Thursday, May 6, 1999

朝、TVを点けると、Alan Greenspan FRB議長が講演していた。アジアに始まった金融危機は収まった、と断言した。生産性上昇に基づくアメリカ経済の堅調さを理解するように主張し、金融政策の現状維持を説得した。インフレが起きるとしたら、それは三つの場合である、と予測した。輸入物資が大幅に価格上昇すること。生産性以上に賃金が引き上げられること。生産性の伸びが鈍ること。(最初の要因は、記憶がはっきりしない。原油価格やドル安、海外の景気回復と商品市場の価格上昇、など、最も予測しにくい。)[後日、Santa BarbaraThe News Pressを読んでいると、この講演の要旨が載っていた。Greenspanが注意した最初の点は、株式市場のBubble崩壊がマイナス資産効果で消費を減らす、あるいは国際収支赤字が拡大し続けて、最後には金利の上昇を招く、という可能性であった。]

質疑の中で、Greenspanが保守的な経済学を信奉している、と言うことを、良く理解できた。彼はアメリカ経済の好調さと、ヨーロッパ・日本の低成長や不況を比較し、Lay-Offの必要性(あるいは必然性?)を明言した。経済活動の根本は革新を取り入れ、生産性を高めるように生産過程や流通を再編することである。彼は「創造的破壊」を強調した。そして、だれしも個人的には失業を回避し、企業は解雇を厭うかもしれないが、それは社会的なコストを伴うものであり、ヨーロッパや日本は低成長や不況と言う代償を支払っている。それは間違っている、と断言した。

アメリカ人は、あるいは市場社会は、こうした不確実さと不安とも、どのように日常の生活から排除してきたのか? 人々の移動や家族の離散、Communityの解体・再編、投資と保険、など、多くのショックや制度は、日常生活に浸透してしまい、それが当り前と割り切っているのであろうか? 確かに、人間の感覚は順応的であると思うから、たいていのことには慣れてしまう。問題は、その移行期に起きる深刻な神経症や狂気だけ?

Benとの対話

昼食を食べてから、少し遅れて送ってもらった。

Officeでは、Benが電話で誰かと話し合っていた。私は、長く会ってないね、と言い、Print OutしてきたResumeCopyしてくるので、待って欲しい、と言った。彼は、下のCorral Tree Cafeで話そう、と言うので、もちろんそこで会うことにした。

私が行くと、彼は友人と話し合っていた。Benも愛犬のZapataも、Campusでは必ず誰かに声を掛けられる。大変人気者であり、多くの者に好かれているのだ、と思う。

私はZapataが不自由しないように、芝生寄りの席に座って、彼らが来るのを待った。

まず、彼は日本の首相が来ている話をした。私もこの事は気になっていた。つまり、その重要度の低さが、である。世界経済の二大国が首脳会談を開いているのに、Top Newsどころか、そもそも記事にすらなっていない。日本が国際政治経済の変化を起こす力を全く失っていることに表現であった。

Benが感想を求めた。私は、Washington PostWhite Houseの歓迎Receptionを開いても、その出席者に重要な人物がまるで含まれていないことに注目していた、と言及した。彼は、それは日本の首相を困らせているだろうか? と聞くので、確かに国際政治の影響力を失ったことはマイナスだろうが、小渕首相の人柄・政治手法から言って、国際舞台で決定的な行動を示し、国内政治の圧力を得る・国内交渉の道具に使う、ということを目指しているとは思えない。むしろ、国内の改革や合意形成に、国内摩擦、特にアメリカのあからさまな圧力があれば動きにくいと恐れていただろうから、摩擦が無いのは好都合だろう。注目されないままで、むしろ安堵しているのではないか、と述べた。

Benは、New York Timesなどの最近の記事で、日本経済の回復の兆候を指摘するものが多くあるが、私はどう思うか? と尋ねた。私は特に何の変化も見ていなかった。日本の問題は相変わらず大きな根っことして残り、革新的な解決法が動き出したようには見えなかった。それはつまり、時間を掛けて、長い不況が人員整理や急投資の償却を行い、企業倒産や銀行整理が少しずつ進み、その間財政赤字は巨額に累積し、目立った回復も無いから、金融資産価格も通貨も上昇の勢いに乏しく、指導的な企業の再編成がわずかに希望をもたらす程度、と言うことである。政治も社会も制度的な革新を受け入れず、ながながと旧秩序の倒壊を支えて部分的な崩壊を繰り返しながら、新しい秩序に向けた合意形成を反復される小危機のたびに微調整していくのではないか?

何が良い材料か? 楽観論の基礎は何か? と聞き返すと、特に示されていない、と彼も答えた。私は、日本が長い不況を経ているからこそ(アメリカとは逆に)、その国内投資や海外市場への長期的な調整を行う好機が、上手く行けば、準備されている、と思った。上手く行けば、と言うのは、こんな長い不況の後に実際には期待しにくいから。短期的な調整では債務処理に比べて、多くの資質が企業に残るだろうが、この不況期に日本の生産システムは維持できたのだろうか? 新しい投資分野は開拓されただろうか?

