコロンビアでコカの栽培が減った他の理由は、政策や態度の変化にある。すなわち、アメリカはコカ栽培以外の収入源を与えるために、国連の援助計画などでこの地域へのインフラ投資を行った。また、各国政府は見捨てられたコロンビア政権の崩壊を見て、ますます麻薬取引を取り締まった。他方、アメリカ政府は各国政府の人権を無視した行動にも注意しなくなった。アンデス地域の国民が、自国内での麻薬消費拡大で、暴力や政治腐敗をもたらしていると心配するようになった。政策としては、麻薬輸送と妨害したり(その結果、コカの価格が下落した)、化学肥料の輸入を阻止した。
コカ栽培に代わる収入源を与える、と言う戦略は、しかし、重要な欠陥を持っている。まず、コカに代わるような、それと同じくらいの所得をもたらす合法的な作物は無い。ハイウェーに投資された結果、大都市や海外の市場にバナナやパイナップルなどを輸出できるようになった。国連が企業などの協力を促し、農産物を加工する工場への投資もなされた。しかし、コカのように丈夫で、栽培や輸送がしやすく、病気にならず、市場で供給過剰・価格暴落しない作物(投資)は無いのである。もし転作した農家が、コカから手を切っていられるとしたら、それは豊富な補助金や価格支持政策が十分な収入を約束している場合である。
/麻薬産業の世界的な構造を見る。特に貧しい農民が暮らしを守るには、ゲリラと一緒に麻薬を作るか、政府が大幅な公共投資や農産物の価格維持・所得補償によって都市や先進諸国との格差を是正するしかない。
アメリカ政府の世界的な介入政策と直接行動は、一方的な世界政府の役割に近い。しかし、それが国外では民主化や人権をある程度は無視して、アメリカ国内の目標達成を優先する、もしくはより「効率的」「安価に」実行する、という問題は常に含まれている。
Intrigue on 19th Street
世界の経済・金融中枢に位置するIMFの理事会が、わずか3人の候補の中から、その専務理事を選出する。ドイツの金融官僚であるCaio Koch-Weser、日本の元大蔵省官僚である榊原英資、IMFで長くNo.2にある Stanley Fischerの3人である。
なぜこの3人だけなのか? 全く訳が分からないが、IMFは腐敗した宮廷内の陰謀と同じ権力争いに陥っている。伝統により、この仕事はヨーロッパ、特にフランス人が通常押さえることになっている。しかし、今回はドイツ人がこのポストを要求した。[ECBの総裁ポストも独仏で政治的に決まった。その際の非公式合意かもしれない。]しかし、Koch-Weser氏は適当でない。貧困救済を重視する世界銀行の経歴では、金融危機の中で厳しい意志決定を下す人物として物足りない。特に、アメリカ財務長官のLarry Summersが反対している。
反対にもかかわらず、ドイツが指名を取り下げなかったので、EUは正式にKoch-Weserをその候補とした。これで逆に、アメリカも公式に反対を表明することとなり、クリントン大統領の報道官が「彼には候補としての資格が無い」と言明した。
ドイツはまだ逆らっているが、EU諸国はこれをアメリカによる拒否権発動と理解し、候補の交代を受け入れるだろう。しかし、日本の候補は真剣なものではなく、日本が将来のIMF人事に発言する余地を確保するための意志表示である。他方、Fischerは本物の候補である。その知識と経験については議論の余地が無い。また彼は、十分に優れた政治家でもある。Zambia出身のユダヤ人であり、発展途上諸国からの強い支持もある。
しかし問題は、彼が帰化したアメリカ国民であることだ。Summersが彼を素晴らしいと考えても、アメリカ財務省は、アメリカ人候補を支持して、これ以上ヨーロッパ諸国を激昂させることを嫌っている。そこで、ヨーロッパの別の候補が求められる。
イタリア大蔵省のMario Draghiや、イギリス人のAndrew Crockettは、 Koch-Weserと同じく高級官僚である。同様の候補であれば、候補を取り下げたドイツの体面を一層傷付けるだけだろう。こうして、優れた政治家を候補に求める声が出ている。中でもイタリア大蔵大臣Giuliano Amatoやイギリスの元大蔵大臣Kenneth Clarkeの名が挙がった。しかし、イタリアは既にEUの委員長を出しており、イギリス人もNATOのトップを占める。こうして調整は長引き、Fischerがさらに引き続きIMF暫定運営委員会の専務理事an interim managing directorに指名された。
