IPEの果樹園 2000

今週の要約記事・コメント

11/20-25

ここに紹介するThe Economistが届いたとき、まさに森政権への海外の不信を主要な理由の一つとして、加藤紘一が内閣不信任案に反対できない、と発言しました。実際、New York Times やFinancial Timesの日本政府に対する酷評は今までになく激しく、日銀の金利引上げも政府の大幅な財政赤字も、なにもかも愚行が支配する国として辟易し、呪詛されていました。

円高や株価が政権を揺さぶることは過去にもあったでしょう。しかし、海外のメディアや日本からの資本流出が政府退陣の直接の引き金となるのは画期的なことです。自民党政府は国民に語り掛けることを怠り、どうすれば既存の支援団体に依拠して確実に再選できるか、制度や区割りの操作で政権の維持を図ってきたと思います。

日本経済新聞(11月14日朝刊)に「株価共振(上)」という記事が載りました。昨年後半から日米の株価が共振を強め、今年に入ってからはナスダック総合指数と日経平均の相関係数が0.8を超えている、と言うのです。世界の資本市場が統合化すれば、投資の基準だけでなく、政府の評価にも、国際的な投資家の基準が求められるでしょう。野中幹事長や橋本派などが闘っているのは、世界の主要メディアや国際的な機関投資家の評価であり、潜在的には国際的な銀行取り付けや資本逃避です。

クリントン大統領やブレア首相が、自国にとっての重要な問題とは何かを果敢に示し、それを解決する姿勢を通して議論を高め、敵対する勢力を和解させる交渉にも自ら加わったことは、政治指導者たちの気概を示しています。他方、森首相は言葉を慎むように幹部に言われ、ブルネイで無難な外交辞令をこなし、帰国してもテレビにはほとんど出ません。

改革の具体策をもっと議論し、政治家はもっと選挙に訴えるべきだと思います。森首相が解散・総選挙を選択することは、最後に残された日本政治の気概かもしれません。


New York Times, November 15, 2000

RECKONINGS: A Mexican Standoff?

By PAUL KRUGMAN

そのとき、制度的革命党PRIのメキシコ・シティー市長であったカルデナスは、党を分裂させてポピュリスト的な選挙運動を行った。かれは大きな支持を得て第一次選挙で勝つかと思われたが、突然、開票が遅れ始め、コンピューターが奇妙な故障を起こした。結局、カルデナスは、ほとんどの人がその勝利を確信したのに、PRIの候補サリナスに敗れた、と報告された。それを法的に告発する制度は存在しなかった。

他方、国境の北、アメリカは問題を抱えている。

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The Economist, November 4th 2000

The drift in Japan

連立内閣で日本を支配する自民党の老人たちが何かしてくれると期待している者など誰もいない。しかし、自民党の基準で見ても、その余りの低調ぶりで、3ヶ月続いた森内閣が衝撃に変わりつつある。党内からあからさまな反対がおき、新聞は彼を嫌悪し、彼の側近である中川官房長官はセックスと収賄のスキャンダルで辞任した。1980年代に、自民党の政権独占が危うくなって以来、森は最も人気のない首相となった。

計り知れないアジアの混沌においても、この内閣を単なる笑劇・ファルス以上にしているのは、それが巨大な、病んだ、そして潜在的な危険をはらむ日本経済の上に立つからである。ようやく成長が戻りつつあるようだが、まだ回復は弱く、デフレや公的な債務累積、そして外からの衝撃に脆弱なままである。しかし、森がすることと言ったら、お喋りと問題の放置だけである。経済の改革は延期され、棚上げにされた。政府は恐るべき財政状態を無視している。日本が何もしないなら、それは危機を意味する。今年だけでも、金融再生の大臣が4人も代わった。今や、81歳の相沢がその席を占めている。

日本のより深刻な危機は、政府の正当性それ自体である。自民党やそれと連立する保守系政党は、国民の多数の意見を代表していないし、それに近づくことさえない。地方の有権者は免税や保護で甘やかされ、選挙制度によって都市住民の3倍も議員を送り出している。都市住民は法外な金を支払わされているのだ。老人は若者を犠牲にして職場と年金を確保する。生産者が政府を牛耳り、消費者は無視されている。沸き起こる不満を押さえ込むための費用は莫大である。関西国際空港のように、公的な資金を注ぎつづけて、日本の「土建国家」はゆっくりと泥沼に沈みつづけている。

