IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

12/18-12/23


Financial Times, Wednesday Dec 13 2000

How to forestall international rescue

By Steve Hanke

IMFの消防士たちはアルゼンチンとトルコで通貨危機の消火活動に懸命である。昨年、IMF融資のモデルであったはずの両国へ、再び200億ドルが支払われた。

アルゼンチンは、不況対策としてIMFの経済プログラムを受け入れ、増税を行った。これで投資家の信認を回復し、金利が下がって景気は回復するはずであった。しかし、アメリカとユーロの金利が上がり、日本まで金利を上げたのに、アルゼンチンの金利が下がることなどありえなかった。

1991年以来、アルゼンチンは「コンヴァーティビリティー」制度を採用してきた。この見慣れない制度は、カレンシー・ボードに似ているが、多くの点で異なっている。中央銀行が守らねばならないコンヴァーティビリティー法は、中央銀行のペソ通貨債務を、その100%のドル建資産でカバーすることを求めている。従って、中央銀行の資産がその通貨債務を超えたとき、外貨準備と通貨債務の1対1の対応関係は破られる。また、コンヴァーティビリティー法は、中央銀行が制限された最後の課して機能を果たすことを認め、中央銀行が商業銀行の準備率を規制し、ドル建準備の3分の1までアルゼンチン国債を、その通貨債務の準備として保有することも認めている。

その結果、ペソとドルとの完全な統一は損なわれた。ペソへの投機は起こったし、金利はドルに比べて常に高かった。この問題を解決するには、アルゼンチンがペソを廃棄して経済を完全にドル化することである。そうすれば、エル・サルバドルのように、金利は下落するだろう。

オーヴァー・ナイトの銀行間金利が2000%に達したトルコは、IMFが生んだもう一つの大失敗である。歴史的に高金利に苦しむトルコは、昨年12月、40億ドルのIMF融資とともにディス・インフレ計画に合意した。その中でIMFは、中央銀行がNDA(純国内資産)水準を目標とするように要求した。従って、中央銀行が供給するベース・マネーが変化するのは、中央銀行における外国為替の流出入の結果、資産の外貨建部分が変化したときだけとなった。

それはカレンシー・ボードに似ているが、そうではなく、法的な強制力もIMFとの合意だけであった。1961年以来、IMF17回の協定を結んで、そのすべてを破棄してきたトルコにおいては、このような似非カレンシー・ボードなど無意味である。

中央銀行がこのルールに従う間は、このお守りが効いてインフレと金利は大きく低下した。しかしその後、外貨準備が流出すると、117日に中央銀行はルールを無視した。マネタリー・ベースの外貨部分が失われたことに応じて、逆に、流動性を追加供給したのである。

トルコは、似非カレンシー・ボードを廃棄し、本物の法案を通すべきである。正統的なカレンシー・ボード法は、最後の貸し手機能を禁止する。さらに法律の実行を保証するために、政府がトルコ・リラのプット・オプションを契約してはどうか。こうして政府は、ユーロに対してあらかじめ決められたレートで交換する保証を与えるのである。政府は、カレンシー・ボードを維持する強い動機を持つだろう。もし切り下げれば、莫大な罰金を課されるからである。

さもなければ、トルコの苦境は続き、IMFの融資は再び失敗する。

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The Economist, December 2nd 2000

Responsible regionalism

自由貿易の世界に至る道は一つではない。APECやASEANが最近の会議で主張したのはそういうことである。WTOの貿易交渉が進展しないために、オーストラリア、日本、メキシコなどが多角的自由化から離れ、中国さえ地域主義に傾いている。しかし、それは多角的交渉をさらに遅らせ、特に小国の利益を損なう恐れがある。

地域主義の要求がアジアから起きるのは理解できる。アメリカとEUとの対立、そしてアジア諸国の自由化に関する消極姿勢は、何もしないより、地域主義を議論しておくほうが良い。同様に、メキシコはEUと、シンガポールはニュー・ジーランドと二国間合意を行った。それは二国間で障壁を減らすが、必ずしも世界貿易の自由化につながらない。貿易転換が起きるからである。

それゆえ、地域的もしくは二国間の自由化交渉は批判的に見なければならない。さらに、本当に地域主義が世界の自由化につながるのか? またブロック内の自由化に取り組む一方で、WTOの交渉が遅れることはないのか? 現在は、アメリカなどが両方の政策を同時に進めているが、次第に大国ほど二国間の交渉を重視するようになるかもしれない。そして貧しい小国にとって重要な多角的交渉は無視されるだろう。


