1998年4月28日

Universal Studioに行って、LAに泊まった両親や姉と合流した。

LAの平日の交通渋滞は予想以上に厳しく。7時に出発したのに9時になってもUniversal Studioには着かなかった。Liberty Canyon辺りから混み出し、そのうち完全に停止してしまった。片側5車線が見渡す限り自動車で埋まっている。あとはじりじり進んだり止まったりの繰り返しだ。

アメリカの交通渋滞は、きっと経済学者に少数の優れたアイデアと、多くは詰まらない独創の種を提供してきたのだろう。最初、70マイル以上でフリーウェイFWYを飛ばす内に、急に速度が落ち出した。しばらく行くと、一台の車がPoliceに捕まっていた。こうして交通規制は、そのまま放っておくと加速し続けて暴走する合成された誤謬を、適時、介入によって正常な状態に引き戻すことができる。ある意味では。アメリカの国内金融市場を支配する自由競争と介入の法則が、今や世界を支配する途上にある。命懸けで生き残る以上、人々は合理的であるしかない、と。

Studio Cityで間違ってFWYを出たが、ここでHoteに電話して、迎えに行けないことを伝えた。こんな調子じゃ、LAの真ん中に行って帰ってくるのに時間がかかり過ぎるし、これ以上運転するのも嫌だ、と思った。トイレを借りようとNews Standで聞いたら断られ、Gas StationではSureと使わせてくれた。くたくたで、左折するのも、右折するのも,上手く行かずにクラクションを鳴らされる。

やっとのことでUniversal Studioに着いた。駐車場からStudioまで歩いて、Annual Passのおかげですぐに入れた。久子と子供たちはTram Tourへ向かった。私は入り口に戻って両親らを待つことになった。

入り口に行ってみると、意外に早く皆着いて待っていた。LAからのTaxiは非常にスムーズに走って、私たちと変わらないくらい早く着いたようだ。Tramに先に乗ったことは失敗だったみたいだが、それから後は、子供たちが次々とAttractionに挑戦して、いろいろ見て回った。Back to the FuturesもJurassic Rideも非常に充実して面白かった。

しかし、この大量の観客を短時間にさばく工夫が施されているが、考えてみればベルト・コンベアーに乗っているブタの肉や自動車部品に変わって自分達が乗ったに過ぎない。アメリカ式の大量生産・大量消費の延長だ。待ち時間でも楽しめるようにしてあるのには感心した。身障者に優遇措置があるのも、戦争を繰り返す大国として負傷者を優遇するのが当然だからであろう、とも思う。

男の子はWestern、女の子はNicollodianを見て最後とした。5時頃から帰ったが、最初はやはりFWYが渋滞で時間を取られた。びっしり並ぶ自動車の赤い尾灯を見ていると、『風の谷のナウシカ』に出てくるオームの群れに似ていた。初め、死んだ虫の大群みたいだろ、と言ったら、誰かがオームが怒っているみたいだ、と答えた。

漸くオームの群れから抜け出して、その後FWYを70マイル前後で走りつづけた。Venturaを越えた辺りから夕闇に加えて霧が深くなり、ライトを点けた。いつもは美しい、長い海岸線を走る時も、ひたすら霧の中を、傍らの崖と色褪せた太陽の影だけ見てハンドルを固定しつづけた。