繁栄期には、合意による統治が日本人をまとめてきた。しかし不況期には、それが権力者をその責任から免れさせる。銀行も、企業も、そして首相でさえ、その責任を取ろうとしない。自民党の権力は首相になく、分散し、隠されている。

野党も十分な代替策を示していない。民主党の最大部分は旧自民党議員である。日本にとって新しい政治が生まれる希望は、自民党の中から、改革派の加藤紘一や、若手の塩崎などが現れたことであろう。そうでなければ、有権者は主要政党を支持しなくなるか、棄権するだろう。日本が民主主義国家であることを、自民党は嫌っている。正当性に訴えることがない以上、自民党は誰かを責めるのではなく、敗者の政治を強める。だから、規制緩和は決して進まない。

何かが起きるだろう。東京都知事になったナショナリストの石原慎太郎が権力を狙っている、と恐れる者も外国にはいる。しかし、中国の脅威がなければ、日本人は一層外国人を受け入れるだろうし、世界に敵対するようなことはないだろう。むしろ、現状から何か新しい政治秩序が誕生するのではないか。政党が再編されて、有権者に効果的な選択を示すべきだが、政治家たちはそのようなリスクを冒したがらない。

結局、自民党自身が再生を実現するのかもしれない。規制緩和と消費者の利益に従う政治を、彼らは今まで以上に追求するしかないのだから。


Crunch time

もしThe Economistがアメリカ大統領選挙に投票できるとしたら、ジョージ・W・ブッシュに入れるだろう。

ボアBoreとグッシュGushとの対決だったような気がして、狼狽を覚えるかもしれない。The Economistは、ジョン・マッケインが選挙資金問題の改革を訴えたことに、また彼の国際問題に対する明確な視点に、より強い感銘を受けた。またゴアが、副大統領候補としてクリントンに逆らってジョセフ・リーバーマンを指名し、リーバーマンが道徳的に高い観点と教育問題などを結びつけた点に感銘を受けた。しかし、それは今では関係ない。ゴアかブッシュかを選ぶことである。

第一に、どちらの候補も、大統領の職務をはたす資格を欠いていないか? ブッシュには不安がある。しかし、レーガンがそうであったように、正しいセンスを急速に身に付けた。

次に、変化(政権交代)を妨げる意見は乗り越えられるべきか? アメリカの長期にわたる繁栄は、意外にも、ゴアに苦戦を強いている。国民は、正しくも、この繁栄を政府のおかげと思っていない。企業家とアラン・グリーンスパンによって好況は維持されているから、ブッシュの「小さな政府」が繁栄を脅かすと思わない。逆に、ゴアはビッグ・ビジネスを批判し、労働者のための戦士を演じた。ブッシュの大型減税は無謀だが、国民はお金を得られるし、ホワイト・ハウスに入れば修正し始めると思っている。

さらに、ブッシュ側に味方するもう一つの可能性がある。今後、数十年で、アメリカは人口が高齢化し、社会保障や年金制度の改革を必要としている。また、この数年で、公教育の欠陥があらわになり、この国の拡大する不平等が問題となるかもしれない。どちらの候補も抜きん出た政策案を示してないが、政権交代を目指すブッシュの方が、こうした問題に新しい考えを積極的に取り込んでいる。

大統領としての気概を試すより良いテストは、彼らが内外の危機に対して、どのように指導力を発揮するか、を見ることである。国内では、不況と株価暴落が起こりうる。金融政策に完全な自由を保証し、議会の保護主義を退けることができるか? どちらの候補も、聖アランへの信仰を翻しはしないだろう。しかし、保護主義反対に関しては、ブッシュが優れている。ゴアはペローとの論争で、自由貿易への支持を疑わせた。

他方、海外の危機に対しては、ゴアが優れている。ゴアは外交を熟知しているが、ブッシュは素人である。たとえ優れた参謀がいても、自ら明確な線を引き、関与の程度や同盟関係を築かねばならない。どのような外交政策のチームを任命し、最初の危機にどう対処するかを見るまでは、判断できない。