このような政治交渉が世界の指導的な金融機関のトップを決めることは、馬鹿げているように見える。しかし、これはまさにIMFをめぐる対立・緊張関係を反映している。IMFのボスは、いくつかの競合する利害をバランスさせる必要があるのだ。IMFという機関自体の利益、(ますます発言力をつけた)借り手の発展途上諸国、貸し手の豊かな国々、特に[互いに対立することも多い]アメリカとヨーロッパ。しかし、こうした利害をバランスさせることに時間が取られれば、危機への対応が遅れる。それゆえ、IMFは今や、強い指導力を必要としている。
IMFの評判も非常に悪化している。左派は貧しい諸国への緊縮政策強要を非難し、右派は、IMFがbail-outすると教えて、豊かな国の投資家が債務国に資金供給させるための、間違った賄賂と見なしている。IMFは、4月16日の大会を、反グローバリズムの運動家に乗っ取られるという、Seattleの悪夢にも苦しんでいる。
しかし、IMFの直面する問題はさらに深刻である。IMFは何をなすべきか? 金融危機にどのように対処すべきか? 最貧諸国に対しては何ができるか? 今や、(ロシアやブラジルにしたような)固定為替制度を守るために大量の資金を貸すことは繰り返さない、という合意ができている。しかし、IMFがどのくらいの資金を、どのくらいの期間、どのような条件で貸し出すべきか、という問題には合意が無い。
アメリカ議会は、Meltzerを議長とする急進的な報告書を出した。IMFは大幅に規模を削減し、一時的な流動性危機にあると予め認められた少数の国にだけ、短期で、条件をつけずに罰則的金利で、融資せよ、と主張している[国際的な最後の貸し手ILLR;International Lender of the Last Resort]。この案が実現する見込みは無いが、SummersはIMFが短期の危機管理に焦点を絞り、民間資本を取り入れることの出来る諸国が安い資金引出し口としてIMFを利用しないように求めている。
IMFはあまりに多くの諸国に繰り返し融資を行い、何度も資金を回収できなくなった。しかし、今や民間資本市場がますます重要になっている世界では、IMF融資の条件見直し・縮小が必要である。では、IMFは本当に「最後の貸し手」として行動するのか? また、最貧国への融資から手を引くと言う場合、こうした諸国が必要としている優れたマクロ経済政策を指導できるのは、世界銀行よりもIMFではないか?
IMFのトップは、異なる利害の間で、こうした困難な論争問題を含む意志決定を担って行く必要がある。ビザンチン帝国式の口喧嘩で十分な能力を持たない指導者を選べば、全てのIMF加盟諸国が後悔することになる。
/国際政治の現実と国際金融管理体制の変化が、IMFのトップの人事を変化させた。アメリカの実質的拒否権。ヨーロッパの金融覇権意欲。日本の初めての候補擁立。
国際通貨秩序をめぐる深刻な論争。特に民間資本移動が支配的な世界で、しかも各国の金融政策が対立する場合、IMFに何ができるか? たとえ短期の危機管理体制としてでも、IMFが追求する目標は何であるべきか? そして、長期の構造的な調整が主要通貨間の為替レートを安定化させずに可能だろうか?
The Economist March 4th 2000
The standard question
WTO(世界貿易機構)は知的所有権を保護するように国際基準を定めた。ではなぜ、労働や環境についても、国際基準を作らないのか?
多様性は貿易の利益を生み出す源泉であるから、WTOが自由貿易を実現する上で、各国に同じことを強制するのは正しくない。しかも貿易における制裁を手段として利用する、というのであるから。
ではなぜ知的所有権が国際的に強制され、労働や環境は国際基準を強制しないのか? 判断の基準は3段階であろう。
まず、異なった各国の基準がもたらすコストは、各国の嗜好や条件の違いを反映した規則を持つと言う利益を圧倒してしまうほど大きいのか? 次に、国際基準が求められるとしても、貿易による制裁が有効な強制手段なのか? 最後に、こうした強制はWTOの目的である自由貿易の維持に矛盾しないか?