Latin America: The slow road to reform

一世代前には、アルゼンチンのラ・マタンザは経済の希望であった。保護関税と補助金で新しい工業地帯が建設されつつあった。しかし今では、ラ・マタンザの工場の多くは空っぽで、廃棄されている。10年前に世界市場へ開放された結果、競争に生き残れなかった。

ウォル・マートの輝きのほかは、何もまだ起こっていない。しかし、130万の人口の約10万人が失業し、36%は貧しい。安物の店が並ぶ表通りを少し入れば、そこは掘っ立て小屋の集まる、ねずみが走り若者は賭博に耽る、裏通りである。

アルゼンチンは深い苦境から抜け出そうともがいてきた。労働者の不満が高まり、11月には南米を南北に貫く3号線道路を封鎖した。各地のストライキは職場の維持や食糧支援、より多くの学校を求めているだけである。その指導者達は「新自由主義」を批判する。

アルゼンチンはインフレ抑制に努力し、マクロ経済の引締めと貿易自由化を進めた。外国投資家に市場を開放し、弾力的な労働市場、民営化、政府部門の縮小・効率化を進めた。それはIMFや世銀の強い支持を得ていた。1980年代にラテン・アメリカ全体で民主化が進められた。それは、1980年代に債務危機が成長を破壊し、ラ・マタンザのようなそれ以前の国家による工業化を放棄した結果でもあった。

しかし、市場経済が上手く機能するには、市場開放や価格弾力化以上のものが必要であった。税制、法律、資本市場などで、制度改革が重要である。この10年間、ラテン・アメリカの成果わずか年平均3%の成長であり、各国は失望を強めた。改革を進めた諸国(チリ・アルゼンチン・ボリビア)は、そうでない国(ヴェネズエラ・エクアドル)よりも、インフレ抑制に成功したが、貧困の解消には成功しなかった。世界銀行によれば、ラテン・アメリカとカリブ海地域の人口の36%が1998年に1日2ドル以下で生活し、それは1989年の38%から、それほど低下していない。また1日1ドル以下で生活する人口は、同様に、18%から16%になった。

さらに、ラテン・アメリカはブームと崩壊の循環から抜け出していない。1994-95年にはメキシコが、1997-98年にはアジアからブラジルに波及した切下げが、この地域を不況に落としこんだ。経済の苦境は民主化をも後退させている。しかし、この地域の人口の半分、GDPの60%を占めるメキシコとブラジルでは、改革が大きく前進した。

問題は、経済改革だけではラテン・アメリカの根深い弱点が解消しないことだ。第一に、外国資本への依存、第二に、国内所得分配の不平等、である。外資の流入に依存することが、この地域の成長を非常に脆いものにしている。危機が予感されれば証券投資は急減し、回復後も直接投資はメキシコやブラジルに集中する。不平等を緩和するには教育制度に投資し、国によっては土地改革も必要である。政府は課税と支出の点で、経済効率を損なわずにもっと平等を実現できるだろう。

資本流入の減少、経済の不安定性、深刻な貧困、低すぎる貯蓄率、少数の輸出財に依存し、不安定な国際価格と通貨の過大評価に苦しむラテン・アメリカは、何を必要としているのか? 第一に、財政政策は引締め、政府貯蓄を促す。しかし、不況がくれば社会的な支出を増やすべきである。第二に、銀行監督を厳格に行い、バブルを防止する。同時に資本市場を育成し、特に中小企業の透明性を増し、資金調達を促す。最後に社会的なセイフティ・ネットを整備する。

この十年間、ラテン・アメリカは間違った古い政治に動かされてきた。経済改革を進めても、独裁的な政治はそのまま残された。インフレを抑制することはできても、制度の改革は一層難しかった。伝統的なポピュリズム、権力の私物化、汚職は、容易に解消されなかった。むしろ、こうした古い政治体質に依存することで改革は進められた。

改革は真空で生じない。正しい経済政策だけでなく、正しい政治と制度が必要なのである。


South-East Asia’s problem trio

政治的な危機が改革を遅らせ、東南アジアの株価を下落させている。しかし、タイ、インドネシア、フィリピンの市場は小さいとはいえ、そこに3億5000万の人々が住んでいる。1997-98年の経済危機が過ぎて、貧困層は50%増加し、8500万人以上になった。