America’s Choice: And now, Mr President…

1月20日に就任演説をする新しい大統領は、アメリカの輝かしい未来を描くだろうが、三つの重要な国内問題に答えるべきである。すなわち、社会保障、医療保険、公教育、である。それは気の進まない課題であろうが、解決のために最善のチャンスは今しかない。

もうすぐ1945−65年に生まれた戦後最初のベビー・ブーム世代が引退し始める。今後20年で退職者の数が増え、社会保障やヘルス・ケアが行き詰まる。こうした支出を支える労働者の数は、受給者一人当たり今の3.4人から、2040年には2人に減少する。今が解決のための最善のチャンスである。経済は好調であるし、財政黒字が大幅に発生している。

ブッシュは、大きな政府よりも国民の選択を信頼する、という。ゴアは、減税額を控えて国債の減額に使う、という。また、今の社会保障制度や医療保険制度、公教育を支援するために政府が支出する。地固めか、改革か、が問われている。

ブッシュは、新しい分野に市場を拡大する。社会保障制度を部分的に民営化し、資金を民間の退職準備勘定で運用させる。教育でも、民間への選択を拡大する。ヘルス・ケアでも、退職者が異なった保険を購入できるようにして、民間の保険を処方箋のある薬代の支払にも適用する。

今年は2370億ドルの黒字を達成し、今後10年で2兆2000億ドルという莫大な財政黒字の予測が、活発な議論を引き起こした。しかし、その予測の前提は間違っている。その前提とは、a)不況はない、b)生産性上昇は永久に続く、c)議会は黒字が予想されてもあらかじめ使わない、である。ゴアは議会の民主党議員が要求する支出を加算していくだろう。またブッシュも、制度改革や大幅減税、ミサイル防衛構想など、野心的過ぎる政策の中で、さしあたり大幅減税を実行するだろう。

二人とも、社会保障制度に関して十分な真実を語っていない。ゴアは制度の破産を遅らせるだけで、将来の展望を示せない。ブッシュは部分的な民営化が必要とする、既存の社会保障制度からの資本流出と追加の公的支出について語らない。


Sierra Leone: The UN’s frontier force

フリータウンにイギリス軍が到着し、シエラレオネの首都に市民の生活が戻りつつある。しかし、すでに警報が響いている。12000人余りの国連軍の半数、しかも最良の半数を占めるヨルダンとインドの軍隊が帰国しようとしているからだ。交代の軍隊は準備できず、しかも乾季が迫っている。それは戦闘の季節である。

5月にナイジェリアが指導する西アフリカ軍が撤収したときも、RUFなどの反乱軍は攻撃を強め、国連軍兵士を誘拐し、フリータウンに迫った。イギリス軍が介入に踏み切ったことで、首都は、子供の手足を切り落とす、という反乱軍の蛮行を免れた。

首都を守ることが国際介入の限界なのか? 当分はそうであろう。国土の3分の2、ダイヤモンド鉱山を含む北部と東部は反乱軍が支配している。それ以外の地域でも、防衛を任された民兵の質は反乱軍とさほど変わらない。選出された政府は弱体で、尊敬されておらず、海外からの援助の分配に頼っている。アメリカはナイジェリアの軍隊を、イギリスはシエラレオネの軍隊を訓練しているが、政府軍が全土を掌握するまでには長い時間がかかる。

国連軍は、政府と反乱軍との和平協定を監視するために派遣されたが、合意が破られてから戦闘の前面に立つことになった。安全保障理事会の意見は分かれている。イギリスは、特に中規模の諸国に国連軍を派遣するよう強く求めている。しかしどの国も、国連軍の指揮のもとに自国の軍隊を置くことは気が進まない。また派遣する用意のあるバングラデシュやガーナの軍隊が、その人数に比例して、ヨルダンやインドの軍隊と同じ働きはできないだろう。

