IPEの果樹園 2000
今週の要約記事・コメント
11/13-18
*******************************
生協が配ってくれたカタログで、偶然、アメリカン・ドリームを象徴するようなゲートウェイの歴史を見ました。1985年に2人だけで設立した会社が、今では世界中で2万1000人を雇用し、350の直営店を持つ。1998年の累計出荷台数は3540万台、年間総売上75億ドル、というのです。企業買収などによる活発な既存資源の再配分、資本市場の旺盛な資本供給意欲、新規参入の自由さ、顧客へのサービス、特に製品情報の質、信頼、といったものを感じます。アマゾンもですが、コンピューターやインターネットに関わる新しい企業家が社会を変える力に驚きます。
確かに、製品の評価や使い心地、本当に自分に必要なものは何か、それに代わる技術や将来のリスク、特に、それが納得のいく価格なのか? といった疑問は、パソコンやIT関係の製品に必ず付きまといます。不安と不満、そしてその後の深い疑いが残るのです。誰かもっと消費者の立場で意見を集約し、各企業の製品を公平に吟味し、注文をつける団体や企業があっても良いはずです。技術の変化や価格について、一人一人の消費者に納得のいく条件を提示することは、競争的な個別の生産者にはできないと思います。
欧米には優れた消費者団体や、AAAのような自動車に関わる団体、があるようです。どのような不利益に関しても、彼らは決して黙っていません。団体を結成し、経済的利益と政治的な圧力を行使して、企業でも制度でも変えてしまうのです。ハイテクに関しては、巨大な利益をもたらす企業として成立するほど、その不満が高まっていると言うことでしょう。もしこうした消費者型・新企業が生産者や大手の販売店を凌駕するとしたら、基本的に消費者の求める製品と価格を実現するために、個々の企業は競争するでしょう。そしてまた、マイクロソフトのような技術独占は解体されるかもしれません。
日本では、それ以上に、不満の高い分野があります。それは政治です。政治家は、その効き目の分からない高価な薬を売りつけます。しかも病に苦しむ人ほど、そんな「偽薬」を求めます。誰に投票すべきか? どのような理由で支持したり、反対したりするのか? 政策や主張の根拠、コストと利益、予想される障害、代替的な手段、などを示して、個々の政治家と政党、成立する法案、などを比較すれば、国民はきっと明確な意思表示をするでしょう。
日本の政治にも、ゲ−トウェイやナップスター、AAA、アマゾン・コム、などがあれば良いと思います。The Economistが加藤や小泉といった政治家を支持するのも、永田町の旧来の政治家とは異なる、明確な言葉、を求めるからでしょう。
Financial Times, Thursday Nov 9 2000
The dangers of protectionism
Martin Wolf
世界経済統合は1世紀前にも存在した。しかし、それが維持できるかどうかが問題である。
第一次世界大戦前にも、現代と同じく、経済的自由主義と輸送・通信コストの低下が経済統合を促していた。国内貯蓄と投資との相関は、1880年から1910年の方が、それ以後のどの時代よりも低く、世界資本市場の統合化が実現していた。イギリスは、1870年から1914年にかけて、GDPの平均4.6%を海外に純投資しつづけた。
しかし、1914年から1945年に至るまで、この統合された世界経済の旧バージョンは崩壊した。反自由主義思想と政策の失敗が重なったのである。1909年に出たノーマン・エンジェルのThe Great Illusionは、その原因として政治的な権力を重視し、この時代に個人的自由よりも集団的なものが賛美されたことを指摘した。第一次世界大戦が自由主義的秩序を揺さぶり、大恐慌がそれを破壊した。アメリカのスムート=ホーレ関税、ナチスの政権獲得、第二次世界大戦が続いた。
