Thursday, June 18, 1998

Dr. Cohenとの対話(『貨幣の地理学』をめぐって)

日米の協調介入は必要であったし、為替の安定は非常に重要だ。しかし、世界が公式に三極通貨体制・地域通貨圏を目指すと思わない。

地域通貨圏は望ましく無い。通貨の安定は、必ずしも為替を固定することでは実現できないし、為替を固定するとそれ以外のマクロ変数に歪みが生じてコストを生じる。各国は特定の国と特殊な財だけを固定的に交換しているのではない(それは、ごく少数の重要でない発展途上国に限られる)。現実には多くの国と多角的に多様な商品をしかも多国籍企業の水平分業によって大量に交換している。(為替を地域内で安定化すると、逆に個別商品や特定の相手国に対しては不安定化することになる、という意味だろう。)

通貨秩序が集中し、一元化と階層化を押し進めることは、各国経済や貿易が多様化することと必ずしも矛盾しない。それは特定通貨(例えばドル)が永久に、あるいは長期的に権力を維持できることを意味しない。資本市場は特定通貨によって支配されてはいないし、そうなる可能性も無い。貿易取引に占める通貨建の割合で見ても、証券投資の割合で見ても、(著書に示したように)特定通貨(ドル)の支配は弱まる傾向にある。為替市場ではドルの割合が大きいが、それは固定されるようなものではない。(例えば、個別主体の通貨選択によって、ドルと円の使用比率は容易に大きく変動する。) 現在の通貨間競争は、階層的でありながら、短期的にも急激に利用通貨の割合を変化させる。それゆえ、特定通貨(ドル)の権力を示していない。

為替の安定化を重視することと通貨秩序の短期的な競争的・心理的な変動との間には対立があるかもしれない。為替相場による(経常収支不均衡の)調整は半年や一年以上かかるのに、投資家は将来への予想を大きく変えるから変動幅が大きくなる。自由貿易と資本移動の自由化は同じではない。実際、J. Bhagwatiは自由貿易を強く支持しているが、資本の自由移動を同じ理由で支持することには反対した。それはまだ証明されたことが無い、と(Foreign Affairsの論文をコピーさせてもらった)。

為替の安定化といっても、いろいろな方法が考えられている。固定制から全面的な変動制までの中間段階に、Crawling PegTarget Zoneなどいろいろな工夫がなされている。アルゼンチンのように短期資本移動を制約する規制(一年以上の投資期間も義務づける)も一定の成功を収めている。しかし、公式の通貨協定が国際的に合意される可能性はほとんど無い。実際、ますます多くの国が特定通貨との固定的な取決めを離れて変動制を採用している。各国はもっとも適当な通貨秩序を自主的に選択するために、自国通貨政策と主要通貨間の選択で自由を確保しようとしている。

通貨秩序を選択する場合、その利益とともにコストを考慮すること、そしてたとえTobin Taxのように利益が期待できても、その実行性が乏しいものは実現できないこと、に注意しなければならない。さまざまな通貨秩序のコスト・ベネフィットをどのように推定し、比較できるか、自分にも答えられないが、それを示さなければ異なった通貨秩序の採用は提唱できないだろう。(日本が国際通貨協定を求める動きに反対したのだろう。)

地域的であれ、公式の円ブロックやアジア通貨圏が成立する可能性は非常に少ない。特に今回の介入でも示された円の弱さは、円を中心とした将来の通貨秩序を大きく後退させた。アジア諸国の貿易・通貨関係は決して閉じていない。日本の通貨政策は、より開放された条件で、明確に通貨秩序を安定させるような運営を示さなければならないだろう(日本の政策は大きく失敗し、それはアジアの危機を加速した上に、政策転換にも遅れ、結局、アメリカとの協調介入によってかろうじて安定化できた)。

(感想)

私の関心は調整過程の各国における「最適化」もしくは長期的な雇用確保と成長持続にある。その点で、すくなくとも通貨危機は大きな後退であったが、それは各国の政策が間違っていたのか、それとも資本市場が過剰に反応したのか、あるいは、資本市場は必要な調整を政府が取らなかったために過剰な反応を示したのか…?

必要な調整を、通貨危機なしに実現する仕組みがあれば、その方がはるかに望ましいだろう。為替を安定化する水準と調整(貿易や投資の不均衡による)への国際交渉、各国内の総需要管理(インフレ・デフレ回避)、構造調整への圧力と支援(産業政策・一時的な保護政策)、市場開放・技術移転、などは通貨危機と関係なく進めるべきであった。では逆に通貨危機が適当な調整を示しているだろうか? むしろ各国の過剰な・誤った調整が、競合する諸国の通貨危機を招くのではないか(感染)?

Prof. Cohenが地域通貨協定や調整基金の発想に強く反対する理由は何なのか? それは政府の硬直的な介入と非効率、権力関係の反映、調整の回避、多方面に渡る歪み、を予想するからであろう。しかし、十分明らかな過度の為替変動や短期的な混乱を回避し、大幅な不均衡を調整するのに、こうした問題が生じるとは思えない(危機管理として)。それは透明性と公的な権力の導く合意、政治的な説明責任を必要とするだけである。具体的にどれくらいの財政規模が必要なのか? それを用意するくらいならば、IMFに増資して国際的枠組みを充実させることに使える、ということか? あるいはアメリカ国内のIMF増資に反対する政治的流れに逆らえず、対案がないから反対するのか? IMF増資は、民間資本市場の拡大を中心に考えるアメリカがヨーロッパや日本と交渉する場としては適当でないために好まれないのか?