例えば労働基準を考えれば、それが異なっていても貿易は妨げられない。むしろ豊かな国が拠り厳しい労働基準を持てば、労働集約産業の流出は一層促される。だが、実際にはこうしたことが起きている証拠は無い。
異なった基準が国境を越える副次的な効果をもたらしているか? 貧しい諸国で自動労働が規制されていないことは、豊かな国の児童労働を促していない。道徳的理由で児童労働をやめさせたければ、貿易による制裁ではなく、直接に児童への援助を行うべきである。もし貧しい国に児童労働を禁止させれば、子供たちは仕事を失い、売春など、規制が及ばない、さらに悪質な職に就くしかない。
環境問題は、例えば温暖化のように、その効果が国境を越えており、外部性を意味しているから、国際的な基準を設定することが考え易い。しかし、それが貿易制裁で強制されるのは、たとえそれ以外に手段が無いとしても、不適切であり、効果も疑わしい。自由貿易を目的とするWTOが扱う問題ではない。
知的所有権はどうか? それを支持する意見がある。国によってその規制が弱ければ、投資や技術移転が妨げられるだろう。研究・開発への「ただ乗り」が許されれば、結局、革新が抑制される。そして、知的所有権で保護される商品への市場アクセスを改善するから、WTOの目的にも適うだろう。
しかし、貧しい諸国が知的所有権の保護を強めれば、むしろ貧しい諸国の研究・開発が阻害され、より長く先進国の技術に依存して特許料などを支払いつづけることになる。また、貧しい国で規制が弱いからと言って、世界の開発競争が弱められることは無いだろう。そして何より、WTOは、結局、これで労働基準や環境基準への貿易制裁措置に道を開けてしまったのである。
/WTOによるアメリカや先端産業の利害追求が、必ずしも自由貿易を実現するという目標と一致していない。
WTOは、GATTの限界であった非関税障壁への対応や、国際的な紛争解決能力を期待されたが、実際には、主要国や指導的産業の企業戦略に利用される側面が強いかもしれない。
The Economist March 4th 2000
Test-driving a new model
昨年の初めには、ほとんど全ての者がEuroはドルに対して強くなり、円やポンドは弱くなるだろう、と予想していた。しかし実際は、全く逆のことが起こった。伝統的な通貨価値の予想モデルには深刻な欠陥があるようだ。[あるいは市場に。]さまざまな新しいモデルも提唱されているが、信頼できるのか?
為替レートの予想するモデルの基礎には、通貨が究極的に回復するであろう均衡水準を持っている、という考えがある。しかし、何がこの均衡水準を決めるのか? 決定要因が、おそらく変化してしまった。かつては財・サービスの貿易が、その後、債券市場[の国際資本移動]が、今や、株式市場が為替レートを動かす主要な力を持つ、とも言われる。
最も古い理論である「購買力平価(PPP)」説では、為替レートは二国間の財・サービスのバスケットが同じになる水準で均衡する、と考えた。これがBig Mac Indexの原理である。
次に、均衡が経常収支[貿易収支・貿易外収支・移転収支]の均衡を達成する水準として考えられた。基礎的均衡為替レート(FEER)は、こうした考え方に立って、持続可能な経常収支均衡に注目した。それを適用すれば、1ドルは約90円、0.75ユーロであり、[大きな経常収支赤字をもつアメリカの]ドルは過大評価されている。
PPPもFEERも、資本移動が厳しく規制されているときには正しいかもしれないが、今やこうした規制は廃棄されている。そして資本移動が、為替レートの決定にますます重要になった。外国為替取引の僅か1%だけが、貿易に関わるものである。それゆえ、アメリカの経常収支赤字にもかかわらず、海外投資家がアメリカに投資する限りドル高が続く。
最近まで、国際投資が行われる金融資産と言えば政府債券(国債)だけであった。しかし今では、株式市場にも多くの国際的な資金が入っている。過去数年を見れば、ドルとアメリカの株価には、また円と日本の株価にも、強い相関性があった。
株式市場が重要であるのは、国債市場よりも急速に拡大しているからである。株式の累積発行額が大きくなってきたし、株価が上昇している。最近の財政黒字により[アメリカ政府の]債券発行は減少している。また、国境を越える株式の売買が一層急速に拡大している。あるいは、アメリカは生産性の上昇がさらに将来の企業収益の増加を期待させ、株価を上昇させたし、国際競争力の改善がドルの長期的な均衡水準を高めてきた。
株式投資に関するリスク・プレミアムの理論が、新しい為替レート予想にモデルを示している。国によって、このリスク・プレミアムが異なっている。それは投資家の各国における収益機会と損失のリスクを市場において集約している結果であろう。
しかし、このモデルが為替レートの予想を容易にするとは思えない。株式市場の変動を予想することは、[債券市場間の資本移動に注目する場合、重要となる]利子率や債券利回りを予想するよりも難しい。しかも、突然のインフレ率上昇や世界的な金融危機が、投資家をより安全な国際投資に連れ戻すかもしれない。
このまま株価とドルが上昇しつづければ、最後はアメリカの株価が暴落し、ドルも下落する。しかし、景気回復が定まらない日本は、円高をなんとしても避けたい。ドル高も円高も避けたいならば、ユーロが強くなるしかない。モデルが何と言おうが、皆がユーロを買うことを願うしかない。
/為替レートは予想できない。しかし、国際間のさまざまな収支の均衡が必要無くなったのであろうか? また、不均衡を維持する資本移動は、それが経済活動の適当な水準における調整を促しているのだろうか?