その後、アメリカは復興し、世界貿易も再生して、1950年から1998年までに世界生産は5倍、商品輸出は18倍以上に増加した。とはいえ、1970年代のスタグフレーションで、ケインズ主義的なマクロ政策と介入主義的なミクロ政策は高所得国で弱まり、発展途上国でも内向きの国家計画は破綻し、ソビエトとともに19世紀・20世紀初頭型の反自由主義思想は壊滅した。
連続する技術革新は、情報や財、サービスの世界的交換が潜在的にもたらす利益を大きくしている。多国籍企業と24時間型の金融市場は、それなしにはやっていけない。しかし、1914年から1945年の歴史は、逆転する可能性を示している。現代の「ネオ・リベラル覇権体制」はデタラメである。自由主義的考え方は世界で十分に受け入れられず、基礎が弱い。経済活動の多くの部分が市場の外にある。多くの国で、市場の規制は着実に増えてきている。
自由主義に敵対する現代の「ニュー・ミレニアム集団主義」とは、「深緑」の環境保護主義、極端な平等主義、「中世の地域(荘園)経済」に戻ろうとする反グローバリズム、科学や超国家資本主義を侮蔑する脱近代化論、などである。
他方、現代の政策失敗は、アメリカ経済が1920年代と似てきたことだ。急速な経済変化と金融市場の浮揚策である。さらに、多くの周辺経済が中心部の金融的混乱に対して、極端に脆弱になっている。ウォール街の株価が暴落したとき、自由な資本移動と貿易による「すばらしい新世界」が耐え難い不安定性と破壊力を示すことになるかもしれない。
確かに、現代の自由主義は帝国的な支配の拡大を反映していないし、国家間の対立が解決不能になるとは思えない。そして何より、今では誰もが1920年代・30年代のマクロ政策失敗を回避すべきことを理解している。
それでも、世界の自由主義的秩序を守るためには、人々が新しい機会を利用できるように支援するべきであろう。平和と有益な経済的交換を世界享受しつづけるには、政治的指導者たちがその責任を負うべきである。特に、アメリカの新しい大統領の責任は大きい。
New York Times, November 10, 2000
PUBLIC INTERESTS: Call It a Tie
By GAIL COLLINS
太陽いっぱいのフロリダでわずかな票差が大統領を決める? どんなごまかしや失敗が出てくるのか? 互いに非難がエスカレートし、投票制度を不信の渦に投げ込んでいる。どんな選挙も、それが意図的な詐欺で無い限り、互いの健全な意図によって完成する。彼らが争いつづければ、結局、来年2月には、コメディアンのテレビ司会者ジャン・レノがこの国を治めることだろう。
この選挙は基本的に引き分けであったのだ。両者はそれを認めるしかない。感謝祭の後まで、誰しも休日に出かける。その時間を活かすことだ。
New York Times, November 10, 2000
FOREIGN AFFAIRS: Original Sin
By THOMAS L. FRIEDMAN
次の大統領がブッシュなら、国務長官はクリントン、国連代表はリーバーマン、内務省長官にはゴアを任命すべきだろう。もしゴアが大統領なら、パウウェルを国務長官、チェイニーを国防省の長官、ジョージ・W・ブッシュは教育長官に任命すべきである。冗談ではない。もしアメリカの政治が機能するとしたら、それは国民統一政権を作ることだ。かつてイスラエルでペレスとシャミルが選挙で引き分けた後、彼らは本当に4年間政権を担ったのだ。
ブッシュが大統領になっても、本当は負けたのだ、と言われるだろう。大衆はこうした政府に従わない。ベトナム戦争以来、見たことも無い暴動の危険を心配する。ゴアが裁判に訴えて勝ったとしても、裁判官が選挙結果を決定することは不快な印象を残す。共和党の下院も上院もゴアを政治的に抹殺するだろう。
なお、ラルフ・ネーダーは必ず北朝鮮の初代アメリカ大使にしてほしい。彼が信奉する正気でない経済思想、すなわち超保護主義・自給自足・反市場・反グローバリズム・反多国籍企業、がどのような不幸な人民を生み出すか、じかに体験させるべきだ。
…[このネーダーさえいなければ、ゴアがしっかり当選できたのに!?]