いずれの政府も企業の債務を処理できなかった。そして投資家だけでなく、近隣の諸国もこの事態に見切りをつけ始めた。特にシンガポールは、より有望な太平洋諸国と二国間協定を結び始めた。にもかかわらず、ワヒド大統領は華僑を非難したり、シンガポールへの飲料水供給を停止すると脅したりしている。

しかし、彼らの栄えた時代は永久に去ったのだ。金融的なバブルが崩壊したこととは別に、その理由は中国が急速に経済力をつけていることである。安価な労働力を集中する製造業では、直接投資のほとんどを吸収してしまうだろう。インドネシアもタイもフィリピンも、生き延びるためにはより良い教育と、民間も政府も資源をより効果的に利用しなければならない。もっと有能な、責任ある政府が求められる。


China and ASEAN: The best things in life

シンガポールでASEAN10カ国との自由貿易協定を提案した朱鎔基首相は、猫のようにそつがなかった。ASEANの指導者には不和が生じていた。ASEANによる貿易自由化が遅れる恐れがあった。今こそ、まさに中国が指導制を示すチャンスであった。朱首相は、ASEAN+3の会合で、この地域全体の自由圏を、いわば東アジア共同体として、EUやNAFTAに対置する考えを示した。

しかし、合意までにはまだ多くの時間がかかるだろう。ASEANは10年で提案されている自由化をできるかどうかも問題だが、日本が農業保護を緩和するとは思えない。しかし、中国にとってはリスクがなく、非常に大きな利益があるだろう。

中国政府にとって、食糧や資源の供給を確保することは、ますます重要な問題となっている。タイは食糧を、インドネシアは石油やガスを供給できる。それは日本が1970年代に模索したことである。他方、ASEANは中国の製造業にとって脅威ではない。底なしの低賃金労働力、規模の経済と、急速に拡大する国内需要を考えれば、中国市場は無敵である。

直接投資も、証券投資も、シンガポールを除いて、中国は自分達が世界化の最大の勝者である、と考えている。

<コメント>

人生最良の日、として、金大中大統領が、朱鎔基首相と森首相とにはさまれ、三人で笑顔を浮かべて握手している写真が載った、と思いました。なるほど、韓国の大統領のことか、と思いました。国内では厳しい批判もありますが、外交面では、理想以上の成果を上げたわけです。

しかし、記事の内容は、中国の世界化をアジア地域は避けられず、その影響は特にASEANで深刻だ、というものです。中国よりも自由化を遅らせることはできず、かといって自由化だけでは中国に勝てない、というのです。私はむしろ、中国経済が外部に依存する度合いを深めることで、国際的な協調の可能性と、破壊的な影響のリスクは、ともに高まったと思います。それは結果的に、アジアの自由市場化を進め、日本の指導力は確立され、地域的な制度化がますます重要となる、と思います。もちろん、日本が常に正しい選択をできれば、ということです。


Clouds over the countryside

1997年、トニー・ブレアはグロスターで選挙キャンペーンを開始した。そして、トーリーの地盤であったはずのグロスターとその近隣の議席を、一世代ぶりに労働党が獲得したのである。新しいホワイト・ペーパー(政府報告書)は、これが逆転する悪夢を意識したものであろう。

表面的には、この地域は最も繁栄した田舎に見える。ロンドンから出た南東部で、美しい景観を誇り、失業率も1%である。しかし、グロスターのもう一つの顔は、家畜市場で示される。建物は老朽化し、パブは荒れ果てている。農業を「多角化」し、「ビジネスの構造を変えよ」と勧めているが、要するに「農業は諦めろ」というのだ。グロスターの家畜市場はかつてイギリス第二の規模があった。今では、週に二日開かれるだけだ。

農民の困窮は「地方危機」の一部である。地方は都市の貧困と剥奪の隠し場所となっている。コッツウォルズの住民の所得水準は低く、教区の半数近くに店も学校もなく、バスも来ない。それらは寄宿村落になってしまった。都市の金持ちが通う別荘地である。週末以外は、完全に死んだ状態になる。彼らは美しい景色を求めているのであり、職場ではない。

政府はその両方にアピールしようとする。そこで働く者にも、そこに泊まりに来るだけの者にも。しかし、前者にとって、後者は不動産価格を引き上げ、若者を奪い、おまけに税金を半分免除されている。ホワイト・ペーパーはこの免除を各議会で廃止することを許した。労働党は、これで地方の支援者が喜ぶことを願っている。