経済のタイプと社会・政治的な目標や国際的な経済統合のあり方によって、均衡概念は変わってくるが、しかし均衡そのものが不要になるのは世界共通通貨や政治的統合を展望できるような、まだまだ遠い将来である。
The Economist, Millennium Special Edition, Jan. 1st 1000 - Dec. 31st 1999
The road to riches
人類の歴史において、経済の進歩は非常に遅く、しかも人口増加によって、一人当たりの生活水準は改善されなかった。毎年の経済成長や、一人当たりの生活水準の向上が、当然のように見なされるのは、18世紀後半の工業化開始以降のことである。人類の物的な繁栄は、工業化以後の250年間で、それ以前の10000年よりも大きく向上した。
何が起きたのか? なぜ、西欧から、起きたのか?
工業化は、技術革新によって起きた、と考えられる。それはさまざまな知識の蓄積が一定の水準を超えたときに、異なった分野の知識が互いに結びついて飛躍的な拡大をもたらす、と考えられる。
しかし、技術革新は必ずしも科学知識の進歩によるのではなかった。それらはむしろ作業場における経験や工夫によって、コスト節約を目指して導入された。科学的な理解が無くても、重要な革新が起こった。その後、電気や通信分野の登場によって、科学知識と技術とが企業の研究機関により組織的に統合された。
17世紀の初めまで、西欧は、中国など、他の社会に比べて、決して豊かではなく、科学も進んでいなかった。他方、なぜ1400年以降の中国は停滞してしまったのか? たとえば、気圧に関する知識を西欧よりも早く得ていたと思われるが、中国は蒸気機関を開発できなかった。
新しい知識が社会的な技術革新の普及をもたらすには、それを可能にする価値・政治・制度、が必要であった。
中国の社会は、エリートたちが安定を最も重視した。他方、個人の強欲が肯定されるだけでは成長につながらない。それは長期的な合理的計算(慎重さと忍耐)に基づく、投資を必要とする。啓蒙された利己心と、契約社会の倫理的な規範とが、技術革新の経済的な拡大を社会の富として波及させた、と考えることができる。
西欧社会の支配者たちも、権力維持のために、繰り返し革新を妨げようとした。しかし、ヨーロッパにおける政治的条件は、それを挫折させた。ヨーロッパは、ローマ帝国を除いて、政治的な支配が統一されなかったのである。その結果、政治的な支配者が革新を妨げるような介入を行って経済活動を衰えさせることは、他のより開放的な政治組織に対して劣勢になることを意味した。
こうした政治的多元性において、制度も経済成長を促すように形成されていった。各国政治システムの内部で、次第に経済活動が政治的支配から自由になった。たとえば、1215年のイギリス・マグナカルタは、新しい所有権を認めて、王の恣意的な介入を排除した。政治的な富の再分配が交代することで、生産者は革新の成果を確実に得られることになり、同時に、ますます技術革新への社会的な取り組みが加速された。契約や特許、会社に関する法律が整備されていった。
発達した複雑な経済システムにおける多様な経済組織の存在が、社会の多元的な可能性を常に自由な革新のために開放しているのである。この社会制度を西欧が継承していく限り、次の250年も繁栄は持続するだろう。
/政治的支配が経済活動を制約する。Olsonの仮説。しかし、他方で戦争や政治的介入がインフラを整備し、経済活動を集中させ、Catch-up過程を加速させたのではないか? あるいは、政治的な安定性が確保できなければ、安定した長期的投資が失われることは確実である。多くの発展途上国が貧しいのは、政治的な多元性ではなく、政治的・法的な秩序が維持できないからである。
安定性を重視して、特に政治的支配者が既得権を維持するために、経済成長を犠牲にする、というのは、日本の改革が進まない事情を想起させる。政治的な多元性が産業革命を促し、西洋の拡大をもたらした、というのは、JonesやMacneel、Strange、Cernyなど、多くの支持者がある。むしろ、イギリスが平和を維持できたことが重要ではないか? それは大陸が戦乱で弱まり、イギリスは勢力均衡策を採って、むしろ海外植民地と国内都市建設と大衆消費を拡大したことにもよるだろう。
