199847日(火)

いずれにせよ、322日に関西国際空港を出発し、同日、Santa Barbara空港に着いてからは疾風怒涛の2週間だった。Cathedral Oaks Lodge5泊し、Sandman Inn3泊した。漸く、AIGISの自動車保険に入ってKB氏から購入したPrimath/Voyagerを運転できるようになった。さらに、KJ氏の借りていたお宅をShirly さんから$1500/monthで借りる契約をしたが、カーペットのクリーニングで待たされ、ようやく月末にWindsor Av. の家に入った。

ところが、電気・ガスなどの契約が継続できなかったため停電したままだ。やむなく山を越えてOutletの店があるSolvang1泊した。この週末はさらにLos Angelsまで買い出しに向かい、交錯する高速道路の世界を味わい、苦しんだ。ホテル・ニュー・オータニの近くも再開発でフェンスに囲われた更地が目立つ。帰りのUniversal Studioで時間がかかり、夜間の高速ドライブとなって、ますます神経を摩滅させた。

GoletaSanta Barbaraの地理は比較的分かりやすい。海と山に挟まれた神戸と大阪の北端を思わせる。その真ん中を走る101Santa Barbaraとつながっている。大学は空港と並んで海に面している。まだ古本屋は見つけていない。K-martや中古家具屋、そして週末のGarage Saleを回っては道具を揃えてきた。食料や衣類・雑貨はVons/Lucky/K-mart/Robinson May/Nikka/Indochinaなどへ毎日買い出しに走る。

Lodge/MotelJaccugi/Spaに入ること、Ming Dynastyで美味い中華料理が食べられることくらいしか、まだアメリカに来て満足できたことが無い。いや、土曜日の朝、Fishermen’s Marketで買ったCrabShrimpも抜群に美味しかった。Bank of AmericaChecking/Saving Accountを開いたが、CITIBANKの振込先登録がまだなので資金を移せない。買い物はいつもCredit Cardで支払い、T/CCheckも使う。

アメリカは自動車とテレビの国であると実感した。アメリカにはいろいろな人々が決して調和することなく混住している。それでも彼らは高速道路を制限速度(時速65マイル=約120キロ)以上で走るときのように、互いに接触することが死を意味すると知っているから、ぎりぎりの妥協を受け入れる。ケーブル・テレビは100チャンネル以上もあり、さまざまな世界のファースト・フード化された食事は何でも非常にまずい。ヒスパニックは肉体労働に従事するが、家事でさえ直接手を動かさないようにやたらにマシーンが売られている。女性はひたすら大きなバストを誇示し、超ミニ・スカートもよく見かける。通りを歩く者は浮浪者だけで、町は大量の自動車が制圧しているのに、異様に寂しい。衣食住の水準が日本に比べて特に秀でているとは思わない。膨大な無駄を共有し、大統領や政治の姿は見えてこない。