同時に、追加の予算を毎年3000戸の「社会住宅」建設に充てようとしている。政治的には、これは手堅い変更である。労働党に投票するはずの無い改装に課税して、地方に配分する。しかし、長期的には週末の寄宿舎はこの景観が失われることに気付くかもしれない。地方の成長を促す政策は、醜い集合住宅をもたらす。民間の開発業者も、規制が緩めば、もっと安い借家を多く建てるだろう。農業用地は転用され、転換に何の支援も得られない農民たちは、週末を過ごす金持ちにサービスを提供するしかない。

選挙サイクルに合わせた変更が、このすばらしい景観よりも、今は重要なのだ。

<コメント>

グロスターシャー(Gloucestershireと書きますが、「グロセスターシャー」ではないのです)のコッツウォルズCotswoldsをドライブして、私もその美しさに驚嘆しました。

なぜ、これほど美しい景観を残しているのか? きっと貴族的な政治家や富裕層は、世界各地を植民地化して、自分の国では狩猟や酪農を楽しんでいたのだろう、と思ったものです。日本の都市計画や景観保護を嘆いたりもしました。長期的、社会的な利益は、民間だけでなく、政府でも容易に守ない、と思うと残念です。


Semiconductors: America, memory-chip Lazarus

半導体産業の繁栄は移りやすい。1980年代後半には日本企業によって廃業させられたはずのアメリカ企業、アイダホのマイクロン・テクノロジー社が、今度は日本企業や韓国企業を追い抜きつつある。その復活は、反ダンピング規制などの政治介入よりも、シリコン・ヴァレー型エクイティー・ファイナンスがもたらした。

半導体のチップを生産するには、莫大な資本(一つの新工場建設に10億ドル以上)が必要であり、資金調達力が競争で勝利を意味する。アメリカ企業は株式で資金を調達するが、日本や韓国の企業はより多く債務に頼った。10年前は、債務と株式との優劣がはっきりしなかった。韓国企業も日本企業も、コストのかからない融資を豊富に利用できたからである。しかし、アジア金融危機後は、アメリカの株式市場型モデルが明らかに優位になった。特に、債務は順調なときも不調なときも負担が変わらない。しかし、この産業は循環が激しく、その結果、債務型企業は半導体景気のピークで新投資を拡大しやすい。他方、株式型企業は循環のそこで投資して、売上を増やす生産力を準備できる。

マイクロン社は、ライバルのテキサス・インスツルメンツ社や、債務処理に苦しむ神戸製鋼からも、メモリー・チップ事業を安く買取った。今まで想像もしなかったことだが、まだ始まったに過ぎない。


China’s chip making: A giant sucking sound

大田?氏は、中国最大の半導体工場を動かしている。彼は日本人であり、その企業は日本のNECと中国の国営企業との合弁である。中国が半導体生産に参入することは、日本、韓国、台湾を不安にさせる。

中国には半導体関係の工場が進出ラッシュである。このブームは、従来のタブーも打ち破っていく。江沢民主席の息子が、台湾の有名な富豪実業家の息子と、上海の新工場建設でパートナーを組んだ。台湾製不は、こうした技術が中国の軍事技術に転用されることを心配している。

中国の半導体ブームはもっぱら市場の産物である。現在、6800万台の移動電話が、2004年には25000万台になる、と予想されている。また供給側でも、この産業に不可欠の良質で安価なエンジニアの余剰が存在する。中国のエンジニアは、既に日本よりも多く、エリートとして優秀である。その給与は3分の1から4分の1でしかない。上海には清潔な水の供給も豊富である。台湾のように地震の心配も無い。知的所有権など、法の整備は弱点だが、それも加速させるだろう。

唯一の障害は、技術移転を阻む政治的なものである。アメリカや日本の企業はそれを重視している。しかし中国が自国市場を満たし、さらに世界を半導体輸出で満たすのは、もはや宿命であろう。


New Zealand’s Economy: Can the Kiwi economy fly?

ニュー・ジーランド経済を、多くの人が誤解している。それはかつて、世界有数の保護された規制過剰の経済であった。1980年代から90年代の初めにかけて自由化論者のお気に入りになり、マーガレット・サッチャーのイギリスよりも劇的な市場改革を実行した。それは「太平洋のポーランド」からもう一つの香港を目指したのだ。

1984年の改革から16年を経て、その成果には失望を感じる。「ニュー・ジーランドの実験は失敗だった」とFTでジョン・ケイは述べた。国民の多くも、改革は行き過ぎであったと考え始め、税率や民営化、規制などを、部分的に後退させている。

