第3回/4月14日

最初に質問した女性は、中国の軍事技術について、だった。アメリカの技術が中国の軍事的拡大に利用されているのをどうすべきか? どうやらアメリカの衛星打ち上げ技術が時事問題になっていたらしい。 Prof. CohenはEU、ロシア、日本なども同じような技術を持っていること、技術を軍事的かどうかと区別することはできないこと、通商上の利益と安全保障問題が関わるケースであること、を説明していた。(チーズですら、生物化学兵器に利用される)

次に、いつも彼女と並んで座るゲルマン風の男性が、銀行の巨大合併を取り上げた。バンカメのニュースが基になっている。質問の焦点は分散していたため、理解できたとは思えない。彼は、情報アクセスの問題と関連付けていたが、 Prof. Cohenは否定的だった。問題は大銀行の差別的な態度ではない。いつでも金融情報は手に入れられる。アジア通貨危機でも、最初に売ったのはその国の外貨を借りてきた金融機関が返済用に外貨を入手しようとしたのだ。(マハティールは同意しないが) 香港でも同様だ。 韓国のケースは全然異なる。

銀行は融資を増やしたがる。未来への強気の予想はそれを正当化し、みなのEuphoriaがbubblesにつながる。ラテン・アメリカでも日本でも、アジアでも、それを管理することは難しい。今のアメリカもそうなりつつある。(とN.Y.T.は考えている) 国境が薄れていくと、世界市場において規模が重要になっている。しかし、巨大な銀行は、一層多くの融資のためにリスクを高めてしまう。(この点、質問があった。銀行の資産が合併で膨らんでも、それ以前と比べてリスクが増えることはないはずだ。 Prof. Cohenは融資の拡大には常にリスクが伴い、競争だけがそれを適正な水準に抑えられる、と強調した。) 株主はより大きな利潤を求めるから、リスクの多い投資に走らないためには、合理的な行動規範・協調と規制が求められる。

最後に、L.A.Timesの記事からIsraelのS.Peres首相とG.Sorosとの対談A Global Economy Wont Make the World Go Round in Peaceを取り上げた。 世界的な資本市場は世界的な社会政策を必要とする、という対談だ。Prof. Cohenは三つの論点を指摘した。まず、期待と結果の相互作用。市場では、期待が変化すると現実の値も大きく変動する。それゆえ不安定で、破壊的になり易い。第二に、市場の心理。市場における価値。ダイヤモンドと水のパラドクスを紹介した。マルクスの資本論が交換価値と使用価値との対立によって体系化されていることも。その意味では真の価値はその社会の需要によって決まる。最後に、資本主義システムについて。資本の自由な移動が社会的な安全保障・社会保障制度を蝕んでいる。この点では国際投資家は「有罪guilty」であり、Sorosも大もうけしている、と。国際投資家や企業は税金を免れるが貧しいものは重税に苦しむ。世界社会の可能性については、あまりに遠い将来のことだ、として否定的だった。民主的社会の協調については、まさにIPEの主題、として受け入れた。

さて今回の主題は、金融グローバル化の政治学、だ。グローバル化、特に資本移動の増大は、国民国家の金融政策を無効にするのか? それに対して国民国家・政府はどのように対処しようとしているのか?

D.Andrewsは政策効果の低下を認め、国家の衰退を問題にする。基本的枠組みはMundell-Fleming Modelである。固定相場制で国内のインフレ的な拡大政策は、資本移動が増加すれば何をもたらすか? 国内のインフレは輸出財の国際競争力を失わせ、輸入を増加させる。貿易収支の赤字拡大は固定制維持への信頼を失わせ、アジア通貨危機がそうであったように、通貨の大幅な下落を招く。質問に答えて、フィリピンは地域的な危機の伝染であったし、同様の輸出品に依存している限り、ブラジルも感染した。しかし、カルドーソ大統領の引き締め策が成功して、伝染を防いだ、と。こうして、独立した通貨政策と高い資本移動性は対立する。

もう一つの影響は、変動相場制下で貨幣供給を増やした場合に見られる。この時、金利の低下と資本流出、為替相場の変化(通貨価値の下落)は貿易収支を黒字にする。為替相場の安定性と独立した通貨政策や高い資本移動性とは対立する。こうして、矛盾の三角形、unholy triangleが成立する。