Financial Times
Saturday Nov 11 2000
A perfectly balanced country
政治は中道を目指している。両者の争いは真の激戦となり、勝者がいない状態となった。アメリカは崩壊する、と考えるよりも、アメリカも極端を嫌う国となった、と考えたほうが良い。
誰が大統領になっても、その正統性は疑わしい。クリントンの言葉を借りよう。「人々は発言した。彼らがなんと言ったかを決めるのが政治家である。」投票者はイデオロギーよりもプラグマティズムを求め、対立よりも妥協を求めている。両者の選挙運動自体が、中道を奪い合ってきた。ブキャナンもペローも消えてしまった。
結局、ゴアは少し大きな政府、ブッシュは少し小さな政府を主張したが、投票者は無茶な減税も連邦政府の肥大化も望んでいない。共和党の長老議員が健康を害すれば上院の共和党支配は維持できないし、下院の優位もきわどいものだ。クリントンは、妻の楽勝よりも、弾劾裁判に導いた共和党の主役たちの落選に喜んだことだろう。カリフォルニアでは(ブッシュの)スクール・バウチャー導入が拒否され、(ゴアの)公立学校への追加支出が認められた。コロラドでは中絶の規制強化が拒否された。また、カリフォルニアでは、犯罪者をすべて刑務所送りにする法案を蹴飛ばし、麻薬中毒者の入院と待遇改善を支持した。
レーガン=サッチャーの保守革命は、すでに右派だけでなく、中道左派の伝統として確立された。1980年代の市場型経済学は、すべての発達した西側経済において、政治指導者の信念となり、誰も大きな政府など求めていない。他方、1960年代の社会革命も保守派は受け入れた。個人性格に対して、保守派の政府といえども、注文をつけることはできない。
大統領も政府も、確実な支持基盤をもはや持たなくなった。平和も繁栄も、次の選挙を勝つ保証にはならない。アメリカの大衆は、新しい大統領を傷つけるつもりは無く、制約を課したかっただけであろう。これは、時代の気分が調整される際の危機なのである。
Washington Post, Friday, November 10, 2000; Page A01
Looming Fight Could Take a Painful Toll
Florida Recount
By David Von Drehle and David S. Broder
決定的な勝者はいない。どちらも敗者となるのが嫌なだけだ。集計において絶対的な正しさと言うものは無い。弾劾裁判の危機以来、アメリカの「合意による統治」という概念が脅かされている。この数日で問題を解決できなければ、人種暴動の危険さえある。
しかし、たとえ選挙がいかさまでなくても、投票にはミスや混乱、失敗が付きものである。それは政治家なら知っていることであり、多くの失敗があっても、相殺されると考えるしかない。しかし、これほどの僅差なれば、その結果にどこまでも厳密な正確さを期待できない。どこかで一方が敗北を受け入れるしかないだろう。
システムの正統性を守ることが重要である。人々は公正な手続きを求めている。南フロリダにジェシー・ジャクソンが現れて、投票において人種差別的な不正があったと触れたことに、両派の政治家が注意した。
*******************************
The Economist, October 28th 2000
Our constitution for Europe
The Economistが考えたヨーロッパ憲法の草案である。EUが限りなく条例や政府間の協定を積み重ねて「より緊密な統合」を実現することに、集権化した官僚制による規制の増大を心配する。また、各国の市民は、自分たちの主権が脅かされていると感じる。
EUの基本条約とアメリカ憲法の言葉を模して、ヨーロッパ憲法草案を示した。EUは、その目的や権限を、どこにも明示してこなかった。それは示されるべきである。
この草案ではEUの政治構造が各国政府によって構成されるthe European Councilに集中する。EU規模の政策を決定するのは、この会議である。欧州委員会 the European Commissionは、官僚組織として、これに従う。閣僚会議the Council of Ministersの新しい投票システムを決めて、閣僚たちがそこで何を決めたかを公開する。欧州議会the European Parliamentの規模を大幅に縮小し、各国のより実質的な代表が、効果的に話し合える場とする。そして新たに各国の議会の代表からなる the Council of Nationsを創って、このEU憲法が守られるように監視する。それは、EUの活動がその市民に対して責任を負うことを明確にする。
この憲法では、政府がEUに権力を付与し、またそれを拒否できることを示す。各国がEUから離脱する権利も認めている。そのため “Ever closer union”という目標は採用しない。
EUは、その意味で各国政府の協力機関であるが、超国家機関としての性格ももつ。しかし、それが行えるのは、加盟国の完全な支持が得られた分野だけであり、それ以外は賛成する国だけでグループを形成して実施することになる。
この憲法は「補完性の原理」“principle of subsidiarity”を支持する。また、EUの財政支出は、独自の課税ではなく、各国からの移転によって行われる。憲法は、加盟国が全会一致で修正を求め、各国の市民も国民投票で支持すれば、修正される。また、ヨーロッパ裁判所の権限は強化される。
<コメント>
アジアでも、市民が国境を越えて自由に移動し、どこでも自分が住む国の政府を選ぶ権利を、共通の憲法で認めるようになれるだろうか?