しかし、ニュー・ジーランドは1950年代に世界で3番目に豊かな国であったが、改革前は20番に落ちていた。特に、1970年代の石油ショックと、イギリスがEUに加盟し、貿易特権を失ったことが重要であった。当時の政府は、農業や工業への補助金を含めて、財政支出を大きく増やし、大規模な産業投資を行った。インフレ率が上昇し、政府や価格や賃金、家賃を統制した。

GDP比8%の財政赤字、9%の経常収支赤字に示されるように、1984年までに、ニュー・ジーランド経済は維持不可能なコースを進んでいたのだ。それはOECDの中でもっともゆがんだ経済となった。

1984年以降、労働党政権の大蔵大臣となったロジャー・ダグラスは、「ロジャー・ノミクス」と呼ばれる改革を行った。為替レートを変動させ、為替管理を撤廃し、金融市場を規制緩和した。関税を削減し、輸入許可制度を廃止した。所得への限界課税率を半分の33%にした。農業や製造業への補助金をなくし、政府の多くの事業を民営化した。彼が退いてからも改革は継承され、特に雇用契約法を改正し、賃金交渉は個人を基本にした。

マクロ政策の枠組みでは、1989年に中央銀行が、インフレ・ターゲットをともなう金融政策の決定に、完全な独立を勝ち取った。また、財政責任法は、予算作成に明確な将来への影響を示し、透明性を高めることを求めた。1994年以降、政府は財政黒字を出し、国債依存率をGDPの50%から20%にまで下げた。

改革は誇張された面がある。しばしば政権の後半では改革が減速したし、その出発点が過度に保護された経済であったから、改革後もイギリスより進んではいなかった。また福祉国家が廃棄されたわけでもなかった。また、平均成長率で比較するのは、以前の政策が持続不可能なものであったから、適当ではないだろう。そして、改革による期待が大きすぎて失望をもたらしている。今まで過剰な保護と介入を必要とした経済が、市場によって活発に反応するはずも無かった。

しかし、少なくとも、三つの失敗が指摘できる。まず、市場改革の順序が間違っていた。為替レートや金融市場は、財政赤字やインフレが抑制された後で行うべきであったし、財市場や労働市場の規制緩和もできていなかった。そのために、インフレを抑制する金利上昇が大きくなって、資本が流入し、通貨は過大評価された。それは多くの産業を破壊し、新規投資を損なった。規制された労働市場で失業も大幅に増加し、1980年代後半と90年代初めの不況を深刻なものにした。

第二に、中央銀行のアジア危機に対する引締めが強すぎた。アジアへの輸出が落ち込んだときに、こうして国内融資も削減された。さらに、ニュー・ジーランドは、市場からの距離という、より深刻な不利益を被っていた。

ますます統合化される世界で、ニュー・ジーランドの規模と距離から来る不利さは決定的だ。それを克服するには、決して自由化に遅れることなく、有望な投資先であり、優れた熟練労働者の住む国として、生き残る道しかない。

<コメント>

ラテン・アメリカやコッツウォルズの改革にも、何か共通した問題が残っていると思います。たとえば、自由化や世界市場を重視することが、なぜこれほど決定的・致命的であるのか? たとえ通信分野で最適な規模が世界であるとしても、その利用者は大きく偏っているでしょう。通貨の覇権戦争といっても、金融ビジネスの方針は一握りの金融機関や政府が争っているのです。他方、農耕や酪農、さまざまな地域のサービスや肉体労働に支えられた業種は、ローカルなつながりが重要です。政府の最適規模も、決して世界ではありません。

世界市場統合を何よりも優先するのは、この雑誌の欠陥だといえるでしょう。


The ethics gap

環境保護論者は経済学者に倫理的な非難を繰り返すが、それは経済学を誤解しているし、明らかに間違っている。

まず、経済学は環境保護という目的の道徳性を問題にしていない。それは資本主義資を社会・経済システムとして賛美するわけでもない。他方、資本主義は個人の自由な選択に依拠しており、経済学はそれを支持する価値判断を含んでいる。

経済学者は、汚染を減らすために、それを市場で売買できるほうが良いと考える。なぜなら、そのほうが汚染を出す個人が自由にその削減を工夫して、対策に必要なコストを減らせるからである。

京都議定書は、その削減コストが不明であり、コストが大きくなりすぎて合意を失効させるべき上限を決めなかった。それは、約束を守れなかった国への処罰を決めていないことともに、この議定書の実行を大きく損なっている。より慎重に対策を講じたほうが、結局は、より少ないコストで削減できるかもしれない。

環境保護論者も、コストという問題を考えるべきだ。