問題は、この性質は国際通貨体制IMSの性格に依存するのか(それとも単に個別主体の費用便益に基づく選択の結果か)である。Andrewsの答えはYesだ。 Prof. CohenはYes & Noだという。(個別主体にとって大きすぎるコストがIMSの構造によって与えられているなら、それらは同じことになる?) 各国は自由化と規制とを選択できる。国家はいつも、世界市場から離脱する力を持っている(原則としては)。

民間主体についても、答えはYes & Noになる? 例えば文献Who elected the Bankers? も、銀行家は真の恐慌Crisisに生き残るものだけである、とした。それは個別の計算を根本的に変化させる。100年来議論されてきたことだが、現在のIMSと民間主体の計算を決定したのは第一次世界大戦と世界恐慌、その後の戦争である。現在も戦争無しにある程度改革はなされているが、たいして重要ではない?

資本の移動性とは何か、という質問に応じて、 Prof. Cohenはpossibilityとrecorded movementとを区別することを強調した。実際に資本が移動しなくても、短期金利の格差が縮小していること、ユーロ市場のように、各国通貨建ての金融資産が一個所で取引できること、などがその理由だ。当然、資本移動の可能性が高まったことを、金融統合と見なしている。

これに対してG.Garrettの論文は全く逆の結論を導く。しかし、Andrewsの論考と矛盾するものではない。なぜなら、Andrewsが金融政策を問題にしたのに対して、Garrettは財政政策を問題にしているからだ。財政政策は、必ずしも金融統合によって制約されない。

次の重要問題は、政府の対応である。R.GermainはGlobal Economy Approachを主張して(Wallersteinなどに従い?)経済取引はそもそも世界的なものと見なされ、世界的貯蓄者と世界的投資家との信用体系International Organization of Credit:Allocation of Savingsを分析の対象にしている。国民国家は死滅しそうだ。

領土国家と経済の脱領土化は、Globalizationをde-centralizationと見なしているが、それは間違いである。 Prof. Cohenの視点はCreation of Management of Moneyである。信用の体系に比べて、国際決済体系Payment System: Clearingである。Germainは国家の役割について過去の時代をnostalgiaで描く。しかし、 Prof. Cohenは、mobile actorsに対して、国家は互いに競争しているのだ、と主張する。国家の独占的権限は強く、特に中央銀行を通じた国家債務の貨幣化について通貨の領土内独占的発行は重要である。しかし、その独占も絶対的なものではない。国家が債務を貨幣化しつづければ、一方でハイパー・インフレーションが(SFに出てくるアメリカの将来像)、他方では他通貨への資本逃避が(日銀に失望して円が下落しつづけているように?)限界を課すことになる。

Prof. Cohen, Geography of Moneyの第二章では国際通貨の費用と便益が分析されているが、「国際的シニョレッジ」について質問され、追加的な説明があった。シニョレッジは通貨の生産コストと流通価値との差額であるが、国際的シニョレッジはアメリカが海外に通貨を供給した結果、財・サービスの利用を増やせたことを意味している。そのような通貨は連邦準備銀行の債務であるが、それは通貨危機の国々で庶民から中央銀行(例えば香港)までが保有しつづけているから、アメリカが財・サービスを要求されることはない。

Prof. Cohenは新著の各章について要点を解説した。第6章のA New Structure of Powerでは影響力Influenceの構造を、国家間だけでなく、public sectorとprivate sectorとの関係として考察している。第7章では、S.StrangeのRetreat of the Stateについて、国家権力が蒸発するevapolatingという考え方を大いに賞賛しつつも、政府はまだ存在するGovn still is.と強調する。政府が(通貨の)供給を支配している限り、市場メカニズムを通じて政府の統治能力governanceは存続する。規範的価値と市場価格とは必ずしも一致しないが、政府は市場のprocessによって結果を追求する。民主的代表である政府が、市場と一致しなくなったときのGlobalizationと民主主義との対立は、これからの主題である。ここで答えは出されていない。