Colombia’s nervy elections
投票は、むしろ地方での戦闘を激しくしている。選挙の実施は民主主義の保証にならない。
都市の外では、そこに人口の大部分が住むが、左右両派が選挙を勢力拡大に利用している。すでに20名の市長候補が暗殺され、52名が脅迫によって立候補を取りやめ、50名以上が誘拐された。コロンビア市長連盟によれば、武装勢力による介入は1089の選挙地区のうち600に及ぶ、という。戦闘が行われなくても、武装勢力は投票所を取り巻き、住民を威嚇できる。
パストラーナ大統領は2年前からFARCゲリラとの停戦交渉を進めてきたが、その成果は暴力の蔓延でしかなかった。
Banks in Trouble: The biggest they are
アメリカの通貨監督官局Office of Comptroller of the Currency(OCC)は、連邦準備銀行や連邦預金保険公社the Federal deposit Insurance Corporation(FDIC)などとともにアメリカの銀行を監督しているが、その担当者、ギボンズ氏は、アメリカの銀行融資のリスクはここ数年で増大してきたと警告する。
たとえばシティ・グループのような、最大の、最も洗練された、優れたリスク管理を行っているアメリカの銀行でも、その疑いには根拠がある。近年、銀行危機は世界中で繰り返されたが、アメリカにも三つの憂慮すべき問題が存在する。すなわち、1.不良債権の増加、2.資本市場の混乱、3.テレコム企業への貸し付け集中、である。投資家がテレコム企業の証券を購入しなくなれば、格付け会社もそれらを格下げし、新しい資金調達にはコストが増え、流通市場でも価格が暴落するだろう。銀行は資産再評価により大幅な損失を出すことになる。ヨーロッパのテレコム各社は政府が関わっており、キャッシュ・フローには問題ない。だが、アメリカでは違う。
アメリカの銀行の収益は見かけだけである。過去4年間の収益率は平均16.5%と、国際的にすばらしい。しかし、それはより大きなリスクを意味している。規制緩和で銀行は国際業務を広げ、商業銀行も投資銀行業務に参入した。同時に、競争が過熱し、リスクを回避できなくなっている。人々は株価上昇に浮かれ、資本市場は高度にリスクを処理するとともに複雑になり、ニュー・エコノミーへの盲信がはびこっている。
銀行も企業も、レバレッジが増大している。大手の銀行がハイテク・ヴェンチャー企業に大量に投資している。ナスダックの下落で、こうした銀行の利益は吹き飛んだ。ジャンク・ボンド市場への投資も流動性が枯渇して、値段がつけられない。株価下落は債券投資信託の解約と資金流出を促し、IPOもできなくなった。消費者金融や住宅証券市場でさえ、担保としての自動車や住宅の価値を楽観的に評価しすぎている。
面白いことに、多くの銀行の融資責任者が最近数ヶ月に引退している。事態が悪化する前に逃げ出したのではないか。債券市場の不履行は単純だが、銀行融資の不履行は銀行の判断で引き延ばすことができる。銀行は強制されない限り、自分の利益に反することをしない。ところが、貸倒引当金の積み立てに関する金融監督者の判断は一致していない。
銀行は、アメリカでもヨーロッパでも、融資を拡大しすぎており、株価やテレコム企業の先行きに大きな不安がある限り、銀行の脆弱さはぬぐえない。
Asian currencies: Falling again
パヴロフの犬はもっと速く学んだだろう。東アジアの中央銀行と大蔵大臣たちは、再び投資家の信頼を裏切り、通貨価値を下落させている。彼らは本能的に介入や中途半端な声明を繰り返し、失敗している。しかし、今回は通貨危機の破局にまで至らないだろう。
フィリピンの政治不安が最悪のケースである。財政赤字削減に失敗し、IMF融資が受け取れない。介入と金利引上げでも役に立たず、外貨準備は足りない。台湾は少しましである。台湾の株価は電気産業に依存しすぎており、外資が流出するにつれて、政府はその株価を維持するために介入した。投資家は、来年の不況が不良債権を増やし、銀行破綻につながることを心配している。政府による株価維持も投資家の信頼を傷つけた。
3年前に危機を引き起こしたタイは、フィリピン・ペソの下落に連れて下落した。さらにタイの政治的混迷が原因となっている。中央銀行の選択肢は限られている。金利を引き上げるのは、弱い銀行を破産させる危険がある。外貨準備があるのだが、政府が矛盾したメッセージを送りつづける限り、その効果は少ない。混乱は選挙後まで解決できない。
A Survey of Mexico: After the revolution
制度的革命党PRIの71年に及ぶ支配を終わらせた国民行動党PANの指導者ヴィンセント・フォックスは、メキシコを本当に改革できるか?