所有権やその他の社会制度が重要である、というのは、Northなどの新制度学派の仮説である。それはShonfieldも言うように、投資、という成長の社会的メカニズムを可能にした。しかし、他方で資本市場という分配と社会支配の拡大をもたらしている。
社会の安定性を無視して富の拡大を図る、という西欧の発明した資本市場社会が、他の地域の文明よりも、社会主義運動など、社会制度の改革を積極的に受け入れて、むしろ資本市場制度との調和・修正を図っていけるかどうか、が重要であると思う。
The Economist, April 1st - 7th 2000
Mission Impossible
OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries)を励まして石油価格を抑制させる、という考えは間違っている。
OPECは価格を安定化することを宣言したが、それを歓迎するホワイト・ハウスの反応は今だけの利益一致に過ぎない。それはせいぜいファウスト的な取引である。それは、最悪の場合、かつてJimmy Carterが消費者に対する道義的な戦争と呼んだものになる。
OPEC内部の取り決めは簡単に破られる。上昇した石油価格により、増産でぼろ儲けする誘惑は強い。内部の政治的対立もある。また、消費者の利益と生産者の利益は、結婚と同じである(まったく異なった者同士の協力は、維持することが非常に難しい)。結局、アメリカ政府は国民の多くがより安い石油を求めていることに、また産油国はあまりに多くの借金と無駄使いする支配者に動かされていることに、無理がある。
さらに、そもそもOPECは価格の安定化を実現できない。アジア危機が深まる中で産油量を拡大し、価格の暴落を許したり、メキシコやノルウェイの協力で、昨年の価格引き上げを目指したのは、市場を管理する能力など無いことを示している。
/市場管理に深い不信感を持つThe EconomistがOPECに反対するのは、合理的な根拠があるのだろうか? 石油産業が極端な寡占市場構造と政治的・安全保障的な判断で介入を繰り返してきた以上、管理体制を批判するのは、むしろ現実を無視したものではないか?
世紀湯の先物市場が価格動向を支配しているのであれば、問題はOPECではなく、金融市場の構造変化と国際投資の問題である。OPECに限らず、世界市場の価格形成に安定化機能を組み込みたいと考える主張は理解できる。
Slick OPEC
3月27日にVieannaで開かれたOPECの会合に、せかいのマスコミが集まった。
問題は、昨年、メキシコとノルウェイの支持を得て行われた生産削減が、1年間で石油の価格を3倍にし、1バレル約30ドルに上昇させたことである。消費者は憤慨し、インフレに直面している。アメリカは、他国に比べて価格に占める税金の比率が低いために、特に大きな石油価格の上昇を不満に思っている。アメリカ政府は(OPECに)一日あたり200から250万バレルの増産を求めた。
火曜日の深夜に達成された合意は、一日あたり150万バレルの増産、であった。IEA (International Energy Agency)やアメリカ政府は、この決定を歓迎している。リビアやアルジェリアのようなタカ派も満足している。イランでさえ、自主的な増産を発表した。
しかし、これはOPECの話し合いが成功したことを意味しない。合意は割当量に関するものであり、実際の生産量ではない。過去の削減合意も、割当の80%しか実施されなかった。今後も新しい合意をどの程度達成できるかはわからない。また、合意に参加しなかったイラクの増産も予測できない。今週、国連の制裁が緩和され、石油産業建て直しのための設備の輸入が可能になり、石油相は2ヶ月以内に一日あたり70万バレルの増産を達成できると意気込んでいる。
さらに、問題は需要側である。アジアの景気回復はどの程度続くのか? アメリカの消費者は高い石油価格にこの夏どう反応するか? OPECは6月に会合を開くが、彼らにできることはたいしてないだろう。
/国際生産者同盟の難しさは何に由来するか? それは自動車や半導体の生産者同盟とどう違うのか?