確かに、日本とアジアでG.E. Capitalが大規模な投資を行い、海外投資家のCritical Massとなりつつあることを紹介した記事(FEER)を見た。投資に関する情報も、国際的な投資家集団の内部から日本企業の情報を得れば、それは日本の企業情報や大蔵省の説明よりも海外投資家の判断基準として有用であろう。

それが成功するか? と言うのは、その記事も説明するように、大きな限界を持つ。解雇や地域社会の解体が、結局、政治的な反発と改革の後退をもたらす危険を指摘した。日本企業は、解雇による資源の再配置ではなく、企業自身による積極的な生産物の革新Product Innovationにより、国際競争力を維持し、新しい市場を開拓してきた。

私の印象では、日本の企業や労働者、地域社会、政治家などの意識はそれほど変化していない。大量の解雇や企業の合併・分割・再編、外資の経営権取得・社長など重要人事の指名、国際資本市場による新規投資の調達、など、日本企業は欧米の企業が行っていることを十分に受け入れ・活用していない。私は、日本で広く尊敬ざれている指導的企業や銀行が(例えば、Toyota, Honda, Sony, Tokyo-MitsubishiSakura, Toshiba, Hitachi,などが)積極的な模範を示すべきだと思う。それと同時に、労働市場の移動性を高め、新しい革新を取り込む能力主義と社会的な調和を実現するために、政府・公的部門が今こそ積極的な民間部門の支援を行うべきだと思う。それは景気回復とともに断固取りやめる時限措置とすれば良い。(再編過程を一気に加速させるだろう。HirschmanNurkseの開発論。)[その時は悲観論しか伝えられなかったが。]

私が意見を求めると、Benは、民間部門が活発に新しい投資を増やしている、と言う点を紹介した。日本のある砕氷船(!)を作っていた造船所は、注文が減って、そのドックと技術を生かして、人工の大波を作るプールを浜辺に作り(?)、成功していると言う。彼は、日本の企業が解体や再編すること無しに、新しい生産物を生む能力に注目した。(この卓抜な例に後で苦笑した。日本が景気回復を遂げるには、砕氷船を必要とし、浜辺に人工の大波プールを作って需要喚起してでも、成長を呼び起こす必要がある。実際、それほど深刻なのであろうが…)

こうした話はBubbleの時期に良く聞いた、と私は問題提起した。当時も円高によって既存の生産を諦める企業があったが、その縮小を補うためにEntertainmentResort開発、ゴルフ場開発、海外不動産購入、などさまざまな分野に新規投資をつぎ込んだ。その結果は、ほとんどすべてBubble崩壊によって廃棄された。新分野の開拓が、今は成功するはずであるが、しかし、実際に新規需要が喚起されるまでは、資源が新しい投資機会に反応しているのかどうかは、慎重に考えておく方が良い、と私は応じた。

また、先日、たまたま読んだばかりの『週刊新潮』の記事で、「リストラ銘柄」として株価が上昇する現象を紹介した。日本企業が「リストラ策」を発表して、解雇者が多いほど、大胆な経営戦略と(特に外国の投資家から)歓迎され、業績が悪化しているのに、むしろ株価が上昇する。しかし、日本で優良な企業は今でも解雇しないのであり、大量解雇を行う企業は本当に深刻な資産内容や業績不振を抱えており、アメリカと違って企業の再構築から業績の回復は簡単には導けない。資本市場も現実の投資活動から離れた思い込みで動いている。

私の悲観論は、資源は位置の再編成を妨げる構造的・制度的な生涯が、日本にはまだまだ根深いだろう、と言う判断による。日本の労働市場や住宅・土地市場は、まだ過去のBubbleを凄惨・調整していないし、そこから学んで新しい生産や組織を整えていないと思う。(この話を指導的企業による上記の社会的革新能力に結び付けた。)

Benも私も、日本がいつまでもこうした低成長で停滞し続けるとは考えていなかった。日本の工業製品とその品質管理は素晴らしい。しかし、それが輸出を意味するだけであれば、日本はくり返し金融市場の根らいを招くことになる。私は、日本の再生を支持してくれるBenの主張にもちろん同感であったが、しかし、その印象は話す者の年齢によって全く異なるだろう、と注意した。私のように40前後以上のものは、高度成長に時代や、石油危機からの回復を、日本経済の優秀さと結び付けている。しかし、もっと若い者は、日本が大幅な黒字を蓄積し、アメリカを凌駕すると思われた80年代の大国意識を懐かしく思うかもしれない。更に、今の学生たちにしてみれば、彼らはここ10年も続く不況の日本経済しか知らないのである。金融市場の混乱と実物経済の低迷は、日本経済の新しい本質だと思っていても仕方ない。

私はKindlebergerの「活力」に関する歴史比較を思い出した。彼は賢明にも?各国が必ずしも活力を衰退させる過程で、再生できない理由はないことを、歴史から示した。しかし、その意味では、成功によって衰退過程を回避できなくなる国が多いことも事実であった。