日本の中国研究の今後を考える

(20091月、中国経営管理学会設立10年に寄せて)

厳 善平(桃山学院大学)

 

日本の中国研究は相変わらずの活況ぶりだ。関連の学会数も、科研費をはじめとする様々な助成研究プロジェクト数も目立って多く、中国研究を職業とする者も増えているからだ。それと並行して、中国研究の専門化と精緻化が急進している。背景に中国経済の大国化および日中経済関係の緊密化があることは言うまでもない。中国経営管理学会はそうした流れの中で自然に誕生し、そして、一定の歴史的使命を担ってきているように思われる。

学会設立以来、中国研究を取り巻く内外の環境が大きく変わった。3つの点を指摘しながら、それらへの対応を考えてみる。

まず、中国情報の量的拡大と質的向上が挙げられる。WTO加盟後の中国では公式統計だけでなく、様々な研究機関等による調査資料の公開も積極的に行われている。それに、ITの進歩も手伝って、地球上のいかなる場所からも中国発の情報に簡単にアクセスできるようになっている。その意味で、我々はいま同じ土台に立って中国研究を行う機会平等の状況下にあるといえそうだ。しかし他方では、誰でも利用できる情報のみに頼っていては、特色のある研究成果が期待できにくくなったともいえる。差別化をするために、独自の一次資料が要求され、問題の捉え方から分析方法までいっそうの工夫が必要不可欠になっている。

次に、研究成果の発信方法が多様化し、それに対する評価の空間的範囲も著しく拡大している。中国国内の研究水準が飛躍的に上昇し、中国のプレゼンスが向上したこともあって、中国語による研究成果の発信は英語のそれと同じように注目され始めている。日本でも、英語と共に中国語による発信の重要性が認識されつつある。これは大変良い傾向だが、数がまだ少なく、質の向上も待たれている。せっかく英語または中国語で発信しようとしている以上、英字のジャーナル、あるいは中国語の学術雑誌にも投稿し、掲載してもらえるようにすべきだし、しなければならないと考える。内輪の自給自足だけでは、物足りない。もちろん、そのようになるためには多大の努力を払う必要があろう。

最後に、中国側との共同研究は昔ほど容易でなくなっている。米国等の中国研究と異なり、日本の中国研究の成果が中国に余り還元されずにいることは一因であろうが、個々のプロジェクトに投入される研究費の金額が欧米のそれと桁違いすることも大きく影響しているようだ。日本における中国研究の総経費は相当の規模に上っているのに、ばらばらに分散され、しかも米国の中国研究のように明確な戦略を欠くものが多く、相応の影響力が発揮されていない。確かな戦略を持ち、真の国際共同研究を推進していくことは、日本における中国研究の真価に関わる重要な課題であろう。その際に、相手に認知されることも重要である。

近年、中国関連の諸学会がとても栄えているように見える。「見える」としたのは、学会活動という形式に着目した場合の話しであって、中身に目を向けると多くの悩みがあるからだ。学会の報告者が集まらない、学会誌への投稿者が少ない、大会等の参加者数が低迷している、等など。もしかすると、これらは上述した中国研究の環境変化と関係するかもしれない。実りの多い学会活動はどのようにしたら実現できるのか。みんなで考え、有効な対策を早く出さなければならない時期が来ているように思われる。