石油の富が国家の領土や政治的支配者の交渉で分配されていること。石油を消費するアメリカや先進工業諸国の消費動向。資源採取から輸送・精製・販売過程の組織化。
/現代の経済活動を特徴付ける二つの分野・傾向が分析されていると思う。一方は、Internetによる情報コスト、取引コストの削減であり、他方は石油価格の政治的な管理である。
Thailand: A walk on the depraved side
タイのリゾート地のホテルでは、子供を売春させる外国人旅行者が多くいる。男たちは子供にsexのため500バーツ(13ドル)を支払う、と地元の警察は話す。
バンコクには、子供の売春と取引廃止、を目指す団体がある。しかし、タイに子供を買いにくる外国の旅行者は増加している、という。それは「現代の奴隷貿易」とも呼ばれている。アジアでは25万人の主に女性と子供が売春を目的に毎年売買される、と推計されている。
タイの観光産業は、自国の観光資源としてタイの女性や子供が理想的なSexの受動的対象であると宣伝してきた。また、この地域の金融不況が、特にスラムにおいては生活改善の見込みもなく、売春を増加させている、と主張されている。
しかも、タイの警察や裁判所は、売春にかかわった外国人を取り締まることに明らかに及び腰であった。たとえば逮捕された日本人は、60万バーツ(160万円)を支払って釈放された、という。Internetによる児童売春の宣言は、法的に取り締まることも難しくなっている。
/なぜ子供たちが売春に向かうのか? 構造化された制約に従う、という社会科学の問題である。タイの金融・経済危機が影響していることも重大な問題である。通貨の下落は、ますます人間性を破壊し、外国に売れるものは何でも売ってしまう。
移行経済諸国や内戦状態の諸国、貧しい社会底辺の弱者として、子供たちが奴隷化されている。
/通貨価値の下落が、現地通貨で買えるタイの商品を、ドルが利用できる輸出企業や外国人旅行者にとって何でも安くした。他方、通貨危機のもたらした倒産や失業は、社会の底辺にある人々の貧困をますます深刻にし、子供たちでさえ外国人のためにバーやホテルで売られているのである。
通貨危機の経済モデルは、社会的な貧困や道徳的な破壊、こうして取引される多くの子供たちに対して、何らかの(説明=政治)責任を引き受けるべきであると思う。
South Africa: From apartheid to welfare state
なぜ郵便局の前の長い行列で死体が出るのか? 死者の家族は、彼がわずかなお金をもらうために行列したことをむしろ隠そうとする。
南アフリカ政府は、裕福な白人家族に課税して、それまで何もなかった黒人の村にも水道や電気をもたらし、さらに政府による給付は多額で、非常に多くの国民に支払われている。それはしかし、支給に際して管理上の問題と、貧しい者を貧しいままにさせる矛盾を伴っている。
地域によっては、社会給付の99%が支給されていない。官僚たちは業務時間に外部の金儲けで忙しく、仕事をしないからである。こうした官僚たちを解雇することは非常に難しい。また、給付は貧困地域の住民に渡されるが、多くの地域が貧困地域を裕福な白人地域に統合して新しく設置されており、黒人地域の官僚はしばしば極度に腐敗し、白人地域の官僚は黒人を自分たちの地区に入れないことを今も仕事だと思っている。行政区域の統合はまやかしである。官僚は多すぎるし、彼ら同士が信頼できていない。
道は悪く、バスはこない。給付を受けられる貧しい人々は、各村を回る年金給付代理受取人に買い叩かれるしかない。また、こうした社会給付が貧しい地域に新たな産業や雇用をもたらしているとは思えない。住宅補助金は毎年20万世帯に支給されているが、持ち家が貧しい地域から仕事を求めて移動することを難しくしている。引っ越すことで、今までの給付が打ち切られることもある。
/分断されてきた社会が新しい経済循環を築くには、まだ多くの問題がある。社会的な資源の効率的利用を妨げる障壁が多く存在し、政治的な転換を機能できない状況に追い込んでいる。日本とは逆の問題?