長期的には「和平交渉」を再開するしかない。しかし、リベリアのチャールズ・テイラーやRUFの指導者たちが交渉を担えるのか、彼らの分裂によって分からなくなってきた。さらに、戦闘地域は北部に拡大し、ギニアへ浸透しつつある。RUFは国境を越えて難民を襲い、テイラーも反乱軍を利用してリベリアの反政府勢力を襲わせている。シエラレオネから西アフリカ全体が不安定化する様相にある。


Japan’s Economy: Asia’s so slow express

日本はうまくやっているように見えた。1997年の全面的な銀行破綻は回避された。財政支出で景気は持ち直してきた。ようやく民間部門でも成長が始まった。しかし、この数ヶ月は、病み上がりの経済に厳しいものとなっている。

構造改革は確かにいくつか進んでいる。銀行は合併し、大企業もリストラを進めているし、ハイテク産業が新しい成長分野となっている。しかし、18ヶ月で60%上昇した株価が、再び昨年末から下落し始めた。日経平均は今週、1999年初め以来初めて14500円を割った。日本の投資家を包んでいた楽観が消えたのである。

トヨタやホンダは積極的なリストラ策を示した。しかし、多くの日本企業には改革を実行する指導力がない。日本の不快感は永田町に示されている。経済がまだ病んでいるのに、森首相は次々と改革を後退させた。彼は党内の掌握に忙しいようだ。連立政権で自民党の指導力は低下した。財政赤字と国債の累積は前途に脱線・転覆事故を予告しているが、それを解消する道について話す者はいない。

成長は非常に偏っている。コンピューターや移動電話、その他のハイテク製品に対する需要は急増している。そして製造業はその部品供給に潤っている。しかし、IT関連投資を増やしつつも、アメリカのように企業全体を再構築することはほとんどない。先端的な分野は外部に発注している。そして、日本ではいつもそうであるが、どの企業も横並びに過剰投資を行う。こんな投資ブームはもう終わりかけているようだ。

ハイテク分野以外では、化学や鉄鋼など、重工業は過剰設備を抱えている。商社の改革も中途半端で、建設会社、宅地開発、大型小売店など、どこも巨額の債務に苦しんでいる。10年以上経っても、バブルの後遺症がなくならない。最も重要なことは、消費需要が弱いことだ。雇用状態は回復しつつあるが、大企業のリストラはまだ不十分で、賃金やボーナスを削っている。失業水準も高いままである。年金制度やヘルス・ケアの将来、GDPの110%を超えた日本の累積債務が、消費者を不安にする。これ以上の政府による大幅な財政支出も、将来の支出削減と増税を予想させる。

デフレが現在の消費を抑制する。長期的な土地価格の下落は止まらない。巨額の債務を残した倒産が日本人をおびえさせている。8月の金利引上げは、3つの懸念を将来に残した。

1.弱体な銀行が日本を再び金融危機に追い込む。:倒産とその債務を残して、銀行融資は増加している。資産価格は下落している。銀行のコア・ビジネスで収益が上がっていない。銀行への反発から、企業の倒産を招くような融資の打ち切りができない。しかし、政府の企業支援策は終わる予定である。日債銀と長銀を国有化したことで、政府が大銀行の倒産を排除した以上、銀行の信用は改善された。しかし、その中身は弱まった。

2.石油価格の上昇。:日本の回復が輸出に依存している以上、貿易相手国の不況は深刻な影響をもたらす。

3.アメリカの景気が減速する。:アメリカの景気が悪化し、株価が下落すれば、日本にとって重大な市場が失われる。たとえば日本の自動車産業は、輸出の約40%がアメリカ向けである。

日本政府の債務は「デット・トラップ」に陥る心配がある。すなわち、債務増加が金利を高め、それがさらに債務を増やす、という悪循環である。債券市場はそのような心配をよそに1.8%の低水準であるが、成長が長く落ち込めば、将来への楽観も消えうせる。日本が破産の淵から復帰するためには、数年に渡って2%を超える成長が必要である。しかし、日銀の山口副総裁は、日本の潜在成長率が2%以下であると認めた。

今までに行われた改革に比べて、日本が成長を取り戻すためには政府に多くの仕事が残っている。少なくとも、郵便貯金と住専の金融改革、NTT分割とテレコムの市場開放・公的な規制、法律サービスの開放、電気・ガスの規制緩和、土地売買を促す固定資産税・相続税の改正、競争政策と系列解消、農業と建設業への市場導入、である。

不況、金融危機、国債累積にもかかわらず、日本人は改革の時間がまだ残されていると思っている。日銀幹部が述べたように、「国債の金利が2%もないときに、政治家に改革を訴えるのは難しい。」しかし、事態は多くの予想よりも早く変わるだろう。


Bouncing back?

