第5回/5月12日

今回のテーマは、Exchange-Rate Management and International Policy Coordinationであり、このSeminarの主題に最も近い。全体の印象はMundell-Fleming Modelの実際的な意味、政治的な文脈を考察することだった。

最初は皆から時事問題についての質問を受ける。Indonesiaが取り上げられた。Suharto政権はガソリンや食料の価格を引き上げて暴動を招いている。この政治的意味合いを、 Prof. CohenはMegawatiなどによる反体政党を公認し過ぎた点に注目した。反体制派は学生運動などに呼びかけてきたが、通貨危機がIndonesiaの社会的対立を深めて、政権を危うくさせている。

これに対してIMFは政治的文脈を読み違えたかもしれない。緊縮政策を受け入れても、権威主義的なSuharto体制は安定を維持できると期待したのであろう。IMFはSuharto一族による腐敗した独占構造なども問題にしたが、特に財政赤字を抑制するために、世界市場価格と乖離したガソリンや食糧の価格を引き上げるよう求めた。通貨の切り下げはさらに大幅な価格上昇を必要とし、それが庶民の生活を危うくして、政治的危機Riotsと一層の通貨暴落を招く悪循環に陥った。IMFは多くの国の不均衡調整策を手がけ、その多くでは暴動を引き起こしていないわけで、構造調整政策の可否をめぐ文献は多いが、Indonesiaはむしろ例外だ(例えばMexico危機では成功した)。

この調整政策に質問が続いたが、すべての政府が支出を増加させる強い意向を持つ中で、GNP比の財政赤字を削減するために、IMFからのMissionは交渉により非常に詳しい合意文書を定めてサインする。(さらにIMFの安定化策にとって、権威体制から民主制まで政治体制は異なるが、安定した政権が維持できることが重要である。しかし、行ってみれば民主化という政治体制の移行期Transitionについて、the PhilippinesやIndonesiaのように安定化策をどのように実行させるかは難しい。というようなことを話したと思う。)

為替安定化と国際政策協調について、ひとしきりProf. Cohenの“Passionate Love”という喩えで皆が盛り上がった。The Economist誌がWorld Economyを特集した号で、政策協調を“Passionate Love”に喩えたのは誰かという確認の電話をしてきたようだ。この記事のせいで有名になったが、これはProf. Cohenが奥様と離れて暮らしていた(本人はTufts Univ. 奥様はUSCにいた時に結婚されたとか?)頃に書いた表現で、一緒に住めたほうが良いということで今は二人でUCSBに移り、一つの家に暮らしている。しかし、通っていた頃とは違う共同生活の苦労もあるから、今ならあの表現は書かない? (あるいはそれで妻が考えた表現だ)とか話して皆を笑わせていたかもしれない…

国際政策協調論は、1960年代の主要な論争点で、R.Triffinから最近ではP.B.Kenenに代表される。Prof. CohenのThe Triad and the Unholy Trinityは国際政策協調IPCの政治学を解明するものである。他方、若手のM.Webbによる著書は、最近のこの分野の研究書では有数の優れたものである。

Prof. Cohenの求めに応じて、AlanがこのCohen論文を要約した。まずここでは、Mundellのモデルを政治学と接合するarticulateことに主眼がある。Mundell-Fleming Modelとは何か? 固定制では金融政策が無効になる。それはなぜか?

Prof. Cohenの説明は以前聞いたものと同じであった。すなわち、固定制下で金融政策を緩和し、通貨供給を増やせば、国内金利が低下し、資本移動(金融市場統合)が完全であれば資本が流出する。その結果、貨幣供給は減少し、金利は元の水準に戻るだろう。この点を外国為替市場の需要・供給曲線で示し、赤字国の中央銀行の外貨準備による自国通貨の買い支えが外貨準備の制約と国内貨幣供給の増加につながることを説明する。

変動制下では、金融緩和が資本流出をもたらして為替レートが減価し、これが輸出を促して赤字を減らしたり、国内支出を増やしたり、国内生産(雇用・所得)を増やす。それゆえ、金融政策は有効(一層強く有効)であろう。≪金融緩和の効果は資本流出で急速に失われるはずだが、自国通貨の減価は相殺されない。減価した水準の為替レートで国内資産が国際的に見て安すぎれば、資本が流入し、為替レートも回復する。こうした均衡回復過程は現実には不完全で不確実である。≫

Indexationについて質問があった。その根拠についてProf. Cohenは、国際的な相対価格の安定を維持するためだ、と説明した。すなわち、インフレ率が異なる諸国間で為替変動を安定化するには、インフレ格差を考慮して安定化するしかない。(それは必要であり、根拠もある。)