黒人社会に教育や社会インフラを整備し、新しい経済循環を構築する非常に有望な投資が急速に可能になる、という当初の希望は、いまや大きく後退している。
Internet Economics: A thinker’s guide
Internetが経済成長にもたらす効果について、経済学者の意見は分かれている。一方では世界的な成長の加速とインフレの死滅が予想され、他方ではInternet株価のバブル崩壊が懸念されている。
Internetの経済効果は、dot.com企業だけでなく、より広い経済に及んでいる。真実は両者の中間、すなわち効率を高め成長を加速させるけれども、現在のような株価上昇を正当化するほどではないだろう。Internetによる最大の利益は、生産企業ではなく、最終的には消費者に流れる。
IT革命が、企業の大幅なIT投資の増加(先進諸国の平均で年率12%)をもたらしているが、Internetは何が特に重要なのか? IT革命からどのような利益を導くのか?
Internetの経済効果は、石油危機の逆である。1970年代の石油価格上昇はインフレを加速させ、世界を不況にした。Internetは、もう一つの重要な投入物である、情報のコストを引き下げる。需要と供給の標準的な経済モデルでは、この変化は供給曲線の右へのシフトを意味するだろう。それは、鉄道や電気といった、革新の普及によって長期的な成長がもたらされたことと同じである。
もし需要曲線が一定であれば、価格が下落する。
投資銀行Warburg Dillon Readのエコノミストは、この新しい経済をthe “nude economy”と呼ぶ。なぜならInternetは取引の条件を透明にし、価格を比較して、企業から消費者までの仲介業者を減少させる。Internetは取引コストを引き下げ、参入障壁を弱めるだろう。
Ronald Coaseによれば、企業とは、市場における取引のコストを内部化して削減できることで成立する。Internetが取引コストを圧縮できるなら、企業の最適規模も小さくなるはずである。市場がますます完全競争モデルに近付けば、価格メカニズムによる資源の配分効率が向上する。
情報の流れが円滑になって、市場が効率的になるから、”new economy” の最も重要な効果は“old economy”をより効率的にする・生産性を高める、ということになる。
部門によっては、限界コストが低く、あるいはnetwork効果が大きいために、規模の経済が働いて独占を生じる場合もある。(皮肉なことにIT関連部門に多い。)Internetの取引への利用は、企業同士(B2B取引)で急速に拡大し、取引コストの削減を実現している。より安い仕入先を見つけ、供給網を短縮し、在庫管理を徹底するのである。こうして経済全体で、供給曲線は右にシフトしている。
このことはインフレや成長に何をもたらすのか? 供給条件の変化による均衡価格水準の下落は、貨幣的な現象であるインフレの水準低下と同じではない。また、Internetによる競争にさらされる部門では価格が下落するが、他の部門では上昇するかもしれない。生産性の上昇によって、豊かな諸国の産出が5%に高まり、その半分は10年以内に実現するとすれば、年率で0.25%、成長を加速させる。それは歴史的にも、総資本ストックの12%に達した19世紀後半の鉄道と現代のコンピューター/ソフトウェア/テレコムの合計と匹敵し、同程度の成長加速をもたらした。
さらに、供給曲線が右にシフトしても、需要が増加すれば価格は下落しない。Internet関連企業の株価上昇と資産効果で、需要曲線も右にシフトしている。産出が増加する以前にも株価上昇で需要が増加すれば、逆にインフレ率が高まることもある。
Internetによる生産性上昇の利益を実質賃金の増加として労働者にも分配するためには、むしろ物価は下落すべきである、と主張するFRBのエコノミストもいる。
アメリカの株価上昇は生きすぎであり、ブームの後には必ず崩壊がある。しかし、すべての技術革新がそうであるが、最終的な受益者は消費者であろう。他方、アメリカに遅れてIT革命を行っている日本や、高課税・高価格のヨーロッパは、制度改革が進めばCatch-upの利益をこれから発揮するであろう。進行経済も最適規模の低下した部門で、Internetによる世界市場向けの生産に参入できる。世界経済はいつまでもアメリカの一人勝ちではない。
/<Internet>の登場によって経済はどのように変わったか? それに対応して経済学もどう変わるべきか? この分析では、経済学は変わらない、と述べている。Internetは基本的に「情報」という基本的な投入物に関する輸送手段の革新であり、それは取引コストを減らし、仲介過程を短縮し、ますます効率的な実物経済を生み出すことで、「教科書的な」市場メカニズムを効率的に拡大し、機能させる。
しかし、もっとも重要と思われる産業間の独占化と競争激化、所得分配の不平等化、国家の中書いてきな安定化機能の排除には、特に何も言及していない。