誕生後、22ヶ月を経て、ユーロは最安値を更新している。最近の数ヶ月は、しかし、改善の兆しがある。アメリカ経済は減速しそうであり、協調介入も実施された。サダム・フセインが、石油輸出の代金を「悪魔の金」、つまりドル、ではなくユーロで受け取りたいと主張した。

ユーロ安の主要な理由は、ユーロ圏も含めて、世界中の投資家がアメリカをヨーロッパよりも成長する地域と考えていることであった。アメリカへの投資の流れを逆転させることが何か起きるだろうか?

外国企業は、経済だけでなく、法律、税制、制度においても、アメリカをユーロ圏よりも企業買収に有利と考えている。よりアメリカ的なイギリスでのM&Aのほうが、フランスやドイツでよりも簡単である。しかし、M&A資金が為替レートに与える影響には疑問がある。MITのドーンブッシュは、M&Aが現金ではなく株式で支払われているから、為替市場の需給に影響しないだろう、と指摘した。現金で支払う場合でも、既に保有するドル預金やドルの借入で支払うかもしれない。

M&Aより証券投資のほうが、多分、為替レートに影響する。しかし、証券投資のピークは過ぎたようである。アメリカへの資本流入は減りつつあり、海外投資家のユーる最購入がネットで生じている。しかし今のところ、石油価格の上昇、ハイテク株の下落による外国からの資本回収、ユーロへの失望、が強い。

経済学者は20〜30%も過小評価であるというが、ユーロの回復はまだ始まっていない。ブッシュが当選すれば、その経済政策顧問であるローレンス・リンゼーが先の協調介入を非難したから、ユーロはさらに安くなるかもしれない。

ユーロが急速に回復するとは誰も思わないが、楽観論者はアメリカの株価よりもヨーロッパの株価のほうが、自国通貨建てでは上昇してきたことを指摘する。もしヨーロッパの投資家がそのことに気付けば、アメリカは経常収支赤字を今ほど容易に融資できないはずである、と。

結局、ユーロの回復はアメリカ経済が本当に減速するかどうかにかかっている。ユーロが底を打つとしても、それはまだポンドに代わる強力なスーパー・カレンシーが誕生するわけではない。


Fannie Mae and Freddie Mac: Capital winners

ファニー・メイとフレディー・マックは、アメリカ金融市場において「自由市場」と「政治的分配」とを跨いで繋ぐ二つの巨大企業である。それらは議会に機敏に働きかけて、納税者の富を奪ってきた。過去2ヶ月で株価は50%も上昇し、金利は財務省証券にますます近づいた。

これら二つの機関は、小さな銀行や貯蓄組合が発行したモーゲージ証券を資本市場に転売する機関であり、こうして貸し手はリスクを減らし、流動性を得てさらに貸付ができる。問題は、これらが現在、民間の企業と同じように株式を発行してNYSEで取引されていながら、国営機関であったときの特権を保持していることである。両者合わせて1兆ドル以上の貸付残高がある。

その政府による保護を批判していたグリーンスパンの発言も、二つの機関の完全民営化にはつながりそうにない。彼らは、金利やデフォルトに関する透明性を高めて、格付け機関の審査にも従い、危機に備えて3ヶ月分の流動性を維持し、劣後債を発効して資本を充実させ、それを通じて市場の変動に注意を払うことに合意した。

こうした方法も、市場は政府が二つの機関に支援を与えると考える限り無駄であろう。政治家は入れ替わるが、ファニー・メイとフレディー・マックは拡大しつづける。

<コメント>

債券市場の育成を政府が行うことが、現在の市場型金融システムを支えてきた。政府は市場を育成し、健全な秩序の維持に責任を持つ。しかし、資産市場の崩壊や国民の多くが住宅を失うようなことは受け入れられないだろう。