財政政策の効果について、固定制下では、財政支出の増大が金利を上昇させ(国内支出水準の増加が貨幣の需要を増やす、また所得の上昇が投資を増やす)、資本が流入して貨幣供給も増加する(金融引き締めが回避できる)。それゆえ固定制下では財政政策が非常に有効である。(後述)

財政政策の有効性は、その国が大幅な財政赤字を累積させている場合、異なるだろう、という点が質問された。≪財政政策の拡大が政府の累積債務に一層の金利負担をもたらすなら、政府は支出増加以上に金利支払いを国債保有者に増やす。そのような形で所得再分配を行うことになる。(また、将来の税負担を考慮するならBarroのRicardo原理も関係するだろう、と。)≫

一般に金融政策について理論が整理されているが、 Garrettなどは財政政策についても議論した。財政政策は制約される程度が低く(固有の移動しにくい課税対象がある限り?)、多くの国内政策は残るだろう。

現実の世界M-Fモデルは適用できるのか? 現実には当てはまらないが、金融市場統合は現に進展しつづけている。完全な統合市場は各通貨建資産の国内・海外市場(on-shore & off-shore markets)間ぐらいしかない。(そこでは金利の平準化が瞬時に達成される。しかし、各国間ではM.Feldstein & C.Horiokaの研究≪が示すような貯蓄率の格差が利子率を説明する? ≫ また、どこかでPhilips Curveにも触れたようだが、聞き取れなかった)

後で、Panda Expressの昼ご飯を食べながら友人のS氏と話したが、標準的なM-FモデルでもPhilips Curveが扱われるようだ。金融政策が実物経済の長期的均衡に影響を与えることを説明するには、事実上、多くの均衡点を仮定する。

Lauraが多く質問したが、彼女の関心事を再びぶつけた。なぜ各国は、資本自由化を自国の利益として選択したのか? Prof. Cohenは、資本規制を緩和し、解除していったのは各国政府であり、政府の決定であること、しかし、政府は自ら下した以前の決定の意図せざる結果の犠牲となっていることを認めた。問題はその他の選択肢がありえたか? である。Unholy Trinityが意味するように、政府は資本移動を規制するか、為替変動を無視するか、(通貨統合を含む)国際政策協調を進める、という選択ができたが、その他の選択肢は政府にとってコストが大きすぎたのである。資本の高い移動性(High Capital Mobility)は現在の国際市場の構造的特徴であり、国際市場に参加する利益を放棄しない限り、これを拒むことはできない。それでも例えば、J.Tobinのように資本移動に課税することを考えたり(現実性はないが、という態度)、実際にChileのように、外国から国内に投資する場合、一年以上の長期預金を義務づける国もある(かなり成功している)。国際政策協調を実現できる社会的・政治的統一性は、来週論じるEUを除けば、非常にかぎられており、協調を実施できるPowerには限界がある。

Prof. Cohenの論述には金融政策だけが扱われ、財政政策と合わせたマクロ政策全体の評価はなされていない。これは評価が難しい。かつて、R.N.Coopers Triangleがマクロ政策全体の操作目標について、対外・対内そして延期、と区別したのは一つの工夫であろう。政策協調の目標が対外(為替レート)調整から対内(マクロ政策相互監視)調整に移ってきており、この変化がなぜ生じたかをM.Webbは問題にしている。≪なお、S氏に確認したところ、M.Webbは財政政策と金融政策との区別が明確でない、とProf. Cohenはここで注意したらしい。≫

Webbが指摘しているように、貿易分野においても対外(関税・管理貿易・為替割当て、など)調整から対内(産業政策)調整に移行してきた。金融の分野においては特に、民間資本移動の爆発的な増加が公的な介入を無効にしてしまった。それゆえ問題は外国為替市場への協調介入からマクロ政策協調へと移行した。1973年以降、IMFの分類表で見ても年々より多くの国が多様な管理為替レートから変動制に移行している。

Garrettが財政政策を論じたのは、国内のインフラ整備やHuman Capital、国際競争にさらされた銀行や企業のSafety Net、などについてである。基本的に財政政策の選択肢は、投資環境の国際競争を意識したTrickle Down戦略か、Immobile Factorsへの課税と公的支出・公的融資、の二つに限られる。

Cohen/Webbはマクロ政策の効果が制限され、国際協調政策を必要とするようになることについて、一連の変化を説明する試みである。